*****ひろのうたびとのしおり・・・其の弐拾六*****


ご挨拶(12/31)

 本当に早い一年でした。齢を重ねるとどんどん時が経つのを早く感じます。一応に大勢の人が同じことを言いますから、きっと何かあるんでしょうね。30秒経ったら手を挙げる・・・という老若男女の方々を無作為に選出し、時計の無いところで実験をしたそうです。結果はやはり、男女の差は無いそうで、やはり若い人ほど正確に手を挙げた・・・そうです。中には、1分半経って手を挙げたお年寄りもいたそうです。つまり3倍時が経つのを早く感じる・・・という事です。子供の頃・・・1日が長かったですものね(笑)。

 来る新年も良い年になるよう一生懸命頑張ります。皆様にとっても慶び多い良い年になるようスタッフ一同心より祈念いたしております。一年本当にありがとうございました。


繁忙期(12/19)

 今年の12月・・・、繁忙期もそろそろ落ち着いてきたのかな?という感じがいたします。以前に比べて本当に取り付けが多い昨今。何百台と作業をした気がいたします。その中で、ありがたいことにたくさんの友人知人に会うことが出来るということがあります。なかなか大人になって今更ですが、友人に会ったりすることも少なくなっている皆さんだと思います。そんな中で幸いですが、私の店に来てくれる友人知人の皆さん。1年に2回ほど会うことが出来るのです。ですから、話が出来れば、「○○は元気だよ・・・」と皆に伝えることが出来ます。私には身近な気持ちで皆を感じていることが出来るわけです。

 誰かが言ってました・・・理由があって会うのが知人、理由が無くても会えるのが友人、理由が無くても会いたいのが好きな人・・・。


冬の花火(12/9)

 12月に入って、急に冬がやって来ました。お店の方は毎年恒例の大忙し・・・です。先日の日曜日、疲弊した気持ちと身体でしたが、この街では、花火が上がりまして・・・とても心癒されました。冬は空気が澄んで、夏のそれとはずいぶん色とりどり、鮮明に観えた気がしました。この街に生まれ育ち、この花火を見るたびに一番きれいな花火だと感じます。私が生まれ育った美濃加茂がやっぱり好きなんだと感じます。

新しい命(11/4)

 先月、私どもに孫を授かりました。女の子です。誰に似ている?という会話が周りで飛び交っていますが、正直判りませんが、ただ、いろんな表情を浮かべるたびに、誰々に似とるなぁ・・・と感じます。お父さんに似ている時もあれば、お母さんの小さい時のような表情をするときもあります。DNAは1/4が私だったりしますから、心配する想いと似て欲しいなぁ・・・と思ってみたり・・・・。いずれにしても愛おしさは計り知れません。ずっと見ていて飽きない・・・とは親になった時とはまた違った感想です。

 泣き止まない孫を抱いてあやしている私を見ている私の父・・・、「おじいちゃんがガンバっとるぞ・・・(笑)」この言葉のなんと重いことでしょう。齢を重ねるだけでは解らないことがあるんですねぇ・・・。


なかなか良いんじゃないかな(10/17)

 女将さんの誕生日と言う事で、1泊で山梨県へ行って来ました。放蕩(ホウトウ)と吉田うどんを食べました。なかなか普段食べなれた物ではない訳で、期待を持って食しました。放蕩は想像していた味ではありましたが、その量たるや、ちょっと遅めの昼食だったので、夕飯に影響を十分に与えるもので、通常より2時間ほど遅い夕飯になってしまいました。

 吉田うどん・・・は、¥400というお値段。非常にあっさりしたしょうゆ味。ゆでたキャベツがドッチャリ(#^.^#)。香辛料の味噌?を入れて食べると・・・その食感はモッサモッサというもの・・・。今まであまり感じたことのない食感です。正直・・・「???」というもの。すいとん・・・のような食感・・・みたいです。この時は、もういいかな?と思いましたが、不思議とまた食べてもいいかな・・・と思わせる不思議な吉田うどん・・・でした。

 そして、富士山五合目まで車で登り、本栖湖畔から観る富士山に感嘆の思いを抱き、ゆっくり出来た・・・と帰路についたのです。


あっちゃこっちゃへ(9/30)

 今月は、何かといろいろあった1か月でした。本当に自分時間で過ごせた休みは、2日の火曜日だけでした。あとはいろいろ何かとお役に立つ事も在って、それなりに頑張った1か月でした。広島行ったり、県内を巡ってみたり・・・隣県に行くことも多々ありました。地元市議会議員選挙など・・・。あっという間の1か月・・・でした。こうやって来月の事もいろいろ考えると、すでにいろんな予定が入っています。来月には、市内中学校の職業体験があります。何をしてもらおうか?と思案中。冬の忙しい時期の準備もそろそろ始まりました。今年もお値打ちに出来るよう、一生懸命頑張ります。


安部俊幸さん逝く(9/15)

 去る9日、ネットのトップニュースの一覧で見つけた「チューリップギターリスト安部俊幸さん死去」の項。眼に入った瞬間、愕然となりました。脳出血で移住先のインドで亡くなったの事・・・。しかも2か月も前の7月7日・・・奇しくも七夕のあの頃・・・。安部さんは星になったのです。なぜ2か月もの空白があったのか・・・?そんな疑問も頭をよぎりますが、メンバーであるチューリップの面々も9月9日の午前中に知りえた情報の様であることから、インドでの近親者のみの密葬で葬儀が執り行われたそうで、すべてが済んで発表となったようです。

 そんな事よりも、私に与える衝撃は計り知れなく大きなものです。安部さんの喋り、著書などから感じられるその感性が好きでした。チューリップのファンならば、安部さんの人間性によるところの魅力が大いに占めていたんじゃないかと思います。シャイで繊細で335を持たせたら、その格好よさは日本一・・・いや世界一です。ライブでのMC・・・あのモヤッとした声は、観客の心を魅了する・・・。財津さんの作る曲のイントロやサビのメロディは彼でなくては奏でられません。財津さんのOKを受ける場合、そのメロディを試聴してもらう時、財津さんは何も言わないんだそうです。何も言わないということが、すなわちOKと言う事なのだそうです。安部さんでなくては、「青春の影」の間奏やエンディングのギターは弾けない・・・。即ち、ライブではもう聴くことが出来ない演奏だという事です。つまり、漠然とあった昨年のツアーが、チューリップの最後になったという事です。

 ビートルズにあこがれた世代に人たちが、ジョンレノンの死によって、自分にとっての何かを無くしたように、安部さんの死は、同じような衝撃を僕に与えたのです。もしこの先チューリップがツアーを行い、そこにはせ参じる自分が居ても、誰かが替わりにギターを弾いても、それは本当のチューリップでは無いのです。ジョージ ハリスンにあこがれて、インドにあこがれて・・・その感性が同調するかのように移住し、きっと天国で、一緒にギターを弾いているのかもしれません。そんなあなたに感謝と尊敬の意を込めて、ご冥福をお祈りいたします。                                                         合掌


走りきりました(8/28)

 4日目・・・、昨夜は焼津ICで降り、隣町藤枝市に宿泊。この街には、何度か来たことがあったのですが、なんと大学時代の後輩が暮らしている事が最近分かり、連絡を取り食事をすることに・・・。中学2年になるお嬢さんを含め、4人で焼津の駅近辺の居酒屋で楽しい時間を過ごさせていただきました。関わったのは1年間だけですが、学生時代のそれは、とても深く大切な時間だったと感じます。

 9時半頃出発、ガソリンを入れて第2東名を西へ・・・。一路美濃加茂まで帰ります。空は、今にも降り出しそうな曇天が前方に見えます。しばらく走ると、ポツリポツリと雨粒が・・・。そして大粒の雨に変わり、急いで最寄りのPAへ・・・。慌てて着替えると雨は小降りに・・・、やがて止みました(笑)。しかし、もうこのままカッパを着て走った方が良いだろうと判断。三ケ日で東名に合流・・・、豊川あたりで昼食をいただき、この時観た情報で地元の「おん祭(花火・盆踊り)」が木曽川の増水により中止になった事を知りました。そして家に電話・・・、家内にも「中止だよ」と再度報告を受け、私自身急いで帰る必要も無くなったのですが、長男は、夕方から約束があるとの事・・・、急がず慌てず、ゆっくり走って地元ICを降り、家まであと7kmくらいになったところで、急に襲った豪雨。まぁ勝手知ったる地元道。無事帰着と相成りました。総走行距離967km・・・なんですが、長男のバイクは990kmとの事・・・?この差は何故なんでしょうね?



走ったことも無い街(8/22)

 3日目・・・、前日同様8時半頃相模湖を出発。昨日とは打って変わっての好天。全国的に関東地区だけが晴れている…一日。太平洋高気圧にかろうじて掛かっているのです。暑いけど・・・感謝です。今日は昨日行けなかった神奈川県藤沢市にある「ジョリーシャポー」というお店。ウルトラセブン・・・モロボシダン・・・森次晃嗣氏のやっているレストランです。11:30開店のところ、11:30頃に到着。15分ほど駐車場で待っていると、大阪から来たという私より一回りは若い40代前半の男性としばし談笑。

 11:30になった事からお店に入ろうとドアを開けると同時に開店のメッセージボードをもった壮年の男性が出てきました。「いらっしゃい・・・」と少々無愛想な面持ち・・・・。でもそれは紛れもなく森次晃嗣・・・その人でした。「おっ、本物だ!」と心の中で感嘆の声を発し、通されたテーブル(なぜか皆、相席に座らされる)に付いて、大人しく指示に従い(笑)、飲み物を注文。一応に飲み物のオーダーが済むと、何を召し上がりますか?と聞かれ、ダンのハヤシライスを2つ注文。相席した他の人たちと静かに食事をし、暫くして私は給仕をしてくれる女性に向かって、写真はいいか?と忙しかったら断ってもいいといった旨を伝えたところ、OKを頂いた。ただ、1枚500円ですべてあちらのカメラで撮影、プリントして渡すという・・・さすがだ!!

 ただ、私たちの肩に手をかけて、にっこり笑って写ってくれた・・・。おまけにサインも入っている・・・。どこから来た?どういう関係か?何歳か?などの質問を受けた。親子で一緒に行動できることにいい意味で感心された。気を付けて・・・・と送り出してもくれた・・・。握手もしてもらったし、ウルトラセブンをリアルタイムで観てた子供の頃だったらどうなっていただろう・・・。こうやって生きていると夢のような事が現実に起こるんだなぁ・・・と改めて感慨に耽るのでした(笑)。これで、本郷猛、モロボシダンと2人のヒーローと握手した事実。素晴らしい思い出。ただ、このジョリーシャポーは住宅街にあり、ナビでもなかなか難しい路地を走らされ、往生こいた!走ったこともない道は疲れます(笑)。

 このあと、七里ヶ浜高校横の海が観える坂道・・・へ。これは長男の想いのある情景らしく、聞けば映画「ピンポン」のワンシーンにあるようで、渋滞している海岸線を走りやっと到着。するとポツポツと同じように写真を撮っている人が居ることに少々驚きました。15分ほどでここを立ち去り、渋滞してる湘南海岸沿いの道路をボウボウ・・・と。2か月前、家内と車で走った同じ場所。その時はまだまだ若干のサーファーが居ただけでしたが、好天もあって海水浴客で大渋滞。江の島の入り口までしばしの辛抱・・・。そこを抜けて、一路向かうは焼津市・・・。

 


走ってこそわかる事(8/21)

 2日目・・・、8時半頃沼津を出発。今にも降り出しそうな曇天。向かうは、伊豆半島です。修善寺から湯ヶ島へ・・・、頭を湯本館の観えるあの橋が見たいなぁ・・・とも思ったのですが、なぜか先を急いでしまいます。今日の行程を考えるとちょっとこの先大変そうなので・・・。湯ヶ島から西伊豆ドライブウエイを走り、富士山を眺める・・・と言うのが当初の計画。でも雨が降って来ました。途中でカッパを着込み、走り慣れない道ではありますが、岐阜の山間・・・地元でもきっちりあるような道です。何に気を付けなきゃいけないのか?分かってはいるつもりで走っていきます。すると標高がだんだん高くなってきたのか、あたりは霧が立ち込めてきました・・・と言うより、すっかり雨雲の中を走っているようです。富士山の眺望どころか・・・50m先も良く見えない(+o+)ほどです。霧の中の西伊豆スカイライン・・・・。達磨山展望台(高原レストラン)で昼食・・・。雨も何とか止んで、雲の切れ間から駿河湾が見え、沼津市が観えます。好天なら、日本一と言われる富士山の眺望があったのですけど・・・残念です。そんなこんなで、予定を大きく遅らせ、ガソリンを入れて急ぐは神奈川県藤沢市・・・ジョリーシャポー。ここまでの行程が実際ちょっと無理っぽいかな?と感じてはいたのですが、何とかなるだろう・・・と先を急ぎます。ところが、行く手を遮る今も昔も難所の箱根峠・・・。ナビの誘導でどこ走っているか?わからない状態でいると・・・ここは芦ノ湖畔・・・。しまった!!と思った時はもう観光客と車のおかげで渋滞・・・。しかも雨がド〜っと降って来ました。引き返すことも出来ず、流れのまま箱根の峠越えの渋滞の中へ・・・。坂道渋滞はそりゃぁしんどいものです。辛い峠を越えて、宮ノ下から藤沢へ行くことは諦め、御殿場方面へ引き返す格好になりますが左折。御殿場から河口湖を通り、山梨県へ・・・。結局中央道を利用し、お決まりの談合坂付近の大渋滞に事故渋滞でやっとの思いで、相模湖付近のホテルへ・・・。こうして2日目は散々・・・な一日でした。

 バイクは、有料道路の支払い一つも大変だったりします。ETCが使えるものならいいのですが、地方の有料道路は、なんでお金いるの?と思わすような路線で、料金所があり、消費税8%のおかげで半端な金額だったりするものだから、お金の出し入れが、事前に準備も出来ず、後続車の車に迷惑をかけながら通過・・・。しかも2か所も連続であって、渋滞は更なる遅延を生んだのであります。こんな時の、小銭をサッと取り出せる何かを考えないといけませんね・・・。これだけじゃなく、走ってこそ不具合を感じる事がわかるんですね。


走って来ました(8/19)

 お盆の休みに、長男と3泊4日の富士山周辺ダラッとツーリングを敢行しました。お盆の間、天気は曇天から時折雨マーク。カッパも着替えも準備万端で出かけて行きました。お盆休みですから、行き当たりばったり・・・というわけには行かず、予め宿泊先をおさえての旅ですから予定通りのツーリングにはなりませんでした・・・(笑)。 
白糸の滝・・・なんかは、予定してなかったのですが、たまたま入ったPAで案内を見つけて、長男が「行ってみたい!」と・・・。私にとっても中学の修学旅行以来の訪問でした。勿論、滝は記憶にあるんですが、周りの環境がまったく記憶にありません・・・。まぁ40年くらい前の事ですから、ずいぶん変わっているんでしょうけど、変わっていることすら見つけられません。まぁ、富士山麓の湧水が過去の地層の間から滴っている・・・それ故に白糸のような滝なのですね。中学の時なんか、な〜んも理解しないままその地を去ったのだと思います。

 曇天の中、山肌は観えないのですが、しっかりとシルエットがド〜ンと!!でっかい富士山が目の前に・・・。いつみてもどこから見てもすごいぞ富士山!!そしてそのまま、ナビの示すがままの住宅街の路地をひた走り、無事この日の長泉のルートインで宿泊・・・。グルメロ〜ドなるちょっと離れた場所へ名物「桜えびとしらす丼」を堪能。1日目を終えたのであります。



観えない物が(8/1)

 おっといけない・・・。あっという間に8月になってしまいました。8月が終わると私たちの仕事は冬商戦に向けて徐々に準備に入っていきます。気が付けば冬本番になっている・・・。まぁ残り5か月、本当に月日の経つのは早いです。

 さて、私の街は、市長が賄賂授受が在ったか否か・・・で6月に逮捕、そして7月に起訴されてしまいました。しかし、報道の事実はなく、これを鵜呑みにするのはどうやら間違いで、今、市民の大勢が市長は潔白だと信じています。しかし、事件の内容は、新聞等で報道されたことに起因するのですが、取り調べに市長は一貫してその事実は無いと否認。あるのは、賄賂を渡した・・・事業者側の証言だけ。それ以外は裏付けるものは何もないのです。それなのに警察検察側は、証拠隠滅・逃亡の恐れがあるとして、市長を釈放してくれません。誤認逮捕であった・・・事を認めるわけには世間の手前できないのです。このままではいたずらに時が流れ、首長不在のこの街は市政に支障を来している・・・という事態(だそうです。)。

 それ故に、弁護団を介して署名21.000余名を集め、早期釈放を願い出ているのですが、市政には首長不在の場合、代理職務を務める役職がある・・・ゆえ、市政が滞ることは無い・・・と主張。相応の言い分は、事件の本筋より、市長の潔白を懸けた争いに発展しています。誰が、考えても私たちが知る事が事実なら、市長を早期釈放し、起訴してしまった事を取り下げ、早くこの混乱を終わらせるのが良しと思われるのです。ただ、事態はもうこうなっても、市民に市政に混乱を与えた愛知県警・検察の責任問題を無視できない事・・・となります。市長取り調べの際、「はなたれ小僧を選んだ美濃加茂市民の気がしれない」「早く白状しないと美濃加茂市を焼け野原にするぞ」と言う言葉を受けた・・・とする事実は、市長だけでなく市民を憤慨させるには十分すぎるものです。

 若干前後するのですが、議会では、市長進退伺い・・・を提出。これはある意味、当然の処置だと思うわけですが、マスコミには議長がコメント。進退伺いを出す旨が議会の中で話し合われ、提出するに至った・・・。(それを受けて市長は一貫して事実は潔白であり、辞任の意志は無いと返答。)議長は、こうなる事を予想したのか、マスコミに、そうであれば、ますます市政が麻痺する事態を危惧し、議会として不信任案・問責決議案を採択する方向になる・・・と言った旨を語りました。しかし、議会ではそこまで話し合った事実は無いとされています。市長への進退伺いはそれ以上でも以下でもない・・・のが順当な話です。議長は何を思ってそんな発言をしたのでしょう?観えない物がチラッと観えた気がします。

台風が過ぎ去って(7/11)

 台風8号も美濃加茂界隈では、大した被害も無く良かった良かった・・・というところですが、隣県南木曽町では土石流の被害に遭われた皆様には心よりお見舞い申し上げます。R19沿いの街なんですが、良く通らさせていただいている場所だったりします。天気の良き日は自然の景観は本当に私たちの心を和まさせてくれるのものですが、こういった場合、本当に脅威となってその様相を一変させます。

 子供の頃は空にわかに掻き曇り、どす黒い重そうな雲があたり一面を昼間なのに暗〜い世界にしたかと思うと、激しい大きな雨粒が滝のように降り出し、激しい稲光と共に轟音に包まれる・・・。そんな時を修学中に体験したことが何度もありました。学校中は授業どころではなくなり、校内放送も緊急を告げる内容を先生のちょと慌てた声色から感じるのですが、それも良く聞き取れず・・・。多勢の中の非常事態は、気持ちを大きくし、異常事態をむしろ愉しんでいるのが現状でした。

 時間にして1時間〜2時間も無かったと思いますが、広いグランドは排水能力も追いつかず、大きな水たまりがあちらこちらに出来て、それらがやがて一つになって、大きな池のようになって行きました。雨といから流れる多くの水は、排出口の円のままダ〜ッと側溝に流れ出ていました。校内の空気もひんやりと湿気に包まれたものに変わり、その中を右往左往する私たちでした。

 下校に関する規定も今ほどきっちりと決められたものではなかったでしょうから、下校に時間だったりしたら、意を決して自転車に飛び乗り、さっさと帰宅する強者もいました。結局私自身がどうしたのか?まったく思い出せませんが、その時間を皆と共有することに気持ちを惹かれ、最後までいたんじゃないかと思います。今なら、お迎えの親御さんたちの車でごった返すのでしょうが・・・、そんな事はあったのかもしれませんが、記憶にありません・・・。

 今日なんかは、台風一過となり、若干子供たちは休校になる事をきっと期待していたんでしょうけど、まぁ明日明後日は休みなんだから頑張って勉強しましょう・・・。