『藍川』という呼び名の由来
私たちの住んでいる藍川と言う地名は、地図を見ても見当たりませんね。 では、どうして私たちの校区を、『藍川』と呼ぶのでしょう。 昭和48年に、小学校が創立されたとき、校名について地元の方々や教育委員会の人達が、いろいろ相談された末、昔からこのあたりを流れていた長良川のことを『藍川』と呼んでいましたが、伝えでは昔京都から藍染の木を徳川の使用人が持って来て庄屋であった北野の先祖が協力して向加野の古門(現在の向加野1丁目)で栽培を始め成功した。その木から染物の藍色を取り出し染物業を開始した。今で言う童子の辺りで生地を染め洗いをして成功した。この藍染の成功で地元の有力者になり地域に貢献した由来から藍と言う文字が使われ藍川橋が出来る当時に(昭和2年)検討されたんでしょう。地元の地名に藍川と言う字がないことから想像される。このことから地域を中心に位置する長良川を愛しこの学校で育つ子供達が藍川(長良川)のように清らかで美しく、若鮎の様に元気に育ってほしいという願いが込められて藍川小学校と名ずけられ、また、芥見地区にも藍川中学校が出来その名称が使われ現在の名称になっている。 
藍川橋の歴史

    藍川音頭 3番

  藍川よいとこ きてごらん 

    思い出つきぬ つり橋の

ゆれて だかれた ひと夜の情け

   いまは昔の 遠い夢  

   ソーレ よいとこ 藍川よ
岐阜市内でいちばん上流の長良川に架かる朱色の橋が藍川橋です。この橋は昭和43年3月に完成しました。これにより、情緒ある旧藍川橋(写真下のつり橋)は姿を消すことになりました。ふるさと音頭の3番歌詞の中にあります。
旧藍川橋(つり橋昭和2年〜昭和43年)
    令和 2 年 10月 

現在の藍川橋(昭和43年完成)
 令和 3 年 3月
    新 藍川橋建設状況
現在の藍川橋下流50mの位置に4車線の橋梁型『新藍川橋』(仮称)の建設工事事務所の設置の地盤工事が始まりました。(10月26日)