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歌劇「羊飼の王様」

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 1773年3月に最後のイタリア旅行から帰り、1777年秋にマンハイム−パリ旅行に出発するまでの4年半、モーツァルトはほとんどを故郷で過ごした。この期間を中断するのは1773年夏の短いウィーン旅行と、「偽の女庭師」上演のための、ミュンヘン旅行(1774年末から翌年3月)だけである。オペラのないザルツブルクでの作品は、教会作品と器楽曲にほとんど限られており、イタリアで手中に収めたオペラ作法を実地に生かす機会は訪れない。「羊飼の王様」はそうした期間にザルツブルク宮廷のために書かれた唯一のオペラ作品である。マリア=テレジアの末子マキシミリアン・フランツ大公のザルツブルク訪問を記念して、大司教は楽長のフィスキエッティとコンサートマスターのモーツァルトに、それぞれセレナータを用意させたのだ。
 この作品は同じセレナータで「アルバのアスカニオ」とは大きく異なる。前の曲ではあれほど多用されたバレエも、合唱も含まれていないのだ。このことは演奏会形式による上演に由来するものだろう。反対に14のナンバーのうち12曲までがアリアとなり、その形式も大きく拡大されているのが、目をひかずにはおかない。「ルチオ・シッラ」で素晴らしい効果を上げたレチタティーヴォ・アッコンパニャートも2度しか姿をみせない。こうしたことは、全体の牧歌的性格と共に、注文者の趣味と作曲者の意図を示すものといえよう。
 そのため、この作品はオペラとしては著しくドラマを欠くわけだが、決して音楽的な質が低いわけではない。短縮されているとはいえ、台木もメタスタージョのものなので、このオペラは音楽の美しさと簡潔なまとまりの良さで、かえってCD等でも楽しみ易いものとなっているのである。
 それでも、この作品がモーツァルトのオペラの中で、その特殊な成立事情によって孤立したものであることは、心に留めておくべきことだ。また、5年後の「イドメネオ」まで、1つもオペラが完成されなかったことも。
作曲の経過 故郷にいる間は、あまり手紙が書かれないため、詳細はまったくわからない。大司教宮廷からの注文の時期も不明だ。ミュンヘンからの帰郷(1775年3月7日)以後から、試演(4月20日)までに完成されたことしかわからない。自筆譜が再発見されたので、今後の紙質、筆蹟、インクなどの研究が期待できる。
初演 1775年4月23日、ザルツブルク宮廷において、おそらくは演奏会形式で、マキシミリアン・フランツ大公接待のための、このただ1回の上演については、『大公の旅日記』といわゆる『シーデンホーフェンの日記』以外記録がない。このため、アミンタ役のカストラート・ソプラノが、わざわざミュンヘンから招かれたトンマーソ・コンソーリによって歌われたこと以外、詳細はわかっていない。
基本資料の所在 第二次大戦後ずっと行方不明だった自筆スコアは、1977年ポーランドで再発見された。
出版 旧モーツァルト全集第5篇第10巻。新モーツァルト全集第2篇第5作品群第9巻(未刊)。
楽器編成 フルート2、オーボエ2、イングリッシュ・ホルン2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、弦5部、チェンバロ。
演奏時間 序曲と第1幕1時間弱、第2幕1時間弱。
台本 イタリア語。史実に基づき、ピエトロ・メタスタージョが1751年に書いたもの。モーツァルトの作曲したものは、かなり原作を縮めた上、メタスタージョには見当たらない詩句も含んでいる。改作者はわかっていない。
 古代の英雄アレッサンドロ大王(マケドニア王アレキサンダー3世、紀元前356-323年)には無数の伝説がある。メタスタージョがここでとり上げたのはクイントゥス・クルティウス(42年頃)とマルクス・ユニアーヌス・ユスティヌス(3世紀頃)からとられた。それはアレッサンドロ大王がシドンを侵略者から解放し、しかも自ら支配することはなく、田園で自分の身分を知らずに、つつましく暮らしていた正統な王位継承者を王位につけたという徳高い功業である。牧歌的な田園生活への憧れを歌い、理想化された啓蒙専制君主を称えるのに、この物語はまことにふさわしかった。そのため「羊飼の王様」は祝典オペラとして好んで用いられ、1751年のボンノからこのモーツァルトまで9人の作曲家にとり上げられている。
 劇的に弱いという批判は、祝典オペラとして見る限り見当はずれだといえよう。
登場人物 アレッサンドロ〔アレキサンダー大王、マケドニア王〕(T)、アミンタ〔羊飼、エリーザの恋人。自分では知らないが、シドーネ(シドン)王国の唯一人の正統な王位相続者だとあとでわかる〕(S)、エリーザ〔カドモスの血をひくフェニキアの高貴なニンフで、アミンタの恋人〕(S)、タミーリ〔逃亡中の王女で僭主ストラトンの娘、羊飼の少女の衣裳に身を包んでいる。アジェーノレの恋人〕(S)、アジェーノレ〔シドンの貴族。アレッサンドロの友人でタミーリの恋人〕(T)、その他。
時と所 シドン近郊の田園(フェニキアの港町シドンは、現在ではレバノンの都市)。紀元前332年頃。