■モーツァルト作品解説■    [HOME]   [年代別目次]

クラリネット協奏曲 イ長調

K622

 モーツァルトが協奏曲のジャンルで残した最後の作品であり、またクラリネットのための唯一の協奏曲でもある。自筆譜もなく、正確な作曲の日付はわからないが、モーツァルト自身による作品目録への書き込みから、1791年9月28日から11月15日の間に、ごく親しい友人で同じフリーメイスン結杜の一員であったアントーン・シュタートラー(1753-1812)のために作曲されたことがわかる。このシュタートラーはウィーン宮廷楽団に仕えていた当時並ぶもののないクラリネットの名手で、この協奏曲と、そしてこの楽器のためのもうひとつの傑作、「クラリネット五重奏曲」K581はともに、そうしたシュタートラーのすぐれた演奏技法に刺激されて、モーツァルトが筆をとったものであった。特定の奏者に啓発されての作と曲いう事情は、ウェーバーやブラームスのクラリネット作品にも共通している。
 さてこの協奏曲の第1楽章は、実は初手からクラリネットのために書かれたのではなく、やはりシュタートラーを想定して書かれたと考えられ、ケッヒェル第六版では直前の621bという番号を与えられているバセットホルンのための協奏曲を手直した編曲なのである。したがって、上記9月から11月の間にト長調の原曲にファゴットを加え、全体をイ長調に移して第1楽章への編曲を終え、第2、第3楽章を新たに書き加えて1つの協奏曲として完成させたのだとされている。バセットホルンの独奏パートだけは完全に仕上がっていた原曲の草稿と編曲版とを比べると、ほとんど内容は変らず、アルト・クラリネットと同じく普通のクラリネットより5度低い音域をもつバセットホルンのための楽句を、イ管のクラリネットの音域内に移すために生じたような違いが若干あるに過ぎない。いささか不体裁な三日月型で、今はすたれてしまったバセットホルンだが、そのくすんだ柔らかい音色が気に入ったのであろう、モーツァルトは1780年代以降の室内楽やオペラで時折これを用いていた。
 ほぽ均一な音色をもつオーボエに対して、クラリネットの魅力は低、中、高それそれの音域に応じて音色が変り、表現に幅と奥行きをもたせることが出来る点にあろう。オーケストラの中にまだ常席を占めていなかったこの新参の楽器のそうした特性を、モーツァルトはすでによくとらえていて、とくに最低音近くの音域を十分に鳴り響かせ、高音域との対照効果を巧みに引き出しており、この面でもロマン派の音色詩人、ウェーバーの先鞭をつけたと指摘されてもいる。独奏パートは輝かしい名技ですきなく装われてはいるけれども、しかし音楽の実質を荷なっているのはそのクラリネットばかりではない。ソロとコンチェルタントに対応しつつ、オーケストラも作品全体の芸術的構築に同等の責任をもって参加しているし、独奏が時に伴奏役に回ることもある。クラリネットを主役にした作品が2つとも、より一般的な変ロ管でなく、イ管で、したがってイ長調をとっているのは、シュタートラーの好みでもあったかもしれないが、あくまでモーツァルト自身の発意によると思われる。もともとイ長調は、ト短調とともに、モーツァルトの音楽の資質にしっくりと適う調性であり、程よい活気をはらんだすこやかな官能的気分がそこにはいつも漂っているのだが、この協奏曲の場合には、そうした情調が、最晩年の創作を貫く静かに澄み切った響の中にみごとに融け込んでいて、たとえようもなく美しい。
作曲年代 おそらく1791年10月初め、ウィーン。
初演 不明。特定の音楽会をめざしたものかどうかもわからない。
出版 旧モーツァルト全集第10篇、第20番。なお、第5篇、第14作品群、第4巻として分類された新全集は未刊だが、序文その他の資料を省いた楽譜だけの新全集の実用版スコアが、べーレンライター社から出ている。
演奏時間 約30分。
楽器編成 独奏クラリネット(イ管)、フルート2、ファゴット2、ホルン2、弦5部。

第1楽章 アレグロ イ長調 4分の4拍子。ソナタ形式。
第2楽章 アダージョ ニ長調 4分の3拍子。三部リート形式。
第3楽章 ロンド アレグロ イ長調 8分の6拍子。ロンド形式。先行アダージョの沈んだ音調から一転して、このフィナーレは軽やかな戯れに満ち、音域やリズムの対比からいく分ユーモラスな雰囲気さえ忍び込んでいるが、しかしそれとても真底明るいのではなく、どこかしら憂愁の影がさしたものとなっている。