・12/12

 5R・障害未勝利。騎乗馬はフロムダウンタウン。例によって離れた後方を追走していた。そして、最後までそのままの8着に敗れた。完走した中では最下位・・・。
 6R・4歳以上500万以下。騎乗馬はヤマトペガサス。久々の平地騎乗馬で、これまでとは違いわずかながらにチャンスのある馬である。しかし、休み明けが響き道中は内々の後方でもがき、4角ではもう苦しくなっていた。直線でも全く伸びずシンガリの8着に敗れた。
 障害競走騎乗後、1日2騎乗の日にどちらかでも好走をしたためしがない・・・。

・12/18

 5R・障害未勝利は毎度毎度おなじみのシードミンゴ。いつもどおり行き脚がつかず後方から。タスキあたりから徐々に進出し、向正面で上がっていき、4角で4番手まで押し上げた。 そして最終障害を巧い飛越でまとめ、内から3番手に上がって直線に入った。前2頭が抜けて大勢は決していたが、何とか3着に踏ん張った。直線で珍しく左ムチを使っていたのも印象に残っている。 前と離れた3着だったが、合谷騎手は今回でかなりの手応えをつかんだらしく、年明けになるであろう次走が非常に楽しみになった。(コメントがようやく障害騎手らしくなってきた?)
合谷騎手のコメント
 少々踏み切りが遠いなと思っても、自分で小足を使って完歩を合わせてくれるようになってきた。揉まれ弱さは残っているけど、この内容なら近々チャンスが。


・12/26

 今年の飛び納め、障害未勝利でナルクリミナルに騎乗。人気は8番人気であったが、障害2走目でしかも休み明け2走目の今回は上積みが見込めそうであった。スタートでは二の脚が悪く後方からのレースとなったが、障害ごとに差を詰めるほど飛越はやや高いが安定していた。 タスキで徐々に差を詰め、中団の好位まで進出してきたが向正面では差が詰められず。それでも残り2つ目の障害でうまく差が詰まり、最終障害を迎えた。やや外目だったが完璧な飛越で手応えもまで十分ありそうだったが、その前を走っていたマチカネマドノユキが転倒。 ここでブレーキがかかり内によける大きなロス。つきかけた行き脚がなくなり最内から直線を向くこととなった。そこから最後は再度伸びたが時すでに遅し。前の集団に差を詰めるまでの6着同着に終わった。 1990年代最後の騎乗は不完全燃焼に終わった。
合谷騎手のコメント
 慣れてきたんだろうが、聞いていたほど飛びは高くなかったし、結構スピードに乗って行けた。最後に前で落馬があったのが痛かったね。あれがなければ3着はあったと思う。


−1999年の合谷騎手−

 障害改革元年の最初の特別レース、牛若丸JSでカブトフドオがいきなり1番人気に支持されびっくり。最後差されて2着に敗れたが、自分から動いて4角で抜け出す強い内容から、 カブトフドオでの重賞制覇を誰もが期待した。2月にシロキタガリバーで1勝目、4月にはカブトフドオで待望のオープン勝ちを果たし、いざ重賞・京都JSへ。2番人気で迎え、完璧なレースを見せていたが・・・。 そのうっぷんを晴らしたのか、6月にはローズコンテッサで単勝万馬券の大駆けを披露。勢いは衰えていなかったが、2週後にカブトフドオがレース後の故障で他界するとそれからは不振のどん底を極めた。 騎乗馬にも恵まれなかったのは確かだが、京都HJの落馬など全くいい事がなかった。2000年はいい年でありますように!!

 ちなみに、年間落馬9回は今年1位。競走中止回数ではあの逸走が含まれて2ケタの大台(10回)。決して誉められることではないが、年間通じてケガでの休養が一度もなかったのは素晴らしいこと。 7月に左第三腰椎横突起骨折、左腸骨打撲挫傷で安静加療3週間というケガを負ったが、翌週騎乗していたことから「不死身の合谷騎手」と一部のファンは称していた。



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