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歌劇「コシ・ファン・トゥッテ (女はみんなこうしたもの)」

K588

 「フィガロの結婚」第1幕第7番のスザンナ、バジリオ、伯爵の三重唱のなかに、つぎのようなやりとりがある。伯爵「おまえの従姉妹のところから、変た声がきこえたので、戸をノックしてあけさせると、バルバリーナがおどおどしているので、部屋の中を捜してみたのじゃ。テーブルかけを静かに持ちあげると、……あの小姓めがいた。(椅子にかかっている覆いを実際にとりあげてその様子を実演してみせると、なかにケルビーノがいるのでびっくりする)こりゃなんたることじゃ!」スザンナ「ああ、どうしましょう」バジリオ「これはかさねがさねおみごとな」スザンナ「これ以上悪くはできないわ」伯爵「みごとじゃな!」スザンナ「神様のおぼしめしにまかせましょう」バジリオ「女はみんなこうしたもの。とりたててめずらしいことではございませぬ」(平凡社版「対訳オペラ全集」第2巻33−34頁より引用)。
 「コシ・ファン・トゥッテ」はこのバジリオの言葉を題名とするものであるだけに、いわば底抜けの喜劇ともいうべきものである。女の貞節について、おたがいに意見がくいちがったため、それではいったいどちらが正しいものなのかと、芝居を組んで実際に試みてみるという、罪があるようなないような男たちの馬鹿馬鹿しい陽気ないたずらが、全2幕からなるこの歌劇をつらぬく主題となっている。
 こうした一見したところあまりにもナンセンスな筋をもつ台本と、それにつけられた音楽とが、時代によっては、だいぶ低く評価されたとしても、あるいは当然なことかもしれない。とくに19世紀には、台本に関しては、無意味な筋とその非道徳性ばかりでなく、構成が単調であり下手であるという点が、指摘されたが、たとえば、音楽と倫理的なものの関係を強調して考えていたべートーヴェンが、内容の点でそれに反するものをもっていると思われた「コシ・ファン・トゥッテ」を好またかったことはよく知られている。最近にいたるまで、台本の拙劣さについてはこれをみとめるものも多いが、現在では、この作品の単純さをみとめ、このような点にこの作品の他のオペラ・ブッファの作品とはちがった積極的な意味があることをみとめるのが常識となりつつある。
 こうした台本にもとづいたモーツァルトの音楽は、男女間の信頼と問題をめぐっておこなわれた、まったく現実ばなれのしたお芝居の世界の中の事件でありながら、それでいて人間の愛情の一面をたくみにとらえている物語を、あくまで軽やかに描くことに成功している。そうした点でも、伝統的なイタリアのオペラ・ブッファとも、以前の「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」とも異なった範疇に属する。生活の面ではさまざまな困難に直面してはいたが、創造の力が最高度に発揮されていた当時のモーツァルトの手になった代表的作品として位置づけることができる。登場人物の数が少なく、かつそれが一対ずつの組に分けられていることから、音楽的にそれぞれ特徴のあるアンサンブルが数多く生みだされ、それがこのオペラの独自の美しさを形作るひとつの原因となっているし、こうしたモーツァルトの音楽を通して、各登場人物が、生きた個性をもった現実の人間として姿を現すのも、まさに印象的である。「フィガロの結婚」、「ドン・ジョヴァンニ」、そして「魔笛」の三大歌劇につぎ、「後宮からの誘拐」とならぶモーツァルトの代表歌劇といえよう。
作曲の経過 1786年5月に「フィガロの結婚」の初演がおこなわれたあと、1787年の10月には、さらにつづいて「ドン・ジョヴァンニ」がプラハで初演され、あくる1788年5月にはそのウィーン初演も試みられて、これもかなりの評判をとった。こうして、モーツァルトのイタリア風なオペラ・ブッファを中心とする歌劇活動は頂点をきわめることとなる。しかし、一方、当時のモーツァルトの生活は、しだいは不安定さの度合を強めていた時期でもあった。「ドン・ジョヴァンニ」の初演後、1月足らずで、大音楽家グルック(1714-1787)が世を去り、モーツァルトが代ってヨーゼフ2世から宮廷室内作曲家の称号を受けたのであったが、この職によって与えられる年金の額は、先任者グルックとくらべて半額以下であった。しかも、他の生活手段(教師および演奏家としての)も彼と彼の一家の家計を支えるには不足の収入をもたらすのみであった。しかしまた、こうした窮境のなかにあっても、モーツァルトは、以前にましてすぐれた作品の数々を創造していったのである。なかでも、とくに1788年の夏、つづけて完成された三大交響曲(変ホ長調K543ト短調K550ハ長調K551)が知られている。翌1789年の3月、モーツァルトは、ヴィルヘルミーネ・トゥーン伯爵夫人の甥で、彼の弟子であり友人であったカール・リヒノフスキー侯爵(のちにべートーヴェンの保護者ともなった)にすすめられて、ベルリン旅行に同行することとなった。モーツァルトはこの機会にプロシア王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世からいくつかの作品依頼を受け、やがてウィーンにもどっていったのである。同年8月29日にウィーンで「フィガロ」が再演され、このとき臨席した皇帝ヨーゼフ2世が、モーツァルトの音楽に興味を抱き、新しい歌劇の作曲を依頼したのが「コシ・ファン・トゥッテ」であるといわれている。物語の大筋は、皇帝みずからが決め、オペラ・ブッファの前2作の台本を書いたダ・ポンテが脚本を書きおろして、「コシ・ファン・トゥッテ、または恋人たちの学校」と題したものであるが、当時のウィーンにあった事件にヒントを得て、皇帝がこの筋をえらばせたという通説に対して、逆に健康を害していた皇帝をよろこばせるために、この物語が案出されたものであろうとする説もある。
 作曲は、同年10月から冬にかけてつづけられ、12月29日には、当時のモーツァルトにかなりの援助をほどこしていたプフベルクや先輩ヨーゼフ・ハイドンを招いての練習もおこなわれている。こうして、2幕からなるこの歌劇の全体が完成したのは、翌1790年1月のことであった。1月21日に初めて宮廷劇場でオーケストラ伴奏つき試演が行われている。
初演 1790年1月26日、ウィーンの宮廷劇場で行われた。なお、初演の配役は、フェルランドをカルヴェージ、グリエルモをベヌッチ(「フィガロの結婚」のフィガロを初演でうたったほか、「ドン・ジョヴァンニ」のウィーン初演でも、レポレロ役を演じた名ブッフォ・バス歌手)、アルフォンゾをブッサーニ(「フィガロの結婚」初演でバルトロとアントニオを演じた歌手)、フィオルディリージをフェルラレージ・デル・ベネ(台本作名ダ・ポンテの愛人)、ドラベラをヴィルヌーヴ(モーツァルトが演奏会用アリアを作ったことのある知合いの歌手)、デスピーナをブッサーニ夫人(ケルビーノを初演した)が受け持った。初演はいちおう成功したが、皇帝ヨーゼフ2世は病のため臨席せず、また、ひと月たらずで他界したため、上演は中絶され、8月までに10回程の上演が行われたのみであった。
基本資料の所在 ベルリン国立図書館。
出版 新全集未刊。オイレンブルク小型総譜。
演奏時間 第1幕約80分、第2幕約77分、合計約2時間37分。
楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、チェンバロ、弦合奏。
台本 イタリア語。ロレンツォ・ダ・ポンテの作(ダ・ポンテについては「フィガロの結婚」概説参照)。
登場人物 士官フェルランド(T)、士官グリエルモ(Br)、その友人の哲学者ドン・アルフォンゾ(B)、フィオルディリージ〔グリエルモの愛人〕(S)、その妹ドラベラ〔フェルランドの愛人〕(S)、侍女デスピーナ(S)、そのほか、兵士たち、市民たち、歌手たち、楽師たち、召使たちなど。
時と所 18世紀中頃。ナポリ。