住職後継者の「期待」にこたえる悩み
私自身の体験を振り返ってみてFBUDの会議室にある方への助言のつもりで
書いたものに、加筆修正を加えて公表しますので、ぜひともご意見やご感想
をお寄せいただけるとありがたく存じます。
私の場合、長兄が8歳年上で早くから理工系に進路を決めてしまっていた
のに対して、大学院に進学して研究者をめざしていたのが、博士課程に進学
するだけの力がなくて、その構想は挫折して、次いで、公立高校教員で専門
を生かそうとしたらいつのまにか「教育」にふりまわされるようになってし
まい、最後はどうもうまくいかないということで、3年間休職して実家の寺
院に身を寄せる中で、退職金をあてにして実家の隣に家を建てるなどもして
しまい、ただただ親鸞への信頼感から得度して僧侶の道を歩み始めて、2年
4ヶ月になります。
FBUDの会議室に書かれた内容は状況的によく似ているのですが(好きだっ
た人のこととか)、年齢はかなり違いますから(私は現在44歳)、まだま
だむしろもっと悩んでいいのではないかと思います。現在の私は、父である
住職が健在なことをいいことに、かなり気ままに過ごしていますが、その中
で、本当にやりたいことが何なのかがはっきりしなくて、しかも実際に住職
としてやっていけるのかどうかの不安が大きくて、ずっと悩み続けそうです。
真宗の場合には住職の世襲が積極的な意味をもってきた点があるとしても、
職業選択の自由がない人権を抑圧された被差別的とさえ思える境遇に現在で
は置かれていて、特権階層ではありえない訳ですから、そこで居直るしかな
いし、その「決意」は大変なことは重々わかります。また、真宗としての信
心を貫くにも習俗と俗世間に埋もれた葬式仏教化している面は良心的に考え
ると大変な「壁」にさえ思えますが、御同朋御同行の立場にたつのも実際に
はなかなか難しいですね。まじめに考えすぎないようにしなくてはいけない
のでしょうね(^^;
でも結局は、人あってこその真宗、門徒にささえられているのが真宗(い
い意味でも、困った意味でも)であるのでしょう。ともあれ、私自身は早く
(といってもあと2年かかる見込みです)教師の資格をとって住職の継承を
できるところまで、なんとか精神的にももっていきたいなあというのが偽ら
ざる心境です。
今の「寺」のありように疑問をいだくのは自然で、一度は「寺」を出るべ
きである、という阿満利麿(『日本人はなぜ無宗教なのか』ちくま新書)の
主張に共感してしまう私は、はたして住職になれるのでしょうか?
(97/04/18(金)FBUDの会議室にコメントとして投稿したものに加筆修正)
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