*****ひろのうたびとのしおり・・・其の八*****


ジョニー復活(8/29)

 私はドラゴンズファンで、ちょくちょくナゴヤドームへ足を運びますが、数少ない好きな選手の中に他のチームの選手が一人います。ただ受けるイメージだけで大好きになったピッチャーです。それはロッテのジョニー黒木投手。シドニーオリンピックの時、日本代表チームとして黒木は参加していました。韓国に破れ、銅メダルを逃し、涙を流しながら「また呼んでいただけるのなら、参加してこの借りを返したい!!」と語る彼にすご〜っく共鳴してしまったのです。ジョニー黒木・・・東海地方ではパリーグのチームは縁遠く、誰がいるのかもあまり関心を持ったことも無かったのですが、その日からジョニー黒木は私の気になる選手の一人になったのです。

 しかし、その後彼の名前はTVからも新聞からも見かけなくなります。彼は怪我をしていたんですね。確かに彼の投げる姿は、実に豪快でした。それゆえに体にかかる負担は大きかったのでしょうか・・・?早い復帰を期待していました。でも彼はその後も復帰しては怪我の再発・・・でなかなか思うようにはなりませんでした。

 そして数日前の新聞でジョニー黒木一軍!という記事を見つけました。「おぉ・・・黒木再度復活!!」そして、昨夜、久しぶりの勝利を勝ち取り復活となったわけです。今度こそと願わずにはいられません。しかもロッテは今シーズン強い!プレーオフ進出の権利も勝ち取り、今後の戦いでも彼の力がチームを支えてくれると思っています。これでパリーグにも関心を持つことが出来、是非、中日と日本一を争ってもらいたいと楽しみにしています。


 20数年ぶり(8/22)

 土曜の夕方、お得意様から1本の電話・・・。4トンのフロントがパンク、場所は名古屋市内で・・・。月曜でいいのだが朝8時に車を動かしたいというお話・・・。それは無理とは言わないけれど、何時にここを出ればいいのでしょう・・・?ってことで今朝6時頃美濃加茂を出ました。助手席には、夏休みも終盤に差し掛かった次女を乗せて行って来ました。現場は今から20数年前、学生の頃車でよく通った道から住宅街の方に入ったあたり・・・とのこと。R41を橘の交差点で左折し、R19を右折、少し行って左折、右折を繰り返し、7時20頃現場に到着、20分くらいで作業を済ませ、もと来た道を帰ってきました。

 あの頃、全然思いもしなかった事に、ナゴヤドームの近所を通っていたことや、上にはいろんな環状線が走っていたり、なんやら解らない列車が走るようになっていたりで、都会の変貌にちょっと実感として驚いた私でした。大永寺水族館なるものが昔からあったのですが、建物が鉄筋になっていて、しかもその建物も時間が経っただろう汚れを浮かばせていました。学生の頃この水族館は本当の水族館なのかな?と疑問を持ちながら、あまり深くも考えることも無く今にいたっていましたが、新しい!?建物になって解ったのですが(良く考えれば解りそうな話ですが・・・)、熱帯魚やら金魚を売っている金魚屋さんだったのです。「あぁそうなんだぁ・・・」なんて気の抜けた納得をして、急いで美濃加茂へ帰ってきたのです。懐かしい時間でした。

 20数年ぶりといえば、実際には28年ぶりなんだそうですが、この美濃加茂市長選挙が今真っ盛りです。28年?と思うでしょうが、無投票でずっと市長は選ばれて来ましたが、今回は28年ぶりに3人の候補者が立たれて、市議選の補欠選挙と、衆議院議員の選挙の話題性も相まって、にわかに活気付いているこの街美濃加茂です。自民王国と言われた岐阜も、今回の選挙でなんか妙な風が吹いています。その風が小さな隙間を通って、美濃加茂のこの選挙にも影響があるのでしょうか・・・?保守派の2人と革新派の1人・・・、美濃加茂を良くできる方が当選される事を願って止みません。自分の考えを持って政を行っていただける方に、更に勉強して頂いてプロの政治家として働いていただきたいと思います。やらされているのではなく、名前が欲しいのでもなく、みんなのためにやりたい人が選ばれることを願わずにはいられません。

お盆休み(8/16)

 あっと言う間の8月のお盆の季節です。本当に早い・・・。恐ろしく早い・・・。毎年本当に思うことですが、8月が終わると私たちの業界は、冬の商戦に向けて、にわかにぼちぼちではありますが、忙しくし始めるのです。そんな日々に気を取られていると、気づけば12月・・・ということに成っています。スタッドレスタイヤを組み込んでいるということが多くなってきます。そして今年も終わったね・・・ということに成るのです。1年は本当に早い・・・。もうすぐ冬です!!(おいおい・・・)

 昨夜、久しぶりに家族でカラオケに行ってきました。2時間を5人で歌いっぱなし・・・の大騒ぎでした。その中で私が選んだ中の1曲は「霧の摩周湖」。この歌は私自身も本当に子どもの頃の歌で記憶にあまり無い程です。しかし、2年前行った北海道で、初めて摩周湖に行きました。ここを経つとき、歌われる霧がもくもく・・・とあたりを包み始めました。そのとき私の口をついて出たのがこの「霧の摩周湖」だったのです。「霧に〜抱かれて〜♪」という出だしです。昨夜はエコーを効かせて「きりぃいにぃ〜♪だかれてぇうぇ〜♪」と歌いました。布施明のデビュー曲です。歌って思ったのですが、「なかなかいい歌じゃぁないか」と思っちゃった次第です。

 時は前後しますが、午前中は朝からオイル交換のお客様で仕事をしていました。この辺が自営業のはっきりしない休みになるんですけどね・・・。おかげで家族はどこへも行かないのか!と少々不満顔・・・。2時半頃店を閉めて、白川のプールへ出かけて行きました。さすがに連休ということもあって、たくさんの人手です。おこちゃまもおばさんもいっぱいです。大きさはさほど大きくないプールなので真剣には泳いだりはできません。しばらく温泉のジャグジー風呂につかってから、プールへ入りました。中の人たちは、ワイワイやって思い思いの動きをしていたのですが、長女と家内が、ある人が周りを歩いている様子を見て、一緒にクルクル歩き始め、それを見ていた私が後をついて行くと・・・、気がついたらほとんどの人が、プールを左回りにクルクルと歩いたり泳いだり整然と回り始めたのです。何なんでしょうねぇ・・・これは・・・。どんな心理が働いたのでしょうね。面白かったです。子どもと違って大人はプールに入って運動をする意識が最初からあって、水中ウォーキングをしたかったのではないかな?と思えるのです。そんな大人たちがたくさんいて、最初はばらばらにバシャバシャやっていて、半ばあきらめかけていた所に、1人2人と歩く者が現れたことによって、皆の目的にあった行動へ移っていったのではないかと思うのです。でも皆楽しそうで面白かったですねぇ。

 今日も休みなのですが、何となく店は開いています。中途半端な気持ちのまま、私はこうして職場でpcの前に座ってこの「・・・栞」を更新しています。ぼ〜っとしながら休みのようなそうでないような・・・なんなんでしょうねぇ・・・。そんな今年のお盆休み!?です。

 

利き○○(8/7)

 左足首を捻挫して6週間が経とうとしています。経過は順調で、テーピング等をすれば、小走りはOKです。先週のバスケットの試合もなんとか出来ました。しかし、事飛び上がれるか?というと、ちょっと痛いのです。そしてその痛みが1度襲うと怖いのです。恐怖心が取れるときは完治して、意識をせずにジャンプしているときでしょう・・・。まだこの最後のなんともいえない痛みは長引きそうな予感です。

 そこで思いました。利き足が左だということです。ボールを蹴ったりするのは右なんですが、ジャンプしたりするときに使うのは左なのです。軸になる足が左といったほうがいいのかもしれません。ですから、バスケットのように細かな動きが多くしなくてはいけないスポーツには、個々にある決まったリズム感があります。ボールを持って3歩以上歩いてはいけませんし、ドリブルや相手を交わしながら動く姿には、バスケット独特のリズムを含んだ形のようなものがあります。そんな中に、軸足が重要な役割を持ちます。それが左右の足が交互に行われるのですが、事ジャンプをするとき、この利き足をリズム良く運んで、理想的な距離感を持ってジャンプするわけです。この場合の私の利き足が左足なのです。以前から左だということは知ってはいましたが、捻挫をして治りかかった今、飛ぶときにものすごくギクシャクしてしまう自分がいることに気が付きました。自分の中のリズム感で飛んだり出来ないのです。ただ足が痛いから・・・飛ぶ事ができない・・・ではなかったのです。動きそのものが変なのです。体験して考えると面白いことです。

 体中の左右ある機能に利き○○があるのかということを、検証してみました。上から行きますと、まず眼ですが、私の場合、左右の視力がものすごく違っています。先にも書きましたが、右が0.4、左は0.0・・・よくわかりませんが悪いのです。乱視もひどくコンタクトで矯正していますが、右が私の場合利き目のようです。ですから裸眼でも右で見ていますので、まだ認識できる視力でいられるのです。

 鼻・・・はどうなのでしょう・・・?息を吸うとき・・・?臭いをかぐとき・・・?鼻が詰まったときに左右の能力が変わって差ができる時はがありますが、鼻に関してはよくわかりません。 手は・・・これは右です。細かい作業も皆右です。ただ、ギターのコードは当然左指で押さえているわけですので、右でこれをやっても出来ませんでした。慣れ・・・なのかもしれません。練習で利き○○は替えられるのかもしれませんね。
 
 肺は?あるんでしょうか?金○○は・・・?(コラコラ・・・)こうやって考えると左右ある体の機能は必ずしも利き○○があるわけではないようです。なんか高尚な話題から入ったと思ったのですが、小学生レベルの話題でしかありませんでした(笑)。

ある依頼(7/28)

 数日前、私が店を留守にしている時に、2人の女性が私を訪ねてお見えになったそうです。この方たちは、中学校2年生の男子バスケ部の保護者さんたちだったのですが、私はたぶん知らない方だと思うのです。私は、今週末に行われるバスケフェスの事でわざわざ何かお尋ねになるためにいらっしゃったのかと思ったのですが、話を聞いた家内の話では、8/6の日に交流戦があるとの事・・・。これに私に付き添って欲しいというものでした。

 今ひとつ話が見えず、うかがっていた電話番号に電話をすると、大筋はあっていたのですが、2年生の初めての試合だという事、地区の選抜の選考会も兼ねている事、付き添う仕事が監督と審判もしなくてはならないこと・・・、そして私にとって今の2年生たちのことを全く知らないという事・・・。お気軽に引き受けるような事態ではないということなので結局はお断りを入れてしまいました。

 はっきり言って、私には無理です。指導者ではありませんし、審判もやったことがない。先も言いましたが、子供たちの顔を全く知らない・・・。経験がありません。ある日だけ練習の時間にそこにいればいい・・・と言う物であればOKもしたのですが・・・。お役に立てず情けなく思いました。いろいろと前向きに考えてみたのですが、どうしても無理だという結論になります。正直お声がかかって嬉しくもありましたが、それだけでは絶対受けられない重大なことなのです。

 私自身がこれまでの関わり方を皆さんが評価してくださったのだと思いましたが、私が子どもたちとバスケットをする姿は、特別な大人がやることでもなんでもないのです。親が子供たちを応援し、子供たちとバスケットをして楽しんでいるだけなのです。指導をするのであれば、当たり前の生活態度や、言葉遣いなど日常でちゃんとしなければいけないことを注意するだけです。特別に見えてしまうのは、ここまでやる大人が滅多にいないからだと思うのです。保護者として、強くしたいから、いい指導者とか数多く試合をさせるとかそう言ったことに力を注ぐ方がほとんどなのですが、それは存在こそ大きいのですが、少数の一生懸命な親だけのような気がします。大方の親は、わが子を応援して一生懸命になっている姿を親心で見守っている・・・・それがほとんどなのではないでしょうか・・・。私は今日まで子供たちと関わってみて、子供たちが一番嬉しいと感じているのは、頑張っている自分達を知ってくれている大人の姿なのです。そんな大人たちに話を聞いて欲しい・・・それが一番保護者として必要な姿だと思うのです。結果を求めるだけの親ではいけないのです。一生懸命ではない子どももいるのです。そんな子も理解した接し方を考える気持ちが保護者たちには欠けている気がしてなりません・・・。


時は今(7/21)

 次女は中学1年生・・・、真面目な話、ついこの前幼稚園バスに乗って元気に通っていたと思っていたのに・・・です。先生たちを困らせたり驚かせたり、わが子ながらユニークな変わった子どもでした。「将来が楽しみ・・・」なんて人に言われたりしたものです。そんな次女も小学校をこの春卒業しました。その6年間の間には、長男、長女の中学、高校の受験などがあって、親としてもこちらに目が行く事が多くて次女の小学校生活にはあまり関心を持つ機会がありませんでした。いつまでも子どものままだったのです。

 先日ある事件がおきました・・・。たわいも無いことなんでしょうが、私には好機と写ったのです。中学生の女の子が数人、次女を訪ねて遊びにやってきました。私は仕事をしていましたのでどこの誰なのか把握することなく、夕方になって彼女たちは帰って行ったのです。夕飯時、次女は「これから温泉に皆で行く事になったんやて、いってもいい?」と聞いてくるのです。「どこかの親がついて行くから・・・」という事なので許可したのです。現地集合・・・車で20分ほどの場所にあります。私は次女と友達一人を乗せて車で送って行きました。

 温泉にはまだ誰も友達は来ていません。子どもだけ残して帰ることはまずいので、一緒に待つことに・・・。しばらくして一人がやってきて、子供たちは再会で盛り上がっています。あと一人がやって来ません。私はちょっと心配になり、「誰か大人の人は来るの?」と聞くと「誰も来ません!」と屈託の無い笑顔で一人が答えます。私の中には「それはまずいだろう・・・」という思いでこの場で叱るのを思いとどまり、次女に「出たら必ずお父さんに電話するように・・・」と言って駐車場で4.50分待つことにしたのです。

 車中で怪しくラジオを聴いて待っていました・・・。その間、友人やら家族と連絡をとったりしていろいろ用事を済ませることに夢中になっていてふと?時計を観るとあれから1時間半がたっています。「おかしいなぁ・・・?」と我が家へ電話。するとまだ連絡は無いとの事・・・。もし連絡が入ったら知らせる事を伝えて更に待つことに・・・。程なくしてこの温泉の終業時間がやって来ました。「これはおかしい」とロビーに入っていくと、数人のお客さんがいるだけ・・・。館内にはホタルの光が流れています・・・。我が家へ電話を入れます・・・、誰も出ません・・・、家内と長女の携帯に電話を入れます・・・出ません。なかなか電話に出ない長男に電話を入れると・・・出ました・・・「おかあさんは?」「知らない・・・」「○○から連絡あったか?」と次女の事を聞くと「もう帰ってきとるよ・・・」と言うのです・・・。

 その後私がどんな思いで家に帰り、どうなったかは想像に難しくないと思います。次女は久しぶりに私の逆鱗に触れ、中学生になり、思い上がった大きな転機に私に一括されるいい機会になったのです。私は感情で怒ってもいましたが、この時が好機と思い、しっかり冷静に言葉を選んでしかりつけていました。そして、久しぶりの逆鱗の様子をそばだてて聞いていた長男、長女も神妙になったことでしょう・・・。子育てを繰り返し、私も親になって行くのです。親として子どもに育てられているのだと感じました・・・。これから思春期真っ只中の3人を持って、口やかましい親父として君臨していたいとやっぱり思うのです。

風のようにうたが流れていた(7/14)

 最近小田和正のDVDを観ています。この辺りでは放送されなかった音楽番組「風のようにうたが流れていた」のノーカット版!?DVDです。小田氏の生い立ちとその時代時代の思い出とその時流れていた音楽を歌って行く・・・時折ゲストを交えて・・・という番組です。彼の主観で時代の音楽を語るわけですが、大衆の中での音楽観と自分達とのギャップの中で音楽をやって来た・・・という表れはとても興味深い物です。この人たちに影響されて私たち世代は音楽を聴いてきました。その背景には今だから語られる心理であったり、社会情勢であったり・・・ヒットした音楽が自分本位のものでなかった・・・とか実に人間味があってゆっくり聞き入るDVDです。高かった・・・のですけど・・・。

 また、漣健児という人が亡くなった・・・、私たち世代にはあまりなじみの無い名前(はっきりいって私は知らなかった)。1960年代のアメリカンポップスなどを翻訳して日本語となって耳にしていた一連の歌が、この人の訳詞によるうただったりするのです。その漣健児トリビュートアルバムなるものを買って聴いております。子どもの頃聴いた一連の歌はとっても古くて、ダサくて・・・今の自分には消えてしまった歌だったはずなのに、こうして聴いてみるとなかなか良かったりするのです。アレンジや歌い手はもちろん当時の方たちではないのですが、歌詞に趣があって深かったりするのです。この漣健児と言う人が実は草野昌一氏の訳詞家名(こういう言い方をするかは知りませんが・・・)だったことをその少し前に聞いて「あぁ・・・この人だったのか・・・」と知ったわけです。シンコーミュージックというチューリップファンなら知っている所の当時は専務という肩書きで、また愛称で呼ばれていた人だったのです。その人の音楽に携わった功績がこう言ったものだったということ、そしてこうやって氏の死を悼んでこのアルバムができた事・・・時代を作った音楽家の死であったわけです。

 先に書いた小田和正のDVDの中にも漣健児は言葉となって登場しています。この放送時にはまだご存命であったわけで深くは語られてはいませんが、時代を作った音楽家である事はニュアンスから察するに余るものがあります。ただ日本には独自の音楽ジャンルと言う物がはっきりしていません。私が10代20代だった頃は、4畳半フォークから、フォークロック、ロック、ポップス、ニューミュージックという物を聴いて育ってきました。その線引きは誰がどうやって、何を基準に決まっているのか考えた事もありましたが、曖昧だったのが現状のようです。いまは大方をJ-POPというくくりで語られているようです。

 どういったくくりであっても、ギターやドラムを叩いていた頃、気の合う仲間と一緒にいた時間が今はとっても大切だったと思えるのです。


おのぼりさん(7/7)

 今日は七夕です。天気がよく星空が望めたらたくさんの人たちが夜空を見上げるでしょう。天の川を挟んで織姫と彦星の年に一回のデートの日・・・。そんな風に理解しているだけの私です。大きくなって天の川が銀河系を真横に見た状態で、ヴェガとアルタイルという恒星が見えるということを知りました。その二つの星の距離が15光年と言う事も・・・。年に一度どころかお互いが光の速さで会いに行って7年半かかるのです。とこんなことを言ってしまったらもともこうもありませんから、これはこれで・・・ということです。

 先日東京へ行って来ました。娘達を連れて行っての東京でした。娘達にとって東京にはあこがれを抱いての上京だったわけです。当たり前ですがとにかく人が多いのです。TVで見たことのある建物や場所を目の当たりにして、いろいろ感じたようですが、あこがれが大きいほどそのギャップを感じていたようです。そんな中、夜空を見上げて・・・明るい事を説明してやりました。美濃加茂で見える空と違う事も理解していたようです。場合によってはこれを光害と言う事も・・・。空は曇っていましたが、見える星空がさみしい事も。

 東京タワーに昇りました。晴れてはいませんでしたが、展望できる天気でした。あそこがどこどこで・・・と説明しながら、ふと近くを観てみると、異常な細さで寄り添うように高く作られたマンション風のビルたち・・・。こじんまりとしたバルコニーには緑が見えました。ゆとりが在るようなないような・・・、不思議な空間がそこにはあるようです。時間とお金があれば欲しい物がその日のうちに手に入る東京だそうです。

 娘達は、東京湾を見ました。黒く濁った海に、名古屋と比べてどちらが綺麗か・・・と聞いて来ました。答えに困る質問です。しいて言えば名古屋の方が・・・という答えを娘は思っていたようですが、どちらも綺麗ではないからです。普段食べる寿司は、この東京湾で捕れた魚を使って握った物が江戸前の寿司ということだと言うと、「うぇ・・・」と少々びっくりしたようです。もっとももっと沖へ行けば今でも漁をしているという人もいるんだとか・・・。食べられる魚も当然捕れるわけです。

 私たちおのぼりさんは、都の華々しさのみを見て圧倒されるだけではなくて、こう言った都会の汚点も簡単に感じてしまいます。また、人の個々の小ささも体感します。地域で何かをしようとしても、そこに住む人の多さに一人の力がどれほどの効力がないことも・・・。人が増えれば仕方のないことなのでしょう・・・。ゆえに自己中心的な意識が高まるのかもしれません。というより他人の事には干渉できなくなるのかもしれません。面倒くさいですからね。でも義理人情は誰にでもあって、住む環境で表に出せなくなってしまう物なのでしょうね。

 娘たちは、あこがれている東京にどんなイメージを持ったことでしょう・・・。


捻挫(7/1)

 あっという間の半年でした。もう1年の半分が終わってしまいました。本当に早いなぁと思います。この間まで春を待ち焦がれて、中学生の感動の卒業式を見届けたのに、もうその次の1学期が終わる事になって、そして夏休みがやってきます。私自身は今年もまた、いろんな人たちに迷惑とご協力を頂いて、子供たちとバスケットをやろうとしています。大好きだった去年のバスケット部の子供たちと、長男の仲間たちと、中学生の女の子も私たちおじさんと一緒になって毎週1回練習をしています。

 過去2回やったわけですので、若干の不安要素はあるものの、3回目は至極簡単だろうと思っていました。しかし、その不安要素が事の他大きくてなかなか思ったように事が進みませんでした。ただ日頃の練習参加に来る人の数がどんどん増えて、今のところピークは30人です。しかし参加者は、いろいろ温度差があって同じ目標を持って来ているわけではありません。ただバスケットが好きで上手くなりたいと少しでもこう言った機会に参加している者、友達とワイワイできることに一番楽しみを感じている者、将来、先生になってバスケットを教えたいと思っている者、近い将来実業団に入ってバスケットをしたいと思っている者、健康のため運動している者、少し痩せようと思っている者、私のように子供たちと触れ合うことが楽しいと思ってくれている者など様々です。

 そんな練習の機会を重ねるたびに思っていたある不安・・・。それは春先に高校生の男の子が捻挫をした時に始まります。今まで、子供たちは中学校や高校でスポーツをしていましたが、こう言った怪我の際は、保険という自分の認識外でしっかりサポートされていたのですが、今こうやってやっていることには怪我やその他の事故について何も守られていません。ですのでシップを貼って家へ送り届ける事しか出来ず、その治療費は家庭の負担になるのです。これが普通なんですが・・・。子供たちにはその重大さがそれほどわかるはずもなく、怪我をしてもそんときやぁ・・・という考えです。でも私がいろいろ関わってみて、こう言った責任問題は、当事者になって考えてみると不安となって被さってきます。私自身にこの子たちを守ってやれる力も保証もありません。過去二回の大会では、当日のみの保険でやっていましたが、今は日々の練習に参加している子供の数が増えてきたことで、保険の必要性は絶対だと感じます。来週から年度末までのスポーツ保険に加入を皆に促し、最低限の安心を得る事にしました。大人として子供たちを守ってやらねばなりませんね。当たり前の事です。

 そしてそんな折、練習中に打撲や軽い肉離れをする子供が出ました。軽いものでしたので大丈夫との事・・・。しかしそのあとの練習で、なんと私が捻挫・・・。言い出しっぺが自ら保険の大切さを身をもって表した形となってしまいました。全治2週間とのことです。ギブスを3日間、そして今朝ギブスを取ってテーピングをし、サポーターをしています。なんでもこのギブスをすることで、腫れを抑え、治癒が早くなるということだそうです。それと捻挫した直後はとにかく冷やすという事で、一緒にいた方に氷で冷やしてもらいました。言われたとおり夜の間中も冷やしつづけ、そのおかげもあって腫れもたいしたことなく、今はだいぶ楽になっています。その気遣いに本当に感謝しています。久しぶりに捻挫なんてしました・・・。ただ仕事場での皆の反応は冷ややかなものです・・・(苦笑)。でも怪我なんかで老け込んでいくのは真っ平ゴメンです・・・。7/31大会には皆元気で一緒に楽しみたいものです。

寝不足(6/23)

 サッカー日本代表がW杯に出場を決めてすぐコンフェデ杯が始まりました。開催はドイツ。先日TOYOタイヤの支部総会で館山寺に出かけており、ギリシャ戦を観ました。深夜0:50からのTV放送です。4人一部屋だったのですが、私以外の方はサッカーを観るという方ではなかったのですが、私のわがままを聞いてくださり、TVをつけていてもいっこうに構わないよ・・・と眠っておられました。ありがとうございました。

 そんな中、私は一番TVに近い布団に寝転び、いつものようにあつ〜く応援をしておりました。そして1x0で勝ったわけですが、すでに3時・・・。しばらくして空が白み始め・・・程なくして朝でした。みなさんは6時頃起きられていたのですが、私は7時まで起きれませんでした。体がおも〜いのです。そして朝食をいただきまして、コーヒーを飲み、朝風呂をいただきました。湯船につかって一眠り・・・してしまいました。

 9時半頃チェックアウト・・・、他の方はすでにお出かけになられたようですが、私に付き合ってくださった方と2人が最後だったようです。のんびりと帰路につく予定だったのですが、反対方向の焼津に行こう!ということになり、おさかなセンターへ行きました。焼津へは昨年9月頃に来ましたが、その時はこのおさかなセンターへは私は入りませんでした。偏頭痛がしてバスの中で苦しんでいたのです。その雪辱戦も兼ねて美味しい寿司をいただきました。家族にいっぱい鮮度の良いあまえび、まぐろ、いくら、しゃけ、めんたいこなど買いまくりました。そして帰路についたわけですが、途中豊田によってトヨタ博物館に行こうとしたのですが、月曜日ということもあって休館。そこでトヨタ本社にあるトヨタ記念館に行き、トヨタの技術に触れてきました。さすが世界のトヨタです。そこには新しい車や未来を感じさせる車、そしてF1マシン。更には環境を考えた技術など、その最先端を行く日本を支えるトヨタ・・・、元気でいてくれなければ困るのです。そしてお世話になっているのです。ありがとうございます。

 話がそれにそれてしまいました・・・、サッカーの話ですが、今日の早朝やっていた日本対ブラジル戦。勝って欲しいと願いつつも勝てるのは難しいだろうと思っていました。2x0・・・3x0で負けるのではないかと思ったほどですが、ふたを開けてビックリ。そうそうに加地がゴールネットを揺らしたのです。判定はオフサイドでしたが、これはなんか違うぞ!と感じさせてくれる序盤でした。そのあとに1点先制されましたが、中村のミドルシュートは実に気持ちよかった・・・。試合は2x2の引き分けでしたが、ブラジル相手に良い試合をした事に可能性を感じた事で私もTVキャスターたちもみ〜んな満足しているようですが、ただブラジルが強かったかどうか・・・?ということであれば、今ひとつ元気がないのかもしれませんけど。そして一番嬉しかったのはジーコは母国ブラジル相手ではあるのですが、ゴールが決まると万歳をして喜ぶ姿が印象的でした。そしてTVアナウンサーの「やっぱりジーコは日本代表の監督です!」 という一言でした。この人に国民から感謝状を上げてもいいと思うのです。そう感じさせてくれる試合でした。次回は絶対勝つ!と信じていましょう・・・。あ〜寝むてぇ〜・・・。


がっかり(6/13)

 土曜の夜、映画を観に行きました。家族で「電車男」と「戦国自衛隊1549」の2派に分かれて観たのです。私は「戦国自衛隊1549」でした。正直この映画の事を知ってから、観たくてものすごく楽しみにしていたのです。今から24.5年ほど前、「戦国自衛隊」は映画としてありました。この映画は、当時飛ぶ鳥を落とす勢いで映画界に新風を巻き起こしていた角川映画の配給だったのです。当時は今よりもっと話題性があって、上映時はものすごい人気をはくしていました。この角川社長も、映画の中にちょい役で登場したりして時代の風雲児的な臭いをかもし出していた事も覚えています。余談ですがこの角川社長・・・逮捕されたんでしたっけ・・・!?忘れ去られていますねぇ・・・。

 話を戻しますが、前作をしっかり覚えている私としましては、前作をしのぐストーリーと迫力を期待していました。もうワクワクしていました。前作は当時の陸上自衛隊の協力を得る事ができず、戦車などはブルトーザーに張りぼてをほどこして色を塗って、戦車にしたてたそうです。主人公の千葉真一の自衛隊のヘルメットをはすに被った姿は、コンバットのサンダース軍曹を思い出させてくれるほどカッコ良かったなぁ・・・。私はこういった軍事的なものに興味があるのでは決してありません。この映画は、前作では叶わなかった陸上自衛隊の協力を得て、迫力のある映画に仕上がったという前振りだったのです。

 前作は、千葉真一率いる1個中隊が、戦国の世にタイムスリップ・・・、現代の武器を使って騎馬軍団武田信玄と戦うシーンが劇中の中でも多くの時間を費やして描かれていました。また、今では当たり前のサラウンドシステムで、空を飛ぶヘリコプターが劇場をクルクル飛び回っているかのような音や合戦の兵士の怒号が四方八方から聞こえてきて、観ている我々を驚愕させた物です。

 そんな前振りが私の中にはあったものですから、ものすごく期待してしまったわけです。そしてこの映画を観たわけです・・・。正直がっかりでした。映像の迫力はありましたが、ストーリーがいけません。現代の自衛隊の機器を借りた割には、生かされている内容ではありませんでした。また歴史に関与してはいけないのはわかりますが、先にタイムスリップした現代人たちが、戦国の世で猛威を奮ったおかげで平成の世にヒズミができてしまった・・・。それを修復に行く・・・という理由で、結局戦国の世で戦うのは、現代人同士の合戦だったのです。これが面白くないです。このストーリ-で描かなければいけないのは、何故にタイムスリップをしてしまったのか?という場面があまりにもあっさりしすぎていて解りにくいと言う事と、先に行ってしまった現代人の戦国の世で戦うまでのシーンが皆無に等しいという点です。それこそがこの映画の現代の兵器vs戦国時代・・・という見せ場なのです。そこを描いて、この者等を困ったちゃんに仕立ててから、残りのシーンが流れれば、この映画はグッと面白くなると思うのです・・・。

 とっても楽しみにしていたのにガッカリしてしまいました・・・。

貴ノ花(6/3)

 先月末、先代貴ノ花が亡くなりました。思い起こせば、私が高校生の頃、よくクラスで、大相撲の結果を友達数人で気にしながら盛り上がっていた事がありました。その時は、横綱北の湖がもう憎たらしいほど強くて、その対抗馬として年齢的にその少し上ではありましたが、同じく横綱輪島がいて、そして大関貴ノ花がいたのです。

 毎場所必ず北の湖が優勝してしまという図式に、強いなぁ・・・ということを通り過ぎて、マスコミに対するリップサービスが今思えば苦手だった北の湖は、「憎たらしいなぁ」と無愛想この上ない憎たらしい力士の代名詞だったのです。いつも決まり手は「寄り切り・・・寄り切って北の湖の勝ち〜」となるのです。「こいつは寄り切りしか出来んのか?」とぶつつきながら、弓取りの儀式も見ずにTVをパチンと消してしまう自分がいました。あの頃は場所がある時期は、学校から帰ってずっとTVの前で大相撲に夢中になっていました。そして次の日また友人とあれやこれやと話しに花が咲きました・・・本当いい思い出です。

 その中でも当時横綱にはなれなかったけど、どうしてもこの北の湖や輪島にはなかなか勝てないけど、貴ノ花が好きでした。現役時代この四股名「貴ノ花」の「ノ」が「乃」に変わったりしましたが、どちらが最終的に使われていたのかよくわかりません。ここでは貴ノ花で書かさせていただきます。場所も終盤になる頃、この貴ノ花と北の湖との一番は力が入った物です。年6場所ある中でも、勝てるのは1度あるかないか・・・です。そんときはもう観ていても一緒に力が入ってしまうほど興奮してしまいました。きっと端から見ていてとても滑稽に見えただろうと思います。若かったなぁ・・・。そんな貴ノ花がこの悪役北の湖に優勝決定戦で勝った時は、それはもうお祭騒ぎでした。全国の相撲ファンなら誰もが沸いた一番だったのではないかなぁ・・・と思います。国民の感心があの頃には大相撲にはありました。

 そして、千代の富士が台頭してきて、貴ノ花は引退していきます。私の中で相撲への関心が消えてしまった時でした。この千代の富士は強い横綱へと上り詰めていくわけですが、時代のタイミングといいますか、この貴ノ花が千代の富士と入れ替わって現れたのなら、その努める地位も替わっていたのではないかと空想してみた物です。あまりにも強い北の湖・・・同期の輪島・・・これら両者の力にどうしても体で劣る貴ノ花・・・。強かったのに、上手かったのに、横綱にはなれませんでした・・・。今でも好きな力士です。そんな貴ノ花が亡くなった・・・。享年55歳・・・。年齢を聞いて改めて驚きました。私の10歳しか違わない人だったなんて・・・、改めて思えばそうなんだ・・・という事です。引退したのが30歳だった・・・。普通30歳なんてまだまだこれからの年齢なのに、現役時代に心・技・体と全てにおいて精進しないといけない世界です。早回しで時間が流れていったのでしょうか・・・?すごい世界です。とても10歳の年齢差とは思えません。

 今でも貴ノ花の相撲の魅力は、強靭な足腰の鋼のような筋肉で大きな力士を土俵際で投げ飛ばすうっちゃりでした。北の湖のワンパターンのよりきりとは違います。本当にハラハラさせられて、最後にはホッとさせてくれる相撲でした。大きな力士に果敢に向かっていく皆に愛される力士だったのです。今はこう言ったタイプの力士がいません。低迷する相撲界、今の時代こそこんな力士が必要なのかもしれません。大関貴ノ花・・・本当に早すぎる死でした・・・合掌。


ピアノとギター(5/27)

 今の家が出来てしばらくして、某Y社の電子ピアノがやってきました。家内が長女のピアノとして買った物です。アップライトのピアノが以前でしたら家庭の主流だったのでしょうが、和が家は電子ピアノ・・・まぁちゃんとしてはいないそうですが、この程度の鍵盤タッチであればOKだとか・・・。そんな理由で電子ピアノはあるわけです。

 そんな長女も中学入学と同時にピアノから遠のいて行きました。入れ替わりに次女が弾くようになって行くわけですが、彼女ははじめ習い事が嫌だったようで、何を勧めても「やらない!」の一点張りだったのです。それが習字、水泳、そしてピアノと・・・。一緒に習い始めました。習字は程なくして塾が無くなりましたが・・・。気持ちが向けば集中力が一番強い次女は、楽しいのか辞めるのが嫌なのか・・・、ずーっと続けていました。そんな次女も今年から中学生です。「もう辞めるかな?」とさぐりを入れてみると・・・?「どれも辞める!」と言いつつも「これは辞めるけどこれはやる!」と言ってみたりはっきりしないまま一ヶ月が過ぎました。次女は中学では吹奏楽部に入部。そのせいか、これらの習い事にも少しずつ通えなくなっているようで、次女は断腸の思い?で水泳を辞めました。正直一番辞めないと思っていた水泳だったのでちょっと驚きました。今月いっぱいで7年通っていた水泳を辞めます。

 このピアノを一番嫌がっていたので、辞めるだろう?と勘ぐっていたのですが、今では自主的にいろんな曲をポロロロ〜ン♪とやっています。知らないうちに上手に弾けるようになっていることに驚きました。こう言った瞬間は、親としてとても嬉しいんですね。今は楽しくて仕方が無い・・・・!?程ではないのですが通っています。このあたりの熱が入っているのかいないのか?わからないところが次女のみょ〜なトコロなのですが。

 かく言う私も気が向けば我流でポロロロ〜ン♪とやります。すると家内もポロロロ〜ン♪とやります。長女もたま〜に弾きます。ごくごくたま〜に長男も触ります。弾くのではなくて触るんですが・・・(笑)。長男はギターを最近弾くようになりました。勉強の気晴らし程度にジャカジャカ♪とやっています。私の頃は、ギターも手に入れるには四苦八苦でした。市内の楽器屋さんで、¥9.800のアコギ(当時は生ギターと呼んでました)を亡くなったおばあちゃんに買ってもらったのです。それはもう嬉しくて嬉しくて・・・毎日ジャカジャカ♪やってました。勉強の合間にジャカジャカ♪、すると音が気になりまして、チューニングをはじめます。そしてまたジャカジャカ♪・・・とやります。するとまたチューニングをします。なんだかんだと1時間はこうして過ぎていきます。このアコギは、いろんな事を教えてくれた一台でした。どこへ行ったのか思い出せません。誰かに上げたのか・・・、壊れたのか・・・、捨てたのか・・・。今思えば大切にしておけばよかったと反省しています。そして今持っているギターは高校生の時にバイトして貯めたお金で買ったアコギです。今でもそれなりに通用する中級モデルといったものです。もう30年持っています。これはこれで大事なアコギなのです。そのあと友人に返すために手に入れたアコギが1台と、某Y社のギタレレというものがあって、我が家には3台のアコギがあるという現状です。長男には友人に返すための1台を渡してあります。というのは友人は返そうとすると、「困る!」と受け取りを拒んだのです。そんな訳で長男には無期限でアコギが渡してあります。私の頃と比べて実に恵まれた環境なのです。しかし熱が入っているか?と言えば「ん〜・・・どうでしょう・・・?」と言ったところですが・・・。

 私の経験からして、子供たちには、音楽を大いに楽しんで聴いても演ってもOKだと思っています。

この1ヶ月半(5/20)

 4月になってから、また夏に向けて体をできるだけ運動にできる体にしようと、思うままに歩いたり走ったり・・・時には腕立て腹筋の真似事をやっています。元来肥えやすい体質の私は、軽肥満だそうです。肥満ではないことがありがたいのですが、仕事である程度体を動かし、力のいることが若干の助けになっているのかもしれません。

 あれから1ヶ月半経ちました。現状は5kgの減量と体脂肪が7%ほど下がりました。今は標準という領域だそうです。今回は一昨年に減らした体重より、現状はまだ2kgほど多い状態です。でも体脂肪は1%ほど下回っています。と言うのは特別なことをしているのではなくて、一昨年は両肩が四十肩という厄介な老化現象によって、たまらない痛みに襲われていたため、肩を使う動きは極力避けてしまったため、従来なで肩であった体型が筋肉が落ち、今まで見たことも無い鎖骨が現れ、それは貧弱な体になっていたのです。体重を落としていったら筋肉まで落ちてしまっていた・・・、ということです。今回は先にも書きましたが、体重を落とす事だけではなく体脂肪を落とし筋肉をつける・・・という筋トレ(無酸素運動)も取り入れているつもりです。まったりとした脂肪に包まれた体は、なかなかに思ったようになってはくれません。やっかいな体脂肪には皮下脂肪と内臓脂肪があって、我が家にある体脂肪計は、その両方が計れるのです。でもこれがまたやっかいなもんで、内臓脂肪は割と容易に落ちるのですが、皮下脂肪はなかなか落ちないのです。おかげで中がしぼんで表面の脂肪は残っているため、だら〜んとしただらしない体つきになって行きます。

 筋トレをやってはいるのですが、なかなかバッチリとは行きません。胸部を厚くしようと、肘を両サイドに張った状態での腕立てふせが良いと聞いてやってはいますが、落ちてしまって細くなった筋肉ではなかなか重い体を上へは運んでくれません。それでも日に少しずつでもやって無理をしないように続けていますと、回数も増えて若干力が湧いている感じがしています。

 脚力も同様で、歩いているばかりだったのですが、時折軽く走ってみたりします。すると最近では体が軽く感じると言いますか、脚にやはり力がついてるな?と思えます。長距離を走るような持久力は元来得てとしませんので、100歩走って100歩歩く・・・、と言うようなやり方で往復5kmを40分くらいかけてのんびりやっています。

 しかし一昨日、全力疾走を試みてみました。走ったのは100mくらいです。15分いつものように歩いてから、おもむろにダッシュしてみました。体の・・・特に太ももの上がりを気にしながら力を込めて、そしてふくらはぎから足の裏が地面を蹴っている様子が忘れていた若い頃の感触だったのです。正直嬉しかったのです。「気持ちいい〜・・・」のです。走ったのは一回きりでしたが、バスケットではこんなことが頻繁に行われますので、まだまだ遠い感じはします。それに一番怖いのが腱が切れる!と言う事。それはあっていけないのです。これはストレッチや筋トレでは完全に防ぐ事はできないようです。切れるときは切れてしまうそうです。そうなったら怖い・・・という意識は若い頃には全然無いわけですが、今はやっぱりどこかに潜んでいたりするのです。もし経験のある者でしたら怖くて、今自分がやっていることも出来ないかもしれません。でも今回私は何十年ぶりかに全力で走ったのです。気持ちよかったのです。

 しかし、昨日、見事に私の脚はだる〜いのです。筋肉痛は無いのですが、しっかりだる〜いのです。しかも上半身にもそれは影響を与えていたようで、体全体がだるいのです。おかげで昨日は歩く事も休みました。衰えた肉体は決して若い頃の体には戻らないのでしょうが、あせらずいろいろと考えながら相談しながら自分の体を見つめる事で、健康と言うことを考えるようにもなります。食べる物も気にしますし、睡眠時間やゆっくりと音楽を聴ける時間を持つこと。趣味の時間、家族と過ごす時間など、なかなか難しい事ではありますが、少しでも手に入れようとする気持ちがあります。

 今年のバスケットは少しでも動けるようにしたいと思っているのです。


ひがしBOB(5/13)

 一昨年の今頃、中学校の先生との会話から縁あって始まったのが、おっさんバスケットボールチーム「ひがしBOB」。同級生を中心に集まったチームです。中学生とバスケットボールをしよう!という趣旨で始まりました。夏の子供たちの大会が終わるのを待って、第一回目の「OB戦」が行われました。昨年は参加する人数やチームも増えて、総勢120人ほどの選手と子供たちで大事になった訳です。当日その人数の多さに参加者お互いがびっくり状態。誰一人予想していなかった事になっていました。

 今年もやろう!という声が上がっています。月に2回ほどの練習日を設けて、体育館を借りてやっています。子どもと大人の親睦を目的としたバスケット大会です。昨年、ひがしBOBは高校生男子も入れて強化しましたが、できればやっぱり結果ではなくおっさんチームは、見苦しく老体にむち打って、コートをドタドタとボールを追って走り回らなければならないと思います。やっぱりそこにチームとしての役割があるということを思います。「おぢさんたちは一生懸命なんだよ・・・」と言う所を見てもらいたいと思います。

 いつも一緒に練習をやっている高校生達、2.3人が今や男の子が10人ほどになりました。女の子はまだ生活のサイクルが安定していない1年生ですからできるのか?と言ったところでしょうか。それでも彼女達も8人くらいは来ています。現役の中学生バスケ部の子供たちが、なかなか満足した練習ができない・・・ということらしく先日の練習にひょっこりやってきました。まさに皆でバスケットを楽しもう!という構成になって来ました。でも「OB戦」ができない・・・と言う事であれば、大会と銘打ったものは出来なくなってしまいます・・・。まぁいつも子供たちと一緒に練習をやっているわけですから、本来の一番大切にしている目的は達成されているわけですけどね。でも張りがなくなることは否めません。

 この練習する場所が、夜なのです。一般の人を対象に・・・つまりは大人への体育館開放なので子供たちが多数活動する事が、行政の本来の趣旨と合っていない・・・気もします。まだ何も言われた事はないのですが、ひょっとしてこのままやっていると、いつか苦言を受けるかもしれません。まぁそうなったらそれなりに主張をするつもりではいます。最近思うのですが、バスケットを屋外でできる場所・・・施設がありません。公園だったり運動場でも良いのです。そうすれば夜の体育館を使用した時、帰りが遅くなり危険を伴うようなそんな思いをしなくても済むわけです。

 テニスやサッカー、野球といった施設は市内に多数あります。バスケットは知る限り一ヶ所だけ、それもコートがあるわけではありません。ゴールが1つあるのみです。バスケット人口が少ないかと言うとそんな事は無いと思います。経験者は多いはずです。ただできる限界年齢が、他の軽スポーツに比べると低いことやハードなスポーツであるということが懸念されるのかもしれません。部活動以外にやりたいと思っている子供もたくさんいるのではないでしょうか。何とかしてこの町に屋外のバスケットコートができないかと思います。


ヒーローの存在と三つ子の魂(5/3)

 三つ子の魂百までと言いますが、その人間の性格を形成する幼い頃の環境がどう違って、今回の場合私たちの年代とその子供たちの感覚の差を考えてみたいと思います。結論から言えば全然違うのですが、何故ゆえ?というお話です。あくまで私個人の見解ですし、今思いつくまま書き込んで行きますので的外れでトンチンカンな!?展開になるかもしれません。

 最近の子供たちを取り巻く環境は私たちの頃と随分変わってしまいました。これは本当に仕様がないことです。ただ人は世間一般の常識をどこで感じ取って子供から大人になって行くのか・・・?三つ子の魂・・・幼い頃の体験がいろいろと性格を作る要因となって、歳をとっても根本的な性格はこの頃出来てしまっている・・・と解釈されています。良くも悪くも幼い日に出来てしまった性格や解釈はなかなか直らない・・・。まさにそう言う意味でこのことわざはあります。

 私は幼い頃よく母に「○○しないと○○になるで・・・・」と言われました。つまり何かをしないと何かがダメになる・・・と言われてきました。例えば「勉強しないと脳みそが腐る・・・」「ご飯粒を残すと目がつぶれる・・・」まったくもっておどされて躾を受けてきました。今思えば何ちゅう躾をするねん・・・と苦笑してしまう話ですが、勉強はしなくとも脳みそは腐らずに(たぶん・・・)こうして普通に生活しています・・・。でもご飯粒を残さない・・・ということは今子供を育ててきて感じる事ですが、ご飯茶碗にご飯粒を残して食事を終わると言うことは一度もありません。また、おかわりをするときも必ず一粒も残さず食べてからよそいでもらっています(自分でよそげってか・・・?)。それがどういう意味があるのかは別にして、幼いころの母の一言が思い出されます。母に限らず、夜口笛を吹くと蛇が来る・・・とか夜、爪を切ると親の死に目に会えない・・・とか先人の教えには戒めの脅しが込められています。こうやって子を躾る手段として脅す・・・と言う事は、それなりに効果があるわけです。でも母のように何でも脅して言う事を聞かせているのも今思えば困った話で、私の子供たちにも母は時折脅しをかけています。でも今の子は効き目が無いんですねぇ・・・。

 三つ子の魂・・・幼い日にTVを通して(TVっ子でした)受けた影響はなかなかどうして大きなものがあるようです。私が観たTVで一番大好きだったのは鉄人28号・・・。あの頃アニメという言葉を知らずにマンガ・・・と言っていました。スーパージェッター、宇宙少年ソラン、宇宙エース、8マン、黄金バット、流星少年パピー、レインボー戦隊ロビンなどなど・・・マンガばっかり観てました。それは全てヒーローだったのです。悪の侵略から正義を守る・・・全てがそういった図式です。正義をええもん・・・悪をわるもん・・・と呼んでいました。必ず何曜日に何がやるということもしっかり把握していまして、見逃す時はよっぽどの理由があった時です。今のようにビデオに録画するなんて発想はどこにもありませんでしたから・・・。

 その後、現れたのがウルトラマンです。実写の怪獣をやっつけるビッグヒーローの登場でした。これを見せられた時は、すごいのがTVで始まったなぁ・・・と大変な驚きを覚えました。そのとき2階で勉強をしている兄に大声で「〒%∇■X○*〜!!!」となんと言ったか忘れてしまいましたが、「今度怪獣が出る番組TVでやるよ〜!!!ええもんが出てきてやっつけるんやて〜」と言うようなことを叫んだと思います。当時は老若男女問わず、皆がこのウルトラマンの登場を話題にしたものです。実際私の母は毎週楽しみにしていましたから・・・。それが私が保育園の頃でした。こうして、私の幼年期は正義の味方、強きをくじき、弱きを助ける!と言う根本が備わるのです・・・(すごく怪しいのですが・・・)。自己犠牲の美学というものでしょうか・・・。ヒーローはカッコウ良く、事を成し遂げると間髪入れずに去って行くのです。

 その後に訪れたスポーツ根性アニメ&ドラマ・・・。巨人の星、あしたのジョー、タイガーマスク、アタックNo,1、サインはV、柔道一直線などなど・・・。スポーツの世界に汗と涙のスパイスを入れて根性で勝利をつかむ!!そんな洗脳を受けて私たちは思春期に突入したのです。中学校ではバレー部に人気が集中しました。私はバスケットでしたけど・・・。実際には汗と涙のスパイスには辛い練習があるのだということを実体験で味わい、辞めて行く者も少なくはありませんでした。今の子供たちよりうんと練習量も内容も過酷で、根性論が唱えられていました。水なんか飲んではいけなかったのです。土曜日は昼1時から2時間外で、3時からは体育館で5時まで。日曜以外は毎日部活はありました。頑張っていたんだなぁ・・・と思います。当たり前の事だったわけですけどね・・・。

 こうした背景がが今の私たち年代には色濃くあるとお思います。正義感とか頑張るとか・・・正直者がTVで教えてもらったほど日の目を見るものでもないことに矛盾を覚えながら、そういうものだけど何が正しいのかを見極める気持ちは失いたくない・・・と思っていますし、頑張れば結果はどうであれ無駄ではない事も知っています。やり遂げたことへの自分への賛辞も味わいました。青春ドラマのような若いという特権を大いに生かして頑張っていたように思いますし、あこがれを絶えず何かに感じて生きていたように思います。今の子供たちは何にあこがれを持っているのでしょう?自分の将来の生き方を何に目標を持って生きているのでしょう?私たちの頃のように教わる者があまりそばにいないような気がします。先生とは何も学校の先生方だけではないはずです。先に生まれ生きている者は、後からやって来る者たちに標を残し、何かを導いてやらなければいけないと思うのです。幼い日の魂は大人が作ってやるものですから。

堤防を歩きます(4/24)

 季節を愛でる・・・。木曽川の堤防を歩きます。今朝も2.5kmほど歩いてきました。青い空に木曽川のせせらぎの音やそよぐ風。桜の木は花びらを落とし新緑が芽吹いて本当にいい季節になっています。春の訪れとともにツバメが飛来しています。堤防を私だけでなくいろんな人たちが、様々に思い思いの速さで歩いたり走ったり、自転車に乗っている人もいます。河川敷のグランドでは、少年達がサッカーや野球をやっています。ゆっくり時間が流れて行きます。

 一組の老夫婦とすれ違いました。なにやら会話を楽しみながらゆっくりとしたペースで歩いてみえます。健康管理と憩いのひと時をここに持っているのでしょう。楽しそうに歩いている姿が印象的です。子供の頃にはこのあたりにあった清水を思い出しました。生活用水として活躍した清水でした。3槽からなる仕組みで、上から何を洗うという場所が決められていました。こう言ったところは全国的にたくさんあったりしますが、やっぱり同じような決まりがあるみたいです。ここで洗うために両膝を着いてかがんだ姿勢をとります。そのときに膝を守るためにそれ用の小さなすのこが置いてありました。このすのこを子供の頃川に流してしまった事がありました。もちろんいたずらでです。何枚もあったそのすのこをどんぶらこ・・・と流して近所のおばさんにこっぴどく叱られたことがありました。そのあと真新しくなったすのこを見て、子ども心に罪悪感を感じた事を覚えています。今は堤防が出来たため、場所を換えてこの清水は今も沸いていますが、ここを利用する人を見たことがありません。ましてや、すのこもありません。ただ今もなお清水は沸いています。



ある書物を読んで(4/17)

 最近、松下幸之助の書物を読んでいます。いろいろあるのですが、人生心得帖というのが今回読んでいるものです。以前商売心得帖なるものを読んでいたときは、1ページ進むのにすごく時間がかかってしまい、これほど重いものだとは思いませんでした。さらっと書いてあるのですが、考えさせられてしまって次の文章になかなか移れないのです。ドキドキしてう〜んとうなってしまうものでした。それに比べてこの人生心得帖はとても感銘を受けて読みやすいものです。それでもそれほど厚い本ではないのですが、まだまだ読むのには違った意味で時間がかかりそうです。就寝時に読むからすぐ眠ってしまうのです。

 人生においての成功者とは?というくだりがあります。松下氏の言葉は、私の今を応援してくれているようで、とても嬉しい気持ちにしてくれました。商売をやっている身からすれば、成功とは会社の繁栄、そして財をなすことに他ならないのでしょうが、全ての商売人がそれで満足した人生なのかというと決してそうでもない気がします。確かにタイヤ屋になるべくして生まれてきた天命はありますし、使命感は持っています。ましてや不満などありません。以前にも書きましたが、先代から頂いている現状を人は「いいねぇ・・・」と言いますが、私自身にはずっと向かい風が吹き続けています。

 ただ、自分の人生ですから、仕事だけに限定せず、含めた広い意味で、何かをするために自分は生まれてきたと思いたいものです。それが自分の中で見つかればしめたものですが、なかなか出会えるものでもないようです。ただ、そう願って生きていれば思いとは不思議なもので、時々パッと現れて、それが実現に向けて転がっていくから面白いなぁ・・・と感じます。もちろん様々な方たちの理解と協力があっての話なのですが・・・。感謝の思いもまた生まれてきます。それを天分とか天命とか言いますね。なんとなく難い話ですがいい話です。そんな事が自分にやっと理解できる歳になったということでしょうか?180度逆を思って疑わなかった事が、今はそうなんだ・・・と思えてうなずいたりします。

 話は変わって・・・、5年ぶりくらいにコンタクトレンズを替えました。最近ではワンデイとかツーウィークとか、短期間で交換し使い捨てのソフトレンズが出ていますが、私の場合左眼が極端に視力が悪く、乱視が強いためハードレンズを使っていました。でも一週間ほど前にソフトでも良いものが出てきたからという事を聞き、あるお店に出かけて行きました。コンタクト専門のお店で診療所が併設されており、そこには医師らしき人がいて、診察を受けます。そしておもむろにコンタクトを装着して、自分に合ったコンタクトを選んでいきます。何回か着脱を繰り返し、検眼をして私の場合、右がかなり視力が落ちていて、裸眼で0.7あったものが0.4になっていました。左に至ってはやはり0.0??という視力で、結局ソフトレンズではまだ矯正ができないということでした。でも現在まで使っていたものよりうんとよく、何しろ装着感があまり無いのがいいです。最終的に右が1.0左が0.5という矯正で行く事になりました。驚いた事にそれまで月が2つに見えていたのに、昨晩星空を眺めてビックリ・・・月は1つに、それと細かい星まで見えるではありませんか・・・。「おぉ・・・」と感動していた私です・・・。目は大切にしましょう・・・。


おばあちゃん(4/9)

 一昨日観た映画、韓国映画の「おばあちゃんの家」という映画でした。この映画よかったら是非観てください。ソウルからやって来たわがままな孫が、田舎に住むおばあちゃんの家に預けられる事に・・・。何にもないおばあちゃんの家・・・。しかもこのおばあちゃん話すことも字を書くことも出来ません。しかもこの孫、おばあちゃんにわがままの連発、悪態もつきます。でもこのおばあちゃん、表情1つ変えず孫の要求に応えようとします。.その姿がとてもいとおしく思えるのです。深い深い深い愛情を感じるのです。そしてそのうちこの孫はそんなおばあちゃんが大好きになって行くのです。そんな時この孫が帰る日がやって来ます。簡単な文字を教える孫、それを一生懸命覚えるおばあちゃん・・・。やがて孫との手紙のやり取りがあるシーンで物語りは終わります。

 腰の曲がったおばあちゃんの歩くスピードはとってもゆっくりです。おばあちゃんの時間はとってもゆっくりです。そんな中で愛情は溢れんばかり・・・。不便を不便と思わない何も無いそんな生活の中で生きているおばあちゃん。この映画を観ていてとても優しい気持ちになれました。私が子供だった頃を思い出します。文句を言って悪態をついたことも思い出しました。わがまま言いました。いろんなものを買ってもらいました。いろんな所へ連れて行ってもらいました。おこられたりもしました。プロレスが大好きだったおばあちゃん。母の愛情とはまた違って、おばあちゃんの愛情は澄んだよどみの無い静かなものでした。


映画・・・鉄人28号(3/30)

 昨日は久しぶりの休み。午前中は長女のお別れバスケットの試合を観戦に行って、午後からは床屋に行って来ました。さっぱり!?したところで、3人の子供たちを誘っていつものマーゴへ映画を観に行ってきました。お題は「鉄人28号」・・・。私たち昭和30年代生まれのロボットヒーローです。ずーっと以前に鉄人について書いたと思いますので詳しくは書きませんが、もうこの映画がCGを駆使して実写でやるとしって、早くから観たいなぁ・・・、と思っていました。

 対戦するロボットはブラックオックス・・・、鉄人28号には絶対欠かせない相手です。動きはロボット然としたもので、今のような素早く細かい動きはありません。のっしのっしと歩き、パンチを撃ったりするだけの動きです。やっとジェットエンジンなるもので飛ぶということが当時の最大のパフォーマンスだったのかもしれません。劇中の時代は現代・・・。突然怪ロボットが現れ、東京タワーを破壊します。決まって東京タワーなんですね・・・。

 なんばかんだとこの両者が戦って結局鉄人が勝つわけですが、映画自体はあまり面白くありませんでした。そうそう平日の夕方と言う事もあって、対象となる!?私たち世代が観る時間ではないこと。春休みではあるけれど、子供たちは観にきてはいないこと。今回私たちが上映された時は、なんと4人・・・。私たちだけだったのです。貸切でした。もうリラックスしまくりでガヤカヤ、むしゃむしゃと雑音を発しながら観ていました。この映画、懐かしいだけでどうなんでしょうね・・・。誰を対象にしたものなのでしょうか?ひよっとして失敗?と心配するほどの内容です。この観客の無さです。酷評すれば金田正太郎を演じる子役、8000人のオーディションを勝ち抜いた子役、ラストサムライに出てきたあの子ですが、演技が妙にありがちな過剰表現で、学芸会の乗りなのです。ほとんどがこの子の演技ですから、観ていてとってもしんどくなってきます。鉄人のCGはそれほどでもなく、時間にしてもあまりたいしたことはありませんでした。正直がっかりです。子供にとってはそこそこ面白かったようですが、観たいと思う映画ではなかったそうですから、先に記述した、誰を対象にした映画なのか・・・中途半端な感じがするのです。正直睡魔が来た事も付け加えておきます。この映画はもっと大人が楽しめるような怪奇的なストーリーで、子供が観るにはちょっと怖いぞ!という映画にして欲しかったのですが・・・。

 この夜、自宅で中国映画「こころの湯」という映画を観ました。なんてことは無い内容なのですが、なんかこころ暖まる内容でいい映画だと思いました。今年に入って50本以上観ました。私なりにいい映画わるい映画・・・何を基準に感じているのか、模索中といったところです・・・。



抹茶の怪(3/22)

 毎日コーヒーやお茶の類を結構愛飲している私です。朝から仕事中はほとんどコーヒーばかり、10杯以上は飲むでしょう・・・。ところが仕事が終わって、自宅へ帰りますと一切コーヒーは飲みません。飲みたいとも思わなくなるから不思議です。飲むのはお茶になります。一日に何杯飲むのか調べた事はありませんが、結構飲む方だと思います。

 何かの用事で外出先で、夜コーヒーを飲んでも眠れなくなるという事はありません。お茶を飲んでも同様です。しかし、ある時どうしても寝つきが悪かった時がありました。3時頃まで起きていたことがあります。どうしてかなぁ?と思いを巡らしていると、ふと抹茶アイスを食べた事を思い出しました。原因はこれかなぁ・・・?と思う程度だったのですが、しばらくしてやっぱり抹茶アイスを食べた時同様のことが起きまして、これはもう抹茶アイスに他ならない・・・という結論になったわけです。

 決して嫌いになった訳ではないのですが、抹茶系は意識して避けるようになりました。それが先日何年ぶりかに私の目の前に抹茶ムースプリンなる新兵器!?が現れたのです。それはプラスチックのカップに3層からなる洋菓子で、1層目はおなじみのプリン、2層目はこてこての抹茶、一番上が生クリームと抹茶のミックスクリームです。私はこれを避けていたのですが、家内が「ちょっと食べてみやぁ・・・美味しいで」とスプーンに一口差し出したのです。ちょっとためらいましたが、おもむろにこのミックスクリームを一口・・・。それはもう絶妙なまったりとした甘さと、抹茶の持つ渋みとさっぱり感のコラボレーションが実に美味しいのです。こうやって食通のような表現を真似してみたかったので、こんな言い方をしてみましたが、ようは美味かったのです。そこでもう2口食べてしまったのです。

 するとやっぱりその夜、3時まで悶々とした時間が私に訪れちゃったのです・・・。やっぱり抹茶系は食べない事にします。



なんじゃあいつは!?(3/17)

 昨日、ダンロップの商品説明会あがり瑞浪市へ行ってきました。時間は14:00〜でしたが、20分ほど遅刻・・・。あせって部屋に入ると空いてる席は決まって前列・・・。困ったなぁ・・・と思っていると左真中端に空席がありました。こそこそとその席へ足早に着きました。商品は3点です。話の内容は最初の1点が始まってすぐのようです。「よかった・・・」と資料を手に話に耳を傾けていきました。

 始まって40分過ぎた頃でしょうか・・・、私の席の2つ前の50代とおぼしき男性(男しか居ません・・・)が、小言を何やら言っているのです。隣りの席のやはり50代の男性に向かって「・・・・・・」と、よく聞き取れませんでしたが、明らかに何やら不満を言っているのです。だいたい感じでわかりますが、講義の内容が難しすぎて、ちっともためにならない・・・、聞いても何の役にもたたない・・・、時間の無駄だ・・・。といったところでしょう。1時間15分で最初の説明が終わりました。現に眠っているもの、携帯に夢中になっているもの・・・様々でした。

 するとこの男性、メーカーのスタッフに向かって「こんな話、やっても無駄やわ!誰も聞いとらんやないか・・・。4時まで本当にやるのか?」と声を荒げて言うのです。それを聞いて私はちょっと驚きました。今までこんなことは勉強会ではなかったのです。何をしにこの男はここへやって来たのでしょう?何か楽しいことでもあると思ったのでしょうか?タイヤの何を理解しに来たのでしょうか?確かに難しい話ではありましたが、プロの知識として知っておく必要がある話だと思います。更にこの男、周りの若い連中に同意を求めるかのように、「解るか?こんな話聞いても無駄やわ!タイヤなんてお客が『安いタイヤくれ!』としか言わんやろ?こんな話誰も聞きたがらんわ・・・」と言うのです。周りの若い連中も意に反しないように、軽くうなずいてしまうのです。本当は聞きたいと思っているものもいたでしょうに・・・。

 私の周りの連中はこんな感じだったのかなぁ?と思いました。それを聞いた瞬間、私には怒りが込み上げて来ました。「嫌なら帰れ!」です。真剣に聞いている人間も居るんだという事です。そしてこの程度でタイヤを考えている人間がタイヤを売っているのかと思うと情けなくなってきます。休憩後、また同じ事をやり始めたら「無駄と思うなら帰れ!」と言う気でいました。そしたら4時になった頃、途中でこの50代男2人は、スッと席を立ち、帰って行きました。その20分後勉強会は終了しました。私は、腹立たしさを抑え切れずに、メーカーの人たちに不満をぶちまけたのです。「誰だ!あいつは?あんな奴らを呼ぶ必要はない。何をしに来たのか?つまらなんだら帰るか、寝とれって言いたい・・・。他の人に迷惑だ!!」とメーカーの人10人位に囲まれている自分だったのです。

 確かにタイヤを一番簡単に売る方法は、お客様の必要としている条件に一番見合った物を売ればいいのですが、「安いタイヤしか売れないから、それだけ売っていればいい・・・」というそのおっさんの言葉は、タイヤ専門で生活を営んでいる我々を侮辱しているように聞こえました。それがこのおっさんの意識ならここへ来るに値しない人間だと思うのです。頭数をそろえないと形にならないメーカー側の意図も理解できますが、質の高い勉強会を模索するなら少人数で、回数を増やした方がいいと思うのです。ましてやこんなおっさんと一緒に聞くこと事態こちらから願い下げです。

春の日に・・・(3/14)

 11日、長女の卒業式がありました。我が家は長女は私、次女(24日卒業)は家内ということで私が出かけて行きました。式は粛々と行われ、無事終了・・・。こう書くと、何か問題が起こるのではないかという雰囲気が浮かびますが、全然そんなことはありません。素直にこの時の自分達の別れを感じているようでした。素直な子ども達だと思いました。この子らは、私にとってもとても情があり、ついついかまってしまう子どもたちでした。この3年間いろんな事で関わる事があっただけに、本当にこの日は嬉しく思いました。なんかたくさん書きたいのですが、どう書いていいのか適当な言葉がみつかりません。また機会があれば・・・ということで・・・。ここに子供たちが歌った歌を載せます。

                 『卒業』

  紙ひこうき 芝生で飛ばしたら 折りたたむ悲しみが開いた

        この白さは いつまで残るのか

        天山北路の砂ふる はなみずき

        窓ガラスに「さよなら」書いたゆび


    友送ると 靴ひも直したら 石道に夕暮れがあふれた

         なぜ 獣の若さは辛いのか

        ボッティチェルリ 生まれ日調べてた

        水たたえる あの目を忘れない


気になること(3/6)

 今気になることを考えてみました。実は昨日昼よりオープン戦を観戦しに名古屋ドームへ行ってきたのです。相手はあの「楽天」・・・。近鉄とオリックスとの合併で分配ドラフトなるもので振り分けられた選手たちと、各球団を解雇されてしまったベテラン選手と一部の新人、助っ人からなる球団です。どんな野球をするのかな?と楽しみにして行ったのですが、オープン戦とはいえ、彼らには観られている・・・という緊張感が感じられました。後の無い選手とか、チームは弱い・・・と言われる逆境の中、それを弾き返そうとする頑張りが観られました。関川の一塁へのヘッドスライディングや守備での外野フェンスへぶつかりながらのキャッチは観ているものの心をグッと引き付けるプレーでした。関川はドラゴンズを去り楽天に行ったわけですが、彼は貴重なメッセージを持った選手のような気がします。ひょっとして戦力以上のものをドラゴンズは放出してしまったのかもしれません。オープン戦は調整目的の試合なんでしょうが、お客さんは観にきているわけですから、もう少し奮起して欲しいところです。盛んに「本日の試合は、東海テレビ杯です・・・。」と銘打ってアナウンスが流れていましたが、ドラゴンズ選手にそれによって鼓舞する雰囲気は伝わって来ませんでした。改革の年というそうですが、楽天が入ったことと、交流試合が加わった事をのぞけば、我々から観れば何も分からないのが現状です。昨日の試合はつまらないものでした。

 それと、今年もチューリップが帰ってきます。コンサートスケジュールはまだ一部のみの発表ですが、いずれこの地域にもやってくるでしょう・・・。また、上田さんのドラムを聴くことができるかと思うとワクワクします。そう言えばこんな私に、「ドラムをたたいてくれないか」という話があります。もう止めて20年位経っていますから、手も動かないでしょうし、ちゃんとできる自信がありません。丁重に拒みつづけているんですが、怖いもの観たさに、一回くらいなら・・・と思う自分が居るのも事実です。でもそれは相手に、とっても失礼なことですから。まぁ現実には出来ないでしょうしね。そんな簡単な事ではないです。

それと、猛威を振るうと言われていて、なかなか来ない花粉です。あの嫌な症状に見舞わされるのかと思うととっても憂鬱になります・・・。今週の寒気が去れば遅れている花粉もやってくるんでしょうねぇ・・・。あぁ嫌だ嫌だ・・・。

懐かしい小学校(2/27)

 昨日、次女のミニバスケットボール大会がありました。大会を観に行くのはこれが初めてです。長男や長女の試合は、しょっちゅう観に行っていましたが、ミニバスは初めてでした。市内4校の大会で、不思議な事に女子のチームばかりです。男子があるのは、2校だけ。おまけに、次女の通う小学校は男子のクラブ員数が少なくて、チームが組めないのです。特別と言う事で、混合チームでの参加となりました。

 驚いた事に、その実力差は練習に比例し、開催校のチームが断然強いのです。そりゃぁもう見事です。ちゃんとバスケットになっております。動きも速い・・・。驚きました。この子たちが、このまま中学校へやってくるのですね。頼もしい限りです・・・。学校によって練習量が違う事、それから目的が違う事、楽しみながらやるということが小学生には必要だと思います。勝つということは、難しい事ですからね。上手いだけではいけません。立派な指導者がいてちゃんと規律を持たせて、チームとして動けなければいけません。挨拶はもちろんです。その学校その学校で違いがあって、勝敗は別にしていろいろ感じる大会でした。

 この会場となった小学校ですが、私が通った学校なのです。一緒に応援に来た長女と、試合の間の時間にぐるっと散歩をしながら散策をしてみました。広〜い校庭です。昔は大きく感じた桜の木があちこちに植えられていて、春は桜で一杯になります。夏はセミが鳴き、そりゃぁもうすごいことになります。夏休み、いとこと一緒によくセミを捕まえたものです。私が小学校3、4年生の頃、近くの機関庫から蒸気機関車がやってきました。特別に線路を引いて、バックでシュッポシュッポと煙をはいて蒸気機関車はやってきました。その汽車が昔のままじっと展示されてあります。

 校庭の南付近には、子ども達が遊べるようにタイヤの遊具が置いてあります。ひょっとしたら、これらは昔のままで、子どもの頃私の店から来たタイヤかもしれません。古い銘柄のタイヤですからそんな気がしました。それだけではなくて、覚えのある遊具が結構残っていました。こんなことやって遊んだなぁ・・・なんて思いにふけって長女にいろいろと話して聞かせてやりました。校舎はもう建っている位置は昔の位置ですが、当然新校舎になっていますし、最近建った4階建ての校舎は、なんでもエレベーターがついているということですからびっくりです。

 ここに講堂があって、ここで入学式をやって、このへんで記念写真を撮ったと娘に話してやりました。この辺りに飼育小屋があって、友達と飼育当番をやったことも思い出しました。懐かしい小学校です。随分昔の思い出になってしまいました。私の卒業後3.4年で私の住んでいる地区は、別の小学校に通うこととなり、そういった流れで私の子供たちは今の小学校に通いました。そしてこの春の次女の卒業で、小学校とはお別れです。春はもうすぐそこです。


子ども達とふれあう(2/20)

 今日は臨時休業、地元子ども会の行事で、新旧の交代の意味もかねて、花植えとお餅つきをしました。昨日は、夜まで冷たい雨が降り続いて心配だったのですが、なんとか終了する事が出来ました。大人の参加が意外に多かったので、正直ありがたかったです。それと、中学生の子ども達が数人集まってくれて、作業はスムーズに行えました。花壇には枯れてしまった花や草の類がボサボサになっている状態。早速草むしりから始まりました。鍬で、耕しながら草を根っこから掘り起こし、取り除いていきます。そして培養土なる土を混ぜていきます。そのあとパンジーとチューリップの球根を植えていきました。パンジーはもう咲いていて枯れていた花壇が綺麗になりました。チューリップはもう少し待てば赤や黄色の花が咲くでしょう・・・。

 後半は餅つきです・・・。40人くらい集まって、5升の餅をつきました。3回に分けて蒸してつきました。大人がある程度ついて、その後子どもが順番についていきます。意外と子ども達はつきたがるのです。出来たお餅は、大人が、あんこ、きなこ、だいこんおろし、のりなどの味付けをして、小分けにしてくれました。、そしておどろいた事に出来上がった5升のお餅は、ほとんどが皆のお腹の中へと消えて行きました。中には11個も食べた子もいます。「おいしいおいしい・・・」と食べてくれました。ビンゴをして、景品をもらい、お菓子とノートをもらって子ども達は帰って行きました。

 この間、子ども達とふれあうことができましたが、中学生の協力的な姿勢に感心しました。嬉しくなりました。花を植える作業も、仕事を頼めば一生懸命やってくれましたし、餅つきの作業も力仕事を中心にやってくれました。私が感じた事をここに書きますと、子ども達とふれあうということは、今の子ども達の精神状態をさぐる事ができます。感じる事ができます。垣間見る子ども達は、時にはツッパラがって見せて、我々に大丈夫かなぁ?と心配な一面を見せたりしますが、こうやってじっくり一緒にいるとそんな心配も思春期にありがちな、ほんの一面に思えてきます。親というものは、子どもを育てるにあたって、日々迷い、不安の中を感じながら生活しています。子供の姿は、自らが接して、感じていく事がやっぱり一番理解できる事です。たわいもない家族団欒は家庭を作り、地域を作り、社会を作る上で一番大切な基盤になっているのです。そして子どもを一人立ちできる大人へと育てていくのです。私たちは子ども達の手本になれる大人になりたいものです。決して立派な大人でいる必要はありません。ちょっとだけ姿勢を正してやればいいのです。