■モーツァルト作品解説■    [HOME]   [年代別目次]

交響曲 第36番 ハ長調 「リンツ」

K425

 モーツァルトは、[ハフナー交響曲]K385でウイーン時代の輝かしい交響曲群に一歩を記したが、それは、セレナードの転用によって生まれたものであった。オリジオルに構想されたこの時代の交響曲は、「リンツ交響曲」に始まる。つまりそれは、「本当の意味でのウィーン=シンフォニーの最初のもの」(アインシュタイン)なのである。
 リンツ訪問中、わずか4日間で完成されたといわれるこの交響曲の様式でもっとも注目されるのは、ソナタ形式をとる第1楽章に、ゆるやかな序奏部が付けられたことである。ハイドンは、この手法を彼の交響曲ですでに再三用いており、モーツァルトもそれを丹念に学んでいたらしい。長調交響曲の場合、序奏は、その明朗さをいっそう引き立てるとともに、楽曲に精神的た重みを加えるのに役立つ。円熟期を迎えていたモーツァルトには、この技法が非常な可能性をもったものに感じられた。そこで彼は、「リンツ交響曲」と同じ日に演奏された、ミヒャエル・ハイドンの交響曲に自ら序奏を書き加えたK444(K425a)をはじめ、続く「第38番」「第39番」の交響曲でも、力のこもった序奏を作曲したのである。
 序奏部のみならず、楽曲の全体にハイドンの影響が強くうかがわれることは、H・アーベルト、アインシュタイン、ブルーメらの研究者が一致して述べるところであり、ド・サン=フォアは、この交響曲をハイドンのモーツァルトに対する影響の頂点を示すものとさえみている(特にその両端楽章)。しかしロビンス・ランドンは、その影響を過大評価することを戒め、第1楽章第1主題にみられる中声部の処理や、管弦楽法(とくに第2楽章)、和声構造、隣接短調に移行する楽法(たとえば序奏)などに、モーツァルト独自の手法を認めている。たしかに、優雅さと活気、情熱と気品のすばらしい結合は、モーツァルト以外の何人にもなしえぬ魅力を、この交響曲に与えているように思われる。
 4つの楽章のうち、初めの2つの楽章とあとの2つの楽章には、かなり明瞭な性格の相違がみとめられる。前半においては、「第34番」の交響曲(同じハ長調)にもみられた色調の多彩な変化が、いっそう整理され深められた形で現れ、交響曲の基調となる晴朗な性格に、表情に豊んだ奥行きを与えている。これに対し、後半の楽章では、ニュアンスの霧が晴れあがり、音楽は、底抜けに明るく楽天的な性格を示すのである。
作曲の経過 1783年、モーツァルトは、妻とともにザルツブルクを訪問した帰り、ウィーンヘの道程の半分ほどのところにある都市、リンツに足を留めた。モーツァルト夫妻が逗留したのは、音楽愛好家として知られるヨハン・ヨーゼフ・アントーン・フォン・ホーエンシュタイン伯爵の邸宅で、彼らが到着したのは10月30日であったといわれる。モーツァルトを迎えたリンツの劇場ではさっそく11月4日に演奏会を開くことになり、伯爵はモーツァルトに、交響曲の演奏を所望した。しかしモーツァルトにはあいにく、その持合せがなかったため、彼は大急ぎで作曲にとりかかり、わずか4日ほどで全曲を完成してしまった。10月31日に父宛に書かれた書簡は、その経緯がこう語られている。「11月4日の火曜日に、ぼくはここの劇場で音楽会を開くつもりです。ぼくはいま1曲の交響曲も手もとに持ち合せていないので、その日までに仕上げなければならない新しい交響曲を、大急ぎで書いています……。」新作は無事初演された後、トゥーン伯爵に捧げられた。
 わずか4日間で脱稿するという、この驚くべき速筆について、ド・サン=フォアは、交響曲の構想がザルツブルクを発つ前にすでにできあがっていて、書き下ろすばかりになっていたのだろうと推測している。モーツァルトがあらかじめ頭の中だけで曲を仕上げてしまうことはしばしばあったようであるが、リンツでの4日間にモーツァルトの霊感が異常な燃焼をみせたこともまた、疑いないところであろう。
初演 1783年11月4日、リンツ。
出版 [初版] 1793年、オッフェンバッハ、J・アンドレ社(パート譜)。[全集]新モーツァルト全集第4巻、第2作品群、第8巻。
演奏時間 約27分(ワルター指揮CBSソニー盤による。繰返しはメヌエットのみ)。
楽器編成 オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦5部。

第1楽章 アダージョ−アレグロ・スピリトーソ ハ長調 4分の3拍子。序奏つきソナタ形式。
第2楽章 アンダンテ ヘ長調 8分の6拍子。ソナタ形式。
第3楽章 メヌエット ハ長調 4分の3拍子。前楽章と好対照をなすメヌエットで、テクスチュアは単純である。
第4楽章 プレスト ハ長調 4分の4拍子。ハイドン的な性格をもっとも明瞭に示した、快活なフィナーレである。