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相関図

年 表
文化 12 1815 10 29 井伊直弼生まれる
同年、長野主膳生まれる
嘉永 3 1850 9 28 井伊直弼、十三代彦根藩主となる。
5 1852 4 26 国学者長野主膳、彦根藩に召抱えられる
6 1853 6 3 ペリー浦賀に来航
7 1854
安政 1
2 1855 12 16 彦根藩、幕府より京都御所造営普請御用を申し付けられる
3 1856 12 13 彦根藩、敦賀と琵琶湖北畔の間に新川掘削、新道の普請を申し付けられる
4 1857 6 17 阿部正弘死去
7 23 徳川斉昭、幕政参与を免じられる
12 11 蕃書調所において井上、岩瀬を中心とした日米条約草案審議がはじまる
26 林大学頭、目付津田伴三郎入京。
25 島津斉彬、慶喜の将軍継嗣を建議
29 林大学頭、武家伝奏に対し開国条約の了解を求める
川路、永井、水戸藩邸に赴き、斉昭に開国条約の是非を説くが拒絶される
5 1858 1 2 一橋慶喜、小石川水戸藩邸へ赴き斉昭に諌言
4 一橋慶喜、川路、永井を招き、先月29の斉昭の非礼を詫びる

井上、岩瀬、ハリスと面会し、開国には朝廷の勅許が必要であると述べ、三月五日まで調印を延ばすよう要請し、了解を得る
6 薩摩藩主島津斉彬、公家近衛忠煕三条実万へ、将軍継嗣に慶喜の内勅を天皇が出すように依頼する書簡を送る
11 長野主膳、井伊直弼の命により京へ発つ
12 日米修好通商条約の概要が決定
16 将軍家定、次期将軍を紀州の慶福とすることを老中に告げる
20 岩瀬忠震、条約の勅許を得るため京へ発つ
21 老中首座堀田正睦、条約の勅許を得るため京へ発つ
22 川路聖謨、条約の勅許を得るため京へ発つ
24 福井藩士、橋本左内、藩主慶永の命により京へ発つ
29 武家伝奏、林大学頭と会見し、開国条約について質疑をする
2 5 堀田正睦、京着(宿舎は本能寺)
9 老中堀田、参内
橋本左内、三条実万に面会する
11 堀田、宿舎本能寺に伝奏議奏らを招く
13 両伝奏、万理小路、本能寺で堀田に質疑
15 長野主膳、京での薩摩藩将軍継嗣で慶喜の内勅運動を井伊直弼側近宇津木に書簡で知らせる
3 慶喜、万里小路へ将軍継嗣辞退の書を送る
12 九条邸前に条約勅許反対の公卿が集まる
20 朝廷から幕府に対し、諸大名の意見を聞いてからもう一度条約勅許を請うようにと伝えられる
4 23 井伊直弼大老に就任
鵜殿長鋭、永井尚志ら、井伊大老就任に反対し、老中部屋へ抗議に訪れる。
6 19 日米修好通商条約調印
22 幕府から武家伝奏へ条約調印を知らせる飛脚を送る
23 老中堀田正睦、松平忠固を罷免し、太田資始、松平乗全、間部詮勝を老中に登用する。
24 徳川斉昭、徳川慶篤、尾張慶勝、松平慶永、不時登城。一橋慶喜、慶頼、定時登城。無断調印について井伊直弼と老中に問う。
7 5 一橋慶喜登城停止
斉昭、蟄居謹慎 慶勝、慶永、隠居謹慎
慶篤、登城停止
6 将軍家定死去
10 日蘭修好通商条約調印
11 日露修好通商条約調印
16 薩摩藩主島津斉彬死去
18 日英修好通商条約調印
8 4 八条隆祐ら五人の公卿の屋敷に、長野主膳と島田左近を批判する投げ文
7 深夜の宮中会議において、水戸への勅状降下が決定される
井伊派の九条関白は会議に参加せず
8 朝廷より、水戸へ勅状を下付
10 朝廷より、幕府へ水戸とほぼ同様の勅状を下付
28 長野主膳の宿屋主人に脅迫する投げ文
29
9 2 九条、関白辞任を申し出る
3 九条関白に引き続き内覧辞任を申し出る
3 日仏修好通商条約調印
京都所司代、酒井忠義着任
4 反開国派の公家らにより井伊派関白九条の辞職要求が起こり、九条は内覧を辞職。関白の地位はそのまま。
7 梅田雲浜逮捕
17 江戸において、反九条派、三条家士飯泉喜内逮捕
老中間部詮勝、京着
18 水戸への密勅を工作した罪により、水戸藩京留守居鵜飼吉衛門逮捕
10 19 九条、関白辞任却下され、内覧も復職
6 1859 1 9 近衛家、老女村岡、町奉行所へ出頭しそのまま収監される
7 23 太田資始 免職
8 27 水戸藩
斉昭、国許永蟄居、藩主慶篤、差控(九月三十日解かれる)
家老安島帯刀切腹、奥祐筆頭取茅根伊予之介、京都留守居 鵜飼吉左衛門、斬首。鵜飼幸吉、獄門。勘定奉行鮎沢伊太夫、遠島。後、佐伯藩お預け終身禁固
鷹司家 諸大夫小林良典、遠島。後、人吉藩お預け終身禁固。
儒者 池内大学、中追放。
近衛家 老女村岡押込。
一橋慶喜、隠居謹慎
幕臣
岩瀬忠震、永井尚志、罷免、差控
川路聖謨、隠居差控
28 浅野長祚、大久保忠寛 罷免
太田資始 慎
9 6 堀田正睦、隠居
10 松平忠固 隠居
精姫用心黒川嘉兵衛、平山謙二郎、平岡円四郎(昌平校出身。岩瀬、川路聖謨学友)、高須鉄次郎 免職差控
鵜殿長鋭 隠居
14 梅田雲浜、小倉藩邸にて病死
10 7 越前藩士 橋本佐内、儒者 頼三樹三郎、三条家家来 飯泉喜内、処刑。
大覚寺門跡家士 六物空万、遠島。
青蓮院鷹司家家士 三国大学、一条家諸大夫 丹羽正庸 中追放

11 前土佐藩主山内容堂 慎
11 27 吉田松陰処刑
12 24 間部詮勝 罷免
7 1860 1 15 老中安藤信睦、徳川慶篤に密勅の返納を命じる
3 3 井伊直弼桜田門外で水戸藩浪士ら18名に襲撃され死亡
万延 1 8 15 水戸、斉昭急死
9 4 徳川慶恕、一橋慶喜、松平慶永、山内容堂の謹慎が解かれる
文久 1 1861 7 26 桜田門外の変の罪により金子孫二郎ら8人斬首
2 1862 1 15 安藤対馬守坂下門外で浪士に襲われ負傷
4 8 自重派の土佐藩参政吉田東洋、土佐勤皇党に暗殺される
25 幕府は島津久光の建白を受け
一橋慶喜、前尾張藩主徳川慶勝、前越前藩主松平慶永、前土佐藩主松平容堂らの面会、信書往復の禁を解く
30 関白九条尚忠、関白と内覧辞任を願い出る
鷹司政通、近衛忠熈、参内を許される
前青蓮院宮尊融法親王の永蟄居と、鷹司輔熈の謹慎が解かれる
7 6 一橋慶喜、再相続を命じられ、将軍後見を勅命される
20 九条家家士島田左近、薩摩藩士田中新兵衛らに惨殺される
8 3 京都町奉行与力加納繁三郎、富士見御宝蔵番に仰せ付けられる
24 長野主膳、彦根藩に召し捕られる
25 九条尚忠、落飾謹慎
27 長野主膳、斬首刑
閏8 20 本間精一郎、惨殺される。
22 九条家家士宇郷玄蕃、暗殺される。
29 大獄で諜報をし幕吏を助けた目明し文吉、岡田以蔵らに絞殺される
9 23 京都町奉行所与力森孫六、大河原十蔵、渡辺金三郎、上田助之丞らは召し返しにより江戸へ向かう途上、江州石部にて惨殺され、京都粟田口刑場にて晒し首となる。刺客は長州、土佐、薩摩の藩士
10 27 宇津木六之丞斬首刑
11 14 長野主膳の妾、村山加寿江三条川原にて生き晒しとなる。
翌日息子多田帯刀、斬首される。
20 幕府は戊午以後の失政にたいし
故井伊直弼、彦根藩十万石削
元老中 内藤信思、間部詮勝、一万石削 隠居謹慎
堀田正睦 蟄居、
久世広周、蟄居 一万石削
安藤信正、永蟄居 磐城平藩二万石削
元所司代 酒井忠義 蟄居
12 2 富士見御宝蔵番 加納繁三郎、前職京都町奉行所与力当時の職務譴責により、職を召し放ちの上切米五十俵召し上げられ、御目見以下、小普請入りと、甲府勝手、押込を仰せ付けられる
12 幕府和学講談所教授の国学者塙次郎、廃帝の陰謀の嫌疑により、長州の伊藤俊輔と山尾庸三に惨殺される
3 1863 1 23 安政の大獄時自首したため生き延びた儒学者池内大学、山内容堂面会の帰途惨殺され、切られた耳が公武合体派公卿の屋敷に投げ込まれる
29 公武合体派公卿千種有文家臣賀川肇、姫路藩士に惨殺される
2 8 公武合体派山内容堂入京後京土佐藩邸に千種有文出入の惣助の首級が置かれる
13 公武合体派公卿九条尚忠、久我建通、岩倉具視、富小路敬直、重謹慎を追刑される。
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参考資料