■モーツァルト作品解説■    [HOME]   [年代別目次]

ピアノ協奏曲 第18番 変ロ長調

K456

 この協奏曲は、盲目の女性ピアニスト、マリア・テレジア・フォン・パラディース(1759-1824)の依頼によって作曲されたといわれている。パラディースはオーストリア官吏の娘で、楽才に恵まれ、11歳で初舞台を踏むほどピアノに熟達していた。このほか作曲、声楽もよくし、1774年以後は、王母マリア・テレジアから年金の賦与を受けている。このパラディース嬢とモーツァルトは、遅くとも1783年には知り合っていたらしい。彼女は1784年に比較的長い演奏旅行を行っているが、おそらくその旅先(特にパリ)で演奏するために、モーツァルトに新作を依頼したのであろうと考えられる。
 感受性に恵まれ、障害を背負いながらも明るさを失わなかったといわれるこの女性のために、モーツァルトはこの上なくふさわしい音楽を書いた。規模は控え目で基調はあくまで明るいが、その中の一抹の悲しみが、作品をひときわ味わい深いものとしている。同年のピアノ協奏曲群と相通ずる特徴がいくつかあり、なかでも同じ調性によるK450とは、中間楽章における変奏曲形式、フィナーレにおける狩のロンドの採用という点で、とりわけ密接な共通性をもっている。
作曲の経過 「ト長調」協奏曲K453とこの協奏曲の間には、約半年近い空白がある。モーツァルトは多忙の疲れに秋口の風邪が重なり、パラディース嬢から依頼されたこの作品を、なかなか仕上げることができなかった。稿が成ったのは、ようやく9月30日、借りたばかりのグローセ・シューラーシュトラーセの新居においてである。しかし、依頼主のパラディース嬢は3月末からのパリ滞在を10月末に打ち切り、ロンドンに渡ってしまった。当時の郵便事情からすれば、彼女がこの協奏曲をパリで入手して演奏することはむずかしく、おそらくパリからロンドンに回送されてそこで初演されたか、あるいは発送されぬままモーツァルトの手許に残されたかのどちらかであろうと考えられている(ヘルマン・ウルリッヒの説による)。
初演 パラディース嬢がロンドンで初演したのでないとすれば、1785年2月13日、ウィーンのブルク劇場におけるイタリア人歌手、ルイーザ・ラスキの音楽会でモーツァルト自身によって行われた演奏が初演ということになろう。皇帝ヨーゼフ2世も臨席したこのコンサートの模様を、レオポルトは感動を込めてナンネルに伝えている。
「お前の弟は、パリヘ行ったパラディース嬢のために作曲した、すばらしい協奏曲を演奏した。私は、たいそう美しいヴュルテンベルク侯爵令嬢からほんの2桟敷分うしろに隔たったところにいて、各楽器のあらゆる多様な変化に心ゆくまで耳を傾けることができたので、満足のあまり涙ぐんでしまった。お前の弟が退場すると、皇帝は『ブラヴォー、モーツァルト!』と叫ばれた。演奏のために彼が再登場して来たときには、新たな喝采が送られたのだった」(2月26日付の書簡)。
基本資料の所在 ベルリン国立図書館(自筆譜)。
出版 〔初版〕オッフェンバッハのJ・アンドレ、1792年。〔全集〕新モーツァルト全集第5篇、第15作品群、第5巻。
演奏時問 約28分(ブレンデル独奏のフィリップス盤による)。
楽器編成 独奏ピアノ、フルート、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、弦5部。

第1楽章 アレグロ ヴィヴァーチェ 変ロ長調 4分の4拍子。協奏風ソナタ形式。
第2楽章 アンダンテ・ウン・ポーコ・ソステヌート ト短調 4分の2拍子。変奏曲形式。
第3楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ 変ロ長調 8分の6拍子。ロンド形式。