(現地立て看板から)
遺跡の大要
巨大なる一枚岩盤が地上斜めに突出し自然の屋根を形成してその岩陰の洞窟に縄文時代の先住民が住居した跡が遺されている考古学上、極めて貴重なる遺跡である。
遺跡の伝説
中世の昔、凶悪なる山賊が、この岩陰洞窟を塞として立て篭り、近郷の村を荒らし旅人を悩まし岩屋の山賊と恐れられていた。
たまたま平治の乱(平治元年1159)に敗れた源氏の嫡男源善平(悪源太善平)は、源家再興募兵を志し飛騨へ入国し下原郷麻生谷の館において跳梁する山賊討伐を決意し、岩陰山塞を襲撃。遂に之をせん滅した。この戦いで善平の従者八坂日向守は不幸に戦没した。村人は、凶賊平定を喜び岩陰に善平及び従者の佩刀を納め妙見神社を建立した。明治維新に岩屋神社と改められ今日に至った。
以上。
この物語は祖師野八幡宮、狒狒(ひひ)退治の伝説として今に伝わり、この佩刀は「藤巻の太刀祖師野丸」として祖師八幡宮に伝わる。
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