来年のえと作り・・・181202掲載
 「イノシシ」の置き物が完成
羽黒で「ぜんきゅう教室」 〈犬山〉  
紙粘土を使って「来年の干支イノシシを作ろう!」と犬山市羽黒にゆかりのある造形作家にわぜんきゅうさん指導の下、「ぜんきゅう教室」が11月12日に同市の羽黒小学校で開かれました=写真右。「羽黒地区を元気に!!」を合言葉に活動する「羽黒げんき」と羽黒商工発展会が主催したもので、幼稚園児からシニアまで約60人が参加。ぜんきゅうさんの人間味あふれる語りや説明に会場は和気あいあいの雰囲気で、思い思いの作品作りに励みました。
「いろんな年代の方と話しながら楽しく作れました。玄関にでも飾ろうかな」と酒向眞利子さん。「ぜんきゅう教室はいつもすごい人気」と話す羽黒げんきの坂野英治代表は、「学校の協力のおかげで地域の連携が取れ、この積み重ねが良い雰囲気のまちづくりにつながっている」。最後に全員で記念写真を撮り、それぞれの作品を大事そうに持ち会場を後にしました。


←完成した作品を持って喜ぶ参加者

 「10年先ゆく学習施設」 楽田コミュニティ 
●365日24時間対応の取り組みを紹介 犬山で地域づくりの全国交流会
第24回地域づくり団体全国研修交流会愛知大会が11月10、11日に県内18会場で開催され、犬山市の楽田ふれあいセンターでは楽田地区コミュニティ推進協議会(田川憲次郎会長代行)担当の「10年先ゆく学習施設」分科会が開催されました。10日夕刻からの第1部と交流会には全国からの参加者17人をはじめ、市内他地域のコミュニティや関係者など約100人が参加。”元気の素”見て聞いて触れて!!と、同協議会の活動を映像とトークで紹介しました。かつて楽田村の公民館活動は、国連から視察団が来たほど有数なものと伝えられ、昔から培われてきた地域文化を現代風にアレンジして継承する同活動。同センター管理人を施設の営業マンと位置付け、役員が直接面接採用、365日24時間の利用に応えています。


地域づくり団体全国研修交流会・愛知大会の様子=楽田ふれあいセンターで
また、子どもたちの火遊びを逆手にとらえ考え出した「火遊び教室」や、山の講の現代版「やどかり塾」、地域と学校一体の「運動文化祭」、地域挙げての「夏祭り」などユニークな活動の数々に参加者からは「新旧の住民間に問題は」「地域と学校一体の運動会の成果は」など活発な質疑応答が繰り広げられました。交流会ではメンバー手作りのピザやすし、はそりで炊いた料理、地酒などでもてなし、女性メンバーがチャイナ服に身を包み民族楽器を演奏。長崎県五島列島からの参加者は「こんなコミュニティのスタイルは初めてで驚きました。良い建物ができただけでなく、中身もしっかり、とても良いショックです」。市内から参加の前田八重美さんも「同じ市内のコミュニティとして刺激になります」と話していました。同協議会の原正男実行委員長は「勝野弘平会長がコミュニティ活動の元気さを全国に発信したいと名乗りを上げた分科会。これを機会に、地域のきずなが一層深くなればうれしい」と語りました。

 高齢者の死亡事故多発 
●〈江南署管内〉緊急アピールを発出
江南警察署(森田哲夫署長)管内では11月中旬の1週間で、4人が交通事故により死亡。今後年末にかけ一層の交通事故多発が懸念されることから江南・岩倉両市長、大口町長、森田署長は11月20日、交通死亡事故多発「緊急アピール」を発出しました。4人(江南1人、大口1人、岩倉2人)はいずれも65歳以上の高齢者で、これにより同署管内のことしの死者は6人(うち高齢者5人)。見通しの良い場所や昼間にも事故は起きており、思いやりのある運転を心掛けていれば防げたものも多いということです。同月22日、江南市で行われた街頭監視活動には同市交通安全推進協議会員や市職員など約80人が出動=写真。ほかにも広報誌やセスナ機、老人会などを通じて広くアピールしました。

わが町の昭和と平成 
●犬山 氷室橋
昭和10年ごろ、犬山橋から栗栖への街道に架けられていた氷室橋=高木写真館提供
現在の氷室周辺の様子
犬山橋から木曽川を左岸に沿って継鹿尾や栗栖へ通じる街道には、かつて木製の氷室ひむろ橋が架かっていました。付近は断崖絶壁のため橋は通行の際、重要な役割を果たしていました。左の写真は昭和10年ごろ。当時、天然の氷を造った氷室があった地であることから、この橋の名前が付けられたといいます。天然スケート場もあり、子どもたちが手作りのスケート靴をはいて遊ぶ姿も見られたようです。「氷室」は現在も地名として残っており、県道185号線(犬山栗栖線)の信号交差点(三差路)の名前にもなっています。


尾北ホームニュースでは、平成の現代と対比することができる、なつかしい昭和の写真を探しています。
次回は12月16日に掲載します。

 この人この話題 
●「描くことは、生きること」 栗木基晴さん(江南)
「描くことは生きること」と、山の絵を描き続ける栗木基晴さん(68)=江南市山尻町。左手に絵筆を持ち、大好きな山の絵を描き続けています。平成11年に宮田中学校長を最後に教員生活にピリオドを打ち、妻を介護しながら若いころから好きだった油絵や水彩画を描き始めた栗木さん。登山が趣味だったこともあって、キャンバスを持参しては絵を描き、同13、14年には「山の絵画展」を3度開催。その間、同市民展にも入賞するなど腕を上げ、気に入った山の風景を描く日々を送っていました。
介護の傍ら山登りを楽しみ、作品づくりに充実した時間を過ごしていましたが、翌15年に脳出血で倒れ、右半身不随に。失意の中、左手に絵筆を持ち替え、今までに描き切れなかった作品に加筆。翌年、翌々年には、絵画展も開催しました。リハビリも兼ね左手で描く栗木さんに、昨年は介護を続けていた妻が亡くなる悲しみが…。それでも筆を置くことなく山を描き続け、ことし11月には第6回の「山の絵画展」を開催しました=写真。「左手で描き始めた時は、固まってしまった絵の具のチューブのキャップを開けるだけでも4〜5時間かかった」と、制作活動を振り返る栗木さん。「最近の絵は、力強さが表れている」との知人らの評に「ことしはとても体調が良く、3月から15枚ほど描いた」と顔をほころばせます。「絵を描く速さは健康なときの10分の1ほどで歩みはのろいけれど、少しずつ前に進んでいる。これからも山の絵を描き続ける」と、制作活動に意欲を燃やします。困難を乗り越え描き続ける栗木さんの絵は、見た人の心を優しく包み込み、明日への希望を与えてくれます。

 
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