Mandolin Composer
マンドリン音楽の作曲家
<2004/11/28更新>
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1886年12月9日イタリア・ロレート生まれ。1935年6月16日トリノにて没。
ボローニア音楽学校を卒業。各地の陸軍軍楽長歴任。早くからマンドリン合奏曲の創作に手を染め、
1909年ミラノのイル・プレットロ主宰の第2回作曲コンクールに一位入賞した「海の組曲」
で一躍脚光を浴び、不動の地位を築いた。ピアノ曲、管弦楽曲等数多くの作品を残している。
1876年イタリア生まれ。1926年没。オーケストラや合唱の指揮者として活躍。
ザルツォ音楽学校の教授、および主宰者。
1911年イル・プレットロ主宰の第4回作曲コンクールで「イタリアの復活」が一位入賞した。
1897年7月25日ドイツ、ハンブルグ生まれ。一般的な作品としては歌劇、パントマイム、
交響曲、合唱曲、吹奏楽曲、歌曲、ピアノ曲等を発表。
1926年ドイツ国民音楽への関係を持つようになってからは、マンドリン、ギター音楽を注目するにいたった。
彼の音楽は常に古典形式によっているが内容はロマン的感覚にあふれ、近代的手法を施して生気のある表現を得ている。
1954年メキシコのPueblaに生まれ、7歳よりヴァイオリンをV.Vulfmannに師事。その後、
オランダのRoyal Conservatoryでヴァイオリンと作曲を学ぴ、1975年に首席で卒業。現在はメキシコ在住で、
様々な楽器の組み合わせによる室内楽のみならず、合唱やオーケストラの作曲も手がけており、メキシコやアメリ
カて数多く初演されている。「古い歌」「メキシコ組曲」
演奏会用奇想曲(Capriccio di Concert)が有名であるが、この人のことはほとんど知られていなかった。
最近E.マルチェリと同一人物であることが判明した。曲がにているとは思っていたが...
1873-1940。フィレンツェ生まれ、ローマのマンドリニスト、作曲家、音楽批評家。
多数のマンドリン合奏曲の作曲があり、数曲の大曲以外は小品が多い。また、編曲の作品も多い。
マンドリンおよびギターの教則本も数種著している。
作品傾向としては進歩的作曲は見られない代わりに、純イタリア風または古いフランス風の旋律と通俗的な表情とをもって構成されている。
1718-1777 イタリアの作曲家。
1770-1827。マンドリンの為に4つの作品を残している。ベートーヴェン自身もマンドリンを所有し演奏した。
「アンダンテと変奏」「ソナチネハ単調」
1893年8月31日イタリア北部のカサーレ生まれ。1947年8月22日同地にて没。
イタリアのマンドリン界はアマディ、マネンテ、ファルボらの輝かしい作品を生んだ後、沈滞期を迎えたが、
ベルッティの出現は清新な気息を与え喜び迎えられた。
1936年イルプレットロ誌の第7回作曲コンクールで「ハンガリアの黄昏」入賞。
その特徴は旋律やリズムの取り扱いに新しい精彩を加えロマンティクとファンタジーの構成に一段と新しい境地を見出している。
非常に神経質で一定の期間をおいて発作の治療を必要とし、そのことに極度の絶望感を覚えて自ら命を絶ったと伝えられる。
したがって代表作は悲観的要素の強いものに集中している。
フランス初期のマンドリン奏者でボルドーマンドリンクラブで指揮者を務めた。
1908年パリにおける作曲コンクールで「アルモール」が1位入賞。
第1次欧州大戦で戦死した。代表曲は「天使と悪魔」「ボヘミア風奇想曲」等。
1841.3.12-1931.4.30。ローマ生まれ。5才の頃より、庭師の父からマンドリンを学んだ。
12才のとき、ローマのCafe Nuovoにてマンドリン独奏者としてデビューした。
その後、イタリア各地、およびパリなどで演奏し好評を博した。
この頃のマンドリンはヴィナッチャによって現在の形に改良されたばかりで、まだこの楽器の為の曲は数少なかった。
マンドリン無伴奏曲を最初に作曲した人として知られている。
1876-1953
1879年3月10日イタリア・マチェラータのカステルライモンド生まれ。1944年没。
イタリアのオペラ作曲家。幼少より音楽的才能を発揮し、
18才のとき処女作で賞を得、後に音楽学校でP.マスカーニの教えを受ける。
管弦楽、吹奏楽、室内楽、声楽等多岐にわたり作品を残している。
マンドリン曲としては独奏曲、合奏曲、オペラ曲のマンドリン合奏への編曲がある。
コモのフローラ・マンドリン合奏団の指揮者も務めた。「交響的前奏曲」
1860年頃北イタリア生まれ。1905年1月22日ジェノヴァにて没。
マンドリニスト、ヴァイオリニスト、指揮者でもある。
1902年トリノのイル・マンドリーノ主催の第6回作曲コンクールで「マンドリンの群れ」が金牌受賞。
作品にはオペレッタ、バレー曲、管弦楽曲、ヴァイオリン曲があり、マンドリン曲は20曲ほど出版されている。
イタリア・セント生まれ。1909年没。
マンドリン音楽勃興期の作曲家で、ムニエル、デ・クリスファロ、ベルレンギらとともに
勃興期の四大家として活躍し、「ルイ・マンドリーノ・ロマーノ」なる専門雑誌を発行。
また、ヴァイオリン奏者としても有名で、アポロ劇場オーケストラの主席奏者、
フィルハーモニック・ソサイアティの指揮者も勤めた。
1863年12月29日ナポリの弦楽器製作家の次男として生まれ、1934年12月29日没。
ナポリの音楽学校で作曲を学ぶ。
作曲、奏者、楽器作成、楽譜出版のすべてにおいて、偉大な業績を残した。
生没年不明。1910年〜20年頃活躍したイタリア出身、ニューヨークのマンドリニスト。数十曲のマンドリン独奏曲がある。
1877年イタリア・コモ生まれ。ボッツォーロからピアノの対位法を、チェザーレ・グロリアから作曲法を学んだ。
1911年イル・プレットロ主宰の第4回作曲コンクールで「劇的序曲」が一位入賞した。
代表曲は「マンドリン讃歌 フローラ」「ミスティカ」がある。
伝統あるチルコロ・マンドリニスティコ・フローラの指揮者。
1706-1761
組曲「シエナ」を作曲。
1873年ナポリ生まれ、30年間英国に住み、ジョージ・ブライトの名前で、多くのマンドリンとピアノ曲を出
版、マンドリンの一流の演奏家、作曲家で、それのみならず
ギター、クラリネット、トランペットのヴィルトォーゾでも
あった。カンツォーネ
を非常に沢山作曲出版している。1949年に出版ぜられた「作
詞作曲家辞典」“ナポリとそのカンツォーネ”には彼の作曲に
なる50数曲の曲名が上げられている。又チョチアーノの名で
英国で出版せられた「村の春」「アンダンテ・レリジオーソ」
「田園の情景」など特殊調絃によるマンドリン無伴奏曲は他
に余り類のない独壇場で注目に値する。
1879年パルマ生まれ。1952年没。「夜曲(Notturno)」が有名。
夜想的間奏曲が有名である。
E
F
1872年5月28日シチリア島のアヴィオラ生まれ。1927年4月8日没。
作品は管弦楽、吹奏楽、オペレッタと多岐にわたる。
当時まで支配していたロマン的傾向に対して、新しい内容の音楽を投げかけた注目すべき作曲家である。
1910年イル・プレットロ誌主宰の作曲コンクールで「田園組曲」が第1位。
1912年「ニ短調の序曲」が第1位。1922年組曲「スペイン」が第1位。
ムニエルと同時代のヴァイオリニストであり、マンドリンに親しんだ人である。
1907年ムニエルがイル・プレットロ誌に発表した「コンサート楽器としてのマンドリン」と題する論文に対し、
トウルコ、スコンツォら共に反論を公にしている。その中で彼は、マンドリニストがそのレパートリーをヴァイオリン曲に求めざるをえないことや、
マンドリンの性能上のの欠点をヴァイオリンと比較して述べ、マンドリンは低俗楽器と結論づけている。マンドリンに対し批判的意見を持ちながらも、
30曲近くのマンドリン合奏曲やソロ曲を作曲している。
イタリア北部ピエネンテのオメーニャ生まれ。1904年ジェノバにて没。
初期のマンドリニストで、作曲家。
1725-1785(1730-1780) イタリアのマンドリンの名手であり、1768年声楽家である妻とロンドンで演奏会を開き、翌年にはドイツの各地で演奏会を開催している。
マンドリン二重奏、マンドリンとギターのための作品のほかにヴァイオリン、フルートのための作品も出版されている。
1908-1978
1915- アメリカの作曲家。
1699-1783。ドイツの作曲家。ナポリで学び、シンフォニーやコンチェルトを数多く作曲した。
不幸な事に1760年ドレスデンの火災で多くの作品を焼失した。
「マンドリン協奏曲 ト長調」が有名である。
1778-1837。モーツァルトに師事。ピアノ曲の作曲家として有名である。
マンドリンの為に書かれた作品は「マンドリン協奏曲 ト長調」「グランドソナタハ長調」がある。
1889-1954。オランダの作曲家。初めヴァイオリン奏者として名をなしたが、余技として手がけていたマンドリン、ギターの音楽性を認め、
多くの作品を残した。
E.アレシウス、D.C.ドニウスと並ぶ、ギリシアの作曲家、プレクトラム音楽の研究者。
アテネにフレット系音楽研究の為の音楽学校「マンドリナータ・アテニエーゼ」を創立。
「エカーヴの嘆き」「ギリシア風狂詩曲」が二大傑作と呼ばれている。
19世紀後期イタリア・ナポリ湾に浮かぶイスキア島生まれ。
ナポリで学んだ後、フランスに帰化。アルジェリア・ボーナに定住し、1938年12月16日没。
イタリア・シチリア島カタニア生まれ。
ナポリ、ローマ、フローレンスなどの国際コンクールのマンドリン独奏部門で第1位となり国内外で有名となる。
晩年はパリで過ごした。一連の故郷を偲ぶ曲を作曲している。
18世紀ナポリの作曲家。マンドリンの教則本も著している。
1860-? アメリカの作曲家。
1874年ローマ生まれ。1955年パリにて没。
幼少から音楽の才能にすぐれ、18歳のときにはローママンドリン五重奏団の指導者的地位にあった。
その後、ローマのセチリア音楽院で作曲を学び、ヴァイオリン。チェロ、ピアノを習得。
1900年フランスに移住し、オーケストラの指揮者を務め、1905年以降はパリでプレクトラム音楽の普及向上に努力した。
1906年マンドリン・ギター誌「L'Estudiantina」を創刊。1914年には3冊のギター教則本を書いた。
数多く(約800曲)のマンドリン・ギター曲を書いている。比較的小品が多い。
1936-
1891年8月27日イタリア・ベルガモのモレンゴ生まれ。ミラノの音楽学校、
およびベルガモのドニゼッティ音楽院で作曲を学ぶ。
「楽興の時」が有名。
1867年2月3日イタリア・サンニオのモルコーネで音楽家を父として生まれた。1941年5月17日ローマにて没。
幼少から音楽を好み、ナポリでガッティ、グァールロ、デ・ナールディス、ローマでディ・サンクティスに師事。
王立陸軍軍学校卒業後、各地の軍楽隊長を歴任。
イタリアの最著名な吹奏楽作曲家であると同時に早くからマンドリン音楽に手を染めた。
マネンテの旋律は所謂イタリア民謡風の甘さではなく、器楽的に洗練されたものである。
1921年イル・プレットロ誌主宰の作曲コンクールで「砂漠のオアシスにて」が入賞。
スペイン人であるが詳しいことは不明。
「月ありき (C'era la Luna)」が1908年ミラノのマンドリン研究誌
「イル・プレットロ」が主催した第1回マンドリン合奏曲作曲コンクールに入賞。
1877年フィレンツェ生まれ。1907年30才の若さで亡くなったマンドリニスト。
貧しい黒檀細工師の家に生まれ、少年の頃より才能を示しフィレンツェのケルビーニ音楽院で学んだ。
ギタリスト、コントラバス奏者、指揮者として
名声を得たが、イタリアはマンドリン音楽勃興の時にあたり、マンドリンに情熱を傾けていった。
マンドリン独奏曲「ジプシー風奇想曲」「幻想的円舞曲」が有名。
1887年5月11日イタリア・ベルガモ生まれ。12歳頃よりギターを学びはじめ、
25歳頃より作曲を始めた。作品には「優雅な身振り」「牧人の夢」「グラウコの悲しみ」「帆船上にて」「4月への誘い」等がある。
1892年12月26日フランスのコルシカ生まれ。1969年8月27日没。コルネット奏者の父に音楽を学び、その後、マンドリンオーケストラの一員となって
マンドリン・ギターを愛好するようになった。マチョッキの死後パリのマンドリン音楽界で作曲、放送、録音、また軍楽隊の指揮者として活躍した。
1948年 Le Mediatorを発刊。Francois Detogaのペンネームももつ。
イタリア・ナポリ生まれ。19世紀末にパリに移住し、マンドリンを教授した。
Pablo Francescoのペンネームももつ。
イタリア・パドヴァ生まれ。Sirlen della Lanciaのペンネームももつ。
1868.1.6-1923.2.2(1925?) ナポリのS.ピエトロ・ア・マイエルラの音楽学校でヴァイオリンと作曲を学び、その後パリに移り住んだ。
作品はオペラ、バレー、歌曲、ピアノ曲、ヴァイオリン曲など369曲あり、マンドリン合奏曲も多く作曲し、
セミプロのマンドリン合奏団を組織した。
マンドリン奏者でもあり、教則本も著している。
有名な「チャルダッシュ」はマンドリン独奏がオリジナルである。
1756-1791。音楽史上に残る作曲家。オペラ「ドン ジョバンニ」の中で歌の伴奏に使われたマンドリンが有名。
1859年7月15日ナポリ生まれ。1911年2月10日フィレンツェにて没。
はじめ、優れたマンドリン教則本の著者カルミーネ・デ・ロゥレンティスに学び、
ナポリの音楽学校で学んだ後、フィレンツェに移り演奏家、作曲家、指導者として活躍。
マンドリニストとして脚光を浴び始めたのは1890年にルイジ・ビアンキやリカルド・マティーニらと
プレクトラム四重奏団を組み各地にて演奏会を催し、1892年ジェノバで開催された国際コンクールで1等受賞して以来である。
ナポリの著名なマンドリン製作家パスクワーレ・ヴィナッチアが大伯父にあたる。
教本、練習曲の出版によって、正規な教程を作り出したマンドリン奏法の確立者。
独奏、重奏、合奏など300ほどの作品がある。
生涯をマンドリンに捧げ、マンドリンの父と呼ばれている。
O
P
アメリカの作曲家。マンドリン無伴奏曲「夜の鐘」「愛の喜び」がよく演奏される。
1875年2月12日イタリア、カムポバッソのイセルニア生まれ。
1966年6月16日アメリカ、ロードアイランドにて没。
イタリア出身のアメリカのマンドリニスト。
9歳よりマンドリンを習いはじめ、12歳のとき両親とともにアメリカに移住。
当時アメリカではマンドリンは珍しかったためたちまち著名となり、アメリカのマンドリン界に大きく貢献した。
作品としては6巻からなるマンドリン教則本、主としてマンドリン無伴奏曲に佳曲が多い。
フレッテッド・インストルメント・ニュースを長年にわたり刊行。
R
1882年11月6日ローマ生まれ。1956年11月20日ブリュッセルにて没。
ローマの聖セシリア音楽院を卒業。15歳でマンドリニストとしてデビュー。
1901年以降ブリュッセルに移り住み、教師、指揮者として活躍。
以来ヨーロッパ各地に演奏旅行してマンドリンヴィルオーゾとして不動の地位を築く。
そのレパートリーはサラサーテ、ヴュータン、ブルッフ等のヴァイオリン名曲であった。
マンドリンコンチェルトはヴァイオリン的で技術的にも高度なものである。
第2次世界大戦中、イタリア・シエナで行われた作曲コンクールで、「英雄葬送曲」「東洋の舞曲」が入賞。
18世紀の作曲家。
マンドリン独奏曲 Capriccio Fantastico(幻想的奇想曲)が有名。
スイス生まれ。「山獄詩」「スペイン狂詩曲」等がある。
1872年イタリア・シエナ生まれ。1936年没。
マンドリン工房で働いていた若い頃マンドリンとギターを学んだが、もって生まれた美声のため、オペラの世界に入り歌手として成功した。
イタリア歌劇に加わって来日し、ベルカント唱法で人気を博し、傍らマンドリン、ギターをもって日本のマンドリン界発展に大きく貢献した。
無伴奏マンドリン独奏曲「月に向かいて」が有名である。
1864?-1946 イタリア、トレントの作曲家。彼の作品は150曲ほど残っており、イル・マンドリーノ誌で大半が出版されている。
中でも「フローラ」「サン・ルーチォの鐘」「村の教会堂」等がよく知られている。これらはいずれも感傷的な霊感と瞑想に満ち溢れ、
哀切なモチーフ、ハーモニー、卓越した詩情は一つのサルトーリ調ともいうべきものを開花させている。
1875-1948 アメリカの作曲家。
「第1タランテラ」が有名である。
1841-1921
1871年イタリア・モデナ生まれ。1960年没。
14歳からギターを学び、その後ペザロの音楽学校でピアノ、和声法、対位法を学ぶ。
「夏の庭」「ナポリ風セレナータ」「静けき夜」「ノスタルジー」が代表曲。
イル・コンチェルト誌の主幹となり活躍した。
1876-1952 アメリカの作曲家。
U
V
1678-1741。イタリア・ベニス生まれ。有名なバロック作曲家。「2つのマンドリンの為の協奏曲」
「マンドリン協奏曲ハ長調」を残している。
スイスのイヴェールドン、ローザンヌに住み、長年マンドリンの教授をしていたが、詳しいことは知られていない。
1921年のイル・プレットロ誌主催の第3回作曲コンクールで「過去への尊敬」が第1位入賞。
1851年8月1日ベルギー・ブリュッセル生まれ。イタリアに帰化。1927年8月30日フィレンツェにて没。
ムニエルにも注目され、マルゲリータ皇后マンドリン合奏団の指揮者ともなった。
一般には映画音楽の作曲者として知られている。
1904年ベルリン生まれ。1983年7月5日ベルリンにて没。近代ドイツの作曲家としてマンドリン・ギター曲を中心に、
約100曲ほどの作品を出版している。彼の作品にはオリジナル曲として教育上模範的なものであり、一般にわかりやすく、斬新なスタイルを有し、
楽曲の対位法は手堅い内にも卓越して心地よく響く。大編成のマンドリンオーケストラに管打楽器を加え表現の拡大を図っているのも特徴である。
Y
Z
1890-1978。Arrigo Cappellettiに師事。
イタリア、コモのマンドリン合奏団「フローラ」の指揮者。
1942年東京生まれ。明治大学卒業後、音楽に転向。
ウィーン国立音楽大学指揮科卒業。ハンス・スワロフスキー、アルテゥール・グリューバー、
三石精一の各氏に師事。帰国後、東フィル、札響、群響、新星日響等を指揮。
1976年より7年間、青少年音楽祭、JMJコンサートのマンドリン部門の指揮を担当。
1974年より 「Kubota Musik Akademie」、1993年より
「KUBOTA PHILOMANDOLINEN ORCHESTER」を主宰。
1934年生まれ。愛知学芸大学卒業。間宮芳生、助川敏弥の両氏に師事。
「群炎」「ボカリーズ」「ラプソディ」「バラード」のシリーズ作品がある。
1901年3月16日東京生まれ、1980年5月27日没。
幼少の頃よりオルガンを覚え、父親から謡曲を仕込まれる。
サルコリ氏のもとで声楽家を志すが、氏の勧めにより声楽をあきらめギター、マンドリンを弾きはじめる。
映画音楽を数多く作曲。
シルクロード、失われた都 などマンドリン合奏の大曲が数多くある。
若いころはマンドリニストとして活躍した。
1943年5月24日生。東京芸術大学作曲科卒業。TV、映画音楽等で活躍。
8時だよ!全員集合の音楽は誰もが知っている名曲。東京マンドリン・アンサンブル常任指揮者、音楽監督。
マンドリン・アンサンブルへの編曲も多数あり、出版されている。邦人作曲家としては数少ない、竹内郁子氏の依嘱によるマンドリン協奏曲がある。
おくさまはマンドリニスト。
=> たかしまさんのホームページ
1890年10月11日鳥取市生まれ。1949年12月14日東京にて没。
オルケストラ・シンフォニカ・タケイ(OST)を主宰し、27年間ギター、マンドリンの研究誌を発行、
コンクールの先鞭をつけ、タケイ文庫を充実した。
1890〜1975。慶応義塾大学マンドリンクラブを創立。マンドリン独奏曲14曲、合奏曲7曲、ギター独奏曲7曲、編曲59曲、教則本も残した。
マンドリン無伴奏独奏曲「ゆりかご」は名曲である。
1902年(明治35年)4月10日愛知県瀬戸市生まれ。初月給で買ったマンドリンに魅せられ独学でマンドリンとギターを習得。
大正15年頃よりマンドリン、ギターの独奏者として度々放送に出演、独奏会を持った。
作曲は昭和5年頃より独学で始め、ギター独奏曲、マンドリン独奏曲・合奏曲、童謡など作品は数百曲におよぶ。
またマンドリン音楽の研究家としても多大な文献を残している。
1945年から20年間NHK名古屋放送管弦楽団専属指揮者。
1981年名古屋市芸術特賞、1988年勲五等双光旭日章叙勲。日本マンドリン連盟副会長。
自画像
東京芸術大学音楽学部を卒業後、パリ国立音楽院入学。和声法科および対位法をプルミエ・プリ
で卒業。作曲理論を故オリヴィエ・メシアン、故アンリ・シヤラン、故池内友次郎、宍戸睦郎、故矢代秋雄、二善
晃の諸氏に師事。現在桐朋学園大学およぴ洗足学園大学講師。2度の武井賞受貫のほか、第5回マルセル・ジョセ
コンクールにおいて優勝。また最近は『現代ギター』誌において楽曲分析護座を担当