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交響曲 第38番 ニ長調 「プラハ」

K504

 「リンツ交響曲」のあと3年余の空白期を経て書かれた「プラハ交響曲」は、もはや完成への途上にある作品ではない。それは1年数ヵ月後に書かれる3つの交響曲に比肩する高みに立つ、モーツァルト最高の交響作品のひとつである。
 この作品の完成はちょうど「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」の間の時期にあたっており、この両大作と共通した特徴が、ここでも随所に認められる。〈フィガロの調〉(L・ショムファイ)であるニ長調が主調に選ばれていることや、2−3の主題の楽想が「フィガロの結婚」からの影響を認めさせるし、序奏部の悲劇的緊張や内的感情のドラマティックな起伏は、「ドン・ジョヴァンニ」を予見させるといってよい。だが、こうしたオペラ的な要素は、器楽技法の著しい円熟によって、すぐれた音構築のうちに吸収されている。中でも注目されるのは、バロック的なポリフォニー技法が全曲に深く浸透し、モーツァルト本来の歌謡的な様式との間にみごとな融合をみせていることである。モーツァルトのバッハ=ヘンデル体験は、この交響曲によって真の個性的結実を生み出した、といってよいだろう。対位法に加えて、シンコペーションと半音階がすべての楽章の主題に姿をみせており、こうした緊張と陰影に富む素材が、ニ長調といういわば外向的な調を内面化することに成功している。
 この交響曲の楽章構成で注目されるのは、メヌエット楽章が削除されていることである。このため、西欧では「メヌエットなし」ニ長調交響曲(同じニ長調の「ハフナー」に対して)という呼び方も行われていた。メヌエットがなぜ省かれたかについては、さまざまた説がある。プラハの慣習に従ったとするド・サン=フォアの説、時間不足のためとするTh・クロイヤーの説、舞曲的性格が音楽の内面性にふさわしくなかったためとするH・クレッチュマー(1848-1924)の説、第2楽章の前に挿入されていたことも考えられるとするH・アーベルトの説など、いずれが正しいかを断定することはでぎないが、この交響曲を体験する者は、メヌエットであろうとなかろうと、これ以上どんな音楽をここに付け加えることができるのかと、自問せずにはいられないだろう。
 メヌエットを省略したかわりに、第1楽章にゆるやかな序奏が先置された。もちろんそれは、「リンツ」や「第37番」(序奏のみモーツァルト作)の交響曲にもみられたハイドンの書法の応用であるが、ここではそれがいちだんと拡大されて、ひとつの楽章とも呼び得るような重みを備えるに至っている。したがって全曲の楽章配列は、〈イタリア風序曲〉への復帰というよりも、R・ハースの指摘するとおり、〈教会ソナタ〉の4楽章構成を充実させたものとみる方が妥当かも知れない。そうしたバロック的形成法は、第1楽章のソナタ形式がリトルネロ形式に接近していること(J・P・ラールセンによる)にも表れている。
作曲の経過 この交響曲が「プラハ」と通称されているのは、「フィガロの結婚」の大成功によってプラハに招かれたモーツァルトが、プラハで演奏するために作曲し持参したと伝えられているからで、従来のモーツァルト研究は、おおむねこの説を承認してきた。しかし、L・ショムファイは、この説を疑問として、次のように述べている−モーツァルトの自作品目録によれば、この交響曲は1786年12月6日に完成された。だが、「フィガロの結婚」のプラハ初演は12月の初めに行われたのであるから、新たな招聘がクリスマス以前に通知されたとは考えにくい。したがって、この交響曲は1786〜87年のウィーンの冬シーズンのために作曲されたと考えるべきである。もし外国が念頭に置かれていたとしても、それはプラハではなく、以前からモーツァルトが演奏旅行を計画していたイギリスであったろう、と。
初演 モーツァルトは演奏の機会を得ぬままこの作品をプラハに持参し、1787年1月19日、国立劇場において、自らの指揮で初演した。当日は「リンツ交響曲」も演奏され(ニーメチェクによる)、とくにモーツァルトのクラヴィーア演奏が称讃を博したと伝えられている。
基本資料の所在 ベルリン国立図書館(自筆総譜)。
出版 〔初版〕ロンドン、チャンケッティーニ&スペラーティ社、1800年頃(総譜)。〔全集〕新モーツァルト全集第4篇、第11作品群、第8巻。
演奏時間 約26分(ワルター指揮のCBSソニー盤による。繰返しは含まず。)
楽器編成 フルート2、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ2、弦5部。

第1楽章 アダージョ−アレグロ ニ長調 4分の4拍子。序奏つきソナタ形式。
第2楽章 アンダンテ ト長調 8分の6拍子。ソナタ形式。
第3楽章 プレスト ニ長調 4分の2拍子。