■モーツァルト作品解説■    [HOME]   [年代別目次]

ピアノ協奏曲 第10番 変ホ長調

K365(K316a)

 1779年初め、モーツァルトはおよそ1年半にわたったマンハイム=パリ旅行を終え、故郷ザルッブルクに帰ってきた。ザルツブルク以外の地で宮廷音楽家の地位を得るための旅行であったが、結局、どこの地でも受け入れられることなく、就職運動は失敗に終ったのであった。しかし、この旅行は、これ以後のモーツァルトの音楽活動に非常に多大な影響を与えたのである。すなわち、クリスティアン・カンナビヒを初めとするマンハイム楽派や、ヨハン・ザムエル・シュレーターを初めとするパリの音楽家たちの新しい様式を知ったことは、モーツァルトの音楽に新しい道を開いたばかりでなく、さらに、アロイージア・ウェーバーに失恋し、パリでは母親のマリーア・アンナを失うという苦い人生体験とによって、モーツァルトの音楽に幅と内面的な深さを与えたのである。
 この作品は、姉ナンネルと一緒に演奏するために、ザルッブルクから帰郷してほとんど間もなく書かれたものと思われる。しかし、ザルッブルクでの演奏記録は残されていない。モーツァルトは、後年ウィーンで1781年11月23日に、アウエルンハンマー邸で催された予約音楽会で、弟子のヨゼフィーネ嬢との協演で初演し、大成功を収めたが、この音楽会の直前(10月13日以降)に、両端楽章にクラリネット2、トランペット2、ティンパニが付加されたのであった。その後、1782年5月26日に催された第1回アウガルテン音楽会においても、ヨゼフィーネ嬢との協演で演奏されている。
 ザルツブルクで作曲された当時の控えめな編成によるこの作品では、管弦楽と独奏ピアノとの関係は比較的単純に構成されているが、アインシュタインは、こうした構成に、パリで知ったザクセン出身の音楽家シュレーターの6曲のピアノ協奏曲(作品3)の影響をみることができるとしている。アインシュタインは、シュレーターは、1772年にロンドンに渡り、かつてモーツァルトも師事したことのあるヨハン・クリスティアン・バッハに師事した音楽家であり、彼の作品は、構成が極めて単純であるが、旋律がこの上なく美しく、クリスティアン・バッハに非常に近い様式を示しているため、モーツァルトの心を深くとらえたのであろうとしている。実際に、モーツァルトは、シュレーターの3曲の協奏曲に数曲のカデンツァを残しており、モーツァルト自身がシュレーターの作品を演奏したことが推測されるのである。
 こうした比較的単純な構成にもかかわらず、この作品では、それまでの協奏曲におけるよりも管楽器が効果的に使用されているが、このような管楽器の効果的な使用は、後のウィーン時代を通して追求されていくものであり、その最も早い例の1つとみなされる。
 楽曲全体を通して陽気な気分が支配的であり、帰郷の喜びを表現しているかのようである。管弦楽に対して、ピアノの活躍が著しい曲となっている。
 なお、この作品は、ザルツブルク時代最後のピアノ協奏曲である。
作曲年代 おそらく1779年の初頭。
初演 不詳。ウィーンでの初演は、1781年11月23日、アウエルンハンマー邸で催された予約音楽会であった。
基本資料の所在 ベルリン国立図書館(自筆譜)。
出版 〔初版〕オッフェンバッハのJ・アンドレ、1800年。〔全集〕新モーツァルト全集第5篇、第15作品群、第2巻。
演奏時間 約23分。
楽器編成 独奏ピアノ2、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、弦5部。

第1楽章 アレグロ 変ホ長調 4分の4拍子。ソナタ形式。次々に新しい旋律が現れ、モーツァルト特有の多主題性を示しているが、旋律は相互に関連しており、全体的に統一のある楽章となっている。
第2楽章 アンダンテ 変ロ長調 4分の3拍子。中間部にハ短調のエピソードをはさんだA−B−Aの3部形式で書かれており、素朴な響のする楽章である。
第3楽章〈ロンド〉アレグロ 変ホ長調 4分の2拍子。ロンド形式。ピアノの活躍が著しい楽章である。