■モーツァルト作品解説■    [HOME]   [年代別目次]

フルート四重奏曲 ニ長調

K285

 モーツァルトの室内楽曲のうちでも、フルート四重奏曲はとりわけ娯楽的な領域に位置を占めている。それらは愛好家の依頼によってか、または社交的な楽しみのために書かれたものであるから、とくに精密な構想をもつわけではないし、並はずれた技巧が要求されるわけでもない。しかしそこには、モーツァルトを十代のころから魅了し続けたフランス風のギャラント趣味がのびのびと発揮されており、手軽に演奏して楽しく、また聴いて親しめる作品を作りあげている。フルートは、その明るい音色と繊細な感情表現能力によって18世紀にとりわけ愛好された楽器であるが、べームによる構造改革以前の当時は機能性に欠けるところがあり、正しい音程を得ることがむずかしかった。このためモーツァルトはフルートをあまり好まず、ある時には「御存知の通り、ぼくは耐えがたい楽器〔フルート〕のために作曲させられる時には、すぐ頭がぼけてしまうのです」とさえ語っている(1778年2月14日付の父宛の書簡)。しかし、これらの四重奏曲におけるフルートの玲瓏とした響きに耳を傾ける者は、結局フルートも、木管楽器の扱いの名人であったモーツァルトの手によってもっともみごとに生かされたと実感しないわけにはいかなくなってしまう。このためこの4曲は、フルーティストの貴重なレパートリーのひとつとして、協奏曲とともに広く愛好されているのである。
 4つの四重奏曲のうちでは、衆目の一致するところ、第1作のK285が白眉の作品として光っている。ニ長調による2つの華麗な楽章がしみじみしたロ短調のアダージョをはさむという構成の妙もさることながら、フルートの演奏効果がよく生かされ、きびきびした生彩が、明快なテクスチュアのすみずみまで浸透しているのである。青年期のモーツァルトのみがなし得た、記念すべき業績のひとつがここにあるといってもよかろう。
作曲の経過 ザルツブルクでの職務を辞し、新たな職さがしをはじめたモーツァルトは、1777年10月末、母を伴って「音楽家の天国」とうたわれたマンハイムにやってきた。ここで彼は、名高い宮廷楽団に所属する名フルーティスト、ヨハン・バプティスト・ヴェンドリング(1720-1797)の家庭に親しく出入りするようになる。ヴェンドリングは、12月のはじめ頃モーツァルトに、ある富裕な音楽愛好家からの作曲依頼を仲介した。これはウィレム・ヴァン・デジョン(モーツァルトの呼び方ではド・ジャン)と呼ばれるオランダ人で、自らフルートをたしなむ人物であった。12月10日に父レオポルトに宛てた書簡には、この経緯が次のように語られている。「次の日、ぼくはいつものようにヴェンドリングのところに食事に行ぎました。その時、彼がぼくに言うのです。私たちのインド人(これは財産があって自適していて、学問という学問を愛好し、しかもぼくの大の仲良しで、ぼくの『崇拝者』のオランダ人です)はまことに世にもまれな人物です。もしあたたが彼のためにちょっとした軽く短い協奏曲を3曲と四重奏曲を2曲、フルート用に作って下されば、あなたに200フロリーンさしあげます」。旅先で手元不如意に陥っていたモーツァルトは、この気前のいい申し出を受け、さっそく作曲にとりかかった。12月18日の父宛の書簡には、「インド人ならぬオランダ人、この本当に人情厚い人のための四重奏曲は、もうそろそろできあがります」という記述がみえる。自筆楽譜への記入によれば、作品の完成はこの年の12月25日であった。おそらくモーツァルトは、ヴェンドリングに刺激と啓発を受けながら、作曲をすすめたものと思われる。
基本資料の所在 ベルリン国立図書館(自筆楽譜)。
出版 〔初版〕ウィーン、アルタリア社、1792年(本来の第1楽章に、K285aの2つの楽章が続く。現在の形は、1882年の旧全集においてはじめて出版された)。〔全集〕新モーツァルト全集第8篇、第20作品群、第2巻。
演奏時間 約13分(ベネット独奏のフィリップス盤による)。
楽器編成 フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ。

第1楽章 アレグロ ニ長調 4分の4拍子。ソナタ形式をとり、豊富な主題的素材を用いている。
第2楽章 アダージョ ロ短調 4分の3拍子。弦のピッツィカートを伴った、フルートのカンティレーナ。
第3楽章 ロンドー ニ長調 4分の2拍子。明朗そのもののブッファ的ロンドが全曲をしめくくる。