持統天皇の勅願により鎮護国家の道場として朱鳥元年(686年)役の小角の創立にかかり七堂伽藍を
はじめ一山五坊を創建し本尊虚空蔵菩薩を安置す。その後衰退していたが空海(弘法大師)来山し諸
堂を再建修復す。このとき桓武天皇は勅願を下し封戸三百石を寄進された。久安四年雷火の為に伽藍
残らずに焼失したが時の住僧は八方に手を尽くし復興を図って本堂その他諸堂は再建されたが、塔は
再建出来なかった。その後、慶長十四年美濃高須の城主徳永法院壽昌公は本堂はじめ諸堂を再建さ
れた。江戸時代に入って大垣藩主戸田家は代々祈祷所と定め帰依し保護す、明治維新を迎えて新時代
信仰の対象として広く一般参詣者を迎え法灯を今日に伝えております。