The 4rd Report with Shin buddhism II and History of Shin Buddhism
研修レポート4「真宗II」「真宗史」
「正信偈」の組織と内容について
正信偈は、大きく分けて依経段と、依釈段の二つになる。
依経段は『無量寿経』によって、その教えのあらわすところの
行、信、証を述べてあり、依釈段はその『大無量寿経』の教義を
相承された三国七高僧の釈義に依って述べてある。
依経段の中で、はじめの「帰命」、「南無」の二句は、聖人自
らの信を表白される帰敬序であり、次の「法蔵菩薩」以下「必至
滅度」までは、弥陀の因願と果力とを示す弥陀本成分のこころを
延べ、「如来所以」より「難中之難」までは釈迦指勧分のこころ
を述べられたものである。そして、弥陀本成分のこころを述べる
中で、「一切群生」までは弥陀成仏の因果をあらわし、「本願名
号以下は、衆生往生の因果を明らかにされている。
その中で「本願名号正定業」は、真実行を明らかにし、「至心
信楽願為因」は、真実の信を明らかにし、「成等覚証大涅槃 必
至滅度願成就」は、真実の証を明らかにされるものである。つま
り、真実の大行である名号を信ずるばかりで、必至滅度の証果を
証することを得るという、唯信独達すなわち信心正因の法義を示
されているのである。
そして、この意味を伝承されたのが、三国の七高僧であるとさ
れ、龍樹・天親・曇鸞・道綽・善導・源信・源空の七高僧の教え
を述べられたのが依釈段である。
その中、はじめの「印度西天」等の四句は、七祖全体を延べ、
「釈迦如来」以下は、七祖各々の釈義について明らかにされたも
のである。そして最後の「弘経大士」等の四句は、七祖を結んで
広く道俗一般に、七祖の相承されたところの『大無量寿経』のお
こころをいただくべきことを勧められたものである。
つまり、七祖の論釈によって弥陀の本願をあらわされたのであ
り、弥陀の本願の救いは宗祖のつくり出されたものではなく、七
高僧によって伝えられたものであることを依釈段では明らかにし
ているのである。
専修念仏弾圧はなぜ生じたか、その基本的理由について
東山吉水で説かれている法然上人の専修念仏の教えは、年毎に
信者を拡大していき、洛中において著名な存在となっていった。
これに対して、旧仏教徒たちは政教一致の立場から、専修念仏
の教えは、仏教と国家政治を破壊するものとして指弾したために、
朝廷としても放置するわけにはいかなくなってきていた。実際に
専修念仏の教えは非権力的性格を内在するものであった。
承元元年(1207)2月、ついに朝廷は法然教団に対する弾
圧を開始した。これを、承元の法難と呼んでいる。
この弾圧の基本的理由は、国家権力と専修念仏とが厳しい対峙
関係にあったからである。すなわち、専修念仏の教えは、在家信
者に対して念仏の価値のみに従属して生きるべきことを示してい
るために、それは社会において一人ひとりの人間の自立を促すと
ともに国家権力の価値を相対化させ、ひいてはその支配力を弱体
化させる働きをもっていたからである。また、従来日本において
は、宗教と国家権力が一体となる思想構造をもっていたのだが、
それを根底からくつがえすものでもあったからである。このよう
な政治的・社会的意味をもった専修念仏の教えが、公家政治を再
編しようとする朝廷権力と、武家政治を不動のものにしようとす
る幕府権力とが渦巻く鎌倉社会において、これら両権力およびそ
れらと一体化している旧仏教と軋轢を生じることは、必然のなり
ゆきであった。専修念仏の教えが純粋に守られる限り、封建社会
の諸権力との対峙は避け得ないものであり、この後も相次いで念
仏禁制の諸策が施され、専修念仏者の活動が少しでも旺盛になる
と、強権を発動して弾圧をくり返したのである。
この中で、宗祖は専修念仏を弾圧する政治権力を厳しく批判さ
れるとともに、国家の求めるような僧侶ではなく(悲僧)、国家
が軽蔑するような僧侶(愚禿)であるが故に、真実の仏教者(非
俗)であると確信され、その立場を明らかにされていた。ここに
宗祖の主体性−金剛の信−の一端をかいまみることができる。
(中央仏教学院通信教育部専修課程2年次課題第2回提出レポート)
西順寺衆徒のページへ戻る 研修レポート3 表紙へ戻る