*****ひろのうたびとのしおり・・・其の参*****


残念無念・・・(2/21)

 なんとTBSの「おんがく」(2/26放送)の公開録画の応募に当たった・・・。チューリップが出ると知って・・・。先日東京に行っているうちに通知が来た。公録日はなんと今夜・・・。1週間に2度も東京へ行けるわけない・・・。なんてこったい・・・である。こんな時の喜びは、かなえられなければ数倍の無念さに変わる・・・。今宵、時計を見ながら「今ころは・・・」とため息をつく自分が居てたまらないのである・・・。分かっていて応募すんな!とそんな声も聞こえて来る・・・(涙)。

憧れの街、華の東京(2/19)

 17,18とブリヂストンの全国大会が東京でありました。記念すべき20回大会と言う事で、私も家内と出かけて行きました。品川の新高輪プリンスです。もうここへは数回来ていますから迷う事もありません。私が高校〜大学の頃、この東京に強烈に憧れを抱いた事がありました。「東京へ行きたい!」と何か夢があっての話ならそれも具体化して実現したのかもしれませんが、ただなんとなくでした。ワクワク、ドキドキとした何か刺激を発する東京という言葉に憧れを抱いただけだったようです。

 東京は大きな街ですが、数年してももう変化してわけのわからなくなる街ではありませんでした。よっぽど私の住んでいるこの街のほうが変化しています。いや、変身していると言ったほうがぴったり来ます。東京は変身はしません。建物が生まれ変わってもその姿にさして生活感というか環境というか・・・私だけかもしれませんが、変わった感じは受けません。人に置き換えるなら、垢抜けした人が更におしゃれしても何も変わらない状態です。私の街はちょっとづつ垢抜け!?している変身をしています。

 今の若者は、東京に憧れを持っているのでしょうか?ワクワク、ドキドキとするのでしょうか?どうしてこんなにも東京に人がいるのでしょうか?生きて行くために動いている人達・・・ホテルの窓からぼ〜っと眺めている時に、自分をこの中に置いて観ました。自分はここにはいられない人間なんだな〜と感じました。ここに住む必要のない人間なんだなぁ・・・と。東京に来てすぐ家族のことを考える自分はここにはいられない人間なんだなぁ・・・と。

 お金さえあればその日のうちに必要なものは手に入る・・・それが東京だよ・・・。とある人が昔言った言葉を強烈に覚えています。午後11時過ぎにやっているバイク屋さんを見てびっくりしました。更に土・日・祝日が休みで毎日午後8時には閉店する喫茶店があるのを知ってもっとびっくりしました・・・。決して公共施設内で営業している喫茶店ではありません。一般を対象としてやってる小さなお店でした。道楽でやっているとしか理解できない話しです。それが可能な街、東京です。

 私は、今住んでいるこの街しか知りません。私の親の生まれた街はここではありません。兄弟も今は隣町に住んでいます。家内もここの生まれではありません。数年前店を移転するかで悩んだことがありましたが、親や兄弟はこの隣町に行こうとか、来い!とかいってくれましたが、私は到底そんな気にはなれませんでした。この街が私の生きていける街だと感じています。40歳を過ぎて人生の半ば、自分の今までを正直これでいいんだなぁ・・・と思えるようになってきました。なんかまだ変われるような空白みたいなものがどっかあったような気がしていました。まだなんとなくですが、足場固めてふんばって生きていこうと思えるようになってきました。今頃?と言われそうですが、そんな自分が存在しています。

 昔、憧れた華の東京に行って、ホテルの窓から街を眺めて自分を観た時、何となくこんな事を考えていた私です。


白銀は招くよ(2/12)

 昨日、今年初めてスキーに行きました。場所は治部坂高原スキー場です。ここはとっても近く、アクセスがとっても簡単、しかも渋滞なんかしたことがありません。ここへやってくる人たちの大半は愛知、静岡の方が多く、アクセスも私たち岐阜の者からすると逆方向になるのです。ゆっくり行っても2時間かからない・・・とっても早く行けるスキー場です。ただ駐車場がゲレンデから遠くなってしまわないよう早い時間に到着しなくてはなりません。7時台には到着したいものです。

 昨日は、6時ころ出発、途中御嵩のサークルKで朝食、昼食を買って土岐ICから中央道を園原ICまで走り、そこから昼神温泉を途中通って20分くらいで到着します。ちょっと遅かったのか、1個下の駐車場に車は停める事を余儀なくされましたが、ロッジに通ずる道のすぐそばだったので、大して遠くはありませんでした。

 後ろで寝ている家族を起こします・・・「わぁ〜近いねぇ〜やっぱりここは!」と娘の声。「おいおい・・・寝とったからや・・・」と突っ込みを入れる心の声の私・・・。早速着替えて、ゲレンデへ・・・。天気は曇天。予報はなんと雨です。今回は甥っ子のひったも来ました。彼はボードです。よくわからない装備を手際よく準備してさっそうと滑っていきます。なんか長男がそれを見て次回はボードがやりたいそうです。

 私の使う板は今から20年位前のATOMICです。190cmなんて当時は普通の長さだったのですが、今は短いものが流行りだそうで・・・。形もよく観りゃかっちょいいですなぁ・・・。でも滑っている姿はみんな一緒ですよ。特別変わった滑り方しているわけじゃぁないし・・・。楽しけりゃええやんか!です。心配していた肩へも特別負担がかかることをしなければ、痛みが襲ってくることも無く、無事転ばずに過ごせました。よかったよかった・・・。

 子供たちは、昨年以上に面白みが分かってきたようで、何度もリフトに乗っては滑ってワイワイやっていました。アクシデントといえば、いち早く休んでいた家内の板が他人に間違われ、持っていかれたという事でしょうか。でも家内は22cmという子供のような靴のサイズなので、間違った人は履く事ができず無事!?還って来ました。よかったよかった・・・。ちなみに子供たちはでかいです。

 結局、昼ころになると予報どおり雨が降ってきてしまい、私たちは引き上げる事にしました。車に戻り簡単に昼食をとり、帰路につきました。途中の昼神温泉で湯船に浸かり体を暖めて、清内路峠を越え漬物を買って、ドライブをしながら戻って来ました。帰ってから夕食は派手にバ〜ンと食べまくり、満足の行く一日でした。なんか今回は日記になってしまいましたが、家族っていいなぁ・・・と、それが言いたかった訳です。

激痛(2/4)

 先日の節分でやっと私の後厄も終わりました・・・。それなりにいろいろあったような気もしますが、まぁボチボチ・・・かな!?といったところでしょうか・・・。1つ気になることは、「初老」という言葉です。初老・・・初めて老いる・・・ということですよね。老いちゃったのか!?と思いますが、その言葉に反抗する意識もあります。まだまだ・・・、と思ってはいるのですが、悔しいかな中3の息子といろいろやっては体力のなさを痛感させられます。走っては負け、飛んでは負け、なんやかんや・・・やっては己の衰えを感じさせてくれるやさしい!?息子です。

 実は、昨年夏の終わりくらいから、左肩が痛く成り出しました・・・。そうお察しの通り「四十肩」であります。初めは肩が疲れてなんとなく痛いかな?くらいの症状でした。それが10月になるとなかなか痛みが引かないことが起きて、11月には悲鳴を上げるほどに激痛に襲われるのです。仕事柄忙しくなってしまった私には、医者に行く時間もなく、時折悲鳴を上げながら仕事をしていました。普段はなんともなく、肩がある一定の領域を越えるとギャァァァァ〜ン!!!と痛みが襲い、その後、左腕は感覚が無くなり力が入らなくなるのです。回復するまで数秒・・・私は石と化すのです。

 明けて1月中旬、たまらず医者へ行きました。「四十肩ですね。」と思ったとおりのお言葉に苦笑い。何でも運動選手がよく痛めるような場所とか・・・。「野球やっていますか?」と聞かれました。いろいろ診てもらううちに「ひどいねぇ・・・痛いでしょう?全治1年!」と診断!「まぢ?????」と愕然と成りました。ストレッチは欠かさずに!お風呂上りに1,2,3,4・・・です。でも痛いのです。涙がチョチョ切れるのです。でも耐えるのです。ある程度動くようになります。しかし、次の朝、腕は元の状態に戻っています。服が着れない・・・のです。

 私、思いました。素直に老いを受け入れよう・・・と。必ず老いてくるのです。体をいたわろうと決めました。これは誰にでも起こる転機なのでしょう。誰に聞いても素直に、謙虚にこの事実を受け入れて行くみたいです。そのきっかけは人それぞれのようですが・・・。気持ちは若く、体はいたわり、ある日突然痛みは無くなる!と言ってくれた諸先輩の言葉を信じて、今宵も痛みと戦い枕を涙で濡らす私なのです・・・。


通学今昔物語(1/31)

 今日も朝から雪がちらついています。自分が子供の頃、朝目覚めると外が一面の銀世界だったりすると、心躍らせて銀世界の中へ一目散に飛び込んで行きました。一昨日夕方から降った雪は、十分すぎる積雪となって、私の子供達もあの頃の自分を写すかのように雪と戯れておりました。

 私の上二人の子供たちは、中学生です。自宅から学校までは約3kmくらいはあるのかな?ここを自転車で通学しています。私も今から30年くらい前に同様に同じ道を通いました。春、夏、秋、冬、雨の日も、雪の日も、朝夕と通いました。特別なことがない限り送り迎えをしてもらった事などなく、どんなに早くても、また遅くなっても、自転車で通いました。それが当たり前だと思っていました。今もそう思っています。

 しかし、今の当たり前はちょっと違っているようです。例えば一昨日の雪の朝は、我が子は当たり前のように「自転車では行けないから送っていって・・・」と成ってしまうのです。私のときは歩いて行きました。今よりずっと積雪が多く、もっと寒い日が多かったように感じます。いえ、きっとそうだったのでしょう。道路は凍結していて、転んだ事もあります。それが当たり前でした。でも今は違うのです。危ないのはダメなのです。たとえ凍結していなくても送ってしまうのです。親心と自分は違ってしまうのです。何てことでしょう・・・。そうやって子供の当たり前は違って作られてしまうのです。

 一番下の小学4年の娘の場合、雨の日の夕方の彼女・・・。下校時、靴下を脱いで帰ってきました。靴は濡れています。歩くたびに「くちょっ、くちょ・・・」と音がします。実に懐かしい音です。昔を思いっきり思い出させてくれる音です。小学校のころ、私の通った学校は子供たちが通う学校ではなく、ここから道のりで約2kmくらいはあるかと思います。今と違って道路にはたくさんの水溜りができます。長靴なんてかったるくて履きません。たくさんの水溜りは、子供心にどうかするとエキセントリックな場所へといざなってくれます。足を突っ込みます。「ピチャピチャ・・・」と波立てて見ます。あっという間に水溜りの世界の虜になります。それから数分後、足音は「くちょ、くちょ・・・」と鳴っています。

 足を意図的に水の中に入れる・・・。靴下が徐々に濡れて行く時は、子供心に気持ち悪かった思いがありますが、全部濡れてしまうとひんやりして逆に気持ち良いのです。しばらく「くちょ、くちょ・・・」と歩くと体温で靴の中は生ぬるくなります。するとまた水溜りに足を突っ込んで、新しい!?水を入れます。するとひんやりして、気持ち良いのです。これを繰り返しながら帰って行くのです。そして家に着いて、母に叱られるのです。きっと下の娘もこんな思いを楽しみながら帰って来たのでしょう・・・。今度聞いてみようかな?と思います。


スカイラインから(1/23)

 またまたニッサンが、中高年をくすぐる車を出しましたね。その名はスカイライン・・・。テレビCMにハコスカ・ケンメリを出したりして・・・そそりますね。最近の若者はどんなイメージを持って見ているのかわかりませんが、私たちよりちょっと年配の方なら、特にひきつけられるCMです。でもなんとなく先に出たフェアレディZに似てなくもないですよね。何でこうなっちゃうのでしょう?最近の車は、なんかどこか似てますよね。私のようなこんな商売やってますと、車種はとっても重要な判断情報だったりするんですが、エンブレム見ないとさっぱりわからない・・・。これではいかんのですけど・・・。

 デザインがコンピューターに頼る所が多くなったせいでしょうか?いろいろなデータを織り交ぜて形を作ると、どうしてもあんな形になってしまうのでしょうか?個性があるようでない。そんな車がいっぱいです。昔は人の感性に頼るところが多かったのでしょうね。頼らざるおえない・・・と言うほうが正しいのですけど。今の車も決して格好悪いというわけではありません。フェアレディZにしても、このスカイラインにしても魅力は十分に感じます。乗ってみたいと思います。

 今の車は、どんな車もある程度のレベルに達していますから、この車種はここが個性!と言うものが薄れてきてしまったのかもしれません。お客様の車をピットに入れるときに、いろいろ感じるのですが、一言でいうと乗りやすい。ポジションからステアリングの感触なんかしっかりしています。私の乗っているS30なんかはポジションはガサガサしていますし、ステアリングは細いですし、とても今の車には勝てません。しかし、ここが良かったりしますが・・・。これが個性のひとつなんですね。当時の他の車と比べても車種によって全然感触が違っていました。当然、のりやすい車もありましたし。今は軽に乗っていても車種によっては、豪華で乗っていて不安を感じません。軽トラだって立派なもんです。例えばドアを閉めます。昔なら「バッシャ〜ン!」といういかにも鉄板1枚の残響がしていましたが、今の音は「ガシャン!」としっかりした音に聞こえます。ヒンジの作り、室内の機密性など品質の進化を感じます。

 昔は、走る車にはこんなものはいらない。あれもこれもいらない。そんな個性がありました。フェアレディZに432という、スカイラインGTRと同じエンジンを持ったものがありましたが、そのさらに上の走りを追求したもので、432Rがありました。ラジオなんかいらない、灰皿もいらない、イグニッションは、私のS30では灰皿の場所に付いています。ボンネットがFRPだったり、わくわくするような魅力を放ち、万人を突き放すその個性、これを使用するものはただもんじゃ乗れネェ!!みたいな個性です。乗りにくいったらありゃしない・・・。乗ったことないけど・・・。そんな気がするのです。今はそんなこと許されません。全てを揃えたスポーツカーでないと乗れません。腕がないと乗れない時代は、過去のものなんでしょうね。今の車は誰が乗っても高性能・・・。それをなんだかんだ・・・と言ったこともありましたが、腕の良し悪しは、一般道に必要とされる意味合いが違います。

 それは安全第一!です。運転技術の未熟さを車がカバーする。そこがメーカーの技術を高めた要因だったのですが、止まる、走る、曲がる、思いどうりに車が走ってくれる。それは、誰が乗ってもいい車でした。でも今は、それでも事故を起こしたことを想定した技術が、売り物になっています。「ガシャ〜ン」とぶつかった映像を見せて安全性を謳っています。それと、忘れてはならないのが環境です。環境と技術の品質を考えない企業は、これからの21世紀に遅れをとります。ISO・・・取得。大企業はこぞって取得しています。近い将来、私たち小売店にもその波が静かに訪れようとしています。


テレビ(1/16)

 最近、テレビをよく観ます。バラエティが多くて、なんか高尚な番組だったらえばって語るのですが、わはははは・・・と笑っていたほうが楽しいですもんね。以前は「鉄腕ダッシュ」が好きで私の中のブームだったんですが、昨年秋からは「HR(ホーム・ルーム)」にはまっています。日本初のシュチュエイション・コメディー・・・という触れ込みで、何でも役者が数名、100名の観客を前にスタジオ内のセットの中で、どたばた劇を演ずるのです。吉本とはまた違ったコメディー・タッチになっています。1度ご覧ください。結構面白くて笑えますよ。毎週水曜日午後11時からの30分番組です。たまに出るホイさんが好きだったりします。

 あと、巷でも視聴率が高いのが、「プロジェクトX」・・・、「その時歴史が動いた」など、決まって観る訳ではないのですが結構好きで観ています。プロジェクトXのhpに、取り上げて欲しい人物として元HRCの尾熊さんを取り上げてやって!とメールしました。きっとそのうちやるんじゃぁないかな?と期待しています。でも、働きすぎを助長する番組だ!といった手厳しい意見もあの番組にはあるようですね。確かにあれは、結果「勝ち組」と言われる人たちの賞賛の番組でスモンね。同じ苦労をした人は世の中に五万と見えるんでしょうから・・・。でも人(特に男性)はこの番組を好みます。

 「その時・・・」などは、歴史のターニングポイントを、人物に宛てて番組が構成されているわけですが、なかなか民放では入り込めない場所、事柄を紹介してくれますね。さすが国営放送!!て感じです。受信料でまかなわれていますもんね。あったりまえですよね。NHKは決して民放のような番組は作りません。マイナーな分野の番組でもしっかり作ります。「打ち込め!青春!」てな番組が、あって・・・何かな?と思って観たら学生(中学?高校)である若者が対戦する囲碁の番組でした。あと、美術系の番組で絵画なんでしょうけど、裸婦を描く番組を観た事がありました。たまたまチャンネルをいじっていたら、教育チャンネルでやっていました・・・。思わず観ました・・・。

 バラエティに戻りますが、金曜日の「メントレG」もたまに観ます。以前から感じていた事ですが、後半の料理を紹介するころになると、赤色が妙に強調されてとっても不快になるのです。あれは赤と言う色が食欲をそそる色なので、紹介するお店を気遣って、番組側がえらく赤を強調しているのだと思います。確かにおいしそうだけど、ちょっと観ていて意識すると辛かったりします。でも、国分太一君のリアクションは、本当に食欲をそそる、とっても上手な顔をするのです。思わずお腹がグ〜・・・と鳴るのです。

 毎週割と努めて観る番組は、このくらいですが、その日その日で結構観ています。番組観たさに風呂に入る時間が、前後して・・・。時には12時になっちゃう事もあります。そんな時は、忍者のように忍んで入るのです。お風呂場の近くには、おおばぁちゃんが寝ているのです。結構気を使って入っているのですが、バシャバシャやってても文句を言われたことがないのですが・・・。心配して部屋を覗くと、スースーよく寝ていたりしてとり越し苦労だったりします。今日木曜日は、何も楽しみな番組がないので、ウィーキングでもして、音楽でも聴こうかな?と思います。


モモ(1/9)

 このコラムに載せる話題ではないのかもしれませんが、私にとって大きな出来事でしたので載せる愚行をお許しください。

 今日の午後1時頃、我が家に14〜15年という長い間いた愛犬モモ(雌)が死んでしまいました。死因は肺水腫と言います。よく分かりませんがその名の通り、肺に水がたまって呼吸困難になり、苦しんで死にました。最後は血を吐いて死んだそうです。

 モモは、子犬として我が家にやってきたのではありません。以前飼っていた犬が木曽川沿いでいなくなってしまいました。一生懸命探したのですがその犬は結局見つかる事はありませんでした。しかし、保健所につかまっているかもしれないと、私と姉は保健所を尋ねてみると、そこに職員の方によって手厚く命乞いを受けて飼われていた犬がいました。異例のことだそうです。手を差し出すとすごく愛想の良い犬で、頭ををなでていると、職員の方が「飼ってくださる方を探しています。飼ってくれませんか?」とのこと・・・。私と姉は母がその気になれば・・・と今度は、母と私でこの犬を見に行きました。するとこの犬は人なつっこくしっぽを振って母に寄ってきました。母はもうたまらず、「家で飼います!」と即断即決です。早速、2人でこの犬を連れて帰りました。それがモモでした。モモの世話は母の仕事となりました。

 モモは最初、庭にて犬小屋を与えられて飼われました。鎖でつながれることなく、元気に庭を走りまわっていました。そして、そのまま7〜8年が経ちました。すると我が家は国道の拡幅工事に伴い移転取り壊しをしなくてはならなくなったのです。その話がまとまってまもなく、住んでいた家が壊される1ヶ月程前から、モモは[どうせ壊される家なら・・・」と、家の中で寝食をする犬へと出世しました。さらに、我が家が新築!?(倉庫を改装して家にしました。)され、今までの家が取り壊しのおこなわれる数日は、この古い家一軒がモモの家となったのです。なんてことでしょう・・・。でもこれがモモにとって家の中で暮らす座敷犬のきっかけになってしまったのです。きっかけとしてはあまりにも・・・あきれ返ってしまうお話ですが・・・。事実なのです。

 数日の後、古い家は取り壊され、ここに今の店が建ちました。家を替わったモモは、当初、新居の玄関で飼われましたがどうかすると知らないうちに、玄関ではなく家の中に上がりこんで寝ているのです。母や家のものが何度も下で寝るように諭すのですが、結局人間のほうが根負けして、モモは遂に玄関のすぐ上がり口で寝食する権利を勝ち取ったのです。するとどうでしょう、我々が食事をするために、玄関からお勝手に行く後ろをついてくるようになり、モモは家の中へもドンドン行動範囲を広げ、とうとうリビングで寝食をする犬へと出世したのです。おいおい・・・。

 さらに驚く事に、畳の部屋には決して入ることを許されなかったはずなのに、気づいたら知らないうちに、モモはなんと仏間の・・・しかも仏壇の前の座布団で寝るという・・・まさに犬太閤記をやってのけたのです。保健所に預けられ処分される運命にあったこの犬が、私どもと出会い、新築!?の仏壇の座布団の上で眠るという出世振り・・・。まさに秀吉のような一生を送りました。モモは、決して鎖でつながれることなく、それでいて噛み付く事もなく、愛想のいい可愛い犬でした。ひところは店の中でも飼われていて、たくさんのお客様に可愛がってもらったほどです。そのモモが今日死にました。母がとっても可愛がっていたモモが死んでしまいました。母の落胆した姿は見ていてつらいものがあります。母だけではありません。この私も、家内も、父も、そして子供たちも涙を流しました。本当に本当に可愛いモモでした。死んだなんてうそのようです。まだリビングの片隅にドテっと寝転んでいるようです。最近では家の中で寝てばっかりの老犬でしたが、母を始め家族全員がモモによって癒されていました。モモも大切な役割を持った私たちの大切な家族だったのです。モモ本当にありがとう。安らかに眠ってください。


謹賀新年(1/1)

 みなさんあけましておめでとうございます。本年もこの「広乃詩人の栞」を続けられるよう頑張ります。どうぞ適当にご愛読くだされば幸いです・・・。さて、皆さんはお正月をどのように過ごしているのでしょうね。ゆっくりしたいのが当然の気持ちですよね。もちろん私もそうです。そこで家内が、突然カラオケのおもちゃ!?「カラオケステ―ション」なるものを買ってきました。なんとPCのネットでお好みの曲をダウンロード(1曲¥125、10曲で¥1.000というしたたかな手口!?にてお好みの曲をゲット!)してこのマイク型したカラオケステーションなるものをピンジャックにてお茶の間のTVのビデオ入力に接続、するとカラオケ屋さん顔負けの機能で気持ちよく歌えるのです。

 キーを合わせたり、声を変えたり、ハモッたり・・・なんと得点まで出るという優れもの・・・。50曲を蓄えることのできるもので、なかなか飽きるまでたっぷり遊べそうです。我が家にはYAMAHAのお茶の間シアターなるものがありまして、ここを使用すればもう臨場感溢れるカラオケが楽しめるのであります。ただ、画像は静止画でちょっと歌とは無関係だったりで今ひとつ・・・技術の更なる進歩が望まれるところです。本体は電池にて稼動・・・。

 娘に至っては、1人で歌いつづける事延々・・・。今のところ20曲しか入っていませんが、同じ局を珍しさも手伝ってか何度も歌っておりました。TVのあるところなら、どこでもいつでも歌えるのが良いですね。車中のTVでもできちゃったりするから、この娘の独壇場となり延々と聞かされるはめになるかもしれない・・・。今のところ訳のわかった歌しか入力されていないから大丈夫だけど・・・。明日の初詣の車中が心配だなぁ・・・。

 さぁ新年のはじまりです。今年も一生懸命このコラムを気取らずに思ったままを書いて行きたいと思っています。背伸びをしないであるときは主観的に、あるときは客観的に物事を感じるままに・・・。文章の構成が、ちったぁおかしくてもたたみこむ勢いで頑張っていきます。改めて読んでくださる方がいてもいなくても載せていきますので、今年もどうかよろしくお願いいたします。


ハリー・ポッター(12/25)

 先日の22日日曜日、約1ヶ月ぶりの休みでした。毎年この時期はこんなもんです。そこで昼まで寝ようと決め込んでいたのですが、なんとなく家族が「どこ行く?何する?」とわさわさ・・・。思わず「ハリー・ポッター観に行こう!」と言ってしまいました。

 子供たちは「日本語吹き替え版でなきゃいやだ!」と言うものだから、上映時間を調べてみると小牧コロナで朝の8時45分からと9時からの上映開始時刻になっていました。さすが人気の映画です2箇所でやってくれてます。巷は3連休だと!?こちとらやっとかめのやすみやわ!!よそのお子ちゃま等で混んで大変なことにならぬよう朝1番の上映を観よう!ということになって、6時半起床!(超眠い!!)7時半出発!途中マックでドライブスルーしちゃって朝食。8時15分に到着。でも8時45分(シネマ1)はすでに空席がわずか・・・。こちらは5人家族の団体さん。並んで観る事もできんげな・・・。ばらばらは避けたいので9時(シネマ2)の上映に変更。それでも5人が一列に並ぶには最前列しかないほどの人気映画・・・。というより2人とか3人とかで来ている方がほとんど・・・。チケット売るほうも良い席から並べていくし、その間隔を2つくらい空けてしまうようで団体さんは最前列なんてことになってしまうわけです・・・。

 そこで私は一列に並んでも結局、端と端に離れてしまうし、お菓子の移動も大変。なら前後で2人と3人に固まって席を探してもらったら、ちゃんとありました。しかも通路が近い場所です。「さぁお菓子を・・・、ジュースを・・・」と行動を起こそうとしましたが今回は飲み物のみにしました。今まで正月休みなどにここで映画を観てきましたが、過去上映時間を待っているロビーでコーラをぶちあけるは、ポップコーンを大量にぶち蒔くは・・・散々な経験があります。しかもそこは大勢の人、人、人・・・。つめたーい視線を浴びました・・・。

 映画は9時に始まり物語は進んでいきます。私が言うのも何ですが、この主人公のハリー・ポッター役のダニエルなんちゃら君が息子になんとなく似ているのです。顔かな?しぐさかな?はっきりしませんがなんとなくです・・・。ですから、映画の中のハリーが両親を失いおばさん方の家に預けられ、したげられて寂しそうに暮らしているのを観ているうちにハリーに情愛を感じてしまうのです。もっとも当の息子は「どひゃどひゃどひゃ〜」と笑いながら楽しそうに観ていてそんな私の思いを打ち消して、複雑なものにしてくれます・・・。

 今年の正月に観た、「ハリー・ポッターと賢者の石」は理解するまで時間を要しました。「はりいぽったぁとけんちゃんの石」なのです。それは冗談としても、なかなか登場人物、街、クラスの名前が覚えられません。物語はあっちこっちに話が絡んでいますので「????」の連続です。おじさんの仲間入りなんですかねぇ・・・。そうならないように必死になんとか覚えようとするんですが・・・ポロポロ落ちこぼれていきます。やっと今回の「ハリー・ポッターと秘密の部屋」を見てポッターの友達である2人がロンとハーマイオニーと言う事を覚えました・・・。

 しかし子供というものはこういった興味のあることについては実に染み入るように記憶していきます。実に驚かされます。私が記憶した横文字どころか何もかも知っています。ほうきのなんちゃら2000という名前まで知っていました。息子に至っては小説で読んでいて
「あのシーンがどうやって映像で観られるか楽しみだった・・・」なんて小生意気なことをノタマウノデありました。本当に、子供たちは何でも好きなことならば染み込むように吸収できるすごい才能を持っているんだなぁ・・・と、若いという事はすごい事です。

 しかし、同年代の家内は前回作をろくすぽ観ないで、続編を観てしまった悲しい人なのです・・・。理解できているのでしょうかねぇ!?


「働かんかい!!」(12/15)

 さすがに12月は、私の店でも忙しいです。先日の雪で「タイヤ屋どっと混む」になりました。おかげさまです。ありがとうございます。でも冬はやっぱり寒くなくてはいけません。夏が非常に暑いのもいけません。やっぱり地球の異常さを気にしている私なのです。

 そんな事は(そんな事なんて軽く言ってはあきませんが・・・)こちらにおいといて、昨日14日の土曜日、次女絵美子の投稿したメールが「財津和夫の人生ゲーム21」で読まれるという我が家にとってはちょっとした事件があり、ちょっとした騒ぎになりました。時は土曜・・・この時期の我が店は非常に忙しい・・・お客さんもたくさん来てくださいます。しかし、それを見越した私は、いつもなら店内のBGMはFMを流しているところ、AMに切り替え用意周到に午後1時を待っていました。

 しかし、当店の事務所なるところではこの放送はあまり聞こえません・・・。わがままな母が「ここで聞きたい・・・」と寸前にのたまうものだから、私はラジカセをちゃっと持ってきて事務所の母の机のそばに置きました・・・。さぁ午後1時です。もちろん家のMDカセットデッキは録音状態・・・忙しくても後でゆっくり聞けます。準備はばっちりです。時報とともに番組は始まりました。私はそのちょと前に来店されたお客さまと商談中です。ひとりあくせく働いていると・・・なんとその事務所のラジカセに群がる数名の身内・・・次女絵美子、母、嫁さん、長男、そして父まで・・・。その絵はまるでTVで見たことのある昭和初期の某国営放送開始当時、ラジオに聞き耳を立てる家族そのものでした・・・。「こらこら、働かんかい!!」

 お客様も「????」状態です。「なにやってんの?」です。そこで説明すると「おぉそれはすごい!」と聞き耳を立てて一緒に聞くありさまです。番組は公開録音での番組だったため財津和夫も絵美子のメールに軽く突っ込みを入れながら楽しく読んでくれました。場内はそのたび笑い声が・・・。当の絵美子は放送を聞きながらちょっとテレ笑いを浮かべニコニコしながら聞いていました。私は後ほど聞きましたが、ちょうど1年前に私のメールが読まれたときは誰もこんな風にちょっとした事件になることもなく「あぁそう・・・」で終わってしまいました。その事を考えると子供が起こす事件は、いい事も悪い事も回りを巻き込んでしまうものだと改めて思いました。

 こんな事がきっかけでこの次女が刺激を受けたことは確かです。自分の書いた文章が日本全国に流れてしまったわけですから・・・。物を書く・・・と言う事に楽しさを見出してくれればこれはこれでよかったのではないかと感じるのです。決して起承転結のある文章ではありませんが、物事の成り立ちは結構こんなことがきっかけになってたりするんじゃないかと同時に思うのです。今後人に迷惑のかからないことであればどんどんやって欲しいと願う親心なのです・・・。


ゴルフ(12/1)

 最近ゴルフをする事があまりありません。一頃はとってもやりたくてやりたくて平日仲間をさっそては出かけていました。コンペなんかにも良く出かけて行きましたが、最近では景気の不調の波を受けてかコンペ自体があまり行われていないようです。大好きな芹沢信雄プロが活躍している頃(今も大好きなんですが・・・予選落ちが目立ってきましたね。)、意識しながらクラブ・服装など揃えてみたり、TV番組を録画して何度も見たり、教則本も買い込み、やたらミーハーしていた頃でした。いろんな方のレッスン書なんかを読みあさると、結果理論はいいのですが、その人それぞれの感覚の話になるとばらばらになってしまって困惑してしまうのが落ちです。ですから一切芹沢プロ以外のものを受け入れず、打ちかたなどもイメージして真似たものです。決して似ていませんが・・・。一度だけ芹沢プロ本人を見たことがあります。サインをもらう幸運(そんなに難しいことではないのかもしれませんが・・・。)に出くわしました。そのときの話を少し。

 時は1996年11月初旬!?だったと思います。東海クラッシックなる大会が三好カントリークラブで行われていました。大会二日目に出かけて行きました。なぜかといいますと男子プロの場合、大会は4日間、予選ラウンドが前半2日間、決勝が後半の2日間。大会二日目はいわゆる予選ラウンド、つまり予選落ちしてしまったら見たくても見れない訳です。芹沢プロが予選ラウンドのスタート時間が7時チョイ過ぎ!?だったかでめちゃくちゃ早いわけです。ゴルフは早朝からやるもんです!で、私が会場に着いたのが10時くらいで、もう芹沢プロは#16から#17ホールをプレー中とのこと、結局芹沢プロが見たい私は#18のセカンド地点で待つ事にしました。

 尾崎建夫プロなんかと確かいっしょの組で回って来ました。ドライバーの飛距離ではやっぱり一番先にセカンドを打たねばならないほど飛ばないのです。それゆえにアマチュアの手本になる所以なのですが、彼は小技が上手いのです。ですから長年トッププロとして活躍してきたわけです。だからかっちょいいのです。初めて私の目に憧れの彼が飛び込んできた時は「頑張れ!芹沢!」と心の中で叫びました。決して声を荒げて叫んではいけないのです。それがゴルフの観戦マナーなのです。無骨な者は2打罰!退場なのです。

 結局2オン2パットだったかのパーでホールアウトで決勝に進み、彼はすたすたとクラブハウスへ・・・グリーンとクラブハウスは道一本はさんですぐなのでサインをいただくなんざぁなかなか難しいかな?と思える状況・・・。事前に私はサインペンを持つ事もなくサインを貰おう!としていた訳で、サインペンを見知らぬ方にお借りしようと目論んでいました。前後しますがプロがホールアウトする頃、あるスーツ姿の紳士が写真を持って見えたのが眼に入りました。そこにはその紳士と芹沢プロが写っていて、どうやらその紳士はプロにサインをいただこうとしているのだ!と言う事が想像できたわけです。「よし、この人にペンを借りよう!」と決めました。ホールアウトした人からアテストを済ませ、クラブハウスへ通ずる通路は1箇所です。そこで待てばお目当てのプロが目の前を通り過ぎる際、サインなり写真なりをお願いできるわけです。わずかな空間はお目当てのプロを待つ人でいっぱいです。

 芹沢プロがホールアウトし、アテスト終了後同組で回った他のプロたちはこの通路を通って行きます。でも芹沢プロを見失ってしまい、私の隣りのその紳士(私がその紳士の隣りにいる必要があるんだけど・・・)も見失っている様子・・・。キョロキョロすると、なんと芹沢プロは人垣を避けるように植え込みをまたいでサッとクラブハウスへ消えてしまったのです。「しまった!」と思った私は追いかけようとしましたが、紳士が気づいていない事を知り思わず「芹沢さんあっちへいきましたよ」と話し掛けると、その紳士、慌てて私が指差す芹沢プロが消えた方へ小走りで行きました。私もついてけぇ〜!と後を追いかけました。するとクラブハウスはガードマンがいてとおせんぼです。しかしスーツ姿の場に似合わないその紳士が「中へ入りたい」と言うとガードマンのおにいちゃんっは、なんと「どうぞ」と言って通してくれました。続いて私も仲間です・・・と言ったそぶりを見せて一緒に入っていきました。

 でも芹沢プロはどこにもいません・・・。あたりを見渡すとプロはシューズをクリーニングしていました。私はこの紳士とともにいなくてはなりません。紳士は芹沢プロの姿が見つけられないようです。私は芹沢プロに背後からせまり、やおら「芹沢さん!サインいただけますか?」と強引に迫り、振り向いてくれた芹沢プロは「いいですよ」とさわやかな顔をして、手招きをする私のほうにやって来ました。紳士に私はサインペンお借りできませんでしょうか?と問うと「いいですよ」と快諾。紳士は私に「ありがとう」と言って写真を差し出してポケットからサインペンを出しました。すると紳士が手にしているサインペンはなんと「白」・・・・。ガ〜ン!あっちゃぁ〜・・・・なのです。でもここまで来て無駄にはできません。私はサインを書いてもらおうとしたボールをあきらめ、かぶっていたパーリーゲイツのキャップ(御殿場の芹沢プロの店で買ったんです!!でも薄い青なんです・・・)を差し出し、プロは「う〜ん?これでも書けるかなぁ?」と言いながら一瞬悩まれたようでしたが、サッサッサ〜と書いて下さいました。読めます!大丈夫です!「あ・り・が・と・う・ごしゃいまふ・・・、ぎゃんばってくららい」としどろもどろにお礼を言うと私に片手を上げて「ありがとう!」と言ってプロはかっちょよくクラブハウスへ消えて行きました。いまでもその帽子は私の宝物としてしまってあります。

 ところでその紳士、妙に親切なやつだなぁ?ときっと思いながらいたのでしょうね。でもちょっとずうずうしく付いて来るし・・・、結局サインペンが目当てなのか!と分かって、苦笑されたのでしょうね。お礼もろくに言わずに申し訳ありませんでした。どっかのおぢさん!本当にありがとう!白いサインペンは薄い青地に書くとねずみ色になってちょっと変です。



昨日と今日(11/25)

 釣りをする時に、私はすごーく面倒くさがりやなので労力を非常に節約しようと考えてしまいます。そのせいで最初にとる行動は早いです。水辺に糸をたらすまでは実にサッと行います。でも結局釣れるには至りません。仕方ないのでそれからあれこれ細工を施します。ウキ下を合わせてみたり、おもりを換えてみたり、餌を変えてみたり、場所を変えてみたり・・・いろいろやっているうちに釣れないことになって止めてしまった・・・・、なんてことがよくあります。時期的にもう遅いわけで、名人級ならば獲物、場所、方法を熟知してその手腕で釣ることもできるのでしょうが、暇つぶし程度でやってる私には時期外れ以外の何物でもなかったわけです。

 しかし、自然の中でじっとしている事は決してストレスの溜まる事ではないようです。空気の良い事はもちろんですが、人気のない場所での自然の音を聞く・・・。カサカサっと枯れ葉が落ちて水面に落ちていく音、どんぐりなどの木の実がポチャン!と音をたてます。ドキっとして時折頭上を見上げたりします。魚のはねる音、風が木々を切って吹く音、またカサカサっと枯れ葉が落ちていく・・・・。訳のわからない鳥の鳴き声には流石にびっくりしました・・・。人は決して一人では生きていけませんが、ごくたまにこうして隔絶された時間を持つ事は精神衛生上大切なんでしょうね。魚が釣れてくれればもっと良かったのでしょうが・・・。

 最近左肩が痛くって仕様がないのです。俗に言う四十肩だと思っていたのですが、今日接骨院にて診てもらったら「これは違います。」と言われて少しホッとしました。ちっとも安心した事じゃないんだけど・・・・。何とか筋が炎症を起こしていて、原因は疲労から来るものだとか・・・?要は若い頃にはこんな事はなかったんだけれど、歳とって来ちゃったという証ですね。はっきり言って!ゴルフのスイングなんかできない!普段は痛くないんだけどどうかすると飛び上がるほど痛い!上着を着るとき脱ぐ時そ〜っとやらないとやばい!寝てて寝返りを打ったときにこの痛みが来たりなんかすると痛みで目が覚める・・・。早く治って欲しいなぁ・・・です。電気ビリビリ〜やって、マッサージを受けて(これが涙出るくらい痛い!)、消炎剤を貼っています。ふと治療を受けているご婦人を見るとなんとそこには姉がいたりして、おまけに隣りのベッドには甥っ子が寝ている・・・。おいおい・・・。さて、誰が一番早く治るかな〜・・・・です。

ライブ・アクト・チューリップ(11/18)

 今日はめったにできないゴルフの話を・・・と思ったのですが、16日やっぱり無理して行ってしまいましたチューリップ!!の話を・・・。瀬戸へはあまり行った事がなくてちょっと不安でした・・・(道順ではなくて時間です)。ナビで見ると、思ったより近くて「こりゃぁ大丈夫だ!」と思ってでかけて行きました。開演は18:30です。意気揚揚とR248を走り、多治見から瀬戸へ入るまでは順調順調!!!ラッキー!!と思いきや・・・いきなり渋滞・・・。「まぁええわ、時間もあるこっちゃしぃ〜」と思って余裕をかましていたのですが、そのうちトイレに行きたくなりまして・・・人としてこれはさけては通れない事でして・・・、皆さんも一度や二度はおありではないかと・・・思います。なかなか渋滞は解決しません。結論から言いますと残り4Kmを残して最後まで渋滞しまくったのであります。瀬戸は渋滞の街なのであります。石川秀美のふるさとだったりもします。

 4kmをだらだら進むと実に30分はかかります。その間に私は皆さんもお分かりいただけるあの感覚と戦っていたのであります。冷や汗とも脂汗ともつかない妙な汗をたらしながら残り800mと言うところで、ふと反対側を見ると公園があるではないですか!!!!!!!「よっしゃぁ〜!!!!!」の叫び声とともにハンドルを右に切って車線を替え公園内は駐車禁止の立て札もなんのその・・・(そのときは分かりませんで後から分かりました)、開放感にひたったのでありましたぁ〜・・・。あ〜よかった。

 時間は30分余裕を持って無事!?到着、開場を待って席に・・・チケットにはカ列とあります。50音順と言う事で数えると6列目ではないか!近い!!!のであります。強烈に近いのであります。若干右側の席とはいえギターの安部俊幸氏が多分目の前なのであります。コーフン!!興奮!!大興奮!!!!なのであります。しかし、こちらの静かなる武者震いとは裏腹に、私の周りには追っかけとおぼしきご婦人達が大挙集合して見えるのであります。冷静になった私はこれからの数時間はどうなっちゃうのであろう?という若干の不安を覚えながら開演を待つのでありました。

 予定を若干過ぎて場内は暗くなり、メンバーが登場!思ったとおり安部氏はすぐ目の前です。財津氏は中央に陣取ってリッケンバッカーのエレキをお持ちに成っておるのでございます。大好きな上田さんは財津氏のすぐ後ろ、動きがよくわかります。ラストで「スティックこちらに投げてぇ〜」と叫べば聞こえる距離です。双眼鏡で眺めれば、そりゃぁお顔のしわまでしっかり見えちゃう距離だったりします。安部さんはいつもの335ではなくデビュー当時の!?SGを使っています。なんでもなかなか言う事を効かないSGだと何かの本で昔読んだ記憶があります。どうなのでしょうね?

 そうそう周りのご婦人もさすがお御歳を召しているだけあって大人であったりするのです。静かにご覧になっているのであります。見方を心得ているのであります。間がよかったりするのであります。「財津さぁ〜ん!」「安部さぁ〜ん!」「姫野さぁ〜ん!」と実にお声を架ける間がよいのであります。感心してしまう私なのです・・・。しかし、上田さんに声を架ける輩がいないのにはちょっと・・・。相変わらずパワフルなドラミングであります。ようもまぁあんなに動けるもんだと思えるもんです。そう言えば昔から体を鍛えておいでになっていて今でもジョギングは欠かさないそうでドラムの練習がてら筋トレも兼ねているとか・・・。私もドラムを止めたとたん太ってしまったから実にうなずける話だったりするわけです。

 コンサートも佳境をむかえ場内総立ちになり、大盛り上がりです。みんなトランス状態です。もちろん私も同様です。羞恥心を持って冷静に見ることはタブーです。バカに成りきって 正解なのです。拳を上げて叫ぶように歌うのであります。それがこういったコンサートの見方なのです。場をわきまえた参加するコンサートなのです。楽しまなくちゃいけないのです。汗をかいても良いのです。外は寒くても中は熱いのであります。周りのご婦人たちもご機嫌なのであります。ラストに上田さんスティックをやっぱり後ろへ投げてしまいまして・・・、残念でした。しかし「上田さ〜ん!」と私叫んでおりました。チューリップでドラムをたたく彼が一番カッコウよろしいなぁ・・・・。実に満足のいくライブ・アクト・チューリップでした。

 そうそう行きの道中での非常事態の折、立ち寄ったとあるヤマザキのコンビニでトイレを借りようと思ったら「今壊れてて使えません!」というなんとも冷たい店員の声!いかにも家族でやっていそうなコンビニで、そのおっかぁとむすめと言った布陣でありました。「やい!本当に壊れていたのか!」と言いたくなる口調だったのであります。使われたくない!「うちはトイレは見ず知らずの者に使われたくないのでございますのよ!」とでも敵は言いたげな感じで嫌な奴等だったのであります。「2度と行かんぞ!」と思っちゃうのでありました。人には親切に致しましょう!情けは人のためならず・・・、ですね。

 


タイヤ屋どっと混む!(11/10)

 前回秋の夜長・・・なんて載せたのにどうですか!この寒さは・・・。いきなり冬になってしまったじゃぁないですか!おかげで仕事はばたついて嬉しいは、風邪ひいてえらいは(えらいとはしんどいいということです。)、身辺がわさわさしています。北の空を見ると、ちょうど青空と冬の寒さを思わせる雪を含んだような重い雲の境が見て取れます。はっきりとした青と灰色の雲はサーッと定規で線を引いたように見事にその境を分けています。聞けばやはり北の場所では、雪が11月だと言うのに降っているようです。例年に比べて1ヶ月ほど早く冬になってしまいました。秋はどこへ行ってしまったのでしょう?

 寒気は一時的なものと思っているのですが、なかなか秋の陽気に戻る気配がありません。雨が降ればサッと寒気が下りてきて雪を降らせています。風邪もひくわさぁ〜・・・。おかげさまで仕事のほうは例年よりやっぱり早く、愛車の脚元の装いが冬へと移行し始めまして、結構な賑わいを見せています。本当、タイヤ屋どっと混む!です。お客様の声を聞くとお住まいが、ここから約40分〜1時間ほどで行ける距離の方がほとんどで、聞けばもう雪がちらちらしてしまって慌ててご来店された・・・と言ったお話でした。
 
 しかし、ご来店は全く持って有りがたい事なのですが、いかんせん十分な商品の取り揃えができないまま需要の波が有っても供給できない不手際が起こっています。11月なのに欠品をおこしてしまった商品もあったりして、かつてない状況です。物が間に合わない状態がこの業界では起こっているようです。幸い、私の店では各商品を早い時期に揃えて置きましたので今のところは大丈夫です。メーカーに聞けば納品ができていないショップもあるとかで苦情がきているとの事・・・。メーカーにはうちを優先してくれたのかな?感謝しなくてはいけませんね。

 11月の8.9.10日の3日間はタイヤマンフェアということで、ちょうどこの寒気とあいまって早期予約どころか装着、お買い上げいただいて感謝しています。我々の業界は季節労働者とか言ってからかわれるほど夏と冬の需要の差が激しく、また必要とされるまさにそのときに提供しませんといけないものですから、大変あわただしくなります。働いている私も含めて心亡くすまさに忙しい・・・そんな状態です。でも余裕を持って作業は安全第一で、心ここにあってお客様に接したいものだと思います。今このときこそ商いの心得を実践する好機です。日々勉強です。


秋の夜長に・・・(11/3)

 先日買った本2冊上下巻、秋の夜長に読書です。でも秋だろうと冬だろうと春だろうと夏だろうと決して夜は長くはないのです。日が沈んで日が昇るまでの時間は1年の間では変化しますが、そんな中で人は一日を繰り返します。特に時計のなかった昔はそれが生きる作業のバロメーターで当たり前だったでしょうし、今のように忙しく追われながら時を感じる事もあまりなかった時代(私が小さかった頃)なんかも、そうでしたでしょうし・・・。でも今は暗かろうが明るかろうが働いている人はいっぱいいます。忙しいのです。秋だって夜は短いのです。

 そんな事はどうでもよく、やっぱり秋の夜長は大切なのです。私は本を読みあさっています。子供の頃は読書は全くしないお子ちゃまでした。今も決して読んでいるとは思いませんが、読みたいと思うことが子供の頃より増えました。それは確かです。話を戻しますが決して読んでいる本が文学ではない事だけは間違いありません。やっぱりダメな大お子ちゃま!?なのであります。

 前振りがとっても長くなりましたが、昨日読み終えた本は富樫ヨーコ女史の「ホンダ・・・・」何だっけ?忘れました。とにかくホンダの二輪オートバイレースへ架ける男達の生き様を書いた本です。70年後半から80年前半にレースへの飽くなき挑戦を繰り返した男達の内容です。NR500という4ストロークエンジンで、ライバルメーカーが2ストロークで戦う時代に果敢に開発挑戦を始めたホンダマンたちです。人の真似はしたくないのが最高顧問本田宗一郎の精神でした。それはホンダそのものの哲学であり技術者を動かす動機そのものだったわけです。こんな有名な話は皆さんご存知でしょうからボロが出ないうちに私も止めておきます。

 NRについては勝手に皆さんお調べください。インターネットでNR500と検索すれば出てくると思います。とにかく誰もやった事がない技術を持って勝負の世界で格闘するわけです。いつか勝てる!そう信じながら飽くなき挑戦は繰り返されます。そんなこんなで83年ホンダはNS500(これが2ストローク)というマシンを作り世界チャンピオンを獲得するのです。結果は興味のあるかたなら読む前からわかっている事ですからさほど重要ではありません・・・、私もそうです。その間に繰り広げられる人間模様に心を動かされるのです。

 誰がいて誰がどうなったとかここで紹介することはとてもできません。主人公がいるのですが誰なのか特定はできません。でもそんな大それた事をしていた人の一人に元HRCの副社長をされていた尾熊さんと言う方がみえます。実はこの本を読む前に先月各務原のレノンの船渡さんから電話をいただき「尾熊さんが見えるんだよ!おいで。」誘われてしまったのです。何でもレノンさんのhpを尾熊さんが拝見して共感を覚えメールが来た事に端を発します。「一度機会あればお邪魔します・・・」と言った内容も含んで・・・。

 嬉しさと驚きを押さえきれない船渡さんは、私のところにメールをくださいました。「ほんとに来ちゃったらどうしよう・・・?」と船渡さんにしては珍しくちょっと動揺してました。まぁ当たり前ですけどね。なんてったって雲の上のような世界で生きていた方と接点を持つなんてことは、そうそうあるこっちゃないですしね。私だってもっとドキドキしますよ・・・。どうしようかぁ?とおろおろするでしょうね。

 そんなこんなでその日がやってきてしまったのです。レノンさんの工場にてごく数人が集まり、市販のNR750に乗った尾熊さんにはじめてお会いしました。紛れもなくあのHRCの総監督をしていた、ビデオなんかで本なんかで見たあの尾熊さんがそこにいます。私は「こんにちは〜」と言って、よせばいいのに下世話な質問をしてしまいました。「尾熊さんでしたらこのNRは少しは安く買えるんですか?」・・・少しの沈黙の後「いや、そんな事は有ってはならないけど・・・」と言った説明の後「少しはね」と結んでお答えくださいました。ちょっと愚問をいきなりしてしまった私は反省・・・。いきなりの2打罰です。

 開発されてきた方々のその労力と時間を考えれば、この市販NRは高価なバイクになったいきさつがわかります。突飛もない500万もする価格は他を圧倒しています。でもそこにはそうなる理由が必ずあるはずです。材質や開発にかかった費用や時間、労力・・・でもそこにはこんなバイクにあえてしたこだわりのような物を感じました。NRは尾熊さんにとって尾熊さんの生きてきた軌跡や結晶のようなものなのではないでしょうか。5、6時間くらいを楽しく過ごさせていただいて、尾熊さんからいろんなお話を聞かさせていただきました。屈託のない優しい人でした。WGPのライダーの事、開発をしてきたオートバイの事、本田宗一郎の事、私たちにとって夢のような時間でした。

 その出会いがあった後に手にしたこの2冊の本を読んでみると、尾熊さんがお話してくれた根底にある心が思い出しながら違った形を帯びて思い出されます。だから本当にあの質問は失礼な2打罰よりも失格するほど失礼な質問だったわけです。すいませんでした・・・。m(_ _)m     でも尾熊さん覚えちゃいないでしょうね!?  また遊びに来てくださいね。今度はもっと突っ込んだお話を聞かせていただきますんで・・・。寒くなります。くれぐれもお体大切に・・・。

チューリップ(10/28)

 行ってきました・・・。チューリップ!!聴いてきましたぁ〜!!!やっぱいいわぁ〜・・・。前回聴いたのは8/22でした。ミュージカルの後のカーテンコールのあと緞帳のむこうから現れた彼らだったのですが、やっぱり彼らのためのステージはコンサートですよ、やっぱり!今回は初めて行く人ばかりと行きました。お向かいのTさん、大御所、サッカーに連れて行ってくれた幼なじみのもっちゃん、それとマイケル一座の計10名の大所帯。みんなそれぞれどんな思いをして見たのでしょう?

 相変わらず財津和夫氏は「歳」とったことをMCの話題にしておりました。演奏は相変わらず上手!歌も上手!コーラスも上手!照明さんも頑張っていました。でもここんとこ’97の活動からいつも思うこと、ハウリングが聴いててとっても気になるのです。「キ〜ン・・・キ〜ン!!」いただけません。思わず2打罰です。「またか・・・・」と思っちゃいました。

 ステージは'97年は立派なものがこさえてあって「おぉ〜っ!」と思いましたが、前回、今回も質素なステージです。ビジュアル的にもう少しこっててもよかったかな?と感じたりする私だったりするわけです。だってね、2年前小田和正観たときすごかったもんね。そしてその数日後チューリップ観たら質素だった・・・。まぁくやしいけど奴は売れてる・・・。しゃぁないか・・・。お金かかるからね・・・。比べてはいけないことにしよう・・・。

 いつからかチューリップは本当に聴かせるバンドになったね。上手だった。PAの方がもう少しバランスよくやってくれたら良かったのになぁ・・・。尾を引くなぁ・・・。上田さん頑張ってました!かっこよかったね。52歳のじじいになっても相変わらずパワフルです。バスドラが小さいの使っているなぁと思いました。財津氏のソロコンサートでたたいてたドラムと一緒かな?先日のミュージカルのときもこれだった・・・。これらは比較的小さなステージだし財津氏のコンサートはアンプラグドっぽい構成だったから小さいのかと思ってた。なんでだろう?脚が痛いって言ってたなぁ・・・。大きいバスドラはきついのかな?でも時折見せるスティック回しは、やり過ぎでもなく、嫌味でもなく、かっこよろしなぁ〜。観てる人はちゃんと見てまっせ〜。エンディングでバ〜ン!とやった後、スティックを後ろへ投げるんですね〜。こちに投げろ〜!「くれ〜っ!」と言いたいファン心理なのであります。刺さってもいい〜と思うファン心理なのであります。実家は福岡博多西門蒲鉾(さいもんかまぼこ)店です。彼のサングラスは格好よろしなぁ・・・。でも彼は生まれつき目が悪いのです。本人曰く、医者にみせたら「障害者手帳」もらったほどだとか・・・。ファン心理としては「元気ならそれでええ・・・」と思うのであります。

 楽器でついでに書いときますが、姫野氏が使っていたアコギ(生ギター)は、K.ヤイリですね。隣り町可児市に工場があります。家内の実家のすぐ近くです。なんでも姫野氏自ら出向いて行って木を選んで作ってもらったそうで・・・。余談ですが私の持ってるギターもK・ヤイリです。アルバイトして買った8万円を5何7千円で・・・当時にしては高価な買い物だったのです。そんな事はどうでもいいわけですが、ちょっと書いてみたかっただけです。話を元に戻しますが、彼は今回いろんな楽器を忙しそうにこなしておりました。他、エレキギター、キーボード、タンバリン、シェイカー、カズー(吹くとヴ―ヴ―鳴る楽器です)、リコーダーなどなど・・・本当ご苦労様です。彼は起用なのです。でも相変わらずMCは下手で財津氏から突っ込まれていました・・・。

 実は11/16瀬戸にも来るんですね。行っちゃうのであります。そうバカなのです。ファン心理とはバカでなくちゃ勤まらないのであります。でもチケットはもう一枚あるのです。誰かがこのバカに付き合わされるのであります・・・。ひょっとしてそれはあなたかもしれない!?おそまつでした・・・。


午後2時少し過ぎて・・・(10/20)

 ただ今日曜の午後2時少しまわった頃です。朝から出張が入り結構ばたばたしていました。だんだんと季節が寒い頃へ向かっていますからタイヤに関心を持って来店する方が増えて来ました。今はちょっと時間が空きましたので、こうしてカタカタ文字打っています。ビートルズなんかを久しぶりに聴いています。ジョンに続きジョージも亡くなってしまいましたね。結構ジョージハリスンのメロディは気に入っていました。歌声はポールです。そういえばポールが日本に来ますが・・・、年齢からみても日本に来てコンサートをする事はこれが最後なのではないかと言う声も聞かれます。そう思えば行ってみようかな?とも思いますが、気の向くまま考えます。

 せっかくの日曜なのに空は曇天・・・、地元は中山道400年の中山道祭りが行われています。真中の娘が友達数人と出かけて行きました。今の子供達はとってもおしゃれです。私たちが中学生の頃はとっても田舎臭い子供でした。まぁ外見は変わっても何かイベントがあれば、じっとしていられない性分は一緒のようですが・・・。楽しい一日になるといいですね。

 秋も本番で、街行く人たちの服装もすっかり秋の装いです。半そでのユニフォームを着て店番をしている私は、季節に取り残されたもののようです。ちょっと肌寒いなぁ・・・と感じるまではいつもこんな感じでいます。慌てて上着を着るなんてこともあります。そんな状態で作業をするとすぐ暑くなるので、結局上着を脱ぐはめに・・・。だったら半そでのまま・・・てことになるのです。わがままなんですが誰にも迷惑かけないからいいでしょう?ってことになって周りからはやせ我慢!?と比喩されたりして・・・自分はやせてはいないから小太り我慢・・・。

 小太りで思い出すのは、25歳くらいからさかのぼる事10年、ドラムを盛んにたたいていた頃、体重は一番やせていた時で54kg。タバコを吸っていた事もあってか、生活がとっても不健康で、とにかくやせていました。でもそればかりではなくて、ドラムはけっこう筋トレ的な運動要素を持っていました。有酸素運動でしかも好きな音楽付きですからかなりいいものです。

 おっとお客さん・・・(中座)

 接客業をしていますといろんな方に接します。当たり前ですが・・・。お客様に買っていただいたものに対して、大変満足していただける事がやっぱり嬉しいものです。それに「ありがとう」と言っていただけた時には本当に感謝の気持ちを抱きます。でも中にはその逆もあったりで・・・、辛い事も多々ありますね。商売人は計算高いと思われているかのような物の言い方だったりして・・・。悪い事をしているかのような言葉だったり・・・。今見えたお客様がまさにその後者でした。商い・・・信頼と利益は天秤棒のようだ・・・。まさにその通りです。信頼を上げようとすれば利益はあまり上げられません。逆もまた利益を上げようとすると信頼はあまり上がりません。むしろ下がるかもしれません。その狭間で商いは成立するのです。つりあいが取れている状態が一番いいのですが、一度つりあってはいても、決して長くはつりあっていてはくれません。苦心淡々・・・試行錯誤の毎日です。

 相変わらずの曇天・・・今にも雨が降り出しそうな様子です。水槽のカメたちが秋を感じ、何か元気がありません。今年の冬で3回目の越冬になります。家に来た時の2.5倍くらいの大きさになりました。DMを800枚ほど印刷して宛名を書こうかな?と心に決めました・・・・。まだ出すのは早いかな?とも思います。いづれにしても秋はどんどん深まっていきます。


メロディ(10/13)

 子供の頃、橋幸夫の歌う「雨の中の二人」という歌を聴いて「いい歌やなぁ・・・」と感じました。そのときの事を覚えています。当時保育園の年少か年中で、我が家は店と家が離れていました。500mくらい離れていましたから親父とお袋と3人兄弟の末っ子の私だけが、店の一角の6畳間に寝泊りをしていました。ある夜、テレビから「雨が〜・・・♪」と聴こえてきました。実はそのイントロからなんとも切ない曲に聴こえて、私の幼少の気持ちは初めて音楽を聴いて震えたのです。

 その歌を歌う橋幸夫がイントロに乗せてステージの階段をゆっくり降りてきて歌っていました。実はそのころ店の一角にある部屋でしたから風呂がなく銭湯に行くところだったわけです。幼心に全部聴いてから行きたい!と思ったのですが、「さぁ行くぞ!」とプチッと親父にスイッチを切られてしまったのです。それからなんだかとっても切ない気持ちが膨らんでその歌が気になってしまったのです。今と違って聴きたい曲をさっと手に入れられる時代じゃないですから、ましてや子供には無理な事です。子供というのはその時その時に見たり聞いたりしたことで今に心を奪われる生き物ですが、そのときは引きずっていた事を覚えています。音楽を聴いて気持ちが震える・・・たまにあっていいものです。

 最近そんなことが久しぶりに起きています。曲名は「涙そうそう」。歌は結構以前からあったそうですが、森山良子さんの作詞、BEGIN作曲となっています。BEGINと言えば沖縄を代表するミュージシャンです。沖縄の歌は独特の音階で俗にいうドレミファソラシドのうちレとラがないのかな?ドミファソシド・・・これだけでもう沖縄〜って感じがします。いいですねぇ・・・、メロディが・・・歌詞にピッタリです。涙そうそう(なだそうそう)・・・とは涙がポロポロととめどなく流れてくる事を言うのだそうです。歌詞は森山良子さんが亡き兄を想って書いたそうですが・・・。悲しい歌です。夏川りみが歌う「涙そうそう」が街角やラジオから良く聞こえてきます。この女性よく知らないので、よけいに歌声がとっても染みて聴こえて来ました。歌がとっても上手です。以前は演歌を歌っていたそうですが、歌声に叙情があってこのメロディと詩に更に拍車を架けています。なんじゃぁ今ごろ!!と言われそうですが今、私のヒット・ソングになっています。
*「女史」という言葉、尊敬の思いで使用しておりましたが、性的差別用語とご指摘をいただきました。「さん」に訂正させていただきます。
言葉とは難しい物です。
勝手気ままに・・・(10/3)

 やっとかめのお休みをいただきました。といっても何か予定があったわけでわなく、自分の中で黄信号が赤色に点滅しそうなほど疲れちゃったわけで・・・。ばたばたした9月があっという間に終わり、気がつけば8月のお盆から休んでなかったのです。去年の今ごろもこんな感じで、確かメイトに乗って気ままなツーリングに行きましたっけ・・・。

 そこで今回はフェアレディZと相成りました。行き先は未定です。1ヶ月振りの出動です。エンジン快調!おっとガソリンが無い・・・。いつものスタンドで入れてR156を北上しようと思ってみましたが、気づいてみればR41を北上していました。途中コンビニでおにぎりとお茶を買って、グビグビお茶を飲みながら「ぐわォォォォォん!!!」とZを走らせました。金山から左に折れて郡上へでも・・・?と思ったのですが信号がタイミング悪く!?良く!?黄色に変わってしまい、左折するはずがアクセル踏んで気づけばトンネルの中・・・そのままR41を走っていました。
Zはちゃんと走るのです。いい天気です。
 
 下呂手前でトイレ休憩です。瀬戸という地名らしいのですが、そこへ入ろうとすると、何台か前に見慣れた車が・・・。なんと某タイヤメーカー勤務のK君が乗る営業車ではありませんか・・・。K君は軽い睡魔に襲われたため「ちょっと休憩・・・」と思ったそうです。そこへ現れたK君にしてみればあまり会いたくない顔が・・・。でも眠気は覚めたとは思いますが!なんとなくいい雰囲気の公園で池なんかもあって、鯉がたくさん泳いでいました。時はちょうど12時を回っていた頃だったので、仲良くお弁当を食べました。K君はこれから下呂へ行くそうです。食べている間も2回ほど電話が鳴って・・・忙しそうです。私も休みを忘れていろんなことを話しました。タイヤ業界はこれから冬に向けて忙しい時期に入って行くのです。
お弁当もそこそこに電話に忙しいK君です。

 K君とはここで別れ(当たり前!)彼は下呂の街中へ・・・、私はR41を鈴蘭高原へ向かう事に決めました。おなかも膨れ眠気が襲ってきそうですが、起床時間が遅かった事もあり順調に飛騨小坂へとやって来ました。R41から左にそれて小坂の町並みを抜けて一路鈴蘭高原へ・・・。ここは学生の頃の合宿の地で9月の1日〜5日くらいまでやっておりました。当時はテレビも置いてなくて、新聞もなく、ラジオくらいが情報源でしたが、じっと聞き耳を立てるほど大人しくも無く、暇さえあれば楽器をいじっていた・・・まさに音楽漬けの5日間でした。余談ですがこの期間中に私の誕生日がやってきたりして・・・嬉しいやら怖いやら・・・。懐かしい思い出です。
鈴蘭高原へ向かう道は、以前に比べて2車線になっていたりして、爽快な道に変わっていました。

 しばらくして、急に展望が開ける場所があります。そこから見えるのは御嶽山です。写真を観てください。
しかし、何ていい天気でしょう!何が良いって?天気が良い!!のは一番です。この地点は標高1200を超えています。白樺がいっぱい生えています。ここは別荘地ではありますが、分譲地の看板むなしくバブル崩壊の憂き目にあっていて、あまり建物は建っていません。

 さてここから10分くらい走ると思い出の鈴蘭高原スキー場はあります。し・し・しかし夏季なのかスキーシーズンでないのか入り口は閉鎖されております。ここまで来たのだから入りたいのですが・・・。別口に回ってもみたのですが、ここも閉鎖されていました・・・。残念・・・。悔しいので写真撮っちゃいました。

 以前は、夏でも平日でもやってくれていたのですが、採算が合わないのでしょう・・・リフトにのって頂上に登ってみたかったです。何年前に家族できたことがあって、レストランやらゲームコーナーやらやってました。学生の頃はどんよりした場所だったのですが、今風のすごくおしゃれなスキー場へと変貌しています。そうそうここはチューリップが野外コンサートをやった場所なんです。2回もやったんです。そう言うこともあってここは私にとって思い入れの深い場所なんです。もう時期チューリップのコンサートだぁ!!行くもんねぇ!帰りはひめしゃがの湯に浸かって帰ってきました。無事Zは250kmの行程を走り切りました。ご苦労様でした。