大野 伴睦 の経歴

大野伴睦

 当時の   大野 伴睦  
1890年 9月20日 生れ
1964年 5月29日 亡る
         74歳
 政治家。岐阜県山県郡生まれ。第1次護憲運動で新聞社焼き討ち事件に加わり、1913(大2)年明大中退。政友会の院外団に属し、鳩山一郎の直系として1923年東京市議、1930年(昭5)衆議員議員に当選、非推薦で落選した1942年の翼賛選挙を除いて、当選13回。戦後は鳩山を支えて日本自由党の創設に参加。1948年昭和電工事件で収あい罪に問われたが、1951年最高裁で無罪。
1952年衆議院議長になり、吉田、鳩山両派対立の調停役として動いた。1953年12月の鳩山内閣不信任案可決に同調すると鳩山と別れ、第5次吉田内閣に国務相として入閣、1954年12月の鳩山内閣成立後は一転、対立してきた鳩山派参謀の三木武吉と手を握り保守合同の舞台回しに動き、1955年11月の自由民主党結成大会では党総裁代行委員の1人に選ばれた。1957年から死去まで副総裁の座を占めた。
 岸退陣後の1961年7月の自民党総裁選挙では『後継大野』という岸信介との内約を信じて出馬を準備したが、結局は出馬を取りやめ石井三次郎擁立の党人脈連合を組んで池田、佐藤、岸の官僚派に対抗して敗北した。その後は池田勇人首相に近づき、再び副総裁となった。『足して2で割る』の妥協を信条とした典型的な駆け引きの政治家で、政治のビジョンは欠いたが、官僚嫌いは生涯変わらなかった。保守政界では蒋介石に私淑する親台湾派の総師で知られる一方、日韓国交正常化交渉の草分けとして『日韓台連帯』に努めた。『万木』と号して俳句をよくした。
                記事 『現代日本 朝日人物事典 朝日新聞社発行』より