所長の研究会紹介
経済地理学会
日本の地理学界を代表する学会は日本地理学会で、所長は大学院生の時より20年間も会員であったが、1994年度限りで退会した。人文地理学会についても同時に退会している。学会の話題と現実の要請とのずれを非常に感じているが、所長が専門としてきた経済地理学については退会できないでいたが、1997年度限りで退会届けを提出した。季刊の学会誌『経済地理学年報』の購読もやっとであるため、断腸の思いでの決断である。地域情報究所の名前にふさわしい研究活動は継続していて、最近は、徳山ダムや東海環状自動車道などの地域問題に関心を寄せている。1997年の研究大会は5月25日に日大文理学部で農業問題をテーマにして開かれ、その内容をまとめた『経済地理学年報』は久しぶりに読み応えがあった。1997年からホームページが開設された。
【事務局】一橋大学東校舎経済学部経済地理学研究室内 TEL 0425-72-1101 内線 5374
gakkai@econgeog.misc.hit-u.ac.jp
地理教育研究会(地教研)
日本の地理教育をリードしてきた民間教育研究運動の研究会の中でも発足は古い方で、所長は大学生の時から年刊の機関誌『地理教育研究年報』(その後『地理教育』)を購読し、大学院修士課程を修了してからは、ほぼ毎年、夏の研究大会に裏方として参加してきた。かっては常任委員も引き受けていたが、ここ数年は体調が悪かったために、大会にも参加できないでいた。地理学科の出身者が会員の中心になっているが、長らく会の代表をされていた木本力氏が1995年春に亡くなられたことは大変に残念である。1997年の研究大会は北海道の小樽で7/29−31と開かれた。1998年夏の研究大会は広島で開かれた。なお、1996年7月限りで所長は退会してしまった。
【事務局】筑波大学附属駒場中・高校気付
歴史教育者協議会(歴教協)
日本の科学的な歴史教育の教育研究運動の草分けで、月刊の機関誌『歴史地理教育』は所長が高校教員になった時から直接購読(=全国会員)してきていて、恐らくこの先もずっと購読していくと思われる。特に最近、東大教授の権威も使って藤岡信勝氏らが「近現代史の見直し」を日本の保守反動の体制に合致する内容で『社会科教育』及び『教育科学』誌を根城にして運動を進めてきたことに対して、所長は早くからその危険性を警告してきており、1995年秋以来『歴史地理教育』の「読者のひろば」欄に連続して投稿が掲載された。1996年の研究大会は仙台で開かれた。1997年夏の研究大会は大阪で開かれ、1998年2月からはメーリングリストが開設されている。1998年夏の研究大会は東京で開かれ、所長は参加することができた。1999年夏の研究大会は奈良で開かれた。
【事務局】TEL 03-3947-5701 FAX 03-3947-5790
全国民主主義教育研究会(全民研)
道徳、公民、政治経済、倫理の研究と実践とともに民主主義的な集団つくり、文化運動にまで幅広い対象をもった研究会で、社会科が攻撃された時には槍玉にあがった。所長が高校教員になって、倫理社会(倫社)や現代社会を教える必要に迫られて入会して以来、特に現代社会の研究と実践で大会発表する機会があった。近年、藤岡信勝氏の主張と運動に同調する動きもあって、なかなか複雑な研究状況にあったが、季刊の機関誌『未来をひらく教育』では直接の言及はされてこなかった。会報では、相当な激論が交わされていた。1997年の研究大会は蒲郡で7/29−31と開かれた。なお、1996年7月限りで所長は退会して、機関誌の定期購読に切り替えたが、これも1997年12月限りで取りやめてしまった。
【事務局】服部方 TEL 0423-25-2769
日本の障害者の教育問題を中心とするところから運動を広げて、現在では日本障害者協議会(JD)の中心的な研究・教育・運動団体となっている。所長はパソコン通信を通じてこの研究会にかかわり、「みんなのねがいネット」に参加していた。所長は夏の全国大会には過去には連続して参加しており(新潟・京都・名古屋)、特別分科会「パソコン・ワープロと障害者」に参加してきたが、2000年3月限りで退会してしまった。
身近なところでの「パソボラ」(パソコンボランティア)を目指して、1997年の3/15−16と早稲田大学で初めて開催されたパソコンボランティアカンファレンス(PSVC)には要員として参加した。1997年の研究大会は東京で8/1−3と開かれた。この大会に間に合わせて開設されたホームページは、1997年10月1日に正式にオープンした。1998年2月のパラリンッピク関連文化行事として、第2回のパソコンボランティアカンファレンスが長野で開催されて、これにも所長は要員として参加した。1998年夏の研究大会は大阪で、1999年夏の研究大会は仙台で開かれたが、日程の都合で所長は参加できなかった。2000年夏の研究大会は神戸で、2001年は鹿児島で開かれる予定である。また、第3回のパソコンボランティアカンファレンスは1999年春に東京で開かれ、2000年10月に横浜で第4回のパソコンボランティアカンファレンスが開かれた。
【事務局】TEL 03-5285-2601 FAX 03-5285-2603 みんなのねがいネット 03-5285-2606
学校図書館問題研究会(学図研)
図書館問題研究会の中の学校図書館関係者が中心になって結成し、資料提供を中心とする学校図書館の充実のために、実践と理論との両面から力を入れて取り組んでいる。近年は「学校図書館に人を!」を合言葉に、「専任・専門・正規」の学校図書館職員を配置するべきであるということでの合意が形成されており、対外的にも積極的な働きかけをしている。所長は元々本好き人間であることもあって、元の職場で学校図書館職員(学校司書)との交流があって、この研究会に参加するようになった。1996年の研究大会は京都で8/4−6と開かれ、所長も参加した。この報告集=機関誌『がくと』12号は1997年初頭に刊行された。1997年の研究大会は千葉の幕張で8/4−6と開かれて所長も参加したが、「ムーンライトながら」での往復はさすがにきつかった。1998年夏の研究大会は熊本で開かれた。1999年夏の研究大会は東京で8/5−7と開かれ、所長は写真係として参加した。2000年夏の研究大会は新潟(越後湯沢)で開かれた。なお、所長は2000年6月限りで退会してしまった。
【事務局】笠川昭治 TEL&FAX 0467-57-3607
YRN00221@nifty.ne.jp
戦後の連続した災害問題に取り組む中で「現地主義・住民主義・総合主義」の三原則を理念に、総合的な研究運動団体として国土問題研究所が当初は東京に設立されて活動していたが、その後活動の中心は京都に移った。所長は大学の卒論の時の徳山ダムの問題以来、ダム・水資源問題や災害問題には強く関心を持っていたことが、この研究会への参加の動機である。所長は安八の水害の調査では関東事務局を引き受けたが、その後は積極的にはかかわれていないけれども、一番に関心のある分野の研究会である。1996年6月16日には京大会館で「シンポジウム・いまダム計画を問う」が一日かけて開かれ、百名以上の参加があった。ダム問題継続討論の例会が1996年9月7日に国土研事務所で開催され、シンポジウムの報告者が原稿を新たに書き起こして機関誌『国土問題』52号が1996年10月末に刊行された。さらに、1996年12月15日には京大会館で「シンポジウム・公共事業を問う」が開かれ、30名の参加であった。この内容は『国土問題』53号として刊行された。1997年度の総会は6月8日午前10時から京大会館102号室で開かれ、午後1時から5時までシンポジウム「乱開発をめぐって」が開かれた。1997年7月よりホームページが開設され、メーリングリストも運用され、1998年3月末に事務局にパソコンが入った。
【事務局】TEL&FAX 075-241-1373
kokudo@ma2.seikyou.ne.jp
教科書問題を考える市民の会
1980年代の初めに教科書攻撃が激しくなった時に、教科書の問題を市民の立場で自由に考え運動していこうということで始まった研究会は、毎月の例会と9月の集会に毎月の会報ということで続いてきた。設立の中心メンバーもここまで続くとは思ってはいなかったようだが、それだけ教科書検定をはじめとする、教科書の問題が大きいことを意味している。当初はかかわっていなかったが、沖縄への対馬丸追悼の旅の後、バックナンバーがまとめて送られてきたことから、かかわりを持つようになった。最近の会報には、第3次教科書攻撃ともいえる藤岡信勝らの従軍慰安婦削除要求運動に対して厳しい批判の声が寄せられている。1997年9月27日には第24回「つどい」が50人も参加して開かれ、活発な意見交換が行われた。1997年10月25日(土)13時半−16時半にはカンダパンセにて「教科書に真実と自由を」第2回シンポジウムが開かれた。第3次教科書攻撃が激しくなっている中で、諸般の事情から1998年3月号の発行を最後に解散となってしまった。
高嶋(横浜)教科書裁判を支援する会
横浜教科書裁判は現代社会教科書の不当な検定に対して、提訴当時は筑波大学付属高校教諭(現在は琉球大学教授)の高嶋伸欣氏が始められた裁判で、家永教科書裁判を引き継ぐような意味も込めて行われている。裁判は書証から本格的な証人調べに入ったところであり、大変に興味深い段階に入っている。この裁判の支援を個人のサポーターの自由な立場から取り組んでいるのが、この会である。所長は原告や事務局の方とは面識があることもあってこの会に当初から参加してきた。12月18日の第7回証人尋問には原告・高島伸欣氏と俵義文氏(出版労連)が出席され、横浜地裁での傍聴には所長も初参加した。1997年に入ってからの2回の公判では教科書編集者の証人尋問が行われ、貴重な証言が得られた。5月14日には第10回証人尋問として原告・高嶋氏への主尋問が行われ、被告・国側の反対尋問は、7月9日(水)13時半−16時に行なわれた。9月24日には安川寿之輔氏(福沢諭吉)と大濱信広氏(現代社会)の原告側主尋問が行われ、所長も新幹線で往復した。11月5日に反対尋問が行われ、やはり新幹線で往復した。12月24日に行われた結審の最終弁論もなんとか傍聴することができた。判決は1998年4月22日午前10時(午前9時半傍聴抽選)に横浜地裁仮庁舎(横浜家裁南隣)と決まったので、所長は横浜駅東口のホテルに前泊して、勝訴することを期待していたところ、予想通り一部の検定が違法とされた。原告、被告とも控訴することになったので、今後、東京高裁に審理は移るため、全国からの支援が望まれる。4月22日当日のドキュメントは所長のメモである。控訴審の第1回口頭弁論は10月26日(月)東京高裁で開かれた。これに伴い、今後は高嶋(横浜)教科書裁判と呼称変更することになった。1999年夏になって、文部省に東京高裁から検定資料提出命令が出され、文部省の抵抗で口頭弁論の日時が決まらず、審理はストップしていたが、ようやく再開されて、次回は勝海舟研究の第一人者である松浦氏の証人尋問が行なわれ、次々回で結審することとなった。
【事務局】TEL 045-671-9282 FAX 045-664-7822
2000-12-30改訂
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