■モーツァルト作品解説■    [HOME]   [年代別目次]

歌劇「ティト帝の慈悲」

K621

 モーツァルトは最後の年である1791年7月に、大作を一度に3つも抱えていた。1つは7月初めから取りかかっていた「魔笛」であり、第2が見知らぬ使者から頼まれた「レクイエム」であった。さらにボヘミアからオペラの注文がきた。これは1791年9月6日にプラハで行われるボヘミア王としてのレオポルト2世の戴冠式の祝典のために上演されるもので、まさにこのような機会にふさわしい題材である「ティト帝の慈悲」が選ばれた。
 リブレットの原作は、ウィーンの宮廷詩人ピエトロ・メタスタージョである。この作品は、1734年ウィーンの皇帝カール6世の命名祝日のために、アントーニオ・カルダラにより初めて作曲されて以来、ハッセ、グルック、ヨメッリ等、モーツァルト以前に40名以上の作曲家により扱われてきた。しかしモーツァルトは、これをザクセンの宮廷詩人カテリーノ・マッゾーラが改作したものを用いている。マッゾーラは原作の3幕を2幕にし、第2幕はほとんど削除し、アンサンブルのテクストを作詞してかなりのアリアと入れ替え、またレチタティーヴォを短縮するなど大幅に手を加えている。アインシュタインは、「マッゾーラはメタスタージョの宮廷風リブレットから傑作を作り上げることはできなかった。彼は入念にみがきあげられたメタージョの事件進行のからくりを、ときとして荒っぽくぶちこわしてしまってはいるが、そうすることによって百倍も効果のあるリブレットを得た」と述べている。
 モーツァルト自身この改作を気に入っており「ザクセン選帝侯宮廷詩人マッゾーラ氏によって本格的なオペラに改作された」と評している。しかしながらこのオペラの初演は不評であり、皇妃マリア・ルイーゼは「ドイツ式のきたならしいもの」と述べたと伝えられている。しかしプラハでの9月30日の最終上演の際には、多くのアリアがアンコールされたことも伝えられている。今日に至るまでヨーロッパの各所で上演されてはいるが、「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」とは比較にならないほど少なく、またこのオペラに関する評価は、かなりまちまちなものである。
作曲の経過 モーツァルトがこの作品の作曲に従事した時期は明確ではない。18日間で完成したとする説も具体的な裏付けを欠いている。T・フォレクは、「ティト帝の慈悲」に関する論文の中で、1791年4月26日にプラハ国立劇場で行われた演奏会のプログラムに記されている「バセット・ホルンを伴うロンド」は、このオペラの第23番のヴィテッリアのロンドであるという仮説を立てることにより、すでにモーツァルトは4月にはマッゾーラの台本を手にしており、部分的に作曲していたと述べている。またF・ギークリングは、「新全集」の序文で、この説を足場として、モーツァルトはすでに1789年4月にプラハで劇場支配人グァルダゾーニと新しいオペラの創作の約束をし、その題材にメタスタージョの台本を選んだが、モーツァルトはこれに満足せず、4月から5月にかけてドイツを旅行したとき、ザクセン公の宮廷詩人であったマッゾーラに改作を依頼し、この改作台本によって作曲に手を染めたが、スケッチするに止まり、ただヴィッテリアのロンドだけが仕上げられていた。ところが、7月になって、このオペラを9月6日のレオポルト2世の就任記念の祝典で上演することが定まり、7月半ば以降に本格的に作曲に取りかかったと述べている。一方、P・ネットゥルとW・プラートは、自筆総譜のうち序曲、第8番のティトのアリア、第2幕第8場および第13番、ヴィテッリアの管弦楽伴奏つきレチタティーヴォ、およびレチタティーヴォ・セッコの全体は、他の部分とは別の紙に書かれており、モーツァルトがプラハへ旅立ってから全曲を書いたのではなく、重要な部分はそれ以前の作曲ではないかと推定させる根拠となっていると述べている。またセッコ・レチタティーヴォも問題であるが、これはモーツァルトの手になるものではなく、ジュースマイヤが作曲したものではないかと推定されている。
初演 1791年9月6日、新しくボヘミアの王位についたレオポルト2世の載冠式の祝典のためにプラハの国立劇場で上演された。初演時配役は次の通りである。ティト=アントーニョ・バリオーニ(T)、ヴィテッリア=マリーア・マルケッティ・ファントッツィ(S)、セルヴィリア=ミニョリーナ・アントーニーニ(S)、セセスト=カロリーナ・ペリーニ(S)、アンニオ=ドメニコ・ベディー二(カストラートのS)、プブリオ=ガエターノ・カンピ(B)。
 ウィーンでは1794年にケルントナトーア劇場で初演された。1806年3月のロンドン上演は、この国でのモーツァルトのオペラとして最初のものであった。
基本資料の所在 自筆の全曲の総譜はベルリン国立図書館所蔵。なお、第2番、第11番、第12番は第2次大戦後、行方不明となっている。第3番はE・アルバーマン個人所有のものが大英図書館に貸与されている。筆写譜は、プラハ国立博物館、ザルツブルク・モーツァルテウム、ウィーン国立図書館等に保存されている。
出版 〔初版〕全曲の総譜がライプツィヒのブライトコプフ・ウント・ヘルテルより1809年に、また全曲のピアノ譜は、S・シュミット編で同出版社より出された。〔全集〕旧全集第5篇、第21番。新全集第2篇、第5作品群、第20巻。
演奏時間 第1幕1時間2分、第2幕1時間4分、合計2時間6分。
楽器編成 フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、ヴァイオリン2部、ヴィオラ、チェロ、バス。
台本 イタリア語。古代ローマ皇帝ティトゥス・フラヴィウス・ヴェスパジャーヌスの仁政を讃美したメタスタージョの原作をザクセン公の宮廷詩人マッゾーラが改作したものである。
登場人物 ローマ皇帝ティト(T)、皇帝ヴィテリウスの娘ヴィテッリア(S)、セストの妹セルヴィリア(S)、ティトの友人でヴィテッリアを愛しているセスト(S、女性歌手の男装)、セストの友人でセルヴィリァを愛しているアンニオ(カストラートのS)、総督プブリオ(B)、元老院と民衆の合唱。
時と所 ローマ皇帝ティトゥス・フラヴィウス・ヴェスパジャーヌス(在位79−81年)の治世下。ローマ。