■モーツァルト作品解説■    [HOME]   [年代別目次]

交響曲 第11番 ニ長調

K84(K73q)

 モーツァルトが14歳(1770年)の時の作品である。すなわち1769年暮から1771年春にかけての第1回イタリア旅行の間に書かれたものである。はじめてのイタリア旅行では、父レオポルトの計画に基づいて、ヴォルフガングは各地で多くの音楽を聴き、同時に著名な作曲家達と直に接する機会を得た。特に、息子をイタリア・オペラの作曲家にすることを念願にしていた父親の希望により、本場のイタリア・オペラを身をもって体験したのであるが、それと同時にサンマルティーニ(1698-1775)の手で光を放つようになったミラノの器楽の作曲法からの影響も強い。しかし何といっても、マルティーニ(1706-1784)に直接師事して、対位法の勉強に励んだことは、後の彼の交響曲の中に反映されてくる。
 この第1回イタリア旅行の間に生み出された交響曲は6曲〔「第9番」K73,K81(K73l),K97(K73m),K95(K73n)、「第11番」K84(K73q)、「第10番」K74〕あり、各々がイタリアのシンフォニアの影響を示している。この旅行の前のウィーン滞在時代(1767-1768年)に作曲された交響曲は、ウィーンの伝統にならって通常トリオ付きメヌエットを含む4楽章構成をとっていたが、イタリアに足を踏み入れると、楽曲形式もイタリアの伝統にならって、メヌエット楽章が脱落して3楽章で書かれてくる。6曲のうち3曲(K73、K97、K95)は、4楽章をとっているが、K97とK95は、ウィーンでの再演のために、あとからメヌエット楽章が付け加えられたものである。また、第1楽章のソナタ形式が崩れてきて、呈示部の反復が省略されていたり、展開部が短くなったり、K74やK94のように第1楽章は間を置かずに直ちに次の楽章につづくようになっていることもイタリアの影響といえる。また6曲のうち4曲までがはなやかなニ長調を占めている。主題に関しても、分散和音形の旋律を示す曲が多く、前年に作曲された「新ランバッハ交響曲」K48の息の長い旋律に比べると対照的であり、全体的にブッフォの伝統に近づいている。イタリアの交響曲ばかりでなく、オペラからの影響もこの時期の作品に強く現れている。
作曲の経過 K81(K73l)、K97(K73m)、K95(K73n)と並行して、1770年2月に、ミラノで書き始められ、ローマ、ナポリの旅行を経て、7月にボローニャで完成された。
 この作品の自筆楽譜は不明であるが、ベルリン国立図書館所蔵の筆写譜は、K81(K73l)とともにレオポルト・モーツァルトの作品であると書かれているが、ウィーン楽友協会所蔵の筆写譜には、「ミラノにて、1770年の謝肉祭の日に」とあり、さらに「騎士ヴォルフガンゴ・アマデーオ・モーツァルト氏により、ボローニャにて、1770年7月」とあり、この記述が認められている。また、モーツァルトは、1770年8月4日に姉に宛てた手紙の中で、「ぼくはすでに4曲のイタリア風交響曲を書きました」と書いており、モーツァルト研究家のド・ヴィゼヴァ(1862-1917)とド・サン=フォア(1874-1954)により、4曲のうちの1曲がこの交響曲であることが指摘されている。
初演 1770年7月にボローニャで完成されたが、初演の時期、場所および目的は不明である。
基本資料の所在 自筆楽譜は不明である。筆写譜は総譜の形でブラハ大学図書館および同国立図書館に、またパート譜の形でウィーン楽友協会(20027K)およびベルリン国立図書館(Mus.Ms2:[15235/12])に保存されている。
出版 旧モーツァルト全集第8篇、第11番。
演奏時間 11分。
楽器編成 オーボエ2、ホルン2、ヴァイオリン2部、バス。

第1楽章 アレグロ ニ長調 4分の4拍子。ソナタ形式。
第2楽章 アンダンテ イ長調 8分の3拍子。二部分形式。
第3楽章 アレグロ ニ長調 4分の2拍子。2つの部分からなる。