*****ひろのうたびとのしおり・・・其の壱拾弐*****


ご挨拶(12/28)

 毎年、この時期はお客様のところへ挨拶周りに出かけます。明日が最終日になるかと思いますが、あいにく天気はよろしく無いようです。と言うか30日31日は雪が降る・・・とか。おっとぉ〜!!ここへ来て気合が入る天気予報です。冬の商戦も終盤・・・と言った感じで今年は雪は無いんじゃないかなぁ?と思っていたところの雪の模様・・・。品物が売れるか?否か?・・・それと商品をどれだけ持っているか?という読みが大切です。下手をすると売れ残り、年越しどころか、季節を越えて来シーズンまで持っていなきゃならない羽目になります。ここらへんのさじ加減が本当に難しい・・・ところです。

 今年もあと今日を入れて4日です。本当に1年は早い・・・。ただ仕事に追われて、自分を見失わないように・・・、季節を感じながら・・・齢を重ねて生きたいと思う所存です。今年1年、目を通してくださいまして誠にありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。新年は、1/7(月)からの営業を予定しております。

皆様もどうか良い新年をお迎えください。

広乃詩人


行っちゃうか・・・(12/19)

 一週間前、長男が成人したその日、ドラゴンズの福留がFA宣言の結論を出しました。国内外に関わらず、自分の評価を聞きたい・・・という福留の気持ちは、押して量るには十分なほど人間として、一度きりの人生なら、そう考えるのも理解できました。しかも彼の気持ちは、自分を必要としてくれるその心意気・・・を重視する発言。金額ではなく甲斐を求めた発言だと感じていました。

 しかし、どうも展開を観ていて感じるには、お金なの?という感覚になってしまいます。何で?どうして・・・?・・・・感じるに、福留からのファンに対する言葉が足りないのです。足りないというより無い!という状態ではないでしょうか?気持ちをはっきり伝えなければ、何を思ってFAしたのか?が伝わって来ません。メジャー思考があれば・・・行きたい!!という言葉があったはずですし、少なくともそれは最初は無かった・・・ようです。結果的にメジャーになったわけですが、必要とされている物差しが、彼にはまずお金・・・であった感じがしてしまいます。オファーが複数のメジャー球団からあったそうですが、日米の市場の大きさから、マネーゲームになった場合、とても王者巨人といえども、福留の獲得には至らなかったようです。しかも彼は交渉期間を長く取って、売り手市場の有利な立場を最大限に活かし、莫大金額で契約条件を出した数チームの中から、初めて自分を気持ちで必要としてくれる物差しを使いシカゴ・カブスと契約することにしたんだと感じます。

 その間、一生懸命ドラゴンズの福留を応援してきたたくさんのファンは、いろんな思いでその動向を見守っていたのです。考えてみてください、ファンは一生懸命ひいきチームを応援します。時にはその場所へ出かけていってお金を払って観戦します。そしてプロであるところのプレーを観て満足して帰って行きます。今年のドラゴンズは、ペナントレースこそ2位でしたが、クライマックスSに勝ち、日本シリーズを征し、アジアチャンピオンにもなり、ファンにとってはそりゃもう嬉しいの極みの一年でした・・・でもそれだけなのです。酔っただけなのです。私たちには物理的に物として何も彼らはくれたわけではありません。怒られそうですが夢を観させもらっただけです。それで十分ですが、でも、たくさんの私たちファンの出資がドラゴンズの選手の年俸に還元されていることは、容易に判断できることです。選手たちはファンから直接お金を貰っているわけではありません・・・当然球団から年俸を貰っているのですが、球団の収入は、多くのファンによって成り立っているのです。「もっとくれ!」と言えるのは年一回の交渉時・・・それは球団ですから、感覚がファンあってのドラゴンズ、ファンあっての自分・・・という意識が心底まだ思えていないのでしょう。

 福留は、もう少しその辺を考えて言動を取るべきでした。ファンを本当に大切にしているのなら、プロなら、心技体の心のプロ意識を学ばなくてはいけないでしょうね。福留のファンは大いに激怒し、大いに落胆し、裏切られた思いを抱いているでしょう・・・。メジャーへ行っても構わない!メジャーで活躍する福留が観たい!と素直に思えるよう何かを語って欲しいとファンは今も待っています。

20年経ちました(12/12)

 今日で長男が20歳になりました。親になって20年経ったということでもあります。あれから20年経ったんだ・・・と感慨深いものがあります。自分の子供が成人した・・・と言うことは、1つ何かが終わった・・・という気がします。といってもまだまだ、自立するには至っていませんが、1つのけじめとしてお祝いの宴をしました。日本酒を一緒に飲みました。私は全くの下戸ですが、一緒に飲みました。ワインも飲みました・・・なめた程度ですが・・・。うれしい夜でした・・・。

頭の中で(12/5)

 齢を重ねると共通する感覚?に物忘れ・・・がありますが、昨今、忙しくなってきた我々の世代にはこの物忘れ・・・という代物が結構やっかいだったりします。同時に二つのことが考えられない・・・というか、或ることを考えていたはずなのに、それに刺激されてか新たに誕生した次のことが気になる・・・すると「後回しにしよう!」と思った瞬間、一瞬にして今まで考えていたことがふっと頭から消える・・・「あれっ?」と思って思い出せるうちは良いほうですが、どうかすると思い出せなくなって「すぐに思い出せるだろう・・・。」と高をくくっていると、次から次へいろんなことが身に起こっていくうちに後回しにしてしまった「後回しにして忘れたこと」は、二度と思い出すチャンスもなく、「まぁいいか・・・(本当はちっとも良くない)」でおしまいになります。

 仕事で、友人なんかが来た際に、伝票で・・・と思って「後でいいか・・・」と軽く考えると、その仕事は、その後の何回かの仕事が重なることによって、すっかり忘れてしまうことになるのです。すなわち、仕事はしたけれど売り上げにならず、損しちゃうことになるのです。・・・でも数日後、友人から「あれの請求がないよ・・・」と連絡が入り「おぉ・・・そうやった・・・」と苦笑いの私になるのです。

 まさに今の時期、忙しいことで後回し・・・にしたことが、思い出せなくなる・・・忘れてしまう・・・損してしまう・・・という事態になりやすいのです。これには、ここ数年面倒でも、時間が無くても、仕事が終わったら、必ず記載するように心がけています。自分の記憶を過信してはいけない!!と気付いてから早、数年・・・、信じてはいけない・・・から、信じていない・・・にあっという間に変化した自分がいるのです。

忙しくなっています(11/25)

 美濃加茂近郊で・・・雪の気配があります。飛騨の方面では、もう雪が降っています。そんな秋を通り過ぎて冬の気配に包まれている昨今。それを受けて私たちの仕事も一気に忙しさを増してきました。お預かりしているお客様が連日お見えになりますが、私たちも早速、弊社の車もスタッドレスタイヤに交換です。

 今年は、スタッフもアルバイトを入れて万全です。ベテラン2人、私、店長、I君、バイトのk太、k太、k太(なんとk太が3人なのです。)それに長男と緊急スタッフとしてマイケル家のmoto1号。先日もc電力の社用車のタイヤを頑張って換えました。moto1号は「楽しい・・・」と言うのです。そうそう長女も手伝ってくれました。

 来週からは、マイクロバスが大挙やってくると思われます。そして大型トラックをこれまた大挙作業をいたします。 そして、ど〜っとタイヤ屋どっと混む・・・になるのです。そして頭の中が整理がつかなくなり、起きて仕事・・・の毎日を繰り返す、季節労働者・・・と変身しちゃうのであります。季節労働団体タイヤマン!!参上です。どうぞよろしく!!

あの時(11/11)

 昨日、今日は美濃加茂市の産業祭。当初は美濃加茂市の産業を市民に知ってもらうために開催されたイベントでした。それがどうも集客力に欠ける・・・という事で、地元の商工会の青年部にバザーやイベントを開催してもらうように依頼が来たそうです。私が、まだ20代だった頃は、この産業祭に行ったこともなく、なんかやってるなぁ・・・という程度でした。そして月日が経って、なんと1999年の秋、私はこの青年部の長となりここにいる事になりました。縁とは不思議な物・・・全く関係の無い事だと思っていた所で自分が活動する事になって・・・。いろんな人たちといろんな関わりを持って・・・、いろんな経験をしました。青年部は当時40歳までの集まりで、1999年私は39歳でした。

 この年は忘れようにも風化しない思い出がいっぱいです。こんなに物事を考え慎重に起こした事は今までありませんでしたから、自分には苦痛に近い時間も過ごしました。ただ目的意識だけは決して見失わないように・・・信念だけは曲げないように・・・と自問自答を繰り返していました。そうしないとくじけそうになったからです。本当に大変な1年でした。

 でも、励ましてくれる人もいました。時に会議中に留守電だったり、メールだったり、「頑張れよぉ〜」の一言は、当時の私には涙が出るほど嬉しく励まされるものでした。苦しい時のちょっとした優しい一言は、本当に心に染みて癒されました。その言葉の力で更に前へ進んでいけたのだと思います。心のこもった言葉は、言霊となって深く私の心に飛び込んで来ました。本当に今も感謝しています。

思ひ出のメロディ♪(11/1)

 今、店内にはFMがかかっています。今はポールモーリアの「恋は水色」が流れています。実に懐かしい・・・。中学生の頃、むさぼるようにいろんな音楽を・・・ラジオから聴いたものです。FMをエアチェック・・・カセットに録音してお気に入りのライブラリーを作って繰り返し聴きました。もう聴く事は無いのですが、たくさんのカセットはラックに入れられて倉庫に眠っています。

 いつも、音楽を聴きながら歩くのですが、イヤホンから聴こえて来るデジタルで再生された音は、意識して聴くと細かい所まで確認できます。ある曲の、キーボードのメロディが実に良い事に気が付きました。今まで何回と聴いていたのに・・・、初めてこんなメロディをアレンジして演奏していたんだと・・・20数年経って気が付きました。ますます気に入ってしまったわけです。

 思ひ出のメロディ・・・とは演歌の歌番組みたいなタイトルですが、私にとっていろんなメロディがありますが、子どもの頃・・・まだ保育園児だった頃・・・私は8時半には寝ていたと思います。しかし、いつも決まって眠れる訳ではなくて、布団の中でモンモンとすることがありました。隣りの部屋では、家族がTVを観ている音が聞こえます。すると今も時折やっている「悔しかったら言ってみな!白黒抹茶・・・あがり・珈琲・ゆず・さくら・・・♪」という青柳ういろうのCMソングが流れてきます。これを聞いてしまうと「しまった!もう遅いではよ寝んといかん!!!」と焦り始めます・・・。それでもすぐには眠れません・・・すると夜のヒットスタジオが始まります・・・。前田武彦と芳村真理の司会のあれです・・・。芳村真理のカン高い声がさらに眠れなくなった脳を刺激します。

 でもその時流れた歌・・・メロディが幼心に「いい歌だなぁ・・・」と感じたのです。それは橋幸夫の「雨の中の二人」でした。雨が小粒の真珠なら・・・というあの歌です。イントロが良かった・・・ララララと歌われたあのメロディが刹那さに溢れていました。今でこそそう表現できるのですが・・・。それにあの頃はそれ以上その曲になかなか出会えなかった(歌番組が始まる頃は、起きていられなかった)訳です。また聴きたい・・・とも思いました。

 そして今でも、ポポポイノポイ・・・とCMソングを聴くとその頃の眠れなかったモンモンとした気分が蘇ります・・・。


接客の妙(10/26)

 先日、台北に行きました。同業者の方々との研修旅行です。仕事に直接関することは視察する予定もなく、仕事に役立つのか?・・・こう言った類の旅行にはその質問は当てはまらない・・・。捕りようよっては、ただ遊んでいるだけの研修とは名ばかりの旅行・・・という辛らつな言葉をくれる方もいます。(私の周りにはそのような言葉を発する者はいませんが・・・)

 まぁ参加する私にとっては、すべてが新鮮で(私には初めての場所)文化の違い、意識の違い・・・など言葉も食も違う・・・街のコンビニも似て非なる場所です。パッケージも良く似ているのですが、よく見るとなじみのない味が謳ってあります。表通りから一歩裏路地には、怪しげな雰囲気が漂っています。

 ただお決まり?の観光地へ行った際、隣接してあるお土産屋さん・・・ここへも自動的にご一行様はなだれ込む羽目になるのですが。私の背後には売り子さんがずっと付いて来るのです。手にとって品物を観ようとすると「1個¥500ね。」と間髪入れずに言葉をかけてきます。「5個買うと1個サービスね。」とか「5個買うと¥2.000ね。」とか言って来ます。「5個もいらない!」と言うと一瞬困った顔を見せるのですが「たくさんの人のお土産にいいよ!」とくじけません・・・。多分にこうした意識で接客をしているのか、根本的に接客業のあり方なのか、国民性・・・と言ってしまって良いのか・・・どこへ行ってもこんな感じで応対してくれます。

 我々日本人には、この強引さがどうもいけません。「奥ゆかしさ」・・・や「おもてなし」の心を美徳と感じていますから、売りっぱなしのこんな商売は、受け付けがたいものがいっぱいあります。それと一番驚いたのは、2泊3日の間、同行した添乗員の??さん・・・私は(ホイさん)と勝手に呼んでいました・・・それと利用したバスガイドさん・・・いろいろアドバイスなどをしてくれたのですが、最後の最後に、車内でスカーフやらネクタイを半ば懇願しながら売り始めた時は、同行したご一行様は皆、目が点になりました・・・。「なんや、お前もかいっ!!」という心文字が見えました・・・。

 それとは裏腹に・・・烏來(ウーライ)のタイヤル族の舞いを見学した際、スクリーンには実際?の姿が映し出されていたのです。私はある場面で映し出された少女と老婆の表情に・・・しばらく心を奪われました・・・。それが冒頭の写真です(本当は撮ってはいけないのですけど・・・ごめんなさい。)。


浦島太郎か・・・(10/17)

 今年で47歳、あっという間の年月です。10代は、ギターを弾いて仲間と集まって音楽を楽しんでいました。20歳になった時、自分の成長を自分で大きくなったいう思い込みを、自覚できないまま気付かないまま大人になった気分でいました。好きなことは、前半はバンド活動・・・高校、大学、社会人とドラムをたたいていました。でも或る時からバンドをスパッと辞め、バイクに夢中になっていきます。でも街乗りこそ大型免許まで取りましたが、もっぱら短期間ではありましたが、ミニバイクのレースにのめり込んで行きました。30歳になった時、20代にもう戻れないんだ・・・という惜別の実感を抱きました。

 32.3歳のとき、地元商工会議所の青年部に友人の誘いで入会します。ここで様々な同年代の異種業種の人たちと知り合います。今の自分がそれなりの意識でいられるのは、40歳までの間に経験した様々な事が役に立っていると確信しています。本当に感謝しています。その後、地元中学校のPTA役員として誘われ、わけの解らぬまま活動をしているうちに、感じるところもあり、率先してではないのですが、7年の役員期間を経験しています。簡単に「好きでやっている・・・」わけでは決してありません。誤解されたくはありません。ひとつ言わせて貰うなら、誰もが同じ事をし、同じ思いを抱いてくれればいい環境があるんだろうなぁ・・・と思います。

 ただ、いろんな子供たちと接していると、いろんなことを教わります。若いという特権は、年齢を重ねてしまった我々には、もう戻らないことです。若くなければできないことがあって、年齢を重ねなければ解らないことがあるんだ・・・と感じました。そんな思いから、今この年齢ですべきことは何だろう?と考えると、おのずと自分の出来ることが感じられました。いつ辞めてもかまわないだろう・・・いろんな年齢を交えてのバスケットボール・・・。毎週、いろんな子供たちがやってきます。今は希薄になってしまった他人でも関わることの大切さがココにはあると信じています。大きな旗揚げをすることではなくて、小さな時間でもたくさん回数を費やせば、きっと大きな成果があると信じています。

 でも時々、この自分のこれまでの仕業が、それぞれの時代で見事に区別できることに摩訶不思議さを覚えます。飽き性なのか・・・熱しやすく冷めやすいのか・・・自分でも判りません・・・。どうして今子供たちとバスケなんかやっているのか?をほんの数年前でも想像もできませんでした。自分でも恐ろしく意外な事をやっているのです。

 時々、この摩訶不思議さ思うとき、鯛や平目の舞い踊り・・・ただ珍しく面白く・・・時のたつのも夢のうち・・・。夢中に過ごしている今は夢を見ていて、或る時、気がついたら玉手箱を渡されて・・・白い煙を浴びた後、私はおじいさんになって・・・「充実したあっという間の人生だった・・・」とそう呟く自分がいるのでしょうか・・・?


てんびん座(10/7)

 占いを信じる方ではないんですが、私の誕生月は9月。乙女座です。小学校の時、クラスの女の子たちが星座占い・・・とやらに興じていまして、その時自分の星座を教えてもらったのです。正直「乙女座」と知ってちょっとショックでした。

 で、それからいろんな物に星座占いが載ってたりして、何気に目を通すのですが、その数分後には、何が書かれていたのか、覚えていない・・・(きっと皆そうなのでしょうけど)状態です。相性・・・とかあってもそんな事いちいち気にして人と関わっていません。でも根拠が全く無いもの・・・として感じているわけではありません。何か統計的にあるのかもしれないし、自然の中で養われていろんなものが相乗・相克という関係で成り立っているのだと思うほうですから、ひょっとしたら星座でくくられた人間関係も何かしら影響しあっているのかなぁ?と思ったりもしますが・・・。

 ただ、人には大切と思える人がいるわけで、私の場合も大切に思っている人が、この星座でくくると「てんびん座」に集中しているのです。人生に於いて、いろんなしんどい時や普段の何気ないお付き合いの中で、この方たちには随分助けられて生きていることは、私自身が感じていることですので間違いないのです。何気にその方たちの誕生日を知って、「おっと!やっぱりだ!」と感じることが多々あるのです。

 万人に言えることでは無いのでしょうけど、私にはとても不思議に思う間柄なのです。もう少し絞ると、9月下旬から10月上旬に生を受けた人たちばかりです。そしてこの方たちは、私に対してとてもソフトに接してくれます。大切にしなくては・・・感謝しなくてはと・・・最近強く思う次第です。

Aちゃんの言葉(10/2)

 今回は2本立て・・・。ちょっと前のAちゃんの事をもうひとつ。9/30の日曜日。私と娘、その友達であるAちゃんとNちゃん・・・そしてAちゃんのお父さんの5人でJBLのカップ戦の決勝を名古屋へ観戦に行きました。アイシンとパナソニックの組み合わせ・・・残念ながら人気の五十嵐圭のいる日立は初戦で消えていました。それでもアイシンには日本代表に入った選手がたくさんいます。佐古・柏木・櫻木JR・網野・そして新人双子の竹内公輔など・・・。まぁ監督が代表と同じ人なのでこう言った選出になるわけですが・・・TVを通したメディアにて知った顔は、カリスマ的なオーラを発する訳で・・・それを感じた我々は彼らをスター的な扱いをしてしまうのですけど。パナソニックにも青野・山田と言った代表もいます。なんのこっちゃ・・・知らんわ!まだまだ知名度は低いバスケットの選手です。そんな双方で試合は行われて行きました。終始アイシンがリード・・・。第4pdには若干の追い上げもありましたが、試合の巧者はアイシンでした。第1回大会はアイシンの優勝で世間的には地味ながら大会は終わりました。

 でも興味がある者にとっては、やっぱり日本の最高の試合を目の当たりに見るということは、感動物なのです。2mを越える選手のバスケットは、そうそう見られる物ではありませんし、その間を巧みに攻め入る小柄な(決して小柄ではないんですが)選手たちのスピードのある動きは、私たちの心を充分に楽しませてくれました。

 そして試合も終り、帰路についた私たち・・・あれこれと話が弾んで、一息ついたとき・・・Aちゃんがポツリと言ったのです。「あ〜楽しかった。またこれで明日からも頑張れる!」と・・・。この言葉はとても透き通っていました。私の気持ちにズシリ!と響く言葉でした。彼女はこう言う子なのです。頑張る事を普段から知っている子なのです。目的を持って、努力する事を・・・やり遂げる充実感を知っている子なのです。「あぁ・・・凄いなぁ・・・」と大人である私には、Aちゃんの何気ない言葉は、心引き締められる言葉でした。

友人S(10/2)

 酒に酔った彼と話すのは久しぶり。つい最近も一緒に飯を食べたのですが、社用車であったため、飲酒はせず私とずっと話してくれました。素面の彼と話すのも久しぶりだったのですが、仕事のあれこれを私に噴出すかのように語ってくれました。

 彼と知り合ったのは今から15.6年前。年下なのですが、頼りがいのある奴です。心優しく話を聞いてくれるときは、ニコニコと微笑んでくれています。私が感じる部分なのですが、なかなか母性本能をくすぐるタイプなのでしょうか?女性に人気がある?ようです。

 そんな彼と昨晩は電話で・・・。私が堤防をウォーキングしていたときの事。その間1時間。考えてみれば1時間の長電話・・・最近無いなぁ・・・と思うほどの長電話の馬鹿話・・・。彼は珍しく深く酔っている様子でした。饒舌です。あること無い事・・・会話は弾んで私が5km強歩く間も彼の酔った話が耳に汗をかくほど響きました。不思議といろんな事が話せるのです。楽しいことつらい事・・・馬鹿な事も・・・。電話の向こうの彼は笑いながら私の話を聞いてくれていました・・・ありがとう・・・癒されます。

有識者って?(9/25)

 市政に物申すなんておこがましい・・・事ですが、何をどうしろ・・・とは言いませんが、その体質にはちょっと・・・と感じる部分があります。物事の面舵といいますか・・・どうして小回りが利かないのでしょう・・・。司る人がどうして切ってくれないのでしょう?不思議です・・・。そんな簡単なことじゃないんだ!とお叱りを受けそうですが、

 市民の要望は何のためにあるのでしょう?役所の人たちは、自分の責任で物事を変えることはできません。ましてや新しい事をするなんて事は、やりたくてもできないのでしょうね。私が尋ねた役所の人たちは皆、同じです。個々の意見はあっても抑えているようです。やはり実権を握っている人がいるはずなのです。いなくてはいけない感じです。

 問題は、その人が誰か?なのですが、みんなで選んだ市長さんがそうであって欲しいのですが、私にはその辺りの様子が見ようとしないのも事実ですが、たまに市政の話を伺うと市長さんが舵取りをしているのかな?と感じてしまうこともあります。強いリーダーシップは時によって受け入れられたり、その逆もありで難しいのでしょうが、いい人だけでは務まらないのも事実。100人の人に好かれようとすると100人に嫌われる・・・と言いますから、少しぐらい嫌われてもOK!的な気持ちで、自分の信じる方向性を示して欲しい・・・と思うのです。人の上に立つ立場は、それゆえに大変なんでしょうね。

 ただ、政を行っている人のそばには、必ず地元の有識者(有力者)的な人がついています。この方たちの意見が大勢を占めてしまう事の不思議さ。と言うより疑問に感じます。この方たちは一体どんな意識・・・を持っている方たちなのでしょう?地元の経済力のある人・・・という判別がどうしても私には感じられます。この方たちは、経済界に影響を持つ人、この方達の下で多くの人たちがその生業に従事しているわけです。影響力がある・・・とも言えます。政界の人たちは、選挙で選ばれる・・・多くの人たちにとって利益のある人でなくてはいけません。ですので政界の人は経済界の人と仲良くなるのです。

 それは最もだと思いますが、その方たちに市民の声が聞こえていてそこをなんとかしよう!という心意気をいつも持っていて欲しいと思います。そんな思いで政に携わっていて下さい。そんな方たちなら市民も大いに喜ばしいと思うでしょう。著名人・有識者とは個々の履歴書に付く充て職であってはいけないのです。市民の思いはそんな人たちの人柄に期待します。

ご覧下さい(9/17)

 最近・・・でもないのですか?大学はオープンキャンパスというものを夏の時期から行っています。この大学はこんなところですよ〜と一生懸命大学の特長をアピールしています。私たちの時代の大学には、無かったお話です。ただ、下見・・・と称して出かけていったことはありました。でもそれは試験のための場所の確認という意味合いが多分にあったためです。

 長男は自分で進む大学を決めて、このオープンキャンパスにも自分で出かけて行きました。ですのでどうゆうシステムなのかと言う事が実は昨日、長女の志望する大学を観に行って初めて分かったのです。大きな大学ではありませんので、高校程度の規模でしたが、やっぱり大学です。高校にはない学生達の作り上げた雰囲気が漂っています。この辺はいつの時代も一緒なんだなぁ・・・と感じました。

 長女の希望する学部では、面白い実験を行っていました。被験者は、参加する高校生たちです。私も3つばかりやってもらいました。なるほど・・・こう言った興味を持ちそうな実験は、大学ならではの授業を高校生たちに理解してもらうには、効果があることです。私でさえ面白いなぁ・・・と感じました。

 昼食も学食で食べる事ができるのですが、なんとタダ・・・なのです。メニューは5つくらいの予め決まっている物からの選択ですが、タダとは・・・。更に驚いたのは、場所を替えて人気のスイーツコーナーと言う事で、図書館のロビーでなんちゃらホテルのケーキがいただけるのです。これもタダ。商いに従事している私の感覚からすると、明らかに受験生に大学を知ってもらうためのオープンキャンパスであるものが、少子化による生徒確保に躍起になっている学校サイドの経営戦略も垣間見えてしまったのです。

 今日に至るまでに、長女あてに何度DMが様々な学校から届いた事でしょう・・・。同じ学校から何度も来ました。私たちの時代には考えられなかった事です。ましてや団塊の世代の方たちからすると信じられない待遇ではないかと・・・。大学から来て欲しい・・・などという意思表示は一切無かった事ですし、DMなんてありません。ましてやオープンキャンパスなんてありません。タダでご飯も食べさせてはくれません。ケーキなんて在学中でも校内のどこを探しても出てくる訳がない・・・。不二家行け、不二家へ・・・。そんな時代でした。あるのは事務的な書類が手続き上あるだけです。受けたければ来い!能力が無ければ落とされる・・・。私が通った大学は、今も大きく変貌しているようですが・・・。

 しかし、そんな大学事情でも、子ども達は志望する大学へのクリアしなければならないハードルがあるために、日々がんばっているのです。いけない思いですが、ひょっとしたら、見かけのハードルは、案外低い物になっているのかも知れない・・・と感じてしまうのです。「ご覧下さい・・・来て下さい・・・」と・・・。ただ、今回長女と一緒に出向いていき、自分なりに一生懸命試行錯誤している姿を垣間見て、いつの時代も受験生は同じ思いなんだ・・・と感じた次第です。


どっと疲れる(9/7)

 9月の巨人3連戦。初戦は、M先生と観戦。2人とも仕事のケリをつけてからのお出かけで、試合は既に始まっていました。途中からの観戦は、試合になかなか集中する事ができず、あれやこれやといろんな事が気になります。隣りにはDタイヤのM所長もいます。M所長はドラゴンズファンですが、座した席はL側G応援団のまん前です。G応援団は他の応援団と違って、鳴り物は使いません。整然と応援を繰り返します。なかなか行儀はよろしいようで・・・。

 私たちも席に就いて早速、M先生の奥様のお弁当をご馳走になります。ちらし寿司がたくさんと中華の何て言うんですか???肉団子があんかけになっている・・・実に美味しかったです。さっそく美味しく頂きました。いつもすみません。M先生は早速最初の500ccを頼んでみえました。目安は3回に500ccずつの計1.5Lのビールです。いつもG監督代行(ご機嫌)のM先生に変身するための必要なアイテムなのです。

 この日は、満塁ホームランが出てドラゴンズの勝ち!M先生との足掛け3年目の観戦シリーズ第6戦も5勝1敗と大きく勝ち越しております。「勝ち逃げは許さんでね!!」というGファンのM先生のお言葉・・・。でもこの3連戦・・・2.3戦とドラゴンズは負けてしまうのです。昨日の3戦目は、兄貴夫婦と叔父2人の4人で出かけて行きました。川上の力投で、1対0の緊迫した試合展開・・・。TVを観ていても「今日の川上はすばらしい・・・」という解説者のお話に「本当かな?」という不安感を抱きながらも私は家でジーッと観入っていました。でも球数が多く、とうとうと言うか、やっぱりと言うか・・・8回、ツーアウトを取ったまでは良かったのですが、1点を失い同点に・・・。その裏、強硬な走塁が裏目に出て井端が本塁タッチアウト!!M先生のホッと胸をなでおろす姿が想像できます。

 結局幾度かのチャンスも生かせず、延長12回表、Gに2点を勝ち越され、ドラゴンズは昨日の3位転落の負けに続いて2連敗。Gとのゲーム差は3に広がったのです。Tはどうでもいいのですが、Gを眼中に入れて残りの試合を応援していきたいと強く誓ったのであります。しかし、午後11時過ぎ・・・負けてしまってはどっと疲れ・・・観に入った兄貴たちは最後まで観たそうで・・・足取りも重く・・・さらにどっと疲れた事でしょう・・・。でも気を取り直し・・・本拠地の名古屋での6試合で元気を取り戻して欲しいと思うのでありました・・・。でもなんかなぁ・・・?M先生の笑い声が聞こえて来ます・・・。


さよなら夏の日(8/31)

 8月最後の日、子供の頃から季節の夏はこの日に終わる・・・という感覚はひとえに夏休みがこの日で終わる・・・から身についた感覚であると思います。まさに今日がその日なのです。例え暑さが残っていても、夏は今日で終りなのです。元気よく伸びつづけた朝顔も、しおれ始め青々とした葉っぱも黄色身を帯びてきました。店内ではスズムシが鳴いています。昨日・今日降っている雨も秋の訪れを感じさせる秋雨前線によるもの・・・。天気図には、後退をする太平洋高気圧の替わりに、秋の大陸の高気圧があります。暑かった夏も終わります。

 私の仕事は、この夏が終わるとにわかに冬の準備へとわさわさし始めます。既に、商材の説明が1つ2つありましたし、12日には商品説明会が岐阜であります。新商品などの試乗会があるでしょうし、毎年こう言った順序で冬へと様変わりを遂げて行く訳です。気がつくと9・10・11月はあっという間に過ぎて、その間に気がつくとスタッドレスタイヤを組んでいる自分が毎年います。そして、我を忘れるほどの12月がやって来ます。

 この夏は、受験生が2人いる事もあって、旅行はありません。大した事もしませんでしたが、先のEボートの大会は、友人や友人家族とチームを組んで、出場し事の外楽しかった事が一番の思い出。一生懸命する事がどれほどの充実感を最後に与えてくれるか・・・改めて感じた1日でした。誘ってくださった某銀行のIさんに感謝します。ありがとうございましました。

 秋になれば、いろんな行事が待っています。そんな一時の秋風を感じながら冬に備えるアリさんの私たちです。

捨て犬?迷い犬?(8/24)

 店の東隣りには、警察署があります。さらにその隣りには総合庁舎があります。総合ということで、いろんな分野の公的な役所がありますが、そこに保健所・・・もあるわけです。

 道路1本隔てた警察署から、時折、犬の泣き声が聞こえます。地域に迷ったのか、捨てられたのか、犬が運び込まれます。拾得物として2週間。警察は保護しているそうですが、期間を過ぎると隣りの保健所へ送られてしまいます。その後の詳細はわかりませんが、大方は始末されてしまうようです。

 我が家の歴代の犬たちは、そのほとんどがこう言った迷い犬、捨て犬となった状態で縁あってか飼われています。今いるさくらも4年前に迷い犬として、この店にひょっこりやってきました。その前にいたモモも保健所にいたのを貰って来た犬です。クマは我が家で生まれた犬ですが、その母親はやっぱり彷徨っていたところを私が連れて来て飼われていた犬です。その前のチーコも・・・です。

 今も、警察署の檻には2匹の迷い犬がいます。1匹は貰い手がすでにいていいのですが、もう1匹は、老犬のようです。首輪をしていますので、飼われていたことには間違いはないですし、大変大人しく、人なつっこい性格の犬です。今は、さくらがいますので
2匹3匹と飼う事はできないのですが、泣き声が聞こえるとついつい出かけて行っては観てきてしまいます。今回の犬はこちらです。どなたかお心当たりの方・・・もしくは飼ってもいい・・・という方、加茂警察署まで・・・。

ウルトラマン(8/15)

 このお盆休み、出かけた先で思いがけず手に入れた「ウルトラマン」のガシャポン?(こう言うのでしょうか?)。それは、たまごッちのような形をしているのですが、ゲームではなく、真中のボタンを押すと「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」の変身時やカラータイマー等の擬音が鳴る仕組みになっているおもちゃです。その一つ(調子に乗って何個も買った)に、「ゼットン」の鳴き声?が入っていて、それを聞いた次女が、「ゼットン」って何?と私に質問。私はすかさず、「ウルトラマン」の最終回に出て来た怪物で、ウルトラマンを倒してしまったんやて・・・」と話すと、「ウルトラマンがやられちゃったの?」と食いついて来ました。次女の意外な言葉に「家にビデオがあるで帰ったら観よう!」と、その晩、久しぶりに観た訳です。

 探したのですが、最終回の入っているビデオが見当たりません。仕方ないので、最初の頃のウルトラマンを観せました。するとピグモンが出てきたことに喜んだ次女。ピグモンは知っている怪獣だったようで・・・。ピグモンは「ウルトラQ」に出てきたガラモンと同じ着ぐるみ・・・。今もどうかすると街角で見かける人気のキャラクタ−のようです。それがもう一回出てくる話があることを話すとそれにも食いついてきた次女・・・。調べるとDVDには最終回と同じ巻に収録されているようです。これは是非と更に次の日、長男に頼んで借りて来て貰いました。そして家族で・・・観たのです。ウルトラマンは2日続けて家族の団欒をも与えてくれるさすがのヒーローなのです。

 長男が小さい頃にも一緒に観せていたのが、この「ウルトラマン」です。長男が訳がわかっていなかった頃ですから、子供向けのビデオなら何でもいいだろうとレンタルビデオ屋(まだDVDはありません)へ行くと、そこには懐かしい「ウルトラマン」シリーズが並んでいました。「おぉ・・・懐かしい・・・観たいなぁ・・・」と半ば自分が懐かしんで借りたのです。保育園の年長の頃TVに突如現れた「ウルトラマン」は、私の純粋な心を奪ったのであります。

 そんなこんなで久しぶりに観た「ウルトラマン」。子どもたちにいろんなエピソードを聞かせてしまいましたが、どうでもいい事。でもリアルタイムでその時代を知っている私たち世代には、この最終回、ゼットンに倒されて、M78星雲、光の国(何故、国なんだろう?星じゃないの?)に帰って行くウルトラマンに大きなショックと寂しさを覚えたのは共感する思い出なのです。

男子バスケットボールアジア選手権(8/5)

 あっと言う間に終息しそうな「男子バスケットアジア選手権」。北京五輪出場権も優勝チームに与えられるという大事な試合。1次リーグこそ勝ってみせたもの、2時リーグではどうした?日本???という感じの試合運び・・・。守っては簡単に破られ、攻めては、ちぐはぐな攻めで割って入れず、2ショット、3ショットをいたずらに撃つ展開。フリースローの精度も悪く、観ていて・・・こんなんなの?JAPANチームは?という感想です。

 オリンピックなんてなかなか出場できない!そんな気持ちになります。昨年の知る人ぞ知る・・・世界バスケ・・・。サッカーのワールドカップの後、開催されました。しかもこの日本でです。主催国、ホスト国として参加できたわけですが、予選リーグ敗退。主催国で、決勝トーナメントに進めなかった国は今までに無かった事らしい。その時日本の協会責任者たちは、この事態を重く受け止め、1年後のアジア選手権・・・北京五輪に備える・・・つもりだったのに・・・。NBAに夢を燃やす田臥をも呼ぶ!とまで言っていた上層部・・・。その鼻息とは裏腹にアジアのレベルでさえ過去最低の成績に終わりそうです。しかもこの日本で行われている好条件でも・・・。

 バスケの場合、少年少女のプレーヤーは他のスポーツに劣る事は無いほどたくさんいます。でも年齢を重ねるうちに、皆辞めてしまうんです。早い話、やりつづけても夢が無い・・・。プロとしての人気が無い。やりつづける場所が無い・・・。チームも少ない。ナイナイ尽くし・・・です。サッカーのように、いろんな地域に草チームがあって、それらが集まって母体を作り、地元市民や企業のバックアップを受けて、代表チームができる。そんなチームが日本に数十チームできれば、そこでプロ化し覇を競い、力を付けていく・・・。その代表でJAPANチームを作る・・・。10年で実現。更に10年で世界のトップに追いつく・・・。これは私の何の根拠も無い、空想・・・妄想の世界です。でも協会の方たちは、みんなそんな思いで日々戦って見えるんでしょうね。観ていて今回の選手権は実に悔しい思いをしました。

 この街にバスケットのできる環境を・・・と私の思いの一つに「是非コートが欲しい」という事があります。一昨年の秋に14〜500名もの署名を頂いて、市に要望書を提出したのですが、その返答が公式には何もされていません。その署名には子どもたちの名前がたくさん寄せられています。市政に対する要望は各方面からたくさんの事が寄せられているのでしょうから、実現はなかなか難しいのでしょうが、市は私たちの要望に対して、関心を示してくれていないように感じます。言い換えれば言った者勝ち!!的な問題処理をしているように思えます。純粋な気持ちで「いつか返事が来るだろう・・・。」では、間違いなく返事は無く、なおざりにされて行く・・・そんな気がします。

 日々、どう言ったことをすれば好転して行くのか?を考えます。他チームと試合をして盛り上げていく事も視野に入れてはいます。しかし、なかなかそれも時間の関係などで実現は難しい物があります。マスコミやネット上に活動を訴えて、周知する方法も執ってはいます。でもどれもなかなか効果が表れません。また、参加してくれる人たちにも温度差があって、盛り上がらないのも事実です。私自身の根気も少しずつではありますが、減っている思いです。「何のためにやっているんだろう?」という気持ちが支配し始めています。

Aちゃん(7/29)

 昨晩のサッカーアジア杯、3連覇を目論む日本は、残念ながら4位。宿敵韓国と3位決定戦でPKの後、破れました。実力はきっと日本にあると思うのですが、韓国は強い!気持ちが強い・・・。感心するほど強いのです。勝ちたい!という思いより、日本には負けられない!と心底感じているんでしょうね。そこには、長い歴史にあるような両国間のいろんな思惑を、国民は忘れていないんでしょうね。忘れてはいけないと教わっているのでしょうね。故に、いざ勝負事になるとそんな思いが色濃く出るのでしょう・・・。

 執念という言葉は好きではありませんが、昨日の試合の中、両国のプレーヤーの気持ちには、大きな差が感じられました。数的優位にたっているのに、フィールドには、韓国プレーヤーがたくさんいるような気持ちにさせられました。疲れている体をまだ動かせられる気持ちは、執念・・・と認めざるを得ません。大した物でした。

 実際、点差を意識しながらプレーをする事は大切な事ですが、私自身、勝ちたい!・・・という思いはさほど強い人間ではないようです。そんな大した状況に身を置かれた事もないので大一番・・・という経験があったかな?というそんな思い出です。ですので日頃見る子どもたちの試合に触れて、一生懸命な子どもたちにものすごく感激してしまうのです。勝った!負けた・・・で表情の違いに「いいなぁ・・・」と見惚れてしまいます。心が洗われる・・・そんな感じです。

 ある女の子がいます。仮にAちゃんとしましょう。彼女を始めて見たのは、彼女が中学校の時。私の娘の同級生です。ひょんなことから、部活のバスケを終えた娘を迎えに行った時、私は仕事中・・・という事もあって軽トラで出向いたのです。するとそこには、娘とAちゃんが待っていました。軽トラでは3人は乗せられません。そこで先にAちゃんを自宅まで送って行きました。短い道のりの中、何を話したのかは忘れてしまいましたが、私の問いかけに、Aちゃんはちゃんと答えてくれます。そして頭を下げて「ありがとうございました。」と・・・。あたりまえですが、この子はすごいなぁ・・・と。このときAちゃんであるということは分かっていませんでした。友達の1人・・・でしたが、試合を観に行って、Aちゃんがスタメンで走っている姿を見て、「あっあの子だ!」と。Aちゃんは持久力のある頑張りやさんだったのです。

 Aちゃんは、決して体の大きな子ではありません。むしろ小柄な方だと感じます。でもバスケの感覚はずば抜けたプレーヤーという感じよりも勤勉なプレーヤー・・・貪欲なプレーヤーという印象です。時折見せる3ポイントシュート、ガードならではの切れ込んだ動き、臨機応変に見せる意識のあるプレー・・・。そして何よりも頑張るという姿勢を見せられて、私は心から応援したくなってしまうのです。

 私たち大人への対応も、昨今ありがちな友達言葉・・・ではなくてちゃんと敬語で。受け答えも内容も大人の会話をしてくれます。謙虚さがちゃんと身についていて、ひとえにご両親や、ご家族の躾の良さを思い、私たちは・・・・?と恥ずかしくなってしまいます。先日高校最後大会が終り、Aちゃんは引退。この先受験へと気持ちを入れていくことになるのでしょう。Aちゃんに限らず、自分の思う方向へと進んで、夢を希望を見つけて進んで行ってほしいものです。私の娘たちも同じ思いで、日々葛藤しています。悩んで悩んで・・・今はそんな時です。 

新幹線(7/22)

 一昨日、昨日と東京へ出かけました。地元JR線より岐阜経由で名古屋へ行き、新幹線に乗ったわけです。連絡が名古屋で30分くらいあったのですが、3時間後には、宿泊するホテルにいました。なんと帰路では、2時間40分後には自宅にいるほど、快適に迅速に着くことができるのには、実感して驚きました。何を今更・・・ですが・・・実に速い・・・。「どんだけ〜!!」

 更に新型車両が先日お目見え・・・N700系とか言いましたっけ。東京〜大阪間が5分短縮・・・「たった5分?」という無かれ、企業戦士たちはこの5分が大きい・・・のだそうだ・・・。しかもモバイル環境が整備され、ネットによる作業もできる・・・というから驚きはしないが、まさに企業戦士にはうってつけ?の設備。う〜ん本当か?むしろ一般のネットを既存する人たちへの環境整備を狙っているのだろうと思う。企業戦士はCMで見るような乗り物に乗ってまでやる輩がどれほどいるだろうか?2時間〜の移動時間を退屈させないような現代人に合った物は、やっぱりネットによる退屈しのぎ・・・なのだ。実際車両(N700では無いです)の中で、携帯をいじっている人たちをたくさん見た。これによる風情を楽しみながら列車に揺られ・・・何て言うことは消えていくのだろう・・・。イや待て窓は必要以上に大きい・・・。快適性は潜在意識に働きかけるものだから、いろんな考えを盛り込んで造られている訳だ。

 何故こんなに速くする必要があるんだろう?戦後復興の頃から、国力を付けること・・・豊かになること・・・豊富な物を、質の高い物を・・・GNP・・・GDPを上げる・・・。そんな大人たちの頑張りの中で、私たち世代は育ててもらいました。思えば見る見るうちにいろんな物が手に入って、満足させてくれました。本当にいろんな物が・・・です。だからどんな仕事も発展していきました。物があれば売れた時代です。

 私の店を例にとって話しましょう・・・。記憶の中の話ですから、正確ではないかもしれません。創業は昭和4年・・・私の祖父が始めた三共ゴム工業所です。当時は自転車・一輪車(子供が乗るあの一輪車ではなくて)・リヤカー・・・はたまた長靴までも・・・。祖父は、自動車の時代が来るとこの仕事を始めました。当時は、タイヤ交換・・・よりもこれらのパンク修理などがメインだったようです。犬山まで・・・自転車をこいで出かけ、荷台に一本、棒を横たえてそこにタイヤをぶら下げて運んだそうです。そんな悠長な時代でした・・・。それでよかったのです。みんなそれが当然でした。

 それが、終戦を迎え、すさんだ生活から国は力を付けて行きます。車も道路をわずかばかりですが走るようになります。5年10年と経つうちに、道路も整備され、企業間による物資運搬は車が主流になっていきます。自家用車よりも商用車のタイヤが先に売れ始めます。

 庶民も徐々に豊かになって行きます。自家用車を持つ人が増え始め、私が生まれた頃は、そうでもなかったのですが、小学校に入る頃は、多くの家庭が自家用車を手に入れ始めました。思えば、自営をしている家庭ほど早かったように思います。私が小学校に入る頃、今の場所に店を移転した訳ですが、当時商品を陳列するという意識は今よりずっと質の低い物で、並べておけば売れた時代でした。それこそ地べたに置いても、お客さんは何も感じなかったと思います。中学生になった頃からそれがぜいたく品という付加価値が付けられてから、タイヤは台座に乗せられるようになり、単価も高くなっていきました。それでも毎日のようにホイルをアルミにした高級志向の商品が売れて行きました。私がこの仕事に就くまで、こんな感じでした。

 それが、どこでも誰でもタイヤを売るようになると、乱売合戦が始まります。それだけ車が走っている訳です。1台の車がタイヤを交換する間隔は何年に1回くらいでしょう・・・。でもたくさんの店がタイヤを売ってもやっていけるだけの需要量があるほど、日本は車社会になって行きました。そして、品物の流れは少しでも速く、便利に・・・。お客様をお待たせする事は、タブーになっていきました。しかも乱売は、安い商品をたくさん売る事へと主力商品のあり方が変わって行きます。薄利多売です。行き過ぎた感じのある競争社会ができあがり、現状は後退を意味し、淘汰される。いわゆる負け組みというものにならぬよう、企業は改革を急ぎます。それでも売上は、前年比を若干上下する状況。1人勝ちはなかなかできるものではないようです。実労働の割に、収益できる額は、低くなったと感じます。朝早くから夜遅くまで・・・。休日が休日でなくなり我が家まで仕事を持って帰る・・・。1日は24時間です。その中で、急ごうとする、詰め込もうとする仕事量が増えるからこうならざるを得ません。ストレスはどんどん生まれていきます。

 話を本当に話したいことへと移します。世の大人たちは、仕事一辺倒にならざるを得なくなります。家庭を犠牲に、子育てを犠牲に仕事に身も心も奪われていったように思います。「仕事だから・・・」という事が言い訳になったりもします。私が子どもだった頃、子ども達は大人の監視下の中で育っていたといっても過言ではありません。放任的だった・・・のですが、大人たちは子どもをしっかり見ていてくれていたと今になって感じます。今はどうでしょう?親は大人は、何か世の中に子どもが関わる事で、不祥事があったりすると、教育現場である学校を、教師を、教育委員会を槍玉に挙げますが、どうしてその子どもを育てる親たちの責任のあり方を考えないんでしょう?そして親であるところの大人たちは、ちゃんと保護者として気構えができているんでしょうか?ちゃんと考えた事があるのかなぁ?と感じたりします。義務を果たさずしてではなくて、理解せず、権利ばかり主張する大人が多いこと・・・。子どもがしでかした事、被った事も全て、そこに至るまでの責任は誰あろうその親(保護者)にあるはずです。責任を負うという事は、考えさせられる事が必ず伴うはずです。そうして行動をおこし、親として悩んで判断力を付けていく物です。危ないから・・・無駄だから・・・かまってやれないから・・・だけでは、まともな大人になんかに子どもは育ちません。私自身もどうしていいのか苦闘中の毎日です。できない親です。どうしてそんな親が増えた?そんな環境になった?世の中が急ぎすぎているからです。結果を早く手に入れたいからだと思います。価値観がどこかおかしいのだと思います。何を求めて生き急ぐのでしょう?そんな環境に耐え切れず、心を病んでしまう人がたくさんいるそうです。幸せって何でしょう?感じる物でしょう?これからの世の中に不安を感じる強迫観念にとらわれているからでしょうか?良い学校に入る事で、親は安心したいのでしょうか?学力は身を助ける・・・のでしょうが、本当にそうでしょうか?「生き方」を学ぶ時間が今は無くなってしまったように思います。大人は、生き様を子どもたちにちゃんと見せてやっているのでしょうか?私は、子供たちを見ていてよくそんな事を感じます。速くなる事は、今は心を削って成り立つ事のような気がします。
 
さくら点滴(7/15)

 今月の5日は、さくらがここへやって来て4年目を迎えた日です。祖母が亡くなって、しばらくしたらさくらが店先に来ていました。そんなさくらですが、年齢は不詳。ここへやって来た頃には10歳は経っていただろう・・・ということで少なくとも14歳であると想像できます。おばあちゃんなのです。もともと耳が遠かったのか不自由なのか・・・あまり聞こえているようではありません。泣き声も「ワンワン!」ではなくて「キャワンキャワン」というような声で鳴きます。生まれながらに耳があまり聞こえない犬だったのかもしれません。

 そんなさくらが、4年目を迎えたその日から急に具合が悪くなったのです。昨日まで元気いっぱいだったのに・・・。目をしょぼしょぼさせて、足元もおぼつかなくなり、食欲もありませんでした。誰の目にもその元気の無さは異常です。慌てて病院に行きました。検査のため入院です。この日夕方まで、店にさくらがいない状態だったのですが、「な〜んか変だねぇ・・・」と皆さくらの存在を何気に普段気にしていたことがわかります。お客さんまでが、「ここの犬は?」と尋ねるほどです。

 夕方になり、病院へさくらを迎えに行くと、先生からいろいろ説明を受けました。決して安心できるような様態ではないのです。年齢も年齢ですし、仕方ないなぁと言う思いです。半日、さくらは檻の中に入れられて、点滴を受けておりました。神妙な面持ちでじーっと耐えているようです。その日店に帰って来たさくらは、点滴で少々元気になって、腹が減っていると食欲も少し戻り、皆を少し安心させました。軟らかい餌を少しだけ食べ、その日は店の二階に上がらず、下で寝たさくらでした。

 あれから10日ほど経っていますが、薬の回数も減り、いつもどおりの元気なさくら・・・ではありますが、いつまで元気にいられるか・・・皆がさくらを見守っています。


北恵那鉄道(7/8)

 大正の時代から昭和53年まで今の中津川市の中津町から付知町までを走っていた電車がありました。私自身は、廃線時には18歳になっていましたが、その存在も知らず、ましてや乗ったこともありませんでした。

 しかし、今になって仕事でよくこの付知町へでかけます。その昔、当店の専務がこの付知町へ行商に出かけ、その脚として利用したのがこの北恵那鉄道でした。美濃太田から太多線に乗り多治見から中央線に乗り換え、中津川で降り、少し歩いて中津町駅からこの北恵那鉄道に乗って終点下付知駅で降り、南北に細長い付知の町を歩いたそうです。そんな今となっては見ることの出来ない電車があったんだと聞いて知らされました。何気に付知のお客さんに「下付知の駅は何処にあったんですか?」とたずねた事がちょっとした入口を開けてしまったことになったのです。

 もう、数年前まではその駅舎が残されていたそうですが、今は取り壊されてありません。ただ、木曽ヒノキの運搬に大変寄与していた電車であり、この下付知駅がそのヒノキの集積場となって運ばれていった場所ですから、その駅の敷地は大きな物です。今も集積場として営林署の管轄地となっているようです・・・。よく分かりませんが・・・。

 そんな電車を通学の脚として利用していたのが、M先生です。今はこの美濃加茂にお住まいですが、高校時代中津町まで毎日この電車を利用して通っていらっしゃったようです。この山間の小さな電車が汽車でなく電車だったという事に、少々の驚きを感じたのです。私の住む美濃加茂には、3つの沿線が通っていますが、いずれも機関車です。それが電車だったという事にすごいなぁ・・・と。理由を聞いてなるほど・・・と。言うなれば、この付知町は、木曽ヒノキの産地で、伊勢神宮のご神木として納められるのも、この木曽ヒノキ(東濃ヒノキ)なのですが、南北に細長い付知川に沿うように町が形成されているのです。そしてこの切り出されたヒノキを筏にしてこの付知川を下り木曽川へ通じていたのです。しかし、恵那の大井にダムを建設することになり、筏を流せなくなるということで、その運搬の代替として北恵那鉄道が建設されたのです。しかもダムの余剰電力でこの電車は動いていました。

 途中の沿線沿いの景色たるや、なかなかの風光明媚ではなかったか?と感じるのです。沿線は22.1kmですが、私が好きなイメージは、下り線ではなくて上りの電車に乗った場合を想定して、妄想にも似た幻想の中で画きます。

 下付知駅は、付知町の南に位置して、電車は走り出してすぐ稲荷橋駅を通ります。そして福岡町に入ると、沿線は綺麗な付知川と山間に沿って、自然美溢れる景色の中をゆっくりゆっくりまるで川の上を走っているかのようなギリギリの所を走って行きます。そして福岡町の町が近づくと電車は鉄橋を渡り、今度は大きく開けた丘の上を走ります。遠くには恵那山を望み、南アルプスの山々を観ることもできます。そして山之田川駅を過ぎると、電車は山を下りながら右左とカーブを曲がって、木曽川手前にある恵那峡口駅に・・・そしてこの駅を出てすぐに、この沿線の最大の鉄橋・・・木曽川橋梁を渡ります。延長135m?だったか・・・。その姿は、様々なhpやこの沿線を記録した媒体に必ず取り上げられる立派な物で、今も赤茶けたトラス構造の独特な鉄橋の姿を見ることができます。この鉄橋を渡るとき、さぞその景色に心を奪われたのではないでしょうか・・・。そして中津町駅に到着するのです。

私が先日行った時に、県道にかかる橋から携帯で写した物です。

 いつか、この沿線跡を踏破してみたいと思っているのですが、なかなか22.1kmの行程は、起伏に富んで1度の散策では難しいかな?と思います。しかし、今では、その沿線は、区画整理され道や住宅になっている場所、また放置されたままで獣道のようになってしまった場所もあるとかで、完全に散策するには難しい状態だそうです。お客さんに聞いた話では、この沿線の土地は、当時、地元の方々から寄付された土地もたくさんあるそうで、廃線になった今は、その土地の所有は、名鉄にあるそうですが、寄付された土地ゆえに、他へ売却もできずそのまま手付かずになってしまっているのだとか・・・。もし今もこの鉄道が残っていたなら、景観を眺める季節列車を走らせ、お弁当なんかを食べながらゆったりとした電車の小旅行を企画するといいのではないかなぁ・・・と思います。できれば下付知から中津町までの行程で・・・。そして最後にこの木曽川橋梁でWAO!!と感動の声を発してもらいたいと思うのです。私の中の北恵那鉄道妄想の旅はもう少し続きそうです。


解説者(7/1)

 スポーツ中継には実況と解説を担当する人がいますが、実況はだいたいその中継をするTVだったりラジオだったりのアナウンサーがやります。そして解説は、そのスポーツ経験者であるところののOB・OGだったりが解説を受け持つ事が多くなります。経験者であれば、現役時代に培ってきた経験から、玄人なりの解説がTVやラジオの前の、いわゆるお茶の間の皆様を丸め込むには、どうだ!!というような思いを何となく込めたような(全てがこんな方ではないですが)言葉を使い、さすがでしょ?とお話をしてくれちゃいます。

 でも、プロ野球の解説で、時折ずっこける素人がしゃべるような体裁を繕ったような、解説者が勉強していなかっただろ?というような解説をしゃらりと語られる方があります。特に地方球場にてTVやラジオ中継があった場合、地元キー局の普段は滅多に実況などした事が無いような、アナウンサーが実況をやっちゃった場合、御ひいきチームの状況はよ〜く知っておられるのですが、相手チームのことなんか、実況が決まったちょっと前にお勉強しましたから、大したお話ができないのです。更にそこ等辺りをカバーすべく元御ひいきチームのOBの方が解説をします。しかし、この会話が実にかみ合わない・・・。

 何か資料を手元にお話をされているのは聞いていて明らか・・・。ピッチャーやらバッターやらの成績をなんだかんだと・・・織り交ぜながら解説をして行きます。冷静な(実はかなり緊張している)地元アナウンサーが時折解説者をも素人にしてしまうような、質問をしてしまいます。これは明らかに、地元御ひいきチームの選手にまつわる質問ではなく、あんまり良く知らない相手チームのしかも若い選手に関しての質問だったりすると、実況アナウンサーは一生懸命調べてきた(もしくは誰かが用意した手元の)資料を見て、何でも知っていなくちゃいけないであろう解説者に「この選手どうですかぁ?」と訪ねちゃうもんですから・・・解説者「・・・そ〜ですねぇ・・・(困ってる)・・・若くていいんじゃないですくわぁ・・・・」と返しちゃうもんですから聞いていて思わず笑ってしまいました・・・。

 まぁ確かにシーズンごとにいろんな選手が辞めて、新しい選手が入ってきますから、どうなんだ?と聞かれてもボタンを押されて、サッと答えが出せるような、そんな自販機みたいな人はなかなかいるもんじゃありません。地方球場では、そこにまつわるいろんなエピソードもお話します地元解説者。水を得た魚とはよく言ったもので、このアナウンサー泳ぐ泳ぐ・・・解説は全く知らない地元に関わらない方だったりすると、「はぁ・・はぁ・・・あぁそうですか・・・知らなかったですねぇ・・・」と・・・。更に調子に乗った実況アナウンサー・・・、この球場のグラウンドキーパーは誰々さんです。この道何年のベテランです・・・と。「知るか!そんな事!!」思わず解説者から声が漏れないか心配でした。

 最近解説にも使ってもらえない?張○氏。TBSの朝の某番組のスポーツコーナー・・・。毎週楽しみにしているあのコーナーです。現役時代アホ!アホ!とヤジが飛んでもじっとバッターボックスで鬼のような形相で、集中している姿はさすが3000本安打の張○!と思った物ですが、この方の解説は実にGを意識した、最近では大リーグを嫌った偏った解説が・・・。俺は3000本安打の張○だ!!というレッテルが彼をこうさせたのでしょうか?何処の球場にも解説者として現れなくなりました。そりゃぁそうでしょう・・・。どんなベテランの実況アナウンサーもこの天下の張○氏とは・・・「やってらんねぇ・・・」という声が聞こえてきそうです。

 
CMを観て(6/25)

 最近何気にTVを観て気づいた事、某車メーカー(ニッサン?)のTVCMですが、家族?が洗車をするやつです。車が何だったか覚えていないのですが、突飛ないでたちのファミリーが、服のまま体中泡まるけになって車を洗う!?ってやつですが・・・。

 回りの人たちはその行動をあっけにとられて見つめている・・・というCMです。その中に若いにいちゃんが1人・・・出てくるのですが、ある車をバックに突っ立っているのです。何気にこの車のほうに目が行くと・・・紛れもなくあれは1970年代のローレルです。抹茶色したローレルです。やるなぁ・・ニッサン!!私はこちらの方に思いが行ってしまいましたが・・・。おかげで本来のアピールする車種を全く覚えていません。

この写真のリアガラスのサイドエンド部分が写っていると思うのです。

 個人的には好きな車ではないのですが、この時代の車(いわゆる旧車)には、ワクワク感があっていいのです。自分が車に興味を持った時期でもありましたから余計にそう思うのかもしれません。この時代の車のCMで一番覚えているのが、ケンとメリーのスカイラインですね。北海道の美瑛町にある「ケンとメリーの木」と名づけられたポプラの木がある場所。この木を背景に、スカイラインが走って行くのです。愛のスカイライン〜♪というCMソングもヒットしました。「愛と風のように」という題名だったと思います。
 今ネットでこれらを懐古的にいろいろ眺めてみると、はっきり言って「乗りたい!!」という衝動にはかられません。先程にも書いたようにワクワク感はあるのですが・・・。セリカとかサバンナとか117クーペだとか・・・GTOや27系のレビン・トレノ・・・。夢のある車がたくさんあったからかもしれません。


名物に美味いもの無し?(6/19)

 17・18日とメーカーの総会で泊まりで三重県へ行って来ました。夕方から会議は始まり、およそ2時間程で終了。そのまま懇親会へと様相は変わって行き、日頃の情報の交換へと会話が弾んで行きます。最近の大型車の作業の品質に関して・・・等が最大の関心事です。安全管理はやっぱり誰もが気を遣います。「わいわい・・・」と深夜まで続いて流れ解散。

 翌朝は疲れをどっと残し、くたびれた胃に、これでもか!というほどの量のある朝食を頂きます。なんとか食べ終え、せっかくだからと温泉も頂きます。朝の温泉は格別です。贅沢してみんな!ごめんよ〜!!と心の中で手を合わせてさっさと身支度を整えて懺悔の念を改めるかのように皆にお土産を買いました。

 三重県の名物は?何でしょう…?思い浮かぶのは、赤福、松阪牛(とても買えません)、伊勢うどん、桑名のしぐれ、名物に美味いもの無し・・・と聞いたことがありますが、今は美味くなくては売れないんでしょうね。これらの名物は、なかなか美味しいのです。さて、赤福でも・・・と思って・・・どうだぁ〜!!言わんばかりの積み上げられた赤福の山に近寄ると、その手前に別格に小さな囲いの中に、おばちゃんが2人。ふと関心を寄せると、「安永餅」と書いた白い包みが置いてありました。「やすながもち・・・」と声にして読んでみて、「おぉ・・・安永餅かぁ〜」とヒット!!「お口の中で溶けちゃうよ〜、甘くて美味しい安永餅、安永餅の・・・♪」というCMソングを歌っておりました。確かに口当たりも良く、細長い餅の中に粒アンが入っていて、表面が少しだけ焼いてあり、美味いのです。思わずこれを買いました。更にこれを焼いて食べるとまたまた美味いのです。いくつも食べる物ではないのかもしれませんが、3時のおやつにと店の皆に買ってきました。渋いお茶と・・・名物に美味いもの有り!!です。


人生時間(6/10)

 生意気にも、長女の中学校の卒業式に「人生時間」について話をしたことがありました。何の事はない受け売りの話ですので、いばったこっちゃないのですが、当時の子供たちに会った時、「あの話覚えてるよ〜」と言ってくれます。

 自分の年齢を3で割る・・・その出た値が1日にすると何時?というものです。こじつけ?と思わずに解釈を始めてみると、うなずける年齢であると思えたりするので、面白いなぁ・・・と子供たちに君たちは、15歳・・・3で割った「5」・・・朝の5時・・・まだ眠ってエネルギーを貯めながら、「夢」見る時間。・・・今こんな時なんだと話しました。

 青春という時期はいつなのか?思春期に始まって、若さを思いっきり活かして夢や希望に燃える時期。じゃぁいつまで?というと夢を持って情熱を抱いて生きているうちは青春だ!と言う方も見えます。年齢で区切るのはどうなんだと私も思いますが、調べると、青春・・・だけでなく人生には、朱夏・白秋・玄冬という時期もあるという事です。中国古来の五行説からの意味だそうで、五行とは地上のもの全てが、木・火・土・金・水から成り立ち、相生・相剋の相を持っている・・・という私にはよくわからない話。
【五行】  【方角】  【季節】 【色】 【ライフステージ】        
 木 …… 東 ……  春 ……  青   ⇒ 青春
 火 …… 南 ……  夏 ……  朱   ⇒ 朱夏
 土 …… 中央 …  土用 …  黄  
 金 …… 西 ……  秋 ……  白   ⇒ 白秋
 水 …… 北 ……  冬 ……  玄(黒) ⇒ 玄冬
青春が、人生において一番盛んな頃かと言うとそうではなく、朱夏という時期があるという事、未熟な意味も含んだ青から、経験を積んで盛んに燃えている夏がその次にはあったのだという事。成果を上げて、「徳」を積む夏がある。そして実りの秋があり、黒・・・玄人の冬・・・を迎えるのが人生。励まされているかのような人生時間。
 
 私は、1日の午後3時ちょっと過ぎを生きています。日の高い午後2時を少し過ぎ、3時の休憩を取り、1日の前半を振り返りる時。私たちの世代は、同級生に会うと妙に嬉しくなるのです。バックボーンが一緒である同じ仲間に会う事が、とても大切だったりします。働き始めた頃は、お互いに何を身に付けた・・・とか、仕事でどうしたとか、こんな大変な事を経験したとか・・・身に付けた武器を見せ合ったものです。

 今何をすべきか・・・?を考える3時のおやつの時間・・・そろそろ休憩時間もおしまいです。

修学旅行2(6/3)

 古今東西、季節柄修学旅行の季節です。3年前、ちょうど私の子供たちがこの年に小・中・高と修学旅行に出かけた年でした。小学校は相変わらず、京都・奈良。中学校は広島へ、漁村体験をします。高校は船に乗って九州へ。その2年後(昨年)長女が高校の修学旅行で中国へ・・・(おっと我が家にも海外への修学旅行が巡ってきたぁ・・・と思いました)。そして今年、次女が広島へ漁村体験。お土産はもみじ饅頭です。海の無い岐阜ですから、海に生き、その生業をたてる人たちの暮らしを体験するという事は、少なからずカルチャーショックを受けると思うのですがどうだったのでしょう・・・?

 広島市内の観光・・・やっぱり観ておかなくちゃいけないのは、原爆の惨劇の跡、苦しみ悲しみ多くの犠牲者を産んだこの場所を戦争の恐ろしさをたくさん感じて欲しいと願わずにはいられません。昨年夏・沖縄に行きました。子供たちにどうしても見せたかった沖縄での地上戦。その悲劇は想像を越える数の兵士たちと、多くの市民の命を奪いました。私たちの父親・母親たちの時代です。そんな思い出を語らせれば、静かな語りの中に、当時の惨劇が描写されていきます。空襲に遭い、逃げ惑う様子には、TVでは決して教えてくれる事の無い、感情が伝わって来ます。

 京都の寺院について・・・、以前から感じていましたが、京都だからたくさんの寺院がある・・・。という事だけでなく、日本の歴史上、いつの時代に何があったのか?時代背景を元に、CGなどを駆使して、寺院などなかったであろう古代から、何がいつの時代に建ち、そのたびにCGで京の都が形成されていく様を説明する番組が観たいと思うのです。やってくれなのでしょうかねぇ・・・?そうすると日本史がもう少し面白く感じるのではないかなぁ?とも思います。NHKがやってくれないでしょうかねぇ・・・。観たいものです。