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交響曲 第34番 ハ長調

K338

 ザルツブルク時代に書かれた最後の交響曲。8歳で書き始められ、すでに40曲を超える前半生の交響曲を締めくくる位置にあり、そうした位置づけにふさわしい規模と個性的な内実を備えた交響曲となっている。様式的には、ウィーン風の室内交響曲の様式にたち帰った前作「第33番」を飛び越えて、マンハイム=パリの影響の著しい「第32番」に結びついている。しかしここでは、アインシュタインのいうように「パリ交響曲がフランス風のマスクに予告したものを、モーツァルトの精神において実現している。」とりわけ、ハ長調という明るくおおらかな調性、大規模なオーケストラ、スケールの大きな構成が、イタリア風祝典序曲の類型を反映しながらも、決して外向的な壮麗さに向かっていないことが注目される。H・アーベルトを初め多くの研究家が強調するように、この交響曲の魅力は、そうした壮麗さと、一種のロマンティックな揺れが微妙なところで均衡していることにある。過去を豊かに反映しながら、あらゆる細部にモーツァルトの個性が息づいている、古典的な完成への予感に満ちた交響曲といえよう。
 この交響曲も、ザルツブルクの趣味にしたがって3楽章で書かれている。アインシュタインは、「第33番」と同様、ウィーンの演奏会で取り上げたさいにメヌエットを追加したと推定し、「ハ長調のメヌエット」K409(K383f)を第3楽章とする4楽章構成を提唱した。この形は大方の受け入れるところとなったが、本体には使われていたい2本のフルートが加わっていること、また交響曲の1章としては規模が大きすぎることなど反論も多かった。このアインシュタイン説は、新全集の校訂担当者シュナップによって、次のようにほぼ全面的に否定されたといえよう。自筆譜の第1楽章の裏ぺージには、第2楽章として「メヌエット アレグレット」の楽章が14小節、完全なスコアの形で書かれており、これが「×」で抹消されている。シュナップは、モーツァルトが何らかの理由で全体を3楽章とするために、すでに完成したか書き進んでいたメヌエットを自筆譜から切り収り、第1楽章の裏ページに記入してあった分だけを抹消したのだ、と推定している。この説得力ある推諭に従うなら、3楽章の形がモーツァルトの意図であり、新たにメヌエットを補う根拠は全くないということになる。
 内容的にみても、壮麗な構成に情熱をこめた第1楽章、編成を弦合奏に切り詰めて内面的に沈潜する第2楽章、エネルギッシュだが高貴さを失わない終曲という構成は、それ自体で充足しており、メヌエットが加わる余地は少ないように思われる。この点では、ウィーン時代の最後の三大交響曲に先立って書かれ、やはりメヌエットの省かれている「プラハ交響曲」に通じるものがあるように感じられる。
作曲年代 1780年8月29日、ザルツブルクで完成(自筆譜への記入)。「第33番」の1年後、第35番「ハフナー」の2年前にあたる。
初演 資料はないが、作曲後ザルツブルクで初演されたであろう。その後1781年4月11日の父宛の手紙に、4月3日、ケルントナートール劇場で1曲の交響曲が次のような大編成で演奏され成功を博したとの報告が記されている。ヴァイオリン40、ヴィオラ10、コントラバス10、チェロ8、ファゴット6、他の管楽器もすべて重複。アインシュタインは、「第34番」が演奏されたと推測している。また、1782年5月26日、ウィーンのアウガルテン演奏会第1夜にも取り上げられた。アインシュタインは、この時K409の「メヌエット」が加えられたと推測している。
基本資料の所在 自筆譜はのちに2つの部分に分けられ、バリ国立図書館とベルリン国立図書館に所蔵されている。
出版 [初版] 1797年、オッフェンバッハ、J・アンドレ社。[全集]旧モーツァルト全集第8篇、第34番。新モーツァルト全集第4篇、第11作品群、第6巻。
演奏時間 約20分。
楽器編成 オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦5部。

第1楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ ハ長調 4分の4拍子。ソナタ形式。
第2楽章 アンダンテ・ディ・モルト ヘ長調 4分の2拍子。ソナタ形式。
第3楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ ハ長調 8分の6拍子。ソナタ形式。