飛んだ!開いた!! 中日”夢”サークル ・・・180805掲載
パラシュート水ロケットを制作    
中日新聞販売店と尾北ホームニュースは、共催地域事業「中日”夢”サークル」の第30回講習会として、親子を対象にした「ペットボトルロケット教室」を7月23日、江南市草井町のすいとぴあ江南と芝生広場で開催しました。講師はアイデア水ロケット全国大会((財)日本宇宙少年団主催)に実行委員として参加、かかみがはら航空宇宙科学博物館などで水ロケット教室を主宰する、片岡鉄雄さん=各務原市。教室には親子44組が参加。200キロ近い速度で上昇し、100メートルほど上空でパラシュートが開いて落ちてくるパラシュート水ロケットを協力して作りました。 参加者に作り方を指導する講師の片岡鉄雄さん(左)=すいとぴあ江南で
 ペットボトルロケットを打ち上げる参加者(下)と上空で開いたカラフルなパラシュート(上)
●親子44組が参加
参加者は完成したロケットを持って、すいとぴあ江南北側の芝生広場へ全員で移動。15台の発射台を並べて、ペットボトルに水を入れ、発射台にセット。空気入れでペットボトル内の空気を圧縮し、片岡さんの「5・4・3・2・1」の秒読みに合わせて、子どもたちが発射ボタンを押すと、「プシュッ!」という音とともにロケットは水しぶきを上げて、勢い良く梅雨の空に向かって飛び出しました。昨年に続いて参加した山口創平君は「去年より難しかったけど、パラシュートが開いてよかった」。 工作が好きと言う井上空君、海人君兄弟は「空気を入れる時は、爆発するかと思った。スイッチを押す前はどきどきして、ぐんぐん上ってパッってなった時、パラシュートが開いてすごくうれしかった」。ロケット作りのキットを探していたという渡辺竜也君は「ちょっと難しかったけど、飛ぶことを考えて、楽しみながら作った」。秋田京一郎君、幸一郎君兄弟も「作るのは難しかったけど、パラシュートも開いてよかった」と、上空でカラフルなパラシュートが開くと梅雨の空に花が咲いたようで、大変楽しい打ち上げとなりました。

●会場で特別臨時号を発行
29人乗りマイクロバスを改装した中日新聞社の移動印刷車両「ドラゴン号」が会場にやってきました。カラープリンター、パソコン、デジカメを備え、自家発電機を搭載したドラゴン号が教室の様子を掲載した「尾北ホームニュース特別臨時号」を発行。その場で参加者に手渡されました。

中日”夢”サークルの会場で発行された
尾北ホームニュース特別臨時号


ペットボトルロケット教室へやってきたドラゴン号

〈食事〉10品目と〈運動〉10分間    
●扶桑町で健康づくり講演会
いつまでも元気で生き生きと過ごすために、日ごろから健康づくりに心掛けようと扶桑町はこのほど、同町総合体育館で「いきいき元気ふそうテイクテン!講演会〜『TAKE10!R』プログラムを使った健康づくり〜」を開催、町民約380人が参加しました。講師は、人間総合科学大学教授で管理栄養士でもある熊谷修さん。老化が進むのを遅らせるには「栄養状態を高めることと筋肉トレーニングをすること」と、正しい食生活と適度な運動の必要性を語りました。「歩いて人を追い越せなくなるなど、予備の力がなくなってくることが老化。老化が加速される前の予防が大切」と、高齢になると「肉より魚」と、粗食傾向にある食生活を見直す必要があると話す熊谷さん。肉、卵、牛乳、油を使った料理など、栄養状態を高める食生活をすることが大切で「75歳以上の高齢者では、コレステロール値の高い人の方が病気にかかりにくいという研究結果もある」など、データを示し栄養状態を良好に保つことの大切さを強調しました。
講演会の様子=扶桑町総合体育館で 同時に、筋力を鍛えるストレッチなども必要で、10分程度のトレーニングを1日2、3回実施し、1日に肉、魚、卵、牛乳、大豆、海草、イモ、果物、油、緑黄色野菜の10品目をバランスよく取ることで老化に立ち向かおうと、誰にでもできる簡単ストレッチも紹介しました。講演を聞いた参加者は「今まで聞いた話と180度違い『目からうろこ』の内容だった。考えを変えないと」と、今後の食生活に生かしていきたいと話していました。同町では今後、介護予防に向け、同プログラムを使った健康づくりを推進。講習会や研修会などを実施しながら、住民同士がバランスの取れた食事と10分程度の筋肉トレーニングの大切さを伝え合っていきます。

 わが町の昭和と平成

昭和15年、高雄小学校校庭。完成間もない皇紀2600年記念塔(左)と奉安殿(後藤富夫さん提供)
●扶桑町立 高雄小
皇紀2600年にあたる昭和15年、現在の扶桑町立高雄小学校の校庭に節目の年を祝う記念塔と、天皇の写真(御真影)や教育勅語謄本を収納する奉安殿が完成しました。「皇紀」とは日本書紀の神話に基づく日本の紀元で、神武天皇即位の年(西暦紀元前660年に当たる)が元年。明治5年に定められ、戦前まで小学校の歴史教科書はすべて「皇紀」が使われていました。完成したピラミッド型の記念塔は同校同窓会の寄贈によるもので、高さ4m39cm。塔の中には100年後の子孫に伝え、永遠に記念とする品として、当時の教科書、新聞、図書、校下の地図や家庭、産業状況、風俗、習慣、皇紀2600年を迎えた感想文などが収められました。奉安殿は地元2人の寄贈によって建立。建設には校区住民が組ごとに日を決めて勤労奉仕に駆り出され、当時3年生だった後藤富夫さん(74)=高雄=が「木曽川から玉石を運んだ」というように児童も協力しました。敗戦後、軍国主義の建物は撤去するようにとの指命で、同21年に記念塔、奉安殿ともに取り壊され、穴を掘って埋め立てられ、収蔵品の一部も焼却処分されました。その後同40年、同窓会により記念塔復興委員会が結成され、5年がかりで現在の南門近くに復元。塔に収められた戦前戦後の貴重な資料は西暦2040(皇紀2700)年に開扉されることになっています。奉安殿の屋根は、高雄南屋敷にある覚王寺に売却され、井戸屋形として今もその姿を残しています。現在、記念塔と奉安殿があったところには樹齢約30年になるクスノキとサクラが大きく成長し、真夏には児童らの休息の場所になっています。
※次回は8月19日掲載。

現在の様子。クスノキの下に集う児童たち

 
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