*****ひろのうたびとのしおり・・・其の壱拾*****

 
ドラゴンズ優勝!(10/11)

 昨夜は、衛星放送で優勝決定の試合をず〜っと観ていました。内容についてはここで書く必要も無いですから書きませんが、今年ほどド〜ムに行った年はありません。中央線で多治見より大曽根へ行って・・・という今までではなく、後輩の紹介で知った近くの駐車場へ停めた方が、時間も金額も酒を飲まない私にとって楽なのです。それと今年から長男が名古屋の大学に通った事も名古屋が近く感じるひとつの要因になっている事も事実です。

 開幕戦を「た〜けの会」と称する仲間で観戦し、勢いでそのまま今シーズンを過ごしてきました。8回通って6勝2敗。観る試合の内、3度が川上の先発でした。開幕こそ負けましたが、2試合はこれぞエースのピッチングという完ぺきな内容で、首位をひた走るチームを引っ張る勇士に感激しまくりでした。それと福留のWBCでも見せたカッコ良さ、当たれば皆ホームランのウッズ。ニ遊間の荒木、井端。今年のドラゴンズは本当に強かった・・・。いい思いをたくさんくれました。日本シリーズもこの勢いのまま本当に優勝して欲しいと切に思うのであります。

 そこで昨夜は優勝記念番組を観倒し、3時頃まで起きていて・・・今朝はダルダルなのですが、今朝も今朝で、そう言った番組がやっているのを観ていた時・・・、某番組の小倉さん・・・毎度思うのですが、この方・・・取り上げる話題に上る人だったり物だったりについて語るのですが、どうして「以前から僕は・・・」とさも親しそうだったり、こう思っていた・・・とかプライベートで知っている人で凄く親しいんだと前置きをして、皆さんと違って思い入れがあるんだよ・・・どうだ凄いだろう?とそんな心文字が見えそうな浮いた話を必ずするのです。今朝も、落合監督は、同じ秋田の同郷で・・・この人は前から監督に凄く向いている人だと言ってたでしょう?どうしてこの人を監督にしないんだ?とず〜っと思っていたんだと・・・、おいおいです。監督やって3年経っているんだよ?しかも1年目に立派に優勝しているんだよ・・・何を今更持ち上げてんの?って感じです。嫌いな人じゃないけどずるいよねぇこの人・・・。笑っちゃいました。

詫びない人(10/4)

 この1週間こんな人に久しぶりに出会いました。私としたら旧友を暖める・・・というようなそんな感覚には到底なれない・・・むしろ正反対の思いを抱く人物です。要するに嫌いな人・・・ということですね。こんな事をここに認めるなんて、決していいことではないのですが、人を嫌ってしまう・・・そんな自分の情けない部分を反省しながらどうして嫌いなのかを書いてみたいと思います。

 誰でも1人や2人は苦手な人っているかと思います。でも私が対象とするこの人は、苦手な人なんかではなくて、嫌いな人なのです。関わらなければ、現在の生活環境では別に何も影響の無い・・・他人なんですが、過去にこんな間柄だったのです。

 数年前、私はある団体に所属していました。前もって置きますが、このある団体とは決しておかしなものではなく、地元に貢献しているれっきとした法人組織の団体です。ここで数年お世話になりました。いろいろと勉強をさせていただいて感謝しています。誰でも年齢が来て卒業・・・となって終える団体です。そんな中へこの仮にAさんとしましょう・・・が入って来ました。その時の印象は、入ってくるときは大方の者は、誰かの紹介で入ってきますが、このAさんは自らの意思で積極的に入って来ました。当時の仲間達は「やる気があって大したもんだ!」と関心したのを覚えています。

 この団体では暗黙の了解があって、各々の職業の営業活動をしない・・・というのがありました。お互いが自然に利用する事が自然だったのです。またそれがとてもいい関係を築いていました。そんな中である時Aさんは自分のセールスをはじめたのです。この団体の活動中ではなかったのですが、仲間の職場を訪れ、片っ端からセールスし始めました。それがAさんの仕事ならそれもありかな?と感じた者もいたようですが、セールスをしなくても、知り合った事でAさんの職種を私も含めて皆が必要とした時は、利用するのが良い関係を保つ信頼関係の表れということで、時期がくれば・・・とみんな思っていたと思います。そんな事をなんとなく思い始めていた矢先・・・彼はセールスをはじめたわけですから、皆は拒絶反応をし始めました・・・。そしてたまらず誰かが言ったのです・・・「Aさん、それはご法度だよ・・・」それを聞いたAさん、残念そうな顔をしてそんな事はしなくなりました。これは知らない事だった・・・という事で大した話題にならずに済んで行きました。Aさんは積極的に団体活動をしてくれていましたのでみんなの信頼も徐々につかんでいきました。私もそんな彼に徐々に信頼感情を覚え、1回彼の仕事を利用させてもらいました。

 それが・・・季節は夏・・・、その年、私は地元の事業の担当という事で私なりに一生懸命参加させてもらってました。事は無事終えようとしていた後片付けの時です。ご苦労さんという事で若干の酒が振舞われました。個人の判断でフリーの飲酒だったのです。後片付けも終わりそうなその時、泥酔して暴れる者がいたのです。止めに入ったのは私を含め若干名・・・。暴れた人間はそのAさんだったのです。日頃からのその豹変振りは周りの者を驚かせるには充分なことでした。それから皆がAさんを見る眼が変わりました。

 どうしても酒の席が多い集まりでしたから、その度に彼は醜態を繰り返し、同席した仲間をてこずらせるのでした。仲間に多大な迷惑をかけるようになっていきました。最初は仕様がないなぁ・・・という周りの声だったのですが、そのうち不満を漏らす者が表れ、彼は皆から敬遠されるようになります。そんな彼ですが酒を飲まなければ一生懸命な一面も持っていたのです。その狭間で回りは2面性のある彼にどうしてもなじめなくなっていきました。信用を積み重ねても、1回の醜態で一気に信用を無くす・・・、まさに彼はその最たる状態を繰り返します。

 それから彼が皆から嫌われて行くのにそう時間はかかりませんでした。周りが彼を子どものようにいじめに走るという事は決してありませんが、嫌がる態度は人間である以上どうしても出てしまいます。しかも酔っていて意識を失っているのかと言うと、どうやら本人は覚えているようなのです。更にそう言った一連の醜態を皆に詫びる・・・という事を決してしないのです。私たちも彼にその点を指摘し、態度を改めるように諭したものです。ある人たちが、じっくりそれを説いてみたり、ある方はこの集まりのときは一緒に酒を絶って付き合ったりもしました。酒の飲めない私にはそれがどんな意味があるのかは実感としてわかることは出来なかったのですが、まわりの人のその誠意は伝わり感じたものです。

 そんな状況も2ヶ月くらい過ぎた頃でしょうか・・・私の彼に対する気持ちが決定的になった出来事が起こりました。まったく別の集まりの時、例によって打ち上げがあり酒を飲んでいる彼でした・・・。私はそんなこれを気にしながら飲んでいたのですが、やっぱりある程度の酒が入った頃、彼は同席していた女性といろいろ話をしていたのですが、聞くとは無しに聞こえてきた内容に愕然としました。とても内容を書けないような質問を次から次へしているのです。迷惑そうに返答している女性の反応を楽しんでいるかのような彼の態度は、立派なセクハラでした。しらふである私にはどうしてもそれが許せませんでした。たまらず私は彼を叱責しました・・・。

 それから数日後、彼は私の方に寄って来て、何かを話して来たのですが今となっては、話の内容がなんだったのか覚えていません・・・むしろ先の彼の女性に対する話の内容をとがめた事を覚えています。「Aさん、あんな事を女性に聞くなんてどう言うつもり?男として最低やと思うよ!」・・・すると彼は少し困った顔をしましたが、しばらく考えた後・・・私に「君は酒が飲めないから酔った気持ちがわからないんやて・・・」としゃらりと言ってのけるのです。私はあきれました・・・。「酒を飲んだら何しても許されるのか?何を聞いてもいいのか?酒に酔っても他の仲間は誰もそんな事をしないぞ!オレはあんたを軽蔑する!今までいろんな迷惑をかけても、謝罪も無く、全て酒のせいにし、今回の事も謝る様子も無く、具体的にこうして私にとがめられても悔い改めようとしないその人間性を軽蔑する!絶対許さないから!」と自分でも不思議なくらいすらすらと流暢に言葉が出てきました。それから私は彼を嫌いになりました。

 そんな彼が数年ぶりに昨日突然私の目の前に現れました・・・。当時とは全く関係の無い人の集まりにやってきたのです。私は驚きましたが、他の方の知人として来たのでしょうから私は無視を決め込んでいました。彼はそんな私を見つけ一言挨拶のつもりだったのでしょうが、私に失礼な事を言い、私はやっぱり憮然としました。そんな私の様子にそれ以上からんでくる事はありませんでしたが、ある事に一生懸命になっている私たちの周りから離れようとせず、自分も仲間なんだと勝手に思い込んでいる態度は以前と変わらず何をやらかすのか気にして見ていました。すると彼なりに役に立っていると思ったのでしょう・・・他の方が一生懸命している作業を手伝うつもりか何なのか・・・余計な事を・・・重箱の隅をつつくような事をしたのです。「これ違っていますよ・・・」それまで一生懸命その作業をしていた方は面白いわけありません。少々憤慨して見える様子でした。周りの人たちもイライラしているようでした。Aとは場の空気が読めないそんな奴なのです。私も誰かの大事な知り合いなのかと言葉を飲み込んで静観していたのです。今思えば邪魔者でしかなかったのですが・・・。

 次の日、Aの事をある方に聞くと「親しい間ではないけど、1.2度相談に乗ったことがある・・・」との事。この方もAには良い印象を持っていないようでした。はっきり言って迷惑だったのです。何で来たのか?よくわからない・・・Aの心理だとおっしゃって見えました。でも私には良くわかります。彼はずるい男です。自分の事しか考えられない一面を持っています。迷惑をかけるだけの男です。要注意です。人として自分のしたことを詫びる事のできない情けない男なのです。そんなAは私より1つ年上です。もうできれば会いたくはありません。こんな気持ちに自分がなっている事も実に寂しい事です。

飲酒運転(9/26)

 ここに書かなくてもこの行為が犯罪だと言う事は、今更ながらみなさんご理解している事でしょう。実は、昨日安全運転管理者講習というものがありました。この講習には、地域の様々な事業所の車両を管理しているだろう人たちが集まります。年に1回こうして終日交通安全のお勉強をするわけです。

 一連の飲酒による事故・違反を受けて、講習の大半がこの部分に費やされました。私は酒が飲めない性質ですので、酒の席なんかでは良く皆の送迎を買って出ていたくらいですから、飲酒運転の経験が多分無いと言っていいと思います。ですので飲酒運転の感覚と言うものがよくわかりません。どの程度鈍感になるのか・・・個人の差があるのでしょうが、話を聞いていると確かに危険極まりない事です。私なんかが乾杯の1杯を口にして・・・数分で真っ赤な顔になるわけで、そのときの感覚は、酒を好む人のどの程度の飲酒量に匹敵するのか・・・実験をしてみたいと思ったのですが、そのためには大嫌いな酒を飲まなければならない訳で、何を馬鹿な事を・・・と講習中1人で思い耽っておりました。

 ダメだと知っていて運転してしまう・・・という甘さや、自分は大丈夫・・・という間違った過信が、事故を起こしたり、違反で検挙されてはじめて事の重大さを身にしみて後悔する・・・という話を聞かされて、また、ビデオでは飲酒して事故を起こし、幼い子どもを死なせ逃げてしまい、後日自首したものの服役中に、犯人となった加害者の家族は、子どもが非行に走り、家庭を守る妻が傷心のあまり自殺する・・・というなんとも悲惨な話でした。

 例え飲酒していなくても、こう言った事故を起こすことは誰でも可能性があるわけで、肝に銘じる必要があります。飲酒運転はその確率が非常に高くなる・・・ということです。事故は加害者にも被害者にもなりうるわけで、交通事故はやってもやられても好い事は何もありません。むしろいやな事ばかりです。
自動車社会に関わって仕事をしている身ですから、こう言ったわずかながらでも警鐘を鳴らす義務があると思った次第です。

いいぞ頑張れ!!(9/14)

 こう言えば続くのは・・・ドラゴンズ〜♪となるわけで、今年のドラゴンズはまず優勝です。た〜けの会と称するおっさん4人組で開幕戦を観に行って(応援虚しく負けたけど・・・)、ドラゴンズのスタートから意識して見続けている今年ですから、かなり(私としては)の集中力で応援しているわけです。ドームへ通った回数は、例年ですと行って2回ほどなのですが、今年は予定を含めて7回行く事になります。そのたびに思うのが他のファンの出で立ちです。昔では考えられないような仮装大賞でもやってんのか?何て人もたまにいるほど、ユニフォームを着て応援しているのではなく、お祭り騒ぎ状態でワイワイやっているのです。

 メガホン持って手拍子なんて一昔前では精一杯のパフォーマンスだったのに、今じゃこんなのは地味も地味・・・なんたって選手ごとに応援歌もあります。これをみんなで大合唱です。でも悲しいかな私は知りません。と言っても覚える気もありませんけど・・・。そんな私ですが一緒になってワイワイやることは実に楽しいのです。今年もある方と一緒に行った時のこと、この方はG組のファンなので融合して喜び合えないのが残念なのですが、とても良い方で、お世話になった方でもあるので年に1.2度、D組対G組の試合を観に行くのです。申し訳ないことにD組サイドの席なので肩身の狭い観戦になってしまって本意ではない状態で観戦をしてみえたことでしょう・・・。その方が昨年の事、井端の打席になるとドラゴンズのファンが突然、全員が両手を前に出し「お〜お〜おお〜♪」と訳のわからないメロディ?を大合唱するのを聴いて・・・「何これ・・・?」と思わず口にされました。確かに不思議な光景です。

 なんでこう言う状態で歌い始めたのか・・・誰か知ってたら教えて下さい・・・。確かに井畑にだけ存在するパフォーマンスなのです。両手を前に差し出しおお〜おお〜♪と歌いながら「打てぇ〜打てぇ〜・・・」と念力でもかけているのでしょうかねぇ?そんな心理が体感すると察する事が出来ます。でもどうかすると一通り歌い終わる前に打ってしまう事があるんですが、こんな時は歓喜とか落胆の声を伴って、ファンの皆は両手ちょっと上へ前だし状態を止めるのです。歌われている井端本人はどう感じているのでしょうね?

 マジック40が出て現在19です。21減らすのに21だったか22だったかの試合数を費やしました。マジックが一桁になると加速して減っていくものだそうですが、ファンとしてはここ最近のドラゴンズの状態にはやきもきしています。と言うのもXデーがいつなのか?という事です。できれば、ホームナゴヤドームで胴上げとなって欲しいわけで、しかも一昨年のように負けてしまっても優勝・・・みたいなものではなく、やっぱり大勢のファンの中で勝って優勝を決めて、歓喜の輪が出来、胴上げとともにバンザイバンザイと皆で喜べる・・・そんな理想的な優勝シーンが欲しい所です。そしてできれば私が行く試合で決めてくれたら・・・Xデーをにらんでチケットを持っているファンの心理はみなこんな感じでしょう・・・。

 でもファンはありがたいですよね。お金を払って喜びに来てくれる訳ですから・・・。お祝いをしてくれる訳ですもんね。選手は自分のために一生懸命体と技を磨いて一流のプレーヤーを目指しているわけですが、ファンを大切に思ってくれる選手であることもプロとして大切な要素なんでしょうね。ファンがいなけりゃいくら頑張っても収入は無いわけですからね。興行的に成り立たないわけです。ですから何としてでも優勝を本拠地ナゴヤドームで決めてほしいものです。そして日本一に成ってほしいものです。プロとしてファンに報いる・・・それが優勝というプレゼントなのですから・・・。

虹の色(9/5)

 先日、某ラジオ番組で「虹の色は?」という話題がありました。虹は七色・・・というのは常識だと思っていました。もちろん常識なのですが、それは条件付なのです。その条件とは、日本なら・・・七色という話です。はぁなるほどそうなんだ・・・と。そしてじゃぁ色の種類が言えますか?という話題に・・・。大体、六色までは言えるそうです。でも私はしっかりと考えた事が無かったので六色も言えないのです。こりゃいかん!と調べてみました。赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の七色です。ここで注目すべきは、藍色の存在。六色までは言えるけどあとの一色というのが、この藍色なのです。藍は青より青し・・・という言葉の真意はわかりませんが、この藍色は日本ならではの色ですから、青と藍を区別するのは当然なのかもしれません。藍色はジャパン・ブルーですからね。

 更に日本人の色の認識はというと、青と緑の区別が時には曖昧で、葉っぱの色を青葉・・・信号の青・・・とか。明らかに青と緑はちがうでしょ?と思うのですがそう言う例えをします。よっぽど青と藍の方が区別するにはこれだ!という視覚が薄いような気がします。でも先程も書いたようにこの藍色は「JAPAN BLUE」なのです。

 もう少し色について思った事を・・・。音にも色がありますね、音色・・・音の高い低いではなく大小でもなく音色・・・音の三要素と言われているあれです。音を発する素材の状態によって音色は決まるようです。人の声・・・は千差万別です。この声は誰々・・・と区別ができます。男女の違い、年齢の違いでもある程度違ってきます。骨格やら体型によって・・・更に遺伝的なもので声帯を含めたいろんな要素で声の違いがあります。それとは別に、声色(こわいろ)という言葉もあります。声の表情を意味する言葉です。言い方によって言葉の意味が変わってくる訳です。そんな物にまで色として例えるなんて面白いものです。また色を好む・・・という深〜い意味もありますね。じっくり考えてみてください。

 常日頃この色を捕らえる視覚というもの・・・声が人によって違うように、比べる事が出来ないので(方法を知らないだけかもしれませんが・・・)私が青・・・として見ている色は、ひょっとしたら違う人には私の見える水色っぽく見えているのかもしれないと言う事です。全く違う青を赤・・・ということはおそらく無いのでしょうが、若干のずれがあっても不思議ではない気がします。とすると音も当然人それぞれ違って捕らえている事も想像できます。音色も違って聴こえる・・・、感性とか感受性とか・・・感覚と言うものはアバウトだから良いのでしょうけど。だからこのメロディは素敵だ・・・とかこの絵は素晴らしい・・・と感じれるのだと思います。

最近観た映画(8/29)

 昨年は映画を頻繁に観ました。年間100本は観たと思います。もちろんレンタルDVDがその大半。しかし、映画館で観た方が良い映画、どちらでも良い映画、TVで充分な映画・・・と大きく感じる事があります。特撮などを盛り込んだ迫力のある映画は音響も演出の1つで、大画面の映画館向き・・・あとはパノラマビューと言うんですか?風景が映っている物など。映画館で観る価値アリ・・・となります。

 単騎千里を走る・・・という高倉健さんの主演映画・・・。もう日本人ならこの人が出るだけで名画・・・と言ってしまうほど、その存在感は強く、見惚れてしまう俳優さんです。ストーリーはそれ程難しい話でもなく、親子の思いのすれ違いを、父である健さんが埋めに旅に出る・・・そこで旅先でまた知ることになるある父と子の情愛を感じ、健さんがその親子のため・・・自分のために旅をする・・・という映画です。

 ストーリーはTVでも充分なものでした。健さんじゃなきゃこの映画は「????」だったかもしれません。観た人じゃなきゃ知らない映画だったでしょうきっと・・・。それが中国?ブータン?その土地の壮大な風景がこの映画の大切な見せ場のひとつです。その中を彷徨う幼子と健さん・・・。この2人のふれあいが観ているものの感情を揺さぶります。大感動!ではありませんが、映画じゃなきゃだめと思わせる良い映画でした。

 今年になっていくつ観た?のかわかりません。昨年ほどは観ていません。30本くらいでしょうか。良い映画ってそうそうないですね。観ないとえらい事になりますよ!と言ってはばからない「UDON」を先日観てきました。なるほど「うどん」が食べたくなりました。でも観終わって、うどんを食べたらその映画のことを印象に残る映画から消えてしまいそうです。TVでもよかったのかな?と思える映画です。悪いと言う意味では有りませんが、テレビのほうが分かりやすいシーンがたくさん出ます。端と端で役者さんが演技する・・・とか言うシーンは観ているなら同時にパッと目に入ってくるほうが良かったりします。気になったのはうどんがクチャクチャと音を立てるのが強調されていて聞いていてちょっと不快感を覚えました。原料の小麦が実った夏場が関係しているのかもしれませんが、湯気がもう少したつと美味しそうに観えるのですがねぇ・・・。ストーリーは・・・?無理がありますねぇ・・・、強引な畳み込み方でした。

夏の思い出(8/23)


 今年の夏の思い出は、沖縄への家族旅行。台風10号の発生からなかなか進路が決まらず牛歩のごとくゆっくりな速度・・・。気を揉んでいるうちに11号が迫ってきて・・・、こっちもあっちも気になって熱帯低気圧に変わっても雨風は強く・・・出発の20日にはどちらも影響の無い状態でホッとして出かけて行きました。

 しかし、前日の夜更けにまわしをする有様です。地元の花火大会という事もあって、み〜んなのんびり楽しんでしまい寝たのは2時頃・・・起床は4時半。混むんじゃないか?というウワサもあって、早々とR41を南下。環状線から知多半島有料道路へ・・・。7時過ぎに民間駐車場に着き、そこから送ってもらい7時半頃に到着。予定よりもうんと早く着くことが出来て一安心。道路も込んでいることも無くここまではスムーズでした。

 搭乗手続きを済ませ、荷物を預けて長女の友人家族へのお土産を買う事に・・・。うなぎパイとか赤福とかなごやんとか・・・。なんでも良いと考えていたのですが、家内には日持ちのする坂角のえびせんべいがよろしい・・・とその店が開店するのを待って購入しておりました。しかし、その店の近くに「飛騨地方のみたらし団子」を見つけ、せっかくだから岐阜県の物を・・・と思ったのでしょう・・・これも買っていたのです。それを聞かされ「何で?」と思わずにはいられませんでした。あまり贈答として購入するものではないような・・・うっかり買っちゃった・・・そんな感じで「変やよねぇ?」という家内に「変や!」と容赦ない家族の言葉でした。

 飛行機は定刻の9時に・・・2時間程の機内の中、爆睡する私たち。あっという間に那覇空港です。夏の沖縄・・・刺すような日差し。レンタカーに乗って平和祈念公園とかひめゆりの塔へまず寄りました。ここは絶対子ども達に見せておかなければいけない場所。日本人として観たほうが良い場所なのです。沖縄に行ったら最初に行かれることをお勧めします。できれば最初に・・・。

 15年ほども前にタイヤメーカーのお付き合いで来た沖縄ですが、ほとんど記憶がありません。ひめゆりの塔の場所には記憶があったのですが、バイクで走り回った割には風景を全く覚えていませんでした。何をやっていたんでしょうねぇ・・・。ただあの頃より建物も車も多く雑多としている印象が今回は強く受けました。車社会沖縄です。

 夜には、長女の友人のRちゃんと以前にも名古屋でお会いした母上様と再会しました。宿泊先の北谷のホテルまで出向いてくださって恐縮です。長女とRちゃんは2人で夕食を食べながら出かけていき、このKさんご一家と明日の夜食事をご一緒するというお誘いと、私たちが疲れているだろうとお心遣いをいただき、この夜はお帰りになられました。直ぐ近くを散歩がてら食事をしようと残った4人で出かけて行きました。サンダルを買いたかったのでなにやら賑わっているモール街に・・・。でもなかなか履ける気に入ったものがありません。こんな事で悩んで買いたくなく履き心地の良いものを優先してさっさと購入。結果的にそれから履きつづけているうちに気に入って良かった良かった・・・になりました。食事を済ませ、近くの温泉施設へ・・・日本はどこにでも温泉があるんですね。ゆっくり浸かってホテルに帰って爆睡でした。

 2日目は南部方面に戻って、無人島のコマカ島という場所へ・・・半日島流し状態です。しかし、朝寝坊・・・出かけたのは10時半過ぎ・・・島に着いたのは12時頃・・・。食事をしてもうする事は海に入る事だけです。舟の予約時間の4時までのんびりです・・・。でもものすごく熱いのです。暑いのではなく熱いのです。ジリジリ・・・なのです・・・。日焼け対策を入念にやって水中眼鏡をかけ、もぐってみるとびっくり!!です。熱帯魚(色とりどりではないのですが)水族館でしか見たことが無いような魚たちが泳いでいます。中部の海ではいない魚ばかり・・・。中部で見かける魚も逆にいませんが・・・。弁当のご飯を海にばら撒いてみると魚たちが食べるのです。面白がって調子に乗ってやりつづけると、いっぱいいろんな魚が集まって来ます。写真に撮りたいのですが、そんなカメラもありませんので想像してください・・・。この歳で子どものように興奮しました。子どもといえば、子ども達は、体験スキューバダイビングへ参加しておりました。スーツを着て、酸素ボンベを背負い、インストラクターのおじさんに誘導されて、3mほどの水深を20分〜30分ほど潜ったそうです。餌付けも体験し、そこには色とりどりの魚たちがいっぱいいたそうで綺麗だった・・・と口をそろえて言っておりました。饒舌ぶりからその体験は有意義だったようで満足そうでした。やっときゃよかったかなぁ・・・?と思ってしまうお父ちゃんなのでした。

 時間になると舟に乗り込み・・・しかし、家族が2艘の舟に分かれて乗る事に・・・。私だけが乗り込んだ舟は行き同様、屋根があって観光用のグラスボート。残り4人が乗った舟は臨時?のような平たい舟なのです。それはホンダの船外機を2機搭載で、もう豪快に海を走っていきますから、おのずと波しぶきを浴びます。15分の恐怖の体験を私以外の4人はしてしまったと・・・ブツブツ言っておりました。「波がかかってカバンが濡れた!」と怒っておりました・・・。お気の毒〜・・・。

 慌てて北谷のホテル(ザ・ビーチタワー沖縄)へ、Kさんご一家と7時にロビーで待ち合わせをして、Kさんのご主人の会社の系列の近くのレストランへ・・・。ここではもう珍しい地元の食材を使った食べた事が無いようなものをたくさん頂きました。ジーマーミー(落花生)豆腐とかテビチ(豚足)とか・・・。名前を忘れてしまった料理をいっぱいご馳走になりました。Kさん、本当に楽しい会話と美味しい料理をご馳走になり本当にありがとうございました。2時間ちょっとの食事会はあっという間に過ぎていきました。とってもステキなKさんご一家と分かれた後、おかげでとっても気持ち良くなったこの夜は、ホテルのロビーでやっている民芸屋さんで店員さんと話し込み、いろいろ買ってしまいました。三味線を弾かせてもらったりして思わず欲しくなってしまいましたが、お土産には手ごろな金額ではなく・・・買うなら楽器としてちゃんとしたものが欲しい私ですから、10万も出すほどはまった訳でものめりこむつもりもありませんで・・・。結局沖縄を離れるまで悩んだんですが、買う事はありませんでした・・・。しかし、生で聴く音色は本当にいい音でした。

 最終日3日目は、早起き!ちゅら海水族館へGO!GO!です。ここまで高速道路を走って1時間半くらい、観光客と地元の車で道は混んでいます。慌てるレンタカー軍団とゆっくり走る地元の人たち・・・イライラがツノリマス・・・。ツイツイスピード超過・・・いけない事ですが・・・。やっと着いた水族館。南国の魚たちを観て、黒潮水槽のじんべいざめを観たときは、正直感激しました。でっかいのです。それも3匹もいます。その他エイやマンタやら、でかい魚たちのオンパレード・・・。いくら大人しいとはいえ、こんな魚に海で出会ったらそりゃぁ怖いでしょうねぇ・・・。それにお隣の水槽では、危険な魚・・・サメがいっぱいいました。ホオジロザメとか・・・なんちゃらとか・・・。これまた興奮。なんだかんだと1時間半ほどで、ここを離れ、一気に那覇市内国際通りへ・・・。ここで昼食(2回目のそうきそば)を食べ、2時間ほどの散策をしました。15年前とちがって軍用の店が少なくなって、よくあるお土産屋さんがほとんどで、ここにも時代の流れを感じるのでした。事情が変わるのです・・・。

 3時にレンタカーを返して、空港へ・・・ここでもいろんなお土産を買って、定刻より30分遅れて6時に沖縄を離れました。その頃名古屋は雷雲立ち込め、荒れた天気になっていました。飛行機は揺れ、ピカピカ光る空に包まれながら8時過ぎにやっと到着・・・。たくさんの荷物を手に夕飯を食べようとうろうろ・・・。結局9時過ぎに民間駐車場へTEL・・・。言われた場所で待っていると間もなく迎えの車が・・・。さっさと荷物を積んで猛スピードで駐車場へ走る運転手。「飛ばすなぁ〜」と思いましたが、無事到着、我が家の車に荷物を乗せ換え帰ろうとする私に、先程まで運転していた者が「ひょっとしてお食事をされましたか?」と聞いて来ました。「はい」と答えると、すかさず「そう言った事で遅れる場合はご連絡を下さい!私たちが待機している場合があるので(待ちぼうけを食って迷惑だ!)・・・。そのために到着の時間を予めお聞きしているのですから・・・今後ご利用の際は気をつけ(ろ!)て下さい」と言うのです。「あぁ、すいません・・・」と私・・・。見送られる事も無く、帰路に着く私たちでした・・・。しかし、楽しかった旅の思いでも最後の最後にこんな事を言われてしまって・・・「悪かったなァ・・・」と最初は思ったのですが、実際飛行機が大幅に遅れたこと・・・、それに最初(預けた時)に到着時間は聞かれたけれど、諸注意はいっさい説明がなかった事、待機しているなんて事は聞かされていなかった訳で、ここに着いたら電話をすれば迎えに行く・・・とだけ事務的に告げられた訳です。ただ遅くなったことでこの運転手は帰りたくても帰れない事にイライラを募らせ、腹いせに最後の最後に言ってやらないと腹のムシが収まらなかったのでしょう・・・。そんな事を暫く考えていると無性に腹が立って着ました・・・。思わず電話をかけ、事の成り行きで遅くなった事を詫び、それから言われた事への叱責をその店の責任者らしい者に言いました。私たちが一言、遅れる理由を言えばこんな事にはならなかったのでしょうが、腹のムシが収まらない事を、客にぶつけるその態度が許せませんでした。私たちは間違っても二度とその民間駐車場を利用する事はないでしょうね・・・。そういうことです。明日はわが身です、気をつけなければ・・・と同時に思いました。

 

車事情(8/16)

 来月早々で我が家のミニバン・・・ラルゴの車検が切れます。購入した頃は8人家族で、子供たちもまだ小さく、どこかへ出かける時にはとても便利でしたし、旅行へもこれで出かけていました。でも最近は、そんな事もめっきり減って、この車の利便性も希薄なものになって行きました。前回に車検を受ける時に、次回受ける時は、長男が免許を取っているだろう・・・と言う事で、後2年乗ることにしたわけです。そして実際長男が免許を取ったわけですが、あまり車に乗ってどこかへ出かけると言うわけも無く、ある車に乗る・・・感じです。どうかすると、軽トラックでもかまわない・・・感じです。ラルゴに替わって何か手ごろな中古車を・・・と思っていたのですが、昨年来たエアウェイブに乗ることが多い長男です。この車には、皆が手軽に乗ることが多く、ほとんどがちょっとどこかへ・・・的な使用なので、終日使うということはあまりありません。たとえそんな場合でも、ラルゴだったり軽トラが使われる我が家の車事情・・・です。

 でも、もう20日あまりでラルゴは車検が切れます。受けるつもりも無いので、どうしよう・・・というところだったのですが、長男が乗る車を別に必要としないようなので、いろいろ考えて軽バンの中古車を手に入れることにしました。これなら雨の日の配達もOK。満載にして運ぶ事もあまり無いですから、これで充分です。更にあと半年後には、古い軽トラの車検が切れます。2台有る所を1台にする・・・と言う事になります。経費もかからなくなって良いのです。

 しかし、いかにも経済的に考えている・・・と思う反面、我が家には、持っているだけの車が2台あるのです。数年前に親父が買ったセルシオ・・・。年間走行距離・・・約200km(推定)。そしてクラシックS30Z。年間走行距離・・・約100km未満(推定)です。この2台については、決して触れてはいけない存在価値なのです。持っているだけで良い・・・と言う・・・いざと言う時に乗る・・・という車なのです。じゃぁ「いざ!」っていつなの?という声が聞こえて来ますが、だからそれは「いざ!」って言う時なのです。

 このお盆の休みの間、S30Zが動きました。思いっきり休日!って時が動かし時なのです。思いっきり休日!がこの車のいざ!って時です。長女を乗せて本屋へ行きました。その後、ガソリンを入れて(1年に入れるか入れないか)、市内をくるくる走り回って帰ってきました。Zは乗り心地も悪く、うるさく、運転しにくく、珍しいということでじろじろ観られ、信号待ちではちょっと恥ずかしい・・・のですが、大好きな車なのです。それから、おそらく18日に親父がセルシオに乗ると思います。行き先は市内の某ゴルフ場・・・。往復しても10kmあるかな?の場所です。親父にとっていざ!って時はこんな場合です。この2台の燃費はとても良いのです。普通はリッター何キロ走る?と言う価値ですが、いくら燃費が良くたって、ガソリン代にいくらかかる?という視点で考えなきゃいけないとすると、かからないほうが良い訳で、ガソリン代が高くなっている現在、持っているだけで存在価値のあるこの2台は、ガソリン代がかからない・・・つまり何キロ走る?燃費ではなく、いくらかかる?の燃費はとっても良いのです。

 車は走るものなのですが、その存在価値は車によって様々で、お金を稼いでくれる車も必要。家族でお出かけの時や用事を済ませるためにちょっとそこまで・・・の車も必要。そして趣味的に車を所有する道楽も車には求められる事情があります。後者はものすごく肩身が狭い事情なのですが、家族の理解がとっても必要な事情だったりもするのです。S30Zに関して言えば、外部の方も「持ってなきゃ〜」と声をそろえて言ってくれます。某T自動車の営業所のえらい様まで「持ってなきゃ〜」と言ってくれました。最初はこんなぼろい古い車・・・なんて言われていたのですが、古すぎるとそれも当たり前になって、「いいねぇ〜」と言ってくれます。大方の人は、おもりが大変だから持つ気はないけれど、こう言ってくれているんだと分かっています。出る杭は打たれる!と言いますが、出すぎた杭は打たれない・・・むしろ、何かに使われたりして、その存在価値が認められるから不思議です。都合の良い解釈?いいのいいの・・・。


またできて良かった・・・(8/8)

 一昨日の日曜日、4回目のバスケットふぇすてぃばるを開催しました。参加者は地元中学校のバスケット部員とその保護者、同中学校のバスケットOB、OG そして地域のバスケット経験者です。総勢・・・選手60名・保護者多数・・・その他スタッフ数名。

 先生がいない中での子どもたちの規律がどうなるのか・・・少し心配していましたが、そんな心配は無用だった事がすぐ感じられました。3年生の意識がしっかりしている事が見て取れます。顧問の指導の賜物でしょう。それを見習う下級生たちです。体育館が会場だったわけですが、我々部外者には分からないことがたくさん有ります。そんな分野を頼まなくてもいつもの事・・・と子ども達は手際よくさっさと準備にかかってくれました。
 
 もう1つ・・・。それは、高校生・大学生のOBたちの態度です。大学生に至ってはもう大人の仲間入り・・・的な感覚もあってか、子ども達に見られている・・・という意識が良い方向に作用したようです。プレーも楽しげに、かつ真剣に・・・。その迫力ある姿に中学生たちは、熱い視線を送っていました。こちらも心配には及びませんでした。

世代の違う者たちがひとつのチームを作ります。46歳のおっさんを筆頭に中学1年生の少年まで・・・。1チームが20人前後のメンバーで3つに分かれリーグ戦をしました。試合は世代に分かれ決して極端に体力に差がある世代が、5人のプレーヤーとしてゲームをすることはありませんが、ひとつのゲームを共有して楽しんだと思います。

 彼ら子供たちが何を思い何をするのか・・・、同じ事をする事によって理解が日々変わって行きます。必ずこうだ!と思ったことが次ぎ会った時は180度変わって感じることがあります。否定的に受け止めるばかりで、更正(ちょっと大げさですが)させる・・・なんて感覚で接していては真実は見えて来ないんだなぁ・・・と感じます。損か得か・・・えらいか楽か・・・、基本的にはここに大体の子は集中しますが、そこから何かを体験し、産みの苦しみを体感させ成長させるために、時には嫌な大人を演じてそういった環境を作ってやらなければいけません。

 スポーツは基本的に楽しむもの・・・、楽しいからやってみようと思うのです。そして勝敗が何らかの判断で決められるから「勝ちたい!」と思う者は自分を磨いて行きます。厳しい練習に明け暮れ「辞めたい!」と思う者も当然出てきます。そんな環境にいた子どもたちが、この日だけは本来の楽しんでやるスポーツ・・・バスケットができる・・・と言う事で参加してくれます。何だかんだと言ってここへ戻ってきてくれる者が居て、私としてはやりがいを感じます。この子たちを見ていると、またやろう!と言う気にさせられるのですが、エネルギーもまた同時にかなりいるのです。今年もまたできてよかった・・・、今はそう思います。

何度目かの・・・(7/30)

 今年は、トリノオリンピックに始まって、WBC・ドイツW杯・・・と世界のスポーツの大会が前半にドット開催されました。決まって国民は一応に一喜一憂し、ニッポンニッポン・・・と応援していました。私も立派にそのなかの1人で、TVにクギ付けの日々を送っていました。もうすぐバスケの世界大会がそれも日本であるんですよ!みなさん知ってます?

 しかし、しっかりプロ野球への関心も大いにあり、今年のドラゴンズは強い!運がいい!オールスター明けの後半戦は阪神に3タテ、そして巨人にも連勝と5連勝負け無し・・・。今年に入って開幕戦を観、すでに4戦も通ってしまいました。先日の阪神戦にも行って来て、なんと今宵も行って来ます。この辺で言う「たわけ」状態にあります。無理して通っている訳ですが、観に来ている最近のお客さんの様相は変わりました。昔は地味に座って、ビールを飲んで焼きそば食べてうちわパタパタさせて一喜一憂していたのですが、今は、ユニフォーム姿の人がたくさんいて、最近では浴衣姿(ドラゴンズのロゴ入りオリジナル)も居て、頭にはなんやら耳を付けて・・・何をしにに来ているんだろう?と思わせるパフォーマンスをする人でいっぱいです。人気の無いプロ野球・・・と言われていますが、少なくともここのところのナゴヤドームは満員なのです・・・。

 しかし、本当に野球が面白いのか?というとどうでしょう・・・?野球を観に来ているのですが、プロの野球の技に魅了されているのか?というと違う気がします。今のプロ野球は結局お客さんを喜ばせる行いが昔ながらに技を見せる選手と、パフォーマンスで喜ばせる選手と・・・プロとしての意識がちぐはぐな感じもします。この違いが変にマッチしててお客さんが見ていて楽しいプロ野球になっているのかもしれません。新庄観たさに交流戦に行きましたし、案の定満員でした。しかし、それだけじゃなく福留の攻走守の技を観たいがためにワクワクしてもいます。時代なんでしょうか?今のプロ野球のあり方に変だなぁ?と思える自分と面白いなぁ・・・と思える自分もいて、プロ野球の質の高さを見せてくれた長嶋・王にあこがれた世代としては、何なんだろう?と・・・。今のプロ野球を子ども達はどう見ているんでしょう?技術を高める・・・しのぎを削る・・・という目的を見据えてプロ野球選手になりたい!と思うのでしょうか?一つ間違えば、おちゃらけ・・・をしている姿に見えてしまう選手のパフォーマンス・・・。喜んでもらえればそれでいいのか?お客さんが入ればそれでいいのか?あきられる先もちょっと心配です。

 自分は何故、今年は観に行くのか?勝つ確率が高い今のドラゴンズを応援すれば、スカッとして癒されるから・・・なのだと思います。私は酒が飲めませんが、皆が飲み屋に行くように・・・場に酔うために行きたくなる!そう、それがファンの心理です。


木曽川の思い出(7/18)

 幾度となくこの栞にも登場している(と思う)木曽川は、私の中では大きな存在としてあります。「ちょっとのぞいて・・・」のコーナーに昨日の写真をアップしましたが、ここのところの大雨で河川敷の公園が冠水しています。1年に1回あるかないか?2年に1回あるかないか?の水位に達しています。

 堤防が出来て20数年が経ちました。切っ掛けは昭和58年9月28日の水害(9・28水害)です。この辺りでは、さほど驚くような降水量でもなく、「よく降るなぁ」と言った雨でした。それがここから川下へ1km行った中山道筋の路上の排水溝から水が逆流した・・・というウワサを聞いたのが私の中のあの水害の事件始まりでした。

 でも、川下1km付近が水が来た・・・と大騒ぎしている事をその夜まで我が家は知ることもなく、家の中で起きているのは私だけ・・・でのんびりTVを観ていました。すると午後9時過ぎ頃?だったかでしょうか・・・、私の叔父家族が「水が来た・・・」と我が家の玄関に立っているのです。叔父の家は河岸段丘の一段下に建っているのです。「え!?」という状態から一気に緊迫した状況に変わりました。両親を起こし、父と私はすぐこの目で確認するために、川の方へ歩いて行きました。すると水が道路の上をサーッと勢い良く流れてこちらへ向かってきます。このあたりに住んで見える人は大騒ぎです。すれ違ったおばあさんは「こんなことは今まで一度もなかった・・・どうなっとるんや・・・」と力ない言葉を発していたのを今もはっきり覚えています。私たちは慌てて家に戻り、水に濡れてもいいように着替え、父と叔父と私は叔父の家に家財道具を取りに向かったのです・・・。しかし、迫ってきた水はもう我が家を降りた辺りで膝ほどに達していました。ものの15分も経っていなかったのに、この水量の増加は脅威でした。それを観た父は叔父の家に向かうのを断念し、引き返す決断をしました。水は我が家の裏(すぐ裏が段丘の下段)まで達し始め、段丘下の倉庫に入れたばかりの冬用タイヤが冠水して行きました。我が家も危ないということで、貴重品・食料の類を2階へ運び様子を観る事に・・・。するとあと20cm程で上段に達するところで増水していた水は止まりました。11時前後だった気がします。

 実はその間に、川下300m付近に住んでいる姉夫婦の家が危ない・・・と言う事で、私は助っ人に出かけたのです。2階に同様に生活用品を上げ、水位を気にしながらいろんな情報に耳を傾けています。すると排水溝を逆流し始めました。緊張の時です・・・。すると本当に運良く、ここで水はぴたりと止まり、程なくして引いて行きました。姉の家のすぐ裏は冠水して、姉の家は何も被害が無かったのです。幸運としか言いようがありません。明けて翌日、あれほど急激に増えて行った水はウソのように消えていたのですが、辺りはものすごい事になっていました。冠水時が昼間だったらすごい景色が見えたのでしょう。それから何日間復興の作業で町はてんてこ舞いになったのです。

 そんな事もあった木曽川ですが、普段はとっても穏やかな川です。せせらぎの川音はとっても心和む音で、景色も良く爽快な気分にさせてくれます。そんな木曽川は子供の頃からの遊び場で、いろんな思い出を育んできました。木曽川は私にとってとても自慢の場所なのです。

釈然としません(7/10)

 W杯決勝・・・、フランスvsイタリアでした。どちらもあまり予想していなかったチームでした。ドイツが決勝に残ると思っていましたし、もう一方はやはり王者ブラジルが来るんではないかと思っていまして、日韓大会の再現かな?と楽しみにしていたのに・・・。大嫌いなイタリアが優勝してしまいました・・・。強くても負けてほしいチームってあるじゃないですか・・・。アンチ○○って奴ですよ。野球は巨人ですが、最近の巨人はちょっとかわいそう・・・です。

 フランスのジダンですが、あんな幕引きでもいいのですか?惜しまれつつ引退なの?最後のプレーがヘッド・・・ではなくて頭突き?だなんて・・・。彼は累積イエロー2枚のレッド1枚で今大会2度アウトになったわけです。しかし、その存在感は大きいのですね。やっぱり惜しまれつつ引退になるのでしょう。そういった観点で見れば、今大会は一連の大御所が引退とか代表引退とか・・・決勝リーグに名を連ねた名だたるチームには、大物選手たちが必ずいて対戦が非常に楽しみのひとつでもありました。みなさんご苦労様でした。中田英もそんな生き方もありです。私は賛同します。彼のメディアを伝わってくる人間像は、決して好きではありませんが、全てが終わって、いろんな思いが溢れるように込み上げて来て自制できない感覚・・・分かる気がします。

 彼はサッカーの世界に戻ることは無いような気がします。他の世界で生きていけるかは分かりませんが、普通でいられれば生きていけるのでしょうが、他の旅が大きなレベルでの旅なら、なかなか大変なんでしょう・・・。ニューヨークにビルを買ったとか。どうするのでしょう?タイヤ屋さんになってコツコツ商売をする・・・と言う事はありえないでしょうね。サッカーのNAKATA・・・ってことで集客する力は備わっていると感じますが、大きな旅に出るってことはそのレベルでの世界でなくてはいけません。成功も大きいかわりに大怪我もするのです。どんな世界に現れるのか?楽しみでもありますね。

 テポドン2をまた撃つと言ってる北朝鮮。拉致問題もウソを隠すためにまたウソの連発。思わぬ方向へ展開しています。ミサイルを撃った事によって大騒ぎしている日本を、立場的に同調できない韓国大統領。しかし世界的な倫理感からすればどう考えたって「撃ちますよ」って言わずに撃つのは違反なんでしょ?決まりなんでしょ?かまってもらえないわがままな子どもが、気を引くために「わーわー」騒いだり物を投げたりしている姿にそっくりなんです。韓国だけでなく隣国は皆一応に国連諸国の歩調に合わせられないでいます。中国、ロシアは経済的に何らかの
繋がりがある訳で、保護しなくては・・・という面持ちが見て取れます。国連の決議案の決定が先送りになるだろう事は容易に想像でき、中国にワンクッション入ってもらって、北朝鮮に猶予を与える状況になるのでしょう・・・。いずれにしても私が産まれてからはじめて経験する他国の脅威であることは間違いありません。恐ろしい事です。小泉さん、辞める前の気の抜けた対応だけはご勘弁を。


地域で・・・(7/4)

 子どもを巻き込んだ事件が多発。被害者だけではなく加害者としても未成年の犯罪に関わる件数が増えています。何がこうさせてしまっているのでしょう?私たちが子供だった頃とどう違うのでしょう?「今の子は・・・・」ではなくて私たち親・大人も含めて「今、地域は・・・」なのだとやっと気づいてきた私たちです。

 地域で子どもたちを守る!という話し合いのもと、様々な企画が行われます。著名な方をお呼びして講座を開いたり、親子のふれあいを題材にした映画やお話を観たり聴いたり・・・。心を動かされて大人は帰っていきます。さて問題はここから・・・、この身に付けた知識・・・後押しされた勇気を持って日々生活の中にどう活かして行けばいいのやら・・・?不器用な私たちは練習も出来ないまま実戦です。子育ては毎日が本番なのです。

 私が、はなたれ坊主だった頃の事をちょっと思い出してみました。地域の大人はどう接してくれたか?です。誰々ちゃんのおばさん、おじさん・・・と友達や近所の人をそう呼んでいました。当然日常で会話もしていました。当然近所のおじさん、おばさんも「○○ちゃん」と名前で呼んでくれていました。近所で何かあると皆が心配する・・・近所だけでなくて地域で大騒ぎする・・・それがいい事なのかは別ですが・・・そんな人間関係だった気がします。今は近所の誰々さんはどうしている・・・?なんてわからない・・・のです。近所はあくまで近い家なのであって「仲間」という感覚が薄れてしまっているのだと思います。これも無くしていけないことなのか・・・本当の所はわかりません。きっと良くもあり悪くもあるのでしょう・・・。干渉される事を人は嫌います。だから余計にされたくないからしない・・・ということなのです。それが人付き合いを希薄なものにして行ったのだと考えます。

 私たちは仲の良い友達と一律の教育を受け、勉学において競争をさせられました。今の子供たちの学習内容と比べると、非常に詰め込まれていました。良い高校、良い大学、一流の会社に勤めて・・・高収入を得てお金持ちになって良い暮らしをする・・・。そんな重要性を親や先生や様々な人から吹き込まれ、何かに追われるかのような思いで勉強を嫌々していました。私自身は高校で劣等生の落ちこぼれ的な成績で過ごしまして、大学も当時特別な意識もないまま受験し、たくさんの友人を作ってそれなりに単位を取って、楽器を鳴らして卒業しました。そして今の職業に従事しています。その過程で、近所の人たちとも会うことも少なくなって、いつしか口を利くこともなくなって行きました。知っていても知らない人・・・になってしまいました。今では時が流れ、あの時のおじさんおばさんは歳を召されて、何人かは他界されてしまいました。そんな度に小さかった頃、いろいろ声をかけてくれたその故人とのことを思い出すのです。あの頃、自分の事をたくさんの人が知ってくれていた。挨拶の交わせる人がいた。お互いを知っていたのです。そんな人間関係があって地域の秩序は保たれていたのだと思います。

 今は逆の立場です。私たちは勇気を持って、近所の子、我が子の友達、見かけたら声をかけてあげて、声が届かなくても眼が合えば何か合図をしてあげて「私は君を知っているよ・・・」という軽いコミュニケーションを取る・・・。そういうチョットしてことを地域のみんなが努めてすれば、きっと子どもたちの心の中に変化が生まれて、きっと良い方向に進んでいけるんじゃないかな?と思ったりします。大人が子どもに進んで関わっていくことは、子どもの将来の手本にもなって、いろんな姿が子どもたちの進むべき道しるべになるんじゃないかと考えるわけです。

残念でした(6/26)

 みんなが応援したW杯日本代表・・・残念ながら1次リーグで負けてしまいました。 「SAMURAI BLUE」今回からこんなニックネーム?が付きましたね。前回、日韓共催のときにもいろいろメディアは、各国をニックネーム(愛称)を付けて紹介していました。しかし、日本はこれと言った歴史が無いのか?海外メディアから愛称で呼ばれてはいないようで(要するに歴史も浅く、覚えてもらえてないだけのような気がしましたが・・・)韓国をアジアの虎だとか、ロシアを白い巨人だとか・・・有名どころではブラジルをカナリア軍団だとか・・・(ブラジルではそう呼んでいないようですが・・・)。

 今回、SAMURAI BLUE と自ら名乗るあたりが日本らしいなぁと思いました。認知されているのか?知りたい所ではありますが・・・。侍・・・と言えば日本の潔さとか、男気とか・・・、大和魂だとか・・・そんなイメージを持っていますし日本人の生き方の誉れを感じます。しかし、何故?青い色が日本の選択したイメージカラーなのか?疑問に持ちましてこれを機に調べてみました。

 あるhpを見ると、はっきりしていない・・・と言うことが冒頭にあって説明がされていました。 
日本代表ユニフォームはなぜ青なのか
 実はなぜ青が採用されているのかは不明。日本=青というのは古くからの伝統のようで、その明確な理由は分かっていない。代表チームは、多くがその国の国旗の色をベースにしている。しかし、日本は国旗の色ではなく青色を基調としている。これは初参加した1936年のベルリンオリンピックで、青いユニフォームをまとったサッカー日本代表がスウェーデン代表を破るなど大活躍したからだといわれている。日本代表が初めてW杯予選に出場した1955年スイス大会予選の時も青のユニフォームが採用されていた。
 昔から青色は「さわやかさ」「すがすがしさ」などを表わし、日本人が最も好む色のひとつ。周囲を海に囲まれた日本のイメージ、もしくは青春のイメージではないかと想像されている。現存する最古のユニフォームは、秩父宮記念スポーツ博物館に保管されているベルリンオリンピック代表の時のもので、その色はライトブルーだ。


 古くから伝統のようで・・・とありますが、昨日、鉄腕ダッシュを観ていて、国分太一君が藍染めをしている行程で「ジャパンブルーだ・・・」と言ったことに「あぁそうなんだ・・・」と感じました。藍染めの青をヨーロッパでは日本の青と驚愕したそうです。その綺麗な青色に感銘を覚えたそうで、これをJAPAN BLUE と言うのだな・・・、という事です。

 しかし、世界を震撼させるつもりだったSAMURAI BLUE は、1次リーグ敗退という結果で、この愛称で呼ばれる事・・・世界に認めてもらえるサッカー国になったか?というと残念ながら・・・誰も呼んでくれなかった・・・(日本人でさえ・・・)感じがするのです。

 話をサッカー大国に移しますが、南米やヨーロッパ諸国のチームは実に上手い。日本人のサッカーは観ていてリズムが悪い・・・ボールの動きに対する順応性が比較すると悪い・・・気がします。昨日、生物の進化のTV番組を観ていて感じましたが、個の生物が(例えば私個人が)、生きている過程で学んだ知識や経験が、脳で記憶として残ります。そのうちの何かがDNAに記憶されて次世代(私の子供たち)に受け継がれて行きます。そうして長い年月を経て進化・・・として姿かたちだけではなく、全てにおいて高等に進化して行く・・・。

 サッカーというスポーツを日本は随分遅れてはじめました。今のJリーグの選手たちの子どもや孫たち・・・その子孫たちが感性を備えて生まれてきて、個の時間の中で努力して開花させて、その時にやっとレベルの高いサッカーが出来、諸外国と少しは差が縮まってやっていけるチームになるのではないか?と感じました。遺伝と環境と個の努力が大切です・・・きっと・・・。責任は持てませんけど・・・m(__)m。



崖っぷち?(6/18)

 W杯が始まっています。毎晩夢のような組み合わせの試合の中を、世界のスーパースターがしょっちゅう出てきます。アルゼンチンの試合では英雄マラドーナが熱狂するシーンがTVに映っていました。いろいろ引退後にお騒がせのマラドーナもサッカー界においてはいぜん、英雄「神の子」のようです。W杯歴史において、アルゼンチンが敗退すると「マラドーナがいなかった」と言われるほど、かれの功績は絶大なのです。これほどの選手だったのに、彼の母国を応援する姿はまるで子どものようです。国民性もあるのでしょうが、あんなふうにスタンドで応援する姿は、1サポーターとして一生懸命応援している・・・気取ってなんかいない・・・まさにサッカー小僧の様相です。

 しかし、そんな決勝T確実の諸国を横目で見ながら、日本は今夜のクロアチア戦、絶対に勝たなくてはいけません。勝つのです!!クロアチアは日本の要注意選手の名前を「ナカタ・・・ナカムラ・・・・???」。耳打ちされて「タカハラ・・・」知らないけどこの名前を言っておけ・・・的な発言。そしてあろうことか「イチローが一番・・・」と言ったとか・・・。まったく日本をなめている様子です。ブラジルに善戦した事と、最初から星勘定が日本とオーストラリアに勝てば勝ち点6で決勝と踏んでいるのでしょう。余裕と言う慢心がクロアチアには間違いなくあります。自信は油断になります。試合は果敢に攻めてくるでしょう。余裕を持って・・・しかし、前半に点は入りません。どうかすると日本が1点取るかもしれません。でもきっと前半は0-0のまま終わるでしょう・・・。

 後半は、もっとクロアチアは攻めてきます。必死こいてガンガン来ます。クロアチアに若干の焦りが見え始めます。そして攻守のバランスが徐々に崩れて来ます。そして後半30分頃日本のカウンターによる1点が入ります。そしてクロアチアは更に攻めてきます。もう手当たり次第の個人プレーのオンパレードです。パス・ドリブルは正確性を欠き、簡単に日本にカットされます。ミスも多く、ボロボロになったクロアチアの状況で、途中出場の大黒が駄目押しの2点目を入れます。そしてそのままホイッスル・・・、自信と策におぼれたクロアチアの敗戦はこうして日本に勝ち点3をもたらすのです。

 頑張れ日本!!日本国民はみなこんな感じで、勝手に夢と希望を持って力強く応援します!!

3人の代表(6/12)

 次女のソロ・コンが土岐市の文化プラザでありました。車で40分くらいです。次女の吹奏楽部から3名、この県大会に出場です。女の子ばかりの吹奏楽部ですが、3年生が1人、2年生が2人と顧問の先生が1人。そして保護者が7人(我が家がやたら多かった・・・)。朝7時半に3年生の先輩のお宅までお迎えに行きました。このお嬢さんは私の幼なじみのお嬢さんなのです。縁あってこうしてまた子どもたちが一緒にいることが不思議だねぇ・・・なんて久しぶりに会って懐かしく話し込んでいました。この友人は本当に気持ちがやさしい人なのです。今は銀行の支店長さんとして立派に頑張っています。人柄ですね・・・。

 次女の結果は、やっぱり・・・と言う結果。C、銅賞でした。元気だけは金賞なのでしょうけど、それだけではやっぱりいけません。音楽は聴かせられて心が魅了されるような・・・そんな演奏をするもんなのでしょう・・・。次女の演奏には審査員の皆さん、同じような寸評が記されていました。今後の課題が判って、本当に収獲の多い良い経験をさせていただいたと感じています。感謝しなくてはいけませんね。

 もう1人の2年生の女の子、こちらも友人のお嬢さん。見渡せばみんな知り合いばかりなのです。一期一会・・・の意味が本当に深いものだとこうした事からも考えさせられます。このお嬢さんはマリンバをそりゃぁ見事に演奏するのです。並み居る強者の中にも決して負けることなく見事にA・金賞です。一生懸命頑張っている姿は毎回思いますが感動します。コンテストですからどうしても評価の対象が結果になってしまいますが、県大会に出られた3人ももちろんですが、みんな頑張っているのですね。毎回思うのですが、こうした頑張りを積極的に保護者である私たちは見て聴いて感じて、応援してやりたいものです。それから、高校の部で頑張っているSちゃん!君にもエールを贈ります。

始まりますね(6/4)

 さていよいよ始まりますW杯・・・。興味を持ったのはアメリカ大会予選の頃。いわゆるドーハの悲劇の頃です。W杯予選でなくて、アジア杯だったかの決勝戦をたまたま暇だった日曜日の午後!?TVで観た訳です。場所は広島・・・、相手はサウジアラビア・・・。青いユニフォームが格好よかった事に強いインパクト受けました。1-0で優勝した事と凄く盛り上がっていた事にも驚かされました。そして名前は知っていたKAZU・・・。こいつが三浦知良か・・・と。サッカーに初めて興味を持った瞬間でした。

 それからJリーグ開幕。世間では異常に盛り上がっていきます。子どもの靴や、服など身の回りのものはみなJリーグのキャラクター・・・。相当な経済効果を生んだわけです。そしてW杯アジア予選。前後しますがJリーグのそれぞれのチームの中に代表選手がいることも知りました。優れた選手が日本代表チームに召集されていたわけです。私がプロと認識していたのは、野球だけでしたから、代表・・・日の丸を付けて試合をする・・・という事はオリンピックしか知りません。でもそれはアマチュアのものだったのです。それもひとつの種目で大きな世界大会があったことも新鮮でした。しかも日本はまだ一度も出場を果たした事が無い・・・。「え!?そうなの?」という思いと同時にアジアの代表になれば行けるんだという事を知り、この間のアジア大会(杯?)に優勝した事で大きな可能性が広がっている事も実感として知りました。私の中で日の丸とW杯出場のにわかな夢が大きく膨らんでいきました。頑張れ日本!!青い色は大好きです。

 そんなこんなでドーハの悲劇に涙し、フランス大会の初出場に世界の大きさを知り、日韓大会で様々な国のサッカーを楽しみ、そしてアジア予選を勝ち抜き、世界で最初にW杯の出場を決めた国になりました(最初というだけですが・・・気持ち良いもんです)。今週金曜日にいよいよ始まります。お向かいさんと一緒に熱狂する1ヶ月になるのでしょう・・・。さぁ心の準備は出来ています。世間は評論家になっている人がたくさんいるようですが、「勝つに決まってんでしょう!!!」

その距離4メートル(5/29)

 雨ばかりの5月です。昨年もこんな感じだったようナ・・・?梅雨になったらあまり降らなくて・・・。今年もそんな感じかな?何か変ですよね。今に始まった異常気象ではないのですが・・・。心配しても仕方がないけど心配です。

 昨夜、名古屋のとあるライブハウスへ出かけて行きました。こじんまりした店内は30〜40人ほどで一杯になる程です。お目当ては大好きな上田雅利氏です。アコースティックライブ・・・と銘打ってのツアーで名古屋がその初日なのです。開場の1時間前に着いたのですが、このビルが解らない・・・。駐車場に停めて探すこと30分。住所しか手元に判るものが無く、長男ときょろきょろうろちょろうろちょろ♪住所が記載してある標識を発見!簡単な位置関係を記した地図もあってこれを写メに残し、うろうろ・・・。何度も同じ場所を通って・・・「あった!!」とそのビルを発見すると・・・なんと・・・駐車場のまん前のビルでした・・・(爆笑)。

 小さなエレベーターで上がって行くと・・・、そこにはすでに15人ほどが所狭しと待っています。すると中ではリハーサルをやっているようで、いきなりあの上田雅利氏の張り上げる歌声が聞こえて来ます。そうこの扉1枚向こうに本人がいるのです。もうワクワクもんですなぁ・・・。

 受付番号順に入場を許され、私たちは28,29といつものコンサートホールなら最前列的な順番なのですが、ここじゃぁ最後のほうでした・・・。でも座る位置は自由で、離れていても8mくらいなのです。私たちの席からは4mほどにステージがあります。午後6時を少し回った頃、上田さんが登場・・・。ツァー仲間として山本圭右氏がギターで参加。ギターとドラム(なんか特注のドラム・・・ストレンジボトム何とか・・・と言ってました)の変わった編成です。サポートメンバーとして「カラオケ」と普段は上田さんのベッドの下に眠るドラム練習用パットが参加・・・、上田さんは「パット君」と紹介していましたっけ!?。豪華編成?のライブは始まったのです・・・。

 20曲ほどを2時間で歌い上げ、時折MCを交えながら笑いも含んでライブは終了・・・。30年程前は手の届かないあこがれの人がほんの数メートルの距離にいるのです。うれしかったなぁ・・・。興奮しました。長男はギターの方をずーっと観ていたようですが、良くわからない大人のライブハウス初体験だったようです。

 そうそうこの上田さん、若い頃から体を鍛えている様子。55歳とは思えないドラミングとスレンダーな体型です。毎日のジョギングを欠かさず、継続する事で苦を苦と思わない日課として体調管理をされているようです。私も先日、4kmほどを走ったのですが、いぜんふくらはぎがパンパンで情けない状態なのです。

反省(5/22)

 最近子どもに良くたしなめられます。親として出すぎたことをして子どもに限らず、その友達やご両親にまで何かしらご足労をおかけしてしまう・・・。そのときは良かれと思って事を成すのですが、後で「しまったかなぁ・・・?」と自己嫌悪に陥るのです。先日も「応援Tシャツを作ろう!!」と勢いで娘の友達のご両親に話を持ち掛けましたら、「いいねぇ・・・」とおっしゃってくださった事を良いことに、思い立ったが吉日・・・とばかりに早速作る算段をしたのです・・・。ところが・・・やっぱりやって良かったのかなぁ?と凄く嫌悪感に陥って・・・内緒にしていた娘にそれとはなしに話してみると「止めて欲しい・・・」的な言葉をいただき、更に落ち込んだ訳です。

 話し合う時間というか、場所もなく期限は迫るし、かと言って何かしてやりたい・・・と思う気持ちがワサワサと心の中で揺れ動いてたまりませんでした・・・。え〜い!!と発注をかけた訳ですが、その後にまた「しまったかなぁ・・・?」と落ち込むこと数回・・・。「オレは何やっているんだろ?」と何回も心の声が聞こえます。子どもを応援して何が悪い!!と子供たちには言いたいのですが、やり方なのでしょうか?ただ見ているだけより「わ〜わ〜」やる親のほうがずっとステキだと思えるのです。でもやっぱり出すぎた私は困った親なのです・・・きっと・・・。

 でも子どもの一生懸命な姿を見ることは、親としてとても大切な事だと感じます。好きな事を一生懸命やる姿を見て見守ってやることから、親としていろんな発見をしたりします。ましてや活躍したりなんかしちゃったときは本当に嬉しいものでしょうね・・・。いろんな感動を子どもは与えてくれます。わが子に限らず子ども達とコミュニケーションを取る事は、いろんなことに役立つと思うのです。そう思いながらきっとまたへこむ事になるのでしょうけど・・・。

イヤホンで聴く(5/15)


 この時期夜になると堤防を5〜6kmほど歩きます。たまには小走りに走ったりもします。景色が見える昼間ですと気分が晴れたりもしますが、歩く先がず〜っとみえる事が耐えなきゃならない課題のようで、重みを感じたりもします。毎日やってると同じ距離が同じに感じないことが面白く思います。こんな自分でもその日のコンディションで全然変わって感じるんだなぁと・・・妙な発見なんかしたりします。

 こんな毎回のウォーキングの必要なアイテムとして、音楽の聴けるなんちゃらウォークマンがあります。歩く事を楽しむというより、好きな音楽を聴くために歩いている・・・という感じです。昔良く聴いていた曲を今はデジタルということもあるらしいのですが、事細かに聴く事が出来ます。特にイヤホンで聴くと細かい音がどうアレンジされていたのか・・・?を聴く事が出来ます。昔、こんな感じで演奏していたと思ってコピーしていたつもりのドラミングが、実はもっと違ったリズムだった・・・何てこともよくあります。ベースに至っては摩訶不思議な旋律で演奏されていて、経験のない私には、良くわからない神業に聴こえちゃったりして感心しきりなのです。よくこんなアレンジができるなぁ・・・と驚くのです。

 TOKIOの曲もどうかすると聴きますが、彼らのテクニックは本物なのかなぁ?と疑いを持ってしまいます。TVなどで聴いてみても、なんちゃって演奏をしているように見えますし、忙しい彼らが一緒に練習をする時間がどれだけあるんだろう・・・?と思えたりします。個々のテクニックは仮にあってもお互いの癖とか感覚で磨かれるグループの味は一緒に練習しないとできないものです。次から次と曲を出して演奏できる彼らに少々疑問を感じたりします。でもイヤホンで聴く彼らの演奏は上手かったりするのです。録音技術の発達・・・てことも大きな要因でしょうか・・・。

やって来ましたGW(5/4〜7)

 今回のGWはまとめて休みをもらいました。4日は家族を伴ってお弁当を持ってのんびり釣り紀行・・・。昨年10月に行った八百津旅足(たびそこ)という所へ・・・鯉釣りにGO!GO!です。天気もまぁまぁで鳥のさえずる声も聴けてなかなか癒される場所です。ちょっとこわ〜い気もしますが・・・。皆で弁当を食べているとスタッフジャンバーを着たお年寄りが2人・・・。たぶん漁協のおじさん達です。鑑札を調べにきたのだと思います。私に話し掛ける事も無く、そのおじさん達は去っていきました・・・。その後1〜2時間ほどして川を上ってくる船が1艘・・・。やはり先程のおじさん達です。私はぼ〜っとしていましたが、やはり話し掛けられる事も無くおじさん達は去っていきました。おかげで鑑札を調べられる事も無くそのおかげ!?で何も釣れることなく早々に終わったのです。4日は日焼けして終わりました・・・。

 5日、長男と近所の木曽川へ・・・、浅いのですがでかい鯉がたくさんいます。狙いを定めて吸い込みを投入しても2時間しても全く引く様子もありません。まぁ時間つぶしの釣りは以前からこんな感じで終わってしまうのです。夕方から家内と名古屋へ・・・、ユーミンのコンサートに出かけけました。始まって思ったこと・・・「音がでかすぎる!!」低音が特にでかいのです。ユーミンの歌声が聴こえません・・・。そして5○歳になるであろうユーミンは本当に良く動くのです。歌うのはもちろん、踊るは走るは・・・。たいしたもんです。終わるや否や・・・もうダシュで車に戻り会場を脱出です。のんびりすると30〜40分は遅くなるのです。夜にはいつものバスケットがあるので急いで帰りたかったのも事実です。

 6日、休みでしたが、店はやっています。1件配達をしながら中学生のバスケの春季大会へ・・・。男子は1回戦こそ勝ちあがって決勝リーグに進んだのですが、女子は残念ながら負けてしまいました。う〜ん・・・悔しい・・・。頑張ったのに残念です。男子は観てはいないのですが次の日の決勝リーグに惨敗してしまったようです。勝負は負けるチームのほうが多いわけですから仕方ありませんが、腐らず次に向けて更なる闘志を燃やして欲しいですね。

 7日、長女の所属する高校のバスケットの試合を応援。長女はマネージャーですから試合する事はありませんが、事あるごとに選手にいろいろやっていました。地道な仕事です。気分的にも盛り上がらない仕事でしょう・・・。何事も経験です。どんな気持ちでやっているのかは正確にはわかりません。でも頑張っていることには変わりません。レギュラーがいて、控えがいて、支えるマネージャーがいてひとつのチームなのです。結果は優勝!良くわかりませんが地区のシードの3校の次ということで、地区4位という扱いになるのだそうです。でも厳しい試合を勝ち抜いたチームに拍手です。よかったよかった。

本当の気持ち(4/28)

 ボランティアというものは、無償の奉仕の行為を言うわけですが、単発的ならそれも積極的にできうる事でしょう。しかし持続し続けることは難しいものです。忍の気持ちで持続すれば、人はやっぱりどこかで誰かに誉めて欲しい気持ちがあるものでしょうから、だんだん奉仕の心を維持できなくなってきます。楽しいことでも継続するということは本当に難しい事ですから、当然です。

 ボランティアを楽しんでできればこんな素晴らしいことはないでしょう。スポーツを始めて、好きになって夢中になって上手くなって・・・そんな過程の苦労は苦労と感じないでしょうから。「好きこそものの上手なれ」ということわざがあるくらいですもんね。

 私がある時期、あるボランティアに携わったことがあります。そのときの気持ちは今も忘れる事はありませんし、それが正しかったと感じています。以前の私は何もできない自分というものに若干のコンプレックスを感じていたのだと思います。ですからこのボランティアに携わった時、実に楽しかったのです。人の役にたつということは、自分自身の存在が価値あることに感じられたからだと思います。やり甲斐はエネルギーとなって私をドンドン駆り立ててくれました。いろんなアイデアを出し、皆に喜んでもらえるようなそんなイメージをいつも持っていました。本当にいろんなたくさんの方の理解と助けをいただいて仲間とともにある事業を成功させたのです。それは代々受け継がれてきた地元の文化でした。時代と伴にいろんな人たちが関わってきたことでした。それがある時代に私たちの順番になって巡ってきたのです。一生懸命事を成し、次の人たちへ受け渡して私の役目は終わったと思っています。

 歳を重ねた今は、次の役目を楽しんでいます。ボランティアだとは思っていません。でも喜んでくれる子どもたちがいればそれも今は続けられます。人の一生の内にいろんな役目が人それぞれに巡ってきます。こう言うのを天命というのかもしれません。私には未だ良くわかりませんが・・・。

 本懐は「人のためになること」・・・それができる自分に誇りと喜びを感じる事。そんな気持ちがある限り無償の奉仕の心は満たされるのです。

学生の頃を訪ねて(4/24)

 先週水曜日(19日)午後から時間をもらって、名古屋へ行って来ました。目的地は天白区近辺。大学に長男を迎えに行くついでに懐かしいこの町を訪ねてみたかたのです。私が通った学校は隣りの学校で、この辺りには思い出がいっぱい詰まっています。天白区植田の交差点には大変お世話になった第一楽器わんわんがあります。その隣りにあったパチンコ屋(利用した事は一度も無いけど・・・)の駐車場に車を停めていつもわんわんに通っていました。一時期は、学校へ行かずにここに通っていたと言っても過言ではないほど入り浸っていました。

 今回はさすがにここには停めずに、近くの有料駐車場に停めて長男と待ち合わせました。地下鉄塩釜駅から一つだけ移動して私の通った学校へ行ってみます。昔と違っている大きな事は、名城線が環状線になってここに繋がっていて、大きな駅に変貌していることでした。驚きました。今の姿に驚いた事も事実ですが、昔の記憶が無いのです。どんな風景だったのか思い出せません。あんなに通ったこの駅が全く記憶に残っていなかったのです。流れに沿って地上に出るとそこは大学のすぐ前です。街並みは随分変わっています。店も極少数の店だけが昔の名前で残っている事で確認できるだけです。「!!!!!・・・」の連続です。

 そして一緒に着いてきた長女に「お父さんが通った学校はここやよ・・・」と教えると「ここ?ホテル見たいやねぇ・・・」と感嘆を覚えたようです。そう言う私だってその変わりようにず〜っと驚いちゃっているのです。まるでリゾートホテルのような様相です。中に入ってみるとマクドナルドがあります。今日は休講にならんかな?とワクワクして覗いた掲示板は、電飾になっています。駅の時刻表のようです。昔の校門がひっそりと小さく大学名を掲げて残っていました。

 近くのロイヤルホストで食事をして2時間程の学生の頃を思い出してきました。たくさんの思い出の街は、もう僕らの時代を忘れてしまったかのように大きく変わっていたのでした。


池の鯉(4/16)

 当店にはお客様の休憩室のそばに池があります。数年前に道路拡幅に伴って、店・住宅の改築を迫られた際に、唯一昔のまま残ったのがこの池だったわけです。若干小さくなりましたが、今も井戸水が流れこんでいていろんな魚が生きています。鮎がいたこともあります。

 私が幼少だった頃に作られたこの池ですから、今から40年は経ったと思います。当時、父親が釣りが好きで、よく連れてってもらったものです。そのうちの何匹かがこの池に放たれました。その間30数年生き続けていた鯉が3匹ほどいたでしょうか・・・。残念な事にこの店にする際に池にコンクリートの灰汁が流れ込み、他の魚(金魚・フナ・シラハエなど)と伴にほとんどが死んでしまいました。

 その後、少しの小さなフナが生きている中で、金魚や幼鯉などを買って来ては入れたりしましたが、運悪く川鵜やネコにやられる月日を過ごし、犬のさくらが池のそばで過ごすようになりネコが去り、テグスやネットを張って鳥から守ってやっと安心して飼う事ができるようになりました。現在では、知り合いの方が、釣ってきた真鯉3匹、錦鯉が4匹を筆頭に、金魚、釣ってきたシラハエが数十匹、フナ、ウグイなどワイワイしています。3年前に真鯉から生まれた鯉が10匹くらいこの中で生き続けています。

 そして昨年夏、以上に増えたホテイアオイが池全体を包み隠し、その中で魚たちは半年を過ごしました。そしてこの春、枯れたホテイアオイを取り出すと、日の当たらなかった池の底は藻が無くなって水が透き通って見え、小さかった幼鯉も大きくなっていました。水温の安定した井戸水が流れ込んでいる事と、池一面のホテイアオイによって冬の冷たい外気にさらされること無く暖かい状態でエサを食べつづけ、魚たちは大きくなっていったのだと思います。

 時折春のうららかな陽気の中で、ぼ〜っと池の魚たちを観ているととても落ち着いた気持ちになります。魚の泳ぐ姿には心を癒してくれる要素があるんでしょうね。1/fのゆらぎ・・・ってやつですか。

ちなみに・・・鯉の餌はさくらの大好物でもあったりするわけです・・・。

古井のお祭(4/10)

 昨日は地元のお祭でした。ですので久しぶりにお店もお休みです。店そのものが休みというと年に何度もありません。同じ休みでも私もたまにはゆっくり休む事ができ、とてもリラックスできました。ゆっくり起きようとしましたが、早々と目が覚めてしまい、TVをつけてマスターズを観戦。8:30からサンデーモーニングを観て、スポーツのコーナーで毎度のどうでもいい張○のアホ話を聞いて朝食を食べました。

 一階では、家内や母等が来客のための準備をせっせとやっています。来客と言っても私の兄姉家族がやって来て、昼・夕の食事にやって来て皆でわいわい過ごすのが恒例になっています。そうそう午前中にさくらを連れて堤防へ散歩に行きました。すると川を覗き込む3人の人がいます・・・。近づいて行くうちにそれは専務といとこ夫婦でした。いとこに会うのは本当に久しぶりです。ましてや奥さんに会うのは初めてでちょっと緊張しました。このいとこ夫婦は、ずっと前にも書きましたが役者をやっているのです。元気そうで何よりです。桜の花をバックに写真をパチリ!あとで添付して送っておきます。

 さくらを連れて散歩は私はあまりしません。さくらと桜の写真を今年も撮りたくて出かけたわけです。昨日は本当に天気で最高の祭日和でした。堤防をすれ違う人たちは皆、気持ちよさそうです。堤防から観える景色に桜の木がここそこにあるのだと認識させられます。桜は本当に枝にびっしり咲き誇り、木全体が、桃色に膨れ上がるのです。本当に綺麗な日本の花です。

 昼食後、皆で古井神社へ出向いて行きました。お参りをして、その年の厄男が扮するハイボウに一年を健康に過ごせるようにとササラと呼ばれる竹で頭を叩いてもらいます。これで1年バッチリです。子供の頃、これが強烈に怖くてたまりませんでしたが、今は見て泣き出す子どもは皆無ですねぇ・・・。何なんでしょう・・・。いろんな人に会います。懐かしい顔が一同に会するのです。皆、多少姿かたちが変わっていますが、懐かしいのには変わりありません。私は屋台でチョコバナナを買って帰りました。

 その後、近所の喫茶店「シルビア」でお茶をして、長男がバスケットシューズを観に行きたいというので、私、長男、兄、その長男(甥っ子)と長男の運転でスポーツ洋品店へ・・・。何だかんだととっかえひっかえで最初から決めていた物のサイズをオーダーして帰って来ました。そして程なくして夕飯・・・(腹へってないんだけど・・・食べて)。夕方から姉の長男(甥っ子)とまた古井神社へ桜を眺めに行きました。いろんな話をして帰ってきてまた堤防を歩いて・・・1時間半程散歩をしました。食べた分歩こうと思ったんですが・・・この程度じゃとてもとても・・・。食べ過ぎた今年のお祭でした・・・。


頑張る姿を観て(4/4)

 一昨日、某高校の吹奏楽部の演奏会に行って来ました。会場は先般次女がアンコンをやった立派なコンサートホールです。この高校は私の母校でもあって思い起こせば、1年になって脚を怪我していてバスケットもできず、他にやりたい部活もないまま先輩の誘導に放送部に身を寄せました。その時、この演奏会にスタッフとして借り出されていたことがありました。その30年くらい後の演奏会がこれだったわけです。

 当時はこんなコンサートホールもなく、市の体育館がステージも兼ねており、ここを使っての開催でした。淡々と吹奏楽部が演奏をして行き、パチパチパチ・・・で終わったものです。今はと言うとどうでしょう・・・。1、2、3部構成になっていて、しかも2部ではミュージカルをやるのです。これには驚きました。上手い下手ではなくてこの感性の表現にです。演劇部でもないのに観る者を楽しませるだけでなく、出演している者までが楽しんで今日まで練習をしてきたんだな・・・と思わせる内容でした。練習は異質であったことでしょう・・・。楽器を合奏するつもりでいたけど、こんな事もするんだ・・・?と戸惑いもあったでしょう。観ていて気持ちの良い物でした。

 この部員たちの中には私の子供はいません。でも知っている子が数人いました。その中に今回の演奏会のチケットを分けてくれたSちゃんがいます。中学時のバスケット部で頑張っていた子です。当時はあまり話す機会もなく、それ程親しい感じではありませんでしたが、昨年のバスケットのOB戦に参加してくれて、練習の合間にいろんな話をする気さくな間柄になりました。彼女は幼い頃からピアノを習っていて譜面もちゃんと読めるのです。ですから吹奏楽部に入っても、立派にやっていけるだけの力量を備えていたのでしょう。フルートをイキイキと演奏していました。実に観ていて感動を覚えました。その今日までの水面下での頑張りに拍手を贈りたいものです。

 

この子たち・・・(3/28)

 新年度を迎える胎動期とでも言いますか、この3月の時期は多くの人にとって環境が変わる前の準備を要する時間です。その中でも当然のように毎日を暮らしてきた学生たちは、卒業を迎えると4月からは新たな環境へと身を投じていきます。いつまでも側にしていたい居心地の良さから、新たな出会いの中へ転身を遂げていきます。

 たとえそれが悲しく寂しい別れでもそれを乗り越えなければ次がやってこない・・・。そんな事も経験のまだ浅い子供たちは分からぬまま実体験を積んでいきます。そしてそれが、この子たちを大きくしていきます。

 そんなつかの間に私たち大人とバスケットをする子供たちがいます。この子たちを見ていて感じたこと・・・。たわいもない会話の中にはうっすらと感じとっている残り少ない時間・・・。カウントダウンを個々に数えながら、いつもの仲間と屈託のない時間に寄り添っているようです。この子たちはあと数日でそれぞれの道を歩き出します。時間とともに今まで一緒だったことが不思議なくらい偶然だったことにも気が付くことでしょう。その偶然が必然性を生んで大きくなって、自分たちが同じバックボーンを持っていることで、いつか集まることの大切なこともわかるでしょう。それがどんなに居心地がいいものであるかということにも気が付くことでしょう・・・。そしてその時、子供だったことがとっても大切だったことにも気が付くでしょう・・・。いずれにしてもこの子たちは、大きな希望とちょっぴりの不安を抱きながら新しい門をくぐるのです。

久しぶりの・・・(3/20)

 一昨日、久しぶりに土曜日だと言うのに休日を頂きました。ある集まりの親睦ゴルフがあったからです。3年半前に両肩を痛めてから、2年後に1回、1年前に1回とめっきりゴルフをする機会がなくなった私でした。3年半前に調子が上向きだっただけに両肩痛は残念でした。そんな長い3年半の間に、ゴルフ熱も冷めてしまった・・・感じがありました。

 練習も全くしないままの当日を迎えるあたり、まさにその通りです。結局、第一打はちょろちょろ・・・・と100ヤードほど転がったでしょうか!?失笑を生みとほほ・・・でスタートしました。一向にドライバーが当たりません。転がったり曲がったりで・・・前半は58とやっぱり・・・という内容。前半だけで1ラウンド回っているような疲労感を感じました。

 昼食を食べてその時、ご一緒させていただいた方に「かるーく打ち込む感じでやってみたら?」と何気にアドバイスを頂きました。するとボールが飛んでいきます。決してナイスショットではないのですが、忘れていた感触を思い出した1打だったのです。ティーショットが上手く行くと、土台単純な私は饒舌になり前半とは全く違ったまとまったゴルフができるようになりました。スコアメイクに努めたゴルフをした訳で、以前のような楽しいゴルフかと言うと・・・我慢しながら・・・考えながら・・・押さえながら・・・大人のゴルフ?・・・じじいのゴルフ?をした訳です。そのおかげで後半は44と数字的にはOKのスコアでした。久しぶりのゴルフは実にいろいろ考える事の多かったゴルフでした。

 更に久しぶりなのは、愛車クラッシックZに乗って行ったことです。半年前にアイドリングの調整をしたのですが、前日にエンジンをかけてみるとどうもご機嫌が悪いようです・・・。安定させるまで何だかんだといじってみて、走ってみました。すると調子がよくなり、一昨日の朝も暖気を済ませて、10kmほどを軽快に走ってくれました。相変わらずの乗り心地と、くそ重たいステアリングと格闘しながらのドライビングでした。

 これは久しぶりではないのですが、とうとう長男が自動車免許を取得しました。そして先日、片道50kmのお得意様まで、付き添っての配達に出かけたわけです。乗りなれない(教習車以外は乗りなれない訳ですが・・・)軽トラックのポジションにあくせくしながら、なんとか行って来ました。かなり疲れたようですが、満足そうな顔が印象的でした。私にとってもとても嬉しいひと時でした。安全第一!初心忘れるべからず・・・ですね。


故障?(3/12)

 春の息吹を感じる頃となってきました。今日は雨ですが、こうやって一雨ごとに暖かくなって行くんでしょうね。でも明日は寒くなるとの事・・・。寒の戻り・・・て奴ですね。巷では、卒業の時期です。長男も先日高校を卒業しました。あっという間の3年間でしたね。それと昨年の長女の卒業は実に感慨深いものがあって、やっぱり、もうあれから1年経ったんだなぁ・・・と感じる今日この頃です。

 合わせて長男は、自動車学校を卒業し、近日中にでも試験を受けに行く予定・・・。受かれば晴れてドライバーです。心配ではありますが、乗らないわけには行かないですからね。軽トラに乗って配達をして欲しいですし・・・。長男よりいち早く免許を取得した友人たちが、家へやって来ます。でも不思議と私たちの頃とは違って、車にはこだわりがあまり感じられません。脚・・・という感覚なのでしょうか。自転車が自動車になったという程度ですかねぇ・・・、そんな印象です。

 昨日、今日とお得意先のお店が、展示会を開いています。昨日夕方に陣中見舞いで覗いて来ました。様々な新車・中古車が並んでいます。若い子達は、流行の車に注目を集めています。でも私が気にして見てしまう車は、やっぱり遊び心(この対象がもう違うのでしょうね・・・)のあるスポーツカーの類なのです。それより陣中見舞いにと買った店の自販機・・・、新商品のコーヒーを選んだら、何も出てこないぞ!!懲りずにもう一回やっても無反応・・・故障?¥240返してくれぇ〜(涙)。


頑張りましょう(3/5)

 先だって友人の店がTV番組に出ていました。その中で、「新しい夢に向けて、仕事の方向転換をする」という事を語っていました。時代の中でいろいろ考えて、自分の夢をその流れの中に乗せようとして日々頑張っているようです。この歳でその決断は立派です。ここに至るまでに、私たち他人には全てを計ることはできませんが、その必要性、展望など現実と希望の狭間の中で悩まれた事でしょう。私も数年前にこの店に建て替えるとき、同じような思いをしましたから想像が出来ます。

 皆それぞれの商売を、時代の波に大なり小なり舵取りをして方向を定めているんですが、商売を辞めた者、転職をした者、店舗を新改装した者、移店した者、形態を変えた者など皆創意工夫して生きています。人は人生の中で3度チャンスが巡ってくると教えられました。私にとって大きなチャンスはやはり数年前の道路拡幅に伴う店舗新装したときです。店舗はもちろんですが、サービス形態も皆でいろいろ考え今に至っています。こんな事はそうそう起きる物ではありませんから、人が言う所のあとの2度のチャンスはこれほどの好機ではないのかもしれませんし、ひょっとしたらもう逃してしまっているのかもしれません。そうだとしたら「しまった!!」なのですが・・・。

 いずれにしても、先を観る眼・・・風に乗る勇気・・・運不運で左右される事無く、皆頑張っていることが嬉しくもあります。皆!頑張りましょう!!