■モーツァルト作品解説■    [HOME]   [年代別目次]

ヴァイオリン協奏曲 第1番 変ロ長調

K207

 1774年の暮、ミュンヘンの宮廷歌劇場で、喜歌劇「偽の女庭師」K196を上演するため、モーツァルトは同地を訪れたが、翌年の早春ザルツブルクヘ帰ると、4月から12月にかけて、つぎつぎに5曲のヴァイオリン協奏曲を書きあげた。19歳の時のことである。幼時から、ヴァイオリンをたくみに弾いたというモーツァルトではあるが、この年より以前には、「2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネ」K190をのぞいてヴァイオリンを独奏楽器とする協奏曲の創作にとりくんでいないし、また、こののちも、せいぜい2曲が作曲されているにすぎない。したがって、1775年、彼の19歳の1年は、彼にとってまさに「ヴァイオリン協奏曲の年」といってもよく、彼の協奏曲作曲活動のうえではみのがすことのできない年である。この年に書かれた5曲は、一括して〈ザルツブルク協奏曲〉という名称でよばれ、当時のヴァイオリン協奏曲を構成しているさまざまな要素、たとえば、イタリア、フランスあるいはオーストリアといった音楽的に重要な国々の多様な様式的特徴は、モーツァルトによって、いきいきとした形で、消化吸収され、しかも、それぞれの曲が、独自の個性をかちえたすぐれた作品となっている。
 ところで、第1曲にあたる変ロ長調K207は、つぎのニ長調K211とともに、5曲の〈ザルツブルク協奏曲〉のなかでは、あとの3曲にくらべて比較的知られる機会が少なく、演奏会場でとりあげられることも希である。モーツァルトが楽譜に書き入れた署名によって、この曲の作曲された日付が明らかにされている。それは、ミュンヘンからもどってようやく1ヶ月ほどが過ぎた4月の中旬であった。ところでモーツァルトが、この曲を作曲する前からつづけて一連の作品を作曲する意図をもっていたものか、あるいは、べつにそのような計画を抱いていないままに、つぎつぎと新しい作品ができていったものか不明である。また、この曲を、自分が演奏するために書いたものか、それとも、専門のヴァイオリン奏者のために作曲したものかもあきらかでない。自分のためでないとすれば、当時ザルツブルクで宮廷礼拝堂のオーケストラの首席をつとめていたアントーニョ・ブルネッティといった人のために書かれたものであろうとされている。
 「変ロ長調」の作品は、特に先立っておこなわれたミュンヘン旅行の反映からか、その後の作品が、フランス的なギャラントな性格を示しはじめるのに対して、純粋にオーストリア的な楽曲である。伝統的な3楽章制をとり、しかも第1楽章はソナタ形式で構成されているにもかかわらず、旋律のゆたかで優美繊細な音楽の流れは、単純明快ながら、むしろラプソディックな性格のものでさえある。
 なお、モーツァルトは、おそらくは翌1776年の暮、ブルネッティのために、ロンド形式による変ロ長調の「ロンド」K269=K261aを作っているが、アインシュタインはこの協奏曲のフィナーレの代用としているものの、それが事実かどうか、にわかに決めがたい。
作曲年代 1775年4月14日、ザルッブルク。
基本資料の所在 自筆譜はベルリン国立図書館(東ドイツ)にある。新全集は未刊である。
演奏時間 約20分。
楽器編成 独奏ヴァイオリン、オーボエ2、ホルン2、弦5部。

第1楽章 アレグロ・モデラート 変ロ長調 4分の4拍子。協奏風ソナタ形式。
第2楽章 アダージョ 変ホ長調 4分の3拍子。
第3楽章 プレスト 変ロ長調 4分の2拍子。ハイドン風の音調をもったこのフィナーレは、きわめていきいきとした楽章で、ソナタ形式をとっている。