・・・ 合谷騎手の軌跡 ・・・


 過去の成績一覧から見た、合谷騎手のこれまでの騎手生活を年度ごとに見ていくコーナーです。

2002年
  ● 五十嵐厩舎所属に!
 1月21日付けで、フリーから五十嵐忠男厩舎の所属に変更となった。
  ● 騎手引退
 3月20日付けで騎手を引退することとなった。引退後は所属の五十嵐厩舎にて、調教助手として第2の人生を歩む。 15年間の騎手生活で通算44勝という成績だった。

2001年
  ● 落馬負傷(頭部外傷II型、頭蓋内血腫疑)
 2月3日、京都5Rの障害未勝利で落馬。「頭部外傷II型、頭蓋内血腫疑」で蘇生会総合病院へ搬送された。精密検査の結果「頭部外傷、左顔面ざ創、両腹部、及び左手打撲の疑い」で1ヵ月の休養を余儀なくされた。
  ● 調教中に落馬して肋骨骨折
 夏の小倉開催中の調教中に落馬。肋骨を数本骨折して入院する事態となった。2週間半ほどの入院を余儀なくされ、全治1ヵ月ほどの負傷であった。

2000年
  ● 右距骨剥離骨折及び右足靭帯損傷で全治6週間の負傷
 1月9日のレース中に落馬し、右距骨剥離骨折及び右足靭帯損傷の診断を受けた。4月15日に復帰するまで、3ヵ月もの期間を要した。
  ● 騎乗機会連続入着記録「21」!!
 5月28日の障害未勝利(リッチトレンディー・3着)から11月26日までの障害未勝利(シロキタスター・3着)まで、約半年間騎乗したレースはすべて入着(5着以内)という安定した成績を収めた。 「21」の内の20レースが障害未勝利戦で、地道に記録を伸ばした結果を現している。JRA記録がどんなものかは分からないが、「騎乗機会連続入着、1着なし」という記録で考えれば、間違いなくJRA記録である。

1999年
  ● 障害競走初のグレードレース・阪神スプリングJ(G ll)に騎乗!
 1999年より障害競走もグレード制が導入され、その最初のレースの阪神スプリングJにシロキタガリバーにて騎乗した。 結果は7着だった。合谷騎手のグレードレースでの騎乗は初めて。
  ● 7年8ヵ月ぶりの1番人気勝ち!
  ● 9年2ヵ月ぶりのオープン勝ち!
 4月24日の障害オープンでカブトフドオに騎乗し、1番人気に応えて見事に勝利を収めた。このレースでの勝利は7年8ヵ月ぶりの1番人気勝ちであり、 9年2ヵ月ぶりのオープン勝ちでもあった。
  ● 約10年ぶりの単勝万馬券!
 6月6日の障害未勝利でローズコンテッサに騎乗し、11頭中10番人気だったが、ゴール前で差し切る見事な勝利を収めた。単勝10460円の万馬券を演出した。 単勝万馬券は約10年前の1989年5月20日以来のもので自身2度目。

1998年
  ● 障害競走初勝利!!
 3月8日、阪神5R・障害未勝利戦でセフティオーシャンに騎乗し、最後方から徐々に進出し、直線では外から一気に差し切っての快勝!  障害競走初勝利を達成した。
  ● 重賞競走に初騎乗!!
 京都大障害(春)でセフティオーシャンに騎乗。障害重賞初騎乗となった。平地を含めても初の重賞競走の騎乗であった。結果は5着。
  ● 重賞競走で初連対!!
 阪神障害S(秋)でセフティオーシャンに騎乗。最後は外から鋭く追い込んできて2着。重賞初制覇こそ逃したが、重賞初連対は果たせた。
  ● 最後の障害400万以下を勝利!!
 1999年より障害の400万以下クラスがなくなるため、12月19日の障害400万以下が最後となった。そのレースでカブトフドオに騎乗し、見事勝利を収めた。 「最後の400万以下の勝利騎手」として永遠にその名を刻んだ。

1997年
  ● 島崎厩舎所属からフリーに!!
 これまで島崎厩舎に所属していたが、名義貸し問題で島崎厩舎の馬が他厩舎に預けられたと同時期にフリーになった。 その影響で騎乗数も激減した。
  ● 障害競走初騎乗!!
 これまで平地にしか騎乗していなかったが、7月26日の小倉5R・障害未勝利戦でダンディウラノスに騎乗。障害競走初騎乗となった。 結局このレースは6着。
  ● 馬券に絡めず・・・
 この年の最高着順は4着。馬券に絡むことすらできなかった。フリーになったこともあり、3ヵ月騎乗なしなど騎乗数も激減していた。

1996年
  ● 特別勝ち!!
 2月17日、京都10Rの木津川特別(5歳以上900万以下)でレインボーガイセンに騎乗。ダート変更も苦にすることなく逃げ切り勝ちを収めた。 特別勝ちは久々となる。

1995年
  ● 年間未勝利。。。
 騎乗数64。年間未勝利どころか連対すらない年になってしまった。最高着順は3着。

1994年
  ● 大腸憩室炎のため4ヵ月騎乗なし
 3月〜6月までの4ヵ月間全く騎乗していなかった。大腸憩室炎という病気を患って3月から1ヵ月半の入院生活を余儀なくされていたため。

1993年
  ● 最低人気で一発!!
 14頭立ての14番人気だったオーダーメイドで勝利。混戦模様だったのか、単勝配当は4650円にとどまったが、 あっと驚く大駆けだった。

1992年
  ● 連敗が126でストップ、ようやく1kg減に!
 2月16日、小倉7Rで約11ヵ月ぶりに勝利を挙げた。実にその間の連敗は126。 また、この勝利で通算31勝目となり、ようやく1kg減にランクアップ! しかし、1kg減として騎乗した週はたったの1週間で6レースのみ。
  ● 超スプリンター!?
 この年の勝ち数は3勝。そのすべてが1000m戦。この年の合谷騎手は超スプリンター騎手だった。

1991年
  ● 年初め、いきなり2連勝!!
 年初めの京都競馬場。初日の最終レースでこの年初騎乗で勝利を挙げると、翌日の4Rでも2番人気の期待に応えて快勝。 騎手成績では一瞬上位になっていたはず。これは合谷騎手史に残る大記録であろう。
  ● 100連敗!
 4月〜12月、それなりに騎乗数はあったものの未勝利に終わった。その間に数えた連敗がぴったり100。

1990年
  ● 銀杯2着、オープンで勝利!
 合谷騎手にとって、おそらくアラブ最強のお手馬であろうフクセンヒカリとのコンビで、京都の銀杯2着。 そして小倉のアラブ4歳以上オープンでは1番人気に応えて快勝した。
  ● 2kg減に!
 2月3日、小倉6Rで通算21勝目を挙げ2kg減に。3kg減継続の翌日の小倉4Rで勝利を加え、 2kg減になる前に効率よく1勝を加えた。ちなみに、当時は減量がデビュー5年間有効であったらしい。

1989年
  ● 単勝万馬券!!
 5月20日、阪神2R。16頭中12番人気の4歳未勝利戦。エムジーエンゼルに騎乗し、 後方から豪快なまくり追い込みを決めて快勝。単勝11160円の万馬券を演出した。
  ● 1日2勝!
 11月5日、福島にて1Rと8Rでそれぞれ勝利を挙げて1日2勝を達成した。これ以降、1日2勝はない。

1988年
  ● 開幕V!!
 1月5日、京都1Rでエーコーホープに騎乗して勝利を挙げる。1988年開催初日の開催最初のレースを飾り、わずかな時間ではあったが、関西リーディング単独トップに立った!

1987年
  ● 初騎乗
 3月1日、阪神1Rのサルノクイーン。9着(9頭中)に終わった。
  ● 初勝利!!
 3月15日、中京12Rのダンディブーン。16頭中14番人気の低評価を覆す逃げ切り勝ち。これが12戦目だった。
  ● 初特別勝利!!
 3月28日、中京10Rの乗鞍特別でダンディブーンに騎乗。11頭中最低人気だったが、初勝利同様に低評価を覆して6馬身の圧勝。デビュー19戦目のもので、同期デビューでは最初の特別勝ちとなった。

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