*****ひろのうたびとのしおり・・・其の六*****


カーブミラー清掃(8/8)

 朝7:30より、年に一回のカーブミラーの清掃作業に行ってきました。地元の交通安全委員の方(私も含まれています)と一緒に地元地区にあるカーブミラーや標識を清掃・点検する作業です。責任者の方から説明を受けて、さっそく各々の持ち場へ向かいます。私の持ち場は、自分の住む自治会地内でした。今年で2年目ですので知ってはいますが、カーブミラーって結構設置数が多いのには驚きました。数人の方と一緒に、脚立を立てて濡れたタオルで拭きます。その後乾いたタオルでふき取ります。その時隣接している標識にも気を配ると、案外雨風にやられて錆びていたり、脱落してないものがあったりしています。そんなことを何回か繰返し、その後、作業報告書、設置要望書などを書き、市へ提出する・・・といった事で作業は終了しました。

 この交通安全委員という仕事は、2年が任期で、毎月1日と15日に最寄の交差点に交通当番として立たねばなりません。私どもの自治会では、私を含めた3名の方とやっています。3名が交替で1日と15日に立ちますので、1ヶ月半に1回という間隔で当番が来ます。その時、自治会の交通安全委員会に加盟している方を3名ずつ振り分けて、朝7:30〜8:30まで一緒に交差点に立つわけです。その他年4回に交通安全週間にも同様の事をしています。これが結構辛かったりします・・・。腰が痛くなるんですねぇ・・・私の場合・・・。

 でもさすがに1年半以上も同じ事をやっていると、最初は何も感じなかったんですが、結構黄色い帽子を被って立っているだけで、慌ててシートーベルトをする人がいたりして、その道を通るドライバーには見られているんだなぁ・・・と思うと同時に、交通安全への無言のアピールになっているようです。何でもその日の事故件数が、通常の日よりも少ないと言う事を、地元警察から聞きました。交通事故はやってもやられてもいい事ではありませんね。最近、路上で自動車のタイヤがパンクして、事故につながった・・・というニュースをよく目にします。昨日の山陽自動車道でも、トンネル内でパンクした車にトラックが追突し、何人かが亡くなった・・・という事故がありました。

 実は一昨日、私どものお客さんの紹介で、やはり高速道路上で、マイクロバスがパンクし、本線上の待避所に止まっている・・・という連絡が入りました。出かけて行って作業をしたのですが、事のほか横を走っていく自動車の速い事・・・、まさかの場所で止まっているのはこちらの車両です。万が一発見が遅れて、衝突でもされたらひとたまりもありません・・・。実に怖い思いをしました。くれぐれも夏の行楽に出かける際には、やっぱり安全が一番・・・という気持ちを強く持って楽しい思い出を作っていただきたいと思うわけです・・・。

 なんか今回は、どこかのお役人のようなコラムになってしまいましたが、自動車産業の片隅に従事して仕事をさせてもらっている身ですので、たまにはこんな事もいいでしょう?


見かけた人(8/3)

 今日の夕方、鯉の餌を買いに出かけた時の事です。行きつけのペットショップでお徳用の鯉の餌を買いました。買い物としてはこれで終わったのですが、長女を連れて行きましたので、可愛い子犬を見ることに・・・。あれやこれやと可愛い仕草をする犬たちを見て数人の人たちが微笑んでいました・・・。硝子越しの犬たちは、見ている人たちのことは気にせず、目線は私たちの後方に向けられています・・・。「何故?」と思い後ろを見ると・・・、そこには黄色いTシャツを着たお姉さんが立っています。お姉さんはお店の人・・・。そうです、このお姉さんたちは、この犬たちにとって世話をしてくれる大好きな人間なのです。ここで私と目線が合い、熱いものが通えば・・・おもわずアイフル・・・したかもしれません・・・。かくしてこの仔犬は、私に買われることなく今日もここで夜を過ごすのです・・・。

 そんな事はどうでもよく、そのお店である方に出会いました。最初に発見したのは私の方です。「あっ、知ってる人だ。」と思っただけですから、あちらがこちらを認識しているかわかりません。そうこうしているうちに、この人と目が合いました。すると少し驚いたことに満面の笑顔で、「こんにちは!」とおっしゃるのです。「ありゃりゃ・・・こりゃいかん」と即こちらも「こんにちは!!」と笑顔の倍返し!?でお応えしました。この瞬間、私の気持ちの中には「モヤモヤモヤ〜・・・」っとした思いでいっぱいに・・・。それからず〜っとこの気持ちのまま今に至っています・・・。こんな事、誰にでもある本当にどうでもいいことなんですが、このままでは収まらないみょ〜なことになってしまったのです。あの人は、いったい誰だっけ?あぁモヤモヤモヤ〜・・・・とするぅ〜。ねぇ誰かなんとかして・・・。    ・・・・・・数時間後・・・・・思い出しました、大事なお客様でした。いつもお客様のお店でしかお会いしない方なので、私服姿でしかも違う場所でお会いしたものですから・・・・「あれ?」ってことありますよね?  ごめんなさい・・・。

涙・泣いたり笑ったり・・・(7/27)

 娘の部活動はバスケットボール、一昨年の春、中学に入学して部活を決める時、バスケットボールを選ぶとは思いませんでした。ただ、長男がやっていることと、私もやっていた事が少なからず要因としてあったのかな?とも思いますが・・・。でも一番の要因は、やっぱり友達だったようです。

 決して上手くはない娘ですが、長男同様最後まで一生懸命参加していました。きっと楽しかったのでしょう・・・。そんなこんなで2年の夏、3年生が夏の大会で部活を終えてから、いよいよ自分達の活動が始まったのです。この子達は、見ていて本当に応援の甲斐のある子ども達でした。「強くなりたい」「上手くなりたい」と願う子ども達でしたから、こんな私にさえ意見を聞いてきた事があったほどです。その時たくさんの純粋な輝いた瞳に、少々戸惑いを覚えたほどです。

 「規律」を自分達で考え、姿勢を正して行きました。先生の教えにも、たまには若さゆえの反発もあったようですがしっかり耳を貸し、きびきびとした活動を心がけていました。練習にも身が入って行きます。そしてこの子達は、少しずつ力をつけて行きました。そして、10月新人戦・・・。市内3校で行われるリーグ戦で、ここしばらく3位だったこの部は、2位になったのです。そして地区大会へと駒を進めたのです。自分達で勝ち取った出場権、それがたとえ安易なものだったとしても、この子達にとって大切な出場権です。それからこの子達のやる気は俄然旺盛になって行くのです。

 地区大会を初めて見たこの子達・・・。浮き足立っていたこともあったのでしょうが、一回戦で速いスピードにペースをつかめず、後半追い上げたものの惨敗でした。さぞがっかりくるかな?と思って心配だったのですが、何が何が・・・グランドに車座に座って、自分達で反省会を開いているではないですか・・・。この子達の純粋な姿勢に、胸熱くなる思いでした。頑張れ!と願わずにいられません・・・。

 それから数々の練習試合を様々な学校と行い、時には高校生とも試合をするほどでした・・・。この子達はたくさん負けてさらに強くなり、強いチームになって行きました。そんなこの子達の指導にあたっている先生の情熱も素晴らしいものがあります。そして半年後、3年生になり、春の大会・・・。市内3校の試合です。するとどうでしょう・・・、新人戦でなんとか勝ったチームに完勝!そして常勝チームにも接戦ではありましたが、勝つ事ができ優勝したのです。この時この子達は、嬉しい涙を味わったのです。「オレ達は強い!」・・・これがこの子達の出陣の掛け声になったのです。何でもスラムダンクからのいただき物らしいです。

 いよいよ地区大会、この子達の目標は、すでに県大会。8校で行われる大会で、2回勝ち進めば出場権を勝ち取る事ができます。1回戦、がむしゃらなその戦闘意欲は相手を圧倒。完勝で駒を2回戦に進めました。しかし、相手は優勝候補の筆頭校です。そのスピード、技術、得点力、そしてメンタル面のどれを比べても圧倒される強さです。でもこの子達は「勝ちたい」と強く思っていたのでしょう、序盤には無い更なる闘志が見て取れ、後半疲れの見える相手を追い上げ、見ているものの興奮を誘います。結果は破れはしましたが、この子達を相手に認めさせるには十分な戦いでした。

 その後、先生のがむしゃらな意欲が拍車をかけ、遠征、遠征、練習試合を数多くこなし、負けては練習・・・。反省点を見出しては練習・・・。途中脱落者を出すことなくこの子達は、いよいよ夏の中体連を向かえました。

 結果から言えば、春の大会と同じく3位でした。最大の目標であった県大会へは、残念ながら行く事ができませんでした。しかし、市大会では他の2校を完勝。地区大会では、苦しい戦いでしたが、頑張りました。この子達が必死なように、参加校の皆が必死なのですから当然です。簡単に勝たせてはもらえません。1回戦は何とか辛勝。2回戦は、春の大会でも破れた相手です。しかし、この子達の動きに何か冴えがありません。慎重になってしまったのか?動きが硬く感じられました。思いとは裏腹に、春より点差が開いて行きます。結局、惨敗でした。ドラマのようには行きません。これが現実です。本当の力を出せなかったのが敗因でしょう。それも実力です。こんな事もあるのだという経験の差なのでしょう・・・。1年でここまで高められたその成長の軌跡こそ、この子達の勝ち得たものだったと思います。見ている私たちまでその意気を教えられた1年でした。その後、3位決定戦では、それまでの鬱憤を晴らすかのように、大差で完勝!涙の後には満足そうな笑顔がありました。

中学校にて(7/20)

 先日・・・と言っても12日の事だからもう新鮮味も薄い!?のかもしれませんが、結構懐かしいといいますか貴重な体験でしたので感想を少々・・・。

 娘が通う中学校の給食を食べる機会があったのです。この日のメニューは、梅とゴマと豆の入ったご飯、豚肉のしょうが焼き、大根サラダ、アセロラゼリー、牛乳でした。パッと見た目はとっても量が少なく見えたのですが、食べ始めてみるとそうでもなく、その日の午後はとっても腹持ちがよく、「考えてあるんだなぁ・・・」と、感心させられたのです。

 学校給食なんて中学卒業以来ですから、30年ぶりくらいです。今の給食がこのようなメニューになっているという事は知ってはいましたが、食べるのは初めてでした。一番感心したのは、美味しそう・・・なのです。食べ合わせ!?というのでしょうか・・・、がとっても良いのです。私たちの頃は、例えば大きい食器には、ひじきが一杯。小さい食器には、キャベツのサラダ(ソースをかける)、食パンが3枚、牛乳がビンで200cc。これを先割れスプーンで食べるのです。実に美味しそうでしょう?三角食べ!なんて食べ方を強要されました。嫌でしたねぇ・・・・。味覚がチャランポランになってしまいますよ・・・、実際の話が・・・。

 今の給食は、美味しそうで美味しいのです。子供の給食の献立表を改めて観ると・・・。実に考えられないようなメニューが並んでいるのです。和洋中・・・韓国のメニューもあります。wwwなのです。ビックリなのです。そのうち「今日の給食は、焼肉です!」とか言って、おもむろに固形燃料が個々に配られて、網なんか乗せちゃって・・・ひだ牛のシモフリをジュージュー焼いちゃうんじゃないでしょうか?考えられますよ・・・そのうち、近い将来に。


感謝(7/14)

 昨日は次女の12歳の誕生日でした。以前は夏祭りで、いろいろ出かけていく事があって祝ってやる事ができませんでした。昨年もPTAで何かあって祝ってやる事ができませんでした。でも昨晩は、ケーキを買ってお祝いをしました。いつも心ここにあらず・・・Going my way!の次女でしたが、この日は家族の気持ちを,精一杯受け止めていました。

 さて、ここのところ、ある映画を探して奔走する日々を実は送っていました。「ボクは五才」という映画です。この映画は古く、1970年の大映のものです。観たのは小学校の体育館。当時は年に1回!?はこうして映画を観ました。普段は明るい体育館が、暗幕が引かれ、水銀灯が点けられています。整然と並べられた椅子・・・、そんな体育館に静静と並んで入っていきます。そして椅子に座って10分くらいで先生の講釈があり、館内は灯りが落とされざわざわ・・・とした中、映画が始まったものです。

 そうした中で見た映画の中の1本が、この「ボクは五才」という映画です。ある時ふとこの映画の事を思い出しました。妙にもう一度観たくなったのです。でも・・・。何処を探しても無いのです。いろんなところに尋ねたりしましたが、どなたも「無い!」というつれないお言葉・・・。探しつづけて1ヶ月くらいしたある日、インターネットでまた以前探したサイトを、一縷の思いで見ていると・・・、小さく「○○レンタルビデオに1本あります。」と記されているではないですか!早速、そのビデオ屋さんを検索し、電話をかけました。すると話中・・・何度かけても話中・・・。「なんてこったい・・・」といらいらしてしばらくかけること数十回・・・。相変わらず話中・・・。「なんだぁ〜?忙しい店やなァ」と今日はあきらめかけたそのときよく見ると、電話番号を掛け間違えていた事に気づき、改めてかけ直すと・・・ちゃんとかかりました・・・。慌てない慌てない・・・。

 店の人に尋ねると、親切にも探してくれました。なんと「物はある」と言うのです。私の歓喜の声無き声が心の中で広がりました・・・。「やったぁ〜!」です。早速借りよう!と思うのですが、そこは東京だったのです。「どうしましょ?」そこまで行こうかとも考えましたが、さすがにあきらめます・・・、というより同時にある考えが浮かんだのです。私は早速、東京で働く友人に連絡を入れました。数回のコールで彼は電話に出ます。もう流れに乗った感じです。こう行ったときは、事の達成に向けてスムーズに事が進んで行くのです。友人は快くOKをしてくれました。しかも私の気持ちを察するかのように、短時間で事を成してくれたのです。レンタルし、ダビングしたテープを送ってくれました。本当にありがとう。その夜、私は30数年ぶりにこの映画を観て感動する事ができたのです。本当に感謝です。

やられた〜(7/5)

 先日、長男がもらってきたケナフの種。古いプランターがあったのでそのままの土で大丈夫だろうと種を植えました。すると2日くらいで芽が出ました。10個くらい蒔いたのですが、芽が出たのは3つだけだったのです。その頃毎日のように夕立やら台風やらで、雨が一時的ではありますが、大量に降ったわけです。そのせいで種がパーになったのかな?と思います。

 ケナフとは、原産地がアフリカらしく、1年草で結構何処でも生える植物だとか・・・。最近注目を浴びていることは、何でも二酸化炭素の吸収が他の植物に比べ、とっても多いようです。いっぱい育てて地球温暖化防止に役立てよう!ということのようです。また、木の代わりに紙の原料にもなるというのです。古代エジプトでは、ミイラを包む布として使われ、その繊維でヒモやロープなどになり、茎はしぼってジュースやお酒なども作ったりできるそうです。種からは油、そのかすからは、肥料や家畜の餌になったそうです。実にエコロジーな植物です。地球環境の救世主として注目を浴びているのがこのケナフなのです。

 そこで私もお役に立てれば・・・の思いで、このケナフを蒔いたのです。芽が出て喜んでいたのですが、数日してこの芽が倒れているのです。「???」と不思議に思って指でつまんで植え替えようとすると・・・なんと根っこが無い!・・・・・なんだろう?・・・・と思っただけでまた2.3日後、残りの2つも根っこが切れて倒れていました。慌てて土の中を掘り返してみると・・・・そこにはコガネムシの幼虫が10匹くらい元気に生息されておりました・・・。なんと古いプランターには昨年の夏、コガネムシが卵を産んでいたんですね。残念ながら私のケナフ地球温暖化防止計画は、この幼虫たちによって見事に頓挫したのです・・・。残念!!

 ケナフ・・・と聞いて連想したのがケーナという楽器。昨晩BS放送で新選組を観たあとの番組で、このケーナのことをやってました。竹製の楽器。南米の楽器なのかな?日本の尺八の小型版のような形です。なかなか奥が深そうな作りをしているようで、思わず見入ってしまいました。音色もなかなかのものでしたし。そうそう私、尺八を高校の時少し習ったことがあります。簡単そうで音を出すまでに、結構大変でした。息を吐きつづける訳ですが、過度にやるとめまいがするのです。コツをつかむと簡単に音だけは出るようになりました。でも音階が和楽は洋楽とは違って、覚えたつもりが何も演奏できないまま終了してしまいました・・・。田中健のケーナの演奏、実に上手かったです。

子供とスポーツ(6/28)

 今年もまた、中学生のバスケット部を中心にした数チームと、バスケットの試合をすることになりました。先日も2回目の練習がありました。今回私たちのチームには高校生や大学生、20代や30代のバスケット経験者が数人入ってくれています。

 その中に、私の高2になる息子もいます。そして先日の練習には中3の娘も参加してくれました。一緒にバスケットをするなんて、なんか不思議な感じがします。おまけに息子とは足のサイズが一緒(26.5cm)。バスケットシューズもとっかえひっかえで履きました。むしろ「足が痛い!」と言う所をみると、息子のほうがでかいかもしれません。この間までは25.5cmの靴を履いていたのに・・・。正直言って、これらがみな、嬉しかったりするのです。決して上手くも体が大きくもないのですが、我が子たちの成長を感じる事は、親ならみな嬉しいはずです。

 それから、スポーツでかく汗は、何て気持ちの良い物でしょう?仕事でかく汗とは全然違います。この歳になって初めて実感しました。心身ともに健康!って感じがします。ただ、思うように動かない体と、軽い突き指をした事が、ちょっとショックでもあって、心の中に「いつも黄色信号を!」という警告がともっています。

 本番まであと1ヶ月、今回は5チームの参加で4試合が予定されています。大人とやるバスケット。子供たちは自分達が大人になった時、更にその子供たちと、何か一緒にやってくれる事を願います。


懐かしいがね〜(6/22)

 19日の土曜日、懐かしい声を聞きました。と言ってもたまたま聞いたのではなく、こちらが電話して聞けたわけですから、偶然では決してないのですけど・・・。電話の向こうの声の主は3人。大学時代に入っていたちょっと前にも紹介した「フォークメイツ」というとっても洒落ていない名前のサークルの同級生です。そもそもこの3人が集まる事になったきっかけと言いますか、こうなっちゃった責任は私にありまして・・・。今月7日に東京に行くという事になっていたわけですが、行き先が変更(なんと神戸)になり、この話はポシャってしまった訳です。でもせっかくだからと在京の3人は時間を作って会うことになったわけです。3人がそろうのも、もう随分前(15年前?)の事だそうです。それを「この間・・・」と言ってしまう大胆な感覚を持った人もいて・・・私こんな感じ大好きです・・・。電話の向こうの3人は楽しそうでした。

 幾度と思う事で、人生半分過ぎると回顧的に振り返ってしまいたくなるのでしょうか?こうやって集まる事の意味があるんだと思えてしまいます。学生時代の仲間は、何の束縛も無くイーブンなのです。会えばあの時の感覚に戻って、何もかも忘れられる時間を過ごせるのでしょうね。行きたかったぁ〜・・・。電話を切った後、もう1人大事な人にも連絡して、是非参加してもらおうと彼の携帯に電話をしました。やっちゃこんです。彼も今日は休みで自宅に居ました。、それでも仕事をこなしていたそうです。こうして懐かしい5人が一同に!?会したわけです・・・。

 でもやっぱり顔を会わせて、時を過ごしたいという積年が増したのは言うまでもありません・・・。今度はやっちゃこんと一緒に東京へ・・・、おっと末吉も誘わなきゃね。



We love 炭水化物(6/13)

 私たち家族の食卓には、めん類が並ぶ事が多い一家でしょうか。夏は、冷麦。冬はうどん・・・。そうでなくてもラーメンだスパゲッティだ・・・と子供たちは頻繁に食べる事を好み、食事毎にそれをリクエストする事が多くなります。すると必然的に食卓にはこの類が並ぶ事が多くなるわけです。 私はそばが好きだったりするわけですが、たまに出てにんまりします。 

 先日、長女が「そうめんが食べたい・・・」と言いました。以外に我が家ではそうめんは無いのです。細い麺は昔から冷麦なのです。冷麦は頻繁に食べますが、そうめんはなぜか喉越しが糸のように細いのが原因なのか、なんか異物を飲み込んでいる感覚が若干するのです。糸の把を飲んでいる感じ・・・?良く噛んで食べればいいのでしょうが、よくいるじゃないですか・・・噛まずに飲み込んでしまう食通の人、いわゆる通の人・・・。喉越しが命なんだ!ってのたまう人・・・。決して私は通ではないんですが、その言葉にちょびっと共感してしまうわけです。

 結局長女のリクエストしたそうめんは、食卓に並ぶ事は無く(高いから・・・・という理由もあがっていましたっけ・・・)、冷麦となるわけです。「そこでただ細いだけやろう?冷麦もそうめんも同じようなもんや!」と言う声に「細いでええやん、そこがええんやて」という長女・・・。

 だったら麺の細さというか太さに決まりがあって区別されて名前があるんだろうか?という疑問が湧いてきました。すぐ調べられるのが今日日のネットです。検索して・・・ありました。世の中便利になった物です。ここに書きますと「この二つには、はっきりとした違いがあるそうだ。JAS(日本農林規格)によると、そうめんは丸棒状で太さ0.8ミリ〜1.3ミリ、角棒状では0.7ミリ〜1.2ミリ。ひやむぎのほうは、丸棒状で1.3ミリ〜1.7ミリ、角棒状で1.2ミリ〜1.7ミリと決められている。そしてこれ以上太いのが「うどん」と総称されているそうだ。

 おぉ・・更にお勉強になった事に、丸棒状と角棒状という規定まであったとは・・・。さすが日本の規格・・・。しかし対外、商品として売られている物を買ってきて食するわけで、パッケージ等に「そうめん」、「ひやむぎ」、「うどん」と明記してあればそこで判断してしまい、太さの規定などで判断なんか特別していないのが本当のところでしょう・・・。更に日本の食文化には進化!?をとげた麺が存在しています。名古屋の「きしめん」山梨の「ほうとう」などがそれです。ただうどんの麺が平たくなった麺なのですが、食感がそれで変わる事によって愛されてきた麺なのでしょうか。味噌に込みだったりして料理法も独特の物だったりします。これはこれで美味いのですが、乾麺は私、今一好きではありません・・・。あっ、冷麦は乾麺か?う〜ん、困った・・・。うどんの太さのものは乾麺ではダメと言う事にしておきましょうか・・・。美味しけりゃ、結局いいのですが・・・。

 そうそう、そうめん食べたい長女は、こっそり買ってきて食べたい時に食べたいだけ茹でて、1人そうめんを楽しんでいる・・・「少しちょうだい?」・・・「いや!!」・・・なんて奴だ!なのです。

 
楽器〜4♪(5/30)

 あっそう言えば、今日はゴミゼロの日ですね。さっき地元神社の清掃作業から帰って来たところなんです。この日付を打っていて気が付きました。5月30日はゴミゼロの日なんですね。ゴミは散らかしちゃいかんのです。

 さて、一年前「楽器〜3♪」を書いた次の週に祖母が亡くなってすっかり続きを書く事を忘れていました。昨日一年前のことを読んでいて思い出し、今回はやっと続きを書こうと思います。

 高校時代は、なんとなくバンドを始め、その後大学へ行かせてもらい、じっくりと音楽をやれる環境とあいなりました。と言ってもどうすればいいのか全くわからない・・・。そうこうしているうちに入学して2.3ヶ月くらい経ったでしょうか・・・。同じクラス!?というのかなぁ・・・ABC・・・順に分けられたそのクラスのような集まりの中で・・・北條という奴と出席番号が69090・・・と69060だったかで、北條の思い違いから「69090」という番号に2人が手を上げるという事態が起こって、ちょっとしたありゃりゃ・・・があった訳です。要するに60が北條、90が私なわけで・・・。

 それが切っ掛けで北條と知り合いになり、バンドの話を唐突に持ちかけたら「俺はもうその手のサークルに入っている・・・。」と言うのです。そんなこんなで紹介を受け、見学する事に・・・。月1回のサークル発表会で演奏したい曲があるからと「ほお杖をつく女」を聴け!と言われ、知らない曲ではなかったのですが、感心のない曲だったのでここは聴かなきゃ・・・と思い学校の帰り(名古屋方面の学校でした)、なぜか岐阜に寄って以前高校時代にドラムを買った楽器屋さんに行ってこのシングルレコードを買ったのです。名古屋にもレコード屋さんなんていっぱいあるだろうに、なぜか岐阜に行ったのです。

 さらにその数日後、この北條がベースが欲しい・・・と言うのを聞いて思わず「おるおる・・・」と本人の意志も聞かず無責任にもOKを出し、その発表会に仮に出るだけでいいと言う曖昧な理由で幼なじみの石井君(彼もまた同じ大学に来ちゃったのです)がやることに・・・。だから彼は正式にこの名も無きバンドに加入したわけでもなく、ましてやこのサークルに入部したわけでもないのですが、なんとなく卒業まで彼は無くてはならないメンバーとして一緒にいるのでした。4年後の卒業生追い出しコンパで彼は「そう言えば俺はここに入ると一言も言ったわけじゃないのに最後までおった〜。いま思い出した・・・。」と言っておりましたっけ・・・。やっちゃこん(石井君の事を私はずっとこう呼んでいました)、ごめんよ〜・・・。

 この時の私のパートはギターでした。黒いアリアプロUのレスポールモデルを購入。後にこのギターは同級生の新潟の石屋のなんとか・・・という奴に売りました・・・。名前忘れてごめんよ〜・・・。「ほお杖を・・・」のリードギターを一生懸命練習してこの北條が全体の2/3を受け持つような形で演奏した思い出があります。そのときドラムは青森から来た駒井という奴がコンガを叩いていましたっけ・・・。なんでコンガなんだ?その後、いっこ年上の武捨さんという人がアコギ(生ギター)で加入し5人バンドが出来たのです。名を「POP」といいました。POPな曲をやろう!ということからつけた名前でした。安易な名前でございます。北條がそう言っていました。

 でもコンサートがあるたびにメンバーが定着せず、いつもいたのは私と北條とやっぱりやっちゃこんです。一年後、更に地元の高校から来たふさこという女の子をキーボードに迎え、私はドラムに落ち着き、POPは4人バンドとなりました。そして3年間演奏活動を続けたのです。楽しかったなぁ〜・・・、入っていたサークルも最高に楽しかったなぁ・・・。残念ながらメイツはもう無いそうですが・・・。そのサークルは「フォークメイツ」という時代を感じさせる当時でもなんか洒落ていない名前でした。あのころTVなんかで見かけた「・・・メイツ」ではなく、決して踊ったりはしない、時代の先端を突っ走っているつもりだった音楽集団だったのです。4年間の大学生活のうち、3年10ヶ月くらいはバンドのために通っていました・・・。おとうちゃん、おかあちゃん、ごめんなさい・・・。


ふと思う事(5/23)

 ここ数年、頻繁にミュージックシーンに見られる回顧的なグループの存在・・・。グループに限らず個人の名も耳にする。それはCMのBGMで使われる昔懐かしい曲であったり、場合によっては登場したりしている。70年、80年代によく耳にしたアーティストたちの音楽に興味を持ち、すっかり真似てみた自分としては大いに嬉しい現象だったりするのです。

 前にも書いた大好きなチューリップが97年に活動をはじめ、その後3回もツアーをしてくれた。甲斐バンド行ったし、アリスはBSでしっかり観た。コンサートに行くことが恥ずかしい・・・なんて妙な気持ちも心配だったりしてどうかとも思ったけれど、いざ行ってみると・・・そこには同じ年代の輩が一杯。「な〜んだ、みんな一緒じゃないか・・・。」とすご〜く嬉しくなるのです。盛り上がって馬鹿になって帰ってくるのです。

 後日、それを人に話したくてうずうずするのですが、「えぇ〜!?」と言われ鼻で笑われた日にゃァせっかくの大切な思い出が壊される気がして言えないのです。でもこの感動を誰かに言いたくなってしまうのです。あぁ・・何て刹那的なんでしょう・・・。

 それが、つい先日のこと。取引先の同年の方が私の店に来て、ラジオから流れるある曲を指して、「今度さぁ・・・これを聞きに行くんやてぇ・・・」と言うのです。その表情はとっても、はにかんだ感じで照れくさそうに言うのです。高校時代の同級生の誘いで行く事にしたそうです。とっても楽しみにしていると言っていました。

 それを聞いて思わず「それ、良いなぁ・・・」と言うと、彼はちょっと驚いたあとニッコリして嬉しそうにしていました。私の中には「わかるわかる・・・その気持ち・・・一緒一緒・・・」という気持ちがぱ〜っと広がりを見せたのです。誰だってそんな気持ちになっていることってあるんだな、やっぱり。ひょっとしてこの歳になると、みんなある程度回顧的になってしんみりしちゃうんだな?と思ったりしました。特に音楽は「歌は世につれ、世はうたにつれ・・・」だったりしますから・・・。その彼、そのあと「実はそのすぐ後に、○○○・・・も来るんやてぇ・・・」と言っておりました。それを聞いた私は、無責任にも「そりゃ両方いかなぁ・・・・」と言うと・・・彼は現実的な顔に戻り「1回¥9.000やて・・・」おっとそれはすげぇなぁ・・・・と会話はそれで止まってしまいました。外タレは今も昔も高いのです・・・。この年代のお父さんは、本当お金が要るのです・・・。子供たちの声で・・・「今度○○にお金が要る〜」と聞こえてくるのです。頑張れお父さん!



法事(5/17)

 昨日は、昨年亡くなった祖母の一周忌でした。あれから約1年・・・やっぱり時の経つのはあっという間なんだなぁ・・・と思います。故人を偲んで、そして時の経過とともに忘れていくんでしょうね・・・。人は大方の人はそうです。歴史上に名を残す人は、それなりに人の記憶となって語り継がれていくのでしょうが、いっかいの1人の人間は、普通何年も名を残す事はないでしょうね。 祖母は98まで行きましたが、故人となって何回忌の法要を営む事ができるでしょう・・・。若くしてなくなった祖父は、数年前に50回忌をやったほどです。残念ですが祖母の50回忌はまずないでしょうね。私自身が、あと50年ほど生きていることが、まず無いでしょうし、私の子供にはその責務があるかと言えば・・・それもどうなんだろう?と思えます。

 ただ、100年近く生きた祖母の人生で、この世に残した大勢の親族と、教えてくれたたくさんの事が、私たちの記憶となって残っていきます。私の子供にも多大な影響を与えたと思います。年老いた人間の姿・・・。介護を必要とする老いた姿。赤ん坊の時に親の手を借りて、大人になって自分の子供の世話をし、老いて子供たちの世話になる・・・。まさにそんな人として当たり前の人生を見せてくれた祖母でした。老いとはどうなることか・・・、まさに私たちの良き手本でした。そう言った意味ではいろいろありましたが、本当に幸せな祖母だったとも言えるのでしょうね。ちゃんと見てくれる家族がいて人生をまっとうした訳ですから・・・。一年前もやっぱりそう思いましたが、人は決して1人では生きていけません。できるならやっぱり家族は多いほうがいいと思います。


指導者(5/10)

 一昨日、昨日と子どものバスケットボールのこの地区の大会がありました。残念ながら男子は初日に、女子は3位という結果でしたが、県大会には進めませんでした。子ども達は良くやったと思います。そしてここまで指導してくださっている指導者の方々にも、賛辞と感謝を申し上げます。

 その中でも特に情熱的に子ども達を指導してくださる方がいます。「強くしたい!」という気持ちは、チームの規律を作る・・・、と言う事から着手されたようです。その面持ちからは想像できないような情熱を持っている姿が見ていて感じられました。技術的なことは他の者に任せて、この方の指導は精神的なこと・・・。礼儀、迅速な行動、他のものを思う気持ち、そしてこれらは、子ども達の中で話し合われて築かれて来た事・・・。

 そして練習のたびこれは積み重なれて来ました。子ども達もドンドン成長していきます。経験して過ごす時間の大切さ。子ども達はまだ気づいてはいないでしょうが、それらが自分達の自信になっているはずです。また、大人になる上で今の子ども達になかなか教えてやる事が出来ないことではないかと思います。いい時間を過ごしている子ども達です。 

 この地区No,1のチームに善戦空しく破れたあと、聞けばこの方は涙を見せたそうです。前回の市大会の優勝では歓喜の涙、そして今回の涙・・・。それを見た子ども達は、更に何を感じたのでしょうか・・・。 


継続は力なり(4/26)

 昨日、娘が通う中学校のバスケット部の美濃加茂春季大会がありました。昨年彼女達の先輩にあたる子ども達と、試合をした事がありました。実力の有る無しという話ではなく、一番感じた事は、チームとして規律がとれているか・・・?ということでした。強いチームに規律のとれていないチームはない・・・。昨年から担当になられた先生は一番この辺を気にしていられるように見受けられました。ですから日頃の挨拶から機敏な動作まで事細かに、それは生徒の意識によって作られるという理想的な形でできるように指導し、一年後見事にそれはなされていました。

 当然、試合中でもその動きは、見ていて気持ちの良いくらい声も大きくよく動き、それらは上級生が必ず先導し下級生は絶えずその行動を見て覚えていく・・・。やらされているのではなく、自分達で築いた規律です。立派だと思いました。練習で培った実力もドンドン上がっていったのは言うまでもありません。半年前新人戦で見た彼女達とは違った感じを受けました。結果は優勝でした。前回はなんとか2位を勝ち取ったのですが、そのときに強くなる予感があったチームでした。成長の証です。他のチームはこの変貌に驚いたのではないでしょうか・・・。

 更に昨日の結果を自信にして、5月の地区大会で実力を発揮して欲しいと思います。一生懸命な姿は見ている者の心を強く打ちます。子ども達の姿に感涙を覚えました。毎日の努力は必ず力となって実を結ぶんだなと実証された経験になったと思います。ここまで頑張ってきた子ども達と、一生懸命指導してくださった先生たちと2人のコーチに感謝と敬意を申し上げます。本当に感動しました。

珍獣(4/18)
 
 私がよく行くお客様に東白川村という所があります。この村には、古くから「槌の子」という蛇なのか?トカゲなのか?その正体がわからない生き物が居ると言うお話のある場所です。目撃談は結構あって、最近はあまり聞かなくなってしまったしまった目撃談なんですが、おもしろい話です。東白川村のhpにもこんなコーナーがありますので見てください。

 その筋の研究家の手嶋重信と言う方によりますと、「槌の子」は河童とか天狗といった架空の生物ではなく、日本古来のちゃんとした生物である!と言って見えます。ただ珍しい・・・ということなのだそうです。この方も3度ほど目撃されたそうで、この東白川村に居る槌の子は、種の存続の重要な環境もちゃんとしていて、子どもの槌の子もいるという全国でも貴重な場所と言う事です。目撃場所はここ・・・。

 毎年5月3日には「槌の子捜索」というようなイベントが行われています。行った事はないのですが、始まった頃は新聞にも載ったりして、結構やる気!を見たのですが、そうそう見つかるはずもなく、たまに見てもまむしだったりして・・・、最近では山菜採りに興じているイベントになってしまっているようです。それはそれで良いんじゃないかな?と思いますが。

 私はここへむかう途中に狸を今まで記憶にあるだけで4回見ました。サルを引きそうになったこともあります。もっとビックリした事は、カモシカが2匹目の前に現れたことです。お客さんに聞きますと、キツネやら猪も居るそうです。猪が目の前を走って行くのを、うちの専務が昔、車で追っかけた事があるそうです。追っかけられたのではなく追っかけたという所がまたすごい話だと思いました・・・。なんでもつかまえて売ると良いお金になるのだとか・・・。いつか槌の子を見かけることがあるかもしれない・・・そんな期待があります・・・。ワクワク・・・。
R41にある動物警戒標識・・・サル版
 そうそう、この槌の子・・・、生け捕りにすると100万円・・・+αのお金がもらえるそうです。死体でも50万+α。写真でも20万+α。このαというのは始まった年が平成元年で毎年1万円加算されるというシステムです。もし見つかったらどんな扱いを受けるのでしょう?この村は騒然とするのでしょうねぇ・・・。そっとしといてあげた方がいいのかもしれないなぁ・・・と変に偽善者ぶってみたりして・・・。でも見つかったら見てみたいし、実際目撃される場所にも行ってきたわけだし、興味津々なのです。東白川のhpにある槌の子のアニメがあまりにも愛嬌があるので使用させてもらいました・・・。まずかったら教えて下さい。削除しますので・・・。でも夢があって良いですよね・・・。見つかって欲しいような欲しくないような・・・。第三者的には忘れた頃の楽しみとして覚えていようかな?といったことでしょうか・・・。 

町内の人たち(4/12)
 

 前回も書きましたお祭りで、子どもとおみこしを引きました。この役は中学校2年生までの子を持つ親が、育成会を組織し、このように段取りをしていくわけですが、2家族が毎年担当になります。今年は私たちとAさんご夫婦と一緒でした。同じ町内会といってもあまり普段お話をする事がなく、お互いが気を使って事が進んで行きました。

 でも、共通の目的、緊張感を共有する事で、信頼が生まれとっても上手く役目を遂行できたと思います。Aさんのお人柄にも触れることが出来、とても優しい方たちです。話をしていても心和む時間です。それから、みこしは2日間行われるもので、たくさんの子ども達と一緒に過ごした時間は、なかなかいいものでした。屈託のない純粋な眼差しで話し掛けてくれます。そんな目で観られるとこちらはドキドキしちゃう・・・。心が洗われる・・・そんな瞬間です。

 そして、子どもと一緒に参加してくれたそれぞれの親のみなさん。この人たちは何の事はない、私たちが子供の頃一緒に遊んだ間柄なのです。それがこうして親となって集まっています。私たちの住んでいるこの町内は結構みんなが協力的なのです。いろいろあっても近所が助け合ってできる・・・かといって干渉しない・・・ちょうどいい感じでいいのです。

 今回Aさんご夫婦とお近づきになれたことが、私としてはとっても良かったなぁ・・・と感じる事でした。今後も宜しくお願い致します。

子どもみこし(4/4)


 来週の日曜日は、この地区の春祭りがあります。今年は次女の関係もあって、子ども会の育成会の役をする事になりました。実はこれで2回目なのです。5年程前にも務めたことがあります。今日はその1週間前ということで、子どもみこしを飾り付ける作業があります。先日長年使っていたリヤカーのタイヤを換えて土台はOKです。昨日前年度の役の方から上に乗るキャラクターの人形を頂いてきました。昼から町内の子ども達がやってきてわいわい飾り付けをする事になります。我が家の次女は頑張ってやるのでしょうか?お祭りがある古井神社の参道はとても綺麗な桜並木です。桜が今日の雨でかなり散ってしまいそうです。もう少し桜が咲いていてくれれば、それは綺麗なお祭り風景になるのですが・・・。ちょっと無理かな・・・。この時期に配達で白川方面に出かけると、途中R41沿いに見える山々にはここそこに桜の木を見ることが出来ます。それは綺麗です。あんなところにも桜があるんだなぁ・・・と感じます。結構いろんな所にあって、日本には本当に桜が多いんだなぁ・・・とまたまた感じます。良いものです。

 最近長男が配達について来てくれます。お客さんのお店に行くと、車を降りて降ろすタイヤを慣れない手つきで運んでくれます。仕事を手伝ってくれる姿を見て、親としてこんなに嬉しいものなのかと感慨にふけります。親としてまた1つ喜びをもらいました。道中が長いものですから、退屈しのぎにMDなんかを聴きながら大人しく座っていますが、時々「寝るで・・・」と眠る事もしばしば・・・。そういえばまだ小さかった頃は、よく配達に連れて行きましたが、車に乗ってものの10分もすると熟睡しておりました。あれからどれだけ時間がたったのでしょう?ついこの間のような気がしてしまうのは私だけではないでしょうね・・・。それが証拠に、いろいろ話していると、ついまだ幼い子どもに物を言うように、事細かに説明しながら話してしまうときがあります。すると長男は「もう分かるて・・・高校生なんやで・・・」と・・・。ごもっとも・・・です。そうです、もう高校2年生になりました。

 5人で話をしている時、ちゃんとした大人の会話に時々感心させられる時がありますが、私と家内は「小さかった頃こんな事言った・・・、こんな話し方やった・・・」とか思い出し、「あのころあんなに可愛かった子ども等は、どこに行ってしまったんやろう?」なんて言ってみる時があります。すると3人が口をそろえて、「ここにおるて・・・」。そのたび、私と家内は遠い眼をするのです・・・。

春の香り(3/28)

 春を感じさせるものとして一番強烈に感じるのは、我が家の階下に咲く沈丁花の花の香りです。秋の金木犀とはまた違った強烈な香りがします。風に乗って香ってくる程度が一番よかったりする香りです。近づいてじかに鼻を着けてはいけません。強烈過ぎて「まいった、こりゃ・・・」になってしまいます。でも子供の頃から、道を歩いているとどこからともなくこの香りが漂ってくると、春を覚えて心なんとなく軽くなったものでした。

 1年で一番過ごしやすい時期が春、そんな時期にはもう少し待たなくてはいけないのかもしれませんが、いい季節になりました。昨年亡くなった祖母が「ええあんばいになった・・・」と喜んでいた顔を思い出します。その祖母も亡くなって 10ヶ月がたちました。早いものです。昨年の今頃は季節を感じる暇もなく頑張っていました。大好きだった春に祖母は亡くなりました。祖母はいつも家に居る存在でした。ずっと一緒に過ごして来ましたから当たり前の存在だったのです。晩年は入退院を繰返していましたから、家に居なかったことも多かったものですから今でもどこかに入院していて、家に居ないだけのようなそんな錯覚を覚えます。

 時々会いたいなぁ・・・と思うことがあります。でも会えません。死んでしまうと言う事は居なくなってしまう事。残された家族は居なくなってその人の存在を感じるんですね。人はこの世に産まれて一生懸命生きてそして死んでゆく。誰もがみんなそうです。例外はありません。そうやって時代は変わって行くのですね。祖母の一番好きだった春、今年も花がいっぱい咲きます。

味処しゅんよりその2(3/21)

 当店の事務所の南、お客様休憩室のとなり、ちょっとした庭があります。ここには池や木、草、花、石などがあってここに冬から春先にかけて、パンやご飯を「ほどこしの心」と言った感じで石の上に置きます。これが野鳥の食堂として賑わうようになって、名を「味処しゅん」と呼ぶようになりました。

 家や店が一掃されて新しくなったのですが、この庭だけが昔の姿で残されました。ある方が「ここには水神さまが宿っています」と言われて私の母が「壊してはいけない」と強く反対したのです。誰もはなからここをつぶすつもりもなく、むしろお客様の憩いの場所として残そうと考えていましたから、この「味処しゅん」は残ったのです。

 でも不思議な事に、この場所には生命の気といいますか、自然が息づくなんとも言えぬ不思議な物を感じます。無機質な店舗にあってここだけが生き物の溜まり場みたくなっているからかもしれません。季節ごとに花が咲き、その種子が残り、また生きていく・・・。鳥がやってきて木の実を食べ、池の魚達が卵を産み稚魚となって生きている。朝顔の種も3年を終えて茶筒一杯ほどになってこの春は、お客様に配布しようかと考えています。3年前は10粒ほどの種でした。

 池は40年くらいここにあって、水は絶えず地下水が注ぎ込まれ、しらはえ、うぐいなどもも生息しています。以前は鮎も居たほどです。厄介なのはまっかちんがいまだに居る事。これは駆除できません。鯉も木曽川で釣ってきた鯉をはじめ、鮒や金魚が泳いでいます。鯉の稚魚も1年目8匹、2年目30匹と兄弟が泳いでいます。金魚に至っては店の水槽で、60匹ほどが元気に育っています。

 生き物を飼うと言う事は、心和んでとてもステキに思えます。以前はそんなことちっとも感じませんでしたが・・・。癒しの効果ですね。4月になったらまたプランターに土を入れて、朝顔の種をまきます。また鮮やかな花を期待します。季節はあっという間に春になりました。

あと3年!?(3/14)

 ミニバンブームがやってきてもう10年くらいたちますね。たぶんに漏れず我が家にもラルゴというワゴン車があります。この手の車は3台目なのですが、今乗っているラルゴはもう10年くらいになります。当時8人家族、子どももまだ小さく移動するのにとっても便利がいいのです。めったにないのですが、家族でどこかへ出かけるとき、子どもがまだ小さいと結構荷物が増えます。その荷物も個々が持てばそれほど移動する時に手間はかからないのですが、親が持ち歩くとなるとそれは大変です。

 そんな時はヤッパリ車・・・、それもワゴン車は快適です。遠距離なんかには、その恩恵をもろに感じます。我が家は子ども3人いますので母親が後部にまわり3人を面倒見なくてはなりませんが、寝てしまっても良いように毛布の類を持ってきます。シートも場合によってはフラットにしてごろ寝です。そんな状態で走行してはいけないそうですが、やっていました。気ずくと起きているのは運転している私だけってこともしょっちゅうでした。もちろん荷物も必要なものだけ小分けにして車から降りる時に持っていけばOKです。

 そんな便利だったラルゴももう10年ほどいます。走行キロは55.000kmほどですが、いろいろな所へ連れて行ってくれました。東京、大阪、伊豆半島、能登半島、丹後半島、紀伊半島、信州、様々な場所へ僕等を運んでくれています。今では、助手席に長男、セカンドシートに家内と次女、後部座席に長女・・・、と指定席になっています。それもごくたまに・・・。最近はなかなか5人がそろって出かけることもなくなってきました。それぞれが予定があって休みが合致することもまれです。

 たまに合致しても長男は一緒に来たがらなくなりました。それは仕方ない事ですが、親としてはちょっと寂しいことでそのたびに説得なんかしたりして、刹那的に抵抗なんか試みたりしています。そんな長男もあと3年もすれば免許をとっていることでしょう・・・。すれば尚更このワゴン車ラルゴで出かけることもなくなります。考えてみれば現実的に我が子が車に乗るようになる。車を持つことになるのでしょう・・・。はっと気づかされることです。子どもの成長は親の考えもくつがえすというと大げさですが、「あぁそうなんだ・・・。」と思うことの連続です。何に乗るにしてもその代償としてこのラルゴが消えていくわけです。一時は「エルグランドが欲しいなぁ・・・」なんて思っていた私ですが、もうワゴン車は我が家にどれだけも必要としないカテゴリーの車になってきたようです。あと3年ラルゴは私たちをどこかへ運んでくれることになりました。

さくら&・・・(3/8)

 さくらがやって来て8ヶ月経ちました。野良犬!?をやっていた頃に比べて若干ふっくらとしてカンロクが着いてきました。さくらはそのせいでなかなかしっぽを振ることがありません。どこか人を警戒しています。野良の時によっぽどひどい思いをしたのかもしれません。もしくはどこかで飼われていたときにそんな思いをしたのかもしれません。頭をなでようとすると、首をすくめて眼をつむります。叩かれたことがあるんでしょうね。しっぽもキュッと下に下げてしまいます。なかなか心を許してはくれません。

 毎日の世話は父の役目になりました。餌をやって散歩です。先日死んだクマの日課がそのままさくらへと移行したわけです。いつもボーっとしているさくらです。獣医さんのお話ですと、「10歳はとってるよね・・・。」とのこと。結構おばあちゃんなのです。寒い冬の間は店の中に居ます。そう・・・まだ居ます。いすの上にタオルを敷いて寝ています。野良だった割には、大胆に爆睡しているときがあります。

 さくらが、しっぽを振って喜ぶときが二つあります。そのひとつが先にも書いた、親父に餌をもらって散歩の時です。「きゃわんきゃわん」と鳴いて嬉しそう!?というよりちょっと狂乱している感じ・・・です。しっぽがガーッと動きます。もうひとつはめったに無いのですが、次女がかまう時です。次女を慕っているわけではなさそうなんですが、なにかさくらは次女に期待を抱いているようです。遊んでもらえる・・・と思っている感じです。私にはそんなそぶりをしてくれたことはありません。寂しい限りです・・・。

 さくらは他の犬を見るとよく吠える典型的な臆病犬です・・・。私の店の横には、木曽川の堤防に通ずる道があって、さくらがいる所から散歩に通って行く犬がよく見えます。するとさくらは気が狂ったかのように「ぎゃわんぎゃわん〜」と鳴きますです。初め聞いた時は「どうした!さくら?」とみんなが思ったほどです。普段は本当に大人しいさくらなのに・・・。

 そんなさくらだったのですが、昨日の日曜・・・次女の友達が犬を連れて遊びに来ました。その犬もミックスで大きさもほぼ同じ。明らかに洋犬の血が入っている犬です。さくらはいつものように狂ったように吠えておりましたが、一緒に散歩に出かけてから、吠える事も無くなって、二匹が大人しく寄り添うようになっていてビックリデス・・・。仲良くなっているわけではないのですが、あまり意識しなくなっています。不思議でした。何があったのでしょう?犬の中にお互いを認め合う何かがあるんでしょうね。どちらが強いとか・・・。よくわかりません・・・。

 犬社会にも本能で築きあげられている関係があるんでしょうね。きっと次女の友達は、次回もその犬を連れて遊びに来てくれるでしょう・・・。そのときさくらはどんな反応をするか楽しみにしている私です。ささいなことに疑問を感じて思わずダラダラと記してしまいました・・・。今年は花粉が少なくてラッキー!なんですが、風邪をひいてちょっとマイッテイル私なのです。
さくら(左)&お友達?

その後の具合(2/29)

 日付を確認すれば今日は29日。閏年ですね。4年に一回のことです。まぁ今回はそんな話ではなくて、四十肩はどうなった?というお話です。左肩がおかしくなったのは一昨年の9月頃・・・。違和感を覚え、整体ヘ行って治療を受けました。そこでは「四十肩」という診断はありませんでした。疲れから来るもの・・・ということでした。

 しかし、10月になって痛みが伴い、症状は悪くなる一方です。そして11月。この年は例年より早く冬の到来が訪れ、タイヤ業界にはありがたい事となりました。しかし、私の左肩には力を入れるたびに激痛が走る日々でした。そして12月・・・、同じ症状が続きます。

 年が明けて、やっと病院へ・・・。整形外科での診断は「典型的な四十肩」。それも症状から完治するのに2年!というお話です。ガチガチに固まってしまった左肩。腕が肩より上には上がりません。後ろにも回せません。病んで痛くて夜中に目が覚める事もしょっちゅうでした。

 そして春、なんとなく右肩にも異変が・・・。「やばいかな?」と思い左の治療のたびに右も診てもらう事に・・・。「血行を良くしましょう」と言う事で体操やらマッサージ等を受けていました。しかし6、7,8月には左に起こった激痛と同じ事が・・・。「あ〜ぁ・・・」というあきらめにも近い気持ちになりました。そして右は肘にも痛みがありました。

 でも9月になると右肩は動かなくなってしまいましたが、なんと左が知らないうちにゆっくりではありますが、上がるようになっていました。これは朗報です。今では、左はわずかな痛みを伴いますが、不自由はありません。ただ動かすたびに「ゴリゴリ」とした音がします。硬いままで、まだほぐれていないかのような感じです。左は1年半、右は9ヶ月。お灸をして温感湿布をして暖めることを心がけています。もう少しのがまん!そう言って励ましている自分です。

2日連続の名古屋(2/23)

 一昨日と昨日の2日連続で名古屋へ行きました。前日は昼からのもので、約2週間ぶりのお休みです。あるコンサートに行ってきました。コンサートに行くといえばチューリップ!と言いたい所ですが、チューリップは今年はやっていません。次回もきっとあるだろう・・・、と期待はしていますが,今のところはないようです。長女の希望で行ってみようというコンサートでした。

 ちょっと恥ずかしくて誰の?と書けないのでごめんなさい。でもおもしろかったですよ。私たちの年代でも(私だけかもしれませんが・・・)、結構受け入れやすいものでした。長女は初めてコンサートを観ました。まわりのノリに面食らっているようです。私にはシラ〜ッと観ているように感じましたが、途中「Tシャツが欲しい・・・」と言い出し、途中で私が抜け出し売店へ・・・。外には当然誰もいません・・・。売り子の女性が数名ホッと一息ついて座っている所へ歩み寄って、「Tシャツ下さい・・・」。すると売り子の女性達、私を見て???という表情・・・。きっと「何でこの時間に買い来るの?」と「何!このおやじ?」といったところでしょうか!?こちらは誰もいないことにホッとして買っているのに・・・。「早く売ってくれ!」です。

 約2時間半ほどで終了・・・。長女に感想を聞こうと思った矢先に「あ〜すごかった。〇〇〇が好きになった!」と興奮気味に話すのです。「誰々が特に良い・・・」と嬉しそうにです。正直、つまらなさそうに観ている感じがしていたので、今回限りのコンサートだな?と思っていたのですが、どうやら「はまった!」ようです。彼女にはとっても大きな衝撃ですごい体験になったようです。まぁこのくらいの年頃なら誰でもやってくることでしょうし、私としても理解できるよい事だと思います。

 それから2日経ちましたが、娘の頭の中に余韻が残っているようで、クラスメイトにも内緒にしていたようですが、今日からの3日間、彼女はスキー研修に出かけて行きました。きっとその間に喋ってしまうでしょう・・・。観た!という自慢話ではなくて、感激して嬉しかった思いを誰かに伝えたくて仕方ないからでしょうね。そんな思いがたくさん経験できたらいいじゃないですか。彼女は帰りの電車の中でもず〜っとぐるぐる余韻でいっぱいになっていた事でしょう。親として見せてやってよかったよかった・・・。

 くたびれて帰ったのですが、実はまたあくる日も名古屋へ行かなければなりません。こんどは仕事です。ダンロップの感謝式です。ここへは母と出席です。家内が行けなくなって急遽代理で母となりました。懇親会では乾杯の音頭をとるお役目をおおせつかっておりまして、それらを無事!?終えて、娘と昨日も歩いた名古屋地下街で買い物をし、名鉄に乗って岐阜へ・・・。母は岐阜に来たかったようです。何年振りかの岐阜だと申しておりました。そうです、考えてみれば昨年亡くなった祖母の面倒やら犬の世話で家を空けることの無かったここ数年です。母はこうやって出かけることがしてみたかったようです。岐阜に何の目的があったわけではないのですが、久しぶりに来てみたかっただけだそうです。母とテクテク岐阜の街を歩き、先ほど名古屋で食事をしたばかりなのに、食べたいと言っていた寿司屋に寄り、3時半くらいの高山線で帰って来ました。

 さすがに2日連続の都会めぐりは、私の眼を疲れさせるには十分で、疲れちゃってる感じです。目が回る目が回る・・・。シバシバします。こんな時は目薬ですね。


ど〜よ?(2/16)

 先日のバレンタインが、とってもせわしい日になったことをお話したいと思います。我が家の女性陣、家内からはいつものように既製品にてお気持ちを頂きましたが、長女、次女はそりゃぁもう・・・手作りでした・・・。まず長女、11日の日だったかになにやらお勝手でこねておりました。それはチョコレートではなく、粉物です。飯台いっぱいになにやら広げて、せっせとやっておりました。

 時折、店におりますと、内線で家内を呼んできます。「スイッチを入れたらああしてこうして・・・」どうやらオーブンの使用方法のようです。なんだかんだと2時間くらいしたでしょうか?お勝手にはみごとな狐色したおいしそうなクッキーがたくさんあります。正直びっくりしました・・・。長女がもうこんなことくらいできるようになっていてもちっとも不思議ではない歳頃なんだと・・・思い知らされました。少し食べさせてくれましたが味もいけます。感心してしまいました・・・。なんでも小分けにして女の子たちで配りやっこするそうです・・・。「な〜んだ・・・」と妙に不思議な気持ち・・・。そして14日、私も小袋に入ったクッキーをいただきました・・・。

 そして昨日、バレンタインに遅れること一日・・・、次女が何やら学校の同級生数人とやっておりました。彼女はチーズケーキです。わいわい言いながら一週間くらい前にPCでレシピをプリントアウトしておりました。私は半信半疑で見ておりましたが、夕飯も終わり、部屋でくつろいでいる所へ、小皿にちょこんとのったチーズケーキが・・・。3口ほどで完食してしまうほどの大きさでしたが、味はと言うと見事にチーズケーキしていました。「ど〜よ?」これまたビックリです。ちゃんと作れるんだと感心して「おいしい、おいしい・・・」と褒めちぎっておりました。たいしたもんです。

 最近は様々な情報がインターネットで手軽に手に入れることが出来、それをいとも簡単にやってしまう子ども達。その理解力と言うか、応用力とでもいいましょうか・・・、気後れする事も鳴なく、活用できる新世代の人間なんだと我が子ながら・・・、いえ、我が子だから余計に衝撃を受けちゃったりした今回のバレンタインでした。家内曰く・・・「大変やねぇ〜お返しが・・・!」・・・ニタリと笑う娘達です。