■モーツァルト作品解説■    [HOME]   [年代別目次]

ミサ ハ短調

K427(417a)

 モーツァルトは、1781年から1791年におよぶ、いわゆるウィーン時代に、純粋な教会音楽作品を、わずか3曲しか作曲していない。このことは、ザルツブルク時代に、数多くの旅行によって故郷の町を留守にしがちだったにもかかわらず、多数の教会作品が作曲されたことからみると、おどろくべき変化である。その原因の第一は、もちろん、モーツァルトが大司教コロレードと争って、そのもとを離れたため、もはや教会音楽家としての活動をつづける義務も必要もなくなったためである。ウィーン時代の3曲の教会作品は、この「ハ短調ミサ」K427(417a)のほか、モテト「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K618そして「レクイエム」ニ短調K626であるが、これらの作品が、モーツァルトの教会音楽のジャンルで占めている位置はきわめて大きいばかりでなく、全作品中にあってもまったく重要な意味をもっている。
 「ハ短調ミサ」の成立は、モーツァルトの作品のなかでも、まったく例外的な特殊事情によるものといえよう。1783年1月4日付の父レオポルト宛の手紙の冒頭で、モーツァルトは、この曲の成立と、それがいまだ未完成である理由を説明している。
 「良心の問題についてはまったく正しいことなのです。ぼくが手紙でお書きしたのは考えもなしにしたことではありません−−ぼくはそのことを心の中でじっさいに誓約したのですし、またじっさいにそれを果たしたいと願っています。−−ぼくがその誓いをたてたとき、妻はまだ病気でした。−−でも彼女が癒ったらすぐにも結婚しようとかたく心にきめていたので、そのことを容易に誓うことができたのでした。あたたご自身ご承知のように、時と事情がぼくたちの旅行をだめにしてしまいました。−−でもぼくがじっさいに誓約したことの証拠になるのはミサの半分ほどの総譜ですが、これは完成を待っているところです」。
 このようにして、大規模な教会音楽作品の成立が、いかなる外的な束縛からも自由に、注文にもよらず、まったく個人的た誓約によって、自発的におこなわれたことは、モーツァルトでは、非常にめずらしいことである。
 ところで、結婚してから1年ののち、モーツァルトが1783年8月に、ザルツブルクに父姉をおとずれた折にも、この曲は、なお、完全にできあがってはいなかった。モーツァルトが、当時すでに完成していたのは、「キリエ」、「グローリア」、「サンクトゥス」、そして「ベネディクトゥス」の部分であり、彼は、これをたずさえて故郷におもむいたのであったが、ほかの部分は、おそらくは、彼がかつてザルツブルク時代に作曲したミサ曲によって補われて演奏されたものと考えられる(モーツァルトが7月から初演のおこなわれた8月下旬までの間に、残りの部分を完成したのではないかという仮説もたてられるが、それを証明するなんらの根拠も残されてない)。なお、ほかの部分としては、「クレド」は合唱とバスのパートが完成していたほか、「エト・インカルナトゥス・エスト」では、声楽部と管、およびバスが完成しており、「アニュス・デイ」はまったく欠けている。
 この作品には、モーツァルトの充実した対位法の技法が示されている。もちろん、ザルツブルク時代にも、この手法がかなり有効に生かされていたのではあったが、ここでは、彼が、ウィーンに移ってから、音楽愛好貴族ヴァン・スヴィーテン男爵を介して知ったバロック時代の最後を飾る2人の巨匠バッハ、ヘンデルの直接の深い影響がみられ、しかもこの作品は、そうした影響を受けた最初の、しかも最大の作品となっている。しかもそのような影響が、モーツァルト独自の様式にまで消化され高められている点に大きな意味があるといえよう。各部分も、かなり幅広い豊かな構成をもち、それが、大規模な編成を要求していることも、以前の作品からかけはなれた特徴となっている。こうして、純粋にモーツァルトの心から発した誓いにうながされたこの曲は、以前の教会作品とは異なった次元に属するものであるともいえよう。
 なおこの曲は、1785年3月13日と15日に、ウィーンのブルク劇場でおこなわれたある音楽会で演奏されたカンタータ「悔悟するダヴィデ」K469に、「キリエ」と「グローリア」が流用されている。
 最後にこのミサ曲の後世における命運について一言しておきたい。未完の自筆譜は、未亡人コンスタンツェの報告がきっかけでオッフェンバッハの音楽出版者アンドレが所有するところとなった。アンドレはこの自筆譜をもとにして1840年に印刷譜を刊行した。この楽譜は未完のままのかたちをとっているが、旧全集版も、その後ベルリン国立図書館に移管された自筆譜とアンドレ版にもとづいて刊行されている(1882年)。こうした印刷譜の刊行後、このミサ曲に欠落している部分をモーツァルトの他の作品から補い、「アニュス・デイ」までをそなえたアーロイス・シュミット版(1901年)などが試みられている。このシュミット版は「クレド」の「クルーチフィクス」はかつてモーツァルトのものと思われていたエルンスト・エーベルリーンの「ラクリモサ」KAnh21(KAnhA2)、「エト・レズレクシト」は「ミサ・ソレムニス」ハ短調K139(47a)と「キリエ」K323、「エト・イン・スピリトゥム・サンクトゥム」は「ミサ」ハ長調K262(246a)、そして「アニュス・デイ」はこのミサ曲冒頭の「キリエ」が使われている。
初演 1783年10月23日に試演がおこなわれたあと、翌々25日(多くの文献には8月26日と記されている)に、聖ぺーター教会で初演された。ソプラノ独唱は彼の妻コンスタンツェが受けもった。
基本資料の所在 ベルリン国立図書館所蔵。
出版 アーロイス・シュミット版(ブライトコプフ・ウント・ヘルテル、出版番号1867)、ロビンズ・ランドン版(総譜、オイレンブルク小型総譜、出版番号983。ピアノ版、ぺータース、出版番号4856)。
演奏時間 約1時間。
編成 フルート、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、トロンボーン4、ティンパニ、オルガン、弦5部。なお、ザルツブルクでの上演を顧慮して、クラリネットが省かれているほか、独唱4人と合唱という声楽部は、合唱はしばしば5声となり、また「クイ・トリス」の部分(さらに解説中にみられるように「サンクトゥス」の部分も加えられる)重合唱の形もとっている。

第1曲 キリエ。アンダンテ・モデラート ハ短調 4分の4拍子。
第2曲 グローリア。この楽章は、全体で7つの部分に分けられる。
 (1) 「いと高きところでは」アレグロ・ヴィヴァーチェ、ハ長調、4分の4拍子。
 (2) 「われら主をたたえ」アレグロ・アペルト、へ長調、4分の4拍子。
 (3) 「主の光栄の大いなるがために」アダージョ、4分の4拍子。
 (4) 「主なる天主」アレグロ・モデラート、ニ短調、4分の3拍子。
 (5) 「世の罪を除き給う」ラルゴ、ト短調、4分の4拍子。
 (6) 「そは主イエス・キリスト」アレグロ、ホ短調、2分の2拍子。
 (7) 「イエス・キリスト」アダージョ、4分の4拍子−アラ・ブレーヴェ、2分の2拍子、ハ長調。
第3曲 クレド。合唱と低声部が完成したのみで終ったこの楽章は、ふたつの部分からできている。
 (1) 「われは唯一の天主を信ず」アレグロ・マエストーソ、ハ長調、4分の3拍子。
 (2) 「人体をうけて人となり」アンダンテ、へ長調、8分の6拍子。
第4曲 サンクトゥス。ラルゴ ハ長調 4分の4拍子。
第5曲 ベネディクトゥス。アレグロ・コーモド イ短調 4分の4拍子。