席田用水物語

 席田小学校の西には、「席田用水」という用水路があります。
今から、約460年前までは、今の糸貫川が根尾川として流れていました。
そのころの席田用水は鶴の里として知られ、昔から和歌にも詠まれるほどうつくしくて有名だったそうです。
ところが1530年に、大水が出て、山口村(本巣山口)西の藪村(やぶむら)が流され新しい川ができました。
 それが、今の根尾川(藪川)と糸貫川の2つに分かれ今まで、糸貫川の水に頼っていた村の人たちは、田畑に水が少ししか流れないようになり、席田用水が必要になりました。
ところが、根尾川から水を流している真桑用水と席田用水の間に、争いがたびたび起こりました。

火柱伝説
 用水の争いをしずめるために、困った役人は、火柱をたてどちらが早くこの火柱に抱きつくかで、
水の6分を流す権利をあたえることにしました。
もえさかる火柱にだきついたのは、注1仏生寺小左衛門(席田方)というひとでした。
それからは、席田用水6分(36時間流す)、真桑用水4分(24時間流す)に水を分け合いが決まり、
のちまでうけつがれています。

(左)席田用水(右)真桑用水

本巣山口頭首工

春日神社

(左)糸貫川(右)席田用水

席田物語

注1仏生寺小左衛門は1597年(寛永18年)に死亡している小右衛門を指して、堀部家に
 現在残っている小右衛門のいちばん古いお墓を伝説としています。
 あくまでも伝説で定かでは、ありません。

   

米かし祭り

 仏生寺には、「米かし祭り」というお祭りがあります。
毎年春分の日未明、仏生寺の若者が春日神社から本巣山口の用水取りいれ口まで、裸でもち米をかしにやって行きます。
米をかすと、米と水を春日神社までかついで持ち帰りその後、その水と米で「おみごく」を作り神社にそなえます。
 この席田用水は、全国の疎水百選にも選ばれているほど、水がきれいな川です。