■モーツァルト作品解説■    [HOME]   [年代別目次]

ピアノ協奏曲 第26番 ニ長調 「戴冠式」

K537

 1781年にウィーン定住を決めて以来、モーツァルトのピアノ協奏曲創作活動は、自活のために自らが開いた予約音楽会を通して次第に活発になり、あの12曲の傑作が生まれた1784年から1786年に、最も輝かしい時期を迎えたのであった。しかし、この時期を過ぎると急に、ピアノ協奏曲はほとんど書かれなくなってしまうのである。すなわち、この後、1791年の暮にモーツァルトが世を去るまでの5年間には、この「戴冠式」と、「変ロ長調」K595のわずか2曲が書かれただけなのである。
 モーツァルトの生涯最後の5年間には、オペラ、交響曲、室内楽などの他のジャンルではなお多くの傑作が書かれたのにもかかわらず、ピアノ協奏曲が急減しているのは、一つには、モーツァルトの関心がこうしたピアノ協奏曲以外のジャンルに向けられていったことにあろうが、新作ピアノ協奏曲の発表の場であった予約音楽会が、もはや開こうにも開けなかったという事情に、何よりもまず第一の要因があると思われる。すなわち、あの輝かしい時期が過ぎると、ウィーンの聴衆は次第にモーツァルトに目を向けなくなり、やがて、予約音楽会を計画しても会員が集まらず、音楽会が中止されるという事態を招いたのであった。そして、これに伴い、経済状態も悪化の一途をたどり始めたのである。
 1787年、「フィガロの結婚」に続いて「ドン・ジョヴァンニ」がプラハで大成功を収め、さらにこの年の秋に死去したグルックの後を受けて、皇帝ヨーゼフ2世より〈皇王室宮廷室内作曲家〉の称号を与えられるという、2つの栄誉に輝いたモーツァルトは、これをきっかけとして、ウィーンでの人気を取り戻せるのではないかと期待したのであった。そして、翌1788年、四旬節の予約音楽会の開催をもくろんで、2月24日に、この「戴冠式」を完成したのである。しかし、実際には、この予約音楽会も開かれなかったようである。つまり、この作品は、これまでのように、完成された後、直ちに演奏会で発表されるということはなかったのである。モーツァルトがこの協奏曲を初めて演奏する機会を付たのは、完成から1年以上もたった1789年4月14日、ベルリンヘ向かう途中に立ち寄ったドレスデンの宮廷音楽会においてであったと思われる。さらに、この曲は、翌1790年にも、レオポルト2世の戴冠式のために訪れていたフランクフルト・アム・マインにおいて、戴冠式の祝典期間中の10月15日に催されたモーツァルトの音楽会で演奏されたと推測される。このことから、この曲は「戴冠式」と呼ばれているのである。このときのブログラムには、2曲のピアノ協奏曲があげられていること、また、J・アンドレ杜から刊行されたこの曲の初版、およびこの曲と同じ年に同社から刊行されたK459の初版のそれぞれの表紙に、「この協奏曲は、皇帝レオポルト2世の戴冠式の折に、フランクフルト・アム・マインで作曲者自身によって演奏された」と書かれていること、さらに、この演奏会に出席したルートヴィヒ・フォン・ベントハイム=シュタインフルト伯爵が、旅行記の中で、この協奏曲が見事な装飾をつけて気高く演奏された、と記していることから、この協奏曲が10月15日の音楽会で、K459とともに演奏されたことはほぼ間違いないと思われる。
 この協奏曲は、独奏ピアノの繰り広げるパッセージが祝典的な気分を盛り上げていく、表面的には華麗な作品となっている。しかし、これ以前のあの12曲の傑作にみられたような、管弦楽と独奏ピアノとの複雑な関係はみられず、むしろ単純化されている。また管楽器とティンパニは控えめに扱われていて、管楽器の効果的な使用はほとんどみられないなど、全体は非常に簡素に構成されており、内容的には浅薄なものとなっている。しかしながら、このことは、かえってこの曲を誰にでもわかりやすいものにしており、こうした曲のわかりやすさと表面的な華麗さゆえに、この曲は、モーツァルトのピアノ協奏曲の中でも特に親しまれてきたのであろうと思われる。
 ところで、この曲の楽器編成は、モーツァルトの「自作品目録」の記載によれば、管楽器とティンパニが「アド・リビトゥム」となっており、モーツァルトが、弦楽器のみの室内楽的な伴奏でも可能な作品を意図して書いたものであることがわかる。こうした例は、以前にもみられたものであるが、管楽器の効果的な使用が一つの特徴である、あの12曲の傑作の後、ふたたびこうした小編成でも可能な作品を書いたのは、予約音楽会の開催が困難となっていた当時の事情に一因があるのかもしれない。しかしながら、自筆譜には「アド・リビトゥム」の表示がみられないことから、モーツァルト自身は、実際には、管楽器の省略を望んでいなかったようにも思われる。また、トランペット(クラリーノ)とティンパニは、自筆譜の総譜の書き方から判断して、第3楽章の途中で付け加えられたものであると考えられる。自筆譜にみられるこのような状況、および「自作品目録」の記載から、新モーツァルト全集の校訂者W・レームは、この2つの声部を、ドレスデン、あるいはフランクフルト・アム・マインでの演奏用に付け加えられたものであろうとするアインシュタインの説に疑問を投げかけている。
 モーツァルトのピアノ協奏曲の独奏ピアノの声部は、不完全のままに終っていることが多いが、この「戴冠式」はその最たる例で、他の作品に比べて不完全な部分が極めて多い。
とくに左手のパートは、第2楽章にみられるように、主に伴奏の役割を果すところではほとんど書かれていないのである。しかし、J・アンドレ杜から刊行された初版においては、自筆譜では欠けていた部分もすべて補筆され、完成されている。これが誰によって行われたものかは定かでないが、従来、この初版の解釈が受け入れられている。
作曲年代 1788年2月24日。
初演 1789年4月14日、ドレスデンの宮廷音楽会において、モーツァルト自身によって行われた。
基本資料の所在 ニューヨーク、ハイネマン財団(自筆譜)。
出版 〔初期〕オッフェンバッハのJ・アンドレ、1794年。〔全集〕新モーツァルト全集第5篇、第15作品群、第8巻。
演奏時間 約32分。
楽器編成 独奏ピアノ、フルート、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、トランペット(クラリーノ)2、ティンパニ、弦5部。

第1楽章 アレグロ ニ長調 4分の4拍子。ソナタ形式。
第2楽章 ラルゲット イ長調 2分の2拍子。A−B−A’の三部形式。いかにもモーツァルト的な、歌謡性に富んだ愛らしい旋律が優しく流れていく、美しい楽章である。
第3楽章 アレグレット ニ長調 4分の2拍子。ロンドの性格を示す、展開部をもたないソナタ形式と解釈されよう。