■モーツァルト作品解説■    [HOME]   [年代別目次]

ハイドン四重奏曲

概説

 モーツァルトは、1773年夏の〈ウィーン四重奏曲〉のあと10年近く弦楽四重奏曲から遠去かっていたが、1782年12月31日の日付をもつK387をもってこの分野を再開した。再開の動機となったのは、1781年に完成され翌82年4月にアルタリアから出版されたハイドンの「作品33」(「ロシア四重奏曲」)から受けた深い感動である。モーツァルトは1785年1月までに自発的に6曲の連作を完成し、最後の作品を書き上げた翌日の1月15日と2月12日にハイドンを自宅に招いて聴いてもらったあと、9月1日付の献辞を添えてアルタリアから出版した。イタリア語による献呈の辞は、貴人に対する儀礼的なものとはまったく異なった調子で書かれており、ハイドンへの尊敬の気持と、真の天才にだけ打ち明けるにふさわしい自負心が率直に語られた、音楽史上でも最も美しいものとなっている。2人の実り多い友情の証として、作品と同様意義深いものといえよう。
「わが親しき友ハイドンに。 広い世のたかに、自分の息子たちを送り出そうと決心した父親は、彼らを、幸運によって最良の友となった今日のもっとも名高いお人の庇護と指導にゆだねるべきものと考えました。高名なお人にして、わが最愛の友よ、ここに彼の6人の息子がおります。彼らは、まことに、長く、、苦しい労苦の結実でありますが、しかし、いく人かの友人たちが与えてくれました、すくなくとも一部は労苦も報われるだろうという希望が私を元気づけ、またこれらのものがいつかは私にとってなんらかのなぐさめになるだろうと私に期待させてくれるのです。最愛の友御自身、この都に最近滞在なされた時、あなたの御満足の御気持を私にお示し下さいました。こうしたあなたの御賛意が、とりわけ私をはげまし、そのために私はあなたに彼らをおゆだねし、彼らがあなたのご寵愛にふさわしいのではないかと望ましめるものです。それゆえ、すすんで寛大にも彼らをお引き取り下さい。そして、彼らの父とも、導き手とも、また友ともなって下さい!今後は、彼らに対する私の権利をあなたにおゆずりし、それゆえ、父親の偏愛の眼が私に隠していたこともあろう欠陥を寛大に御注意下さるよう、そして彼らの意志に反しても、私自身がそうでありますようにあなたの寛大な友情をつよく重んじているものに対して、その友情を保ちつづけて下さいますようお願いいたします。親しい友、あなたのこの上なく誠実な友W・A・モーツァルト1785年9月1日」(海老沢敏訳)。
 2月12日の2度目の試演会には、ちょうどウィーンを訪れていたレオポルトも立ち会った。このときの模様を、レオポルトは2月16日付のナンネル宛の手紙に次のように記している。
「新しい四重奏曲が、といっても私たちがもっている3曲に続けて作曲された3曲の新作だけですが、演奏されました。これらは確かに少し軽くですが、しかしみごとに作曲されています。ハイドン氏は私に申しました。『誠実な人間として神にかけて申しますが、あなたの御子息は、私がじかにあるいは評判によって知っている作曲家の中で、最も偉大な作曲家です。趣味とそのうえまったくすぐれた作曲の技術をおもちなのです』」。
 ハイドン自身が「まったく新しい特別の方法」という言葉で特徴づけた「作品33」は、古典派様式の完成を示す作品として音楽史上に決定的な位置を占めている。とくに、主題労作の技法の論理的な展開によって、作品の有機的な統一を実現している点は重要であろう。このことによって、古典派音楽はバッハ以来の高みに達することになるのである。モーツァルトは、そうした面に限らずハイドンの全成果を出発点に自己の創作を行っているが、模倣と感じられる点は1つもない。古典派様式の完成が、ハイドンとモーツァルトの2人の芸術的個性の確立を意味していることを、これらの作品は最もよく示している。
 「作品33」と「ハイドン四重奏曲」を比較したとき、モーツァルトの個性的な特徴としてあげることができるのは、おおざっばにいって次のような点である。作品の規模がはるかに大きいこと、旋律と和声両面のクロマティシズム、対位法の広範で有機的な活用、カンタービレな旋律表現など。