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交響曲 第31番 ニ長調 「パリ」

K297(K300a)

 1778年、初夏のパリで、モーツァルトは3年半ぶりに交響曲に手を染めた。「コンセール・スピリチュエル」の支配人ジャン・ル・グロから聖体祭用の交響曲作曲の依頼を受けたからである。
 ところで、この3年半の間におけるモーツァルトの成長はめざましいものがあり、その成果は久しぶりの傑作であるこの「パリ交響曲」に如実に現れている。
 パリ訪問前に訪れたマンハイムでは、モーツァルトはカルル(1745-1801)とアントン(1717-1757)の2人のシュターミツ兄弟、クリスティアン・カンナビヒ(1731-1798)といった音楽家と知り合い、管楽器の重視による色彩効果、ダイナミックな表現法などを学びとっていた。そして、何よりも同地の希にみるほどすぐれたオーケストラは、彼に大きな驚きを与えたのだった。一方、1778年3月に到着したパリでは、協奏交響曲がもてはやされており、華麗な様式が息づいていたのである。折しもル・グロから交響曲の作曲依頼を受けたモーツァルトは、マンハイム楽派の様式にフランス的な表現法を織り込み、さらには彼独自の統一力のある構成法と豊かな楽想を加えた〈大交響曲〉を、マンハイムにひけをとらないパリの大オーケストラのために作曲することとなったのであって、ここに彼の交響曲創作の新しい一歩が踏み出されたのである。
 「パリ交響曲」の第一の特徴は、クラリネットを初めて採用した完全な2管編成をとっていることである。完全な2管編成は、後期の交響曲においてすら、第35番「ハフナー」以外には用いられなかったものであって、ここでそれを採用しているのはマンハイムでクラリネットを十分に識ったことと、パリのオーケストラでもそれが活用できたからである。さらに、随所に見受けられる管楽器の協奏的効果も、当時マンハイムで活躍していた管楽器の名手たちから啓発されたものであろうし、パリの協奏交響曲の書法を受け継いだものでもある。ド・サン=フォアは、この交響曲は一見しただけでもマンハイム楽派の影響、それも特にカンナビヒの影響を否定することはできないとしているが、モーツァルトは、パリの聴衆の好みに合せるべく、フランス趣味をも盛り込んでいることにも、注目すべきであろう。その反面、かつてのザルツブルク時代の交響曲に認められた、オーストリア的内面の暖かさが後退しているとみる向きもあり、極端な場合には、H・アーベルトのように、これをモーツァルト的ではないとさえ主張する人もいる。
 いずれにしろ、モーツァルトがいかに意欲的にこの交響曲の創作に取り組んだかは、そのみごとな構成法からも十分に知られるが、彼としては珍しいほど推敲を重ねた結果、完成したという事実からも推察されよう。また、ル・グロの注文により、第2楽章は書き直さねばならたかった。こうして出来上がった「パリ交響曲」は、6月18日の初演で大成功を収めたのである。それらについては、父宛のいくつかの書簡の中に詳しく述べられているので、ここに引用しておこう。
 「ぼくはコンセール・スピリチュエル開幕用の交響曲を作曲しなければなりませんでした。それは聖体祭の日に演奏されて、大喝采を博しました。ぼくの聞くかぎりでは、『ヨーロッパ通信』にもその事が報道されたそうです−つまり大好評だったのです。リハーサルの時、ぼくはひどく心配でした。というのは、今までにこんなひどい演奏は聞いたことがなかったからです。……ぼくはもう一度リハーサルをしたかったのですが、彼らはいつでもさらわなければならないものが沢山あり時間がありませんでした。ですから心配と不満と腹立たしい気分のまま寝床につかねばなりませんでした。翌日は絶対に音楽会へは行くまいと決心したのですが、夕方はよい天気になったので、とうとう出かけることにしました。……さて、交響曲が始まりました。ラフはぼくの隣りに座っていました。最初のアレグロのちょうど真中に、受けるに違いないと思っていたパッセージがあり、すべての聴衆はそれに魅了されて、大拍手がありました。ぼくは、どのように書けばどのような効果が上がるかわかっていましたから、結局もう一度使うことにしました。それからダ・カーポ(再現部)に入ったのです。アンダンテも好評でしたが、最後のアレグロが受けました」(7月3日)。
 「アンダンテは、残念なことに彼(ル・グロ)の気に入りませんでした。彼は、転調が多すぎ、しかも長すぎるといっています。それというのも、聴衆が第1楽章やフィナーレの時のような鳴りやまない大拍手をすっかり忘れてしまったからです。なぜならば、アンダンテはぼくにとっても、識者や愛好家や大抵の聴衆にとっても最高のものだったのですから。ル・グロの言うことは全く逆です。それは全く自然で簡潔です。しかし、彼が再三主張するので、彼を満足させるために別なのを作りました。どちらもそれなりに良いものです。というのは、それぞれ違った性格をもっているからです。しかし、あとのほうのがいっそうぼくの気に入っています。……8月15日の聖母被昇天の祝日に、この新しいアンダンテ付きで交響曲が再演されることになっています」(7月9日)。
作曲の経過 完成は1778年6月12日以前。コンセール・スピリチュエルの支配人ジャン・ル・グロの依頼を受けて聖体祭用に作曲したもので、着手は5月末ごろ。モーツァルトにしては異例なほど推敲している。
初演 1778年6月18日、パリのコンセール・スピリチュエルで行われ、絶讃を博した。
基本資料の所在 自筆楽譜はきわめて複雑な状態にあるが、そのうち主なものは西ベルリン国立図書館、プロイセン文化財所蔵(第1楽章および第2楽章は自筆、第3楽章は筆写譜)。
出版 [初版] パリ、シベール社、1788年頃。[全集]新モーツァルト全集第4篇、第11作品群、第5巻(べーレンライター社)、1957年。(音楽之友社刊、べーレンライター・ミニアチュア・スコアOGT641はそのポケットスコア版)。
演奏時間 約18分(OGTによる)。
楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、弦5部。

第1楽章 アレグロ・アッサイ ニ長調 4分の4拍子。ソナタ形式。
第2楽章 アンダンテ ト長調 8分の6拍子。展開部のないソナタ形式。
第3楽章 アレグロ ニ長調 2分の2拍子。ソナタ形式。