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歌劇「ルチオ・シッラ」

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 モーツァルト2作目の本格的なオペラ・セリアは、台本の出来の悪さと音楽の質の高さによって、様々な論議を呼んできた。壮大な合唱の場面の採用、女主人公ジューニアの深く書き込まれた性格、たびたび現れるレチタティーヴォ・アッコンパニャート(管弦楽付き叙唱)の激しい感情表現などは、すでにメタスタージョ型オペラ・セリアの静的な展開を離れ、オペラののちの発展を予見するロマンティックな声に溢れている。ところがそれに反して、大部分の人物があまりにも平板な性格であり、特にルチオ・シッラの人間像がさっぱり明らかでない点は、たびたび非難を浴びてきた。
 しかし、18世紀のオペラの性格について、過去の人々よりも詳しく、CDや舞台でこの作品に実際接しうる現代の私たちは、もっと公平にこの作品をみることができよう。メタスタージョ型のオペラとしては、様式の洗練を欠き、さりとて近代のオペラとしては常套的な要素が強すぎるという欠点は、確かに否定できない。しかし、実際に目と耳を集中するとき、「ルチオ・シッラ」という作品は、独自の魅力を放って私たちの心を奪うのだから。
 なお、このオペラはモーツァルトがイタリアのために書いた最後のものとなった。
作曲の経過 ミラノからの依頼で1771年3月14日契約書に署名、第3回イタリア旅行に先立ってザルツブルクでレチタティーヴォが書かれた。しかし詩人が台本を改訂したため、1772年11月4日にミラノに着いてから書き直されねばならず、レチタティーヴォ全体は合唱曲、序曲と共に、11月14日までに完成した。歌手の到着と共に重唱とアリアの作曲も進んだが、シッラ役が急病になり、代役は12月17日までミラノに着かなかったので、全曲完成は初演の目前だった。
初演 1772年12月26日、ミラノの大公宮廷劇場でモーツァルト指揮。各幕のあとにはバレエが上演された。大公の遅刻のため開演は非常に遅れたが、シーズン中に26回上演されるほどの成功だった。配役はシッラがテノールのバッサーノ・モルニョーニという初心者だった以外は、ジューニアがソプラノのアンナ・デ・アミーチス=ブオンソラッティ、チェチーリオがカストラートのヴェナンツィオ・ラウッツィーニ、チンナがソプラノのフェリチタ・スアルディ、チェーリアがダニエッラ・ミエンチ、アウフィーディオがジュゼッペ・オノーフリオというスター揃いだった。
基本資料の所在 第二次大戦後ずっと行方不明だった自筆スコアは、1977年にポーランドで再発見された。
出版 旧モーツァルト全集第5篇第8巻。新モーツァルト全集第2篇第5作品群第7巻(未刊)。
楽器編成 フルート2、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、チェンバロ、弦合奏。
演奏時間 序曲と第1幕約1時間20分、第2幕約1時間半、第3幕約40分、計約3時間半。
台本 イタリア語。史実に基づいてジョヴァンニ・デ・ガメッラ(1743-1803)が書き下ろし、メタスタージョが校閲したもの。
 ミトリダーテ6世との戦争で殊勲をあげ、マリウスとの内戦に勝って独裁官となったルーキウス・コルネーリウス・シッラ(B.C138-78)は、ローマ共和政末期に恐怖政治を敷いた人物であり、プルタルコスによれば不可思議な性格の人物であったという。ローマ法制史に名を残す優れた政治家ではあったものの、好色、放恣な生活を送り、行動には迷信深く気まぐれなところが多かった。中でも紀元前79年に突然独裁官を辞任した理由は謎とされている。
 デ・ガメッラの台本は、自由な創作でこの辞任を説明しようとしたと考えられるが、重複が多かったり性格描写が弱かったりするため、決して第一級のものとはいえない。なかでも、終幕に見られるシッラの突然の心変りは、十分に動機づけられたものとはいえず、史実を知らない者には理解しがたいものとなっている。
登場人物 ルチオ・シッラ〔独裁官〕(T)、ジューニア〔ガイウス・マリウスの娘でチェチーリオの許婚(S)、チェチーリオ〔追放された元老院議員〕(S)、ルーチョ・チンナ〔ローマの貴族、チェチーリオの友人でルチオ・シッラの隠れた敵〕(S)、チェーリア〔ルチオ・シッラの妹〕(S)、アウフィーディオ〔護民官、ルチオ・シッラの友人〕(T)、その他。
時と所 ローマ、ルチオ・シッラの宮殿およびその近隣。紀元前79年。