*****ひろのうたびとのしおり・・・其の壱拾六*****


ご挨拶(12/31)

 今年もあっという間に過ぎていきました。今日は大晦日・・・。外は風が強く、夕方から雪になる様子です。なんとか頑張ってやってこれたかな・・・と自負しておりますが、何度もここに記してきました5月5日の倉庫の火災。たくさんの人に迷惑をかけ、たくさんの人に助けられました。出火原因は私どもには無いにしても、反省点は多々あったことに気づかされました。大事なのはこれを踏み台にして更に向上して行こうと心がける事です。商売は物を売って儲けがあればそれでいいのかもしれません。利益が無ければいけないことは当然ですが、それだけでやって行けない事を強く感じました。事細かにここに述べる事は難しいのでしませんが、感じられたことは実感として強く心に刻み込む事が出来ました。人の教えや、何かの活字によって知ってはいたのですが、実感として感じ入る事ができたのは、これに勝る物はないと言う事でもあります。本当に多くを学ばさせて貰いました。少しずつ更に消化して吸収できると思います。そうなって行く事が私達の財産だとも思います。それをどう活かせるか?が大切な課題としてあるのですが、はなはだ今の私には見当が付きません。今年、実感として分かった事は、こうやって文字にしてもなかなか人に伝わりにくいことのような気がします。一言で今年の教訓は感謝しなくてはいけない事が私に回りにたくさんあったんだという事実です。本当に本当にありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。簡単ですが、本年のご挨拶と致します。                  


懐かしのギター(12/27)

 懐かしの友人がお客さんで来てくれました。高校からの友人で、とても優しい彼です。昨日と今日2台の所有車のスタッドレスを付けに来てくれました。その際、懐かしい話をしていると・・・ギターの話に・・・。昔のギターは木の材質が、昨今では希少な物だとかで、おのずと値が高くなる・・・と言うなんとも下世話な会話をしていました。

 長い年月をかけて育っていく木は、なにも楽器に生まれ変わっていくために育っているのでは無いわけですが、木材を資源として確保する・・・ことだけに躍起になっていただろう60年代から70年代・・・は、いいものを伐採して、より良い音色を生むギターなどに生まれ変わって行ったのです。やがてその資源である木材は有限である事に気が付きます。多少材質が劣っていても、名品を生み出したメーカーのそれまでの名前や技術の向上で同じ型のモデルとして作られ、それなりの価格で売ることができる訳です。でも当時使われたギターには、多くの愛好家たちから更なる価値が付けられて、希少モデルとして大いに求められるギターへとなっているようです。

 話を元へ戻しますと、友人との会話の中に、なんと私が昔2台目として所有していたギターの存在が明らかになったのです。中学生の頃、祖母にねだって買ってもらった1台目の¥9.800のヤマハのギターは、ネックが反ってしまって使えなくなり、捨てられたのか無くなりました。その後にお年玉で買ったアリアのギターがそれです。どこへ行ったのか、全く記憶に無いまま忽然と消えてしまった・・・と感じていたギターです。捨てられた・・・のかな?と思っていたギターだったのですが、なんとこの友人の家にある・・・との事、そして今日来店の折に写真を撮って見せてくれました。なにやら当時の仲間と共に寄せ書きをして置いてきた・・・との事。全く責任の無い事ですが、記憶に無いのです。
 
 でもなんとなく読み取れる文字には、間違いないあの頃の気持ちが書かれています。こっ恥ずかしい限りですが、その存在がちゃんとあったことに感謝しなくてはいけません。このギターは70年代の物ではありますが、希少な物では決してありません。ただ、思い出のギターとして持っていてくれる友人に改めて感謝です。


雪が降る〜♪(12/20)

 なかなか更新できず、2週間が経ちました。先週は寒波の襲来で、突然店は混雑を見せ始めました。予想はしていた通りの混雑で、スタッフも総動員で頑張ったのであります。木・金曜日は久しぶりの9時過ぎの終了。一気に交換にお客様の車がお見えになりました。正直この春の火災によるお客様のタイヤを、お返しする本番ですから、私自身緊張しつつの毎日になっています。でもお客様は、「大変だったね〜」と優しい言葉をかけてくださって、皆さんこらえて収めてくださいます。本当に本当に感謝しなければいけません。

 そしてこの雪は、仕事は体がくたくたになるほどですが、火災で受けた痛手を少しでもやわらげてくれる神様からの贈り物だと思います。信用だけは失わないように心がけて・・・立ち直りたい!とそう感じています。たとえ時間がかかっても元気があれば何でもできる!そう思います。

 今年もあと10日あまり・・・自分らしく全力で駆け抜けたいと思います。



どこへ行こうか?(12/6)

 先週からNHKの「気ままに寄り道バイク旅」に侵されている頭です。本当に久しぶりにバイクに乗って見たいと思っていますが、AX-1と言う気が付いたら20年以上も前のバイクになっていました・・・。私にはとても乗りやすく、手放す事もないだろう・・・バイクです。

 ずっと、S30と同じ場所にしまってあったのですが、この度、この手の番組に侵された事で、出動機会をうかがう事となりまして・・・。キャブが固着しているためスロットルが動きません。ゆえにキャブをばらしてクリーニングをしようと試みたのは1ヶ月ほど前でしょうか・・・。そんなに難しい姿をしていないバイクなのに、キャブに至るまであれやこれやとバラシテ行くうちに、とてもちょっとやそっとたじゃ治らない・・・事が判明!(時間がかかることは場所をとるためご法度!なのです。)

 結局、困った時のレノンさんになってしまいました・・・。以前だったらこのくらいはやったのですが、時間に追われジッとしていられない性分になったと言うより、面倒くさがりやになった気がします。いけませんねぇ・・・。レノンさんにTELを入れると・・・「いいですよ」と少々「困ったやっちゃなぁ・・・」と言うあきれた感のある優しいお声でわざわざ引き上げに来てくださいました。

 バスケの仲間にバイクに乗ってどこかへ行こう!!とお誘いをしてくれる女の子がいます。バイクの話を数人としていて彼女がその話に食いついてきた事がことの始まりです。何に乗っているのかは聞いたのですが忘れてしまいましたが、「ツーリングに行きたい!」と言う彼女の誘いに、私はその時全く乗る気がなかったのですが、今回のこの番組を観てその気になってきた・・・今の自分です。年があけて、暖かくなったら・・・のんびりと・・・どこへいこうか?

なつかしの國武舞(11/29)

 一昨年から年に1度、NHKで「気ままに寄り道バイク旅」と言う番組が放送されています(来年はあるかは知りません)。今年の夏だったかに一昨年(北海道編)昨年(みちのく編)今年(瀬戸内編)と連続して再放送されました。私自身は久しくバイクに乗っていませんが、この番組にツアラーとして登場するのが、タレント清水國明とエッセイイストの国井律子。番組ごとに出発地点から到着地点までを事前に視聴者から頂いた見所走りどころを募集し、それを体感しながら、その時々に思いのままぶらぶら走る・・・と言うなんとも良い感じの番組です。

 この番組の事はこれくらいにして、登場する清水國明に幾度と無く会った事があるのです。この方、オートバイの国際A級ライセンスを取得されて鈴鹿8耐に出ちゃったことは有名です。その昔、私もバイクに夢中で、鈴鹿サーキットに足しげく通っていました。初めて見たのは、サーキットにていろんなチームがスポンサー関連グッズを販売するブースが並んでいて、その一角に氏がいたのです。その頃氏は、國武舞レーシングと言うチームを自ら主宰し、積極的にバイクレースに関与していました。

 それからしばらくして、この方、地元福井の出身地に「國武舞村」なるオートバイ乗りの集まれるアウトドアが出来る場所を作ったのです。岐阜から油坂の峠を越えて、九頭竜ダムを過ぎて福井県に入っていくと、小さなたて看板に「國武舞村」と書いてありました。家内とツーリング中に何気に立ち寄ってみると、なんと氏がいて(彼はその年の4時間耐久でハイサイドによる転倒で脚を骨折したばかり)、椅子に座って身動きが取れない状態。それを良いことに私は近寄っていきお話をさせていただいた事があります。そのときにどんな状況で転倒したかを話してくれましたが、あまり覚えていません・・・。そんな話をしていると・・・なんとあのモリワキさんが現れました・・・。驚きの連続です・・・。その数年後、このモリワキさんにはなんでもない普段の鈴鹿サーキットのホテルロビーでお見かけし、長男をだっこしていただき写真を撮らせていただいたことがあります。物静かな方でどっからきたの?レースが好きなの?とか声をかけていただきました。

 次に清水國明さんに会ったのは、職場に程近いユニーの公開番組・・・流石に話をさせていただく訳には行きませんでしたが・・・。それから10年くらい経って・・・美濃加茂のほたるコンサートに氏はやってきました・・・。スタッフとして同じ場所にいた私なんですが、なぜかお話しすることは無く、ただコンサートですから・・・氏の歌声を生で拝聴させていただきました。その歌声はとても親近感を覚える歌声で、そのコンサートの時は、トーク炸裂でそちらの方がよかったかな?と正直思いました。氏の独特な話術は不思議と惹かれるものがあります。ユーモアのセンスは万人を笑わせるものでは無いのかもしれませんが、私にはツボに入ってしまうこともしばしば・・・です。ただ今は、アウトドアをこよなく愛する生活をされているようで、アウトドアを苦手とする私にはアッチ行け!とと言われているようで近寄れない・・・そんな感じですが、バイクに乗ったこの方を番組に観て、たまにはバイクに乗りたいなぁ・・・と思ったのも事実です。


冬の訪れ(11/22)

 寒い今日です。気温は10℃ないんじゃないかと思うような体感温度です。風は無いのですが、シ〜ンとした空気に冷たさを感じますから、冬になったなぁ・・・と感じます。先週スタッフのK太が修学旅行で沖縄へ行ってきました。さすが沖縄・・・20℃を越す毎日で、暖かかった・・・と言うより暑かったそうです。海にも入った・・・そうで・・・流石にひんやりとしたそうですが・・・泳げちゃう訳です。そして来月になると、今度は次女が同じく修学旅行で沖縄へ・・・、沖縄の尚にぃに会えると良いのですが、いかんせん自由に振舞える訳も無く、わずかな時間に会えたら・・・といった感じのようです。

 味処しゅん・・・(弊社の小さな庭)の木々も庭師の方に剪定していただいて、うっそうとしていた様子から寒々とした景観に変わりました。外に置いてあった金魚のいる鉢も、店内へ移動しました。その店内にもお客様のスタッドレスが、所狭しと並ぶようになりました。スタッフの様相も、冬用のスタッフジャンバーに衣替えです。そして、少しずつ、弊社の車も冬用タイヤへ交換。お客様も少しずつ冬用に交換作業が始まっています。

 食卓も、暖かい食べ物が恋しくなって来ました。今宵は親しい仲間と鍋をつつこうと言う予定です。ワイワイやってたくさんの人数で食事をすることは楽しく、心も身体も暖まります。それから、お風呂も、もわっと揚がる湯気で白くかすんで、湯船に浸かる身体がたまらなく心地よく感じます。冷えている身体で浸かる湯船は事の外熱く!水を足したりして適温で入ると・・・体がその湯温に慣れてきたりすると、とてもぬるかったりして・・・追い炊きして・・・環境に悪いなぁ・・・不経済だなぁ・・・と思ったりもします。

 いずれにしても、冬はもうやって来ています。頑張らないといけないシ〜ズンの到来です。


虫達(11/15)

 この時期に良く言われる「カメムシが多いと寒い冬になる・・・・大雪が降る」と言う話。実際今年は多い気がしますが、昨年も一昨年も人からそう言った話を聞きました。でも結局雪が降った日が多いか?と言えば、真逆で暖冬がずっと続いています。ただ、自分の感覚として、今年は本当にカメムシと遭遇する事が多くて、そんな気も期待とともに感じてしまうのです。まぁカメムシを見た・・・と言う事は、それなりのその時その時のvsカメムシ物語があるわけで、自宅でカメムシ見つけちゃった・・・時は、「さぁ大変!」的な気分になっちゃう訳です。へたに触るとあの独特なる臭い・・・が・・・。ゆえに殺してしまう事なんてなおさら出来ず。穏便に退出していただくが一番いいと、そっと、そ〜っと退出願うわけですが、そうそう簡単に出て行くわけも無く、夜だったりすると、部屋の明かりの周りをブ〜ン・ブ〜ンと飛来なさっておられたりして、捕獲が非常に難しい・・・のです。よく皆さんがされるのが、ガムテープでひっつけちゃう大作戦ですが、手の届く範囲だったりするとさほど難しい事もないのですが、飛ばれたりすると悪戦苦闘劇場になっちゃうのです。

 さて、もう一匹の困ったチャン虫が、「蚊」です。まだいるのです。しかも夜中に耳元サウンドでその存在を知るのです。しかもここ最近は毎晩なのです。家中の部屋にいるわけです。大体一部屋に1〜2匹。なんとか撃退する者。そのまま寝た押す者。そのたび喰われてたまらないのです。夏より多い気がします。20年位前にいつから現れていつ頃いなくなるのか?を調べた事があります。たしか、GW頃から飛び始めて、11月3日(文化の日)を最後にいなくなったと記憶しています。でも11月も半ばを過ぎて、未だ飛んでいる「蚊」なのです。
ただ、昔は「シマカ」と言う種類が多かった・・・と言いますか、これしか知らなかったのですが、ここ何年か前から「アカイエカ」をたくさん見るようになりました。毎晩襲われる「蚊」はこのアカイエカなのです。

 そして、この時期どこからとも無く飛んでくるのが、雪虫です。ふわ〜っと飛んできます。この雪虫が飛んでくると「冬が来た」と感じていた子供の頃ですが、雪虫はちゃんと飛んでくるのですが、冬を感じることは無いくらい暖かい・・・毎日です。この雪虫は俗称だそうで、何のことは無い、羽が生えて飛んでいるアブラムシがその正体だったりするらしいと・・・、なんか幻滅です。

 いずれにしても、昔と違う・・・のは温暖化の影響でしょうか?

食べる(11/10)

 不意に耳にしたこの言葉・・・。「食べる」と言う言葉です。ただ動詞としての言葉の意味には行為が存在する訳です。「○○を食べる」と使いますが、人によっては、地方によっては「食う」と使う方もいます。北国の寒い地方の方には、極普通の日常の言葉として「食う」とあるようですが、それは方言の意味合いであって、「食う」とはやはり下品な感じを受けます。何故でしょう?

 言葉の語源に意味があると思ったわけですが、調べてみると「食べる」の語源は、「賜る」から来ているとの事。「賜る」とは神様からの贈り物と言う意味でしょうから、ありがたく頂く事が当然の意識でしょう。「いただきます」と言って手を合わせ「食べる」訳ですね。

 「食う」とは・・・。正直良くわかりません。「食う」の「ク」う・・・食(ク)とは食物を意味するそうで、それが動詞になった・・・と言う事です。ただ、「食う」と言う言葉の使われ方は、決して良い使われ方ではありません。一説に、物を銜える(くわえる)と言うことから「食う」と言う話を聞いたことがあります。動物などが獲物を銜えてから口の中へ・・・そして腹の中へ・・・。人は物を食するとき、決して銜えてから食することは無いかと思います。ゆえに「食う」とは人としての「食べる」とは違うような気がします。

摩訶不思議なるストリート(11/2)

 幼少の頃の話です。今から45年くらい前でしょうか・・・。家は今いる場所から西へ300mほど行った所に建物が半分残っていますが、モノクロのような記憶で断片的に残っている程度ですが、いろんな思い出がうっすらとあります。昭和40年頃は、駄菓子屋がいたるところにあって、今思えばとても近い所に夢の塊なる魅惑のこの空間が、建物的には背中合わせに建っていたのです。

 この店に行くには、家を右へ出て路地を中仙道へ10数mして更に右へ5〜6m。一間ほどの土間があり、子どもの目線には十分な高さに、魅惑の品々が一杯並んでいます。駄菓子屋といえば私の記憶はここなんですが、いかんせんこのお店の名前が思い出せません。この頃の自力なる私の行動範囲は、半径50mくらいだったかもしれません。いえ、家の前は国道です。ここを渡って道路向こう(北)へ遊びに言った記憶はありませんから、この駄菓子屋がある(南)方にしか行った記憶しかありません。南には多くを教えてくれた木曽川もありますし・・・。家の南側に50mが私の行動範囲だったのです。

 この行動範囲はすべて家の東隣にある路地を通っていく訳です。たった10数mの幅1.5mもない路地だったのです。この頃の私の軍資金は¥10で、.しっかり握り惜しめて出かけるのです。おばあちゃんから貰った¥10です。時折、我が家にやって来るあるおじいさんがいましたが、この方から頂く事もあった¥10です。このおじいさんが来るとあつかましくも「¥10頂戴!」と右手を広げていました。「落とすなよ!」と言われて頂くのですが、お礼も言った記憶がない(すみませんでした)私は、その言葉を背中で聞いていたものです。

 そして向かう先は、まずはこの駄菓子屋なのですが、このお決まりごとの数回に1回、しっかり握っていたはずの¥10が駄菓子屋に付いた頃にはもう無くなっていました。家を出て、この路地に行くまでは意識の中にしっかり握っていた¥10の感触はあるのです。でもこの10数mの路地・・・時間にして5~6秒・・・このわずかな時間に私の集中力は、向かう先の駄菓子屋の品々に気持ちが移り、頭の中はその思いで一瞬にして満ち溢れてしまう訳です。期待に思いをはせながら駄菓子屋の敷居をまたぐと、手にしていたはずの¥10はしっかりと消えていたのです。その衝撃は頭から血の気が引く・・・とは大げさですが、すべてを失ったかのような何かが子ども心に広がって行ったものです。こんなことを繰り返すたび毎回この10数mの路地に戻り、何度も何度も目を凝らして探すのですが、1度も¥10を見つけた事はありませんでした。今でもあるこの路地は私にとって摩訶不思議なストリートなのです。


ミスったのはあんただろ!?(10/27)

 昨日、セントレアから名鉄電車に乗って、帰路に着こうとした際のお話。鹿児島からの飛行機が到着したのが18:42分頃・・・。荷物を受け取って帰りの電車の時間を見るため切符売り場へ急ぎました・・・。くたびれ十分な私と長男です。手荷物やお土産などを引きずりながら通路を移動します。動く歩道はありがたいのです。

 食事をどこで摂るか?が二人のこの時点での課題になっていました。家には夕飯はいらない!と申してありましたので外食なのですが、電車に乗れば自宅の最寄の駅に着いてしまいますし、家族の迎えを頼みますので、自宅に腹をすかして二人はご帰宅となってしまいます。近所のラーメン屋さんでも・・・?と思ったのですが、時間を遅らせてもここセントレア内の食べ物屋さんで何かを食べて行こう!となりました。

 長男に1時間遅らせた(20時47分)特急ミューチケットと乗車券を購入してもらい、また手荷物などをガラガラと引きずって二人は、午後7時過ぎのセントレアをうろつく事に・・・。何が食べたい?と長男に聞くと「ラーメンかな・・・。」と二人の意見はすぐに合致したのです。さっぱり系のラーメンを食べようと店を探しゆっくり食したのであります。

 食べ終わって30分ほど時間がありましたので、喫茶店でお茶をして人影もまばらなセントレアを観察していました・・・。やがて時間です。二人はまたガラガラと荷物を引きずって、名鉄電車のホームへ・・・。そこには乗るはずの電車が停車していて、チケットに記してある座席に身を沈め、「あぁこれで帰れる・・・」と安堵したのです。

 電車はゆっくりと走り出し、人影もまばらな静かな車内で私は読書をしていました。すると電車は名古屋市内に入って、どこの駅だったでしょう・・・?神宮前か金山か・・・?で一人の女性がやって来て長男の座っている座席が私の席です・・・と申された訳です。「え?」と私達。お互いのミューチケットを見ると同じ座席番号・・・!?です。「あれ?」とその女性・・・。「すみません・・・」と一瞥して空いている席へ行かれました。おかしいなぁ・・・そんなことあるの?と言うお互いの心文字です。すると名古屋を過ぎた所で、車掌さんがやってきまして、チケットを拝見しに参上です。私達は、セントレアから一度チケットを見せていますので、スルーしていかれました。

 すると先ほどの女性が、席番号が重複していて座れなかった・・・とキット申されたのでしょう・・・。私達のところへ三度この車掌さんはやってきました。すると座席番号は同じなのですが、なんと私達の手にしていた電車は、あえて乗ろうとはしなかった1時間前の電車のだったのです。「間違えて座っていたのは私達?」って事だったのです。

 車掌さんは電車に乗り遅れてこの時間の乗られたのですか?と聞かれましたが、そんなことはありません。チケットを買ったのはこの電車の1時間半も前だったのですが、あえて遅らせ20時47分のチケットを申し立てて購入したのです。私達もまさかそんなミスが駅員さんがするなんて思いませんから、購入したミューチケットの座席番号しか見ないわけです。でもでもです・・・、罰の悪い私達です。車掌さんは、流石にすみません・・・と申していかれましたが、この女性に対してなんか悪い事をした私達は肩身の狭い思いで、電車に乗り続けたのであります。

 この女性と再度眼が合えば、「すみません・・・」と言わなくちゃ・・・と気をもみながら乗って来ちゃった訳です。でも残念ながら・・・?心配をよそに・・・?途中の駅ですたこらサッサと足早に私達を後姿で嫌うように(そんな風に感じて)降りていかれていきました・・・。なんかなぁ・・・と思う私達です。でもミスったのはセントレアの駅員さん!あんただろ?


Mr.ドラゴンズ(10/20)

 昨夜、観戦したCS(クライマックスシリーズ)第3戦。ドラゴンズがスワローズと第2ステージ進出を賭けて、なんとも言えぬ白熱した息が詰まる1戦でした。普段のペナントレースと違って1戦必勝の短期決戦と言うだけあって、緊張感がぐっと感じました。回が進むごとに緊迫した攻防を観戦していると、徐々に私の周りの人たちもテンションが上がってきます。それに同化され私も同様です。

 1回表に先制され、後手に回ったドラゴンズ。3回に和田の逆転2点本塁打。これで一気に優位に立ったわけですが、初回こそ先制点を奪われた先発中田でしたが、2回からは緊迫感を持ったまま何とか責任5回を投げた訳です。その裏、一気に畳み掛ける攻撃、
ランナー1・3塁でその中田に替わって代打立浪・・・。場内は今年で引退するMr.ドラゴンズの雄姿を心にとどめようと・・・そのドラゴンズの象徴である立浪を思う気持ちで場内は大いに盛り上がったのです。私も鳥肌が立ちました。こんなにもたくさんの人を魅了するこの人に感動です。そして、その大観衆の期待に応えるかのようなタイムリー2塁打です。場内は総立ち!最高潮に盛り上がります。感涙の瞬間でした。

 努力することをいとわず、絶えず謙虚で邁進する姿の人が、現実に目の前にいるかと思うと、感謝の念すら覚えます。思い出すのは、Gが優勝を決めた最後の打者が立浪だったと思います。大騒ぎするGナイン・・・するとTV画面に映った一瞬ですが、球場を去る際に立浪がグラウンドに一礼する姿・・・。これが彼の愛される所以です。彼の人となりを感じた瞬間でした。人の値打ちとはこう言った行ないに出るんですね。教えてもらった気がします。
 

蒸し返し(10/13)

 「蒸し返し」・・・この意味は何でしょう・・・?まぁ一度終わった事が再び起こってくる状態・・・とでも言うのでしょうか・・・。まぁ過去の事で終わったはずの事が、もう一度紛糾したような状態になったりした時に「蒸し返して〜」と口にしたりしますが・・・。

 この言葉を妙な時に使った私の父親・・・頃は夕飯時です。食事時にTVを観ていました。なんとなくやっていた番組を観ていた私。すると別部屋から食事のためにやって来た父。「おっ、他に何かやっとらんか?」と私が何気に観ていた番組を観て瞬時に自分にとって面白くない・・・と判断したのでしょう?それを、さも他の家族が皆そう思っているかのような民主主義にのっとった意見だ!とでも言うように番組を替えろ!とノタマッタのであります。

 まぁ私としましても、別に何でも良かった・・・ので適当にチャンネルを替えますと・・・「はぐれ刑事純情派」がやっていました。すると「おっ、これでいい・・・」と父は食卓に付いたのであります。でもでも・・・でもです。他の家族は皆「これ観るの・・・?」と言う顔です。だって途中からですし、なんやらストーリーは終盤の様子。今から観ても・・・ちっともわかりません・・・なにより古い・・・再放送なんですね・・・。藤田まことが若いのです。正直画質も若干色あせた感は否めません。はっきり言って他の者は観たくない・・・のです。

 「これ観るの?」と他を観よう・・・と私。しかし父はもう見入っている様子。「古いやん・・・」と理由無き抵抗を見せる私。「そりゃ、蒸し返しやで・・・」と父。「?」と家族。しばらくTVは「はぐれ刑事・・・」を映しておりましたが、食事を終えた父。TVの前のソファーに座りなおし・・・。父のこの再放送を「蒸し返し」と表現した感性が他の家族は皆???状態だと思っていたのですが・・・、それに疑いなくてっきりこちら側の意見を持っているものだと思っていた母が、「あら、あの娘(こ)も若いねぇ〜・・・」としっかり嬉しそうに見入っていたご様子。そしてその母も続くように、「懐かしいねぇ・・・蒸し返しのドラマやねぇ・・・」と何と父と母は、これを再放送と言わず「蒸し返し」・・・と表しまして、長年一緒に暮らしてきた私でさえも、両親のこの盲点を突かれたその感性には正直驚きましたし、はじめて聞きました。すると驚いている私の横で更なる反応を示した者がおりまして・・・この「蒸し返し・・・」と言う言葉に妙に反応を示したのが家内でした・・・。母の「蒸し返し・・・」と言う追い討ちとも言える言葉を聞いて、彼女なりの笑いの頂点に達したのか吹き出す始末。

 しばらく「蒸し返し」と言う普段思いもしない言葉が、壷から抜けない内は頭を過ぎり「ニャっ」とする家内の有様でしょう・・・。


秋の味覚(10/4)

 七輪で秋刀魚を焼いて食べようとMファミリー等と昨晩やらかしました。七輪で・・・と思っていたのですが、人数が10人を超える事から友人Mの持つBBQコンロにて焼く事にしました。七輪は、たっぷりのうどん鍋の煮込みように使用しました。上手く秋刀魚を焼く事が一つの課題です。美味しく焼くには・・・ですが、子供の頃、この秋刀魚を焼いているのを見ていたことがありますが、煙モクモク・・・ボワ〜ッと炎が上がって、あわれ秋刀魚は真っ黒焦げ・・・となったように記憶しています。また秋刀魚を七輪など炭で焼くと遠赤外線効果で、中身までばっちりと美味しく焼ける・・・のでどうせなら味わってみたいもの・・・。

 炭を熾します・・・。物の記載によると・・・炭を熾した後、炎がたってから全体に白いススが付いた状態にして安定させる。炭の量は少なく・・・とあります。実際こんな量で良いのかな?と思いましたが、たとえ炎が弱そうに見えても、お待ちかね遠赤外線・・・は、この状態でたくさん出ているそうで、じっくり焼く事で程よい焼き加減になる!という事です。

 言われるがまま、この状態でやるのです・・・実に素直な私と友人Mです。しばらくすると秋刀魚から脂が滴り落ちます。煙がモクモクと・・・昇り始めます。団扇で扇ぎます。ひたすら扇ぎます・・・(半信半疑です・・・)。な〜んか焼けてる感じがしません・・・。「貧乏人には秋刀魚を焼かすな!」と言う話を聞いたことがあります。貧乏人・・・と言う表現が妥当かは良く分かりませんが、気の短いセコセコした者が秋刀魚を焼くと、この状態が待ちきれず、頻繁に秋刀魚をひっくり返したりして、網の上の秋刀魚をボロボロにして形が崩れてしまい・・・上手く焼けない・・・と言うたとえです。

 じっと待ちます・・・でも疑心暗鬼・・・は続きます。で・・・結局いくらなんでも・・・と炭の量を増やしてしまいました・・・。するとやってはいけない滴り落ちた脂に引火・・・ボウボウと炎がたち「ありゃりゃ・・・」となってしまい、慌てて網を持ち上げて避難です。この状態を2回もやってしまいましたが、結構良い塩梅(按配)で焼けているんじゃないか・・・と言う自画自賛(そう思いたい)になって、裏面も焼く事になりまして・・・ひっくり返すのですが、姿勢良く焼けていた秋刀魚さん達は、反り繰り返って整然と並んでくれず・・・、骨折する秋刀魚やら身が崩れてしまう秋刀魚など・・・も若干出たりしましたが、なんとかして熱い網の上で、行儀良く秋刀魚を並べて遠赤外線で美味しく?焼けたのです。

 これに、娘達が擂ってくれた大根おろしにポン酢をたらしてねぎも少々ぱらつかせ・・・美味しく食したのであります。正直上手に出来たんじゃない?と言う感想です。ポイントは炭は少量でよい!じっくり焼く・・・と言う事を学びました。優しく我慢して待つべし!!そして内臓も美味しく食べられました。グリルで焼くより美味しかったと思いました。

 なんでも、秋刀魚は食べた物を排出するまで、30分ほどしかかからないとかで、内臓を食べてもエグイ味がしないとか・・・このエグイって表現が今ひとつ分かりにくいのですが、これも遠赤外線・・・のおかげだと・・・思うのでした。



三線(9/27)

 一昨日、長女たちが25日間の沖縄見聞録を終えて帰って来ました。何かとお世話になった沖縄の皆さんに本当に心から御礼を申し上げなければいけません。懸命にもてなしてくださったお気持ちは、十二分に娘達に伝わったようです。本当にありがとうございました。

 普通に暮らしていれば、沖縄に方々と親しくしていただく事も無かったと感じる訳ですが、尚にぃからの1本の電話が、こうやって一つの縁が結ばれ、遠く離れていた岐阜の人間と沖縄の人間が知り合えた訳です。近くに住んでいても全く知らない人がいるのに、本当に縁とは不思議な物です。そんな気持ちを肌で感じてこの娘達は帰って来たようです。滞在中のあれこれを聞かされて、それを知らされる私達でした。

 昨日の夜の事、私が日課としている洗濯物の整頓・・・(気持ちが落ち着くんですね・・・これが・・・)をしていると、娘の部屋から、三線の音が・・・。沖縄の旅愁を思い、三線で「涙そうそう♪」をたどたどしく弾く娘でした。この三線の音色は、誰でも聴いたことがあると思いますが、癒しの音色です。単音なのですが、全く持ってへたくそ!なのですが、一音一音が気持ちを落ち着かせてくれる魔法の音色なのです。娘のへたくそなそのメロディ?に耳をそばだてて聴いている洗濯たたみの私でした。

 私の幼少の頃は、遠く異国の沖縄でしたが、今はすぐ近くにいる沖縄のようです。

不思議に思うんですが(9/20)

 世間は秋の連休(シルバーウィーク)です。ですが、GWのような騒がしさが感じられません。店の前のR21・41は閑散とした交通量です。まったりとした風が吹いている感じです。秋もだんだん深まって行くのでしょうね。当たり前ですが、気配はそこここに見つけられます。

 全く関係の無い話ですが、ちょっと不思議に思うことがあります。実を言うと以前から感じていた事なのですが、PCウィルス撃退なるソフト・・・PCセキュリティの最たるソフトですが、以前感染した経緯があったもので、致し方なくこれを使ってみた事がありました。そして年度ごとにバージョンアップ・・・侵略するウィルスとはいたちごっこの様相で、いつまでも通用するはずも無く、いくらか払って新しい物に乗り換えていかなくてはなりません。しかし、バージョンいくつだったかの時、相性が良くなかったようで、事の外動きが遅くなりまして・・・それからと言うもの使わなくなってしまったのです。これはとても危険なのでしょうが、少なくともサーバーによる、メールなどのセキュリティに頼っている・・・訳で・・・。不安な状況ですが、今のところなんとかやっています。

 で・・・、その不思議な事と言うと、このソフトの新しい物が出る頃になると、店にウィルスメールが頻繁に来るようになるのです。な〜んかウィルスを発生させている族がどこかにいるわけで、こいつらのいけない行いが、市民を・・・世界中の人たちを困らせている・・・、その困った事にならぬように、PCにウィルスを撃退してくれるこのようなソフトが発売され、困った人たちがお買いになり、これらを作っている会社は儲かる訳です・・・。でも更にこまったウィルスをばら撒く族がいて・・・と言う図式になり、繰り返すいたちごっこ・・・になるのです。
 
 しかし、本当にこの愉快犯的な新型ウィルスを作る族が、ただ面白がってやるのでしょうか?何のために?暇に任せて?簡単にできるの?いろいろ疑問は浮かんできます。発売を謳う時期になるとウィルスメールがたくさんやって来る・・・この疑問は、ある答えを導き出してしまう・・・のです。違っているのかもしれませんが、そう感じてしまうのも自然的な感じです。ひょっとしたら、困ったチャンメールをばら撒き、感染者(PC)を増やし・・・このウィルスを撃退できるソフト・・・を使えば駆除できる・・・となって、需要が増え会社は儲かる・・・図式です。誰がやっているかは分からない訳ですから、見つかりにくい・・・世界です。あくまで私のいけない想像ですが、自作自演でやっているのかな?と・・・だって1日に10通以上ウィルス添付メールが配達されるんですよ・・・。迷惑な話です。TVでCMやってるでしょ?



里山の湯(9/14)

 この温泉施設が出来たのは、もう5年以上になると思いますが、ここへ足しげく通うようになったのはつい最近です。行くなら夜・・・がよろしいかと・・・、入浴料は¥600。眼の悪い私としては、ぼわ〜んと薄暗い湯船は、当然見辛いところですが、この雰囲気・風情がなかなかあんにゅいで良いのです。里山の湯は昭和村の施設内にあります。

 かけ湯をします・・・、それから「さて、どこの湯船に入ろう・・・」と思うのですが、私は迷わずかけ湯の向こう側にある湯船に浸かります。一度にたくさんの人が入れる屋内の湯船ですが、この湯加減がとても良い・・・のです。若干ぬるい・・・のが良い感じです。ここで5分くらい極楽〜♪を味わって、身体を洗う・・・こんな順序です。その後、おもむろに露天へ・・・。数種類の湯船に浸かるわけですが、湯加減が少し高め・・・。予め身体が馴染んでいますから、ここもまた良い感じでどっぷり浸かります。「良い湯だな〜♪」なのです。

 こんな湯船の加減に、心遣いを感じたりするのです。どこでもこんな感じなのかもしれませんが、心遣い・・・があって良い感じなのです。こんな事を感じながら、石田三成の風説を思い出したりするのです。歴史に興味のある方なら、知っている逸話ですが、秀吉が
鷹狩りの際に立ち寄った寺にいた少年三成(佐吉)が、汗をかいていた秀吉に、ぬるいお茶を茶碗になみなみについで渡し、それを飲んだ秀吉が、もう一杯と言うと少し熱めにしたお茶を半分。そしてもう一杯!と言う秀吉に熱いお茶を出した・・・。その少年三成の心遣いを気に入った秀吉は、三成を召抱える・・・「三献の茶」と言う逸話です。これは、何にしても、提供する側は、される側の立場(心理)になって事を成す・・・と言う教えがあります。

 私は、ここ里山の湯に入る時、いつも期待通りのこの湯加減が気持ちが癒されて、気に入っちゃっているのです。感謝です。

沖縄から(9/9)

 長女が沖縄にお世話になって1週間以上が経ちました。今は、メールで事細かに情報が送られたりして知る事が出来ます。1日に数回、どこどこにいると一緒に行ったAちゃんとの写真を頻繁に送ってきてくれます。最初は元気にしているなぁ・・・と思っていたのですが、そのうち・・・どこそこで・・・と記載してあったものが、結局写真だけになり、食事のメニューが送られたり・・・何なのか良く分からないのです。メッセージを添えての写真を送るように・・・また、二人の写真じゃなくて、バックに景色なりを写り混ませて送るように・・・。

 さて、その長女・・・電話が掛かってきました。お世話になっている尚にぃの長男かずきが野球を始めた様子・・・。プロ野球に好きなチーム・選手がいるようです。それを知った長女「おねぇちゃんのお父さんがプロ野球好きやで、頼んだげるわ」と電話の向こうの長女の話を聞けば、かずきはGのファンらしく・・・しかも小笠原が好きらしい・・・話のすべてを聞かなくても、この小笠原のグッズを送れ!という事です。ナゴヤド〜ムへは今年はもう行かない・・・?つもりですが、どうもそこで買って来い!というようなメッセージです。そのためだけに行く事はなかなか辛いものがあります。そこでネットによる手段で沖縄に送りました。いつ着くのかは分かりませんが、かずきが喜んでくれるものと勝手に悦に浸っておる自分です。ただ・・・このサイトを利用するにあたって、会員(無料)になる必要があって・・・、これに一番の抵抗感がありました。Gの組織に自分の名前が登録される・・・それだけでも許せません・・・が、致し方なく泣く泣く登録・・・。かずきの電話越しに聞こえた可愛い声に応えるためにおいちゃんは、がんばりました。でも誓って魂はドラゴンズなのです。

 そして、もう一つ・・・こちらに来た際、沖縄ご一行様におばあちゃんお手製の栗きんとんを振舞いましたが、沖縄でその話題になった様子で、「また、食べたい・・・」と言う声を聞いた長女・・・、早速携帯メールが入りました。「送って・・・」と。それはそれでおばあちゃんのお手製の栗きんとんを・ここ岐阜の銘菓を受け入れてくれた沖縄の人たちに・・・、それを意気に感じて何とかしようと思っている長女の気持ちに応えるためにも・・・。

 でも日持ちしない生菓子です。残念ながらおばあちゃんの栗きんとんは、とても持ちません。仕方ないので既製品を送る事にしました。これでしたら、4日間くらいはOKとの事。2日間の輸送期間を除いても2日間の賞味期間があります。早速このあたりの有名店のネットにて発送手配をしたところです。着いたらすぐ食すように・・・。いろいろ沖縄を感じるうち、言葉・生活習慣・食生活など・・・当然ですが、当たり前が当たり前ではないんですね・・・、感じることが楽しい今日この頃です。

沖縄より・・・沖縄へ(9/1)

 沖縄に住む尚にぃご一行様が、約束どおりこの夏岐阜へやって来ました。4泊5日はまさしく賑やかな時間でした。昨年春、バスケで知り合った尚にぃ・・・一緒にいる子ども達の信頼も厚く、リーダーシップを発揮し、かといってくそ真面目な素振りなど微塵も見せず、かといって、不真面目が目立つ訳でもなく・・・、彼を慕う多くの若者がいます。このおおよそ4日間は、過ぎ行く夏の楽しい思い出として、こんな私にさえも、訪れさせてくれました。本当に楽しい4日間です。

 そんな沖縄・尚にぃをはじめ、沖縄の方々を慕って、我が娘が、一緒に3週間ほど沖縄へ行ってしまいました(笑)。当初は、一人でも行くような気構えでいたようですが、同級生の集まりで、数人にこの話を持ちかけたところ、一人Aちゃんが一緒に行ってくれる事になったのです。同級生・・・と言うものは、素敵な出会いです。この先利害関係も無く、いくつになっても同級生は、時間を超越して学び舎を共にしたあの頃に戻してくれるのです。そんな2人が、3週間・・・寝食を共にするのです。どんな経験をするのでしょう・・・。

 この2人にとって大切な時間が訪れようとしています。


靴を履き替えます(8/25)

 今履いている仕事靴は、どれくらい履いているか覚えがありません。買ったのは、ちょっと大きなスポーツ用品店のジョギングシューズの安売りコーナー。汚れてもいいように黒い色を選びました。私の足は甲高で横にも広がっています。だから格好良い先がシュッとなった感じの靴は履けません。注意しないと足が痛くてせっかく買った靴も履けなくなって泣く泣く止めた事もあります。靴を買うなら夕方から買いに行け・・・と言われるほどですから、靴を購入するのは夕方・・・です。

 そんな靴に穴が開いています。底に・・・ではなく表?上?に人差し指が入るくらいの穴です。原因は、事務所2階の住人(犬)のクリ・・・。昼間、幾度と無く席を立って下へ降りていく私の足に噛み付いてくるのです。これは、今年の正月からで、誰も来なくなった正月休み・・・寂しかったのです。2階はクリにとっては自分のテリトリー・・・自分が主なのです。そこへやって来る私は喜んで招かれている客人?で断りも無く下へ言ってしまう事は、クリにとっては許し難い事のようです。「行くんじゃない!!」という事で、ガブッとやってくれるのです。痛いんですよ〜・・・。

 そんな靴を履き続けていたのですが、去る5月の災難の時もこれを履いて復旧作業に従事しました。たくさんのススを吸って、黒い靴の中に黒いススがたくさん付着しました。幾度か洗って履いていますが、沁み込んでいるのでしょう・・・白い靴下を履いてちょっと雨の日なんかに歩いたりすると、靴下に黒〜い汚れが付いて、靴下が駄目駄目になります。そんな靴も裏が減ってきました。そろそろ替えようかな?という事で、先日夕方、同じ場所で買って来ました。いろいろ選んだあげく・・・手にしたのは、なんと全く同じ靴。黒い靴、履きやすい靴・・・そして安価である事・・・。なにより頑張ってくれたこの靴と同じ靴には、私なりの愛着と信頼がある事に気が付きました。たかが靴・・・でも生業を支えてくれている足元に気を配るのは、大切な事です。誕生日を境に履き替えようと思っています。 



草津良いとこ〜♪(8/16)

 このお盆をどうしようか・・・?と悩んだあげく、不意に思いついた行った事の無い草津温泉・・・。地図で調べると・・・群馬といえども長野県に近い場所・・・(決して近くは無いのですが・・・)。「よし!!」と思い立って予約を開始・・・。当ても無くネットで探してみると、意外や意外・・・あるんですねぇ・・・。もっとも良さそうな所は、すでに満杯・・・。今からでも間に合う・・・を検索条件に探してみると・・・ありましたありました・・・。高松・・・と言う名の旅館です。まぁhpで観るかぎりは良さそうと・・・思い・・・とまれりゃいいか・・・的な思いで予約を入れました。「よく取れたね。」と言われましたが、ネットは便利です。宿泊施設側もこうやってPR出来ますし、こちらも簡単に探せて・・・景気のせいなのか、草津への人気の低下なのか・・・?結構空いていたのです。

 さぁ行った事の無い草津・・・。お出かけは13日の夜10時頃に出発・・・。参加者はl、私、家内、次女の3名です。静岡の地震の影響で中央道は混雑が予想される事もあって、行けるとこまで行っちゃえ作戦です。東海環状可児御嵩ICから中央道へ。中央道は混んでる混んでる・・・80km/hで巡航・・・。追い越し車線は、ぶっ飛ばして行く車両で一杯です。結局小黒川SAで仮眠をとって、早朝5時頃、空が白み始めた頃に出発。行き先は、長野善光寺・・・です。牛に引かれて善光寺・・・です。私は2度目、家内と次女は初めて・・・です。

 6時55分善光寺到着。なんと参拝者はすでにたくさん見えます。こういうものなのか?お盆からなのか?1時間半ほどいた後、一路草津へ・・・白根山経由で行くと景色はばっちり!!という事なので、そのルートで・・・。ところが・・・。

 いや〜・・・草津は山の中なんですね・・・。今まで考えた事が無かった・・・白根山は。標高も2000mを超える山で・・・湯釜と言われるカルデラ湖が絶景とかで、一見の価値あり・・・と言うことでしたが、駐車場からひときしり登らねばならないのです・・・。私、ギブです・・・。寝不足で身体がしんどいのです。家内は珍しく登ろう!と言うのですが、結構あるぜ!この登り・・・なのです。で・・・、止めました(笑)。さて、白根山は火山です。硫黄の匂いが香って来ます。そんな山道を今度は下って行きます。すると登ってきた道と違って、天気もよく、絶景の連続です。「お〜っ!」と感嘆の声を上げていたら・・・なんと草津の町へ到着です。草津の町は・・・正直狭い・・・。予約した宿へ・・・探していると本当に細い道へ入ってしまいましたが、どうやら草津全体がこんな入り組んだ道ばかりのようです。

 結局、まずは、有名な湯畑・・・の近くの駐車場へ停めて、初湯畑・・・です。TVで観たそのまま・・・と言った感じでした。この湧き出る湯量は、昔と変わらないのかなぁ?と個人的に考えたのですが、湧いている様子が、それほどでもない感じがしたのです。でも滝のように流れ行く湯量は、ド〜っと流れていますから、結構湧いているんですね・・・。草津良いとこ〜♪一度はおいでぇ〜♪と歌われる初草津・・・宿で入った温泉は・・・熱い!!しかも混んでる!!身体を洗う場所が無い!湯船に浸かって待っているには、熱すぎる・・・。先客の顔ぶれを見ると・・・高校生・・・のようです。実は、宿の表の看板にあった、国学院久我山高校御一行様・・・なのです。正直彼らと一緒に風呂でかち合わないように入ったつもりが・・・ビンゴだったわけです。一番はじのおっちゃんが洗い終わるのを見て、狭い洗い場でちゃっちゃと洗って、熱い湯船にうぉ〜っと浸かって、サッサと出ました。また、夜入ろう!!と心改めて部屋でくつろぎ、高校野球県岐商の大勝をTVで観戦!寝不足のため転寝に誘われた事は言うまでもありませんが・・・。

 1泊2日の旅行も、前夜の出発という事で、とても有意義な長い旅に感じられて・・・自然一杯で、懸念されていた渋滞にもたいして遭わず、のんびりな旅でした・・・。草津良いとこ一度はおいで〜♪なのでした。


おい!君んた!!(8/9)

 季節をたくさん感じていたい毎日ですが、心奪われ時間はあっという間に過ぎていきます。気が付けば本当に夏もお盆の頃となります。夏の高校野球も地方大会から甲子園へと代表校が覇を競い合う熱戦が繰り広げられています。私の子供は、スポーツではないのですが、数日前、吹奏楽の県大会が行われまして、娘の高校の出場時間に合わせて仕事の合間を縫って出かけていきました。

 場所は、羽島市文化センター・・・以前も来た事のある会場です。この日のために子供達は、本当に毎日・・・休みも無く猛練習に打ち込んでいました・・・。でも聴いた感じは、正直先月行われたコンサートの時のような感動を感じませんでした。音が小さい・・・迫力が無い・・・抑揚に欠ける・・・メリハリですか?そんな躍動感のような伝わって来るものがあまりありませんでした。他の高校に比べて難しい楽曲を演奏をしていて、はっきり音は出ているのですが、う〜ん・・・残念です。

 結果を聞かずに帰路に着いたのですが、子供からの連絡で・・・「銀賞・・・」との事。銀賞は正直ショックでしょう・・・。あれだけ毎日そのためだけに時間を費やしてきた訳ですから・・・。さぞ悔しかったと思います。でもそれも経験・・・。長い人生のほんの数年です。出来ない経験をいっぱいして、明日をまた見つめて頑張って行けばいいのかな・・・、なんて言ったって若いんだから・・・。

 でも、気に入らない出来事が・・・、通学の際、駅に置いた自転車・・・と言うと、自転車を盗られた・・・かと思いきや、ヘッドライト・・・を盗られてしまったのです。それも2回も・・・です。悔しいので、3回目は、留めてあるねじの類も、種類を変えていろんな工具を使わないと盗られないようにして、ついでにプラスねじのくぼみに、はんだを流し込んでふたをして、その上から木工ボンドでコーキングしてやりました。

 でも、ふと気になったある日、自転車置き場付近を長男と車で通りかかった際に、見に行こうと脚を向けました。信号待ちしていた時に、ふと駐輪場をみると自転車に乗った中学生らしい2人・・・、最初は駐輪場を利用する様かと思ったのですが、車をそばに停めて降りようとすると、その駐輪場にいた先ほどの中学生らしき2人は、何やらこそこそと・・・よく観るとドライバーで明らかに他の自転車の何かはずそうとする様子です。思わず注意しようと車を降りようとした私に長男が「慎重に・・・何するわからんで・・・危ないで・・・」と私に躊躇させる一言・・・。

 でも抑制はさせないといけないと思い、車を降りて彼らに話しかけることも無く、近くをウロウロ・・・すると彼らは、慌てて自転車に乗って立ち去りました・・・。残念ながら、取り押さえるまでには至りませんでしたが、近くの交番へ・・・状況と特徴を伝え、被害にあっていたことを伝え帰って来ました。見た目は普通の子供たちですが、自転車は、アップハンドルで、荷台は背もたれがあるようなタイプを装着し、青いモールを付けてキラキラさせて目立ちます。でも今度見かけたら、声を間違いなくかけると思います。「おい!君んた(君達)、何をしとる?」・・・この一言がその後の展開のイメージが、長男と私とでは大きく違った訳です。難しい事なんでしょうね。


釣りがしたいけど(8/2)

 今年の梅雨はおかしい・・・のは周知の事実。前半こそはそれ程でもない・・・梅雨空だった気がしますが、九州南部、四国が明けて、その後中部圏を差し置いて、関東が梅雨明けした辺りからどうも雨の日が多くなった気がします。冷夏の1993年・・・米不足になったこの年、今から16年も前になるなんて・・・そんな前だったか?と感じる年月の流れの速さ・・・です。

 先ほども木曽川に散歩に行ってきたのですが、水の量は多く、流れも速く色はカフェオレ色・・・茶色なのです。500mほど上流に、化石林公園があるのですが、ここは昔から入り込んだ地形であるため、大水の時には昔から激流から身を守るため、川にすむ生き物達が非難場所・・・としてあるのです。稚魚たちはもちろん、大人の鯉やウグイ、鮎もいるでしょうし、昔はオオサンショウウオなども観た事があります。昔は大水が出ると、多くの人たちが大きなタモを持ち、岸辺に集まった魚を捕らえていました。そんな中にはヨツデ(たぶん四つ手と書くんだと思いますが・・・)を持ち込み、ガサッとさらっていく人もいました。それも一片が3m〜5m位ありそうな(子供の頃の記憶ですからでかく見えた・・・本来はもう少し小さかったかもしれません)ヨツデを持ち込みドバッ〜とかっさらって行くツワモノもいましたっけ・・・。そんなヨツデにオオサンショウウオが捕らえられていました。

 そんな記憶から、そこへ釣りに行こうかな?と思い立ったのですが、雨が止まないどころか、豪雨になったり・・・いだっつぁまがゴロゴロ・・・となっているわけで・・・危険でできやしねぇ・・・のです。今年はまだ一回もやっていないのですね・・・つまらんのです・・・。でもいつまでこんな天気が続きますやら・・・?本当異常気象なんでしょうかねぇ・・・心配です。

腰痛に加えて(7/27)

 ここんところ、毎朝目覚めの瞬間から腰痛がしっかりと目を覚まさせてくれる訳です。過去に感じた事のある痛みで、たとえば風邪などひいた時、長い時間寝ていることを強いられた場合に起きる痛みなのです。しかし今は普通に寝起きしている、幸い寝込むことも無いここ数年なのですが、何故にこの痛みが襲っているのか・・・正直わかりません。

 なんとなく思うことは、あれ以来(5月5日の大事件)仕事らしい仕事はpcに向かっていろいろやるデスクワークが本当に多くなり、普段の力仕事をしていない訳です。私の肉体20代前半は、私の長男よろしく「ひょろひょろ」とまでは行かなくても腕も細く、大した体つきではありませんでした・・・。それがこの仕事に従事するようになり、日々力仕事をするうちに、体つきが大きくなって・・・筋肉と脂肪が今の体つきへと変えていきました。そんなこんなで27年・・・中年の域へ突入し、私の身体は衰える事も覚え、普段の仕事量に悲鳴を上げることもしばしば・・・。それがまた逆に適量なる筋トレの要素を含んでいる事も事実。それが最近のデスクワークで見事に腰辺りの筋力が衰え、ナントも頼りない域まで衰えた・・・腹筋は、腰や背中の筋肉にダメージを与え・・・このようなきしむ様な痛みを覚えているのでは?と解している自分です。

 しかも、その腰痛に加え、困った事に、自宅pcに繋がる長〜いLANケーブルが断線したらしく、ネット作業が出来ず・・・仕方なしに店のpcで事をなす家族・・・。そして、気温こそ暑くは無いものの、湿度はMAXなる毎日を快適に送るためのエアコン10年選手が、エラーコードを点滅させながら、動かなくなり・・・寝苦しい夜を送る事2日目・・・。今日は歯医者さんなのです。

今年も挑戦!!(7/21)

 今年で3回目の挑戦になる飛騨・木曽川Eボート交流会。今回の会場は笠松町の木曽川河川敷です。毎回いいところまで行くのですが、順位としては平凡な結果に終わっています。前々回が8位・前回が7位・・・今年は6位?とそんな都合よくは行かないことは良く分かっていますが、ぶっつけ本番での反省点は活かそうと思っても「また来年!!」という気軽さ・・・忘れてしまう訳です。

 でも、今年も迫ってきた今の時期、昨年を思い出し、友人Mと談義に華が咲きます。漕ぎ手の配置をどうする?だとか漕ぎ方の事とか、ヴイを回るのはどちらから・・・だとか。風を読んで・・・だとか・・・、意識や知識だけが先行して、迷走しないようにしないといけませんね・・・。

 でも結局、「よ〜い、バ〜ン!!」と鳴ると、ひっちゃ気になって漕ぎまくり・・・ばらばらのリズムになって・・・トチンパタン・・・とボートはどうぞこうぞ進んでいく事になるような・・・気もします。でも今年こそは・・・とより良くしようと・・・決意をしている私と友人Mなのですが・・・いかんせん、2人だけなのです。そう・・・10人で漕ぐのに、2人だけ・・・なのです。結局思い通りにはならないのです。でもやっぱり燃えるのです・・・。

水曜の夜は(7/12)

 毎週水曜日の夜、と言っても最近のことですが、水曜日の夜の岐阜チャンでやっている「いい旅、夢気分」をなんとなく観る事が好きになりました。タレントさんが、家族だったり、友人だったりと2〜3人で旅をし、温泉だったり旅館での食事だったり、その土地土地の名物・名所を2泊3日という行程で旅をします。と、番組の概要を説明しなくても長寿番組・・・?ですからみなさん知っていますね(笑い)。

 そんな番組を観ながら、何をするかと言いますと、洗濯物をたたむのです・・・。これがなぜか気持ちが落ち着いて心地良いのです。まぁ夏物は洗濯物が半袖だったりして割と簡単にたためたりしますんで、それが私には良かったりします。長袖はどうもたたみにくく家内に任せてしまいますが・・・。家内に習ってたたみ方を覚えます。これはたたむ事に集中してやると、おっくうに感じますので、この何かに気をとられながらやる事で、逆に心地良さを感じながら事は終了できるのです。たくさんの乾いた衣類が少しずつ片付いていく事も、達成感と言いますか、「たたんだなぁ〜」と言う満足感を感じます。

 先だってはたまたまこの地域の紹介でした。3人の男性タレントさんが、郡上八幡から奥美濃を経由して高山、下呂を2泊3日で旅するものでした。この郡上八幡には先日も行きましたし、実は来週、同業社の方から「遊びにおいで・・・」とお誘いをいただいて行って来ようと思っています。有名な盆踊りも始まりましたし、何年か前に行った時に、日が落ちた街並みをそぞろ歩き・・・、なかなか風情のある落ち着いた街並みで、ちょっと軒先を入ったら、何か細い小路沿いに水路が立って、綺麗な湧き水が流れています。ほんわりと白熱電球の灯りに浮かんだ情景は、昔子供の頃観た情景だったような気がしました。あぁ来週が楽しみになってきました。

 

書類提出(7/6)

 倉庫の改装に伴い、今一度消防署に提出する書類を作成しなくてはいけません。まずは、消防署へ出向いていきまして、関係書類を頂き、その詳細を説明してもらいました。さて、分かったような気持ちになって頂いた用紙を取り出し、下書き用の鉛筆で・・・・(汗)。何やったっけ?・・・・あれ?となったのです。まぁいつもの事でやっぱりこうなった・・・訳で・・・。仕方が無いので書ける所だけを書き込みこの日はこれで仕舞い込んだのです。

 いろいろ他にやる事があり、数日後改めて腰をすえて取り掛かりました。恥を忍んで電話にて担当をしてくださったNさんにお伺いをたて改めて教えていただきました。なるほど聞けば親切に教えていただけた事もあって、段々聞きなれない言葉や文言が理解できるようになります。電話を切り、そしてまた書類に目を通して準備するものや、それに伴ってすべき事をやって書類を持って再び消防署へ・・・。そうすると聞き漏らした事項があることが分かり、書類を持って帰宅・・・と相成った訳です。

 今度は、慣れない図面をじっくり眺め、床面積を計算したり、それに伴って窓がどうたらこうたら・・・という規定に順ずる書類を書いて・・・。それを加えて三度消防署へ『行って来ま〜す!!」と元気良く。すると、その計算式には間違いは無いのですが、余計な文言を入れてしまったため書き直し・・・のお告げ。更に屋外の場所に対する提出書類も加えなくてはいけない事が判明・・・。とほほ・・・で帰宅となったのです。

 しかし、ゴ〜ルはもうすぐです。一生懸命図面に書き込んで、すべての書類が出来上がりました。「よし!」と車に乗って四度消防署へ・・・。「できました?」と優しい笑顔のNさん。提出した書類にサッと目を通し、「これでいいですよ」とOKを頂きました。そして後日消防検査と移行します。ちょっと大変でしたが、いろいろ勉強になった数日間でした。でも店のほうの書類も提出・・・という事も宿題として残っているんですね。消防法は日々改定があってあの頃は良かったことが、今では通じない事になっていたりして・・・大変なんですね。