*****ひろのうたびとのしおり・・・其の弐拾壱*****


バスケットボール女子日本代表(6/30)

 注目度の低い中、どれだけの人が応援しているのでしょう?ロンドンオリンピック出場を懸けて今夜カナダとの大事な1戦を迎えます。昨夜の韓国との1戦は一昨夜のチェコとの試合に敗れ、敗者復活戦に回った残り1枠・・・を争う試合であった訳ですが、今までになく終始リードし、終わってみれば28点差と言う圧勝。そして今夜は大事な1戦になるのです。

 男子は残念がらと言いますか・・・やっぱり・・・と言いますか、すでに出場権を逃しています。数年前に世界バスケ(サッカーのワールドカップみたいなもの)があったのですが、愛媛だったか徳島だったか?で大会が行われたと記憶しておりますが、主催国が予選リーグで敗退することは今までになかったのですが、日本はそのジンクスをも見事に破って決勝トーナメントに進むこともなく終わってしまったのです。観ていても何かこう・・・覇気がないというかやられっぱなし・・・で、正直観ていて「これが日本代表なの?」と思いました。

 日本人にいまいち人気のないスポーツ・・・バスケ・・・。でも中学・高校と部活の人口は人気のあるスポーツなのです。ただ、将来性のないスポーツ・・・と言ってしまって良いのか?は判りませんが、高校を卒業して止めてしまう人がほとんどです。社会に出てまで楽しむ人は本当に少ない・・・。プロがプロらしくない・・・と感じます。組織に属して頑張っている方々もいるのですが、何でしょう?人気がない・・・注目度が無いのです。

 「観ていて・・・だだくさに大量に点が入るから観ていても盛り上がりに欠ける・・・。」と言う意見をよく聞きます。でも、一度でもいいので1試合を観てみる事をお勧めします。するとちゃんと試合には流れがあって、両チームの駆け引きがあってワンサイドゲームであっても、何かしらメンバーが替わって、ゲームの流れが変化しているんです。本当に両チームの実力が僅差の試合の場合。攻守の波を感じることができます。得点を重ねる時間があったかと思うと、急に一方的に守備にに時間を取られることがあります。この時に、いかにチャンスを生かしピンチを切り抜けて、ゲームの流れを自分たちの物にするのか・・・?頭を使った判断力が必要となるのです。それはもちろんコート内の5人選手であったり、サブ・・・と呼ばれる控えの選手の起用法や、攻守の術を伝えたりするタイムアウトをいかに生かすか・・・と言うベンチの策も重要なものになります。

 どうしても体格で劣る日本人です。チェコのように高さにやられた試合の反省を生かし、今夜のカナダにどう挑むのか?持ち味のスピードでなんとか勝ってせめて女子はオリンピックに行ってもらいたいものです。


次女の学園祭(6/18)

 昨日次女の学園祭に行って来ました。場所は名古屋の矢場公園・・・。正直この公園知りませんでした。次女の学校のすぐ近くには白川公園があって、てっきりここだと思っていました。少し離れた場所でナディアパークの隣りです。正直ナディアパークなるものも名前は聞いたことがありますが、ここにあったんだ・・・という気持ちです。
ナディアパークの駐車場に車を停めることが出来たのですが、地下駐車場が当たり前にある名古屋です。地下をクルクル回って場所を探しているうちに東西南北が判らなくなります。慣れない駐車場で慣れない建物・・・地上へ出た時にどっちに公園があるのか?が判りません。

 こんな時よく思うのです。たとえば私の子供世代は、どこへ行くにもナビを頼っているようです。車でも徒歩でも・・・です。この類の備えがないと不安になるようです。しか〜し、私たちの世代は、どこへ行くにも勘です。臭いです・・・。感覚で行けちゃうんですねぇ・・・。うろうろするうちにちゃんと目的地に行けちゃうんですね(笑)。うろうろしているときも不安にはならないんですねぇ・・・。まぁ今回は建物の反対側にいた・・・という、決して威張った話ではないんですが・・・(笑)。ものの数十秒で会場に到着。次女はどこにいるんだろう?と探し始めると、「○○はいかがですかぁ〜!!」と言う独特の言い回し・・・。聞きなれた声の・・・する方を観てみると、いましたいました(笑)。張り切っています・・・。なんちゃら・・・とチュロスを5個ずつ買って会場をうろうろ・・・。自分の学生時代の学園祭を思い出しました・・・。結構張り切ってやっていましたねぇ・・・。音楽サークルでしたから、ライヴハウスでした。ただ、学園祭執行部の認識がアホのため、各音楽関係サークルの個々の会場は判りやすいだろう…と言う浅はかな考えで隣り近所に固めたのです。結果どうなったか・・・?と言いますと、音は外部に漏れます・・・。よって私たちの奏でた音も隣り近所で演っている音も混ざってしまうんですね。演る方も聴く方も・・・困惑する状況でした。

 いろんな事がステージで行われています。私たちの頃には考えのつかないような企画がいっぱいです。時代の流れを思いっきり感じた学園祭でした。

 ついでに白川公園にある名古屋科学館¥400/人・・・を楽しんで来ました。宇宙のコーナーだけで十分堪能できます。¥400はとってもお得だと思います。早めに来れば、プラネタリウムのチケットも手に出来るようで・・・、次にチャンスがあれば是非観たいなぁ・・・。


ボランティアに参加して(6/10)

 このタイミングでこの話題に触れること自体大変おこがましい気がしますが、私の中の感じたことであって、常日頃さまざまなボランティアをされている皆様についてどうこう言うものでは決してないことを最初に申し上げておきます。

 地元のNPO団体KIプロジェクトさんのご尽力で、やっと被災地にて少しでも・・・と言う思いで今回南三陸町でのボランティア作業に参加させていただきました。私の住む岐阜の地からはおおよそ750kmほど離れているかな・・・と思います。普通に思えば遠い・・・。昨年3月11日以降、被災された方々を訪ねる勇気がなかったか?と自問すれば、「よし!」と行動に移せる気持ちがありませんでした。行って被災地で事が行える自分が想像できないのです。ただ、何もしない・・・ということではありません。より良い形で出来ることをしたいという思いで、まずは義援金でした。

 事の甚大さが判るうちに、誰も知り合いはいなかった・・・と思っていた頃、ふとよぎる顔を思いました。20年くらい前、弊社へ来ていた某タイヤメーカーのセールス担当のM君です。彼とは仕事以外でもバイクに乗ったりゴルフに行ったりと遊んだこともあります。そんな彼がその後、故郷でもあるという東北へ居を移し、タイヤメーカーもそのころ退職、転職し結婚した・・・という報告を受けました。そして一度またこの東海地方へやって来ましたが、数年で盛岡へ・・・。時々電話をもらったこともありましたが、私とはだんだん疎遠になり連絡は途絶えました。

 その数年後の昨年3月に東日本大震災が起き冒頭の思いでいたのです。盛岡なら津波は関係ないだろうと・・・とさして気にも留めず・・・で済めば良かったのですが、久しぶりだし「どうだった?」と普段は気にしなかった携帯の電話番号へかけてみると・・・「ハイ!もしもし・・・」という聞きなれない違う人の声・・・。「ありゃ、電話替えちゃったのか!?」と・・・。ならば転居通知のハガキにある固定電話へ・・・。すると今度は「この電話は現在・・・」というアナウンス。「ありゃ、知る限りの方法が無くなったなぁ・・・」と。そこであきらめることが出来なかったのは、以前「女房の実家は宮城県の石巻なんです・・・」という言葉・・・。なんか無事を確認しないといけない!という気になりました。

 かと言って方法が思いつきません。まず岩手県全域で電話番号を訪ねてもらいましたが、該当者はいません。ネットで名前を検索してみます・・・これも、ヒットしません・・・。あれこれするうち石巻で避難所のhpを探り当てました。この中で避難者を検索できるサイトを見つけドキドキしながら彼の名前を入力してみます・・・該当者はいません。そこで今度は彼の奥さんの名前を入れてみましたら・・・なんと1名該当者あり・・・。ドキドキしながらその記入したメモの写真とそこから読み取れる内容を閲覧してみました。そこにはなんと、直筆のメモ画像と奥様だけではなく、お子さん2名の名前もちゃんとありました。この瞬間「間違いない!彼は被災したんだ・・・。」

 私の疑問は「何故、彼の名前が無い?」という思いです。良くないことを想像します。手元にある、お子さんと一緒に屈託のない笑顔で写っているハガキの彼を思います。どうしているんだろう?無事でいてくれるように・・・。知らなければ済んでしまった事なのかもしれません。疎遠になってしまった間柄です。知らなければわからなかっただろうことでした。でも判ってしまった以上、安否を確認しなくては・・・と一人よがりに火がつきました。彼を知るだろう人物を探します。某タイヤメーカーの上司を探します。残念ながら、この営業所は岐阜にはすでになく、その後の私の店の担当者も辞めていて消息が判りません。すると普段お世話になっているMサービスさんの社長さんに相談すると、当時の上司のお父さんが違うメーカーに勤めていた・・・という情報を得、このメーカーに電話し、この方に連絡を取り、何とか糸口を見つけようとしました。

 すると数日後、探している彼が勤めていたころの同僚のセールスから電話が入りました。もっとも彼を探している・・・とはこの時点までは言っていなかったため、この連絡をくれたセールスは、仕事上の問い合わせだと思っていたようでした。「申し訳ないけど・・・」と彼の消息を聞くと、「わかりました・・・調べてみます」と一縷の望みを彼に託しました。すると数日後・・・「彼は生きていますよ。」と言う返事。どうやら他の誰かが今も連絡を取っていて、無事を知っていたようです。私は、安心すると同時に連絡先を再度尋ねました。すると「数日待ってください・・・」と言うことで、連絡を待ちましたら、次の日、見慣れない電話番号から着信です。判ったんだと期待を込めて電話に出ると「もしもし・・・Mです。」と言うなんと本人からの懐かしい声。「お〜っ、元気か?」と言う私の声に彼は正直、昔の彼ではない元気のない声で「えらい目に遭っちゃいましたよ・・・」と・・・。その電話ではいろいろ話す彼に相槌を打ちながら、「元気を出せ〜!」と言うのが精一杯でした。

 それから私個人としては、義援金が見舞金となり、支援物資が贈り物になり、たまに電話で話すだけで、チャンスがあれば行くから!とカラ手形を切るばかりでした。結局先にも書きましたが、今から3週間ほど前、私と長女と車で震災から1年と2か月遅れでやっと彼を訪ねることが出来ました。7年ぶりの再会です。そして彼に聞いた当時の体験談や案内された被災した場所の話、教えられた他の被災地へ出向いて初めて事の本当の大きさを肌で感じました。「もう一度来ないとあかんなぁ・・・」とこの時思ったのです。

 そして、3週間後の6月8〜10日の0泊3日と言うボランティアに参加し、私の家族、甥っ子、そして弊社スタッフのK太と一緒に行って来ました。被災地は震災直後に比べるとすっかり片付いて見えます。ガレキの撤去と聞いて、何をするんだろう?と感じました。場所に行ってみるとさほど広くない山間にある場所でした。ここもすでに片付いているように見えます。しかし、ボランティアリーダーの方の説明通り作業をすると、綺麗に見えるその地面から家屋の残骸がいっぱい出てくるのです。私の作業した場所を大きさで言えば、畳2畳も無かった・・・と思います。そこから出てきたものは、ガラス片、壁片、何かの配線、家庭にあるような工具類、そして小銭でした。

 なぜに手作業なのか?と言う疑問が湧きますが、機械を使えば作業は簡単でしょう・・・。しかし、お金が掛かります。そして、埋もれ出た物の中には、持ち主に返却をしなければならない大切なもの・・・写真、キャッシュカード預金通帳の類、現金も当然です。そのために人の手・・・マンパワーが必要なのだと言うことでした。雨天・・・と言うこともあり、作業は無理をしない・・・安全第一と言うことが重視されていて、予定より1時間短縮され更に短い時間に感じました。

 参加して感じたこと・・・岐阜の地から参加して、楽ではなかった・・・と言うこと。今も述べたように今回の作業にではなく、往復のバス泊に慣れていなかったと言うことが1番の理由。そして日程が私たちの職務に最適ではないため、調整をしなければならなかったと言うこと。お客様に迷惑をかけただろう・・・と言う事実。それらを踏まえても「参加できて良かった!」と言う真実。

 意気込んでかかった作業は、自分個人の作業量が、殊の外、少量に感じ、小さいなぁ・・・と言う思い。無力を微力に・・・と言う一緒に参加された方の言葉が、せめてもの慰めに・・・。そして、ボランティアはどんな形でも良い!と言う確信です。ここへ出向いて、被災された方々とふれあえなくても、その気持ちが行動が一緒になって届いている・・・と言うことです。どこにいようが出来ることをすればいい・・・それは、現地へ出向いて作業をした方でもできない方にも、その個人の尽力は悲しいかなやっぱり微力である・・・と言うこと。だから「絆」と言う言葉が意味を持つ一つの理由になると感じました。大切なのは、忘れてはいけないこと、続ける気持ちを持つこと・・・だと思います。

 追記・・・M君一家と、道の駅「上品の郷」で少しだけ食事をとって交流を持つことが出来ました。縁があるからこうやってまた会えた・・・「元気でまた会おう!」。私のなかなか会えない人との別れの挨拶はいつもそう言います。

4度転寝・・・(6/4)

 昨日の日曜日、バイクに乗って・・・何て事も頭をよぎりましたが、天候が崩れる・・・という予報を信じて「アンニュイ」な一日を決め込みました。昨晩も深夜1:00頃まで起きていて、「もうあかん!」と言わせる睡魔くんがやって来て、いつものルーティーンであるところの本読みながらラジオを聴くことも出来ず、消灯しドロンと夢の世界へ・・・。

 明けて日曜日、起床はいつもの7:00頃に目が覚めてしまい、いつからか朝寝を決め込んでも連続して眠り続けることが出来なくなっているんですねぇ・・・。再度決意を新たに残眠をむさぼって浅い眠りをしたかな?と目を覚ますと8:30。TVをつけてサンデーモーニングを観ます。原発再稼働に関心を寄せながら、ボ〜っと過ごすとコーナーはスポーツに・・・。アホの張○さんの登場です。でも最近はそのコメントも聞きなれてしまったのかちっとも面白くありません。適当に観てから嫁さんと近所の喫茶店にモーニングを戴きに・・・。

 さて、帰ってきてからここからTVの前に横になり1度目の転寝・・・。起きてしばらくすると昼食・・・(笑)。12:40頃から1:00まで嫁さんとバドミントン・・・。ゲラゲラ笑えて集中できず1:00からの中日vs血迷って(千葉ロッテ)マリ〜ンズを観ますと、逆転したのもつかの間、ピッチャー小笠原の閉まらないピッチングであっという間に逆転。終盤は本当につまらない展開になって2度目の転寝・・・。起きたら9回表のツーアウト・・・結局血迷って・・・には負けてしまいました・・・。あぁいうピッチングをすると高木監督は怒っちゃって2軍行きを宣告するんじゃぁないかなぁ・・・。

 嫁さんが買い物に出かけ、一人でPCしたり、やっぱりTVを観たり・・・3度目の転寝・・・。起きて本を読んだりしていて4度目の転寝・・・。今日は本当に眠いのです。夕飯を食べます・・・。7:00からのサッカーを観て、勝利を確信して風呂に・・・。今夜はなかなか眠れんなぁ・・・と懸念したのですが、いつものように本を読みながらラジオを聴きながら過ごしていると、睡魔くんがちゃんとやって来てぐっすり朝まで眠ることが出来ました・・・。

 疲れていたのね・・・。


今更ですが・・・(5/23)

 何を書こうか・・・?と思いを巡らしていたのですが、やっぱり先週末に仙台へ行ったことを今更ですが、書きたいと思います。長女と車で出かけました。岐阜・長野・群馬・栃木・福島・・・そして宮城仙台です。平日の早朝ということもあって、高速は空いています。トイレ休憩以外は走り続け、仙台(正確には隣の多賀城市)で待つ友人とは18:00の待ち合わせ。特別かっ飛ばしたわけではないのですが、12:30には福島の手前のPA(栃木県内)。あと2時間もあれば着いてしまうのでここで予め買っておいた昼食をとることにしまして30分は居たでしょうか・・・。結局宿泊するホテルに着いたのは15:00頃でした。

 チェックインを済ませ、少し部屋でくつろいでいるうちに軽く転寝・・・。長女の「外で時間を潰そか?」という誘いで外出・・・。向かいのゲームセンターに入りました・・・が、まったくゲームの面白みがわからん・・・!?ルールが理解できないのです。というより、お金を投じて、お菓子やフィギュアなるものを摘まんで取る!というものばかり・・・。正直これでいいのか?と・・・。祭りの出店の乗りじゃぁないか?いや、あの露天商のお兄さんたちとの祭りテンションの中、会話をしながらその雰囲気を楽しむのが祭りにはある・・・。しかし、このゲームは無機質なる機械の罠にかかっているのだ・・・。騙されている感が妙に気持ちを支配して楽しくないのだ・・・とは私の心の叫びです(笑)。

 結局、長女に勧められてやったのが、景品が取れるまで、機械が動かせるゲームをやると、なんとすぐ手に入れてしまった。「よっしゃぁ!」と軽くガッツポーズ(笑)をすると、「もうとっちゃったの!?」と娘の称賛の声ではなく、ダメ出しの意を含んだ声・・・。もっと苦労をしてとらんといけないらしい・・・(苦笑)。でも手に入れたペコチャンのキャラメル2箱・・・。にっこり笑って記念写真・・・。何て単純なんでしょう・・・。

 さて、約束の18:00・・・友人と7年ぶりの再会・・・。1年前被災して間もない時の声からうかがえる様子ではなく、すっかり元の彼の姿でした。再会を喜び・・・「さぁ行きましょうか?」という彼の言葉にちょっと緊張感が走り、彼の車に乗って私たちは、被災場所へ行きました。

 ついた場所は10分ほど離れた荒浜地区というところ・・・。すぐそばに小学校跡があります。骨組みを残しただけのガソリンスタンド跡、主を失って解体できず残った家。そして黄色いリボンが縄に張られメッセージを残した場所・・・。その場所は、たくさんの家々があってたくさんの人々が暮らしていた場所・・・。それが今は飛行場ができるほどの広大な更地になっていました。初めてその場所に行ってみると、TVなどで観る印象と全く違った感想を覚えました。

 開けて次の日、友人に教えられた彼の住む石巻の街が一望できる日和山公園に行ってみると、ここもまたTVで観た津波に襲われるあの場所でした。今は静かに鳥のさえずる素敵な場所。そこから見える石巻の海辺の町がごっそり無いのです。彼から直接聞いた3月11日の話は、とても驚かされる内容で、波にのまれそうになりながら必死に逃げたそうです。「死」を間近に感じたそうです。そして助かった時、初めて体が震えたそうです。そんな思いをした人がたくさんここにはいるのです。彼の家族は全員無事だったのですが、愛すべき人たちを亡くした悲しみも同時にここにはあるのです。今はがれきこそ片付けられて一見綺麗に見えますが、まだまだ・・・だと感じます。きっと私たちがそこへ行って出来ることがあるはずですし、求められている声も聞きました。そしてあの南三陸町へも脚を延ばしました。被災の象徴的な建物にもなっている感のある「防災対策庁舎」跡です。シーンとした南三陸町でした。そんな空気に触れて何かしなくては・・・と今更ながら感じます。もう一度ここへ来なくちゃいけないなぁ・・・と。それが実現できるかわかりませんが、長女はもちろん私の家内も私の話を聞いて快く賛同してくれています。今からでも何かすることがあるはずです。


GW(5/10)

 まぁGWが終わって4日ほど経ちました。4連休もいただきましてリラックスできました。「何しようかな?」と・・・おぼろげにその日暮らし的なものはありましたが、どこかへ気合を入れて行くということはしませんでした。映画を2回(3日と6日)見て・・・5日にBBQをして・・・4日にバイクに乗った・・・という具合です。

 6日に観た「わが母の記」・・・役所広司と樹木希林が主だったキャスト。圧巻なのは、母である樹木希林の演技力。痴呆がすすんだ「母」を演じるのですが、実にその存在感をスクリーンいっぱいに表現するのです。彼女が映ると、観ている我々の眼は彼女に注がれてしまうのです。あれにはアドリブが含まれているに違いない!と思わせるほど、その表現には監督の演出によるところの演技指示を超えていると思うのです。彼女のとつとつとしたセリフにこの映画の一番の意味が込められているのです。主人公である息子の役所広司でなくとも、流涙するシーンなのです。この映画、お客さんはいっぱいで、60歳を超えた男女で満席でした。私の座った席は、最後列の端から3番目・・・でしたが、両サイドは、体格の良い男性に囲まれ、自身の体型も相まって実に窮屈な環境だったのです。久しぶりに1人で映画を観たのでした。


初夏の陽気(5/1)

 あっという間に5月です。最近の陽気は暑い!です。私の仕事着は2日くらい前から半袖になりました。弊社のGWは明後日から・・・です。春の需要もGWを境に一気に下がり、忙しかった毎日が終わりを告げます。終わって欲しくはないんですけどね(笑)。5月はGWで出費が増え、車両への税金納付書がやって来ます。そんなんで車にかける経費にブレーキがかかる訳です。

 犬の散歩にすぐ裏の木曽川へ行くと、さまざまな風情が楽しめます。草むらにはいろんな草花が咲いていますし、いろんな鳥たちのさえずりが聞こえたりします、ピ〜ヒョロロロ〜♪と鳴くのはトンビ・・・この鳴き声を聞くと思い出すのが「いなかっぺ大将」の歌です。口をついて歌ってしまいます(笑)。かと思うと、上空にホバリングして騒がしく「ビチビチ・・・♪」鳴いているのはヒバリです。よくもまぁあんなに騒がしく鳴いて、ほぼ一定の位置で一生懸命羽ばたいて、さぞ疲れるだろうに・・・と考えると可笑しさを覚えます。文化会館あたりに差し掛かると、今度はたくさんのツバメが鋭い速さで翻りを見せながら自由に飛びまわっています。「ツバメ返し」とは佐々木小次郎の剣技・・・。あんな感じでパッと剣を翻したのでしょうかねぇ・・・。

 特に今年目につくのは、たんぽぽの花が多いこと・・・。しかも茎の部分が長くやたらと生えています。その並んでいる綿毛状態のタンポポを、破壊するかのようにその体で押し分けて歩くわが愛犬のクリ・・・。散らかした綿毛は、風に乗って飛んでいきます。種族の交配は、近くで行われては強い子孫が残せません。場所を変えられない植物は、風の強い春先に多くの花を咲かせる・・・と聞いたことがあります。

 1年で本当に過ごしやすい陽気の今です。GWを有意義に過ごしたいと思います。そのご報告はまた後ほど・・・。
 


ツバメとアマガエルと円空仏(4/21)

 春の訪れが今年は遅いなぁ・・・と感じていたら、あっという間に桜が散って日々の空気の中に花々のいい香りを感じていたのですが、不覚にも今年2度目の風邪をひき臥してしまいました。大したことはなかったのですが、今週初めの事ですぐに仕事に復帰した矢先、弊社の隣にある総合庁舎内で不審火があり早朝から嫌な記憶も蘇りまして・・・、未だ解決に至っていません・・・。

 まぁそんなことではなくて、この春を告げるツバメが今年もやって来ました。あの時のツバメであろうと思われるのは、昨年と同じ場所に巣を作り始めたことで解釈しています。仕事で動き回る我々を少し警戒しながら、せっせと土を運んできてはつがいであろう2匹が交代でこの作業をしています。これが実に愛くるしい・・・(笑)。一生懸命生きているのですね。

 そんなツバメの訪れよりさかのぼる事、10日くらい前から池のほとりではアマガエルが「ケロケロ・・・♪」と鳴いています。このアマガエル、かれこれ4〜5年は住み着いているのです。姿を見たことは一度もないのですが、鳴く声でその生存を無事を確認します。ただ1匹ではないか?と思われ、寂しくないのかな?とも危惧します。

 そして、一昨日、恩師のM先生の作品であるところの円空仏を一体いただき、我が家の玄関に鎮座しております。この円空仏はお顔に特徴があって、この表情に皆惹かれるのでしょう・・・。私も時間ができたら・・・大きなったら彫ってみたいなぁと思います。ただ、今の私のような心模様では、彫るに値しないと感じます。

 日々の仕事が繁忙期には、心がささくれ・・・。暇なときは不安に心が細くなり・・・。まだまだ未熟な自分を強く思います。ただ、ツバメとアマガエルと円空仏を感じながら、少しは心をニュートラルにして日々頑張っています。

可愛い歌(4/9)

 先日、ラジオを聴いていた時の事、この番組のパーソナリティの話を聞いているには、「懐かしい歌」ということらしく、オリジナルはとっても古く70年代の歌らしいのですが・・・。題名は「チンチンポンポン」。30歳代の方には、聞き覚えのある歌らしいのですが、私には全く知らない歌です。この歌を歌っているのは、3歳の女の子と6歳の男の子・・・。驚きなのは、3歳の女の子の歌いっぷり・・・です。本当にこの歌詞の意図する表現を的確に歌っている・・・のです。私には実に癒される可愛さを感じました。

 この歌の原曲は、イタリアの童謡!?らしく、「チンチンポンポン」とは、機関車の走る音との事。日本の「シュッシュポッポ」と同じわけです。その原曲のチンチンポンポンという音を聴いた作詞者がこういった歌を作った・・・ということのようです(笑)。でもとても可愛い歌なのでよかったらどうぞ・・・「CHIN CHIN PON PON」。

ぎふ中部未来博(3/30

 ’88だったかに行われたぎふ中部未来博・・・。一度だけ行った事を思い出しました。でもはっきり言って何を観たのかが全然思い出せません。ただなんとなくですが、宇宙船?のようなものが展示してあったような・・・?それ以外はまったくと言っていいほど記憶にありません。むしろ当時私が働いていた関市で、店の前を通る観光バスの数が1時間の間に100台以上あったことが大きな驚きでしっかり覚えています。

 このぎふ中部未来博・・・を思い出した発端は・・・。このイベントにもテーマソングがあったのです。堀内孝雄が歌う「時よ君は美しい」という歌です。何気にTVに出ていた堀内孝雄を観ていて不意に浮かんできたこの歌です。Youtubeで検索しても出てきませんでした。いろいろ調べてもなんかとってもマイナー的な扱いで、廃盤になっています。当然、ミュージックサイトでダウンロードすることも出来ません。「良い歌だなぁ・・・」と思ったのですが、聴けない!となると妙に聞きたくなってしまったのです。あれこれ調べていくと、やっぱり当時のCDを手に入れるしかありません。Amazonやヤフオクを探すと、やっぱりありました・・・。廃盤・・・はやっぱりそれなりの値段です。楽天のオークションを探します。すると個人が売っているらしく¥480くらいで売っています。10曲がクレジットされ程度もまぁまぁです。送料手数料などを入れて¥610.楽天ポイントが¥320ほどありましたからそれらを相殺して¥290で手に入れたことになります。

 そして昨夜、本当に久しぶりにこの歌を耳にしました。ぎふ中部未来博・・・の頃、頻繁にTVで流れていたこのメロディ・・・。心に残る歌は当時の記憶にリンクしている・・・。私の場合記憶力の低下なのか?欠如なのか・・・この程度の思い出でしたが、心に残ったはずのこのメロディ・・・やっと手に入れたわけです。

 

人の縁、犬の縁(3/21)

 昨年の7月の事、当店のお出迎え犬(はたしてそのお役目を果たしているのか、はなはだ疑問ではありますが)のクリの誕生日に、何かに導かれるようなそんな感覚があった・・・と言えば気もしますが・・・。ネットにて誕生年月と柴犬・・・と入れ検索。すると何件かヒットする中に、ある方のブログ・・・に出会った訳です。そのブログには血統書に記載されている犬の名前がありました。何気にそれを目にすると、うちのクリと同じ犬舎名が・・・。よくよく見てみると「あれれ?」となり、クリの血統書を取り出して見比べてみたら・・・なんと!!事もあろうか、クリの姉妹だと判りました。

 驚いた私。更にそのブログには、親兄弟を探している・・・そういったご縁で近況を伝えあいませんか?といったことも記してあります。それはもうコメントを入れずにおれません。そしてあれこれネット上で交流がありましたが、先日の事、この方は大学院に通われるご婦人で、この春に卒業されるご様子。そんなブログに添付された写真を観て・・・更に驚く事がありました。研究室からの景色が載っていたのですが、なんと私の娘の通う大学だったのです。しかもあとあと判るのですが、ゼミを一緒に受けたこともあり、いくつか会話をした事がある女性だった・・・訳です。

 このご婦人は、ご主人の仕事のご都合で、岐阜に転勤でやってみえたのです。そして、クリの姉妹と出逢ったのは、なんと仙台にあるとあるペットショップだったそうです。岐阜で生まれたクリたちです。私はクリとは隣の街で出逢った訳ですが、その子は、遠く仙台にまで行ったんすね。それが生まれ故郷である岐阜の地に戻ってきて、ネットではありますが、偶然にも私たちと知り合い、おまけに飼い主同士にも接点があった・・・のです。

 まだ、柴犬の姉妹は再会には至っていませんが、いずれまたきっと再会(私にとっては初めまして)・・・になるのです。本当に縁とは摩訶不思議なるもの・・・です。


権藤、権藤、雨、権藤・・・(3/13)

 昨晩から手にした本・・・著者は権藤博氏。今年からドラゴンズのヘッドコーチに就任された人。以前はいろんな球団でコーチを務め、横浜の監督になった時は、日本一にもなった人です。ドラゴンズで選手時代を過ごされたのですが、私は全然知りません。しかも大活躍した投手です。新人で35勝(36勝だったか?)を挙げ、軒並みの賞を受賞。翌年も30勝を挙げ、2年間で65勝(66勝?)を挙げたことは、今の時代では考えられないほどすごい選手だったわけです。年間130試合でその半分は投げる・・・という・・・結果から言えば酷使してしまったゆえに数年で投手寿命を終えてしまった・・・選手です。この頃誰が言ったか「権藤、権藤、雨、権藤」と表現されるほど、権藤が投げないときは雨天中止の時だけ…という意味だと思われます。

 私は、この方の野球解説が好きです。ド〜ムへ出向き、観戦した時にラジオを持って行くのですが、権藤さんが解説をするとその状況によって、どういう野球をするのか・・・、投手の心理、打者の心理・・・監督の思いなど駆け引きを意味深く語ってくれるのです。ただ、大騒ぎしながら場の雰囲気を楽しむ観戦ももちろん大好きですが、淡々と展開する試合を観るときには、本当に深みを持って観戦できるのです。

 昨年のある試合を観ていたとき、ランナーが2塁、ドラゴンズのバッターは平田。その時期、交流戦で二試合連続でさよならホームランを打った後だったので場内は大変盛り上がります。そんな期待を本人も感じないわけがありません。そんな打席での事、何球か見送った後平田は打席をはずし、コーチャーズボックスのコーチを観ます。それを見て権藤さん「何を観ているんでしょうねぇ・・・この場合は走者を進める打席にすべきなのに、平田にはまだまだ自由に打たせるほどの選手じゃありませんよ・・・」と。要するに、何をすべきか誰でもわかっている打席で、何を思い上がったのか・・・自分に任せてもらえる何かをベンチに聞く・・・という動作を叱った発言がありました。

 こんな解説がプロの解説でとっても面白味があると感じるのです。実況を担当するアナウンサーが「この場合こういった事ですね・・・」となにか判ったような確認の意味を込めた意見を言うと「と言うよりも・・・」とプロはこう考える・・・ベンチはこう考える・・・とその上を行く返答がされるのです。

 今シーズンからしばらく、名解説が聞けないのが残念ですが、そんな知将がヘッドコーチとして今年をどう戦うのか・・・。今読み始めた本を参考に権藤さんを意識して応援するのがとても楽しみです。。

いい感じ(3/5)

 
ここ最近の事、私のうっかりからしでかした・・・まさか自分が・・・という、よく在りがちな失態のお話です。先の研修旅行で泊まったホテルで、深夜の温泉に一人で浸かった時、脱衣場に眼鏡を忘れたのです。目が悪い私ですが、自宅では眼鏡を部屋に置いて風呂に入りに行きます。よって、風呂上り眼鏡をかけていなくても若干見える視力ですので、よたよたと宿泊すべく部屋へ戻って「おやすみなさい〜」となったわけです。習慣とは面白いもので、普段とは異質なことをすると・・・このうっかりが起こりやすくなる・・・と思うのです。翌朝案の定、「あっ!眼鏡が無い!!・・・脱衣場に忘れた!!」と気が付き、慌てて脱衣場へ行ってみたのですが在りません・・・(驚)。でもロビーで確認をしてみると、ちゃんと忘れ物・・・として届けられていました・・・。スタッフの方か、宿泊された方か・・・心の中で手を合わせました。

 さて、このうっかりは更に続きます・・・。先週末、長女の引っ越しの際にうっかりサンがまたやって来ました(笑)。ある街の「お値段以上〜♪」のCMでご存知の、この季節大いに利用されるお客さんで賑わうあのお店で、ちょっとした物を買い揃えていますと、お腹の調子が・・・。家内に「後は任せた・・・」と言い残し、私は急いでトイレへ・・・。寒い日でしたので、着ているジャケット、マフラーを脱ぎ、落としてはいけないとズボンのポケットに入っている財布と免許証などが入れてあるカード入れを横の棚に置きました。

 このお店・・・2階建てですが、トイレはここにしかないとの事(そう記してあった)、しかも私が使っている個室は1室しかありません。私は、きっと同じ思いをして駆け込む人がいるだろう・・・と思い、さっさと用を済ませここを出たのです。とまぁ・・・みなさんの「やっちゃたね!」という声が聞こえてきそうですが、御多分に漏れず、やっちゃったのです・・・。家内のもとへ戻って5分くらいたって・・・「あっ!財布忘れた!」と慌ててトイレに戻ると・・・「無い!」のです。タララ〜ン♪(涙)・・・そんなメロディが頭の中で奏でられました・・・。心臓早鐘状態で一縷の望みを持ってカウンターへ・・・、スタッフにほんの数分前にトイレで・・・と事態の説明をすると・・・スタッフは財布の特徴を聞くと奥の部屋へと消えて行きました。無理っぽいなぁ・・・と自分の不甲斐なさ・・・長女にプレゼントされたお気に入りの財布です・・・、後悔の念を感じます。

 待つこと2〜3分・・・、現れたスタッフの手にはなんと、財布とカード入れが・・・。「これですか?」と・・・。中を確認して全てが無事であることを証明するよう書面にサインして、私のうっかりは許されたのです。「拾われた方は?」と尋ねたのですが、「わかりません・・・」との事。またまた私は人の善意に助けてもらったのです。心の中で手を合わせたのは言うまでもありません。

 そして昨日地元木曽川の清掃作業があり、店の営業時間前の1時間ほどでしたが長男と参加しました。幼い時から遊んだ木曽川です。少しはこういった事で恩返しを・・・とは大げさですが、そんな気持ちでちょっこと・・・です。思った以上にゴミがあり、与えられた指定のごみ袋3個に十分すぎるほどの量が入りました。そんなゴミを片付けようと参加された方々・・・ざっと200人くらい。老若男女と顔ぶれはさまざまです。一心不乱の気持ちで溢れた時間の中で、とても爽やかな気持ちに包まれました。知人のOさんが作業をされているのを見つけ声をかけます。するとOさん、「こういった場所へ参加されるなんてすばらしいですね」と私たちを称賛する言葉をいただきました。

 何をおっしゃいます・・・私からすれば、Oさんを見つけた時、「さすがだなぁ・・・」と。このOさんボランティアには積極的に関心を持ち、参加されているのです。まぶしい姿に見えたんですよ・・・本当に・・・。その姿に学ぶものを感じました。

世代の違い(2/29)

 
若い世代と接していて、言葉の遣い方やファッション・・・とかのような私たち世代との感覚の違いは致し方ないものとして、本当に強烈に感じるのは、物事の判断力・・・基準というものが全然私たちと違う・・・という点です。

 これが良いとか悪いとか・・・という判断は私個人の見解で出来ることではありませんが、大いに違うなぁ・・・と。私が思うことは、物事に対して万事があまりにも受動的であるという点です。もちろん個人差は感じますし、全員がそうだとは限りません。ただ、自分で創意工夫する・・・という感覚が大げさに言えば育まれていないような気がするのです。

 想像力を駆使する生活環境で無くなってきていることが多分に影響しているんじゃないかなぁ?と・・・。幼稚園にしても小中高の学校生活で与えられた物事をこなしてきただけの教育もその一つ。また、日ごろの遊びを見ても物心が付いたときからゲームがあって、決まった遊び方の中で過ごしているわけです。

 私の子供のころは、近所の同年代の連中と、裏の木曽川や田んぼの用水や池や野山で日が暮れるまで遊んでいましたから、自分たちで遊びを作って過ごしていました。ゲームの類はもちろんありましたが、家の中で遊ぶよりも外で遊んだほうが何倍も楽しかった思いがあります。

 そんな世代と一緒に過ごしていると感じたりするのが、自分たちで物事を推し進める事がどうも苦手のようです。マニュアルが無いと上手くできない・・・どうしていいのかが判らない・・・間違えたらどうしよう・・・というような感覚を強く抱くようです。物事の推し進め方がイメージできないようです。仕事ならそれでもやりなさい!と期待を込めて指示するのですが、事が遊びだったりすると、わざわざ自分(達)で1から作り上げなくても、普通にそういった場があればあっさりそこへ行ってしまえば良いわけで・・・私からすれば「じゃぁ新しいものを自分でも始めたらいいじゃないか!」と思うところですが、若い世代はまったく思わないようです。私の同世代が皆そうか?と言えば・・・私は特異な部類なのかもしれませんが、結構あちらこちらに私のような者はいたりするのです。

 こうやって書き綴っていてあれやこれやと言葉を探していますが、全然言い当てている気がしません。もっともっと複雑で彼らの感覚を私の感覚で測ることは不可能なのかもしれません。ただ言えることは、出来合いの万事、マニュアル無くして行動できない若者が多いことは、なんとなく心配だったりするのです。


やまがたすみこ(2/24)

 今週になって喉に変調を覚えました。インフルエンザではなかったのですが、少々休養を余儀なくさせられまして皆に迷惑をかけました。家にじっとしている・・・ことがあんまり好きではない自分です。ですが、どうしようもなくじっと体調の回復を待ちました・・・。

 その際に、この時期常備薬として活躍しているイソジンです。「ただいまの後は〜♪」というカバの人形がCMをするあれです。このイソジンのCMソングを歌っているのは70年代になんかこう・・・イメージすると・・・吉田拓郎が「森山良子の近くにはそよ風がいつも吹いている。」と言ったとか・・・で。まさにそんな形容がぴったりくる歌声を持った女性がいました。それが「やまがたすみこ」という女性です。

 今はどうしているのか・・・は知りませんが、アレンジャーの井上アキラの奥様になった・・・という話はずいぶん前のこと・・・。ただ、CMソングやら「みんなのうた」に時々、唄やまがたすみこ・・・と出てたりするのを見かけたような気がするわけです。私より少し年上の方ですから50代半ば・・・だと思われますが・・・。

 当時歌っていた歌は、純粋なフォークソング・・・といった印象です。「夏になったら」「風に吹かれていこう」とか・・・。聞いた覚えがあります。特にインパクトのある歌の印象を受けなかった・・・ということで、彼女はメジャーには成れなかったのですが、思えばめちゃくちゃ歌は上手いのです。そしてとても癒される歌声なのです。ひょっとしたら今の時代に現れたら、必要とされる歌い手になっているかもしれません。

YouTubeにて検索してみると・・・ありますあります・・・。ゆっくり聴いてみようと思います。

キツツキと雨(2/14)

 
昨年震災で日本中がそういった中にいた4〜5月のころ、岐阜県東部を中心に撮影が行われていた映画がありました。主に中津川・恵那あたりが舞台の設定になっているようです。そんな中で、私どもが仕事でよく訪れる白川町・東白川村あたりでも撮影があったそうで、私は親近感を覚え、この映画の公開を楽しみにしていました。

 ストーリーに関する話や感想を書くことは止めて、私が関心を持って観ていたのは、映る風景です。知っている場所がないか・・・?と目を凝らしてみました・・・が、テロップが出るまで結局「知っとる!」場所は無く・・・あそこらへん?と思う程度の風景です。まぁ地元の人からすれば、しっかりわかっている場所のオンパレードでしょうから、大切な映画・・・になったことでしょう。

 ある方のお話では、林道はあそこで、一緒に写っている背景の山々はどこそこから見える景色・・・だそうで、合成の風景だったりしたそうです。登場する軽トラックは岐阜ナンバー(当然ですが)、なんでも白川町の森林組合さんで借りた・・・んだとか。そして、登場人物らが昼の休憩をする部屋が、東白川村森林組合さん・・・の休憩室を使用して撮影・・・。そこに登場する人々が使うスバルサンバーバンに私は、ずっと注視していたのです。この東白川村森林組合さんの車には、地元JAさんを通じて私どもからタイヤとホイルを使っていただいているので・・・という、なんともちっちゃいこだわりがあったのです。

 普通、軽トラ・バンには12インチのタイヤが付いていますが、林道など未舗装路を走る森林組合さんの車には、少しでも車高を上げるため、13インチを使用していただいているのです。はたして・・・この車が森林組合さんの物で13インチを履いているか?というこだわりが私にはありました。そしてストーリーは進み・・・走ってくる1台のスバルサンバー・・・、私の関心はストーリーは二の次、サンバーのタイヤに一点集中です。サンバーが近寄ってきます。ドキドキ(こんな事で)します。主人公に近寄りサンバーが止まります。私は、12か?13か?の車全体の対比で判断をします。

 はたして・・・結論は・・・残念ながら12インチでした。社外のスチールホイルを装着していた事に「おぉっ!!」とドキドキも早鐘状態だったのですが、違うと判った途端、テンションは一気に下がり、この後一切の邪念を捨て、映画を楽しんだのは言うまでもない・・・。役所広司って本当いい役者ですね。 
 

幻のバンド(2/4)

 一昨日学生時代の友人HからCDが送られて来ました。正確に表記すれば贈られて来ました。内容は30年前に名古屋、八事にある某大学のキャンパスに産声を発し、名古屋市内を中心に活動ていた伝説のバンド・・・・です。

 数々のステージに立ち、ライヴ活動をしていました。キャンパス内は無論、ライヴハウス、屋内外ステージ、クリスマスパーティ会場、チャリティコンサート・・・などなど。当時ヤマハのコンテストにも積極的にエントリーし、玄人受け!?するも雲竜ホール(現雲竜FLEXホール)大会に2回進出するにとどまる・・・(笑)。

 数々のコピー曲と10曲のオリジナルで一世を風靡した!?伝説のバンド・・・でしたが、円熟味を醸し出したまさにその時、3年という短い活動期間で忽然と姿を消したのです。メンバーはギター・ベース・キーボード・ドラムの至ってシンプルな4人バンド・・・。3人のむっさい男と1人の女の子からなる伝説のバンドです。

 そんな伝説のバンドのCDが突然送られて来まして、なんでも・・・この伝説のバンドが忽然と消える数か月前に名古屋の某所でレコーディングが密かに行われ、その音源が大阪の地でずっと眠っていたそうで、数年前にその音源が偶然!?発見され、「これは!!」ということから東京に送られ・・・30年の時を経て岐阜の地に送られて来たのです。

 そんな伝説のバンドの曲を聴くのは本当に久しぶりです。メンバーは今頃どうしているのでしょう?50歳を迎え、いい歳の取り方をして来たのでしょうか?今もどこかでそれぞれが楽器に触れて音楽をしているのでしょうか?そして昔を懐かしんで時折メンバー間で交流が今もあるのでしょうか?

 改めて耳を傾けて噛みしめるように聴くと、懐かしさの中にあの頃には感じなかった発見があり、いい曲だなぁ・・・・と感慨にふけります。そんな意図を今さらに感じさせてくれた幻のバンド・・・。そのメンバーの一人が私だった…というオチで、本日の結末はこんなんですみません(苦笑)。

就寝中に(1/24)

昨夜の事、といっても時計の針は午前5時半頃ですから夏場でしたらすっかり日が昇り朝・・・の時間ですが・・・。冬場は深々と冷えて一日で一番気温が下がる時間です。そんな時に起きた出来事です。

 私が寝ている部屋の東側にはとある病院の職員駐車場があります。24時間の緊急病院ですから、交代で看護師さんたちがこの駐車場を利用してみえます。そんな駐車場がある場所から突然「おぉ〜ぃ・・・・ぉ〜ぃ・・・・」と叫んでいる声が聞こえたのです・・・。はじめは気のせいかな?と思ったのですが、しばらくするとまた「ぉ〜ぃ・・・・」と蚊細い声が聞こえます・・・・。

 誰かを呼んでいる訳ですが、それに応えるような返事や物音はしません・・・。酔っ払い?と考えたところで時計を確認して、先の時間である事がわかりました。もう朝やん・・・誰やろう?と耳をそばだてます・・・。恐る恐る窓から外を覗いてみたのですが誰もいない・・・ようです。それから30分・・・2度と声は聞こえませんでした。

 起床時間を少し過ぎて慌てて飛び起き、朝食をとるべく部屋を移動して家内にそのことを告げます。すると「知らない・・・」との事。そんな話題が消えかかった頃、長女が起きてきて・・・・「お母さん・・・夕べもなんか叫んどったねぇ(笑)」と言うのです。「お〜い、お〜い!」と聞こえたよ(笑)」 

 なんと私が聞いた叫び声は外ではなく隣人の寝言でした(苦笑)。何でも泥棒に入られた・・・ような夢を見たのだとか・・・・「その時に喋ったかもしれない・・・」

 それから、なんと次女も「お母さん、何か叫んどったねぇ〜」と・・・なんと皆その声に起こされていたわけでした・・・(泣)。

就寝前に(1/17)

 以前にも記したことがありますが、私の就寝前のルーティーンにはラジオと本が欠かせません。ラジオはNHKのラジオ深夜便・・・。それと何でも良いので本を読む事です。ここ数年は著名人の本ばかり・・・。それもその大半がスポーツ選手のもの・・・。実際に観たりテレビ等で知りうる彼等(女性もいます)が何を考えて生きてきたのか、生きているのか、生きて行くのか・・・が知りたくなるのです。

 今年に入って触れた人は、「ON」です。「O」は王貞治・・・「N」はミスター長嶋茂雄・・・です。彼等の半生を綴った本を2冊連続で読みましたが、私が子どもだった頃の2人は、プロ野球を代表する英雄でした。あこがれたものです。正直言いますと今の巨人は大嫌いですが(笑)、この頃巨人は強くて大好きだったのです。どちらが好きか?と聞かれれば、私は王さんでした。ホームランをかっ飛ばしいつもホームラン王・・・。1本足打法の写真なんかは、本当にかっこいいし、今見ても美しいという表現も出来ます。ホームベースを囲んで右と左に立つ2人・・・片ひざを地面につけてバットを持つ2人・・・そんな写真を観ると子供心に映るのはヒーローと言う憧れを抱いていました。「かっこえぇ〜!!」のです。

 この方々の本にもやっぱり共通して言える事は、「感謝」と言う文字が至るところにあることです。自分たちの功績はもちろん自分のモノだと言う自負はあるものの、それはたくさんの人たちのおかげだと・・・「感謝」していると記されています。体裁を気にして「感謝」を連発する人もきっといるでしょうが、齢を重ねて一生懸命生きてきた者にだけに、こう言った境地が色濃く感じるのでしょうか・・・。

 いずれにしてもこういった人たちの言葉を感じるのはとても良かったりするのです。恐れ多いことですが、生きる指針を感じたりもするのですけど・・・。

新年早々ですが(1/10)

 8日の日曜日の事、メーカー新年会のため名古屋へ出かけました。お酒の席でもあるため電車に乗ったのですが・・・。

地元駅から乗るや否や、優先席を避けて着座しました。ふと気が付くと携帯電話をいじっている人の多い事多い事・・・。しかも私の正面のご婦人は、あろう事か!?電話をかけ始めているのです。しかも何件も・・・です。驚きました。さらに優先席に座る若者ら・・・堂々と携帯をいじって耳にはイヤフォンをしてシャンシャン♪と漏れ漏れの音を出しています。

 犬山で乗り換えです。こちらの電車はさらに混んでいます。そんな状況でキンパツパツのお嬢さん・・・ホームでかけた携帯電話の会話をそのまま車内に持ち込んだのです。まぁすぐ切るだろう・・・と思っていたら、延々岩倉を過ぎてもずっと会話を続けます。しかも聞くは無しに聞こえてくる会話は、どうでもいいような話のようです。途中電波の具合で切れたようですが、このバカチンお嬢はかけ直して「ごめんねぇ・・・電車の中やもんで・・・」と来た・・・。相手も相手だ、マナー違反だと気遣う事もないままバカ話は続いたのです。

 ここで注意できないわが身を思うと情けない・・・の一言ですが、案外この密閉された大所帯の中で代表してモノを言えるほど勇気が無い・・・自分。周りを観ると案外同じ思いをしている人たちでいっぱいの様子・・・。でも結局名古屋まで誰もそのことを叱責する者は居ませんでした・・・。なんかやり切れない思いを引きずってしまった自分です。

 一昨年の事、優先席であるお年寄りに席を譲った事がありました。次の駅だったかで一つ席が空き、そのお年寄りが私に座る事を促したのです。他に座る人もいないことから座ってしばらくすると、どっと人が乗ってきました。私はそのまま電車に揺られていましたら、マナーモードにしていた携帯がメールの受信を教えてくれました。私は何気に取り出し、このメールを確認した途端、「マナー違反だ!いい歳して!」と30歳くらいの青年に叱責されました。「観ただけなのに・・・」と思いましたが、ふと張り紙を見ると、優先席での携帯はマナー違反!と言ったことが謳ってありました。素直に詫びた私です。

 ナノにです、この電車の中には何もそれと言った注意書きはありません。アナウンスもありません。思わず良くなったのか?と思ってしまいます。そもそも優先席だけ使っていけない理由がわかりません。ペースメーカーを使用される方に悪影響を及ぼすから・・・とはずっと以前から言われている事は知っています。でも・・・そのような方が必ず優先席だけに座られるとは限りませんし、座れずに立っている事だって十分すぎるほど考えられます。そんな事が安易に決められている認識の甘さを指摘します。本来なら全車両禁止!にすべきでしょう・・・。すぐに連絡を取らなければいけない事とのこう言ったマナーの問題は、事実徹底されず曖昧になっている事に原因があるわけです。