伝統に触れる夏 ・・・180722掲載
郷土の伝統行事    
犬山・東部中学校 石上祭を学ぶ
犬山市立東部中学校(水野皓司校長)の1年生115人は、地元の尾張冨士(275m)山頂に献石を運ぶ「石上祭」(8月6日)に参加するため3日、同祭伝承保存会の納堂豊治会長ら3人を招き事前学習会を開きました。尾張冨士の祭神が信者の枕元に現れ、隣の本宮山より低いことを嘆いたため、尾張冨士を高くしようと信者が山頂に石を積み上げたことから始まったと伝えられる石上祭。天保7(1836)年「天保の大飢饉」の翌年から盛大になったといわれています。
石上げ祭の事前学習として石を担ぐ東部中の1年生  納堂会長は「皆さんの参加はことしで4回目。協力して暑い中、石を上げてもらっています。長い伝統で続けてきた行事で先人の偉業を続けていけるよう参加してください」とあいさつ。生徒らは納堂会長の石上祭の歌「山坂の歌」に合わせて、約4kmの石をくくり付け、サカキなどで飾ったリンギ棒を8人で担いで体育館内を練り歩きました。リンギ棒と献石を合わせると重さは8kmほどあり、担いだ生徒たちは「余裕で担げる」「重くて肩にズンとくる」「バランスを崩しそう」。郷土の祭りに参加することに「日本中の人が、石上祭と聞いて犬山って言ってくれるように、盛り上がっていくといいです」と話します。当日は3人一組で交代しながら石を担ぎ、全員で力を合わせて山頂を目指します。
日本の伝統芸能    
●大口西小学校 箏の音色に感動 
「日本の伝統芸能に触れる機会を」と、大口西小学校(安田美代子校長)で7日に箏曲演奏会が行われ、5、6年生182人が透き通った伸びやかな箏の音色に耳を傾けました。同校で音楽を担当する滝優子教諭が箏曲演奏家を招き本物の音色に触れてほしいと、文化庁の「学校への芸術家等派遣」事業に申請したもので、箏曲演奏家で「春の海」作曲者・宮城道雄の直弟子の佐藤芙美子さん(86・岐阜市、宮城社芙蓉会主宰)や娘の千恵子さんら4人の演奏家が来校しました。
箏の演奏を始めて80年の芙美子さんは「目の不自由な宮城先生が、耳で感じ作った様子を感じてほしい」と「まりつき」を披露。演奏の合間には、千恵子さんが「箏と言えば普通は十三弦のこと。低い音が出る十七弦は、宮城先生が考案したもの」と、音色を比べて紹介しました。「箏は弦に柱(じ)を立て、演奏する曲に応じて柱を移動させて調弦します」と、普段ならどん帳の中の舞台裏として観客には見せない音合わせなども披露。調弦を間近に見聞きすることができ、子どもたちには貴重な経験となりました。滝教諭が加わっての演奏や三絃との合奏、「となりのトトロ」「大きな古時計」を一緒に歌うなど、箏の音色を味わった子どもたち。「激しくなったり弱くなったりと本当にまりつきに聞こえた」と感想を話し、2学期には佐藤さんらの指導で「さくら変奏曲」に挑戦。11月に演奏会を開く予定です。 箏の演奏に耳を傾ける大口西小の5、6年生

 駐車場を避難場所に
〈災害時〉 イオン(株)ジャスコ扶桑店 扶桑町と協定締結 
扶桑町とイオン(株)ジャスコ扶桑店(大前一也店長)は5日、「災害時における応急生活物資供給等の協力に関する協定」と「大規模災害時における駐車場の一時使用に関する協定」を締結。江戸滿町長とイオン(株)中部カンパニー名岐事業部の永田浩二事業部長が、大規模地震災害や風水害時などの町民生活の早期安定を図るため、応急生活物資の供給や駐車場の一部を一時避難施設として利用する旨の協定書に調印しました。永田事業部長は「微力ながら地域に貢献できれば」と話し、江戸町長は「災害が起きたときには、初動時の行動が大切。避難場所や水、おむつなど生活に欠かせない物資を確保できることは誠に心強い」と、万が一の災害に備えます。

←協定書に調印した江戸扶桑町長(右)とイオン(株)中部カンパニーの永田事業部長

  夏の花が共演 
●木曽川扶桑緑地公園
扶桑町の木曽川扶桑緑地公園でことしも、アメリカフヨウが見ごろを迎えています=写真。山那フラワークラブ(松山敏代表)のメーンフラワーとして、同町小淵のサイクリングロード起点から国旗掲揚塔までの延長約400bに500株。矮性のフランスフヨウやピンクから紅色に色を変えるスイフヨウ、真っ赤なカンナなどが華麗に共演。アメリカフヨウは8月上旬まで楽しめるそうです。

 わが町の昭和と平成

昭和49年の名鉄「明治村口駅」前の様子
(犬山市役所提供)




●名鉄羽黒駅前
昭和6年に営業を開始した名鉄小牧線の「羽黒駅」は、博物館明治村の最寄り駅です。明治村は同40年3月18日に開村。同駅前から明治村行きのバスが発着することになったことから、翌年「明治村口駅」に改称されました。上の写真は昭和49年の駅前風景。大衆食堂、旅館、和菓子店などが軒を並べているのが見られます。同60年、犬山駅から明治村行きのバスが出るようになると、明治村口駅からのバス路線は廃止になり、翌年「羽黒駅」に戻されました。下の写真は現在の様子。駅舎が南寄りに新築されたことから、毎年8月第1日曜日に石上祭でにぎわう尾張冨士を望むことができるようになりました。

次回は8月5日に掲載します。

現在の名鉄「羽黒駅」前


 
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