*****ひろのうたびとのしおり・・・其の四*****

レンタカーに乗って(8/23)

 19日〜22日までの4日間、家族で北海道へ行って来ました。友人T君がやっている旅行会社みのかもツーリストを利用し、彼に何から何まで予定を組んでもらって、スケジュールに沿ってレンタカーで女満別から小樽・札幌・千歳へと移動する旅です。T君ありがとうね。

 朝、7時頃家を出ました。するとホテルで泳ぐ予定なのに、次女が水着を早速忘れ、引き返し散々私に怒られておりました。なんとか8時ちょい過ぎに空港に到着、家族と荷物を降ろした私は、予約しておいた駐車場(安藤駐車場・・・歩いて5分くらい)に車を預け、飛行場ロビーの中へ。搭乗手続きを済ませて荷物を預け、時間が少々あったので見送りデッキで離着陸を眺めていました。飛び立つ飛行機は9時25分発です。

 そうこうしているうちに時間となり、私たちは手荷物チェックと身体チェックを受けました。すると・・・まず長男がベルトのバックルが金属製でちょっと大きかったのでしょうか?「ビ〜」とひかかりました。実は前日長男に「このベルト大丈夫かなぁ?」と聞かれていたんです。「ほんなもん大丈夫やわ・・・」と啖呵きっておったもんですから、長男ににらまれてしまいました。ごめんよ、お兄ちゃん。更に長女の荷物も「ビ〜」・・・です。「????」と思っていると刃渡り4cm以上の刃物持っていますか?とたずねられ、「えっ?」と思っていると、勉強道具の中になんとはさみがしっかり入っておりまして、しっかり別に預けさせられ、はさみは到着後、別の場所で受け取るはめになりました。でも帰りの飛行機ではそんなチェックに引っかかることは無かったんですけど・・・?どうなの?ねぇ・・・。ちなみに往路はA飛行機、復路は鶴が丸してるマークだったJ飛行機です。

 11時ちょっとすぎに女満別に到着、荷物を受け取って早速レンタカーの受け付けをし、車のあるところまでバスに揺られ5分、営業所にて説明を受け、予定していた青いホンダモビリオをレンタルしました。ナビの説明もそこそこに(全然聞かなかったけど・・・)車に乗り込み5人は網走へ・・・途中昼食を取り(ここへ行く途中に早速見たい!と思っていた北きつねに遭遇!大騒ぎの車中!!!当たり前のように目の前に現れるんだ!とこれからの旅の幸運を期待しました)、長男お待ちかねのカニ料理です。時期ははずっておりましたのでどうかな?と思いましたが、毛がにをいただき結構美味かったです。

 その後、網走監獄の博物館?を見学。当時の厳しい様子を垣間見てきました。悪い事はやっちゃぁいかんと思いました。次に海沿いに東へ走り、海沿いにある原生花園を見学、海と反対側にはひろ〜い牧場を見ながらず〜っと続く道を走りました。80キロは当たり前!?のスピードです。気持ちよかったぁ・・・。本当はやっちゃぁいかんのですが・・・。そして知床半島へ・・・オシンコシンの滝を観て、知床5湖を訪れ(ここへ行く途中に鹿がいっぱいいました)、ウトロ港に戻り最初の夜は知床第一ホテルに泊まりました。知床5湖からの帰り、オホーツクに沈む夕日があまりにも綺麗で、思わず車を停め、20分くらい見惚れていました。本当に綺麗で、実際に海になじみの無い私たちにとってこの情景は、感動を与えてくれるのですね。良い物観ましたぁ・・・。天気の良さと、旅の安全と楽しい旅になる事を祈念して見つめておりました。子ども達もだまって見ておりました。

 ホテルに着いて残念ながらプールに入る時間が上手く取れませんでした。7時半に食事をして食べ終えたら早速温泉です。思ったより大きな浴場にびっくり、北海道は場所があるからホテルもでかいし、風呂もでかいんだと思うことにしました。子ども達はゲームコーナーで遊んでいたようでしたが、私は部屋へ戻り肩に湿布を貼ってから思わず転寝をしてしまいました。疲れていたんですねぇ・・・やっぱり。この日は約130キロの走行距離でした。

 明けて20日二日目。8時の知床観光船に乗り、知床半島1時間半遊覧です。するとたくさんのカモメが船の周りを飛び交っているのです。最初は何かな?と思ったのですが、すぐピンっときて、早速売店でかっぱえびせんを2袋買いました。出航したら案の定、かっぱえびせんを与えている人たちが他にもいました。私たちも与えているとみんながやりだしました。カモメはクルリクルリと円を描くように何羽もとびまわり「カァ〜カァ〜」と騒がしい状況となり、船内の案内なんか誰も聞かず、人間と鳥とのささやかなコミュニケーションがあったわけです。でも・・・私と家内は指を噛まれましたが・・・。痛かったです・・・。

 その後、知床峠を越えて、羅臼を経由して野付半島のトドワラと言う土産売り場兼食堂で昼食。ここで隣席した山口からきた学生ライダーと会話をしました。8日に出発し舞鶴から船で2泊してず〜っと北海道を走っているということです。実にうらやましい話でした。良い青年でしたよ。元来た道を戻り、北西へ、開陽台という展望できる場所へ行きました。330度地平線が開け、実に爽快な気分に浸りました。ちょっと風が吹き涼しい場所です。冬はとっても厳しい場所なんだそうです。周りに生えている唐松は、みんな開拓時代に防風林と木材産業で富めることを期待して先人達が植樹したのだそうです。実際は線路の枕木に使われて、その需要も順調に伸びていたそうですが、昨今は、輸入材にとって代わられ、厳しいようです。

 次に訪れたのは、霧で有名な摩周湖・・・思わず「霧に〜♪抱かれてぇ〜♪・・・・摩周湖の夜〜♪」」口ずさんでしまいました。入り込む川も出る川も無いのに、年中水面の高さを変えず、高い透明度を保ったままの不思議な湖だそうです。長い間世界一の透明度と謳われていたのですが、その座も2番目になってしまったのだそうです。ちょっと残念といいますか、自然が汚されているんだという危機感をいだきました。時間が無くその透明度をこの目で見ることはできませんでした。ここを後にする時、霧がさ〜っと現れ幻想的な気分に浸ることができました。硫黄山ではお決まりのゆで卵を食べ、屈斜路湖を美幌峠から眺め、クッシー騒ぎで有名になった場所で記念撮影。長男がクッシー見たさに「ずっとここに居たい」と言っておりました。そしてこの日は阿寒湖のほとりにあるホテル阿寒悠久の里「鶴雅」で泊まりました。ここもでっかいホテルです。おまけに温泉が実に豪華!時間制で男女の入れ替えがあり、両方を楽しむ事ができました。地下と8階にそれぞれ大浴場はあります。地下は、隠れ湯と称した洞窟仕立てだったり、ヒノキで作られた湯船あり、全体に和風の作りでこれまた浴場がでかい!!長男とはしゃぎながら入りました。次に夜10時半から翌朝10時までが8階の大浴場が男湯となります。早速10時半を待って長男と出かけました。作りは洋風で白石作りで2面がガラスばりで阿寒湖が展望できます。いろんな湯船を楽しんでいると更に上へ通ずる階段が・・・。登ってみると(しかし途中で吹きすさむ風にとても寒くて耐えられず一度温めなおして、再び・・・)、展望露天風呂があります。夜でわからなかったのですが、翌朝外から見えたのですが、やはり2面がガラスで覆われた湯船で、そこから眼下に広がる阿寒湖が見えるという湯船だったのです。ただ夜のときは、寒い中で星空を見上げながら浸かっておりました。気持ちは最高〜です。あとで分かった事でしたが、鉄腕ダッシュの企画で、この露天展望風呂が出ていました。山口達也が北海道の露天風呂を一日でどれだけ回れるか?という企画です。もっとちゃんと観ておけばよかったなぁ・・・。

 3日目、この阿寒湖を遊覧します。7時半出航・・・とあったものですから早起きして乗り場へ・・・、しかし7時半はモーターボートの出航の時間であり、我々が乗るとされる遊覧船は8時半の出航だったのです。もっとも7時半にこの乗り場へは行けず、結果的には遅れることはなく乗ることができました・・・。しかし、予定は7時半で組んであります。ここで1時間の遅れが生じました。更にこの遊覧船は、1時間数分の遊覧時間ということもあり、予定表のモーターボートは30数分の予定で組んであるものですから、さらに30分の遅れ、合計1時間半の遅れができてしまいました。まぁいいかぁ・・・。のんびり行こう!!

 しかし、この後丹頂鶴の里を見学、釧路湿原の展望に至る頃にはどんどん時間がくって慌てる事のなってゆくのです。釧路湿原はあいにく曇っていて展望できず、さっと帯広方面へ車を走らせたのですが・・・道をまちがえ更に深みにはまっていくのです。はっはっはぁ〜・・・。おかげで富良野を越えて美瑛に入った頃には夕日状態・・・。壮大な景色も半減し、パッチワークの丘とかケンとメリーの木などをなんとか眺め、あわてて富良野へ引き返し、富良野のベルヒルズというペンション風のホテルに泊まりました。この日は結局1.2日目とは裏腹にあまりさえない日となりました。最終日に期待しよう!!ここの風呂は普通の浴場でした。窓から眺めた景色は富良野の町が一望でき夜景が綺麗でした・・・。

 最終日、8時に出発。一路滝川I.Cへ・・・。道中後ろからくる白いヴィッツがやけに気になり、闘争心がめらめらと・・・。抜かれてなるものかと、恥ずかしながら大人気ない走りを一人やっておりました。もちろんぶっちぎってやりましたぁ〜・・・。道央自動車道に乗り札幌・小樽へ・・・、小樽に着いたのは10時頃、12時には寿司通りですでに予約してある店に入ります。昼食後、札幌観光の予定でした。しかし、小樽は4度目になるのでちょっと余裕をかましていたのですが、肝心の駐車場がありません。見つけるまで30分〜40分うろうろ・・・。結局偶然見つけたPの文字・・・あるタクシー会社がやっている駐車場に車を預けました。その間私はものすごくイライラしておりました・・・。その誘導してくれる親父の応対が至極横柄でした。いつもなら「なんだ?」と思うだけの私ですが、「なんやて〜?ここへ停めやぁええのか?はっきり言やぁ〜!!!」と強い口調で応対・・・。方言が入っておりましたので、今思えば通じたかどうか・・・?

 でもどうぞこうぞ停められたわけですから、しかも何分停めても¥500でしたから。あとからわかったのですが、他の見かけた駐車場は、15分¥100とか、20分¥100とかでしたから3時間以上いた私たちにはラッキーだったのですね。おっちゃんありがとうね。実はこの駐車場問題が気になり、札幌市内の観光はあまり気乗りがしません、家族に相談して急遽、ここ小樽で3時まで過ごすことに・・・。寿司を食べ、運河を観て、北一硝子へ寄り、長女は2回目と言う事もあってか余裕でお土産を買っておりました。長男と私はこういったものにはあまり関心が無いので、ぷらぷらと散歩です。更にここ小樽には4回目となる私ですが、オルゴール堂のはす向かいに、「銀の鐘」という喫茶コーナーのあるお店があります。ここへは3回目の来店。早速家族と一緒に入ったのですが、えらい混みよう・・・。ここはセルフになっておりますので、私と家内が家族の飲み物を考えて、たくさんの列の後ろに並びました。

 するとどうやら回りににいるたくさんの落ち着きの無い人たちは、日本人ではない様子。中国語のようです。台湾か香港か?のツアーの団体さんのようです。たかが数種類の飲み物を注文するのに、いちいちいったり来たり、「まだか?」と店員の動作に関心をもって見に来る人がいたり、新たに加わったとおぼしき人が、割って入ってきたり、べらべらとおしゃべりがとてもうるさく、見ていてモラルがない国民なのかなぁ?とあっけにとられて観察しておりました。家内も同様に感じ悪く見ていたようで、私に「この人たち何なの?」と話し掛けてきました。私もちょっと気にさわって来ていましたので、強烈な方言を早口で喋り、日本語がわかる人に聞かれても大丈夫なようにして、「おまはんら、ちゃんとならばんとあかんやねぇ〜か!!とろくさ〜ことやっとたらだちかんにぃ〜!!!ほかのもんは、おとなしい席にちゃんとすわっとれ!!!!!」と散々悪態をどぶついてやりました。それから数分後私たちの順番になり、お店のお姉さんに「大変ですねぇ、いつもこうなの?」と聞くと、「今は特別なんですぅ〜」とのこと。「僕等は日本人ですから」と言うと「はい、安心します」とやっぱり彼女も、この異国の方々の節操の無さにあきれていたようで、僕等の声がけにやっと笑顔を取り戻しておりました。

 ここを出て時計を見ると2時半くらい、予定は3時だったのですが、千歳空港で買い物を決め込んでいた私は、ここの時間は多くても大丈夫だと家族に言い、早々に小樽を後にしました。帰る途中小樽には「石原裕次郎記念館」があって、その前に裕次郎さんの愛艇の「コンテッサ・・・」とかいう船が置いてあって、3年前ここに長女と来た時、この前で写真を撮ったことを思い出しまして、急遽立ち寄り、同じ場所に長女を立たせ、同じポーズで一枚撮りました。そして一路札幌を通り越し、千歳へ・・・。

 1時間ほどで千歳に到着。この4日間頑張って走ってくれた青いモビリオに別れを告げて、レンタカー会社のバスに揺られて飛行場・・・。早速荷物をロッカーにしまい込み、搭乗手続きを家内がして、ちょっと早い夕食を食べ、私と長男と次女・・・家内と長女という2組に分かれて、広い飛行場の店内で買い物です。あれやこれやと見て歩き、次女は見事におじいちゃんおばあちゃんから貰ったお小遣いを、気持ちのいい買いっぷりで使っていきます。彼女はいつもこうやって買い物をしているようで、あれこれ悩まないタイプのようです。湯水のように使うとはまさにこういったシーンにピッタリです。あれこれ各々思い思いの物を手に入れて、集合の6時15分、荷物を預け、手荷物検査を受けて「帰りたくない〜」という気持ちを押さえて機内へ・・・。

 飛行機の中では疲れがどっと出て、私も家内もぐったり・・・特に家内は名古屋に着陸するまで眠っていて、おもしろかったのは、着陸時のドカン!という衝撃で目を覚ましたんですが、ビックリして飛び起きた!のです。思わず隣りにいた長男の膝を握り締め、「どうした?どうした?」と真っ青な顔でいました。私と長男は大笑い・・・。「着いたんやて・・・」と何度も言うのですが、家内にはすぐに理解できなかったようです。と、こんな感じで無事名古屋に着きまして、途中ファミレスに立ち寄り小腹のすいたのを満たして、無事22時頃我が家へ帰ってきました。

 今回は作文になってしまいましたが、自分達の思い出のためにダラダラと書きました。夢の北海道家族旅行・・・親として家族を思う気持ちの現れです。行ってよかったと思える旅行でした。仕事とはいえ世話をしてくれたT君、留守をしっかり守ってくれた職場のみんな、感謝します。本当にありがとうね。ああ楽しかったなぁ・・・。


さくら脱走・・・(8/18)


 今朝、先日家族の一員になったと思っている犬のさくらが、脱走しました。もともと迷い犬だったので綱を離せば、放浪してしまうことは予想していました。案の定、こちらの油断した隙に逃げて行きました。堤防を探しましたが・・・、見つかりません。近所を探しましたが・・・、見つかりません。

 戻ってくるだろう・・・?という曖昧な感じでほっておこう・・・と言う事になったのですが、どうにも気が治まらず、私は隣りの警察に届けを出そうと行って来ました。うちへやってきた時も、実は警察にいったん保護されていた犬だったんです。ひょっとして?と思い行ってみると・・・「今朝ほど特徴の似た犬が保健所にいる・・・」と言うのです。

 早速、隣りの建物にある保健所に行ってみますと・・・、なんとさくらは他の犬と一緒に個別の檻に入れられておりました。私と目が合うや否や、しっぽを振って喜ぶ始末。おかげでほんの数時間の事なのに、お金を取られ、始末書を書かされました。なんてこったい・・・迷い犬として一時預かり・・・ということで届出をしていなかったことが災いして、今度は始末書を書かされてしまいました・・・。まったく何て犬でしょう・・・。困ったもんだ・・・。

 先ほどチラッと犬小屋を見たら・・・、人の気も知らずに、爆睡状態でいらっしゃいました。おいおい・・・。このまま引き取りに行かなければ、3日で処分されるらしいです。みなさん、生き物は可愛がって最後まで面倒を見てやりましょうね。可愛そうです。



夜中に目が覚める(8/13)


 ここ数ヶ月、決まって2時半から3時頃目が覚める。昼間ではなく夜中のことです。相変わらず四十肩との付き合いは続いていて、その痛みで目が覚めるのです。最近ではお灸に頼っている始末・・・。痛みを和らげるための注射も左右6回の計12本をうった。もっとも痛みを我慢できないわけではなくて、先日行ったバスケットの試合のために痛くてはできないのがイヤだったからです。もうしばらく注射はいけない!と注意されてしまいました。

 結局、痛みはとれずに本番を迎え、満足に動けないまま自分としては不満足なプレーでした。走っても元気良く手を振る必要があったし、ボールをもらえば、シュートを撃つか、パスをするか、ドリブルをしなくてはいけません。どれも多少の痛みが伴って、臆病になりながらプレーをしてしまいました。一生懸命やっていたみんなに少々気後れを感じつつ、同時にうらやましく思っていました。

 日々黙っていればいいものを、根っから弱虫!?な私は「痛い、痛い・・・」を連発・・・。回りも(特に嫁さんは)気にもしなくなりました。日にち薬で治るそうなんですが、何か良い治療法はないものかとあれやこれやと渡り歩いてしまいます。漢方を飲んでもいますし。温めたり、冷やしたり、動かしたりして痛みを和らげる手段を探しています。今、こうして腕がぶら下がっている事で痛みがあったりします。実に厄介な状態です。肘まで痛かったりします。お灸のあとが妙にだらしなく見えて、「あ〜ぁ・・・」とため息が出ちゃう・・・だって痛てぇんだもん・・・。

 せめて夜中に目が覚めることなく、朝までぐっすりと寝てみたい今日この頃です・・・。


宴はかくも楽しきもの(8/5)

 8月3日・・・とうとうこの日が来ました。初練習から44日目の午後1時にセレモニーは始まりました。挨拶、互いのチーム紹介の後、記念撮影、校歌斉唱(これが僕等にとって本当に懐かしくて良かった)に至り、15分のインターバルのあと第1試合は始まりました。女子部とのゲームです。5分クォーターのx4で間に1分10分1分のインターバルが入ります。

 午後1時45分、緊張の試合が始まりました。こちらの作戦は無理するな、ゆっくりいこう・・・そして1クォーターごとにメンバー総入れ替えです。最初は当初の予定通り、先発の5人です。最初から飛ばすOBチーム。気合が入っていることが見て取れます。「無理スンなぁ〜」という冷やかしのような声援が飛びます。華麗な!?パスを回して、果敢に守る女子部員の出方を見ます。そして何本目かのシュートが決まったと思いきや・・・ブザーの音。「何事?」と見渡すと、なじみの無い24秒ルールに早速引っかかり、ノーゴール。

 そんな出だしで始まった交流試合でした。現役とは言え、親子ほど歳の離ているとは言え、相手はかよわい女の子です。スピードはどっこいでも、体が大きい分迫力が違います。当たりでも負けるわけありません。何度か、ふっ飛ばしてしまう事があったほどです。そのたびに「大丈夫?」と気を使うOBの面々です。その姿は、しっかりおとうさんしてました。点差はどんどん広がり、結局大差で我々が勝つことができました。実に28年ぶりの勝利です。28年前、地区大会で東白川に負けて以来の勝利です。出迎えてくださる田原先生でした。その顔は嬉しそうです。

 しかし、私自身は、結局、肩の具合が良くなることなくこの試合になってしましました。パスをもらうことは、どうも無いのですが、長いパスやシュートを打つことが怖くてできなくなっていました。でも、試合をすれば、ここぞ!という場面になります。チャンスがくれば、ほぼ無意識にシュートを打ってしまうのです。「もらったぁ〜」と思いシュートを打ってしまいました。でもボールが手から離れる瞬間に「ギュワァァァァァン!!!!!」と言う激しい痛みが、右腕に走りました・・・。シュートは力なくリングの手前に失速して落ちていきました。私の右腕は、その後しばらく感覚が無くなり、力を入れることができません。試合中そんなことが3回起きました。昔だったら、これ幸いとばかりに休んでいたでしょうね。でも今はやりたくて仕方ないのです。こうなってしまっている事を正直残念でなりません。

 そしていよいよ対男子チームです。正直女子チーム戦で体力をずいぶん使ってしまったところであるOBの面々です。どこまでできるか・・・。作戦は5分を更に半分に割る2分半で、メンバー交代をするという新手の策です。これが大した効果があったのか?なかったのか?よくわからなかったのですが・・・。実によくメンバー交代をしました。怪我したらイヤだもんね。先制点こそOBである我々が奪ったものの、すぐ現役#5の華麗なシュートであっさり同点。その後体力が続くうちは何とかゲームらしい状態が続きましたが、やっぱり若さあふれる現役にはかないません。第1第2と重ねて行く内に、見る見る点差は開いて行き、前半はダブルスコアです。私自身も#5や#11をディフェンスで止めようとしたのですが、着くや否やサッとかわされる始末でした。圧巻なのは、#11に着いた時です。私のガードを#11は脚の間を通して抜いていきやがった!!のです。更にその直後、仲間の#18酒向君がガードしたのですが、今度は#11、背面にボールを回す高等なテクニックで2人を置き去りにして行きました。

 これが今の中学生の実態です。私等の頃は、脚の間を通すドリブルや背面に回すボールコントロールなんて誰もやってなかったし、そんなこと見たことも、想像もしてなかった。今のNBA仕込みのテクニックらしい・・・。TVのおかげで、イメージできると言う事は実にすごい影響力があるんだね。オリンピック体操競技でウルトラ何々・・・といった技をある選手がやったとすると、もうその次の大会では、当たり前のように誰もができるようになっている・・・、中学生のレベルでは、誰もが・・・では決してないけれど、1年後2年後ざらにそんな選手であふれるんでしょうね。
 
 結局試合は、13vs36という大差で負けました。スピードと体力で負けてしまった・・・のが敗因です。でもちっとも悔しくはありませんでした。ちゃんとできた事。昔の仲間とこうやってゲームを戦っていることの満足感に、僕等は酔いしれていました。夢のようなひと時でした。実に楽しかった・・・。相手をしてくれた現役バスケットボール部のみんなに感謝です。こうして試合を実現するにあたってご理解を頂いた先生やPTAや保護者会の皆様、そしてお忙しい中、僕等の陣頭指揮を執ってくださった田原先生。そして一緒に協力してくれた仲間のみんな・・・。本当に楽しかったね。また、機会があったらやりたいね。本当に皆さんに心から感謝いたします。ありがとうございました。

 その夜・・・田原先生を交えて、僕等は今日の疲れを引きずりながら、打ち上げをしたのでした。宴はかくも楽しきもの・・・、いつまでも笑いが絶えませんでした。もう1度、みなさん、本当にありがとうございました。
あること、ないこと・・・実に楽しい一日でした。


こんなこともあるのか・・・(7/26)

 昨日、地元中学校が参加する中体連地区大会・バスケットボールの大会がありました。私は昼まで仕事をし、3時には戻ると言う約束をし、店を出ました。会場に着いたのはちょうど試合開始10分くらい前、対戦相手は隣りの町のチームです。聞けば春に同校と試合をした結果が、劇的最後の最後にシュートを決め、逆転で勝利をつかんだ相手だそうです。と言う事は、実力伯仲ということが想像できます。あれから数ヶ月でお互いどこまで強くなったか・・・。計り知る一戦になります。

 案の定、点差が開くことは無く、緊迫した試合が続きます。あっという間に前半が終了・・・。得点は同点(点数を忘れてしまいましたが20点台の攻防だったと思います)。あっという間のハーフタイムも終わり、後半第3クォーターが始まりました。いつもより得点を決められない子ども達。シュートチャンスはたくさんありました。でも決まりません。いつもの速攻も影を潜めます。チームの要の#5の動きを相手チームは押さえています。彼を押さえれば速攻はできません。私にはそんな相手チームの意図が見えました。パスが縦に通せません。場合によっては#5が一人でドリブルをし、敵陣まで走り回りゴールを狙う事もあったほどです。苦戦しています。そして、第3クォーターは終わりました。

 淡白に試合は進んで行くように感じるほど、点数は入りません。相手も同様です。でも試合をしている子ども達にはかなりの焦りと疲れが見て取れました。「思わず頑張れ〜」です。結局こんな事も起こりうるのだという劇的な幕切れがあったのです。残り22秒だったか・・・32vs32でこちらがフリースローのチャンスを得、1本を決め33vs32守りきって勝ち!を意識しました。全員がそう思いました。あせったのは相手チームです。時間はありません。攻撃を急ぎます。しかし、相手は焦りからミスをします。残り8秒・・・ボールはこちらに渡りました。しかし・・・。

 魔物が・・・という言葉が当てはまるほど、この8秒の間に奇跡が起こります。ボールをキープすれば勝てるこちらサイド。#5がボールを持ちました。残りの4人はサッと相手陣営に攻撃態勢に入ります(これは当然定石として体が動いてしまうと思います)。すると本来なら一目散に相手は同時に自陣に戻り守備に急ぐのですが、彼等を支配する思いは、焦っています。時間はありません。ボールを取り、得点をしなければ勝ちはありません。ですから相手の5人は#5の所へ攻め込んで来ました。ボールを持って本来なら攻撃する側が、守備の意識になり、守るはずの相手が攻撃の意識になるという、変わった状況が生まれたわけです。#5はこの状況でキープして勝とうとしたのですが、味方は回りにいなく、相手の5人が自分に迫ってくるこのわずかな間に、#5は一瞬の戸惑いを感じたのだと思います。

 あわてていつもと状況が違う事を知った仲間が#5に駆け寄ります。それを見た#5は何かしら躊躇します。何をしようとしたのかはわかりません。何があったのかはわかりません。相手の気迫に押されたのかもしれません。一瞬にしてボールが奪われました。ボールをとられた相手に対して、#5は必死に追いすがろうと、手を・・・いや体全体でこれでもか!と言うほど必死に伸ばしました。その姿は私の脳裏に今も焼きついています。しかし、届きませんでした。ノーマークになった相手選手は、残り1秒?あるかないかで、ゴール!そして同時に終了を告げる無常な音。ゴールは審判により認められ、33vs34という結果で惜敗を喫したのです。まさに悪夢です。奇しくも春の大会の逆転劇が入れ替わり起こったわけです。

 無言で肩を落とす陣営です。我々も言葉を失いました。みんな一生懸命頑張ったのです。仕方ありません。悔いはあると思います。子ども達にはあまりに酷な結果です。#5の子どもは自分を責めているように涙を流していました。かける言葉も見つかりません。昨夜は眠れたでしょうか・・・。気になる所です。でも彼等はたとえお金を積んでもできない体験をしました。一生忘れる事の無いだろう体験をしました。その流す涙は、まぶしく思える涙でした。とっても素直な涙です。彼等が自分達の力で、この出来事を整理するまで多少の時間がかかるでしょうが、間違いなく成長できると思います。誰もが体験できることではない事です。一生のいい思い出として、強く生きていって欲しいなと思いました。よく頑張ったね。ご苦労さん。
その試合の様子・・・貴重な1枚です。ボケていますが・・・。

部活動壮行会(7/16) 

 昨日、地元中学校の部活動の壮行会に行ってきました。激励の言葉と称して、子ども達の前でお話をするわけです。昨年に続いて2回目なんですが、正直緊張しました。部活動は、体育会系と文化系の二つに分かれるのですが、どうしても体育会系の部活動の活躍に目が行きます。ですから、意識して文化系の子どもたちにも言葉を選んで通じるように話をしたつもりです。でも私自身がバスケット部に入っていたこともあって、話しているうちにどうしても体育会系の乗りになってしまいました・・・。まぁいいかな?

 3年生は最大にして最後の大会が、中体連という大会です。あと4日で市大会、25日、。26日が地区大会、そして県大会へと続くわけです。わずか2週間の間に3つの大会があります。もっとも勝ち進んで行かねばなりませんが・・・。部活動の思い出がここに集約されると言っても過言ではありません。大人になってこの大会は、本当にいい思い出になるのですから・・・。頑張って欲しいものです。

 激励の言葉をどうしようかと考えている矢先、OB戦で一緒にやってくれるK君が、懐かしい当時のユニフォームを持ってきてくれました。実はこれを今回子ども達に見せたのです。場内は「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜」というどよめきが起きました。とっても古臭くてカッコウの悪い物に見えたのでしょうか?その真意はわかりませんが・・・。何かしら関心を示してくれた事は事実です。歴史を感じてくれた事も間違いないと思っています。人が代わり、内容が変わり、歴史は積み重ねられているんだという事が、みんなの中にほんのちょっぴり理解できたんじゃないかな?おかげで、その後の部活の練習をのぞいたら、ある子どもが『岩田先輩」と言ってくれて、それがとっても嬉しかったです。

 みんな頑張れ!応援しているぞ!!!

踏んだり蹴ったり(7/9)

 バスケットボールの試合は順調に事が進んでいます。しかし、以前から痛めている肩の調子が良くありません。両肩が痛いものだから、動きがやっぱり不自然なのでしょう・・・。仕事中に上手く行かない事があります。大型タイヤを転がしている時も力が上手く伝わらず、ふらふらとします。肩の筋肉も落ちているようです。倉庫(狭い空間)でそんなことがあると、つい倒したりしちゃいます。それを防ごうと、更に変な態勢をとりバランスを崩しドテッと倒れこみます。おかげでわき腹を打ちました。痛いです。

 更に今日、膝を打ちました。痛いです。大型タイヤを転がして、ちょっとした段差を押し上げるのに、両肩にいや〜な痛みが走り上手く押せません。整体治療を受けに行きましたが、リハビリで左肩をマッサージ・・・・涙がちょちょぎれるほど痛いです。普段でもこんな状態はめったに無いでしょうに・・・。なんでこんなに痛い思いを次から次へとしなくてはいかんのでしょうか?

 こんなことで8/3のバスケットができるんでしょうか?やっちゃぁいけないということなのでしょうかねぇ・・・。張り切っていることがまずいんでしょうか?悪い事をしてる訳ではないと思うのに・・・。嘆いてしまいます・・・「あ〜ぁ・・・」です。次回の練習はいったん休みます。そのほうがいいでしょうから。

 肩は温めて、脇と膝は冷やしております。体は湿布と針で痛々しい状態です。でもバスケットをやって痛めたことではないことが、やる気を損なわずにいられる要因だったりします。今は養生の時です。試合のために私がやることは、まだまだ他にありますから・・・。




みなぎっております・・・(7/3)

 ここ1ヶ月の私は、来る中学生とのバスケットの試合のため、筋力と持久力アップ、そしてダイエットを目的としていろいろやっています。近年こんな意志を持って取り組んだことが無いほどやる気です。自慢するつもりではありません。やる気でやるときは本気だと言う事です。ただ、やり方を知らないので、効率の悪い方法できっとやっているんだと思います。栄養を考えてはいますが、しっかりしたバランスの取れた食事をしているわけではありませんし、運動にしても、ウォーキングとジョギングを適当に30分〜1時間やっているくらいです。雨の時や脚が疲れたな?と思えるときは、自宅でストレッチ!?や腹筋、背筋、屈伸、などを繰り返しています。

 おかげで、デブデブだった体型もすこ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜しだけ変わりました。体重も4kgほど落ちましたし、体脂肪も5%くらいは落ちました。でもまだまだです。1kmくらいはだらだらと走れるようになりました。結構、この走るということは全然やっていないとできなくなるものです。自分だけなのかもしれませんが・・・。呼吸がしんどくなるのではなくて、脚が疲れて走れなくなるのです。筋力が衰えている事に気づきます。ですから走って、歩いて・・・いるわけです。自転車なんかにも乗って10kmくらい走ったりもします。こどもの通学自転車です。

 このとき、決まって子どもが着いて来てくれます。長男だったり長女だったり、もう高校生と中学生ですから走ってもかないません。体力が違います。それが嬉しくもあるのは親だからですよね。でも「お父さん、大丈夫?」なんて聞かれると、「にゃにお〜〜〜!!!!」とまだまだ負けられんわい!と奮起するのです。試合まであと1ヶ月、仲間のみんなはどんな思いでいるのでしょう・・・。日々の生活の中に、今回の企画はどんな影響を及ぼしているんでしょう・・・。私のようにやる気で楽しみに思っている者もいれば、仕事が忙しくって帰宅が遅く、何もできないで不安になってしまっている者や、ずばり今更・・・・と感じている者もいるでしょう・・・。悲喜こもごもなんでしょうね・・・。

 私自身、困ったことと言えば、やはり肩です。昨年夏から病んでいる左肩は、痛み自体はそれほどでもなくなってきたのですが、いかんせん動かない・・・。だいぶ可動範囲は広がってきましたが、まだまだです。それとやっかいなのは、頼みの右肩も痛くなり始めたことです。上がらない・・・ということはないのですが、痛みが伴います。接骨院の先生曰く、動かしつづける事・・・・と言う事なので、痛くても、涙ちょちょ切れても、動かしています。半端に無く痛いです。体が温まって十分肩を動かした頃、痛みがひくのですが、そこまで時間がかかります。あと1ヶ月でどう変化しているのか不安なのです。バスケットがちゃんとできるのかどうか・・・?両手が使えなくては何もできませんからね・・・。

 でも、やる気だけはみなぎっております!


28年ぶり(6/24)

 去る20日(金)の夜、某学校の体育館でバスケットボールをしてきました。集まった仲間(6名)は、なんと28年前の中学校同期のバスケット部員です。この夏に今のバスケ部員(現役中学生)と試合をする企画があるからです。これはPTAの部活動支援の一環で、大人と子どもの親睦を目的としています。子ども達が一生懸命やっている部活動を通じて体感しようと言う意図と、OBである大人が子ども達に贈るメッセージを伝えようと言うものです。仕掛け人は何を隠そう・・・この私です。

 硬い話は、ここでは止めておきますが、28年ぶりに再会した感激は相当な物があります。若干!?姿、形が変わってしまったお互いを観て安心したり・・・、こんな状態で子ども達とちゃんとバスケットができるんだろうか?なんていう不安と、久しぶりにやるバスケットはとても新鮮で楽しく、肉体の酷使を容易にするスポーツなんだと再認識しました。当時の意識からは遠くかけ離れたような、思い出したようなとても楽しいものでした。

 仲間の思いは徐々に大きくなり、できるかなぁ?という不安から、やれそうかな?と言う思いに変わり、負けたくない!という熱い思いが芽吹いています。次回の練習は7月に行うつもりですが、場所捕りができていません。みんなきっと連絡を待っていてくれていると思います。でもその半面、怪我を心配する部分もあります。素人考えでは、ストレッチや準備運動、筋力アップをしておけば大丈夫!(結構これをするのは並大抵のことじゃぁないけど・・・)と思いがちですが、一番従事していた友人からアドバイスがありました。彼曰く、アキレス腱は準備運動に関係なく切れる!と言うのです。バスケットは我々の年齢にはヤッパリかなり無理を強いるスポーツのようです。しかも28年ぶりにするわけですから・・・。うなずける話です。

 でも、もう止められません。止める気もありません。気持ちは高鳴っています。高ぶっています。久しぶりに集まった仲間と自分を確認する意味でも試合には出るでしょう・・・。先日の練習では思ったより体が動く喜びと、爽快な汗をかいたことで更にその思いは強くなってしまいました。PTAの企画として発案したのですが、子どものためであり、自分達のためであり、今回の企画はどんどん新たな趣旨を生み出していきます。係わった多くの人が、何かしら感じてくれればいいなぁ〜と思っています。

子ども達にはまだまだ!?負けたくねぇ〜のです。個人的には、両肩が大変痛いのでした・・・。(>_<)



挨拶運動(6/14)

 13日 、地元中学校へ朝の挨拶運動に行ってきました。7時35分職員玄関集合です。私は役員をおおせつかっている立場上遅れるわけにはいきませんから、少々早めに出かけて行きました。

 天候は時節柄、梅雨にふさわしい雨です。にも係わらず、もう登校している子どももたくさんいます。部活の朝練に参加するためです。来月には中体連がありますから一層力も入ります。サッカーをやっている子どもたちが輝いて見えました。みんな頑張れ!応援しているぞ!

 しばらくして東門に私は立ちました。子ども達がカッパを着て自転車こいでやってきます。「おはよう!」と言うと「おはようございます」と元気な声。おぉ気持ちがいい・・・。昨年のことを思うと元気がいい気がします。自分の気持ちの中に変化があります。努めて声を出していたのですが、それが自然に出るようになり、そのうち心から声をかけられるようになり実に爽快な気分になってきます。どう言った効用があるのでしょうかね。脳内に何とか物質が沸いてきて、神経を刺激し爽快な気分にさせる・・・。なんて能書きが聞けそうな気がします。脳内モルヒネ!?・・・でしょうか?これしか知りませんので・・・。

 明けて14日、資源回収に行ってきました。最近学校へ出向く事がやたら多い・・・。ちょっと考えてしまう・・・。いや、話は資源回収です。子ども達にとって昨年この資源回収は、ボランティアを経験する事業の一環として行われましたが、今年はこの学んだボランティア精神を試すはずだったのです。はたして・・・、子ども達の役割分担は、大きく分けて2つ。地元の自治会で集積する者、それを車で親が運び、一箇所に集めるため、その場にて大型トラックに集積する者です。

 事前に子ども達でこの役割を決めたそうですが、自治会で役を担った生徒は(私の娘もそうでした)、一応に仕事量が少なく時間にしても早く終わるわけですから、ラッキー・・・となるようです。しかし、大型トラックに積み込む生徒達は、そりゃぁもう大変です。私も新聞紙を積み込む係りでしたが、その量たるや相当な物です。おまけに梅雨で湿度バンバン!汗がたらたら・・・。子どもは正直ですから、この場に決まった事を嫌がったんでしょうね〜。私だってその力の入れ具合といったらありません。勢いがいいのは最初の15分くらい。そのうちだんだん動きが鈍くなってきて、ハーハーゼーゼー・・・です。運動不足がたたり、また悔やむひと時です。でもそんな余裕の無くなる中でも子どもの顔を見ることができましたが、皆一生懸命頑張っています。一緒にやっていてすごく刺激を受けました。実に良く動くのです。なかなか良いのです。嬉しくなってしまいます。負けていられないのです。アドレナリンが体を流れ、乳酸がその代償として体内に充満するのです。でも良いんです。そう・・・私は実に単純なのです。

 明日が怖い!明日が怖い!明日が・・・筋肉痛がきっと襲ってくるんだろうなぁ〜・・・・。

家族(6/4)

 先日、同居していた祖母(享年98歳)が亡くなりました。初めて家族が亡くなるという体験をしました。一応に高齢と言う事もあって、数年前からいつかこの日がやってくる・・・と気持ちの上では理解していましたが、いざ現実は・・・、やっぱりその上を行く悲しみがありました。そんな中、お手伝いや優しいお気持ちを頂いたたくさんの方々に、この場を借りまして改めまして深く感謝の気持ちを申し上げます。誠にありがとうございました。

 核家族が加速的に増加している昨今です。しかし、人が生まれて死んでいく一生の内で、親から子へ、子から孫へ・・・と受け継がれていくものがありますが、その逆の関係も必要不可欠に思いました。祖母に孫の中でも私は一番可愛がられて育ったと思います。15人の孫の中でも私だけが縁あって最後まで一緒にいました。時代なのか、商いを営んでいましたので子どもに時間をかけることが今よりうんと少なかった当時、祖母が私たち3人の子どもの面倒を見てくれました。時には優しく、時には厳しく。でもあまり叱られた記憶はありません。今思えば、とっても気丈な祖母でした。

 そんな祖母も歳をとり体の自由が利かなくなってきて、床にふす事が多くなり、大好きだった旅行へも行けなくなりました。家族の助けなくしては生活できなくなっていきます。私の母がその多くを受けておりました。大変だったと思います。実際何度か体に不調を訴えて寝込んだ事もありました。そんな時には家族が何かしら役目を持って助け合ってきました。

 歳をとれば体が弱っていきます。どんな人間だってそうです。ましてや高齢社会になってしまった今の日本では、どんどん老人介護の声があがっています。ボランティア・・・と言う事で、授業の一環でお年寄りと接する機会を持つ学校もあります。ボランティアとは気持ちで行うものですが、その方法も知る事ができます。でもその必然性は核家族では気づく事ができません。面倒を見る者の気持ち、見られる者の気持ち・・・家族の中にはボランティアという言葉は見つかりません。でもそこには家族というものに存在する絆があります。決して綺麗なものではありませんが、これが家族です。人は決して一人では生きて行けません。本当にそう思います。家族はできるなら多いほうがいい。

 1つ屋根の下・・・、これが私の思うところです。 




楽器3〜♪(5/22)

 ずーっと前にバンドの話を書いたことがありました。これはその続きです。高校生だった私は友人6人と、はじめてバンドなるものを結成したのです。「かっちょいい〜・・・」と思っていました。

 高校2年の文化祭にむけて、私たち6名(アコギ、エレキ、、バンジョー、ベース、キーボード、ドラム)は、暇があると練習をしていました。好きな曲ではなく、できる曲から始めた気がします。ベンチャーズのダイヤモンドヘッド♪・・・風の22歳の別れ♪・・・チューリップの銀の指環♪です。ベンチャーズは私たちの世代の音楽ではないのですが、このギターの兼松君(今は立派なプロのギターリスト)がコピーしてたんですね・・・。テクニック的にはいたって簡単、テケテケ・・・・♪です。ドラムはシシタタ・・・♪です。これでできてしまうもんだからみんなで楽しくやりました。

 さぁ文化祭です。ここで演った曲は・・・、思い出せない・・・。そうそう・・・銀の指環♪演りました。今も練習しているテープ持っています。他に3曲くらい演ったような気がするのですが思い出せません。何を演奏したんだろう・・・。大した事はやっていないと思いますが・・・。次の年、私はギターで参加しました。別にドラムをやれる奴がいたのです。そいつのほうが上手いと思っていました。でも今思うとガチャガチャと鳴らすドラミングでそれが上手い!と思っていたんでしょうね。それほどでもない感じがしましたが・・・。チャーのなんちゃらという曲、君の瞳は10000ボルト♪・・・、クリエーションのなんちゃらという曲・・・プロレスのなんちゃら兄弟の登場の曲です。私は、友人(堀部のやーさん)から借りたテレキャスターモデルのエレキと自分のK・ヤイリのアコギを持って出ました。なんかいろいろやって大変だった思い出があります。やーさんありがとう!!今回は本当に短いですが、このへんで・・・、つづきはまたの機会に書きます。


白線流し(5/15)

 先日 、遅くからビデオで「白線流し」を観てしまいました。19の春!?というサブタイトルが付いていました。このお話を知っている方も多いと思いますが、数年前にTVでドラマとしてやっていた続編のようです。私はこのドラマを観ていなかったので、登場人物のあり方が今ひとつ理解できなかったのですが、その手のhpで調べてもう一度観ました。

 完全に理解できていないのでどうかとは思いますが、主人公は七倉園子、彼女を取り巻く6人の友達の青春ドラマのような、思春期の頃を描いたドラマです。観てる我々が切なくなってしまうドラマです。誰もが多かれ少なかれ抱いた感情を、そして思い出をダブらせながら観てしまうドラマです。長野の松本の高校を卒業後、それぞれの1年後を描きます。七倉園子は一浪して東京の早稲田に通います。園子の彼は、大河内渉。園子と同じ高校の定時制に通い、昼と夜で同じ机を共有することで知り合います。そしていろいろあって恋人になるという真面目なお話です。

 園子は、本当に真面目な女の子。一生懸命自分の目的に向かって生きているそんな渉に惹かれています。渉は亡き父のように天文台で働きます。北海道の初山別という所にある天文台です。稚内から西の海岸沿いを南下したところにあります。遠いのです。寂しく厳しい環境で渉は一生懸命星空に思いを寄せて働くのです。園子に手紙を書く暇も無いほど働きます。主人公園子は、一浪したことで自分を取り戻そうと悩みます。つい入ったサークルで若者らしい(こんな学生がほとんどだと思いますが・・・)はたから観るとパッパラパ〜としてる毎日を送ります。私は自分もこんなんだったなぁ・・・と自覚症状を思い出しました。なんか恥ずかしい・・・。何でだろう?でも楽しかったぞ!

 観ていて、こんな風に葛藤する園子がいとおしく思えます。園子を演じる酒井美紀がHRにでてる酒井美紀と同じなんて・・・なんか複雑です。女優なんですね。錯覚しないようにしないと・・・。でも酒井美紀いいですね。ちょっとファンだったりします。・・・そんなことはどうでもよくは無いんだけどこっちに置いといて・・・。その感想です。

 人生の目標を見定めようとする年頃、人それぞれで、大小悩みの大きさはあるものですが・・・。このドラマ観て改めて感じた事なのです。19歳という年は、人生の中で大きな、本当に大きな年齢だと思います。高校の規則の中で生きて卒業する・・・、それが19歳を迎える歳になります。社会に出るもの、進学するもの。道が大きく分かれて仲間が離れていきます。自分もそうでした。みんなに対して惜別の念を抱きながら、自分のこれからを一生懸命進まなければなりません。そのうち毎日の緊張の中、新しい環境になじんでいきます。そして人は変わっていきます。変わろうとします。干渉されないことから自由を感じ、同時に大人をちょっぴり実感します。今思えば可愛かったなぁ・・・と思います。自分の目的を探すのです。目標は何だ!自分はどこへいくんだ・・・と悩むのです。我々の時代にもこんなドラマがありました。ふぞろいの林檎たち・・・です。その前には井上ひさしの青葉繁れる・・・という話もありました。こんな物語を観て自分達をリアルタイムで照らしてみるのです。一生懸命でした。今も一生懸命です。でもあの頃を思うと素直にいいなぁ・・・と感じます。うらやましい・・・と感じます。青葉繁れる・・・また読み返してみようかな・・・。

 



5,4,3,2,1BOWAAAA〜N!(5/10)

 昨日、ロケットが飛びました。3億キロ離れた惑星の石か砂を持ち帰るという目的で・・・。2年かかって到着し、2007年に帰還すると言う。アポロ以来のお持ち帰りプロジェクトです。なんでも太陽系の誕生時にできた惑星らしく、その成分等を調べる事によって、太陽系の成り立ちを解明できるのではないかという目論見があるらしい。人類はその先に何を見つけようとしているのだろう・・・。人類の探究心は各分野で貪欲で更なる進歩をとげています・・・。すごいなぁ・・・。

 発射のシーンで思い出したのだが、サンダーバードやってますね。日曜夜7時から、教育TVです。子供の頃は、人形劇のこっけいな動きに少々イライラしながらも、その壮大なスケールにその気持ちもかき消され、サンダーバードが発進する場面は、すっかり魅了されてかじりついて見ていました。でも、大人になって今見ると、実に寂しく見えてしまいます。あの頃、人形の糸は見えなかったのに、気になって見えてしまうのです。もちろん今のTVの質の向上も要因ですが、失った感性がそうさせてしまうのでしょうね、やっぱり。

 だいたい、1号が発射する場合、プールがスライドし、その下から1号は飛び立ちます。その煙たるやものすごく、もうもうとして環境破壊もいいところ、ダイオキシンばらまきです。何よりも、満々と水をたたえているプールには、発射後、煙に含まれているであろう異質な物質が溶け込み、とてもその後、ミンミンあたりが入れないであろうと思われます。掃除しなきゃね。大変だぜぇ・・・。

 2号の発進シーンが一番ワクワクするんですが、特にコンテナの何番を持っていくのか・・・、何番まであるのか・・・、いつも不思議でした。5つか6つくらいあるようです。そして岩肌がおもむろに開き、その動力は相当な力を持っているだろうし、発射台まで2号がゆっくり動き出す時には、両側のやしの木が外側へ倒れるのですが、相当根っこがしっかりしていないと、頻繁に負荷をかけていると木自体がダメージを受けていると思われますから、痛むでしょう・・・。そして1号に比べると貨物運搬用である2号は相当重いと思われます。それが発射台に乗り、角度的には20度〜30度!?ほど上向きになりますが、いきなり助走なしで飛び立って行きます。そりゃぁすごいでぇ〜・・・。まず無理でしょ?

 秘密基地なんで、その存在が絶対知られてはいけないそうですが、じゃぁ、あの基地はだれが作ったのでしょう?ファミリーでせっせと作ったのでしょうか?そんなわきゃない!ブレインズが考えた様々な機械の類、夜な夜な彼が作るのでしょうか?科学特捜隊のいで隊員もそんなような立場だったなぁ・・・。でも岩本博士とかいう人がいてジェットビートルなんか作っていたしなぁ・・・ちゃんと仲間がいるんですよ。でもブレインズが考えた数々のものは誰が作るんでしょうか?絶対無理だし、他人を救助する事よりも、自分達の秘密を守る事に日々追われて、な〜んにもできない!のがせきの山だったりして・・・。

 でも、「はやぶさ」が、石なり砂なりを持って還るにしても4年後なんて、まだまだその手の移動手段は、なかなか忘れた頃の話になってしまうのですね。地球環境の危惧を心配している昨今、火星移住計画なるものもあるといいます。でもはたしてそれが間に合うのか?疑問です。先日のスペースシャトル帰還の際の爆発で、その計画の進行が何年か遅れると言われています。まだまだ人類が宇宙へ行ったと言っても、我が家の玄関を開けて、一歩足を踏み出した程度です。そこには危険がいっぱい。子供の頃見たサンダーバードやウルトラマンのように、船に乗ってさえすれば、また宇宙服さえ着ていればOK!なんてとてもありえないほど様々な困難が待ち受けているようです。地球環境の悪化により人類の滅亡を避けるため、その存続をかけたそんなプロジェクトが容易に行えるまでに宇宙へ、新たな場所を作り、移り住める時代がはたしてやってくるのでしょうか?


ぽっぽっぽ ハトぽっぽ(5/6)

 春先から、店のピットの2階通路の下にハトが巣を作りました。子どもたちが嬉しそうに眺められる高さなので、観察させるつもりでそのままにしておきました。そしたら1週間ほど前に雛が2羽ちょこんと顔を出していました。実に可愛いのですが、実際の所その繁殖力は相当なもので、年がら年中雛が生まれる・・・と言った状況になります。

 と言うのは、私は以前違う場所に店を借りてやっていました。その店の近くには、大きな観音様があり、お決まりのたくさんのハトが群れておりまして、そのうち何羽が引っ越してきました。最初は可愛いなぁ・・・と思っていましたが、卵を産み、雛がかえり、気がついたら大所帯になりました。それから6年店舗の看板の裏には十数個の巣ができ、たくさんのハトの団地になってしまいました。

 ただ、ハトがたくさんいるだけならまだいいのですが、一番困るのはやっぱり糞です。商品の上に「ポチャッ」とそりゃぁもう何回も・・・です。6年間の戦いは私どもにもいくつかの策を講じさせてくれましたが、結局いたちごっこでした。目玉のでかい模様の入った風船だったり、目玉の部分がビー玉でできたネコの看板だったり、ネットだったり、からすを催した黒い布だったり・・・。最初は効果があるのですが、敵も無害だと知るとさっぱりでした。

 残酷かもしれませんが、おもちゃの鉄砲で撃った事もあります。人間、自分は慈悲のある者だと思っていても、事が自分の事になり、限界を超えると手段を選ばなくなってしまう様を知りました。今思うと反省していますが、同じ事が起こる前にこの雛たちが巣を離れたら、巣は撤去して追っ払おうと思います。今はとっても可愛いのですが、大所帯になるととっても困る事にやっぱりなると思います。可愛そうですが仕方ありません。

 ハトは平和の象徴なのですが、ここは君らの安住の地ではやっぱり無いのです。動物愛護の精神が理解できないわけではありません。ご存知かどうか分かりませんが、hpでも紹介していますが私どもは、たくさんの小動物を飼っています。庭には冬から春にかけて、餌を求めスズメがたくさんやってきます。朝食のパンを少し残してスズメたちに与えます。これを「ほどこしの心」と禅を体験した時に教わりました。ただパンの耳を残しているだけだと言われてしまいますが・・・。ちゃうわい!!


ビートルズ(4/30)

 先日、ビートルズのDVD・BOXを買ってしまいました。6枚入りだったかな?まだ全部観ていません。というかほとんど観ていません。でも、数年前、「リアル・ラブ♪」や「フリー・アズ・ア・バード♪」を新曲として出したエピソードは非常に興味深く、3人(ポール・ジョージ・リンゴ)が何故に作ったか・・・。いかに作ったか・・・。3人は懐かしそうに昔を振り返りながら歓談しているシーンがあります。3人がセッションをしている楽しそうなひと時も観る者の興味をそそります。3人は自らを、スリートルズと言うそうです。

 オノ・ヨーコにジョンの未発表の曲はないか?と尋ねたとリンゴが語っています。そしたらこの2曲を持ってきたそうで、「フリー・アズ・ア・バード♪」は未完の曲として存在していましたが、3人の手によって完成に至ったそうです。製作中、ビートルズを客観視する発言が、実に不思議な感覚でした。どうすればビートルズになるか、ビートルズに戻ろう・・・という感覚が彼らを支配していたのでしょうね。彼らこそがビートルズなのに・・・。実に感慨深い話です。

 そして完成を観て、思わずリンゴが「これこそビートルズだ!」と叫んだ!とあります。ジョンが死んで、誰かを加えてビートルズをやろうと考えても、3人のほかはジョンしかやっぱりいないんだとジョージが話しています。そのジョージも今はいません。ポールもこの春日本に来ましたが、もう日本でコンサートをやるのはこれが最後かも?と言われていました。ビートルズは本当にすごいバンドなんですね。

 私は、ビートルズをリアルタイムで聴いていた世代ではありません。でも、興味は無くても(全くわからなくても)存在は子ども心に知っていました。でも、中学になり夢中で聴いたものです。関係する本も読みました。でもそのときビートルズは解散していました。ジョンは平和運動。ポールはウイングス。ジョージはバングラディシュ救済コンサート。リンゴは役者やったりアル中になったり・・・。もうバラバラで、4人を追っかけて一つに感じる事はかなわぬ事でした。ビートルズは伝説となって行くのです。

 でも時がたって懐古的感覚に捕らわれて、ビートルズは今一度蘇ったのですね。この時の3人はもう一度ビートルズに戻ろう・・・としたのでしょうね。私は新しい曲に歓喜するより、3人の心情を知ってとっても嬉しかったのです。世界中の人たちはこの事実を大いに心から歓迎したのです。今日も見るもんね!

選ばれし人達(4/24)

 たくさんの人たちの中に、時折たくさんの人たちに感銘をくれる人がいます。たくさんの人たちに、勇気とか夢とか癒しとか、たくさんの感銘をくれる。私は、人は1人では決して生きていけないから、たくさんの人がこの世にいるのだと感じています。そしてたくさんの人たちのために、こう言った選ばれて生まれてくる人がいるんだと感じています。その日その時の瞬間に、たくさんの人たちに感銘を与える役目を持って、この人は生まれて来たのだと感じています。

 決してその人にそんな考えがあるとは思いません、その人は自分のために少なくとも頑張って生きているんだと思います。でも周りの我々は、その生き方に感銘を受けたりするのです。輝いているその人に感銘を受けるのです。私はその点がすごく単純なので、簡単によく感銘を受けたりして涙しちゃったりするのであります。

 私自身はそんな人のそんな瞬間に憧れを持ったりしますが、その人のようにはとても生きていけないだろうと言う事を知っています。これは、決してあきらめや悟りのようなものではなくて、私にはもっと違った役割があってこの世に生まれて生きているんだと思い込んでいます。他人とこんな話をまじめに、顔を突き合わせて話した事はありませんが、結構みんなこんな思いを一度や二度は考えた事があるのではないでしょうか?

 多分にそれは当たっているのです。たとえば、私は職業としてタイヤ屋の主人になるべくこの世に生まれてきたのです。そして私は創業者ではなくて、三代目という結構注目されにくい立場で生まれてきました。先見の明があった創業者の祖父や、二代目である親父の頑張りにより今があります。私にはずっと追い風が吹いて安泰でいいね・・・と言った言葉をかけられますが、私にしか感じられない向かい風がずっと吹いています。これに負けずに生きていく事が、社会において関わっている、必要とされている証だと思っています。決してたくさんの人たちに感銘を与える訳ではありませんが、ちゃんと役立っている人間として生きているんだと思い込んでいます。

 誰かがやらなくちゃいけないから俺がいるんだ!まさにそれです。でもしてやっているという考えは、やっぱり持たぬよういつも心に戒めているつもりです。そんな思いは決してヨロシクはありません。天狗になってはいけないのです。でも卑屈になる必要もないと思います。謙虚さは卑屈になる事とは違います。謙虚さの中から得た自信は、大切にしたいものです。それこそが自分という人間を大きくしてくれるものなのだと思います。こんなえらそうな事を書いていると恥ずかしくなる自分がいます。ええんかいな?と戒める自分がいます。矛盾していることをやっているんじゃないか?と思え自信を失ってしまう自分がいます。

 どんどん支離滅裂になって文面が進んで行きますが、結構人は迷いながらいつも生きているんだろうと思っていますから、これは大切な事なんだろうと感じます。頑張って頑張って・・・疲れてしまった時にふと周りに気を配ると、結構選ばれし人たちに勇気付けられたり,癒されたり、夢を感じさせられたりしちゃってホロリ・・・となっちゃうのであります。今回はものすごくえらそうなわけの分からないコラムにしてみました。本音を言えばこうやって自分を確認しているのです。堂堂巡りを繰り返す、メビウスの環のようです。


チキン!とアヒョイ!(4/16)

 花粉の最盛期も納まり、スギ花粉に反応していた花粉症の私と嫁さんでした。まだヒノキに苦しんでいる方もみえます。鼻が詰まって眠れない時なんかとっても辛いんですよ・・・これが。今年はというか近年はずいぶん症状が楽になってきて、ほとんど症状が出なくてすんだ年もあったくらいです。かといって治った訳ではなくて、春になればじゅるじゅるやっています。嫁さんはもう何十年来のベテランで、咳もでるほど、私のように鼻が詰まって眠れなくなる事は無いようですが、咳き込んでいる時は、本当に見ていて辛そうです。軽い喘息にかかった状態です。今も少しそんな症状が出ます。

 1年の間でも一番過ごしやすい日であると言われる春のうららかな日は、実際の所花粉によって大変辛い日々になってしまいました。やっと初夏と言われる時期まで、新緑を楽しむ木漏れ日を浴びて、生きている喜びを、実感するのです。思いっきり実感するのです。意識して感じなくてはいけません。そして気持ちの趣くままいろいろ考えを巡らせるのです。決してそれは悲観する内容ではなくて、脳内に湧き出るα波の趣くままいろいろ楽しむのです。それは精神衛生上とっても健康的に良いのです。

 春の木々の間に刺す日の光、木漏れ日の中にその森に住む妖精の姿がある。そんな事を思い出しました。美濃加茂から七宗町神淵(かぶち)に抜ける峠に間見峠というところがあります。その道中に1ヶ所九十九折の場所があります。ちょうどスギ林の中で(ここでは花粉症とは関係ありません)この木漏れ日を見る事ができます。そのたびに目を凝らして観たりしますが、妖精というものを見る事はやっぱりできません・・・。妖精は天使のような人間の姿で捕らえようとするから見えないのかもしれません。ひょっとしたら姿は見えなくても、ちゃんといるのかもしれません。想像を越える姿、もしくは認知できない物として映っているのかもしれません。木漏れ日のある風景は、とっても静かで幻想的です。

 そんな体感を得るために、私はバイクに乗っていたような気がします。のんびりトコトコ・・・走る・・・。春はまさにそんな気持ちを呼び起こしてくれる季節なのです。なんとなく今回は取り留めの無いコラムになってしまいました・・・いつものことかな?あっ、そうそう題目「チキン!とアヒョイ!」ですが、これは私と嫁さんのくしゃみの音を文字にするとこうなると言う、実につまらないお話でした・・・、お後がよろしいようで・・・ちゃんちゃん・・・。

空気がおいしい(4/4)

 よく「空気がおいしい・・・」と言う言葉を耳にしますし、自分でもきっと自然でいっぱいの行楽地に行った時、思わず開放感から「空気が美味い」と言ったようなことがあったと思います。しかし、本当のところ空気が美味いとは、どうゆうことなのか分からないのです。空気に味があるのでしょうか?街中で吸う空気にはいろんなものが混ざっていて、それがまずい要因の1つだという事はなんとなく分かるのですが、自分の五感で感知してはっきりと「美味い!」と言う自信はありません。

 誰でもまず、自分が住んでいる場所の空気を物差しにして感想を語るはずです。私が住んでいる場所は山々が観え、近くには木曽川が流れています。自然と文明がちょうど良い環境のある町だと思っています。それはまるで蛍が住む環境に似てたりします。蛍が生息する水は、本当に綺麗な水では住めないそうです。何故かと言うと、餌となるカワニナと言う虫が、そこそこの水質にしか生息しないということが大きな理由だそうです。まさに自分の住む町はこんなすばらしい蛍の住む!?場所だったりします(・・・と美化して思い込んでいるだけかもね?)。余談ですが実際この町の北部には蛍が多く見られます。いい町でしょう?

 先日ラジオを聞いていて、安部俊幸という人が出ていて(チューリップのギター弾きだったりします)、現在、インド北部ヒマラヤ山脈の海抜2000mにある小さな村に住んでいるそうです。その方曰く、「僕の住んでいる所は、空気が美味い、本当に美味い」と語っておられまして、それを聞いた私は、本当に純な空気と言うのはこの辺にはないのではないか?ましてや、程よい蛍的空気環境に住んでいる私には、日本の環境下で空気の味の微妙な変化が分からないのかもしれないなぁ・・・と感じました。それが地球レベルで空気の純度が高い場所で空気を吸えば、未だ味わった事の無い味を堪能でき、本当に「美味い!」と言えるのかもしれない。そんな事を思いました。

 このコラムを書いていてふと、酸素の純度が高いと人の能力はグンと上がる!と言った話を思い出しました。空気が美味いことと、酸素の純度とはイコールで結ばれる話ではないのですが、結構おもしろい話だったのでここにチョビット書きます。
 
 アポロ計画時の話ですが、宇宙飛行船の中は純度100%の酸素だそうで、数日間そこで過ごす宇宙飛行士たちは、ずっと100%の酸素を吸いつづけています。すると不思議な感覚が湧き上がるそうで・・・、言葉を交わすことなく同じ宇宙船の仲間の考えていることが理解でき、作業効率も比較にならないほど良い・・・と言った類です。それは、今までの個人の能力を超えた能力、それはよくTVで見かけるあの手の超能力と同じようなことが起こる訳です。古来人間はこの能力が皆備わっていて、文明の発達に伴って少しずつ退化していき、人は皆この能力を失った・・・と言った学者!?のような方々が語られていたのを聞いた事がある方もいると思います。でもこの宇宙船の話を聞いて、人間はこの能力を失ったのではなく、地球上の空気が汚れ、純度の劣化を余儀なくされた空気を吸ううちに使えなくなったのではないか!?それが純度の酸素を吸っているうちに、人間の眠ってしまった脳細胞が活性化され、古来人間の持った能力が備わった。と言うのが私の素朴な見解だったりします。

 これを踏まえて結論付ければ、空気が美味い!とは脳細胞の活性化が起こった場合に感じる感嘆の言葉なのではないかな?と言う事です。な〜んてデタラメでごめんなさい。でもこんな発想おもしろいと思いませんか?

開幕戦(3/28)

 昨日からセリーグのペナントレースが始まりました。オープン戦で、思わぬ好成績を上げたドラゴンズがどこまでやってくれるか・・・俄然応援しちゃいます!もちろん優勝だって視野に入れた話です。

 夕方6時ころに店のTVをつけて、始まりをちょこっと観ました。ドラゴンズはトップバッター福留。対する大嫌いなヂャイアンツのピッチャーは上原。事前に福留は、初球から振って行く!と明言していました。それを知っていた私はそれが見たくてたまらなかったのです。

 当然上原も知っていたでしょう・・・。思い切って初球を・・・ど真ん中のストレート!こん身の思いを込めた一球とその思いに負けない一振りから今シーズンは始まる!と私はイメージを膨らませていました・・・。しかし・・・・なんと上原はフォークを投げて来たのです。がっかりです・・・。ひっきょくせ〜・・・です。なんやねん・・・です。この打席、福留は強振して三振でした・・・。大喜びするぢーファンたち・・・・。

 その裏ぢーの攻撃、先発ピッチャーは川上。川上と上原は同い年で仲が良いそうです。新聞で散々報道されていました。その川上、第一球はこん身のストレート!その後カーブを打たれ、先頭バッターのぢーの清水は先頭打者ホームラン!何でもその劇的なできごと喜ぶぢーファンたち・・・。この違いを双方の結果と観るか否か。こう表現すれば、私が何が言いたいのかおわかりでしょう。プロなら!と試合前からその力と力のぶつかり合い!真っ向勝負!のメッセージがこめられていたはずの開幕戦だったと思っていました。

 それがこんな空かされた形で始まるなんて・・・。昨年のチャンピオンチームのエースです。上原!あれはあかんぞ!勝てばいい!のかもしれませんが、お前は情けない。その逆に川上はよくやった!と誉めてあげたいです。そんな思いのこもった川上が負けるなんて神様は認めなかったのでしょう・・・。ドラゴンズの面々が上原を滅多打ち、逆点し降板させドラゴンズは開幕戦を物にしました。そのときの川上の様子がTVでも映されていましたが、実に爽快そのもの!という顔をしていました。

 上原は試合前から川上に負けていたのだと思います。福留だって、後の打席でホームランをちゃんと公約どうり打っているのですから・・・。上原の今シーズンは、ひょっとして波に乗れなくなった気がします。上原にとって後悔する一球だったのではないでしょうか?

 でも、昨夜のTVはサッカー日本代表もあってチャンネルを替え替え観ておりました。ほとんど良いとこの取りの見方で、サッカーもちゃんと観たのです。川口のイージーミス。あれで日本は勝てませんでした。アレックスも良かったのですが、攻めが単調で観ていてちょっとイライラ来ました。トップの高原と鈴木・・・。どうなのでしょう?いいんですかね?楽しみは楽しみなのですが。このメンツがW杯に出ていたら・・・と思うともっとワクワクできたのに・・・。


三重苦!?(3/21)

 参りました・・・、と言うのは、ここの所子供たちが胃腸風邪にかかってダウンしておりました。そしたら続いて自分もかかってしまい一昨日、昨日と寝ておりました。たまらず昨日医者に行きましたら、「早く来たほうが早く治るのに・・・」と言われ、点滴打ったら今日はずいぶん良くて、しっかり仕事しています。

 今は花粉の時期、花粉症の私はとってもしんどかったりします。おまけに肩は痛いまんま・・・。辛いは、痛いは、しんどいはで、三重苦でした。思わず寝込みながら順番を着けたりして・・・これが治ればまぁいいか・・・とか、こちらよりまだこちら・・・とか、結局はどれも嫌だなぁ・・・と考えながらじっと天井を見つめていました。

 花粉も幾分良いような悪いような・・・。まだまだこの季節は花粉症の人にとっては辛い時期ですね。肩も以前よりはちったぁ良くなったような気もします。腕が腰まで届くようになりましたから・・・。若干まだ痛いのですが、なんとかなります。相変わらず上には上がりません。

 結構人は健康そうで、どこかしら病んでいたりするようです。全くどこも何とも無いという人のほうが少ないのかもしれません。なんとかなって生きているんでしょうね。みんな頑張れ!です。

 そんな事より戦争はいかんだろ!!頼むから止めて下さい!子供たちの未来が心配です。ジョン・レノンが生きていたらさぞ嘆いているでしょうね。ブッシュさん、もう止めて辞めやぁ・・・と。

春は・・・(3/12)

 春のこの時期は、私にとって嫌な花粉との戦いの季節です。最近の風は恐ろしく強く吹いて、私の店にある幕や旗の類が破れんばかりの勢いで暴れていました。そんな強風に山々からはありがたくない花粉が、襲ってくるのです。あと2週間くらいはこんな風に乗せられて、花粉たちはやってくるのでしょう・・・。嫌だ嫌だ・・・。

 昨日、私の息子が、中学校を卒業しました。私もその場に居合わせる縁があって、母校でもあるこの学校の卒業式に参列する事になりました。久しぶりに校歌も歌ったりして・・・、厳粛な雰囲気のなか式は進んで行きます。卒業証書授与の息子を見て感慨に胸詰まる思いを感じました。そして式も終わり、卒業生281名による合唱がありました。合唱は、1年からずっと行ってきたもので、3年間の集大成である最後の合唱は、聞くものの胸を強く打ちました。感動です・・・。素直に「いいなぁ・・・」と思いました。

 今は「仰げば尊し」ではなくて、「旅立ちの日に」という歌を歌うようです。実に良い歌で、歌っている子供らは涙を流しながら歌っています。それはとても素直でとても素敵な涙です。人の一生のうちで今このときに流せる涙です。子供たちは実に素敵に輝いて見えました。

 式のあと、各教室に戻った子供たち・・・、先生と仲間と別れを実感します。女の子はもちろん、私たちの時代と違って男の子も涙します。軽い驚きを覚えましたが、それは私たちの時代の間違った偏見です。今このときに涙するのは、人としてちゃんと育っていると言う事です。当たり前の事です。過保護と思われた学校教育は、決してそれだけでは片付けられない心を育んでいたのだと教えられました。

 人は出会い、時が来て別れが来ます。そのなんとも仕様が無いそのはかなさに、心を揺さぶられ時を生きていきます。大切に思う人との別れ、どうしようもないそれぞれの人生のほんのわずかな接点が、大切でとっても大きなものでも、そこから離れなければ次はやってこない・・・。人は、そんな別れて行く大切な人の幸せを祈っています・・・。

 昨日の卒業でまた1つ大人への階段を登った子供たちです。

私なりのウルトラマン四方山話(3/3)

 私の子供の頃はヒーロー者がTVの中にはいっぱいいました。その始めはやっぱり鉄人28号です。これについては以前書着ましたのでやめときますが、その最たる者は、やっぱりウルトラマンでしょう・・・。実は私のPCの前には息子がUFOキャッチャーでゲットしたウルトラマンの貯金箱が置いてあります。

 唐突ですが、このウルトラマンには顔が3つあるんですね。俗にA,B,Cタイプという呼び名で言われているようです。まぁ何かの機会に見てやってください。世間一般にウルトラマンの顔として認知されているのはCタイプです。Bは放送当時の中期頃に使われていた顔、Cに似ているのですが、良く見れば違いがわかるはず・・・。Aに至っては全く違います。

 手の部分も後のウルトトラセブンのように、手袋〜・・・ではなく手術用のゴム手袋をはめて、着ぐるみとの境をテープで巻いて一体感を出し、銀のスプレーでさらに一体感を出します(らしい・・・)。ちなみにあの中に入っていた方は後のウルトラセブンでのアマギ隊員だったりします。この方ウルトラマンの中に入りながら襟巻き怪獣ジラ〜スの時に、ホテルマンとしてちょい役で出演してたりもします。

 前半のナレーションは石坂浩二だったのですが、子供の頃ソノシートのレコードを買ってもらって、豆腐屋のあーちゃん家で一緒に聞いた事を覚えています。これには怪獣の正方形の絵が一冊の本だったか、カードだったか忘れましたが、そうなっているものが入っていて、怪獣の鳴き声に合わせて紙芝居のようにめくって行きます。レコードには怪獣の鳴き声と石坂浩二のナレーションでして、これがしばらくかまわずにほったらかしにしていたら、レコードは波打ってしまって怪獣の声はそれほど変に聞こえなかったのですが、石坂浩二の声がそりゃもう別人・・・。友達に聞かせても大笑いされて子供心にちょっと傷付いた事を覚えています。それ以来このレコードを聞かなくなって知らないうちにどこかへ無くしてしまいました。

 大人になって、子供も生まれ一緒に見ようとビデオを借り、何十年ぶりかにウルトラマンを見たときは懐かしさですごくドキドキしながら見ました。1巻だけのつもりで借りたのですが、全部見ないと気がすまなくなり、いつも行くビデオ屋に全部そろってない事が分かると、あっちこっちのビデオ屋へ出かけていっては借りまくり、おかげでウルトラマン,ウルトラセブンは全部見てしまいました。その甲斐あって!?息子はすかりウルトラマンに取り付かれ、¥500するウルトラマン人形をいっぱい持っていました・・・。人事のように言っていますが、単に私が買って与えたのですけど・・・。ろくな親ではなかったのです・・・(反省)。

 しかし、大人になると見るところも斜めに見たりして、特撮のあらを探したりしていました。すると・・・ありますあります。ウルトラマンが怪獣によって炎の海にされた石油コンビナートを鎮火させるシーンがあるのですが、ウルトラマンが両手を合わせると手から水が噴出します。でも良く見ると足元には明らかに水が供給されているホースがちらり・・・。また、ジェットビートルが不時着するシーンで砂漠に半ば激突しながら不時着するのですが、ジェットビートルが地面につく前に地面から砂塵と煙が一瞬早く舞い上がるのです。今から30年も前の特撮技術ですから仕方ないのですが。でも当時はすごい技術だったわけですし、今もそれなりに楽しめるウルトラマンです。クオリティの高いすごい子供番組だったんですね。今、この歳になって好きだったものが、未だに高い評価を得ていることにちょっと嬉しさを覚えるのも正直なところです。そうそう家の店のレジスターのキーホルダーはスペシューム光線を発するポーズのウルトラマンだったりしてます。ウルトラマンはこんな所でも私たちを守ってくれているのです。頑張れウルトラマン!!