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歌劇「アルバのアスカニオ」

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 オーストリアの皇太后マリア=テレジアは巧みな結婚政策によって、ヨーロッパ中に勢力をのばした。マリー・アントワネットのフランス王室との結婚に続いて、1771年10月に挙行されたオーストリア領ロンバルディア総督フェルディナント大公(第3皇子)の婚儀は重要だった。相手のマリア・ベアトリーチェ・リッチャルダ・デステは、モデナ公国唯一人の世嗣女だったからだ。10月15日から半月以上にわたってミラノで行われた祝典は、入念に準備された豪華きわまりないものとなった。
 15日の結婚式に続いて、16日には祝典オペラ、17日には祝典セレナータがミラノの大公劇場で上演され、いやがうえにも祝賀期間を盛り上げる。この2つの劇場作品は慶事にふさわしく、最高の作者に依嘱され、最良のスタッフによって上演された。つまり、オペラはオーストリア宮廷桂冠詩人のメタスタージョの台本に、72歳の老大家ハッセが作曲したものであり、セレナータはイタリアの代表的詩人パリーニの台本に、天才的少年作曲家モーツァルトが音楽を付けたのである。
 このオペラが2人の老大家のどちらにとっても最後の作品であった「ルッジェーロ、あるいは勇ましき報恩」であり、セレナータはモーツァルトのイタリアでの第2作「アルバのアスカニオ」だった。なお「ルッジェーロ」があまり成功しなかったことは、ハッセ研究の側からも確かめられている
作曲の経過 1771年3月末にオーストリア宮廷から作曲を依頼されたが、宮廷での検閲のため、台本が渡されたのはようやく8月29日。作曲は現地ミラノで、序曲、レチタティーヴォ、合唱の順に完成し、歌手の到着と共に着手されたアリアまで、すべて完成されたのは、9月23日だった。練習から初演までの経過も、モーツァルト父子の手紙に詳しく伝えられている。
初演 1771年10月17日、ミラノの大公劇場、モーツァルト指揮。ハッセの「ルッジェーロ、あるいは勇ましき報恩」を凌ぐ大成功で、祝典期間中に4、5回再演された。このため新婚のフェルディナント大公は真剣にモーツァルトを雇うことを考えたが、母マリア=テレジアの反対もあって、実現しなかった。ウィーン宮廷とミラノの当局は、祝賀公演のために最高のスタッフを集めた。アスカニオのジョヴァンニ・マンツォーリ(カストラート)、シルヴィアのアントーニア・マリア・ジレッリ・アグイラール、アチェステのジュゼッペ・テバルディは、この頃最高の名歌手として知られていたし、ヴィナス役のジェルトルーデ・ファルキーニ、ファウノ役のアダモ・ソールツィも各地の主役を務めていた。なお5人共、「ルッジェーロ」の主役を兼ねた。
基本資料の所在 〔自筆総譜〕ベルリンの国立図書館。〔重要な写譜〕ウィーン国立図書館。モーツァルト自身が初演の指揮に用い、自筆の変更が書き込まれているため、自筆譜に劣らぬ価値をもつ。
出版 旧モーツァルト全集第5篇第6巻。新モーツァルト全集第2篇第5作品群第5巻(ルイジ・フェルディナンド・タリアヴィーニ校訂)。
楽器編成 フルート2、オーボエ2、セルパン(イングリッシュ・ホルン?)2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、ティンパニ、弦5部、チェンバロ。
演奏時間 序曲と第1部約1時間半、第2部約1時間20分。
台本 イタリア語。ローマ神話に基づいて、18世紀イタリアの代表的詩人ジュゼッペ・パリーニ(1729-1799)が書き下ろしたもの。
 アスカニウス(ユールス)は、アルバ・ロンガ市の建設者として神話中に名高い。ヴィナスの息子で、トロイア戦争の勇将アイネーイスは、戦後苦難を重ねた末、イタリアにラウィーニウム市を建設した。息子アスカニウスが都を移して数百年後、その子孫の双子ロームルスとレムスは、ローマの最初の礎を築くことになる。そして、アスカニウスの血をひくユーリア氏(カエサルと最初のローマ皇帝アウグストゥスの氏族)は、ローマ帝国の世界支配を実現するのである。ヴェルギリウスの「アイネーイス」はこうしてローマの栄光を神話時代に遡ったのである。
 パリーニの台本の重点は、アルバ・ロンガ市建設ではなく、女神ヴィナスの神意によるアスカニウスの結婚におかれている。現実の結婚式とのつながりは明らかである。息子を通じてイタリアの地を支配するヴィナスは、マリア・テレジアの神格化、人民に待望される支配者アスカニオはフェルディナント大公を、そしてヘラクレスの末喬シルヴィアは、モデナのエルコーレ(ヘラクレス)3世リナルドの娘マリア・ベアトリーチェを美化したものに他ならないのだ。神が以前から約束した結婚で新しい国が生れ、臣民の幸福に疑いがないばかりか、その国はいずれ世界を支配することにさえなろう、と結婚式を祝福するのが、台本の、ひいてはこのオペラの目差すところだった。現実の結婚式を暗示する詩句が数多い一方、刺激の多い〈本当のドラマ〉が、努めて避けられているのは、そのためだ。
 上演の本来の目的から考える限り、パリーニの台本は優れたものといえよう。彼もモーツァルトも、慶事にふさわしく、ひたすら装飾的で美しいものを目差し、成功したのである。
登場人物 ヴェーネレ〔ヴィナス〕(S)、アスカニオ〔アスカニウス、アイネーイスの息子〕(Ms)、シルヴィア〔ヘラクレスの血をひくニンフ〕(S)、アチェステ〔祭司〕(T)、ファウノ〔羊飼の長の1人〕(S)、精霊、羊飼、羊飼の少女たちの合唱。
時と所 のちにアルバ・ロンガ市となる平原の一画(現在のローマの南西約20キロだったと考えられている)、神話時代(ローマ紀元から逆算すると、紀元前1000年頃)。