■モーツァルト作品解説■    [HOME]   [年代別目次]

歌劇「偽の女庭師」

K196

 モーツァルトはイタリア旅行時代に2つのオペラ・セリアと2つのセレナータを作曲したが、その後しばらくの間、彼の強い願望にもかかわらず、オペラ創作の機会に恵まれなかった。オペラ・ブッファは既に1768年にウィーンで「ラ・フィンタ・センプリチェ」を手がけていたが、正式な作曲依頼を受け上演が実現したのはこの曲が初めてである。同じ台本によって既にアンフォッシ(1727-1797)が1774年にローマのテアトロ・デッル・ダーメ劇場で作曲上演している。このほうは現在残されている記録ではウィーン、ドレスデン等でも上演されているが、いずれもモーツァルト作の初演よりも後であるかまたはアンフォッシ作の初演および1774年夏のザルツブルク上演のように接することはあり得ないもののみであるから、史料面からは両者を結びつけるものは何もない。2人の作品の書法にある程度共通性が見られるがこれはむしろ同時代の同ジャンルの作法に基づくものであろう。第1幕はモーツァルトの自筆楽譜またはそれに類する筆写譜等が残存しないと思われていたため、原語であるイタリア語によるセッコ・レチタティーヴォを用いた全曲通し上演は行われず一般にドイツ語でセリフを使用したジングシュピール形式での上演が行われるが、これにも種々のエディションがあり確定的なものはない。新モーツァルト全集はブリュンのモラヴィア博物館に全3幕にイタリア語の台本とセッコを伴うコピーを発見し、初めてブッファとして全体を完成している。ここでは新全集による。
作曲の経過 この作品は1774年の9月ごろ、バイエルン選帝侯マクシミリアン3世から、この年のカーニヴァルのために依頼された。12月6日に父と連れ立って、ミュンヘンへ向かったが、この時には既にかなり執筆は進んでいたようである。同月28日にはリハーサルが行われているので、この時までに完成したものと思われる。
初演 はじめこのオペラは12月29日に初演されるはずであったが、いったん翌年1月5日に引き延ばされた後さらに同月13日に変更された。上演は大成功で作曲者自身が母へ宛てた書簡で、「……アリアが1回終るごとに割れんばかりの拍手喝采で、マニストロ万歳がきかれました……」といささか誇らしげに報ずるほどであった。しかし、このあと2回上演されたあと打ち切られ、以降18世紀中イタリア語による上演が行われた記録はない。
基本資料の所在 ベルリン国立図書館(自筆楽譜−第2、3幕のみ)。
演奏時間 約1時間40分(エディションにより相当異なる)。
楽器編成 フルート2、オーボエ2、ホルン2、ファゴット2、トランペット2、弦合奏。
台本 イタリア語。作者について従来はカルツァビージ(1714-1795)とされてきたが、これは19世紀初期の根拠の無い指定によるものである。アンフォッシ作の上演のための印刷台本にはいずれも台本作者の名は見えず、これをカルツァビージと判定させる記録もない。ゴルドー二/ピッチー二のブッファ「ラ・チェッキーナ」の系譜をひくテクストの内容からして改革オペラ以降の時代のカルツァビージが執筆したとは信じ難く、また彼には他にこの種の台本製作の記録もない。むしろアンガーミュラーの主張するペトロセッリーニ(1727-1799)の可能性のほうがより高い。モーツァルト自身の使用した台本は、いずれの上演のものかは別として、アンフォッシのものと共通であり、コルテッリー二(1719-1777)が編者として関与した箇所は僅かである。
 なおジングシュピール形式によるドイツ語台本は幾つか残されているがいずれも訳者不詳である。ただ現存する自筆楽譜中アリアの部分に、恐らくレオポルトが書き込んだドイツ語のテクストは史料として重要な意味を保持している。
登場人物 市長ドン・アンキーゼ(T)、ヴィオランテ・オネスティ〔サンドリーナと名を変えて市長の家に庭師として住みついている〕(S)、ベルフィオーレ伯爵(T)、アルミンダ〔市長の姪〕(S)、騎士ラミロ(MS、元来はカストラートによって歌われたものと思われる)、セルペッタ(S)、ロベルト〔ヴィオランテの従僕で同じくナルドという偽名を使用している〕(h)。
時と所 ラゴネロの町。