DISCLAIMER:「ベルサイユのばら」の著作権は、池田理代子先生および池田理代子プロダク ションにあります。
この作品は作者が個人の楽しみのために書いたもので、営利目的はありません。
Author: miki
Email: miki@he.mirai.ne.jp
Date: 12/25/1999
Category: オスカルとアンドレのノエルの過ごし方

Spoiler: 「フランス文化誌事典」  原書房  1996年

      「黄色い部屋の秘密」  ガストン・ルルー著 あかね書房  1974年
      「フランス四季暦」〜秋から冬へ〜  饗庭 孝男 著 東京書籍 1992年

Authors note: 「カトリネット」という行事は、史実では第二帝政頃(1852〜1870年)パリに広く根づいた習慣だと言われておりますが、季節の行事の一つとして、私の妄想の結果、時代考証を無視して取り入れてみました。
ジャヌトンの歌の元ネタは、みーまま様から教えていただいた「ANAIS」という仏人女性歌手の歌「ル・タン」 を改作してあります。みーまま様、素敵な歌を教えていただいて、ありがとうございました。ちなみにサティのピアノ曲とは関係ありません。

性的な表現がありますので、お好みにあわない方は、お読みいただかない方がよろしいと思います。この作品はたね様の12月企画で載せていただいた作品です。 たね様、転載を快くお許しくださりありがとうございました。かなり長文ですので、耐えられる方のみ読んだいただけると嬉しいです。

個人で楽しむ以外の無断転載・再配布は、ご遠慮願います。

Je te veux
(ジュ・トゥ・ブー)
〜あなたが欲しい〜

「11月25日…そうか、今日は聖カトリーヌの祝日か。」
オスカルは、頭に様々なリボンで飾られたボネを誇らしげに被った娘の
一団を見て、今日始めて思い出したと言うふうに、アンドレに話しかけた。
パリ視察の帰り道でのことだった。
「おまえが、そんなこと思い出すなんて、珍しいな。オスカル」
「まあな、侍女のサビーヌに先日言われたことを思い出したのだ。」
「ふうん…」

パリを始めとする大きな都会では、お針子やその見習は、笑い歌うことで
お客の足を止める。
その習慣のせいか、お針娘の一団は、歩きながらも歌うのが好きなようだ。
今日は「カトリネット」と呼ばれる一日で、高級裁縫店などでは、
その日に休みを与えたりもした。
その年に25歳になる若い女性のための一日で、聖女カトリーヌ(若い娘の守護聖女、
ギリシア語カタリナは処女を意味する)の像に、ボネ(頭巾)を被せる行事だ。
被せることができるのは乙女だけだ。
娘も16か18歳には名誉であり人気であるこの行事も、年齢を重ねると
あせりがでてくる行事だ。
そこで、行事にかこつけて、若い男女を引き合わせるお祭りをする地方もあった。

「サビーヌに何を言われたのだ?オスカル」
「ふふ、内緒だ、アンドレ。女同士の会話だからな。」
「女同士の会話!?おまえからそんな言葉を聞こうとは思わなかったな。
11月は一番狩りにいい季節なのに、今年は『森に狐の匂いがプンプンしているし、
鴨がたくさんいるぞ。さあ、アンドレ、狩に行くぞ!』とも言わないし、
一体全体どうしたのだ?気味が悪いな。」
「失礼な奴だな、アンドレ、一言多い男は嫌われるぞ、まったく…
今年の秋はあわただしかったし、ゆっくりとしたいだけだ。」

 

数日前、オスカルが自室の机の前で座り、パリでアンドレが買い集めてきた
アジビラやパンフや新聞を読んで、最近の市井の情勢を紐解こうとしていた時だった。
「ル・タン・エ・ロン(時は長い)、なんて時は長いの!
けれど、なんて人生は短いの?忍耐から情熱まで、革命へ変貌する夢から、
愛の告白まで、私にはまだあなたに愛していると言う時間があるかしら?」
侍女の一人が、中庭で鼻歌まじりに仕事をしていた。
ふとその歌詞に現実に引き戻された。
「"革命"とは穏やかじゃないな、最近の恋歌は過激だな。」
オスカルが静かに呟いた。

彼女付きの侍女のサビーヌがばあやに命じられ、爪の手入れにやってきた。
「今はいい」とオスカルが言っても、彼女は頑固に「しなければならない」と言い張った。
オスカルは仕事を中断し、爪の手入れをさせた。
その間、手持ち無沙汰で彼女に話しかけた。
「外で歌っていた侍女はジャヌトン(ジャンヌの愛称)か?」
「はい、そうでございます。もうすぐ聖カトリーヌの祝日ですから、
25歳に近い彼女も気持ちが落ち着かないのでございましょう。」
「ええっ、ジャヌトンももうそんな歳か?この間、16かそこらでこの屋敷に
奉公にあがったばかりと思っていたが…。
そうか、兵士の中で良い男でも捜してやるかな?
私も上官として、彼らのことも心配だし…。
この間の舞踏会でどうせ彼らを呼んだのだから、ヴェイユ(夜の集い:
若い男女の出会いの場になることもあった)でも開いてやればよかったかな?」

オスカルが、さも楽しそうに自分の思いつきを話すのを聞いていた
サビーヌは、少々きつい語調で話し出した。
「オスカル様!侍女の結婚なんて、この際、気にしている場合ではございません。
不躾とは思いますが…、御自分はいかがなさいますおつもりですか?」
「な…、なんで突然そんなことに話を振るのだ。もう先日、結婚話は断っただろう。
私は誰とも結婚はしないよ。ずっと軍人として生きていくよ、サビーヌ」
サビーヌはオスカルが幼少の頃から屋敷に仕えていたので、姉達が嫁いだ後は、
本当の姉のようにオスカルのことを心配し、気遣っていた。
彼女は口が固いので、オスカルも男であるアンドレには聞きづらいことや、
ばあやには言えないことも、たまに彼女と話すことがあった。
だから、先の不躾な侍女の言葉を、オスカルは怒りもなく聞き応えた。

「オスカル様、古諺にも言いますわ。『春、夏、秋、お急ぎなさい、可愛いお嬢さん、
早く結婚しなさい。あんたはボネを被りつづけるの。20代で希望、30代で不安、
40代で絶望』とね。聖カトリーヌの祝日はもうすぐですわよ。」
「25どころか30さえとっくに過ぎたよ、サビーヌ。今更急いでも無駄だ。
それより、さっきの恋歌は今のはやりか?」
オスカルは、華のような微笑で、なんとか話をそらそうと努力した。

「話をごまかそうとしても無駄でございますよ、オスカル様。
歌じゃございませんが、時は長くても、人生は短いのでございますよ。
私のように後悔ばかりにならないで下さいませ。」
サビーヌは婚約者が急な病でなくなり、そのまま屋敷に奉公を続け、
40のこの歳になるまで未婚だった。
「彼が亡くなったあと恋もいたしましたが、結局、結婚まで行きつきませんでした。
この歳になりますと、女の幸せが結婚だけとは思いませんが…、
オスカル様は、女性としての幸せを追い求めることを諦められたのですか?」

彼女のあまりの真剣さに嘘はつけないなとオスカルは思い、正直に答えた。
「別に諦めた訳じゃないよ。ただ『彼ではない』と感じただけだよ。
それに、急に結婚しろと言われても戸惑うだろう?
私はずっと男として育てられ、軍人として生きてきたのだ。
急に女に戻れと言われても、困ると言うのが本音だな。」
「旦那様も奥様もお歳を召されました。お二人ともご自分たちの亡き後の、
オスカル様の身の上を案じての結婚話でしたのに…。
ジェローデル様のような、誠実で家柄もよく、才にも恵まれた条件の
良いお相手はもう見つかりませんよ。
あの御方でなければ、どなたでございますか?」
「そんなこと簡単に分らないよ。サビーヌ、そうだろ?
両親の気持ちも有りがたいし、わからなくも無いが、もういい歳をした
大人なのだから、自分のことは自分で決めるよ。」
「そこまでおっしゃるなら、私もはっきりと言わせていただきますが、
本当はもうわかってらっしゃるのに、御自分でわからないふりを
しているだけではありませんか?」
「な、何のことだい?」
「いいかげん、御自分のお気持ちに正直におなりあそばせ。
何度も言いますが、人生は短いのでございますよ。
『ジュ・テーム』も『ジュ・トゥ・ヴー』も言う時を逃しては、意味は
ないのでございますよ。
私のように、思いがけなく愛する人を失ってしまうことだってありますわ。
そこの所をよくお考えなさいまし。オスカル様」

言いたいことは終わったとばかりに爪磨きの仕事を終え、彼女は、
戸惑うオスカルを一人残して部屋を辞した。
(サビーヌにはかなわないな。人生は短い、そう、確かにそうだ。だが…)
せっかく、そのことを頭から追い払い、仕事に熱中しようとしたばかりだったのに、
また悩みの淵に立たされたオスカルだった。

 

11月30日は聖アンドレの祝日だった。ハンガリーの娘達は、この聖人に敬虔な
祈りを捧げ、すてきな夫を得ようとする。
未来の花嫁はその日を待ちながらうす暗い部屋で鏡を覗きこみ、
未来の夫の姿を見つけようとするのである。

「今日はなぜか若い侍女たちが騒がしいな、何かあったのか?」
夕方、屋敷に帰りついたオスカルは侍女達の様子を見て、自室でサビーヌに問いただした。
彼女は、先日ジャルジェ家出入りの商人がハンガリーの娘達の話を、
侍女たちに吹きこんだことを説明した。
「毎度、毎度、聖人の祝日のたびに大変な騒ぎだな!」
彼女に軍服を脱がせられながら、オスカルは少々呆れたように呟いた。
「ええ、ですから、アンドレは人気者ですわ。」

サビーヌは、オスカルの軍靴を脱がせながら、わざとアンドレの部分を
強調して発音した。
「今日は立っていることが多かったから、足が痛くなったよ。
それで、アンドレがなに?」
「聖人の名前を持っている上に、彼はなかなか美男子ですし、
その上独身で背も高いし、性格も穏やかで優しいですしね。
それになにより、名門ジャルジェ家の次代当主のお気に入りですから。」
「だから?」
サビーヌに足をさすられながら、オスカルは深い意味もなく、問いただした。
「彼は“もてる”と言うことですわ。皆が彼を狙っているのですよ。
ご理解いただけましたか、オスカル様?」

先日の彼女との会話を思い出し、苦笑いを浮かべるオスカルであった。
サビーヌはわざと口数少なく、オスカルの世話をすると出て行った。
オスカルはぼんやりとして、思わず鏡を覗きこんでいた。
(私の鏡には、いったい誰が映るのだろう?私は誰が映って欲しいのだろう?)

しばらくすると突然、心配そうなアンドレの顔が鏡に映った。
「わっ!なんだ、アンドレか?ビックリさせるな!」
「オスカル、大丈夫か?ぼっとして、呼んでも返事もしないし…、
仕事の続きはどうする?
おまえまで鏡を覗きこんで、何しているのだ? 何で今日は皆が俺を呼んで鏡に映すのだ?
まったく、女性の考えることはわからんよ。」
「もてる男は辛いな、アンドレ!」
「は?!何を言っているのだ?熱でもあるのか?」
意味をわかっていない男の顔を見つめながら、オスカルは鏡に映ったのが、
彼であることを心の底で喜んでいる自分の気持ちに戸惑っていた。

「仕事の前に腹ごしらえだ。足が痛いから、食堂まで抱いて行ってくれ。」
「急にどうしたのだ?それなら、医者を呼ぼうか?
食事は部屋まで運んで来てやるから。」
「いい、靴がきつかっただけだ。いいから、抱き上げて行ってくれ!」
(何を急に甘えているのだ、変な奴だな!?まあ、役得ということでいいか!)
アンドレは、妙なオスカルの態度に戸惑いながらも、わがままをかなえてやった。
ところが、階段まで来ると急に「もう、いい。」と言い、彼の腕をすり抜け、
一人で手すりを頼りに階段を降りていった。
(最近どうしたんだ?オスカルの奴…!?)
彼は不思議そうに彼女を見下ろした。

 

冬が深まるにつれ、暖炉の炎が恋しくなるのと同様に、二人にとっても
人恋しい時期がきたようだった。
「たまには炉辺談話もいいだろ?」と思いがけないオスカルの提案により、
ここのところ、子供の時のように、アンドレの屋敷での仕事が終わると、
二人でオスカルの部屋で、しばしの間ヴァン(ワイン)を傾けながら、
とりとめも無い話をするようになった。

ある日、急にオスカルが真剣な顔で彼に尋ねた。
「ラ・ロシュフコーは『恋は燃える火と同じで、絶えずかき立てられて
いないと持続できない。だから、希望を持ったり、不安になったりすることが
なくなると、たちまち恋は生絶えるのだ。』なんて書いているが、
本当にそうなら、成就した恋はどうなるのかな?」
「ん?なんだ、突然、今夜は恋愛論か?ふふ、おまえには、似合わないよ。」
「失礼な奴だな。私だって、適齢期は確かに過ぎたが、女性だぞ。
もう少し言いようがあるだろ?」
「ごめん、ごめん。そういう意味じゃなくて…。何と言うか…」
「どうせ私はあと先考えずに行動して、おまえを困らせると言いたいのだろう。」
「まあ、そう怒るなよ。別にそこまで言ってないだろ。それに、恋が成就しても、
愛し方は変化して行くだろうけど、互いに愛し合う気持ちが変わらなければ
いいじゃないか。まあ、経験がないから、よくわからんが…」

ふてくされた彼女は、彼の肩に頭を置き寝たふりを始めた。
「こら、オスカル、ちゃんと着替えて、寝台で寝ろ。」
「いやだ。ここで寝るから、またおまえが抱き上げて寝台へ運んでくれ。」
「どこまで、子供なんだか、まったく…。
おばあちゃんやサビーヌが大変だろ、いいかげんにしろ!」

彼は苦笑しながらも考えた。
(結婚話が出てから、俺は自分の思いだけに囚われていて、
彼女の気持ちまで考えてやれなかった。オスカルなりに悩んでいたのだろうし、
それに、寂しかったりもしたのだろう。
俺がそれを埋めてやれるなら、それもいい。
どうせ一生おまえの側にいるのだから、離れるなど…どうせ俺にはできないのだから。)

 

ある夜、サビーヌがいつものようにヴァンをオスカルの部屋へ運ぼうとしている
アンドレに気づき、話しかけてきた。
「アンドレ、いつも暖炉の前で二人だけで何の話をしているの?」
「パリの政治情勢とか、経済状態とか、たまには世間話とか、とりとめの
無い話をしているだけだよ。おかしいかい?」
「なんとまあ!美男美女のいい大人が、随分、艶のない炉辺談話ね。
アンドレって、意外に鈍感なのね。」
「…何を言っているのだ…サビーヌ?」
「まあ、いいわ、意味がわからないなら…ふふふ」
彼はサビーヌが結局何を言いたいのかよくわからなかった上に、
どうして笑われたのか不思議だった。


その夜もオスカルは、案の定待ちくたびれたという顔をして本を読んでいた。
今晩は珍しく何代か前のジャルジェ家の当主が、ロシアのさる大公から贈られたと
いうシベリアトラの敷物が暖炉の前に広げられていた。
「懐かしいな。昔よく二人でこの上で遊んだよな。こうして見ると小さいな、
昔はもっと広い敷物だと思っていたが。」
「ああ、懐かしくなって、出してもらったのだ。
私達が大人になったから、狭く感じるのだろうな。」

いつもと違い、長椅子の上ではなく、毛皮の敷物の上に二人で座り込み、
ひとしきり思い出話にひたった。

「暖炉の火って不思議だな。寒い冬に暖かい焔を眺めていると、
身体が暖まるだけでなく、自分の内面に考えが及ぶ。
そして、それだけでなく、焔は夢想を広げて、過去を追想させ、
なんとなく幸せにしてくれる。そう思わないか、アンドレ」
「おまえ、暖炉の焔のおかげで詩人になれそうだな、オスカル」
「そうだな。軍隊をくびになったら、詩人として売り出そうかな?
どうだ、売れると思うか?」
「ヴェルサイユ中の貴婦人が一人で何十冊と買ってくれるから、すぐに売れっ子だ!」
「ふふ、そうかな。じゃ、おまえが読者第一号だ。」
「とても、光栄なことでございます。世紀の大詩人、オスカル・フランソワ様」
彼はおどけて立ち上がり、腕を曲げ一礼をした。
それを見ていたオスカルも微笑んだ。

今年は不作で、来年には三部会が開かれ、あれやこれやで世の中は大混乱するだろう
ことも二人にも予想できた。
こんな他愛の無い幸せはもう僅かかもしれないが、少しでも続くことを
祈らずにはいられなかった。

しばらくすると、蜜蝋の燭台の灯りが消えてしまった。
(サビーヌのやつ短い蝋燭を持ってきたな。)
アンドレは心の中で一人ごちた。
ボーヴェ産の鉄の衝立が脇に退けられているため、部屋の中が暖炉の焔だけで
明るく照らし出されていた。
薪がパチパチと音をたてて燃えている以外しんとして、蜜蝋の甘い花の香りが漂い、
不思議な感覚につつまれた。

例のごとく、またオスカルが彼の肩を枕に寝始めた。
明るく燃えている暖炉の焔が、白く美しい顔を照らし出していた。
そっと敷物のクッションの上に彼女の頭を移し、寝入ったのかどうかを確かめようと、
だんだん顔を近づけてゆくうちに、薔薇色の唇が焔を映して、紅く輝いているのを
見つけてしまった。
彼はついにはその唇の美しさと魅力に堪えられなくなり、誓いを破って、
そっと唇に触れてみた。
その甘美なかぐわしい唇に一度触れてしまうと、何度でも口づけしそうで
自分を押さえるのが大変だった。

寝台へ運ぶために抱き上げると、暖炉の焔が彼女の顔を照らし、
閉じた瞳の長い睫が陰を曳き、美しい顔をさらに愛しくかわいらしく見せた。
(たとえ俺の恋が成就しなくても、二人で同じ夜の一時を過ごす。
これはこれで幸せなうえに、贅沢なことだな。)
そんなことを考えて、彼女の顔に見惚れていた。

急にオスカルの腕が彼の首に巻きつき、再び口づけするはめになった。
突然のことに彼は驚いた。
唇が離れるとオスカルが彼の耳元で囁いた。
「愛している、アンドレ、世界中の誰よりも。」
「え???」
「恥ずかしいから…、何度も言わせるな。バカ!」
「だって…、急にそんなこと言われたら…」
彼は信じられず、耳が変になったのかと真剣に思った。

戸惑いながら、彼女を優しく下に降ろし、彼の首に巻かれた彼女の細い腕に
手をかけ解いた。
彼が黙って彼女を見つめるだけのせいか、しばらくすると、オスカルは
蒼い瞳に涙を浮かべ、その真珠のような涙が頬をつたって
毛皮の敷物に吸い込まれて行った。
「すまない、急に変なこと言って。私は勝手だな。
以前は拒んでおきながら…今更、愛しているなどと…。」
「違うよ!違うよ、オスカル。あんまり急だったから、驚いて…
嬉しくて言葉が出ないだけだ。」
「この間、馬車が襲われてけがをした時、おまえが急にいなくなったら、
私は一人では生きていられないと思ったのだ…。
今でも、こんな私でも愛してくれているか?アンドレ」
「もちろん、今でも、いつまでも、この先もずっと、俺も世界中の
誰よりもおまえを愛しているよ。」
「愛しているから…カレス・モワ(愛撫して)…アンドレ」

そう彼女は言うや否や、また彼の首に腕を巻きつけ口づけしてきた。
彼も今度は何の遠慮もなしに激しく口づけした。
そして、次第にその口づけが唇から頬へ、頬から首筋に移っていき、
ついに胸元へと降りていった。
彼女は恥ずかしそうに頬を染めて、すこし不安そうにしていたが、
嫌がってはいなかった。
そこで、彼は不安を取り除くように、優しく啄ばむように口づけた。
そして、どんどん彼女の肌を開き、口づけの痕を残していった。
次第次第に、二人の愛撫は深まって行き、とうとう彼女の柔らかな胸元すべてが
暖炉の暖かい焔に赤く染まって見えた。
いや、本当は恥ずかしがっていたせいかもしれない。
でも、もう彼にはどちらでもかまわなかった。
焔に浮かび上がるような白くしなやかそうな双丘が、たまらなく官能的だった。
熱い唇がその二つの蕾を時に優しく、時に激しく吸い、掌が彼女の身体中を弄った。
しかし、彼の僅かに残った理性が、一線を越えることを躊躇わせた。
始めての経験に我を失っていったオスカルは、彼の激しい愛撫に溺れて、
疲れと愛の告白の緊張も重なり、次第に意識を失っていった。
彼はそれを見届けると、彼女を寝台に運び優しく額にくちづけし、心の中で囁いた。
(愛しているよ、オスカル…俺の宝物…おまえのためなら、
何でも堪えてみせるよ。)

 

翌朝、ぎこちない『おはよう』のくちづけから、ふたりの新しい関係
・・・恋人として・・・の関係が加わった。
昼間は上官と部下として、また、女主人と従僕として、今までどおりの
関係があり、夜の僅かな時間が恋人としてのすべてだった。
毎夜少しずつアンドレの愛撫は深まって行くが、決して彼女のすべてを
奪おうとはしなかった。

オスカルは次第に不安を感じるようになった。
(以前私が拒んだからか?でも、それなら、なぜ毎夜抱きしめてくれる?)
ある夜とうとうたまらなくなって、アンドレの腕の中から、オスカルは顔を
赤く染めながら、おそるおそる尋ねた。
「アンドレ、怒らないで聞いてくれ。おまえは、その…
わたしが欲しくはないのか?」
その言葉を聞いた彼は、しばらく沈黙し、彼女のことを労わるような
瞳で見つめ、言葉を選びながら話し出した。

「いや、俺はおまえのすべてが今すぐにでも欲しいよ。でも、世間は
おまえが思っているほど、寛容ではない。ホモガミー(同質婚)の掟は、
近親婚禁止より厳しい。教会や世間は、婚資がないため、身分違いの
結婚しかできそうもない貴族の娘が、ホモガミーの掟を守るため、
血の繋がった叔父と結婚することさえ許すのだぞ。でも、金持ちの農民が
彼女と結婚するのは、好まないのだ。階級を越える身分違いの恋は、
醜聞以外の何物でもなく、社会の秩序を壊すとして、恐れられるのだ。
俺はいい、昔から色々言われるのには慣れている。
しかし、おまえに悪い噂がたち、名誉が傷つくのには堪えられない。
ただ、毎夜おまえを抱かないと生きて行けないほどの、この気持ちを
押さえることはもうできない。だから、せめて…」
「でも、私達はそんなに目立つことはしてないはずだ。
だって、私達は互いに凄く我慢しているぞ。」
「俺達がそう思っていても、現に周りの目にはそうは映らないのだ。
今朝サビーヌに注意されたし、このところ、屋敷の皆が俺に気を使い、
おまえと少しでも長く過ごせるように、仕事を肩代わりしてくれる。
彼らは俺達の関係に気づいても黙っていてくれるが、
世間はそうはいかない。」
「わかったか?」とでも言いたげに、優しい黒い瞳が諭すように、
オスカルに語りかけた。

オスカルは、彼の言葉に強いけれど落ち着いた語調で反論した。
「アンドレ、私を見そこなってもらっては困るな。
私はやんごとない姫君でも、ガラス細工の飾り物でもないのだぞ。
30もとうに過ぎた生身の大人の女性だ。
おまえが私を守ろうとしてくれる気持ちは嬉しいが…、私だっておまえを守りたい。
そして、誰よりもおまえを愛している。
大体、女性の方が男性より何倍も強いと思うけれどな。ポリニャック夫人を見ろ。
方法に賛成はできないが、あの優しげな風情で、落ちぶれた一族を見事に盛り返した。
その娘のロザリーだって、質は違うがやはり強いだろう。
私にだって、きっとそんな強さがあるはずだ。
だてに20年近くも男性ばかりの軍にいたわけではないし、
男として育てられたわけではないぞ。醜聞なんぞ気にしないさ。」
まだ何か言いたげな彼の唇を、ふいに長く美しい指でふさぎ、
彼の耳元に優しく囁いた。
「もうすぐノエル(降誕祭)で、私の誕生日だ。贈り物が欲しいな。アンドレ」
「何が欲しいのだ?無くした替わりの新しい馬の鞭か、
それとも…、婚約の印に指輪や聖人のメタルか…」
彼は微笑みながら尋ねた。

彼女は彼の首に腕を回し、思いきり甘い声で、可愛らしい表情で囁いた。
「ジュ・トゥ・ヴー、おまえだけでいい!どこか人目の少ない所で、
好きな時にくちづけして、抱き合って、共寝して…。
私がおまえだけのもので、おまえが私だけのものだと、確信できるくらい、
世間の何にも惑わされないくらい、強くそう思えるようにしてくれ。
たとえ、一日でもいいから。おまえのすべてが、今一番欲しい贈り物だ。」
彼女の言葉は、彼の心配を粉々に打ち壊した。
愛する女性にここまで言われては、かなえないわけにはいくまい。
「わかった。こんな俺でよければ、喜んで。
ノエルのあとで、近くに旅行しよう、手配するよ。」
「私こそ、願いを聞き入れてもらって嬉しい!ありがとう。
今年は誕生日が待ち遠しいな。」
心の底から嬉しくてたまらないという顔で、彼女は彼に軽くくちづけた。
彼は我慢できなくなり、彼女に尋ねた。
「少し早くなってはだめか?現金過ぎるかな?」
それを聞いて、しばらくの間があり頬を染めたオスカルが頷いた。

それを合図に、二人は再び暖炉の前でくちづけを交し、
今度こそ焔に溶けあうように、互いに溶けあい、初めて愛の
喜びを感じるために、互いの身体と心のすべてを与え合った。

夢のような一時が過ぎて、気だるさを追い払い、やっと自分を取り戻した時、
恥ずかしそうに彼の胸に顔を埋めていたオスカルが、小さな声で彼の耳元に囁いた。
「まるで、暖炉にかけられた大鍋のなかで、おまえと一緒に熱せられて、
かきまぜられたみたいだ。」
彼女が寒くないように上着で包み、背中から優しく抱きしめ、彼は応えた。
「そうだな。俺もそんな感じだ。」
彼女は上半身を起こし後ろへ顔を向け、彼の顔を愛しそうに見つめた。
彼の胸に垂れ下がった、焔に照らされ輝いている美しい金髪を弄びながら彼は言った。
「風邪を引くといけないから、寝台の中へお連れしても宜しいでしょうか?」
「優しく抱いて行ってくれ。」
甘える彼女の顔を暖炉の焔がいっそう幸せそうに輝かせていた。
そんなかわいい顔をされると、彼の内なる焔がまた燃え上がってしまう。
いや、暖炉の外なる火が二人の内なる焔を燃やしたのかも知れない。
その焔が再び甘い抱擁を始めさせるのだ。
彼は起き上がると、暖炉の焔と彼の愛撫で薔薇色に染まったほっそりとした
彼女の身体を再び抱き上げ、互いに溶け合う至福の時を過ごすために、
寝台という名の坩堝の中へ互いを投げ込みにいった。

翌朝、目覚めると既に傍らにアンドレの姿はなかった。
明け方、オスカルは、アンドレが額に口付けをして寝台を離れるのに気づいたが、
朝方までの行為の激しさに気だるさが勝り、目を開けることさえできなかった。
彼女は思わず小さくため息をついた。
愛の告白をした時の自分は、ただの女でしかなかった。
眠ったふりをしていた時、彼が躊躇しながらも口づけした。
その途端、サビーヌの言葉が頭の中に蘇った。
(人生は短い。思いがけなく恋人を失ってしまうことだってある。
そうだ、あのけがで彼を失うかもしれないと底知れない不安に苛まれた。
あんな気持ちをまた味わうくらいなら、たとえ、受け入れてもらえなくても、
自分の気持ちを伝えなければ、きっと死ぬまで後悔するだろう。)
その瞬間、いつもの自分では考えられない行動に出た。
そして、発したことも無い言葉を思わず口から紡いでしまった。
その後は、毎夜、夢の中にいるようだった。
その上、昨夜の自分の言葉は、一体全体誰が言ったのだろうかと、
自分で問いかけたくなるくらいだった。
(私は、どうしてしまったのだろう?)

 

教会の降誕祭の深夜ミサに出席し、屋敷でレヴェイヨン(クリスマスイブの
夜通しの祝宴)を過ごした次の日、二人は約束どおりイル・ド・フランス地方の
エピネー・シュール・オルジェ町の上流、サント・ジュヌヴィエーヴの森に接した、
メゾン・グランディエ(どんぐり屋敷)に出かけることにした。
ヴェルサイユの屋敷からほんの数時間の距離だ。
グランディエ、古名グランディエルムがこの名になったのは、何時の時代でも
大量のどんぐりが収穫できるからだった。
つまり、年を経た石くれとシェーヌ(ナラ)の木々に囲まれた、古い様々な様式の
建築がちぐはぐに寄り集まった屋敷で、管理人の一族だけが、ひっそりと暮らしていた。
ジャルジェ家の持ち城としては、酷く美しさに欠けた寂しい屋敷だったが、ここ
が狩りに最適なように、二人にはこの人寂しさが最適だったのだ。

「どうして、ジャヌトンとピエールを連れてきたのだ?二人だけだと思ったのに…」
馬車の中のオスカルが、酷く不満げにアンドレの腕の中で、拗ねながら尋ねた。
「おばあちゃんが『誰も召使を連れずに行くなんて』と反対したし、狩りに行くと理由づけ
したのだから、仕方ないさ。旅行がだめになると困るだろう。彼らは、聖アンドレの日に、
俺が橋渡しして恋人になったのさ。だから、この旅行は恋人二組のお忍び旅行だ。つまり、
互いに邪魔されたくない者同士だ。いい考えだろ?オスカル」
「おまえ、意外に策士だったのだな。これからは、せいぜい浮気されないように
気をつけるよ。アンドレ」
機嫌を直した彼女は、クスクスと笑いながら、彼の頬に優しくくちづけした。

屋敷の管理人夫妻のベルニエ夫婦は、彼らの到着を歓迎してくれた。だが、しばらく経つと、
「かまわないでいい。」という女主人のオスカルの願いどおり、最低限の用事を済ますと、
管理人棟の方へ戻っていった。早速、恋人二組は、それぞれできるだけ離れた部屋に荷物を
運び込み、二人だけの世界へ浸ることにした。

「昔はこの屋敷のグランディエが、俺の名前に綴りと発音が似ていると言って、
よくおまえにからかわれたな。」
「そういえば、そんなこともあったな?あの頃は毎年秋の狩猟の季節には必ず滞在して、
父上が獲物を自慢していたな。夏に来ると、シェーヌの木に甘い蜜がでて虫が集まるから、
たくさん虫を取っては、姉上達を驚かせたよな。」
「そうだったな。じゃ、今の季節はおまえの甘い蜜に俺が群がるのかな?」
暖かい暖炉の焔の前で、二人で長椅子に腰かけ、ボルドー産のヴァンを楽しみながら、
幸せそうに微笑んでいるオスカルに、アンドレは、そんなからかいぎみの言葉を投げかけた。
彼女は思わず顔を赤らめ、恥じらいながら彼の胸に顔を埋めて、ひっそりと呟いた。
「おまえは、酷くいじわるな男だったのだな。からかって楽しむなんて…」
そんな言葉に彼は強く彼女を引き寄せ、答えのかわりに、顔を上げさせくちづけした。
そして、すぐにその唇を項から胸元へ移動させた。
「まだ、荷も解いてないのに、気が早すぎるのじゃないか?」
せめてもの抵抗にと、力のない言葉で責めてみるが、いっこうに唇の移動の速度は落ちない。
「そろそろ諦めてくれ、オスカル。おまえが欲しがった贈り物は、あの夜以来紳士で
いたから、我慢できないのさ。
それに、ここには一週間くらいしかいられないと思うから、時間がもったいないだろう?」
「ふふ、じゃ、潔く諦めるよ。本当に我侭な贈り物だな。
ねだる物を間違えたかな?アンドレ」
「残念でした、もう変更は受け付けません、マダム・グランディエ(どんぐり夫人)」
アンドレは、それ以上の言葉を発することが出来ないように、オスカルの唇をふさいだ。

その時から、オスカルの望んだとおり、一日中を二人だけで過ごした。
昼の遠乗りも、夜の語らいも、人目を気にせず、好きな時にくちづけし、抱きあい、
共に同じ寝台で眠った。
オスカルの食事の世話は言うに及ばず、何から何までアンドレがやってのけ、
他の人間達とは、できるだけ顔を合わせずに過ごした。

 

ある朝、ひんやりとした空気にふれ、早くから目がさめた。
寝台の帳が開けられており、傍らのアンドレは起きた後だった。
オスカルは、ふいに纏わりつくような情事の空気を払いたくなり、夜着と上着をはおり、
寝台を降り、その側の窓に歩み寄り、カーテンを開けガラスを手で拭い、
空の色を覗きこんだ。
いつもなら、どんよりした冬の灰色の空なのだが、珍しく今朝はモーブ色(薄紫)の
夜明けであった。
昔、片恋に悩んでいた時、ノルマンディーの別荘から見た朝の空も、
ちょうどこんな色の空だった。
(あれは、いつのことだったろうか?あの頃は恋に悩んでいても、もっと凛としていられた。)
思わず寂しさを感じたオスカルだった。
(ここに着いてからの満足感や幸福感はどこへいったのだろう。
一時でも彼が側から離れると、もう不満を感じてしまう。私はなんと欲深いのだろう。
いつもの私・・・大の男達を、荒くれた兵士達を叱り飛ばす自分・・・は、
どこに行ってしまったのだろう?情け無いだけの女になってしまったのだろうか?
でも、それはアンドレの責任ではない。自分のせいだ。それはわかってはいるのだが…)

先日、降誕祭の休暇前に王妃が「オスカルに誕生日の贈り物を渡ししたい」と言い出し
宮殿に呼ばれ、久しぶりに伺候した。
その帰りに、国防大臣ブロイ公の命令を受けに来ていたブザンヴァル男爵に偶然出くわした。
引きとめられ、彼の部屋で話をするはめになった。
「私は…大きな声では言えないが、残念に思っているよ。ジャルジェ准将」
「何を残念にお思いでございますか?将軍」
「昔、君が近衛隊連隊長の地位を得た時、こんな若い娘に何ができるかと思ったよ。
君は伯爵家の後継ぎとして育てられているとはいえ、爵位さえ継いだわけではなかったし、
実際、普通なら元帥が得る地位なのだからね。ところが、君は長年見事にやりとおした。
しかし、突然衛兵隊に転任し驚いたよ。
その上、最近では、あの荒らくれどもの兵士達を手なずけているとか風の噂に聞いたよ。
私は8年前から内陸地方軍の指揮を王から任されている。
来年は、大変な年になるだろう。正直言うとね、できれば、君に近衛隊に戻って欲しい。
そして、この混乱が予想されるヴェルサイユを守って欲しい。
上官のことを悪くは言えないが、正直言うと、デュ・シャトレ公爵やダフリ伯爵では、
如何にも頼りないからね。どうだね?」
オスカルは言葉につまった。彼からこんな提案があるとは思わなかったからだ。
「私は衛兵隊として、宮殿やヴェルサイユ、パリ警備に当たります。
近衛隊長の副官を勤めるジェローデルは、優秀な男です。
彼を隊長になさる方が宜しいと思いますが…」
「そういえば、少し前に彼との縁談があったそうだな。
それも私にとっては、困る話ではあったが、」
「はい。しかし、そういう個人的な感情ではなく、事実を述べているだけで
ございます。将軍」
「いや、これは失礼、そんな意味は無いよ。突然だが、君は…今、恋をしているのかね?」
「………」
「いや、いや、マドモアゼルに度々失礼を重ねてすまないね。
さっき従僕と二人で歩いているのをずっと見ていたのだよ。
以前の二人の雰囲気とは違っていたからね。
私は外国人のスイス人なのに、今の地位を得たのだ。
人の気持ちを読むのは得意なのだよ、天才かもしれないな。
私自身は、不粋な人間ではないし、別に彼との仲を咎めるつもりも無い。
君は以前より生き生きしているようだしね。
ただ、余計なことだが、周りの目には注意したまえ、これは友人としての忠告だ。
君だけでなく、彼のためにもだ、いいね。」
「…はい、ご忠告ありがとうございます。」
「引きとめて悪かったね、さっきの提案を考えておいてくれたまえ。」
彼の思いがけない言葉は、オスカルを動揺させた。
これほど、自分は軍人として評価されていると言う喜びよりも、女としての気持ちを
隠すことさえできていないのかと。

 

複雑な思いに浸って窓辺に佇んでいると、ふいに頬に暖かい唇を感じた。
「おはよう、オスカル。珍しく、今朝は早起きだな。何を物思いに耽っていたのだ?」
「おはよう、アンドレ。昨夜はおまえが思いがけず、よく眠らせてくれたからかな。」
「そうか、足りなかったかな?今日は雪がちらついているし、マダムに嫌われると
いけないから、一日中暖かい暖炉の前か、寝台でご機嫌を取りながら過ごすとしようかな、
いかがですか?マダム」
「…バカ、朝早くから何を言っているのだ。それより、お腹が空いた。」
「食堂ではなく、ここで食べようと思って、デジュネ(昔はこれが朝食に当たる)の
用意をしてきたよ。昨夜あまり食べられなかったから、お腹が空いているだろうと思ってね。」
「気が利くな、さすが私の恋人は優秀な従僕だな、ムッシュー・グランディエ(どんぐり氏)」
じゃれあいながらの朝の会話に、先ほどの複雑な思いは、しばし吹き飛んでしまった。

昨夜あまりスーぺ(夕食)を食べられないかった理由を思い出すと、
また恥ずかしくなるオスカルだった。
昨夜も食堂でなく、この部屋で食べていた。二人だけの食事なのに、ディネ(昔は昼食に
当たる正餐)の時間に遠乗りで外出していたこともあり、ベルニエ夫婦がオスカル
のために用意した豪華な食材をもったいないと主張し、無理にスーペに回した。
互いにヴァンのグラスを持ち、腕を交差させわざとややこしくして、自分の口へ運んだ。
オスカルは、何回目かにとうとう失敗し、ヴァンをこぼし着ている物を汚した。
そこで、あわててアンドレが服を用意して、着替えることになった。
「恥ずかしいから、衝立のあちらへ行くか、向こうを向いてくれ、アンドレ。
着替えるのだから…。」
「ここで見ているよ。」
「だめだ。絶対ダメ!」
「残念だな、じゃ、向こうを向いているよ。それでいいだろ、オスカル」
「本当に約束だぞ。」
すばやく着替えようと服を脱ぎ終わった途端、抱き上げられ寝台へ運ばれた。

「約束がちがうじゃないか、アンドレ」
「そんな約束…忘れた。おまえが、あんまり可愛いことを言うからいけないのだ。
それに、冬の牡蠣とトリュッフを食べたすぐ後だもの…我慢なんかできないさ。
…おまえには効かないのかな?」
「牡蠣とトリュッフとこのおまえの暴挙に何の関係があるのだ?」
寝台の上で彼の胸を両手で押しとどめ、ささやかな抵抗を示しながら、彼の隙をつくため、
わざと聞いてみた。
「あれに効くのさ、つまり、催淫剤の効用があると言われているのさ。
わかったか?オスカル」
「……」

彼の言葉に驚いて、隙ができてしまったのは、オスカルの方だった。
結局、その後は彼の思いのままだった。
しかも、激しく愛しあった後で何を思ったのか、彼は気だるそうに寝台に
うつぶせているオスカルの背に、食事の残りのクリームを少し塗り付け舐め始めた。
「冷たい!背中に何をつけたのだ、やめろ、本当に怒るぞ!アンドレ」
美しい眉を寄せて、本当に平手打ちでもしそうな彼女の顔を覗きこみ、
彼はクスクスと笑いながら答えた。
「俺は、まだお腹が減っているのだもの。おまえを食べ足りないから…。
この屋敷にいる間は、マンジャーレ、カンターレ、アモーレ(『食べて、歌って、
恋をして』の意味の伊語)のイタリア人のように過ごす予定さ。」
そういうとまた舐め始め、とうとう身体中に口付けの雨を降らせて、
彼女の怒りさえもどこかへ飛ばしてしまった。

彼女は、この屋敷へ来てからのアンドレの態度を不思議に思っていた。
いつもなら彼が感情の波の激しい自分を止める方なのに、今回ばかりは彼の方が
はしゃぎ過ぎていた。
しかも、いつもの落ち着いて上品な態度ではなく、いささか度が過ぎるくらいに
品の無い態度を取ることもあった。

 

デジュネのショコラを飲む手が、止まりがちになるオスカルの口元へふいにくちづけし、
アンドレは聞いた。
「どうしたのだ、オスカル。身体の調子でも悪いのか?」
「いや、何でも無い。ちょっと考えごとをしていただけだ。」
「食事が終わったら、入浴の準備をするよ。俺のいたずらのせいで、気持ち悪いだろう?」
「う、うん、そうだな。」
「一人で入るのは寂しいか?二人で入るか?」
「バカ!こんな朝早くから、おまえおかしいぞ、アンドレ!丁重にお断りするよ。
ジャヌトンに手伝ってもらうからいいよ。」
「そうか、残念だな。ウィの返事を期待したのに。オスカル」
「平手打ちがいいか、それとも、クッション投げの標的にされたいか、剣の稽古に
しようかな?まだ、足りないな。新しい銃の練習の的になるなんてどうだ?
私のお得意だぞ。私の愛をいやというほど弾に込めてやるよ。アンドレ」
「おお、恐ろしい!マダムを本気で怒らせてしまったみたいだ。
では、私は湯浴みの準備に退散いたしますよ。」
「その方が懸命だな。ムッシュー・グランディエ(どんぐり氏)」
恐ろしげな言葉とは裏腹に、彼女は華のような微笑で愛しい男を見返した。

部屋の扉の前まで来ると、彼は突然振り向き愛しい女に飛びきり優しい瞳を向け、話しかけた。
「じゃ、湯浴みのあとは、今日は一日中服を着ないでいてくれ、マダム。
脱がす手間が省けるからな。」
「それは、命令ですか、それとも、お願いですか?ムッシュー」
「いや、どちらでもないよ。美しい恋人に対するただの『男のわがまま』さ。」
彼女は、パタンと扉を閉めようとした彼に向かって、思いきり手近なクッションを
投げつけてやった。扉を閉めた本人も、かなり調子に乗り過ぎだと自分でも思った。
でも、今回の滞在はいつもと違うので仕方ないだろう。

 

日はすぐに過ぎ去り、明日はヴェルサイユの屋敷に帰ることとなった。
その晩、いつものヴァンより強い酒であるオー・ド・ヴィ(命の水の意、
コニャックのこと)を、二人で飲んでいた。すると、ここに着いて初めてくらいの珍しさで、
アンドレが真面目な顔で話し出した。
「オスカル、おまえはパリと同じで、『フルクトゥアット・ネック・メルギトゥール
(たゆたえども沈まずの意、パリ市のラテン語の標語)』という言葉が似合う女性さ。」
「なんだ、突然、何が言いたいのだ?アンドレ」
「おまえが、俺と恋人になったことを喜びつつも、戸惑っているのは、何となく
わかっていたのさ。俺もそうだったからな。」
「……」
「最初は嬉しくて堪らなかった。そして、次におまえの名誉を汚すのではないかと
心配になった。そして、ここへ来てからは、自分でもバカじゃないかと思うほど、
落ち着かなくなって…でも、おまえも同じだと気づいて分ったことがあるのだ。
いや、おまえの言葉が真実かなと思えるようになったのさ。オスカル」
「何に気づいたのだ?アンドレ」
「おまえは、いかに強い雨風で水面が荒れようとも、揺さぶられるだけで、
沈むことのない舟のようなしなやかさを持った女性だってことに気づいたのさ。
ガラス細工の人形ではなくて、俺が常に心配りしなくてはいけないだけの存在でもない。
だって、ここでは、俺は落ち着かなくて、はしゃぎ過ぎていた。
そんな俺に呆れながらも、気長に相手をしてくれただろう。
いつもなら、それは俺の役目なのに。やはり、女性の方が、男性より強いかもしれない。 」
「それは嬉しいお褒めのお言葉だ。たまには、私でもおまえの役に立つこともあるのだな。 」
「ああ、十分役に立ってくれているよ。おまえに愛されることは、俺に人間としての
自信を与えてくれる。
それに、ここにいる間にこれだけベタベタしていたのだから、ヴェルサイユに帰っても、
しばらく紳士でいられそうだよ。」
「ふふふ、それは、怪しいな?でも、私も今わかったことがあるぞ。アンドレ」
「何だ、それは?オスカル」
「私が誕生日祝いに貰った贈り物は、最高の男だったってことさ。
確かに、私も自分自身の心の変化に戸惑っていた。
まるで、自分がただの情け無い女になってしまったような錯覚を
覚えていたが、時間をかければ大丈夫だと思い始めたよ。
だって、これだけの期間を二人だけで過ごしたから満足したのだ。
ヴェルサイユで感じていた不安は、ただおまえと二人だけで過ごす時間が少ないから、
不満が強かっただけなのかもしれない。
それに二人の関係は、時により、場所により、変えなければならない。
こんな簡単な事に慣れていないだけだったのだ。
これだけ二人だけでいると心が安定して、何でも耐えられそうな勇気がわいてくる。
それに、もう一つわかったことがあるぞ。ラ・ロシュフコーは言葉が足りないな。
成就した恋でも、絶えず火かき棒でかき立てられているような恋もあるぞ、
『身分違いの恋』だ。そう思わないか、アンドレ」
「オスカル、おまえ…、やっぱり、詩人か作家になれそうだな。」
「残念だな、そんなに褒めてもらっても、もう何も出ないぞ。アンドレ」
「いや、まだ一晩あるから、"炎を包んだ氷の花"を存分に味わわせてもらうさ。」
そう言いながら、彼は少し強く彼女の腰を自分の方へ引き寄せ、耳元で囁いた。

彼女は大事なことを思い出したとでも言うように、彼にせがんだ。
「そういえば、おまえがものすごく欲しいものは、何か聞いたことがなかったな?
私は大貴族なのに節約家だから、はっきり言ってくれないと、
くちづけしてやらないぞ、アンドレ」
「ジュ・トゥ・ヴー、こんな科白でよろしいでしょうか?マダム」
「ああ、とっても満足だ。くちづけすることを許可する。ムッシュー」
「では、お許しをいただいたので、遠慮無くさせていただきますよ。」
「いつも、許しなんて得てないくせに。」
「もう、うるさいな、オスカル。せっかく良い雰囲気だったのに。俺の恋人として、今回
の俺からの誕生日の贈り物には、満足していただけましたでしょうか?」
「はい、大変満足致しましたよ。私の愛しい恋人殿」
そう言うと、クスクスと優しく笑いながらオスカルはアンドレの唇にくちづけした。
それが合図となって、彼は旅行の最後の夜を楽しむために、彼女を寝台へ運んだ。
彼女は、彼の熱い唇を首筋に感じながら、ぼんやりと考えていた。
(今年の誕生日は、愛し愛される恋を得て、さらに恋の悩みまでをも経験した、
忘れ得ない年になったな。
来年の誕生日は二人で迎えることができるのだろうか?)
でも、次第に彼の愛撫が激しくなると、彼女は何も考えられなくなった。
そして、暖炉の焔よりさらに熱く二人は燃えていった。                    

FIN
BackするHomeへ戻る掲示板へ
このページの素材をいただいたサイト
Backgrounds By Marie