読書記録(どくしょきろぐ)
== オンラインストア&書評 ==

from hage.exblog.jp


読書記録゛
(どくしょきろぐ)
ブックストア
by hajime_kuri

トップページ


ブックガイドのトップへ

2004年2月
2004年3月
2004年4月
2004年5月
2004年6月
2004年7月
2004年8月
2004年9月
2004年10月
2004年11月
2004年12月
2005年1月
2005年2月
>>2005年3月
2005年4月
2005年5月
2005年6月
2005年7月・8月

 

ジャンル別
ベストセラー

 
 

2005年3月のブックガイド

このページはシーサーブログで2005年3月に掲載した書評・映画評覧で構成されています。
新規の書評は
ここ、シーサーブログの「新・読書記録゛(どくしょきろぐ)」
でお楽しみいただけます。


「強襲部隊 米最強のスペシャル・フォースの戦闘記録」マーク・ボウデン 早川書房
「ジョゼと虎と魚たち 」
「スウィングガールズ」
「トルク」

 

「強襲部隊 米最強のスペシャル・フォースの戦闘記録」マーク・ボウデン 早川書房
1993年10月3日、内戦が続くソマリアの首都モガディシュにアメリカ軍特殊部隊が空挺降下した。デルタ、レインジャー、SEAL、PJ(パラジャンパー)など陸・海・空軍の精鋭99名からなるこのタスク・フォースの任務は、国連の平和活動を妨害する武装組織アイディド派の最高幹部を拉致すること。順調に行けば一時間足らずで終わる簡単な作戦のはずだった。 映画「ブラックホーク・ダウン」の原作となった戦争ドキュメンタリーである。
数の上では、アメリカ軍の一方的な戦いであるが、ソマリ側の民間人にとけ込み、民間人を楯とした人海攻撃のすさまじいこと。そして、敵味方の区別無く、激戦の中で、いかに簡単に、手足がちぎれ、指が飛び、体がつぶれ、うめき苦しみ泣きながら死んでいく人間たち。
一人の負傷者を救出するために10人の犠牲もいとわないアメリカ特殊部隊兵と、勝利のためには死者もやむなしとするソマリ側の戦術。これはアメリカを代表とする西欧とアジア・アフリカの戦争観の違いの戦いでもある。現在の対テロリズムの戦いのスタートでもあるといえようか。
この作品は、公式の軍の記録が忘れようとしていた戦闘を、一ジャーナリストが歳月をかけて収集したデータで再現した者で、その中にはソマリ側の人間の証言もしっかりと残されている。
これを機に、アメリカと国連は、権力闘争を続け、復興を二の次にしているソマリアから手を引いてしまった。
この本の発行時、すでにソマリアに注目する外国ジャーナリズムは無かった。世界中から無視されたソマリアの中で、彼らはまだ権力闘争の内戦を続けている。そして、国民は死に続けている。
映画「ブラックホーク・ダウン」は、この作品の忠実な映画化である。どちらも、戦争の本質をよく描いている。戦争のばからしさ、そして皮肉なことではあるが、その戦争の戦闘の中で、人は勇気や、悟りや、日常の素晴らしさを感じたりもするのである。
強襲部隊―米最強スペシャル...
ブラックホーク・ダウンBLACK HAWK DOWN


↑このページのトップへ


「ジョゼと虎と魚たち 」
大学生の恒夫は、乳母車に乗って祖母と散歩するのが日課の自称・ジョゼこと、くみ子と知り合う。くみ子は足が悪いというハンディキャップを背負っていたが、自分の世界を持つユーモラスで知的な女の子だった。そんな彼女に恒夫はどんどん引かれていき、くみ子も心を許すが、ふたりの関係は永遠ではなかった。
障害者映画というレッテルに騙されてはいけない。これは純然たる恋愛映画だ。それもすばらしく上質の。
47歳のハゲオヤジ(俺)の眼に涙を溢れさせた佳品である。決して悲しい話ではない。若い二人が、恋愛を通して自立する話である。むしろ切ない。すごく切ない。
特に感動したのは、ジョゼと恒夫がお互いの気持ち知るシーン。
ジョゼは恒夫にどんどん惹かれていくのを恐れてもいる。なぜなら恒夫には健常者のしかも、とびきれ美人のガールフレンドがいることがわかったから。
もう自分の世話を焼きに来ないで、と恒夫に「帰れ」というジョゼ。恒夫もジョゼに惹かれている。がっかりして帰ろうとする恒夫に、
「帰るのか?」
黙って背中を向けている恒夫。でもその言葉に、動きは止めている。
ジョゼは恒夫ににじり寄ると、そのちいさな拳で背中を叩きながら、
「帰れ。帰れといわれて帰っちゃう奴は帰れ」と泣く。
そして「ここにいて・・・、ずっといて」とつぶやく。
思い出しただけで涙が出る。池脇演じるジョゼのいじらしく可愛らしいことよ。
二人は一年間同棲する。
やがて二人は別れる。恒夫のモノローグは「僕が逃げた」と言っているが、それは違う。そして違うことを恒夫も気づいてはいる。
ジョゼは、恒夫に対する甘えと依存の気持ちが自分自身をスポイルしていることに気づいていたのだ。それは初めての旅行に出かける前の幼なじみとの会話で示唆される。そして、旅行で泊まった「お魚の館」でのジョゼのモノローグ。
ラストシーン、一人で生きていくジョゼの姿がそれを物語る。そのためには恒夫との恋は終わるべくして終わらなければならなかったのである。二人の思いは決して醒めてなどいないのである。それは、恒夫の号泣であきらかだ。
「分かれても友達のようになれる恋人もいる。でもジョゼにはもう会えない」
それは恒夫が今もまだジョゼを深く愛しているからなのだ。
にもかかわらず、アマゾンのカスタマーず・レビューの中には、
「明らかに健常者によって人生を変えさせられた障害者の人生が目に入る」と書いてあるものもある。
馬鹿だなあ。映画の見方が皮相的だよ。
この映画の切なさは、障害者云々を超えた「普遍性」を獲得している。
まあ、俺に騙されたと思ってこの映画を見て欲しい。ユーモアも十分ある。泣けるといっても「世界の中心〜」のような幼稚な涙じゃないから安心してくれ。
追記
ジョゼは、自分の幸せに対比して、恒夫が今後も同様に幸せであるか自信が無かったのではないかと思った。
本来、恋とはお互いが同様に幸せであるが、そのバランスが崩れたと思った時から別れが始まる。これは障害のあるなしに関係ない。ただ、ジョゼは自分の障害故に、それに自信が持てなかったのだろう。
二人の最初で最後の旅行は、別れを覚悟したジョゼが、最後に思い切り恒夫に甘えたかった旅なのだ。そう気づくと、そのいじらしさに、俺は再び涙ぐんでしまう。
確かに障害は壁であった。ただそれは二人を隔てる壁ではなく、ジョゼの心の中の超えられない壁だったのだ。
だが、俺たち観客は、それが違うことを知っている。恒夫の涙を見ているから。あの涙で、ジョゼが同様に恒夫を幸せにしていたことを知っているのだ。
ラスト、一人で生きていくジョゼの姿に、彼女が必ずやその心の壁を超えるときがくることを信じている制作者たちの想いが伝わってくる。不器用な二人の切ない恋の終わり。にも関わらず、不思議なさわやかさがあるのは、そのためだ。

↑このページのトップへ


「スウィングガールズ」
野球部の応援に行った吹奏楽部にお弁当を運んだ補習クラスの女子だったが、炎天下、チンタラ運んでいたせいで、お弁当は腐り、吹奏楽部は体調を崩してしまう。ひとりだけお弁当を食べなかった男子・中村は、即席吹奏楽部を作ろうと思いつく。責任をとらせようと補習クラスの女子を誘うが、吹奏楽をやるには人数が足りなかったため、ビッグバンドでジャズをやることに。でも女子たちは楽器などロクにやったことがなかった…。
青春物語の王道ストーリー。
ひょんなことから、未経験のことにチャレンジして、反発しつつも、その魅力に取り憑かれて、最後は成功する。
そのストーリーの中で、どれだけ楽しませてくれるかが、この手の映画の魅力だが、これは期待を裏切らない出来である。今風の(でも田舎の)高校生たちが、笑わせてくれる。
また往年のジャズ映画に対するオマージュにもなっているのが嬉しかった。
クライマックスのコンサートシーン、「スイング・スイング・スイング」を演奏して観客の心をつかむところなど、「ベニー・グッドマン物語」です。他にも、昔見た、「グレン・ミラー物語」や「五つの銅貨」とかを彷彿とさせるシーンがある。
また、彼女たちを取り巻く連中もひねりが利いていて面白い。
DVDを買って悔い無しでしょう。何回も見たい映画だからね。

↑このページのトップへ


「トルク」


誰にも負けないスピードと、ライテクを持つフォードは、ドラッグ売買の疑惑をかけられて姿を隠していたが、住み慣れた街に戻ってくる。しかし、敵対するバイカーギャングの一員が殺され、フォードは再び、身に覚えのない罪で命を狙われることになる。ロスに向かって突っ走れ、ドラッグ売買の組織に報復し、なおかつ自分の冤罪を晴らすために!というと、すごく練られた映画みたいだけど、これはもうスピード感と、バイクと、音楽と、いい女を楽しむだけの、空っぽ映画。それはもう潔いほど、すっからかん。気持ちいいです。
見終わった後に、何も残らない、というのはある意味貴重かもしれない。

↑このページのトップへ



(C)2004 , hage.exblog.jp

 Amazon.co.jpアソシエイト

管理者サイト

デジタル文芸
(デジブン)

そこはか通信

青空文庫

BigScooter.com

Mr.Xの18禁アメコミ

1001sec.com

廃墟Explorer


Amazon.co.jp アソシエイト

Amazon.co.jp アソシエイト