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交響曲 第19番 変ホ長調

K132

 モーツァルト父子は、1771年8月に、マリア・テレジアの子息フェルディナンド大公の結婚式のために、2幕のセレナータ「アルバのアスカーニョ」K111の作曲を依頼されて再度イタリアへの旅に立った。この第2回イタリア旅行から5ヶ月ぶりにザルツブルクに戻ってきた時期(ザルツブルク時代)に作曲されたものは器楽作品が多く、ディヴェルティメントや弦楽四重奏曲とならんで、7曲の交響曲(K124、128、129、130、132、133、134)が作られている。このように1772年に交響曲が集中的に7曲も作られたことに対して、ド・ヴィゼヴァとド・サン=フォアは、1771年12月16日に大司教ジギスムント・フォン・シュラッテンバッハの死去により、1772年3月に後任となったヒエロニュムス・フォン・コロレード新大司教に、モーツァルトは自らの才能を示したいという情熱にかられて生み出されたものであると述べている。
 この7曲の交響曲には、H・アーベルトが指摘しているように、ヨーゼフ・ハイドン、クリスティアン・バッハ、ミヒャエル・ハイドン(1737-1806)の影響によるさまざまな要素が示されている。この「第19番」交響曲では、第1楽章の呈示部の反復のない形はイタリア風序曲の影響であるといえるし、またこの楽章と終楽章では、クリスティアン・バッハとの関連が見られる。R・ランドンによれば、クリスティアン・バッハとカルル・フリードリヒ・アーベルとの結びつきは多様であり、モーツァルトがいかにバッハ=アーベルの音楽上の考え方に親しんでいたかは、最初期の交響曲ばかりでなく、この交響曲の構想にもうかがえると述べている。つまり、はじめはモーツァルトの作品と考えられていたが、のちにアーベルの作品であることが判明したKAnhA51との比較から、主題法、強弱の対比、および主要主題が2度呈示されること、弱音の入りで始まる太鼓連打風、バスの伴奏をもつことなどは、ロンドンで受けた印象の強さを示すものであるとしている。一方、第4楽章のロンドはガヴォット風のリズムによるロンドであり、これは、W・フィッシャーの指摘によれば、終わりを告げつつあったバロック音楽との関係を示すものである。
作曲の経過 1772年7月にザルツブルクで作曲されたことが、自筆楽譜の表題に示されている。「騎士アマデーオ・ヴォルフガンゴ・モーツァルト氏のシンフォニーア、1772年7月、ザルツブルクにて」。この交響曲には、第2楽章が2つ置かれている。ケッヒェルは緩徐楽章は2回作曲されたと考えており、最初に書いたのがアンダンテ・グラツィオーソであり、アンダンテはあとから書かれたとしている。しかし出版においては、あとから作曲されたアンダンテを第2楽章の場所に置き、アンダンテ・グラッィオーソを補遺の形で第4楽章の最後につけている。ド・ヴィゼヴァとド・サン=フォアは、この交響曲は1772年3月から4月にかけて作曲され、アンダンテのみが7月に作曲されたとしている。
初演 ザルツブルクの「音楽会」のために作曲されたと考えられるが、初演の時期は不明である。
基本資料の所在 自筆楽譜はベルリン国立図書館にあり、筆写譜も同図書館(Mus.Ms.15265)にある。
出版 旧モーツァルト全集第7篇、第19番。新モーツァルト全集第8篇、第11作品群、第3巻。
演奏時間 多くの演奏では、第2楽章は、あとから書かれたと考えられているアンダンテを使用しているが、最初に書かれたアンダンティーノ・グラツィオーソも第4楽章の後に付け加えて演奏されることが多いが、かならず演奏すべきものでもない。この部分を含めて演奏時間は24分。
楽器編成 オーボエ2、ホルン4、ヴァイオリン2部、ヴィオラ、チェロ、バス。

第1楽章 アレグロ 変ホ長調 4分の4拍子。ソナタ形式。
第2楽章 アンダンテ 変ロ長調 8分の3拍子。美しく豊かな叙情性をもった緩徐楽章である。簡単なソナタ形式と考えられる。
第3楽章 メヌエット 変ホ長調 4分の3拍子。
第4楽章 アレグロ 変ホ長調 2分の2拍子。ガヴォット風な快活なリズムによるロンドの終楽章である。