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ホルン協奏曲 第3番 変ホ長調

K447

 この曲は、モーツァルトがザルツプルク宮廷楽団にあって当時有能なホルン奏者としてみとめられていたロイトゲープのために書いた4曲のホルン協奏曲と1曲のホルン五重奏曲のうちの1曲である。このロイトゲープという人とモーツァルト一家との間にかなり親しいつきあいがあったことは、1767年から1797年頃までのモーツァルト一家の手紙からも察せられるが、モーツァルトがこのひとの好いホルン吹きを無邪気なからかいの対象としたことはかずかずのユーモアに富んだ挿話によって知られている(ホルン協奏曲「第1番」概説の項参照)。何の曲を作っていた時のことか、モーツァルトは机に向かって作曲しながら、できあがった分の原稿を床に散乱させておき、催促にきたロイトゲープにそれを順序どおり拾い集めさせたという話も伝えられているが、なんとも相当な天才の稚気ではある。まともな献呈詞をもつものは「第4番」ぐらいのもので、「ロイトゲープのロパ」に献げるといった調子のものが多い。
 これら4曲のホルン協奏曲のうちでも、この「第3番」は特にすぐれたものである。主題そのものを比較しても、この「第3番」の優越性はすでに明らかであるが、とくに著しい特徴としてはオーボエの代りにクラリネットが用いられていることを挙げねばならない。さらに主題の展開されてゆくさまをみても、この「第3番」がすでにモーツァルトの充実期に属する洗練された様式をもつものであることは明らかである。サン=フォアはこのことを重視して、この曲の成立は1788年以前とは考えられないといい、これを1786年に作られた「第4番」よりものちに位置づけている。一般の定説はしかしながら1783年にこの曲の成立を認めており、アインシュタイン、パウムガルトナーなど有力なモーツァルト学者たちもこれに従うものが多い。成立年代に関する論議にここで深入りする必要はないが、ともかくこの「第3番」を「第4番」よりあとの作品と推定する学者もあるほど、この曲がある意味ですぐれたものであるということは考えてよいことだろう。
 1783年という年は、「ハ短調大ミサ」の作られた年であり、オペラの分野では「後宮からの誘拐」が作曲された年である。協奏曲というジャンルにおいては、この年はモーツァルトの協奏曲がそれまでのような社交的な楽しさ、サロン的な美しさの枠を脱して、もっばらこれ以後のピアノ協奏曲の堂々たる系列が示すような、より深い協奏曲の概念を生みだそうとするちょうど転回期にあたっていた。サン=フォアのようにこの曲の様式の進展度からみて、その成立を1788年以後におくことも十分意味のある想像ではあるが、1788年となるとモーツァルトの関心はすでにより深い音楽性の表現を可能にするピアノ協奏曲に向かっているのであるから(この年までにニ短調K466イ長調K488など、ピアノ協奏曲の傑作がすでに作られている)、むしろホルン協奏曲の傑作である「第3番」の成立年代は、1783年、社交的協奏曲の枠がまさに破られようとしているころに置かれたほうが自然であるとも考えられる。「第4番」は明らかに1786年の作であるが、ある意味で「第3番」よりの退歩を示すのも上記の理由からすればなんら不自然ではなく、これら両者の成立順序をあえて逆にする必要はないと考えられる。しょせんはサロン的な、たのしい協奏曲であったホルン協奏曲は、こうして後期のピアノ協奏曲の輝かしい系列へとバトンを渡すのである。
 作曲の経過や、初演のもようなどについてのくわしいことは知られていない。
基本資料の所在 自筆楽譜はロンドン、シュテファン・ツヴァイク遺産。筆写譜はベルリン国立図書館(Mus.Ms,15394,15394/1)、プラハ大学図書館・国立図書館所蔵。
出版 〔初版〕オッフェンバッハのJ.アンドレ社、1800年。出版番号1507。〔全集〕旧モーツァルト全集第12篇、第18番。
演奏時間 約14分半。
楽器編成 独奏ホルン(変ホ調)、クラリネット2、ファゴット2、弦5部。

第1楽章 アレグロ 変ホ長調 4分の4拍子。全体は典型的な協奏風ソナタ形式。
第2楽章 ロマンツェ ラルゲット 変イ長調 2分の2拍子。きわめて美しい旋律による3部形式。4つのホルン協奏曲中、おそらく最も美しい緩徐楽章であると思われる。冒頭からホルンの奏するたごやかなしらべがほとんど一元的に楽章全体を支配する。
第3楽章 アレグロ 変ホ長調 8分の6拍子。他の3曲のホルン協奏曲のばあいとおなじく、ここでも快活な狩猟の気分にあふれたロンドがフィナーレをなしているが、これら4曲の類似した性格のフィナーレのうちでも、この「第3番」のフィナーレは最も洗練されたものであるといえよう。