*****ひろのうたびとのしおり・・・其の七*****


いろいろあったこの一週間(2/13)

 今週の一週間は、いろいろありました。例によって家にいて映画を観ました。「イルマーレ」「4人の食卓」「ジョゼと虎と魚たち」、「蝶の舌」・・・これはなかなか難しい映画でした。スペイン映画でしたが、内戦によって人間の心が揺れ動くもの。何度も途中で止めてしまおうと思いましたが、主人公のモンチョという男の子が妙に可愛い顔で、一生懸命生きている姿に引きつられ最後まで観ました。ラストのシーンには感慨深いものがありました。このモンチョの顔がアップになり、静止画で映画の終焉となるのです。この表情が全てでした。それと三谷幸喜の作品、「竜馬の妻とその夫と愛人」、「12人の優しい日本人」は三谷幸喜の痛快なストーリー展開で思わず引き込まれてしまいました。そして今夜、「チルソクの夏」を観ます。

 9日(水)、娘の通う中学校の合唱祭が、我が家から歩いてすぐの文化会館でありました。3年生を主体にした合唱祭で、毎年行われています。卒業する3年生にしてみれば、3年間の集大成とも言うべき合唱祭となります。6クラスのそれぞれの歌や、学年合唱はなかなか聴き応えがありました。学年の代表者も言っておりましたが、「このメンバーで、こうして歌えるのはもう無いのだ」と言う事です。あと1ヶ月で卒業です。進路実現を目の前にして、難しい時を、経験の浅い子ども達は一生懸命頑張っています。そんな最中の心温まる合唱でした。感動しました。それとサッカー日本対北朝鮮戦です。純粋にサッカーを応援している私からすれば、W杯予選の大事な第一戦!という見解なのですが、北朝鮮ということで、政治的要素がどこか加わって感心を呼び、視聴率も高かったようです。ロスタイム・・・大黒のゴールが決まった時は、大声あげて「やった〜!!!!」の私でした。

 10日(木)、この日は、長女の合格発表の日でした。私立高校ですから、そんな心配は客観視すれば、それほど無いのでしょうが、「合格した・・・。」と聞いたときは、正直ホッとし嬉しいものです。娘も高校生になるのです。親と子は、また1つ階段を登りました。それと、10日は、父の喜寿の誕生日になります。77歳になりました。この夜、我が家は、お祝い会となったのです。不二家で買ったお誕生日のケーキには「しょうちゃん」と書いてもらい、ローソクは7本だけもらいました。嬉しそうに、父は火を消しておりました。それと長男のマラソン大会でしたが、それなりに走ったそうで、まぁ頑張ったようです。

 11日(金)は、長女の友達が遊びに来てくれました。この子も進路が決定して、同じ部活、同じ高校と言う事で宿題をいっしょにやろう・・・ということで、我が家にやって来ました。なんやかんやして、私、息子とその友達2人、長女たちとBOBの練習に行きました。久しぶりのバスケットです。適当にやってはいましたが、筋肉痛ではないのですが、こうしている今も脚はだるいのです・・・。情けない・・・。でも楽しそうにしているこの子たちです。

 12日(土)は、春のDM作りをせっせとやってなんとか完了です。それから午後になって、長女と昨日の子は、後輩の応援に行っていて迎えに七宗まで行ってきました。今日は寒かったそうです。付知に行こうと思いましたが、月曜日にしました。土曜日は来客もあり、来週20日に行う子ども会の行事の準備やらあって忙しいのです。いろいろ季節や年度の節目に間に合うように、いろんな事が終り、いろんな事が始まります。あと1ヶ月半で私のある役目が終わります。

ごめんなさい、また観ました(2/6)

 今回もまたまたまたまた・・・映画の話・・・。映画を観るために映画館に足を運ぶ人は、何も私だけではなく全国的に増えているそうで、興行的にもいいんだとか。「ハウルの動く城」なんかは、過去最高だとか・・・。観ていませんが・・・。

 3月になるとまた、面白そうな映画がやるようです。ストーリーを予告編で観ただけですが、「レーシングストライプス」・・・シマウマが競馬に出場することを夢見ている・・・という映画だそうです。また「ローレライ」、タイトルを見ると、アジア系の映画かな?と思うと、アジアでも邦画だったりするんで少し感心を持っています。他にもいくつかありましたが忘れてしまいました。あぁそうそう・・・「鉄人28号」もやるんですよ。実写なのです。これはやっぱり観るしかないでしょう・・・。楽しみです。

 今週は二つ我が家で観た映画がありました。ひとつは行定勲監督(監督がどうのこうのはどうでもいいのですけど)の、「きょうのできごと」という映画。若者が数人一日の間に、いろんなことが絡まってともに過ごしている・・・。人はみんなそれぞれ何かしらの出来事の中に生きている・・・、という内容です。自分は一生懸命生きている・・・でも知らない所で、みんなも何かしら出来事のなか生きている・・・そんなことに、登場人物のある若者が気がつく・・・というシーンがこの映画の全てです。たまに誰もが思うこと・・・それを映画にしたのです。共感を覚える映画でした・・・でも面白くありませんでした・・・。ごめんなさい。

 もうひとつは、「猟奇的な彼女」です。韓国映画です。一昨年に流行った映画だとかでご存知の方も多いと思います。面白かった・・・です。2回観ました。前半戦・後半戦・延長戦・・・となぜか区切られている映画ですが、区切るならここじゃないのかなぁ・・・と思わせるストーリー展開です。前半は笑って観ましょう・・・後半はジッと観ましょう・・・そしてラストはほんわか観ましょう・・・。いい映画です。ラブコメディ映画です。

あぁ、「スパイダーマン」も観ました。これで「・・・2」とのつながりが理解できました。さぁ、来週は何を観ようかな・・・。



たくさん映画観てます(1/31)

 今年に入って、映画を何本観たのでしょう・・・。羅列します・・・ターミナル、ゴジラ・ファイナルウォーズ、Mr.インクレディブル、北の零年、オーシャンズ12・・・以上映画館。天国の本屋・恋火、死に花、スパイダーマン2、ブラザーフッド、サンダーバード、さよならクロ、ホタル、菊次郎の夏・・・以上ビデオ&DVD。そしてTVの映画番組数本です。

 やたら最近映画を観たいと思うようになってしまいました。いろいろ観て感じる事は様々です。一気に観ると、その映画なりの感動があります。それが映画の一番の魅力でしょうか・・・。映画を観るならやっぱり映画館ですね。実感としてそう思います。2時間前後の間、スクリーンに映る映像に入り込み、我を忘れて観ていることができます。好きな時に自宅で観る映画もいいのですが、家族の出入りがあったり、明るい部屋ですから、映像以外のものも眼に飛び込んできます。やっぱり映画はでかいスクリーンで観る映画館がいいですね。

 昨日観たばかりの「オーシャンズ12」ブラッドピットやらが出る泥棒団体の映画でしたが、ごめんなさいさっぱりストーリーが解りませんでした。登場人物の関係が理解できないまま、終わってしまったのです。続編映画ということで前作を観ずに観てはいけない映画・・・ということですね。まるで高校時代、苦手な授業で置いてきぼりを食ってしまった頃を思い出しました。しかも寝てしまったからよけい解りません・・・。たいくつな映画でした・・・。どうして面白いのかまたDVDが出たら借りて観てみたいと思います。

 なんとも釈然としなかったのは「北の零年」です。明治初期、淡路島からの開拓移民として蝦夷地へ渡った人たちの、苦労を描いた映画なんですが、どろどろした人間像もあり、渡辺謙がかっこいい登場人物として期待していると、後にがっかりさせられる人間だったりするんですが、こういった事が起こるのが実際に起こったひとつのたとえではないかと感じました。そんな中、唯一観ていて気持ちよかったのが、謎のアイヌ人を演じる豊川悦司・・・。ラストでその正体が明らかになるのですが・・・。主役の吉永小百合さん、どんなに厳しい環境を描いても、この方は綺麗過ぎていけません。今ひとつ厳しさが伝わってきません。毅然とした真摯である姿は、元武士の妻です!という感じはよ〜っく伝わってくるのですが、手を見せて私の手はこんなに汚くて・・・という場面があるのですが、手だけが苦労している・・・という感じなのです。

 観終わった後に、気持ちが良かったのは「天国の本屋・恋火」でした。これは「いま、会いに行きます」と同じ感覚になれる映画です。主人公が同じ竹内結子が演じているからでしょうか・・・。それと3回も観てしまった映画は、「さよならクロ」でした。このクロという言う犬、実にかわいいのです。決して人にこびるような犬ではないのですが、いつも控えめでじっとしている犬なのです。しっぽをいつも下げていて、何かに気を遣っているかしこい犬なのです。ストーリーがどうのこうのではなくて、人と一緒にいるこのクロの仕草がいいのです。映画のラストに青春の影が流れた時はちょっとビックリしましたが、このシーンにこの曲か?とあまりにもピタリ当てはまる歌なので、逆に興ざめしてしまったシーンでしたけど・・・。

 映画の魅力にもうちょっと惹かれていたい自分です。


どうでもいいことですけど(1/23)

 今朝ほど、あるアーティストのコンサートのチケットをとる為に、家族総出で電話をかけまくるという愚行にでました!午前10時よりの受付開始で、一斉に電話をかけるわけです。以前は良くやりましたので、方法は至って簡単なのですが、初めてかける子供たちにとっては、ドキドキするのでしょう・・・時間来るまで緊張しているようでした。

 さぁ10時です。長男と家内は自宅で、私と次女は店で、そして長女に至っては、なんと近くの公衆電話へ出かけて行きました。なんでも公衆電話のほうがかかる確立が高いのだとか・・・。5人はとりつかれたように、掛けまくりました・・・。「ツーツーツー・・・」というむなしい音を耳にしていたと思ったら、「ピンポンパンポ〜ン♪・・・こちらはNTTです・・・。」というメッセージが流れるようになり、大変かかりにくい状態になっているというメッセージです。後ほどおかけください・・・。という内容ですが、こちとらそんな事で済む用事ではないので、早い者勝ち!って奴ですから、かけまくるのです・・・。

 何回かけたことでしょう?そのうち「こちらNTTです・・・」というメッセージにも種類があることに気がつきます。決まって女性の声だという事は、一般常識ですよね。むさくるしい男の声より、女性の声の方が聞いていて不快を覚えたりしません。女性の声は優しいですからね。でも私がかけた携帯に出るガイダンスは2種類、それをAとBとしましょう。イントネーションに違いがありました。「こちらはNTTです。」という台詞のAは平板に喋りますが、Bは「・・・です↓」と下がります。もう1つ言えば方言がそうさせるんではないか?という口調です。関西弁を使う女性が標準語のイントネーションになりきれていない状態と言う感じです。更に言えば、Aは若い女性・・・。Bはおばさん?という声です。

 そんな2種類の声が延々と続いて、そのうちAが何回続いた・・・とか、Bが何回・・・ということに気が回って、Aが当たり!Bははずれ〜残念!とだんだん本来の目的が何なのかわからなくなるほどかけつづけ、1時間30分後、私の携帯がやっと呼び出し音になり、「やったぁ!!!」と喜んだところで、プロモーション側のおねぇさんの生声・・・。「あれ?ガイダンスじゃない・・・。」と思ったのもつかの間、○○・・・の公演チケットは完売です!」という優しい言い方の内には「ざぁ〜んねんで・し・たぁ〜」という思いが込められた事務的な応対にむなしく電話を切った私がいたのでした・・・。残念!!じゃぁじゃぁ〜ん。

親心2(1/15)

 年末年始、今シーズンはやっと冬らしい陽気になってきました。おかげさまで心配していたスタッドレスの売れ行きも例年どおりになったかな?といったところです。大晦日忙しい中、身内だけの仕事になったわけですが、ある仕事をしているとき、タイヤの組替えを父と私が受け持ち、バランスを息子が測定し一連の流れをかたち作っておりました。

 そんな時、あるなじみのお客様が「おっ!この若い衆はバイトか?」と私に問い掛けてきました「それは私のせがれです。ついでにこっちが親父です」というと、またまた「おぉ・・・三代揃い踏みか!いいもんだ・・・」と言われました。昔、私が息子の年のころ、仕事を手伝うと、親父がお客さんに「せがれだ!」と言っていたことを思い出しました。私自身は、訳の解らない他人に、私のことを何だかんだといわれる事が気に入りませんでした。うっとうしい・・・さえ思っていました。そんな事で機嫌を害していると、姉が「お父さん、あんたと仕事する事が嬉しいみたいやね・・・。」と言うのです。でも「はぁ?」と意に介さない自分でした。

 それが、今シーズン自分がこの立場になり、その意味が良くわかりました。やっぱり嬉しいのです。自分と同じ事ができるまでになった息子の成長に嬉しさを覚えるのです。そして私の左隣りにいる77歳になる父を見ると、同じ顔をして黙々と仕事をしていました。こんなとき言うに言えない気持ちになるのです。


謹賀新年(1/4)

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
大晦日、おおよその予想とを上回って、雪が降りました。おかげさまで、大忙しの当店でした。ぎりぎりに雪が降って嬉しかったのですが、家族だけの対応で、皆ふらふら・・・。誰の車を作業しているのかわからないほど、ただ言われるままに仕事をしました。一般方の車だけでしたから楽は楽でしたけれど・・・。ここに大型車やいろんな車がやってくると、本当にパニックになります。一昨年の12月がまさにそれでした。そう言った意味でもありがたい雪になりました。感謝です。その夜、くたくたになってなんとか襲ってくる睡魔と闘いながら、無事に起きたまま新年を迎える事が出来ました。長男は仕事の疲れで転寝がたたり、床の上で寝たまま新年を迎えたようです。家内はと言うと・・・その脇で、脚をくの字に曲げた窮屈そうな姿勢で、これまた転寝状態・・・。脚が釣ったと騒いでいた可愛そうな年の越し方をしたようです。くたびれた体を引きずって、地元の古井神社へ参拝です。歩いて10分くらいで着きます。たくさんの人が列を作って参拝の順番を待っています。なんか初めてこんな光景を見た気がしました。みんなえらいなぁ・・・です。

 新年は、天気も悪く、初日の出は拝めないと思ってゆっくり朝寝を決め込んでいたのですが、目が覚めてみると・・・晴天です。ありゃま・・・残念!!です。一日中ぼ〜っとして何をしたのか思い出せないほど、ぼ〜っとしていたように思います。昼過ぎに、母が「歯がとれたで連れてって」という声。兄貴のうちへ行きました。美味しいコーヒーをご馳走になって、終わるまでゴルフ番組を観ていました。そうそう新年の親族ゴルフ大会は積雪のため中止だったようです。もっとも、暮れの忙しい中で、私は軽く腰を痛めてしまったため、やむなく参加を止めていましたけど。こうしてぼ〜っとして元旦は終わりました。

 二日は、映画を観に行く事にしていたのですが、朝、張り切って起き、子供たちを起こしたのですが、なかなか起きない・・・。結局、10時半〜11時頃になってみながそろったのですが、午後からのこの映画を観て・・・と計画を変更しながら取りまとめをしていると、口々にまとまらないようなことを言い始めました。夕飯は、5時頃からはじめるから・・・と母はそれ以上に遅れることを拒みました。すると家内がじゃぁ観ないで買い物だけをして・・・と言ったところで、私の機嫌がブチッと切れました。

 あとは想像にお任せします。結局、映画には行かず、家族そろって大掃除になりました。私の怒りの矛先を、家族の体たらくな生活で、汚しまくった部屋の掃除をさせることへと向けたのです。おかげさまでちったぁ綺麗になった?我が家です。

 三日は、恒例のお多賀さんへ行きました。初詣ではないのですが、長女の受験の合格祈願と甥っ子のお払いに行ったのです。ここの道中も渋滞です。なんやらわいわいやってこの日もおしまいでした。体重も重くなったでしょうねぇ・・・。腰の痛いのはこのせいでしょうか?何はともあれ、本年もよろしくお願い致します。 


仕事(12/30)

 今年も今日と明日を残すのみです。今日は家族で仕事をしました。親父と叔父と嫁さんと息子と姪っ子の5人でした。いつも頑張ってくれている店長と亘ちゃんは昨日でおしまい。来年また元気な姿で働いてくれる事と思います。今年もご苦労様でした。それと土曜日に頑張ってくれた甥っ子たち、姉の長男、兄の次男、三男(双子なのだ!)が頑張ってくれました。緊急助っ人でした。明日も頑張りますが、午前中で終了です。

 今宵も先日家族全員で買ったおねま(パジャマ)を着て、年賀状でもやっと書く事にします・・・。今年もありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

 
夢(12/23)

 今年も残す所一週間あまり・・・、今年は異常という言葉がピッタリの一年でした。特に気候・・・。春までは何となく良かった気もしますが、夏が訪れるや否や酷暑・・・、暑いというより熱いという言葉の方があっている気がします。本当に熱かった・・・。

 台風も異常にやって来て、数も多かったですが、大きさも威力もでかかったです。そして日本列島各地で甚大なる被害を起こして行きました。いまだその傷も癒えず復旧をいそがれる地域もあります。

 そして頻繁に襲った地震、新潟中越地震は大きな被害を起こしましたが、2ヶ月たった今も様々な問題を残しているようです。私たちの住んでいるこの地域では、9月初旬頃だったでしょうか?一日に、それも大きな地震が2回来ました。被害こそ無かったのですが、東海地震の訪れかと思わせるには十分なもので、いよいよか!と思ったほどです。

 そして冬・・・、例年以上に暖冬です。12月に入ってすぐ、関東では25度を観測するなど、夏日になったことに最大の驚きを感じました。20日過ぎになってやっと平年並みの冷え込みを観測するようになったようですが、仕事をしていて時折汗をかいたりしてしまいます。本当に地球は大丈夫なのでしょうか?

 例年に比べて、スタッドレスタイヤの売れ行きもやっぱり落ちています。雪を見て初めて必要に感じる人の分がやっぱり売れ行きに乗ってきませんから、いつも異常に慎重に仕入れを押さえてはみましたが、うまくは行ってくれません。やっぱりこの業界は雪頼みです。事前に用意される方は大方装着も進み、私たちの体も例年同様くたびれて来ています。私の場合、この時期は、頭と体の両方を強制的に動かすものですから、夕方になると体がしんどくなり、夕方から夜にかけて、事務仕事が待っていて、なんだかんだとやっているうちに頭を使い・・・、全てが終わる頃にはかる〜く目まいを覚えます。慣れないことをやっているからでしょうか!?

 しかし、ここのところ夢を良く見るようになったのです。元来夢は毎晩見ているそうなのですが、覚えているかいないかだけで、ここのところの私は見るのです。その夢は悲しいかな仕事の夢ばかり見ます。肉体的に疲れが溜まった夕暮れのシーンから始まって、やっと終えて「やれやれ・・・」と言った感じで店を閉め、自宅に戻ったところで目が覚める・・・と言うものです。そして現実の朝がやってきて一日の仕事がスタートするわけです。どうです?いい夢でしょう!?だから余計に疲れるのです・・・。


またまた映画観ました(12/12)

 昨夜、仕事の疲れをひきずったままでしたが、気分転換に家族で映画を観ました。今年になって何回目かの鑑賞です。「何を観る?」と決まらぬままのお出かけです。映画館に着いて「ハウルの・・・」を観ようと言う声があったのですが、さすがに人気の映画ですでに満席・・・。「Mr.インクレデ・・・」だったかを観たい・・・という声もあがったのですが、まとまりません。「ゴジラ・・・」もどう?と私・・・。即却下!!なんだかんだという中、すでに上映時間になっているのですが、「いま、会いにゆきます」を一番前の席に並んで観る事に・・・。一番前の一番左端の席が私の席でした。映画によっては観辛いのかもしれませんが、この映画はゆったりとした映画でしたので、映像をとらえることに気を遣うことも無く、入り込んでみることが出来ました。

 前評判のいい映画・・・ということでテレビのCMでも流れておりましたので、なんとなく知ってはいましたが、私自身はあまり感心もなく、それほど観たいという映画ではありませんでした。「どれどれ・・・」という気持ちで始まって間もない映画に入っていくことに・・・。主人公の澪という女性はすでに何らかの理由で亡くなっていたあとです。妻であり母であるこの澪は、雨も季節に記憶をなくして戻ってきます。そして梅雨明けとともにまた消えてしまうのです・・・。非現実的な話ではありますが、最後まで観るととっても良く出来た話である事がわかりました。とっても感動できる映画では私には無かったのですが、後からじわじわ・・・・といろいろ感じる映画です。青春時代の好きだった人への想いが、伝わってくる映画です。なんとも言えぬ主人公「澪」の姿が優しさとなって残る映画でした。

 細かい注文を言えばあるのですが、もう少し子役には素朴さのある子供がよかったかなぁ・・・と。できればあまりイメージにない役者さんで表現できれば、涙ボロボロ・・・だったかもしれません。でもそれでは、興行的にお客さんが入らないのでこんな役者さんを抜擢したのでしょう・・・。それでもこの「澪」なる女性の女性たる服装は、夏らしく女性らしく優しさをかもしだしていて私は大好きだったりするのです・・・。

 観終わったあと次女が「あ〜ぁ、半分寝とった・・・」という声が場内に響き、私たちマッツ青・・・、声無き驚きの声が来場者から聞こえてきそうでした・・・。

振れました(12/6)

 もうずいぶん日にちが経ちましたが、2年数ヶ月ぶりにゴルフをしました。肩を痛めてからずっとやっていなかったゴルフです。結果は以前のようには行きませんでしたが、ちゃんとそこそこラウンドできた事で満足です。終盤少し右肩がだるい感じで痛みも感じましたが、次の日それほど不具合もなく、肩は元に戻った・・・というところでしょうか・・・。本当にゴルフするの?という気持ちがあって正直振ることが怖い気持ちもありましたが、振れたことが本当に嬉しかったです。

 私の場合、左右が約半年のずれを空けて痛み出し、完治するのに2年以上を費やした事になります。やっかいなこの四十肩という症状・・・。50代でなれば五十肩という名前になるそうですが、私は40代前半で経験してしまったわけです。必ずなるかというと、専門家曰く、「誰でもなるわけではないし、症状も様々・・・。」とのこと。私の場合、結構早く、しかも症状もひどく長く続いたわけです。トップクラスだったわけです・・・。こんなのでトップなんかなりたかないわい!!本当に痛くて辛かったんだから・・・。

 明けた正月に、親族でゴルフをやろう!という会があるのですが、2年ぶりに参加することにします。以前のようスコアで回れる日も来るのかなぁ・・・?

更に思うこと(11/28)

 先のコラムの後、親身・・・という言葉にならって考えることがありました。親身・・・親の身になる・・・ということ。でも最近では、親として確立できない親もいるのです。子どもを車中にほっぽいて自分はパチンコに興じて、残された子どもは脱水症状で死亡してしまったり、幼児虐待・・・、子どもに対して愛情を感じないのか。私には理解できない状況が多々あります。

 ごく一部・・・なのでしょうが、この割合が増えているのでしょう・・・。親が子を躾る・・・、こんな環境も薄れています。男が男らしくなく、女が女らしくない・・・。恥ずかしい話、私の娘もあぐらをかいて座ったりします。どの辺がその「らしさ」の線引きなのか・・・?考えても決め事のようにはっきりしません。実態があるようで無いもののような気もします。躾・・・、難しいことだと思います。大人は子どもの手本であるべきだと言う考えは正論だと思いますから、大人が、親が躾られていないと正しい躾は教えられません。更に親の真似をするだけでなく、自ら姿勢を正そうとする意識を持つ事が、人として身に着けば、自分で自分を躾られるはずです。

 そんな意識を持たせることは、言ってもすぐわかることではないのでしょうが、言いつづければ、切っ掛けにはなると思い、口やかましい親へと自分はなってしまっているようです。


ボクは五才(11/23)

 20日の土曜、娘の通う学校で映画鑑賞会がありました。タイトルは見出しの「ボクは五才」という映画。先のコラムにも登場したビデオの一件の映画です。改めて説明しますと、1970年の映画で、五才の子どもが、とうちゃんに会いたくて高知県から大阪まで400kmの道のりを1人で会いに行く・・・というストーリーです。当時、私が10歳の頃小学校の体育館で観たものです。それをまた今の中学生に見せようと思ったわけです。この話は、実際にあった事件とのこと・・・。今なら5才の子どもが家を抜け出し1人で旅をする・・・なんて考えられない。当時でさえ、この子どもの突飛な行動は、小学4年生の私に「すごいことをする奴がいるもんだ・・・」と軽い衝撃を与えました。ましてや「自分より年下の癖してすげぇ奴!」だったのです。

 今の子ども達にはどう映ったのでしょう?今では、いいドラマや映画がたくさんあります。子役も演技が上手く、演出もとっても凝っています。それに比べれば、この映画に使われる音楽はやたら耳に着く主題歌ばかり・・・。それと主人公の男の子の演技は学芸会レベル・・・。当時は、このようなドラマも映画もあまり無く、そんな中、この映画は私たち見るものに衝撃を与えるには十分なものだったと思います。それゆえに感動したいい映画・・・として心に残っているのだとも思えます。

 しかし、理屈ヌキであの頃の人たちは暖かいのです。子どもがいなくなったらみんなが心配し、見ず知らずの子どもに優しく接してくれる人たちがいた事で、この子どもはなんとか父ちゃんのいる大阪に着く事ができたと思うのです。この映画の中で道中、幾多の人たちに「どうした?」「どこから来た?」「何してる?」と声をかけられます。今ならどうするでしょう・・・?大方の人は無関心かそれを装うでしょうね・・・。学ぶべき人情が昔には確かにあったのです。よその子を叱る・・・、そんな事が私の子供の頃にはまだありました。でもそんな私も大人になり、近所の子を叱ったことがあるか?というと・・・やっぱりありません。叱る事ができません。最近では、知っている子ならそれなりの注意をしたりしますが、叱るまではとてもできません。それと、いなくなった子どもを、手を休めてまで真剣に探すでしょうか?地域がみんなで心配して大騒ぎするでしょうか?きっと驚きはするでしょうが、親身になって探す事はしないでしょうね。そう・・・親身とは文字通り親の身になって、気持ちになって・・・という事です。そんな気持ちになって心配できるでしょうか?私が子供だった頃、そんな大人がたくさんいてくれたように思います。

 当時、この映画にはそんな警鐘はメッセージとして含まれてはいなかったでしょうが、34年たって改めて観ると、失われた環境が描かれていました。知っていてもしない私たちは、更に知らない子ども達を育ててしまっているのです。

歯の治療(11/18)

 昨日、歯の治療にでかけました。私の歯の奥歯の大部分は、虫歯の治療によって神経のない歯ばかりです。治療に通いはじめたのが中学生でしたから、かれこれ30年治療を続けています。治しては他の歯・・・また治しては他の歯と完ぺきに治療した事がなく・・・、あっありました・・・一回だけ!期間にして1年くらいでしょうか・・・「よし!全部治った・・・」と先生・・・。嬉しかったのを思い出しました。

 何故にこんなにかかってしまうのか・・・?ずばり!痛いのは嫌だから・・・。それと、この先生が私の実の兄だったりするのです。すると「いつでもいいかなぁ?」という油断が蔓延しているのも事実です。先日も・・・といっても春くらいの話・・・。歯茎がはれて痛いのでやむ無しで診てもらうことに・・・。すると歯茎の中が炎症しているとのこと。詰め込んだ金属をとって、薬をつけます。すぐには治らないので数回通え!ということに。しかし治療中にもかかわらず、忙しさにかまけて中断・・・(よくある・・・これが一番いけない)。夏が過ぎ、秋も深まった今から一週間ほど前、反対側の奥歯の詰め物が「ボロ」っと取れた・・・。なんとか一週間ごまかして食事していたのですが、どうも食べ辛い・・・。やむなしに昨日しぶしぶ門を叩いたのです(門なんてないけど・・・)。

 奥歯のとれてしまった金属をティッシュにくるんで持っていくと、技工士をやっている義理の兄が丁寧に汚れを取ってくれました。順番を待っていると、兄自ら「おう、ええよ」と呼んでくれました。何べん座っても診察台はドキドキしますなぁ・・・。綺麗にしてもらった金属を兄に渡すと・・・さっそく奥歯に装着を試みると・・・「????」。うまく着きません。あれこれやってみたのですが、「あかんわ!歯茎が少しかぶさって挟まってしまう・・・」「何?」と無言の疑問を投げかけると、すかさず先生である兄は「肉を切るか・・・。」とボソッと一言・・・。「えっ!?」

 肉を切る・・・なんて肉屋さんの仕事でしょ?どうしてここでそうなるの?私は軽〜いパニックです。痛くないようにやるんでしょうが、それには麻酔の注射ですね。それくらい素人でもわかります・・・。これまで何本うたれたことでしょう・・・。何べんやっても嫌ですねぇ・・・。程なく注射をうたれ、電気メスと称する器具で切ったのかな?と思えるほど痛くもなく(麻酔にコロッと感覚をいつも無くしてしまう私なのです。)無事終了・・・。そして綺麗にしてもらった金属を詰め込むと・・・・?   「あかん!元の歯が欠けとる・・・」とのこと。結局型を取り直して再度作り直すということになりました・・・。義理の兄貴にごめんなさいです。また作ってくださいね・・・。

 臨時の詰め物をほどこして、もともと治療中の歯の下側を今回は治療します・・・。歯茎の痛みはおかげさまで治まっておりますが、皆さんも完治するまでは、決して痛くないからと途中で治療を止めるのはやめましょう。やっぱり後で痛い思いをするのです・・・。


肩こり(11/11)

 子供の頃、親や祖母に「肩をたたいてくれ・・・」と言われ、いやいや叩かされたことがありました。叩かれる側もそんな私の気持ちを悟ってか、例えば父は「俺も子どものころ、こうやってよく叩かされたなぁ・・・。肩がこるとはどういう感覚なのかわからんかったわ・・・。」と子どものころの私の心中をそのまま言葉にしているのです。

 「まんだ?」「まだ!」「まんだ?」「まだ!まぁ100回!」「えぇ〜・・・」てなぐいあいで、しょっちゅうやらされていました。嫌で嫌で・・・、お小遣いなんてくれんかったなぁ・・・もらったかなぁ?忘れたなぁ・・・。

 それが、高校生くらいになると私にも筋力がついてきたことで、逆に「痛い!痛い!」と言われる始末・・・。「もっとこう叩け!」とか「こうもめ!」とか技術的な要求をされるわけです。仕方がないのでそうやってああだこうだとやっていると、そのうち「うまいねぇ・・・じょうずやねぇ」と持ち上げてやらされるわけです。ほめられて悪い気はしませんから、調子に乗ってやるわけです。目をつむられて、「あぁ気持ちいい〜・・・」とか言われると、なかなか止められなくなるのです。

 そうこうしているうちに、年月が流れ、そんな私自身が肩こりに苦しむ今日この頃・・・。事務仕事が増えていることもあるのですが、やっぱ血筋でしょうねぇ・・・。子どもたちに「肩をたたいてくれ」とお願いして、昔あった会話がそのまま繰り返されるわけ・・・と言いたいのですが、やってくれません・・・。本当に嫌々なのです。嫌々やってもらおうなんて思いませんから、「まぁたのまん!」と言い捨ててマッサージ機なるものをあてがって妙な姿勢になりながら欲求を満たすのです。

 それでも治らないときは、近所の整体治療院へいって施してもらうのです。電気をビリビリ・・・と流してもらって20分ほど・・・。その後、首のあたりの骨をボキボキ・・・とやってもらうのです。そして、背骨へと移行していきます。気持ちいいのです・・・。そのあと針をうちます。これがなかなか妙な感覚に襲われるのです。文字には書けない感じです。針を刺したまま、ヒーターなるもので患部を暖めます。「熱くなったら言ってね・・・」と言われ、十分ほどでギブアップ・・・。しかし、すぐには体は回復しません。私の場合、その日は体がだるく、2日後くらいに肩こりがとれている・・・といった感じです。

 それから、四十肩の状況は、左はほぼ完治(今後動かす事が肝心)。右は随分動くようになりました。80%くらいというところです。「頑張って動かせ!」と申されました。やっとここまで来たのかな?と思います。ホッとしております。「でも以前のようにはならないよ。」という誰かの声が時々こだまします・・・。


DMをせっせと・・・(11/1)

 ここのところ、DM(ダイレクト・メール)なるものを作成しています。1枚のハガキにあれもこれも書き込みたいのですが、細かい文字になってしまって読みにくい・・・てなことになります。結局読んでもらえなきゃ×なので、あれこれ考えてしまいます。なんだかんだ・・・とやっているうちに茶畑に入ってしまいます。で・・・結局できたものは当り障りのないものになってしまうのです。

 これがだいたい半日かかります。そして、ハガキ大の紙にためし刷りをします。だいたいPCの画面でみたままのものになるのですが、やっぱり昔の人間が混じっていますので実際に見てみないと不安なのです・・・。そして郵便局に走ります。自転車に乗って2,3分の距離です。国道を2つも渡って行きますので、距離にしたら200mちょっとくらいです。私どもの小さな店でも顧客数はかなりのものです。¥50のハガキを買うのですが、一般の方が買われる数ではありません。金額も相当な金額になります・・・。そこでいつも(半年に1回だけど・・・)思うのです。いつもキャッシュですよね。どうして最近のようにカードとか振込みにて購入できないのでしょうか・・・?まとまった現金があればいいのですが・・・無いんで・・・(笑)、困ります。今回は3回に分けて購入しに行きました。

 インクジェットのハガキが大半を占めるそうです。年賀ハガキに至っては、ほとんどがインクジェット紙だそうです・・・。そういった年賀状が多いですもんね・・・うちもそうですけど・・・。で、プリンターにセットするんですが、20枚くらいしか置けないプリンターなのでこまごまとした作業が続きます。延々と時間をかけての作業が続きます・・・。以前はカラーも織り交ぜて刷っていたのですが、それこそ時間がかかってたまりません・・・。今回も黒一色でする事にしました。

 春はコピー機で刷ったので早い早い・・・、今回もそうしようと思ったのですが、手によって差し込みをしなくてはいけません・・・。でも春もやったんだし・・・と思いながらはじめたら・・・「ピ〜」っと紙詰まりの音!何度やっても「ピ〜」です。古いコピー機はいつもご機嫌が悪いのです・・・。でもこのインクジェットハガキはコピー機には使用しないで・・・といった注意が書いてありました・・・。仕方が無いので、プリンターで刷り刷り・・・です。印刷やさんに出せば?と思うでしょう?でも枚数的に、まだこうやった方が安い事が解るのです。労力は差し引いてですけど・・・。

 1枚するのに45秒くらいかかります。このプリンターも結構働いてくれているのです。200枚位刷ると、黒インクが無くなります。これが2個で¥2.000ちょっと・・・。バカに出来ません。結構するのです。「用紙が正しくセットされていません・・・」と画面に出れば、ハガキを補充し、「インクが無くなりました。」と出れば、インクのカートリッジを取り替えるのです。これが結構面倒くさいのです。延々とやっていて気づいた事ですが、カートリッジはカラーと黒と2つ備え付けになっています。今回の印刷は先にも書いたように黒一色です。だったら黒のインクだけが無くなればいいのに、なぜかカラーインクが微妙に減っていくのは何故なんでしょう?ここにはメーカーの何か根拠があるような・・・!?誰かに聞きました。同メーカーのプリンターでも全てが互換性のあるカートリッジではないのには訳がある・・・。プリンターがそれほど高価なものではないことにも訳がある・・・。結局インクによって利益を上げる仕組みになっているのです。このカートリッジ、もっと大型であってもいいはずなのに、やたら小さいではないですか・・・!もしくは詰め替え用のボトルとかがあって、これでOKってな状態になぜしないのでしょうか?昨今詰め替え用・・・と称した製品がたくさんあるのに・・・時代に逆行しています。メーカーはやっぱり利益を上げる事を第一にやるわけです。でもいつかどこかのメーカーが、新方式と称して環境を考えて作ってくると思うのです。

 でも、ジコジコ・・・とプリンターがせっせとDMを作っている現状には、やっぱり時間がかかって・・・、それに付き合って疲れている私が今日も頑張っているのです。もう時期、皆様のところへたわいもないDMが届くと思います。 

修学旅行(10/24)

 実は今年度、我が子は皆修学旅行に出向く学年なのです。小中高と、それぞれが就学の思い出を作る大切な修学旅行が今年あるのです。すでに中3の長女は、初夏に広島方面に出かけて行きました。2泊3日です。広島の原爆ドームとか資料館とか、お決まりのコースのようですが、観ておく必要があるところでしょうね。やっぱり・・・。これは過ちなのですから・・・。その悲惨な事実は後世に伝えなくては行けない事の1つでしょう・・・。原爆の落とされた8/6、8/9の頃になると、被爆が原因で亡くなられた方が毎年何名かいて、今も尚被爆で苦しんで見える方がいることに驚かされます。

 話題がどうしても広島となると、原爆関係になってしまいますが、長女たちは、民宿に何件にも分かれて宿泊したようです。その民宿は漁師も営んでいて、子ども達に漁師体験、そして捕まえたあじを開きにしたりと、体験学習をさせてくれたようです。岐阜県に住んでいるものにとって、海は特別の感覚がありますよね。その海を相手に仕事をする人たちに触れて、いろんな発見と驚きを感じたようです。

 長男は、高校生・・・。高校生は2年生の秋に出かけました。長男の通う学校は、4泊5日の九州です。初日は、大阪USJで遊んで、夕方南港からフェリーに乗って、瀬戸内海を航行し、船内で1泊。翌朝別府港に着き、なんやら観光のオンパレードで大分、長崎、福岡と楽しんで来たようです。帰りは博多から新幹線で一気に名古屋へ・・・。長崎のカステラや福岡のからしめんたいなど、土産にいただきました・・・。

 さて、数日後に迫った次女の修学旅行・・・。1泊2日の京都奈良・・・順番は逆なので奈良・京都・・・の旅行です。すでに次女の気持ちは盛り上がっておりまして、こういったイベントには一番嬉嬉とするのが次女なのです。おみやげは何を買ってこよう・・・などと思案をしておりました。先日月曜日の夜、私がくだらない実験を済ませて帰宅したちょうどその時、京都まで行った際、買ってきた「生八ッ橋・・・夕子」を皆で食べようとカバンから出したその時・・・。次女と家内の会話が聞こえてきました・・・。「町内の友達に分けてあげられるお菓子は生八ッ橋がいいかな?」 と私が買ってきたことは知らない様子。インターネットでこの「生八ッ橋」なるものを検索し始めました。その時家内が帰宅した私に気づき、私が手にしている八ッ橋を見て驚いたように「絵美ちゃ〜ん!!ここにあるよぉ〜八ッ橋〜・・・・」ってな訳で、次女は八ッ橋を実際に見て、食べて・・・町内の友達には買わないことに決定したのでした・・・。なんじゃこりゃ・・・でした。

 次女の修学旅行はあっという間の1泊2日ですが、一番楽しみにして盛り上がっています。京都かぁ〜・・・メイトで付いて行っちゃおうかなぁ〜・・・。と言う事で・・・こちらもご覧下さい・・・。


めっきり秋に(10/15)

 今週になって朝店を開けるとき、めっきり涼しい・・・より肌寒い頃になりました。昨夜なんかは、掛け布団も少し厚手のものを追加しないと風邪をひくかな?と思わせるほど寒く感じました。台風も相変わらず発生しているようですが、偏西風の流れも南下し、台風の動きに変化があるようです。超スライスして東の方へいっちゃってくれればいいのになぁ・・・と期待しています。

 味処しゅんでは、金木犀が咲き始め、とっても良い香りが秋の音連れを感じさせてくれています。本当にいい香りですね。金魚のいる水槽にも、ヒーターを入れてやることにしました。水温が下がってくると、白点病などが発生すると厄介ですので・・・。そうでなくても一ヶ月に1匹の割合で金魚が死んでいます。

 1年前に生まれた金魚たちは、15匹ほどが元気に育っています。鯉の時もそうだったように、体長に差があり大きなもので7〜8cm、小さなものは2cmほどです。それからどんな金魚になるかと言う期待を込めた結論は、結局姿は大して珍しいものではなくて、普通の金魚で中にはランチュウのように背びれのないものもいます。色は最終的には黒から少しずつ退色!?して赤へと変わって行き、その濃度も日に日に濃くなるものもいます。普通の金魚で、親が出目金とからんちゅうとかスイホウとかと言った変わった形であっても、その中に混在する遺伝子は、普通の金魚が圧倒的に多いということで、いかに店で売っているものが商品価値を見出しているかが、少しなりとも理解できます。鯉にいたってもそれはもっと強いものであることも、過去の経験でわかりました。

 しかし、姿がどうのこうの・・・ではなくて、生きている姿が情愛の対象になるのが、本来のペットに対する心理です。餌を欲しがる姿には日頃の世話をしているたまものだなぁ・・・なんて思いもあります。指を水槽に入れると、「チュパチュパ」と吸い付いてくるのです。警戒心がないということで、水槽のそばに立つと、いつも餌が落ちて来る場所に群がったりもします。なかなかいいものです。

 地名しりとり・・・なる番組、今年の正月の特番でその存在を知ったわけですが、先週終わってしまいました。土曜の深夜1時20分ころから始まる「ノブナガ」という番組の後半のコーナーだったわけですが、私にとって前半のコーナーはどうでもいいのです。旅ものの情緒があって(名所旧跡、美味い物めぐり、人とのかかわりなど)いつしか全国津々浦々行脚するワッキーなる主役に思いを寄せる自分がいるのでした。ご存知の方もいると思いますが、東海三県の地名がでたら終了・・・という軽い乗りではじめた地名しりとり、名古屋は栄を出発・・・最初は名古屋の「や」で矢場町・・・(愛知県終了)続いて、矢場町の「ば」か「は」で羽島・・・(岐阜県終了)。あっという間に終わると思ったら、その後三重県の地名がどうしても出ず、全国各地、ホノルル、タイ、ブルネイまで飛ばされつづけ、3年10ヶ月という延べ日数で先週、松坂が出て終了となったわけです。まぁこれについての説明はその手の資料に基づいて記載させていただきました。改めてすごい企画だったなぁと思いました。ゴールデンだったら視聴率も良かっただろうに・・・と思ったりします。いつだったか、この町にもワッキーがやって来て郡上八幡へ行く道中で、一泊した旨が放送されました。

 明日の深夜0:55〜(日本シリーズで遅延もありかな?)から特番があるようです。こういった種の番組には、なんか惹かれる私なのです。

騒がしい一日(10/8)

 昨日、トーヨータイヤの今年の冬商戦、スタッドレス性能を体験する走行会が、京都の伏見にある醍醐スケート場というところでありました。毎年行われているもので、私自身が出かけていったのは今回で3回目です。ここでの話は、このコーナーでは無しとして、今回の他でいろいろ感じた事を、記録したいと思います。

 毎回そうですが、集合場所は名駅の新幹線口の時計のあるところです。同業者の方に車で乗せていってもらって着いたのは10時頃だったでしょうか・・・、集合時間が11時だったのでお茶を飲む事に・・・。駅近辺では忙しそうに行き交う人たち、ちょっとした喫茶店があるのですが、セルフサービスで座席も小さく(店自体も小さく、隣りの席との間隔が非常に狭い)、とってもそうましい状態です。ですので中はビジネスマン風の人たちで一杯です。観光を目的とした、どこかのツアーでやって来たおじいさんおばあさんにはとても対応できる状況ではないようで、困惑を顔に浮かべ、店の前で思案をしているようでした。店の人も、とてもそんな事には気を遣っている余裕もなく、目の前のお客さんに対応するだけで精一杯・・・。あのあとあのおじいさんたちはどうなったのでしょう・・・?

 私たちは、ツインタワービルの13階にある喫茶へ行きました。外でもお茶を楽しめるお店で、行けばどこかのマダム達が朝のティータイムを数人で楽しんでいるようでした。そんなグループが3つほど・・・ワイワイとおしゃべりをしていました。13階から眺める景色は、それは素晴らしいもので・・・と書きたいとところですが、階下が見下ろせる位置までは行けないように、2m〜3m手前で1m80cmはある鉄格子が立ててあります。でもちょっと離れたビルや道路が観え、天気が良ければ、はるかかなたの山々まで観ることができます。こうやって書けば、さぞ気持ちのいいお茶をしたと思われるでしょうが、実は、とても落ちつかなかったのです。その理由は、「音」です。騒音です。すぐそばにトヨタ本社ビルが建設中。お決まりのバリバリバリ・・・ドカンドカンという音で都会の雑踏の音に混じって更に気分を害する状況を作っていたのでした。一生懸命働いている方たちには申し訳ないのですが、13階まで登って気持ちよくお茶を・・・と期待した気持ちは満たされぬまま時間となり、我々は集合場所へと向かったのです。

 すると妙に警察官の姿が目に付きます。最初はポツポツという感じだったのですが、気にして見渡すと尋常ではない数です・・・。「何々?なんなの?」という感心が首をもたげてきます。同行した人が、警官に「誰が来るのですか?」と尋ねると「皇太子様・・・」という返事。何でも愛知万博の会場を視察されるとかで、我々の出発時間の5分後くらいにお見えになるとのこと。厳戒態勢で仰々しい駅前となりました。たくさんいるはずのタクシーが排除され、VIPカー(トヨタセンチュリー)やお付きの車、白バイ4台、パトカー数台、警護の警察官の搬送車両数台などなど・・・。警察官や婦警さん、私服の警察官などその他いっぱいでのおで迎えでした。思わず、天皇家って?と考えさせられる時間でした。それにしても大変だ〜。

 事を済ませ、午後6時半ころ名古屋駅に着きました。すると先程の仰々しさはなく、タクシーで一杯のいつもの場所(いつもを知らないけど、きっとそうだろうと思う)になっていました同行した方たちと、夕飯を食べにエスカ地下街へ・・・、学生の頃こちらの地下街は人も少なく、時折芸能人がいるらしい・・・というウワサもあった地下街です。ぷらぷらと歩く事数分、味噌煮込みうどんで有名な(私は知らない)山本屋本店に入り、味噌煮込みうどん(具が少し変化があるメニューがあります)を食べました。だいたいこの手のうどん(カレーうどんも含む)は麺に汁が絡んで、食するときにハネがかかるのです。あいにく今日の私のオメシモノは白いと来たもんだ・・・。「やっばいなぁ・・・」と思いながら案内されるまま座席へ・・・すると各々のお客さんは、そういったことを店側は察知しているようで、店が用意した前掛けをなさって食しておられます。「お〜さすがだにゃぁ〜」と安堵して座席に付きました。しかも焼肉屋に見られるような紙でできたエプロンではありません。しっかりした布製の前掛けなのです。これには花丸をあげたくなっちゃいました。でもしっかりとした味噌味(当たり前)、家へ帰ってからやたら喉が渇く・・・、久しぶりに食した味噌煮込みうどんでした・・・。



優勝間近(9/30)

 ドラゴンズが、99年依頼5年ぶりのリーグ優勝に王手をかけました。M1で昨夜の神宮の試合は台風によって中止。山本昌がスライド登板という事になるらしいと、新聞には載っていました。しかし、今年のプロ野球は再編問題でごちゃごちゃしていました。一時期に比べて方向性が見えてきたのでしょうか、大きな大きな山は越えた感じです。古田選手会長にもうひとつのMVPをあげたいと、ファンならずとも思うところです。よく頑張っていますね。

 99年の優勝のときは、星野監督でした。カリスマ性をものすごく持った監督で、今更ながらどうだと説明も要らない人ですが、この方と22年ほど昔、遭った事があるのです。会ったではなくて、遭った・・・のです。

 あれは、私がまだ22歳だったと思います。大学を卒業した春に、宮崎の先輩へ会いに出かけました。初めての九州・・・はじめての飛行機・・・でした。3泊だったか4泊だったか、先輩のお宅に泊めてもらい、いろいろお世話になりました。今更ですが、改めてお礼を申し上げます。毎朝のお味噌汁、とっても美味しかったです。ありがとうございました。いろんなところへ連れて行ってもらい、宮崎ならではの観光を楽しみました。先輩だけでなく、宮崎にはやたら先輩、同級生、後輩とたくさんの友人がいたのです。その甲斐もあって、日替わりでいろんなところへ連れて行ってもらいました。

 頃は3月、宮崎といえばプロ野球のキャンプシーズンです。宮崎市内では、大嫌いな巨人のキャンプ・・・。凄い人でした・・・。室内練習場には、原選手(前監督)が守備練習をしていました・・・)キャーキャーさわいでいる地元?の人たち・・・。その人ごみに紛れて、「ふん!」と斜に眺めている自分・・・。しかし巨人は凄い人気だなぁ・・・と思ったものです。

 その頃のドラゴンズは、串間という南に位置する場所でキャンプを行っておりました。途中の観光も含め3時間くらいかけてそちらものぞいてきました。練習試合が終わったところで、選手がぞろぞろとグランドから、出てくるところでした。その頃の大好きだった選手は田尾選手。彼にサインをもらおうと、途中で買った色紙を差し出すと、なんと拒否!彼はちょっとご機嫌が悪かったようで、サブグランドのほうへさっさと走りに行ってしまいました。しかし、こちらもこんなチャンスはそうそうあるもんじゃぁありません。強引に後を追っかけて、軽いランニングの後、腰をおろした隙を狙って、サッと色紙を差し出すと、「仕方ないなぁ・・・」と言うような表情で書いてくれました。するとその後には人だかりが・・・田尾選手は人気のある選手ですからね。いつもこんなんでしょうね。そうそう今話題のイチローも、田尾選手の大ファンだったそうで、サインを部屋に貼っていたそうです。今も彼はドラゴンズが大好きだとか・・・。私も大好きですが、田尾選手のサイン色紙はどっかへ行っちゃいました・・・(笑)。

 そうそう、星野監督との遭った・・・話ですね。この時、星野さんは、前年選手を引退。解説者として各キャンプ場を訪れ、いろいろと取材をしていたようなんです。で、このドラゴンズのキャンプ場で遭ったのか?とう言うとそうではなくて・・・。それは帰りの飛行機の中だったのです。この日星野さんは、ロッテの鹿児島キャンプの取材を終えて、宮崎空港から帰名となったわけです。

 そうです、同じ飛行機で帰ったわけですね。それも通路を挟んで隣りだったのです・・・。Oh!Yea!!なんですが、飛行機に乗るときに気づいた・・・なら良かったんですが、乗ってから・・・でもなく、なんと名古屋に着いて、降りる時に遭ったのです。着いて降りてもいいよ・・・というGOサインが出るや否や、両名(私と星野さん)はサッと席を立ち、お互いの手荷物をとるためお尻が鉢合わせになったのです・・・。そのとき遭ったのです。私のほうが若干早かったのでしょう・・・。十分な態勢で彼の体を後ろから「ドン!」とドツイテシマッタノデス・・・。

 彼は、そのまま前のめりに倒れたのです。「あっ!ごめんなさい」と振り返って知らずにぶつかってしまった事とは言え、素早く誤ったのですが・・・。その時のその人の顔は・・・忘れもしません。ちょっと高いところから私をにらみつけ「この野郎〜」と言わんばかりの形相でにらみつけて来ました。

 実にそりゃぁ怖かったですよ・・・。「あっ、星野だ!」と心の中で叫びました・・・。彼は私ににらみを効かせたまますたすたと降りていきました。私としては、知らない人ににらまれたら、「悪い事したなぁ・・・」とちょっと反省もするんでしょうが、「星野だぁ〜」という偶然に喜んでしまったのです。その頃の星野(もうさん・・・は省略)は、まだ血気盛んで怒りんぼうですから、仕方ないですね。22年も前の事です。星野〜、じつはオレも痛かったぞぉ〜・・・お互い様じゃぁ〜!!!!


蚊に襲われる(9/22)

 残暑も和らいで、秋の気配を感じるこの頃になるといつも思う事があります。毎年5月GW頃から見かけるようになって、過去11月3日の文化の日頃まで飛んでいたのが、「蚊」です。前の店舗のときは、古い作りと言うこともあってか、蚊の発生する環境(古タイヤの中に溜まった水によって発生する)が整って!?いた事もあってか、その時期は長く、数も多かった気がします。この店になってからは、割と整頓されているせいか蚊の発生もぐんと少なくなり、期間も短くなりました。

 しかし、この夏は特に少なかった気がします。酷暑が原因になっている気もします。全くいなかったわけではないのですが、明らかに刺された回数が少なかったのです。それは大変ありがたい事なのですが、変な心配もチラッとしてみたりもします。「異常なのかな?」

 でもこの時期になって、涼しさを感じる朝晩、気候過ごしやすくなってきたのかこの「蚊」は、大きさこそ小ぶりなのですが「ぷ〜ん・・・」とあの独特な羽音をたてて、蚊の事なんかすっかり忘れている私たちの間隙を縫うかのように忍び寄り、しっかりと強制献血運動をされて行くのです。

 知らないうちに「かい〜」となるのです。この夏の始まりに買っておいたキンカンと蚊取り線香が、遅まきながら活躍することになっているのです。店内には、刺された者がすぐ対応できるように、2本設置してあります。蚊取り線香は朝晩モクモク・・・と狼煙よろしく燃えているのです。

 ここで更なる疑問・・・、このキンカンを塗った事によって、蚊に刺された事で起こるあのかゆみ、押さえることになっているのでしょうか?すぐ塗ってかゆみを発生しなくなった・・・ということも無いような気がしますし。かゆい状態で塗ってもかゆいし・・・。また、蚊取り線香・・・その煙によって蚊はどういう反応をしているのでしょうか?殺虫効果があるのでしょうか?ただ嫌がって近づかないだけなのでしょうか?2mほど離れた所にこの狼煙を上げても、刺されました・・・。もっと近くに寄せれば良いのかと、すぐそばに近づけましたら、めちゃくちゃ煙たいのです。また、電気式の蚊取マット・・・我が家でも使っていますが、CMで見る「蚊」がふらふらと落ちてくる情景を見たことがありません。ましてやTOKIOがやっていたような、大量に「蚊」が死滅するような事など無い!と言っても良いでしょう?と思いたくなります。本当かなぁ?よりウソでしょう?のCMです。思わず欲しくなるような効果がありますが、誇大広告なのでは?とTOKIOのことは好きなのですが、どうなのかなぁ?問題にならないのこれ?

 朝顔の種を収獲しなくてはならないのですが、獲っているうちにこの「蚊」は腕や首、顔・・・指先にまで襲ってくる事になります。指の第2関節あたりを指された時にゃァ・・・にっぶ〜いかゆみに耐えながら種を獲ることになるのです。そうそう、飛んでいる蚊をパチンと手のひらで叩いた後、やったか否か広げて見ますよね。失敗した後すぐ何処へ?と見渡すと・・・その姿は忍者のごとく消えている(忍者を見たことが無いのですが・・・)。その時間はほんの一瞬なのですが・・・。あれって不思議ですね?

映画観ました(9/14)

 普段映画を好んで観るタイプの人間ではないのですが、ここのところ立て続けに2本映画を観ました。我が家の場合、映画は基本的に一緒に観ると言うのが原則です。大きな理由は映画館が近所にない事。気軽に行ける環境ではないと言う事です。観に行くのは決まって夜、土曜の夜が多いですね。

 最近観たと言うのは、「NINNIN・・・忍者ハットリくん」と「スウィング ガールズ」。前者は主演の香取慎吾が大河ドラマ「新選組」の近藤勇役で観ている事と、子ども達にとっては、SMAPの一員である事で親子でなじみのある人と言う事、忍者ハットリくんは私たちの子供の頃のマンガの主人公と言う事もあって、観る事になったのです。
 
 ハットリくんであるところの香取慎吾は、スクリーンの中では、何かコントを演じているかのような演技でした。ストーリーそのものが淡白で抑揚がなく、ハラハラドキドキするシーンなんだろうけどそれもない・・・。東京タワーのテッペンに立って「ハットリカンゾー只今参上!」と言うシーンでもCGをいろんな映画ですでに見慣れてしまった今では、大した感動も受けませんでした。ただ次女には、違った感覚でおもしろかったようです。はっきり言って大人が面白がる映画ではなかったかな?というところです。

 ハットリくん・・・の上映前に、次回の話題作・・・として宣伝していたのを観て「ちょっと観たいなかなぁ?」と感じた映画が「スウィング ガールズ」でした。長女も観たいということでしたので、またまた家族で行きました。これはよかった。コミカルなシーンも面白かったですが、音楽を演るという喜びを教えてくれるそんな楽しい気持ちにさせてくれる映画でした。今の高校生の感覚はこんな感じなのかと驚いた所もありました。どこか行き当たりばったりで無計画に日々を過ごしていて、何に対しても飽きっぽく言葉も乾いています。そんな彼女達が、ひょんなことから吹奏楽をしなくてはならなくなって、その魅力に惹かれてイキイキした表情を見せるようになるのです。実際役者さんたちはほとんど経験もなく、この映画のために4ヶ月の猛特訓を積み、実際演奏しているそうです。観ていて気分のいい映画でした。これはおすすめです。楽しそうに演奏している姿にジーンと来ちゃった私でした。「ジャズやるべ!」と言う言葉がしばらく頭の中でスウィングしています。 


ぐらぐら〜(9/7)

 天変地異・・・なんて言葉が頭をよぎる一昨夜の地震でした。震災の日には、浅間山が噴火するし・・・。今年は台風が本当に多いです。しかも大きい。なんとも不気味な今日この頃です。

 一昨夜の2回の地震は、長かった・・・。長く感じましたね。小刻みに揺れてゆっくり横に揺れていました。2回目の地震の時は、すでに寝てる体制でテレビを観ていました。最初、本当に小さく体が震えていました。「あれ?体の具合が悪いのかな?」と自分の体が体調不良で震えているのかと思うほどのものでした。でも程なくしてまたまたぐらぐら〜とゆすったわけです。今度こそ東海地震だ!と身構えちゃったわけです。長男は風呂で洗髪中、慌てて洗い流し出てきました。長女は勉強中、しっかり机の下に・・・。次女もベッドから飛び起きて机の下に潜んでおりました。さすが学校で訓練しただけの事はあります。えらいえらい・・・。

 先ほどまた地震がありました・・・。本当に東海地震とか東南海地震とかと関係ないのでしょうか?めちゃめちゃ不安ですよね。台風は2週続けて今夜やってくるし、毎夜のごとく、名古屋のほうは大雨、雷がやってきているようですし・・・。こうしている事務所の窓から雲を見やると、台風のせいでしょうか、流れが速いようです。ときより風も「ヒュ〜」と音をたてています。なんかアルマゲドンではないですが、1度この世のものが、すべて清算されてしまうような事が起こるんじゃないか?と思ってしまうようなそんな気さえします。今夜近づいて来るであろう台風が、磐石の構えで通り過ぎるのを、じっと待つしかない我々です。


休日によせて(8/31)

 昨日は休み・・・。突然に休みでした。体を休める休みにしようと決め、朝寝を決め込んで寝ているつもりでした。でも、20代の頃のように、午前中寝倒すことができません。前日オリンピックを観ようと、がんばって起きていたのですが、知らないうちに眠っておりました。いつ寝たのかは定かではありませんが、夜更かし!?をしたと思うのです。思うのですが、しっかりいつものように目が覚めてしまいました。

 でも、休むんだ・・・と言い聞かせ、目を閉じます。しかし、他の部屋からは、TVの音。オリンピックのマラソンの結果についてやっています。男子マラソンでなにやらハプニングがあったらしい・・・。そんな事を聞いてしまったら、TVをつけるしかないでしょう?トップを走る選手に、観客が妨害をした・・・というシーンでした。この人F1でも同様のことをした人・・・。誠に困ったチャンなのです。

 そのままだらだらとTVを観ていたら、睡魔が襲ってきました・・・。1時間ほど寝たでしょうか?すると外では皆が仕事をする音に目が覚めました。仕方ないので、布団をたたみ、ソファーのある部屋に移動・・・。ここで遅めの朝ご飯を食べ、TVをつけます。またまた、オリンピックねた・・です。しばらく観ていたのですが、さすがに同じことをやっているので、ビデオを観る事に。

 昨晩(日曜日)やっていた「鉄腕ダッシュ」をぼーっと観て、その後以前から撮っていた「ワッキーの地名しりとり」を観て昼になり、ちょっと遅めの昼食をとり、またまた昼寝・・・。2時頃になって、台風のニュースをテレビで見始めます。かなりすごい事になっている様子。中部地方にも夜中に影響がでるとか・・・。4時頃に暴風雨警報が出ました。そうしていると、携帯が鳴ります。相手は、某Mタイヤに勤務して、今では仙台で頑張っているM君です。なにやら相談ごとがあると状況を聞いていると、今度は長男から電話。M君には後日都合にいい時に電話をもらう事になって、長男の電話に出ました。まだ8月なのですが、2.3日前から、学校が始まっているのです。「警報が出たということで迎えに来て」という内容でした。車で迎えにいくと、街は、まだ静かで、雲の合間から青空が見えたりしていました。

 迎えに行って、家の雨戸を閉めました。その後もボーっと決め込んでいたのですが、厄介な事に、また頭が痛く成り出したのです。ジーッとしていると、頭痛がしてきて困ります。夕飯はいつものように食べて、早めに風呂に入り、少しは収まった頭痛を気にしながら、オリンピックの特集を観て、布団を引いてさっさと寝ました。本当に疲れていたんでしょうか、あれだけ寝てばかりいても、台風の風のすごさを気にしながらも、しっかり熟睡できました。おかげで今朝は快調です。でも正直・・・まだ眠いです・・・。


始業点検はドライバーの責任(8/25)

 最近、夜なんかは一時の暑さではなくて随分過ごしやすくなった感があります。この夏は本当に暑かった・・・。酷暑でした。今店内では、鈴虫が鳴いています。夜になると秋の虫たちが鳴いています。日中はまだまだ暑いのですが、夜になると秋の気配を感じます。「あれが〜♪あなたのぉ〜♪」という歌を思い出しましたが、ここではちっとも関係のない歌でございます。

 この夏の酷暑、先のアテネオリンピックでの女子マラソン。日本とは気象条件が違うのでしょうけど、かなり暑かったそうですね。リタイヤするランナーが16名、そのうち熱中症にかかった人もたくさんいたようです。全世界中に体調を崩し、嘔吐するシーンがたくさん映りました。観ていてその過酷さがよく伝わって来ました。金メダルを獲った野口みずきさんもゴールしてから同様の症状になったようです。そんな中、本当に良く頑張ったと思います。マラソンに限らず、一生懸命な姿というのは理屈ヌキで感動が伝わって来ます。もうすぐ終わってしまうオリンピック・・・、もっと観ていたいですね。

 話をお題に戻しますと、この夏の暑さは異常なほど・・・、他のページでも紹介していますが、タイヤにとっても過酷な暑さだったのです。テレビ等のニュースで、高速道路上でタイヤがパンクし、それが引き金になって大事故につながってしまったことが、何件か起きましたね。私の店にも数件タイヤバーストで駆け込まれたお客様がお見えになりました。また、高速道路上でバーストし、出張したこともありました。先のお盆休みに伊勢自動車道で、同じくバーストして修理している車両を2台ほど見ました。

 これらの原因は、おそらく空気圧不足が招いた事態だと思います。そこへこの暑さ・・・、路面温度はかなり熱かったことも加わり、タイヤの温度は超上昇・・・。バ〜ン!という音とともに走行不可になるのです。何べんも言いますが、空気圧不足はとにかく危険です。月に一度は空気圧のチェックを・・・。高速道路を走行する前には必ず空気圧のチェックを・・・。乗用車で250キロパスカル(2.5キロ)ほど入れていただければOKです。ちょっと高めに設定です。そうそう余談ですが窒素を入れると良かったりしますよ。私どもの乗用車にはみんな入れています。

 この暑さで、無事だったタイヤにとってもかなりの重労働だったでしょうし、バッテリーもかなりくたびれているでしょうね。暑い時は元気でも、寒くなって比重が落ちて、冬になってエンジンがかからない・・・と言う事にもなります。バッテリーが古いまま使っているドライバーのみなさん、この冬の前にこの辺も心がけて点検してくださいね。始業点検はドライバーの責任です。極たま〜にこうなっちゃったぞ!と我々に怒ってみえる方がいらっしゃいますが、よく聞けば使用条件がとっても悪く、始業点検やタイヤのことなど気にかけた事なんかない人たちがほとんどです。タイヤは命を乗せているのです。健康状態はドライバーが気にかけてやって、私たちプロに一声かけていただければ、点検をいたします。どうぞお気軽にお越し下さい。

 今回は仕事のコラムになってしまいましたが、あまりにも危険を放置したままの現状に警告を発する思いで、書かさせていただきました。もう一度言います、始業点検はドライバーの責任です。


 たそがれ(8/17)

 今年もお盆休みに思いつくまま家を出ました。行き先は鳥羽・・・。キャンセル待ちでとった宿泊先は、兄の紹介で行かせてもらったもので、設備の割にそれは安価に行けるのです。会計を済ませてそれはもうビックリの価格でした。夏になると人は、海に出かけます。山にももちろん行きますが、今回は海を・・・で思った事を・・・。

 海はやっぱり万人にとっては季節は夏。それも青い空に開放感のある広い海は、清涼感があってとってもα波なのです。暑い夏であってこそ似合う風景は、やっぱり海なのです。

 私の場合、幼い頃に連れて行ってもらった夏の旅行は「海水浴」でした。普段海の見えない県に生まれて過ごしていますから、海は特別な景色なのです。1人では見にこられない景色だったのです。海水浴に身を興じる時、母親に準備してもらった水泳パンツをはき、タオルを持って、商売柄用意したチューブを持って履きなれないサンダル(当時はジョリ・・・と呼んだ)を履いて、海沿いの旅館?民宿?から蝉の鳴く松林の砂地をそのジョリの間に、熱い砂が入って「あちぃあちぃ・・・」と言いながら気持ちを躍らせながら海に走って行くのでした。限界一歩手前にまで感じた足の熱さが、海の冷たさに冷やされて「あぁ〜海に入ったぁ〜」と心の中で、季節の節目を感じる感覚を抱きながら、ゆっくり入って行くのです。

 今年行った海は見ただけ、その泊まったホテルのプールに入ったのです。我が子たちは海に潜った経験があまりありません。プールでは絶対ありえない生き物達の存在を、もぐった事で知ることもないのです。やっぱりそれではいけないのかな?とも今になって反省しちゃったりしています。潮溜まりに生息する訳のわからない(知らないだけの)生き物達。子供の頃、そんなものを発見しては大いにはしゃいだものです。

 夜の海を観るのもなかなか好きだったりします。昔、バイクに乗って越前の海に行った事があります。暗い景色にゆったりとした潮風を感じて、打ち寄せる波の音はなかなか良い物です。更に、波間に揺れながら漁をしているであろう漁船のいさり火が、とっても良かったりします。こんな風景のなか、たそがれたくて実は家族を無理無理に誘って夜の海へ散歩に行ったのです。しかし、その海は暗く空も曇っていて、風が生暖かく吹いて頼りのいさり火もなくまさに「がっかり」の海でした。ただ、頃はお盆、海辺では地元青年団による盆踊りが行われていました。ゆっくりしたお囃子に合わせて、地元の若者達が踊りながら、時折「!%○&#×〒△$〜」となんて言っているのかわからない掛け声をかけていました。そんな盆踊り会場でおみくじを引いて、ベビーカステラを買い食べながら散歩を楽しんだのでした。それもまたよし!と言う事で、夏を感じたお盆でした。