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歌劇「ドン・ジョヴァンニ」

K527

 「フィガロ」が大当りして空前の熱狂を捲きおこしているプラハから、その盛況ぶりを見に来るようにとの招待が、プラハ劇場支配人ボンディーニ、ドゥシェック夫妻らからウィーンのモーツァルトのもとにとどけられた。ビアニストとしてもまた音楽教師としても知られていたフランティシェック・ドゥシェック(1713-1799)の妻ヨセファ(1754-1824)は当時かなりの名声を得ていたソプラノ歌手で、1777年ザルツブルクで初めてモーツァルトを識り、その後も交際をかさねたが、モーツァルトは最初からこの社交的な女性には友情以上のものを感じていたし、ヨセファのほうも「後宮からの誘拐」をプラハで上演させるなど、なにかとモーツァルトに力をかしていた。
 ウィーンではとかく自分の歌劇が温かく受けいれられることのなかったモーツァルトが、この招きに喜んだことはいうまでもなく、妻をともなってさっそくウィーンを立ち、1787年1月11日「『フィガロ』以外の歌劇もなく、なにからなにまで『フィガロ』であった」プラハに乗りこんだ。そしてその月の17日には「フィガロ」の上演されている劇場に姿を現し、聴衆の熱烈な拍手に迎えられ、20日にはみずから指揮していやがうえにもプラハの聴衆を熱狂せしめた。この間、「ニ長調」の交響曲(1786年作でこんにち「プラハ」と呼ばれている)を指揮したり、ピアノの即興演奏をおこなったりしてプラハの注視を一身にあつめ、そのうえ「フィガロ」を上演していたボンディーニから、おそらくはモーツァルトも胸の中にひそかに予期していたように、100ドゥカートの謝礼を条件に新しい歌劇作曲の依頼を受け、大いに気をよくして2月の末ごろウィーンに引揚げた。
作曲の経過 この新しい歌劇の台本は大当りした「フィガロ」と同じく、ウィーン帝室劇場で仕事をしていたユダヤ系イタリア人、ロレンツォ・ダ・ポンテに依頼され、4月の上旬には台本がモーツァルトの手に渡された。
 作曲はその年の夏までに大半をすませ、9月の上旬には未完の草稿をたずさえてモーツァルトは2度目のプラハへの旅に出かけた。メーリケ(1804-1875)が、2ヵ年をついやして書きあげた彼の最後の作品である美しい短篇小説「旅の日のモーツァルト」は、この旅行を素材としたものである。プラハに着いたモーツァルトはボンディーニの手厚いもてなしを受け、ドゥシェック夫妻からは郊外の立派な別荘ヴィラ・ベルトラムカを提供され、まったく恵まれた環境のなかにこの新作を完成した。
 序曲だけは、初演の前々日27日から28日へかけての一夜に作曲された。傍らに妻を侍らせてポンチを作らせたり、お伽噺をさせたりして笑い興じながら筆をすすめたが、居眠りのためにとかく仕事は停滞しがちであった。しかたなしにコンスタンツェは1時間後に起す約束でモーツァルトを眠らせたが、彼のあまりの熟睡に、起したのは2時間後、朝の5時であった。それにもかかわらず朝7時に訪れた写譜係は、完成した序曲をまちがいなく受けとることができた、と伝えられている。
 こうして完成された「ドン・ジョヴァンニ」はともかく29日の初演にもちこむことができたが、ザクセン皇子新婚の祝賀として10月14日に初演しようという予定には、歌手の都合、練習不足などで間に合すことができず、その時は「フィガロ」を上演してこれに代えてしまった。なお翌年5月7日、ウィーンで初演された際には、若干の改訂が加えられた。
初演 1787年10月29日、プラハ劇場(現在のスタヴォフスケー劇場)において初演された。この初演は大成功で、「フィガロ」と同様プラハを湧きたたせた。「フィガロ」でこの作曲者に心酔していたプラハの聴衆はこの新作に対しても初めから大きな期待を寄せ、自身指揮をするモーツァルトが管弦楽のなかに現れたとき既にたいへんな拍手をもって彼を迎えた。モーツァルトは曲に対しても、あるいはまた歌手たちにも相当な不安を抱いていた。まして前作「フィガロ」があれほどの大成功であったことを考えると、それにおよぶ結果が得られるか否かはかなり疑問であった。しかし万事はうまくはこび、結果はかつてプラハにおいて上演された最もすぐれた歌劇とまで賞讃された。
 ウィーンでの初演は1788年5月7日、事情あって若干の改訂が加えられた(後述)うえで行われたが、あまり歓迎されなかった。なおワイマールの初演(1792年)を聴いたゲーテはシラーに宛てて、これは無類の作品であり、モーツァルト亡きあとはこのようなものの観られる見込はなくなった、と書き送った。
基本資料の所在 自筆楽譜、パリ国立図書館所蔵。
出版 初版、ブライトコプフ・ウント・ヘルテル、1801年(但しドイツ語テクストによる)。ピアノ譜では1793年、ショットより。
演奏時間 第1幕約1時間30分、第2幕約1時間20分、合計約2時間50分。
楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、弦合奏。他に舞台上に木管および弦。
台本 イタリア語。作者はロレンツォ・ダ・ポンテ(「フィガロの結婚」概説参照。「フィガロの結婚」、「コシ・ファン・トゥッテ」の台本も作った)。
 題材は有名なドン・ファン物語。ドン・ファン(イタリア名、ドン・ジョヴァンニ)はいうまでもなくスペインに、おそらくは14世紀あるいはそれ以前から存在した伝説的人物(Don Juan Tenorioという人が実在したともいわれる)である。ダ・ポンテはこの台本を書くにあたってベルターティの台本「石の客」〔これはイタリアの作曲家ガッツァニガ(1743-1818)が作曲〕を手本とした。さらにさかのぼればこのベルターティの作はスペインで初めてこの人物によって戯曲を書いたティルソ・デ・モリーナの「セヴィリャの女たらしと石の客」(1630年)と、例の有名なモリエールの「ドン・ジュアン」(1665年)の2作を手本にしたものであって、結局ダ・ポンテの作った台本は彼一流の才気ばしった軽妙な語法をもってこれら過去の作品を興味深く改作したものである。ドン・ファンの性格は、従来多くの解釈を生んで、これを人間の1つの典型としてかなり深刻な意義を付加されているが、このダ・ポンテの作におけるかぎり、この主人公はそうした深刻な意義を暗示する意図があるとは考えられない。
登場人物 ドン・ジョヴァンニ〔スペイン名ドン・ファン。好色の若い貴族〕(Br)、騎士長〔ドンナ・アンナの父〕(B)、ドンナ・アンナ〔ドン・オッタヴィオの婚約者〕(S)、ドン・オッタヴィオ〔ドン・ジョヴァンニの友人〕(T)、ドンナ・エルヴィラ〔ドン・ジョヴァンニに捨てられたブルゴスの女〕(S)、レポレロ〔ドン・ジョヴァンニの従者〕(B)、ツェルリーナ〔農民の娘、マゼットの婚約者〕(S)、マゼット〔農民〕(B)、そのほか農民男女、楽師、姿の見えない幽霊など。
時と所 17世紀頃。あるスペインの街。