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交響曲 第27番 ト長調

K199(K161b)

 この曲に関しては成立時期に関する論議がもっとも大きな問題点であった。「第22番」ハ長調K162、「第23番」ニ長調K181(K162b)、「第24番」変ロ長調K182(K173dA)、「第25番」ト短調K183(K173dB)「第26番」変ホ長調K184(K161a)「第28番」ハ長調K200(K189k)「第29番」イ長調K201(K186a)および「第30番」ニ長調K202(K186b)とともにまとめられた自筆楽譜に書かれた作曲の日付は他の楽曲同様消されていてなかなか判読しがたいものであったからである。しかし現在では1773年4月10日あるいは16日と解読され、同年3月30日と判読された「第26番」と、4月19日あるいは29日と読むことのできる「第22番」のあいだに位置づけられ、したがってただ4月と確定したケッヒェル=アインシュタイン(ケッヒェル第3版)番号がK162aとして「第22番」と「第23蕃」のあいだにおいていた位置が最終的に修正されたものである。
 かつてド・ヴィゼヴァとド・サン=フォアの2人が、この作品の成立について種々の事情を考慮して、1773年4月から8月にかけてと推定したが、これはほとんど確実な推定だったということができる。この時期はモーツァルトが第3回目のイタリア旅行を終えて、ザルツブルクに帰ってきた直後から、夏に企てたウィーン旅行の最初の日程までを含むものであるが、この作品にはこの間のモーツァルトの芸術的な反応が生々しいまでに反映している。
 すなわち規模の点からも小さなこの作品には、モーツァルトがイタリアで得てきて、この年の春の作品の中に開陳した同地の音楽の影響が、ウィーン在住の作曲家のもつ様式の新たな影響とともに、渾然となって表れているのである。そしてウィーンの作曲家といっても、特に優れた先人であるヨーゼフ・ハイドンの影響が著しいことが挙げられる。第1楽章のアレグロには、まだウィーンの影響はほとんどあらわれていない。この楽章にみられるのは、モーツァルトの以前のイタリア的な交響曲がもっているのと同じ音調である。ところが、緩徐楽章のアンダンテ・グラッィオーソとなると、いくぶんウィーン風の音調が加わってくる。これがフィナーレに移ると、まったくウィーン風たスタイルで貫かれるようになるのである。ド・ヴィゼヴァらは、フィナーレについて、モーツァルト.がウィーンに出発するに際して書き残していった1曲の〈序曲〉のフィナーレを、1年も後(すなわち草稿に記されている1774年4月)になって書きたし、そのため、この交響曲の日付がそのように記されているとも推定できると考えているが、より確実なものとしては、1773年の8月説をとっている。
 この「ト長調交響曲」は、1773年ザルツブルクで作曲された、他の一連の交響曲と同じく、3楽章構成をとっているが、それらの中でも特に単純たものであり、編成も最も簡単になっている。
作曲年代 すでに述べたように1773年4月10日あるいは16日にザルツブルクで作曲されている。
基本資料の所在 すでに述べたモーツァルト自筆の楽譜はウィーン在住のK・R博士の個人所蔵になるものである。この交響曲の新全集版はヘルマン・ベックの校訂で出版されているが、交響曲第27番は第6版(現行版)が出版される以前に刊行されたためである。
出版 旧モーツァルト全集第8篇、第27番。新モーツァルト全集第4篇、第11作品群、第4巻。
演奏時間 約14分。
楽器編成 フルート2、ホルン2、弦5部。

第1楽章 アレグロ ト長調 4分の3拍子。図式的なソナタ形式をもつ単純な楽章。
第2楽章 アンダンティーノ・グラツィオーソ ニ長調 4分の2拍子。
第3楽章 プレスト ト長調 8分の3拍子。